2巡目の四国八十八カ所霊場巡り。
4月の結願から約半年が経った。
長い休暇が取りにくいので、やはり2泊3日で、路線バス中心の企画。
サラリーマン卒業後は突然別のスタイルの旅で引き継ぐかも知れない。
今回も家人と一緒。
体力的に似通っているのが良い。
空港から1番・霊山寺まではタクシー。
これもやむを得ない。
1番・霊山寺
霊山寺は人で賑わっていた。
(霊山寺本堂前の獅子舞奉納)
納経所で朱印だけもらう。
その際、前回の88番
結願時にお礼参りにくれば、巻末に、何時々々満願と書いて差し上げられたのにとのことなので、今日(11月1日)の日付で満願の納経をする。
カメラの調子がおかしく入れ替えたばかりの電池をもう一度取り替えた。
折しも、近くの神社の御祭礼で、獅子舞の奉納があり、見物する。
極楽寺
(極楽寺の長命杉)
2番、3番と順調に歩く。
前回は雨にたたられたが、陽気の良い田舎道は
のどかで、各家の庭木を鑑賞したり、田圃を観察する余裕も出てくる。
こちらではキンモクセイが盛り。関東では10月初めに咲いてしまった。
稲刈りが終わって、穂を干している田圃と、かなり前に刈り取った跡から
2番穂が出ている田圃とが混在している。
金泉寺
3番・金泉寺の門前の食堂で昼食。
おばさんが元気そうだった。
数年前が絶不調の時で、今はふつうに戻っているという。
前回のお礼だといって持参のお菓子のご接待をする。
仏前に供えてくれた。
板野駅前から徳島バスで羅漢まで行く。乗客は我々2人だけ。
羅漢のバス停は5番のソバだが、今回は4番、5番の順序通りのお参りとする。
大日寺
4番・大日寺の納経は木版。毛筆書きでないのは手抜きとばかり思っていたが、NHKの「四国遍路」では昔からの伝統をここだけが守っているとのこと。
納経所は今回は男の人が2人。前回の女の人は休暇中という。
NHKの話をすると、現存で一番古いという金型(今は木版)を見せてくれた。
同じ道を下り、五百羅漢を見物後、裏手から5番・地蔵寺へ。
地蔵寺
地蔵寺をお参りした後、大銀杏の下でしばし休息。
羅漢の集落の中のギャラリー「光」は、砥部焼の大西さんの妹さんの経営で、広い庭の中の
美しい店だ。
商売になるかどうかは別にして、この店に寄るのも
楽しみの一つ。白磁、青磁に加わって釉薬にチタンの混じった薄茶の焼き物
がとても気に入った。(ギャラリー光 0886-72-4758)
しばし談笑の後、バスで6番に向かうつもりだったが、
休日中のご主人の車で送ってもらい6番・安楽寺にはあっという間に着いてしまう。
安楽寺
安楽寺の薬湯に入って、食事。
期待していたお勤めも、急な葬式が入ったとのことで中止。
(安楽寺多宝塔の月)
翌朝も
何もないとのこと。
宿泊客は十数人。夫婦連れと歩き遍路数人。
席の近い2組の夫婦とすぐにうち解け、遍路の話をする。
一組は写真家の先生で50日かけて一巡後、高野山でお礼参りをし、1番からここに13夜の月を写しに来たとのこと。
もう1組は東京の夫婦。
今回初めてで、3泊4日で11番までお参りするという。
こちらは路線バスの2泊3日の話。
写真家の先生は、宿泊では高野山と金剛頂寺の宿坊を絶賛していた。
食事後月の写真の撮り方を教わる。
若干の薄雲の中の十三夜。
撮影日時が目障りの他はよく撮れている。
1998年
11月2日(月曜日)晴れ時々曇り
(安楽寺→7番→8番→9番→10番→11番→徳島→神山町・寄井(泊))
宅急便で汚れ物と砥部焼を送り返す。
十楽寺
安楽寺から7番・十楽寺は近い。
安楽寺の宿坊を出た歩き遍路と相前後してお参りする。
今回は団体が少なく、歩き遍路が目立つ。
熊谷寺
8番・熊谷寺では今回初めて団体に出会った。
話を聞くと北海道からのお遍路で、
2週間かけて全部をお参りするという。
全道から札幌に集合したとのこと。50人位か。
法輪寺
9番・法輪寺の境内で、前回同様おいもとくさ餅のご接待を受けた。ここで1時間ほど
四方山話に花が咲く。おばさんは歩き遍路と見ると呼び込んで、いもの接待を繰り返す。
9番・法輪寺の夫婦遍路
昨夜同宿の夫婦遍路が追いついてきたので、入れ違いに席を譲り、10番に向かう。
切幡寺まで4キロ。
集落の中の田舎道。
歩くことが楽しい。
切幡寺
切幡の十字路を右折し、門前町の趣のある道を通り、急な石段を登ると、切幡寺の本堂と大師堂。
お参りを済ませて、上の、重文の多宝塔を見る。
かなり傷んで居る。
ここからは見晴らしも良い。
下の山門のところで、またまた昨夜同宿の夫婦連れとすれ違う。
12番まで行けますよとけしかける。
今回の新機軸は切幡の下(八幡)から鴨島までの徳島バス。ところが、たどり着いたバス停はJR四国のバス停で、いろいろ聞いて回るのにも人が居ないし、電話では徳島バスからの正確な情報が手に入らないしで、遠くに見えたバスがかなり手前で右折してしまい、バスを捕まえることが出来なかった。
藤井寺
急遽タクシーを呼び藤井寺へ。
藤井寺も前と変わらない。
小川の側の道は工事中。
藤井寺からは、JRで徳島に出て、徳島バス、神山線で寄井まで行く。
鮎喰川の入り口あたりは学生が多く乗っていたが、次第に降りてしまい、
寄井では我々2人になってしまった。寄井で我々が降りた後、焼山寺下までは空運転ということになる。
焼山寺下の民宿「ふもとや」は、おばあさんが亡くなって休眠中とのことで、寄井の
民宿「さくらや」に泊まる。
風呂の後の食事は、千葉からの歩き遍路と3人だけ。藤井寺から7時間かけて焼山寺まで
歩いたとのこと。同行の数人は焼山寺の宿坊泊まりだったが、この人は
1人下山し明日の距離を稼いだとのこと。10日間の予定で阿波一国参りとのこと。50歳位か。
1998年
11月3日(火曜日)晴れ
(寄井→12番・焼山寺→寄井→徳島→羽田)
翌日、千葉の人は出発した後だったので、我々夫婦だけの朝食となった。
宅急便で荷物を出し、休日のため、寄井発焼山寺行きのバスで焼山寺下へ。
乗客は中年の男の人が2人。会社の同僚で、単身赴任で1人は神戸、1人は徳島で、誘い合わせてぼつぼつ遍路をしているとのこと。
整備された遍路道は、途中「杖杉庵」で休んだだけで、1時間15分ほどの行程だった。
焼山寺
12番・焼山寺納経所と本堂(右側)
焼山寺は団体の遍路も1組だけで、割合空いていた。
紅葉には若干早い。
藤井寺から山道を歩いてきた遍路2人と話をする。
1人は、安楽寺での同宿の青年。昨日相前後して歩いたが、藤井寺を午後2時頃出て、昨夜は一本杉庵に泊まったという。もう1人も一本杉庵に泊まった人。この人とは、下りの焼山寺下まで一緒に歩いた。
焼山寺下の田中食堂で、すだちを買ったらうどんのご接待を受けた。
寄井発12時25分の徳島行きバスに乗りたいので、寄井まで歩く。4キロは
川沿いのバス道で快適に歩けた。
バスは鬼籠野(おろの)経由の昨日と同じ路線。
13番・大日寺前を素通りして徳島駅に着く。
駅のそばでは、「あわたぬき祭り」を開催中で、各市町村の名産品をテントで売っていた。
徳島県は阿波踊り以外に名物がないので、何年か前に始まったのだという。
空港へはタクシーで出た。午後3時徳島発はやや早い感じがするが、翌日の会社勤めには
早めの帰宅が必要だ。