私のJAZZ遍歴

実のところ、アメリカン・ジャズにはあまり馴染みがないのです。
子供の頃から、アメリカという国自体が好きではなかったし。
中学生の頃は映画音楽をよく聴いていたので、「死刑台のエレベーター」とか
「タクシードライバー」などがアメリカン・ジャズとの少ない接点だったでしょうか。
映画「五つの銅貨」古いジャズがいっぱいで好きでしたけれど…。
その後、中南米の音楽に傾倒していったので、マンボ、サンバ、フォルクローレ…
それから世界各地の民族音楽にまで聴く範囲は広がっていきました。

そんな中、ジャズとの鮮烈な出会いといえば、アルゼンチン出身のサックス奏者、
ガトー・バルビエリでした。彼のフォルクローレとフリージャズの合体したような
演奏を聴いて、猛烈に胸が熱くなったことを覚えています。
次に印象深かったのは、南アフリカのピアニスト、ダラー・ブランド。
土の匂いがするような音は、良かったなぁ。

大学生になった頃から行動範囲が少し広くなり、憧れの国であったソ連のレコードを
売る店(神保町の新世界レコード)でロシアン・ジャズも聴けるようになりました。
その頃はまだ、スタンダードな演奏のものしかレコード化されていなかったのですが、
それでもロシア的な曲が多くありました。
アメリカのも少しは聴いていました。コルトレーン、アイラー、クリフォード・ブラウン。
しかしついに、マイルスなどは聴くことなかったです。

ライヴでジャズに触れたのは、大学祭で近藤等則を聴いたのが初めてでしょうか。
当時、ニューヨークでは活躍していながら日本ではまだ知名度の高くなかった近藤さん、
私の大学を練習場にしていたことがあって、ジャズ研主催のライヴを行なったのです。
教室の中だったですが、めちゃくちゃ熱かったです。

そして、いよいよ本格的にはまったのは、1989年「ひらかれた地平」コンサート。
ソ連から4人、日本から4人、アメリカから2人の超先鋭ジャズメンが一同に会し、
激しくぶつかりあった、歴史的なフリー・セッション。凄いメンバーでしたが、
特にセルゲイ・クリョーヒンの自由奔放で、しかもロシアくさいピアノ…。
音楽とはこれほどまでに自由な世界なのか!と、体中が震えっぱなしだったのです。
  →ひらかれた地平のベスト・ライヴ記

ちょうどその頃だったと思いますが、日本テレビで土曜日の真夜中にライヴハウス中継を
する番組があり、そこで梅津数時の「DIVA」というバンドの演奏を聴きました。
梅津と4人の女性、橋本一子・高田みどり・れいちというメンバーで、すごく心に残って、
「ひらかれた地平」の時にれいち&近藤達郎のユニット「ウニタ・ミニマ」のチラシが
入っていたので、そのライヴを聴きに行ったりしました。

梅津の生演奏を初めて聴いたのもその年、ジャズのライヴではなく舞踏集団「白桃房」の
公演で、舞踏と音楽の即興パフォーマンスでのことでした。バスクラが印象的でした。
翌90年、津軽三味線の佐藤通弘とボイスの天鼓などによるフリー演奏を聴いて酔いました。
91年には仙波清彦とはにわオールスターズ。ジャズ、ポップス、邦楽のミュージシャンたち
50人ほどによる、混沌と熱狂の大コンサートでしたが、これも歴史に残るものでしょう。
  →はにわオールスターズライヴ記

そして92年。初めてジャズのライヴハウスに梅津の加わったカルテットを聴きに行き、
出会ったサイコーのジャズメンたち、板橋文夫井野信義小山彰太。
衝撃的な夜…探し求めていたものに巡り合えた、そんな想い。
その後何を聴いてきたかは、ライヴ記のページをご覧いただければおわかりになります。
その翌年から横浜ジャズプロムナードが始まったというのも、ベストなタイミングでした。

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