HOME | 青森の旅 | 遍路・交通事情 | 2巡目の四国遍路 | 日帰りの旅 | PhotoGalery | リンク集 |
全国共同浴場 | 全国秘湯巡り | 3巡目は乱れ打 | 初めての四国遍路 | プロフィール | 旅先で読む本 | 旅の記録 |
2巡目の四国遍路 2巡目・その1 1番〜12番・98年11月 2巡目・その2 13番〜23番・99年5月 2巡目・その3 24番〜33番・99年11月 2巡目・その4 34番〜39番・00年 5月 2巡目・その5 40番〜45番・00年11月 2巡目・その6(前編) 2巡目・その6(後編) 46番〜64番・01年 7月 2巡目・その7(前編) 2巡目・その7(後編) 65番〜79番・01年10月 2巡目・その8 80番〜88番・02年10月 はじめての四国遍路 (1995-1998) 3巡目は乱れ打 (2002- ) 四国遍路の参考情報 地図一覧 バス会社一覧 Home |
2巡目の四国遍路・その3徳島から室戸岬へ第1日目、羽田→徳島→
24番・最御崎寺→
津照寺→
金剛頂寺(泊) 1999年
|
バスは時間通りに現れ、数人が乗り込んだ。
バスは四国東岸の道をかなりのスピードで走る。
左は太平洋、右は山。
途中、バスが追い抜いた歩き遍路は2組だった。
23番・薬王寺から、室戸の24番・最御崎寺(ほつみさきじ)
まで、約80キロの道のりという。
1日25キロ歩いても3泊は必要だ。
前回お参りしそこなった「御蔵洞(みくろど)」をお参りする。
場所は大師堂と室戸岬の中間に位置する。大師19歳の時の修行の霊場だ。
同じ道を下り、岬のバス停でバスを待つ。 4時を過ぎると、お寺も静かになる。遍路は朝が早く、夕方も早い。 雨は小康状態。奥さんは下のバス停までの車の世話を焼いている。 神峰寺の長い登りが雨では
大変と、一昨年の安田ハイヤーに電話を入れる。 10分ほどで、神峰寺(こうのみねじ)。新しい山門の前の庭木の手入れが良く行き届
いている。NHKの遍路番組でも紹介されたところ。 旅館あづまは遍路宿だが、いわゆる昔の宿屋。 国分寺は森に囲まれた大きな寺。 国分寺から30番・善楽寺までは、高知医大まで歩いて
バスを使うか、JR後免駅まで戻り土佐一宮駅(とさいっく)までJRを利用するかの2つの方法がある。 JRは1時間に約2本で結構多い。
運転手が朝と同じ人。
室戸岬で交代し休憩していたのだろう。
津照寺は街中の小高い丘の上に在る。
注意してみるとどこからでも、本堂の屋根が見える。
海の寺、漁師の寺、遍路の寺。
一昨年は津照寺で弁当を食べたことなどを思い出す。
寺の前は漁港。
(室津港)
バス停に戻る。
今回はゆとりのある計画で、バス停での待ち時間も多い。
ベンチで徳島名産の竹ちくわを食べたりする。
次ぎは、元橋下車。
金剛頂寺の登りも、最御崎寺の登りと同じ位の感じで、25分は
かからない。
金剛頂寺
金剛頂寺の宿坊は少し離れたところに在る。ここもひっそりとしている。
案内を請うと、部屋のナンバーをドアホーンで告げられ勝手に入る。
風呂も勝手に入れとのこと。住職の奥さんは台所に専念だ。
風呂は清潔でジャグジーつき。大汗をかいた後の身体に心地よい。
風呂にいたおじいさんは、タクシーで夫婦巡り、7泊8日の日程とか。
食堂では、13人が3テーブルに相席。
私たちの席には、札幌からの2人連れ女遍路と神奈川からの自転車遍路
のおじさん。(なんとひろさんと同い年)。
札幌からの二人遍路は年に1〜2回、5〜6日の歩いたりバスに乗ったりの遍路。
自転車おじさんは今回が初めてで、津照寺ですれ違った人。どこまで行けるかわからないが、数日後に東京で所用がるあとのこと。
宿坊の部屋は広く、室戸の夜景がきれい。
テレビで、台風22号と前線の通過を伝え、夜中に荒れ模様となり、
雨の音で何回も目がさめた。
1999年
6時から朝のお勤めが護摩堂であった。
11月15日(月曜日)雨
護摩堂は宿坊と棟続きの古い建物。
10人ほど参加。
予定より遅く始まり早く終わった。
すぐに食堂が開く。奥さんは料理の名手。昨夜もそうだが、新鮮な
材料と上品な味付けで遍路の心をとりこにしている。
我々も、車をあたってもらったが、適切なものがなく、降らないうちに
歩いて元橋に向かった。
バス停に着いたあと、雨がはげしくなる。ぬれずに済んだ。
バス停は安田の役場通りが良いとのこと。
安田ハイヤーはバス停のまん前で、女主が待っていてくれた。
今回の遍路の最難関が車では拍子抜けがしたが、土砂降りの雨
ではいたしかたない。
神峰寺
急な石段の上に、本堂と大師堂。
(神峰寺石段)
お参りしていると、にわかにさわがしくなった。
岐阜(下呂温泉)からの遍路の団体100人ほどが、大型バス2台で
到着した。
待っていてくれた安田タクシーのおばさんと四方山話しをしながら
バス停に戻る。
待たずに、安芸行きのバスが来る。安芸で接続していれば、
所定のバスよりかなり早い。
安芸営業所のバス停でバスを乗り継いで、野市へ。
安芸→高知を結ぶ路線(室戸線)は、バイパス経由と旧道経由がある。
どちらでも、来た車に乗るのが正解で、バス停同士の距離は近い。
野市で下車して、
接続が良ければ「龍河洞」線にのれるが、歩いても、野市から
大日寺まで2.5キロぐらいか。
大日寺
(雨の大日寺境内)
雨模様の中を30分ほどで28番・大日寺。
雨が急に激しくなり、先着の岐阜・下呂温泉からの団体遍路が大騒ぎ。
一心に般若心経を唱える人、傘を出す人、写真を撮る人。
昨夜宿坊に泊まり合わせた札幌の女遍路は、同宿の夫婦遍路
の車で29番に向かっていった。
われわれは、野市に戻る途中の食堂に飛び込み、
龍河洞線のバスを待つ間の一時間を食事にあてた。
一杯飯屋の趣の店で、うどんが安い。
雨はますます激しく、完全装備のつもりだったが、
店の前のバス停に出るだけで濡れ鼠になった。
で、29番・国分寺に向かわず、後免中町の「旅館あづま」
に寄り様子を見ることにした。
天候の様子を見てるうち、小やみになったので、ぬれた
衣服を着替え、国分寺に向かう。
小一時間の小雨の中の遍路。途中、大日寺からの遍路道が
合流して、濡れそぼった歩き遍路が先を歩いていた。
国分寺
その遍路との距離が縮まらないまま29番・国分寺。
雨でお参りの人も少ない。
どちらにするかかなり迷ったが、あづまのおばさんのアドバイス
に従いJR利用にした。
後免駅まで戻った頃には雨は完全にあがり、駅舎でオーバーズボン
を脱いだ。
ここら辺は高知市への通勤通学の範囲だからだろうか。
土佐一宮は新駅で、駅前から道ははっきりしている。
善楽寺
ただ、善楽寺の看板を見間違え、一回りしてしまった。
なんのことはない、土佐神社の境内でよかったのだ。
一宮駅に戻ったが、すんでのところで一台乗り過ごし、
30分ほど駅で待つ。日がとっぷりくれて、雨は完全にあがった。
宿に戻り、風呂に入って、それから食事。
同宿は、男7〜8人。どこかの工事人か。
行儀は悪くない。
1999年
北風が吹き荒れ、寒くなった。
11月16日(火曜日)曇のち晴
季節の進行は遅いがそれでも冬がくる。
7時の食事を早めに終え、高知市の中心部に向かう。土佐電鉄は通勤通学の足となって、わずかな間隔で運転している。
葛島橋の手前で下車。竹林寺の山が真近かに見える。
三ツ石に下るつもりが、また正面に下りてしまう。
バス停の時刻を見ようとしてうるちに、バスが来て、聞くと峰寺通りに行くとのこと。慌てて乗る。
車内には、国分寺で会った歩き遍路がいて話をする。
昨日は市内に泊まり竹林寺はお参りしたとのこと。
静岡から来て、40番まで回りたいと。
運転手からバス事情を聞く。峰寺通りから三里まで戻れば、フェリーは近いとのこと。
禅師峰寺(峰寺)はバス停から、わずかに山を登ったところ。バス道が寺の下を貫通している。
お参りを済ませ、静岡の遍路は歩いてフェリー乗り場へ。我々は、バスを待とうと、お寺でゆっくりする。
みませから33番・雪蹊寺まで一本道だった。
雪蹊寺の納経所では、納経帖にはさんだ新聞紙について講釈をうかがった。はさむのはビール券に限るという話を皆がまに受けていた。
町の中ののどかな寺だった。
今回は、32番・峰寺までのつもりだったが、ひとつ余分に回れ、おかげでフェリーにも乗れた。
高知の寺はそれぞれ距離があるのだが、工夫で、いろいろの町を歩くことが出来た。
最後は、長浜のバス停から高知までバスに乗れた。
こちらは、高知県交通のバスだった。
中心地で買い物をし、空港バスで高知空港まで行ったが、大日寺近くのお城(洋館)など、見慣れた景色に思えた。