情報過去ネタ:209系


・習志野区から浦和区へ転属の500番代は、元ラシ66(クハ209−516以下10連)がまず11月13日に大井工を出場、浦和区に回送された。翌14日夜には蒲田区へ回送され同区内で乗務員現車訓練が行われている。本線でのハンドル訓練、試運転などは無い模様。(2000.11.26)

・一方、元ラシ67は11月27日に大宮工を出場、試9599M〜試9548M〜回9548Mのスジで大崎に回送・大井工に留置で、翌28日に回3024Gで浦和区に回送の予定。(
こちらも参照ください)(2000.11.26)

・なお、京浜東北線での500番代営業運転は、ダイヤ改正と同時という様なタイミングではなく、若干遅れる模様。
(2000.11.26)

・デジタルATC取付で大井工場入場中の浦和区ウラ90編成(元901系A編成)は、量産車とは各種違いがあるためか工事が長く、4月17日に出場予定。大井工場には続いてウラ91(元901系B編成)がATC工事で入場予定。ATC工事は大井工場、大宮工場でそれぞれ1〜2本/月の割合で施工される様である。(2001.1.19)
・お詫びと訂正
上記ウラ90編成出場で4月17日と記していますが、実際には4月16日に出場いたしました。お詫びして訂正いたします。4月17日は、ウラ91編成がデジタルATC改造で入場予定となっています。出場は6月15日予定、ただし、すぐには浦和区には帰らず、田町区などをベースに試験などが行われる模様。(2001.4.16)6月15日、ウラ91編成出場。上記の通り浦和区には帰らず田町区へ入庫・留置。(2001.6.15)ウラ91編成は6月18〜21日の間、品川−国府津間(東海道貨物線経由)において、試9851M・試9852Mの1往復の試運転を実施。事由は性能試験ということだが、床下機器はVVVF装置のごく一部しか更新されていない様で、何の試験かは詳細不明。ただし、M・M’911のユニットの台車には砂撒き管の様なものが仮設され、データ計測されていた。なお、同編成は浦和区には6月25日に戻った様である。ちなみに元901系A編成・B編成のウラ90(900番代)、ウラ91(910番代)のデジタルATC化改造は終了したわけだが、残る元C編成のウラ92(920番代)は逆にウラ車全編成中でも最後の方の、平成14年度末(2003年3月)の改造予定となっている模様。こちらも参照下さい。(2001.7.17)

・川越区3000番代ハエ61編成のクハ208−3001は、ATS−P試験中に高麗川駅構内で脱線し損傷を受けたが、スカート無しで復帰、ハエ62編成の3輌と変則編成を組んで営業運転に入った。詳しくはこちらを参照下さい。(佐久間貴紀氏発信:2001.2.10)

・さいたま市誕生を記念して、JR東日本大宮支社では5月1日より浦和区19番編成に記念ヘッドマークを取付け。初日は23A運用。期間は5月10日までの模様。なお、ヘッドマークの図柄は川越区205、小山区E231と共通。(2001.5.1)

・7月27日、習志野区500番代ラシ60による川崎製鉄千葉応援団のための都市対抗野球臨運転。これは、205系の項で紹介の同日の新日鉄君津の応援団臨でケヨ205系が使用されたため(マリ113系10連も1本使用)、209−500が起用されたということの様である。区間は蘇我→水道橋の片道1本で、回送は津田沼−幕張間緩行線、幕張区一旦入庫の後快速線で千葉へ、外房・内房線で姉ヶ崎へ、折返し回送で蘇我。また、水道橋着後は列番そのままの回送扱いで中野まで、折返し回送で緩行線経由で津田沼に戻っている。2001年の209−500使用応援団臨はこれ1本のみ。(2001.7.29)

・9月1日より習志野区500番代ラシ65編成がADトレインとして運行開始。当日は09C運用に入り、609Cから営業入り。これまでと同様前面にはADトレインを示すステッカが貼られたが、今回は他線区205系で多く見られる黒地のものとなり、文字は白文字となっている。総武中央緩行では初お目見え。広告主は三菱自動車で、内容は同社エアトレックの紹介。こちらも参照ください。(2001.9.1 情報提供:宮本敏夫氏)

・9月4日、習志野区500番代ラシ62編成を使用して、津田沼−千葉間で乗務員の現車訓練実施。実際には津田沼−(試9450C)→千葉、千葉−(試9451C)→幕張・幕張−(試9453C)→津田沼という行程で運転されている。往路の試9450Cでも幕張中線に入り、何本か退避してドア開閉などが行われている。行先LEDは「試運転」表示で、側面LED下の客窓には「訓練車」の紙を掲示していた。(2001.9.4)結局、9月4日から7日まで乗務員訓練が行われた。これは習志野運輸区乗務員を対象とした「209系500番代2次車実設訓練」で、車輛はその名の通り209−500の2次車が使用されたが、編成は固定ではなく4・5日がラシ62、6日がラシ61、7日がラシ60であった。行路は4日間とも同一。(2001.9.10)

・習志野区500番代京葉電車区へ遠征で京葉線初入線。京葉区で行われた技術関係の競技会に使用するためラシ55編成が回送。10月4日日中、習志野区出庫で津田沼→幕張間緩行線経由、一旦幕張区入庫、快速線〜外房・内房線で姉ヶ崎へ、折返し新習志野へという経路であった。京葉区で一泊、10月5日夜間に姉ヶ崎折返しで習志野区に返却回送された。なお、返却時は千葉駅0番線に入り、そのまま緩行線経由で津田沼まで行っている。
こちらも参照ください。(宮本敏夫氏発信:2001.10.6)



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