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はじめての四国遍路

遍路その1
  1番〜11番・95年 4月
遍路その2
 44番〜53番・96年 3月
遍路その3
 12番〜23番・96年11月
遍路その4
 24番〜39番・97年 4月
遍路その5
 40番〜65番・97年 6月
遍路その6
 66番〜83番・97年11月
遍路その7
 84番〜88番・98年4月

四国遍路の参考情報
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2巡目の四国遍路
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四国遍路 その2

2度目の遍路は突然「道後温泉」

第1日目,44番と45番。
第2日目,46番から53番まで。
第3日目,51番。

1996年3月16日〜3月18日。友人と家人との3人旅。


3月16日(土曜日)晴れ

(羽田→松山→44番→45番→道後)

我々夫婦は2回目の遍路だが、友人はこの間数回来四し、愛媛と香川を残すのみとのこと。 足摺岬の金剛福寺は代参をお願いした。

今回は道後。石手寺を中心に10ヶ寺の予定だ。 道後の郊外には、砥部焼の大西光さんがいて、窯元訪問も楽しみの一つ。 ともかく、私のお遍路は、気まぐれでよいと思っている。

早割切符で松山空港着。 バスを乗り継いで、久万まで行き、大宝寺と岩屋寺をお参りするのが今日の予定だ。
JR松山駅前で降り、高知行きのバスを待つ。 伊予鉄も久万まで運行しているが、JRバスは急行でダイヤも1時間おきと判りやすい。
駅前のテントで地元産のお菓子を買う。
JRバスもご多分にもれず乗客が少ない。 松山市内の混雑を抜け、田園地帯に入ると砥部。砥部を抜けるとすぐに山道にさしかかる。 尾根の両脇が切り立ちどんどん高度をかせぐ。

久万はひなびた街。国道より旧道に風情がある。
昼食を後回しにして、1キロほどの参道をたどる。

(44番・大宝寺門前にて)

大宝寺の門前で絵を描く人 昨日の大雨が上がって南風が吹きダウンジャケットが大げさすぎる。 山の麓からわずかに入ったところに寺。
大宝寺は杉木立に囲まれている。
寺に向かって油絵を描いているおじさんがいる。うらやましい。
汗がひくと不意にくしゃみが出る。今年は花粉症が少なかったが、さすが見事な杉の木立と南風の影響か。
久万の街に戻り、食堂に入る。
うどんとおでんや天ぷらなどで500円。旨くて安い。

久万から岩屋寺まではタクシーを使う。

運転手が話好きで,あっと言う間に岩屋寺。
山の上まで4〜50分掛かるとおどかされ、帰りのバスの時間を気にしながら登る。
杉と栃(?)の巨木の間の参道はなかなか良い。

息が切れた頃、遍路姿のおばさんに追いつき声を掛ける。 徳島からバスでのお参りで何度もここを通っているという。
急坂の上が本堂と大師堂、納経所など。
切り立った岩に囲まれている。岩はでこぼこしている。

(45番・岩屋寺の岩)

岩屋寺にて 団体が般若心経を声高に唱えている。
お参りした後,納経所で朱印をもらう。 先達さんが大量の納経所や装束、掛け軸などを出しているので、 時間が無いからと割り込ませてもらう。 先達さんも2人。
中先達とは見習いのことか。

参道を下ってバス停。バス停前の商店(小椋商店)をひやかしていると、先の団体が戻ってきて、先達、中先達がマタタビの実を大量に買い込む。
マタタビ酒をつけるのだという。
近所の人に頼まれるので10袋も欲しいとのこと。 効能を聞くと、リュウマチや疲労回復など。
漬け方は、小椋商店のおばさんはそのままで砂糖無しといい、先達さんは水に漬けて戻した 後,梅酒のように砂糖も入れて漬ける,とそれぞれ自説を披露した。 おばさんに試飲させてもらい、いけるので2袋買う。
徳島の団体が去り、名古屋や広島の団体が来た。 山に登れない人もここで待つが、お遍路に変わりはない。

久万行きの伊予鉄久万バスに乗る。乗客は少ない。 久万の停留所はJRと100メーターほど離れている。 接続が悪く、約一時間の待ち時間。
松山市内に戻り、市電に乗り換えて道後着。
雨がぽつぽつと降り始めたが、坊ちゃんの湯の前を通ってメルパルクに。
メルパルクは結婚式が何組も入っていて活気があったが風呂は静かで心地よかった。
大西さんと電話連絡し,月曜日の訪問を約束する。

夕食は大衆活け造りの「とび魚」。安価。カワハギの造りやメバルの煮付け、イカ、 タコのたぐいが絶品。魚が旨いので少々酒が過ぎる。


3月17日(日曜日)雨後晴れ

(道後→46番→47番→48番→49番→52番→53番→50番→道後)

空模様があやしい。予定通り、8時30分のバスで第46番札所浄瑠璃寺 からお参りすることにして、松山市駅に向かう。
松山はJRの駅と伊予鉄松山市駅が離れており、よそ者にはわかりにくい。
浄瑠璃寺を通る路線は33号線を砥部に向かい途中左折する。
浄瑠璃寺は砥部と尾根ひとつ隔てた東側の谷合いにある。伊予鉄バスでおよそ30分。
浄瑠璃寺は立派な寺。雨で境内が暗い。 本堂で地元の遍路装束の老婦人からタオルのご接待を受ける。
雨の日のために、用意していてくれたのだろう。

お参りして47番・八坂寺に向かう。雨が激しくなる。 八坂寺まで15分位。

小学生の水軍太鼓

水軍太鼓 次の道を納経所のおばさんにたずねる。

西林寺まで一本道で、バスの便が無いこともないが、 本数が少なく、歩くことにする。
雨は小雨にかわったが、南風が強く、気温は高め。バス道を黙々と歩く。
途中、小学生による水軍太鼓の催しを恵原町の公民館前でやっており、しばらく見物する。
重信川の長い橋を渡る。
風がきつく,雨が激しくなってきた。

48番・西林寺。参拝者は誰もいない。しのつく雨。
納経所のおばさんに次までの時間を聞く。
あと1時間と言う。 道は判りやすいが、長丁場。
伊予鉄の踏切を渡る頃から雨足が激しく、遍路みちの道標を右折して民家の路地を回り,寺に 着いた時には心底ほっとした。
浄土寺の境内ではテントが張られ葬式の準備中。 そういえば道々、掲示板に訃報のしらせが張ってあったことに気づく。
ズボンがずぶぬれなので、食堂の場所を聞く。伊予鉄・久米駅の近くの中華料理屋。 メニューはラーメンが中心の定食。靴下を換え、食事を始めると身体がぽかぽかして 人心地がつく。
雨が上がって外が明るい。

バスの時間から、繁多寺を抜かして、太山寺に直行することにする。
太山寺行きのバスは,JR松山駅裏の細い道を進む。ほぼ予定通りに太山寺着。
バスが折り返すまでの30分のお参り。
すっかり晴れた中,急な石段を登る。本堂はさらに上。
来た道を下って途中が納経所。

バスからずっと一緒のおじさんが一足先にバスに戻り、話しかけると、 88カ所を通して回っているとのこと。タクシーも多く使い、ともかく回ることが目的で、 区間が長いとJRやバスを使うという。

(53番・円明寺のお遍路さん)
円明寺にて 円明寺まではバスで5〜6分。円明寺は町なかの寺。大型バスの団体が般若心経を唱えて いる。先達さんも先達見習いもお坊さん。
円明寺から市内に戻るバスは,太山寺直行のバスに比べ本数が非常に多い。

次のバスまでの間、停留所前の和菓子屋に入って桜餅を買い,店頭で食べる。美味しい。 ふとみると古い全国菓子博覧会の賞状が何枚か掛かっている。
聞くとじいさんの代のもので、 80年も続いているという。個人で取ったとのこと。
バスの中でもう一度時刻表を検討すると、久米行きが間に合いそうなので、石手寺を明日 にまわし、繁多寺にお参りすることにする。

繁多寺前に着き、薄暗くなりかけた中を、山懐の繁多寺に向かう。
境内は広く、松山市内が望遠できる。市内に戻り市電で道後着。
風呂の後、食堂で食事。
早々と就寝。疲れた。


3月18日(月曜日)晴れ

(道後→51番→松山→砥部・大西窯→松山→羽田)

石手寺だけのお参りで、後は市内見物と砥部の大西窯の予定。
宅急便を手配して、石手寺へのバス停の場所を聞く。バスを使うまでもなく石手寺。
石手寺は非常な賑わいだ。遍路姿もさることながら、観光客の団体も多い。 お参りし、本堂地下の地中巡りをして市内に向かう。

松山城にケーブルで上る。天守閣を見物して、県庁側に下りる。 松山市駅まで歩き、昼食。うどんを食べ砥部へ。
大西窯(大西光さんの工房)の場所が判りにくいとのことだが、電話をかけた花屋の 客が乗せていってくれた。
約2時間にわたって磁器の製作過程を聞いた。帰り際、コーヒーカップを買い求めたが、 それ以上高価そうな皿と一輪挿しをいただいた。釉薬に酸化チタンを混入した新製品と のこと。
さらに砥部衝上断層まで車で案内してもらう。川の滝に断層が露出している。
土手の桜も開花し始めていた。

バスで松山に戻り、そごうで買い物をして空港へ。
空港で食事。
地の物が安くて旨い。



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