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2巡目の四国遍路・その3

徳島から室戸岬へ

第1日目、羽田→徳島→ 24番・最御崎寺 津照寺 金剛頂寺(泊)
第2日目、 27番・横峰寺 大日寺 国分寺 善楽寺→後免(泊)
第3日目、後免→ 31番・竹林寺 禅師峰寺 雪蹊寺→高知空港→ 羽田

1999年
11月14日(日曜日)晴れ

(徳島発の特急「室戸」)

特急・室戸 今年はいつまでたっても寒波がこない。
それはそれで有り難いことだが、遍路には暑すぎる。

横浜、羽田、徳島と順調に来て、空港から徳島駅へもタクシーを使わないで特急に十分間に合った。
時間があったので、徳島の名産を買う。
いもけんぴや竹ちくわなど。 余れば下着と同梱し自宅に送り返せば良い。

特急室戸に乗る。車内はすいている。
牟岐線は牟岐駅を越えてから、左側の海岸がよく見える ようになる。
おそらく海岸線を走る列車では全国でもトップクラスの景観 ではないだろうか。

甲浦(かんのうら)着。
ひなびた駅だ。夫婦遍路と女遍路1人が列車を降り駅の 待合室に入る。
地元のひと数人が談笑している。
バスは、待合室脇から出るという。

(甲浦駅待合所)
(御蔵洞)
甲浦駅待合所
御蔵洞

突然、13人の遍路姿の男女が待合室に入り込み、 着替えを始めた。聞くと、大阪の団体(一部東京とか千葉) で、今回はここで打ち止めで、徳島に戻るという。
大阪のハイキングクラブの主催で、年2回、全部徒歩で、 歩き始めたのだとか。
リーダーが凝り性で、いろいろな間道を探し、ルート づくりをするのだという。

バスは時間通りに現れ、数人が乗り込んだ。
バスは四国東岸の道をかなりのスピードで走る。
左は太平洋、右は山。
途中、バスが追い抜いた歩き遍路は2組だった。
23番・薬王寺から、室戸の24番・最御崎寺(ほつみさきじ) まで、約80キロの道のりという。
1日25キロ歩いても3泊は必要だ。

前回お参りしそこなった「御蔵洞(みくろど)」をお参りする。
場所は大師堂と室戸岬の中間に位置する。大師19歳の時の修行の霊場だ。

最御崎寺

最御崎寺は、国道から急登20分のところにある。
潮騒の音を聞きながら登る。植物が南洋の風情で、秋も終わりに 近いのに蝶々がゆらゆらと群れて飛んでいる。
気温が高く大汗をかく。
最御崎寺は風雪に耐えたよい建物だ。
持参の弁当を使う。
菓子パンとシャイニージュースとりんご。
境内はいつもの遍路風景。

津照寺

(津照寺(しんしょうじ))
津照寺

同じ道を下り、岬のバス停でバスを待つ。
運転手が朝と同じ人。
室戸岬で交代し休憩していたのだろう。

津照寺は街中の小高い丘の上に在る。
注意してみるとどこからでも、本堂の屋根が見える。
海の寺、漁師の寺、遍路の寺。
一昨年は津照寺で弁当を食べたことなどを思い出す。
寺の前は漁港。
(室津港)
室津港 バス停に戻る。

今回はゆとりのある計画で、バス停での待ち時間も多い。
ベンチで徳島名産の竹ちくわを食べたりする。
次ぎは、元橋下車。
金剛頂寺の登りも、最御崎寺の登りと同じ位の感じで、25分は かからない。


4時を過ぎると、お寺も静かになる。遍路は朝が早く、夕方も早い。

金剛頂寺

金剛頂寺の宿坊は少し離れたところに在る。ここもひっそりとしている。
案内を請うと、部屋のナンバーをドアホーンで告げられ勝手に入る。
風呂も勝手に入れとのこと。住職の奥さんは台所に専念だ。
風呂は清潔でジャグジーつき。大汗をかいた後の身体に心地よい。
風呂にいたおじいさんは、タクシーで夫婦巡り、7泊8日の日程とか。
食堂では、13人が3テーブルに相席。
私たちの席には、札幌からの2人連れ女遍路と神奈川からの自転車遍路 のおじさん。(なんとひろさんと同い年)。
札幌からの二人遍路は年に1〜2回、5〜6日の歩いたりバスに乗ったりの遍路。
自転車おじさんは今回が初めてで、津照寺ですれ違った人。どこまで行けるかわからないが、数日後に東京で所用がるあとのこと。
宿坊の部屋は広く、室戸の夜景がきれい。
テレビで、台風22号と前線の通過を伝え、夜中に荒れ模様となり、 雨の音で何回も目がさめた。

1999年
11月15日(月曜日)雨

6時から朝のお勤めが護摩堂であった。
護摩堂は宿坊と棟続きの古い建物。 10人ほど参加。
予定より遅く始まり早く終わった。
すぐに食堂が開く。奥さんは料理の名手。昨夜もそうだが、新鮮な 材料と上品な味付けで遍路の心をとりこにしている。

雨は小康状態。奥さんは下のバス停までの車の世話を焼いている。
我々も、車をあたってもらったが、適切なものがなく、降らないうちに 歩いて元橋に向かった。
バス停に着いたあと、雨がはげしくなる。ぬれずに済んだ。

神峰寺の長い登りが雨では 大変と、一昨年の安田ハイヤーに電話を入れる。
バス停は安田の役場通りが良いとのこと。
安田ハイヤーはバス停のまん前で、女主が待っていてくれた。
今回の遍路の最難関が車では拍子抜けがしたが、土砂降りの雨 ではいたしかたない。

神峰寺

10分ほどで、神峰寺(こうのみねじ)。新しい山門の前の庭木の手入れが良く行き届 いている。NHKの遍路番組でも紹介されたところ。
急な石段の上に、本堂と大師堂。

(神峰寺石段)
神峰寺石段 お参りしていると、にわかにさわがしくなった。
岐阜(下呂温泉)からの遍路の団体100人ほどが、大型バス2台で 到着した。

待っていてくれた安田タクシーのおばさんと四方山話しをしながら バス停に戻る。
待たずに、安芸行きのバスが来る。安芸で接続していれば、 所定のバスよりかなり早い。
安芸営業所のバス停でバスを乗り継いで、野市へ。
安芸→高知を結ぶ路線(室戸線)は、バイパス経由と旧道経由がある。
どちらでも、来た車に乗るのが正解で、バス停同士の距離は近い。

野市で下車して、 接続が良ければ「龍河洞」線にのれるが、歩いても、野市から 大日寺まで2.5キロぐらいか。

大日寺

(雨の大日寺境内)
大日寺境内で 雨模様の中を30分ほどで28番・大日寺。
雨が急に激しくなり、先着の岐阜・下呂温泉からの団体遍路が大騒ぎ。
一心に般若心経を唱える人、傘を出す人、写真を撮る人。
昨夜宿坊に泊まり合わせた札幌の女遍路は、同宿の夫婦遍路 の車で29番に向かっていった。
われわれは、野市に戻る途中の食堂に飛び込み、 龍河洞線のバスを待つ間の一時間を食事にあてた。
一杯飯屋の趣の店で、うどんが安い。

雨はますます激しく、完全装備のつもりだったが、 店の前のバス停に出るだけで濡れ鼠になった。
で、29番・国分寺に向かわず、後免中町の「旅館あづま」 に寄り様子を見ることにした。

旅館あづまは遍路宿だが、いわゆる昔の宿屋。
天候の様子を見てるうち、小やみになったので、ぬれた 衣服を着替え、国分寺に向かう。
小一時間の小雨の中の遍路。途中、大日寺からの遍路道が 合流して、濡れそぼった歩き遍路が先を歩いていた。

国分寺

その遍路との距離が縮まらないまま29番・国分寺。

国分寺は森に囲まれた大きな寺。
雨でお参りの人も少ない。

国分寺から30番・善楽寺までは、高知医大まで歩いて バスを使うか、JR後免駅まで戻り土佐一宮駅(とさいっく)までJRを利用するかの2つの方法がある。
どちらにするかかなり迷ったが、あづまのおばさんのアドバイス に従いJR利用にした。
後免駅まで戻った頃には雨は完全にあがり、駅舎でオーバーズボン を脱いだ。

JRは1時間に約2本で結構多い。
ここら辺は高知市への通勤通学の範囲だからだろうか。
土佐一宮は新駅で、駅前から道ははっきりしている。

善楽寺

ただ、善楽寺の看板を見間違え、一回りしてしまった。 なんのことはない、土佐神社の境内でよかったのだ。
一宮駅に戻ったが、すんでのところで一台乗り過ごし、 30分ほど駅で待つ。日がとっぷりくれて、雨は完全にあがった。
宿に戻り、風呂に入って、それから食事。
同宿は、男7〜8人。どこかの工事人か。
行儀は悪くない。

1999年
11月16日(火曜日)曇のち晴

北風が吹き荒れ、寒くなった。
季節の進行は遅いがそれでも冬がくる。
7時の食事を早めに終え、高知市の中心部に向かう。土佐電鉄は通勤通学の足となって、わずかな間隔で運転している。
葛島橋の手前で下車。竹林寺の山が真近かに見える。

竹林寺

(竹林寺山門)
竹林寺山門 水路に沿って池の橋をわたると竹林寺の上り口。
すぐに、遍路道の札が立っており、自動車道とわかれた。
天候は曇り。なかなか晴れないが雨の心配はない。

20分ほどで、展望台。竹林寺はその先。
山門側でなく、本堂の脇から入る。
イチョウが黄ばみはじめている。
本堂と向かい合って大師堂。

お参りをすませ、納経所へ。

竹林寺はこれで3度目。
観光と一回目の遍路と今回。
石手寺 とともに好きな寺だ。

三ツ石に下るつもりが、また正面に下りてしまう。
バス停の時刻を見ようとしてうるちに、バスが来て、聞くと峰寺通りに行くとのこと。慌てて乗る。
車内には、国分寺で会った歩き遍路がいて話をする。
昨日は市内に泊まり竹林寺はお参りしたとのこと。
静岡から来て、40番まで回りたいと。
運転手からバス事情を聞く。峰寺通りから三里まで戻れば、フェリーは近いとのこと。

禅師峰寺

禅師峰寺(峰寺)はバス停から、わずかに山を登ったところ。バス道が寺の下を貫通している。
お参りを済ませ、静岡の遍路は歩いてフェリー乗り場へ。我々は、バスを待とうと、お寺でゆっくりする。

(十市保育園の子供たち)
(フェリー乗り場の歩き遍路)
十市保育園の子供たち
フェリー乗り場の歩き遍路

折から、十市(とおち)の保育園の子供が70〜80人ほど先生の先導でやってきた。
元気が良い。

バスで三里に戻り、歩いてフェリー乗り場へ。フェリー乗り場では東京からきたという若い歩き遍路に会う。
ここまで十数日かかったとのこと。この調子では、40日を上回りそうだとか。
ホームページに乗せたいので写真を撮らせてもらった。
フェリーは30分置きの運転で、料金は無料。対岸まで5分ほど。
御畳瀬(みませ)の町でうどんの昼食。

33番・雪蹊寺

みませから33番・雪蹊寺まで一本道だった。
雪蹊寺の納経所では、納経帖にはさんだ新聞紙について講釈をうかがった。はさむのはビール券に限るという話を皆がまに受けていた。 町の中ののどかな寺だった。

今回は、32番・峰寺までのつもりだったが、ひとつ余分に回れ、おかげでフェリーにも乗れた。
高知の寺はそれぞれ距離があるのだが、工夫で、いろいろの町を歩くことが出来た。
最後は、長浜のバス停から高知までバスに乗れた。 こちらは、高知県交通のバスだった。
中心地で買い物をし、空港バスで高知空港まで行ったが、大日寺近くのお城(洋館)など、見慣れた景色に思えた。


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