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2巡目の四国遍路・その2

今回の遍路は13番・大日寺から

第1日目、羽田→徳島→ 13番・大日寺 常楽寺 国分寺 観音寺 17番・井戸寺 19番・立江寺→生名(泊)
第2日目、 20番・鶴林寺 大竜寺 平等寺 日和佐・薬王寺宿坊(泊)
第3日目、23番・薬王寺→ 18番・恩山寺→徳島→羽田

1999年
5月1日(土曜日)晴れ一時雨

2巡目の四国八十八カ所霊場巡りもその2になった。
半年ぶりの四国。
大型連休中は航空機の割引が中止とのこと。
前回は12番・焼山寺までお参りし、13番・大日寺はバスで素通りしたので、 今回はその大日寺から。

11時5分発の徳島バスは延命経由。
直接13番には行かず、府中(こう)の駅前を通り、 観音寺の近くから、常楽寺のそばを通って鮎喰川を渡り本来の 道筋に出る。
(徳島バスの他に徳島市営バスもこの付近を運行している。 市バスにコンタクトして、時間を確認する事をお奨めする)

13番・大日寺は昔一宮寺と言ったという。明治の廃仏毀釈 で、名前を変え、大日寺になった。一宮神社と道路を隔て、ともに 古い格式を保っている。

大日寺

境内は個人の遍路であふれている。連休中なので、団体バスが少なく、 従って納経も時間をとられない。
今日は、尾道/今治ルートの開通日。今年はその記念で、御影は通常の お札の他に、銀色のエキストラお札が付く。今年一杯の特例。

13番から17番までは、短い距離の間に5ヶ寺が連なっており、 歩きやすい。14番は鮎喰側の左岸。先ほどバスで通った橋を 戻って、小さな丘を越えるとすぐだ。
薫風の中を快適に歩く。

常楽寺

(14番・常楽寺本堂)
14番・常楽寺本堂 常楽寺はひろさんの自宅付近にも同じ名前の寺があり、親しみやすい。
境内の地面は露出した岩のままで、風情がある。

お参りを済ませ、地元の5カ所参りのおばさんに混じって昼食を摂る。
徳島弁がポンポンと飛び交う。
NHKの「四国八十八カ所」によると、徳島市には徳島市内の5ヶ寺 巡りの風習を昔から受け継いでいるとのこと。
お互いに弁当を持ち寄っての交流の場だ。

国分寺はすぐ近く。
昔の隆盛が忍ばれる。今は、建築準備中なのか、昔の遺構なのか 敷地の中央に仕切が敷かれている。

国分寺

(15番・国分寺大師堂)
15番・国分寺大師堂 国分寺はすぐ近く。
昔の隆盛が忍ばれる。
今は、建築準備中なのか、昔の遺構なのか 敷地の中央に仕切が敷かれている。

早々に辞し、観音寺に向かう。
観音寺に向かう道は、3年前は、両側で遺跡の発掘をしていたが 今はそれも終わって、人通りも少ない。
養護学校の脇から町に入り、右折すると左手が観音寺。

観音寺

観音寺は駐車場も狭く、団体遍路もここに長居はしない。
雲行きがあやしくなり、ぽつりぽつりとにわか雨が降ってきた。
観音寺の前の道は、途中神社前で左折し府中に向かう。神社は折しも 御祭礼で多くの子供が集まってきていた。
雨はひどくならずに通り過ぎたらしく、井戸寺に近着いた頃には また日差しが強くなった。

井戸寺

17番・井戸寺は比較的大きなお寺と言って良い。
遍路の数が多く感じられるのは(各寺にとって、同じ数だけ巡ってくる 筈なのに)、次の恩山寺まで徳島市を縦断する距離(20キロ近く)を思い、 ここで大休止するからだろうか。

(名古屋から来た女遍路二人連れ)
名古屋から来た女遍路二人連れ 名古屋から来た女のお遍路の二人連れに出会った。
5月の連休中だけの遍路で、今年で2回目。

昨年、焼山寺でダウン。
焼山寺からタクシーで戻ったので、今年は焼山寺下から登り、数日かけて 井戸寺まで来たのだという。

今日の予定はここで終わり。
これから泊まる所をさがすとのこと。
それぞれのルールのそれぞれのお遍路が面白い。

時間が早いので、最終日に予定した立江寺を廻ることにした。
府中の駅を2時56分発の徳島行きに乗り、20分の待ち合わせで牟岐線に乗ると、 立江で30分の余裕が出来る。

立江寺は駅から近いので、十分お参り可能だ。
歩き遍路は4〜5時間かかる道のりが40分ほどで移動できる。
JR四国は気動車中心の運行らしく、それも1両もしくは2両編成が中心だ。
徳島駅で夕刊を買う。尾道/今治架橋が今日開通。四国が3カ所で本州と つながる。昨年の明石大橋も尾道/今治ルートもいずれ通ってみたい。

立江寺

立江寺は駅から見える。
5分ほどで寺。
町中の寺で、勢いが感じられる。
門前でお饅頭を買う。NHKの放送の例を見習ったのだが、放映後 ますます繁盛してきているのだろうか。

立江駅に戻り、南小松島まで乗車。農協前のバス停で、徳島バス 勝浦線をつかまえる。運転手に話しかけられ、いろいろと世間話をする。
下車する場所は「生名(いくな)」。バス停前の民宿「金子や」には 着替えなどを送ってある。
金子やは満室ではないが、予約の無い客を断っている。食事の都合 がつかないのかもったいないことだ。
風呂は、一つの風呂を時間別に男女それぞれぞれが入る。
風呂の中では、男の歩き遍路(岡山)と夫婦の自動車遍路(京都)と話をする。
それぞれに自分流の遍路がある。
金子やの先の農機具屋で草刈り鎌を買う。
親父と世間話。兄2人は神奈川に行って所帯を持ったという。
明日は雨の心配も無いという。

1999年
5月2日(日曜日)晴れ

快晴。雨の心配は不要だった。
昨日気が付かなかったが、食堂で別の遍路3人に対面した。
男2人、女1人。

(遍路道道標)
遍路道道標 6時半になったので、NHKのテレビを入れる。
これで全員が同じ話題を共有出来る。
一人の男遍路は、29番で 滝田栄さんとこの番組に出たとのこと。
私は義母の、30番番外の門前の 「乾仏具店」が発行した案内書の話をする。(はじめての四国遍路・準備編(きっかけ)参照)

出発は7時30分。歩き遍路、車遍路を問わず一番遅くなった。

ミカン畑を抜けると、杉木立。道がよく整備されている。

(鶴林寺への遍路道)
鶴林寺への遍路道 急登に汗を流し、少々音を上げかけた頃、車道とクロスし、残りわずかな ことを知った。自家用車の排気音がひっきりなしで、やがて駐車場。
鶴林寺まで1時間20分。

鶴林寺

鶴林寺は境内が広い。
本堂の階段下で金子やから歩いてきた歩き遍路たちが集っている。
お参りを済ませた者、未だの者、次への道を説明する者など。
我々もお参りを済ませ、次の行程を検討した。二人とも、足の裏のまめが 大きくなり、歩くたびにこすれて痛い。で、大事をとって、来た道を 引き返し、生名から鷲敷(和食)(わじき)までバスルートにした。
下りは楽だが、今回も鶴林寺→太竜寺の間が歩けず残念。なぜ、まめが急に 大きくなったのか。

生名でバスの接続を見ると、丹生谷線(にゅうだにせん)とのつながりが悪い。
で、生名→小松島間をタクシーにしようと横瀬タクシーに電話。
スグに来てくれたが、 運転手さんの意見は、小松島へ行くより、鶴林寺を越えて鷲敷に直接 出る方が安く、時間の節約になるとのこと。
運転手は上で電話をかけるべきだったと言い張った。
鶴林寺→大井→鷲敷間が走れることを知って、そのルートに決める。1時間かけて下ってきた道 を右手に望み、5分で鶴峠を越え、更に5分で大井へ。

那珂川上流は美しい渓谷美。昔は30p近い鮎がとれたという。
川のほとりを15分程でケーブル下。このタクシーは価値があった。

ケーブルの接続も順調で、程なく太竜寺階段下。急階段とその上の門 はケーブル完成に合わせて新設したものだろう。

太竜寺

(太竜寺の鯉のぼり)
太竜寺の鯉のぼり 太竜寺では、観光客の他に団体のお遍路にも多く出会った。
大師堂前では、女の先達さんが、遍路仲間の悪いところを退散させている様を見た。
急に時間が余り、ゆっくり拝観する。
ケーブル下でうどんの昼食。 和食東のバス停には、男遍路、夫婦遍路がいて遍路談義をしている。 聞くともなく聞いていると、そこにもそれぞれの遍路がある。
二組とも参考書は遍路道保存協力会発行の本。但し、各バス会社に時刻表 を送ってもらうほどしつこくはない。

山口中で下り、平等寺まで歩く。
前回、農家の軽四輪に乗せてもらった場所は かなり平等寺寄りであることが判った。

平等寺

平等寺ではお茶の接待所に荷物を降ろし、お参りしたりトイレに行ったり。
4時まで、JRは来ないのでのんびりとお参りした後、新野までゆっくり歩く。
二人とも足の状態は良くなるどころか、まめをかばうため、筋肉まで痛んで びっこを引く有様。新野駅は遠く感じた。

駅は無人駅。列車を待っていると、夫婦遍路と3人の男遍路が来た。
聞くともなく聞こえるので、その概要。
夫婦遍路は実は他人。男はこれから23番を目指す千葉の人。女は ここで打ち止めの大阪の人。遍路体験の無い男遍路(60歳過ぎ)に何くれと無く 世話を焼いている。男は好意に甘え、日和佐から甲浦までの行き方など いろいろ聞いている。千葉の仲間に88番まで廻らなければ帰ってくるな と言われたとのこと。

3人の男遍路は坂出のサラリーマン。遍路は初回で、どういうものか判ったので、 一度家に帰って出直すため、新野から高松に向かうとのこと。
長い待ち時間は全然飽きなかった。

日和佐から、買い物をしながら薬師会館へ。

薬王寺・薬師会館

宿坊は鉄筋3階建ての良い建物で、運営も良い。3階の部屋は大きく、2人ではもったいないほど。
会館前の田圃は田植えをしたばかりで、カエルがないている。
風呂もきれいで、客は1人。広島(呉)の自動車夫婦遍路。昨年高知が終わり、 後、太竜寺と平等寺を残すのみとのこと。
その後2人連れが入ってきたが、話かけられなかった。
食事も美味く、近所のおばさんのサービスも気持ちがよい。この旅の宿は 2軒とも大当たりだった。

1999年
5月3日(月曜日)晴れ

薬王寺

朝6時、薬王寺本堂でお勤めがはじまる。宿坊で泊まった人は自由参加。
中堅の僧侶がローソクを灯し、焼香の準備をして読経を始めた。
良く響く声で、うっとり聞き惚れる。途中もう一人が 護摩檀に火を付け祈祷を始める。
参加者は20人ほど。僧侶に促され焼香をする。その後般若心経の合唱。 約30分のお勤めに圧倒された。

戻ると食堂で食事。身繕いをし、改めて薬王寺をお参りする。
女厄坂には妻が、男厄坂には私が1円ずつ置き、厄除けを願う。
お参りと納経を済ませた後、還暦厄落としの61段にチャレンジする気力は 残っていなかった。
日和佐駅に戻り、特急で南小松島駅へ。
18番・恩山寺だけが残っている。
南小松島から恩山寺はほぼ4キロ。車窓から屋根が見えるので方向は判る。 が、間違えたくないので道を聞く。
(小松島から恩山寺経由立江寺は「小松島市営バス」が運行されているが、 本数は少ない。事前の調査が肝要)。

恩山寺

(恩山寺の大師堂)
恩山寺の大師堂 バイパスに出て、南下すると道路標識がある。
遍路道は多分バイパスでなく、昔の道のほうに有るのだろう。

義経上陸地(屋島攻めに際しての神戸から上陸地)の記念碑の先が恩山寺入り口。

山門を過ぎ、急坂を登ると恩山寺。
コンパクトながら、たたずまいは最高に素晴らしい。
本堂階段上から大師堂を見下ろすアングルはいつも絵になる光景だ。

来た道を戻る。足が重い。日頃のトレーニングが肉刺のためにフイになった。
次の遍路までに、トレーニング方法を改めるか、靴を変えなければ快適な旅は望めない。
駅の階段がきつい。

早めの昼食は、例の「安兵衛」(3年前徳島バスの運転手に教わった、駅前の 一杯飲み屋)。遍路がつつがなく終わったことを祝いビールで乾杯。
余った時間は、昨年からこのゴールデンウイーク中に開催している

(阿波踊り)
阿波踊り 「はな・はる・フェスタ(?)」見物をする。
昨年11月は「阿波たぬき祭り」で、地の鮎の塩焼きを買って帰った。
今年は何にしようかな。
特別イベントの阿波踊りを時間ぎりぎりまで見た。
子供の踊りが可愛く、若い女性の「止められヌー」の黄色い声が面白く、速いテンポの男踊りが見事だった。

次は、日和佐から先、室戸経由の高知の寺だ。



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