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全国秘湯巡り・長野と新潟飯山市と上越市の旅 2015(前編)飯山市編
第1日目 東京→飯山→上越妙高 第1日目
(飯山市のお米)例年、正月の温泉旅行は、伊東温泉に行く以外には3月末に解禁としているのだが、2015年は都合があって4月初めになった。 この年、北陸新幹線が3月に開通し富山や石川が急に近くなったこともあって、この線を使ってどこかに行こうというという気持ちが強い。 ただ、長野から先は共同浴場に恵まれている土地とは言い難く、石川県も富山県も共同浴場文化には恵まれていない。 一方、一昨年から人気になっているふるさと納税で、飯山市にささやかな納税をしたら今年になって「まぼろしの米」を3袋15キロも送って頂いた。これがとても旨い米で新潟産のコシヒカリに勝るとも劣らない。 では、飯山とはどんなところか行ってみるか?。 妙高市を加えたのは、スキー発祥の地が飯山か高田か知りたいし、高田のお城や朝市にも興味があった。 という事情もあって、飯山と上越妙高を巡る旅になった。 ところが飯山には温泉宿がない。宿泊はやむを得ず妙高市の神の宮温泉になった。 早めに東京駅に着いたら相変わらずテッセイの社員は手際よく車内掃除をしていた。隣の車線の Maxとき でゴミ集めするテッセイ社員の姿を紹介する。
excite ニュース 7分間で車内をピカピカにする「新幹線お掃除の天使たち」 間もなく、はくたか金沢行きが入線する。姿が美しい。 このページのTop ● 東北新幹線飯山駅上野を越えて地上に出た新幹線の車窓は桜が満開だった。快調に走って、長野駅を越えたあたりから、車窓の山に残雪を見かける。E=5系は静かに走る。
飯山駅に着く。駅のホームは三階の相当するらしく、エスカレーターで改札階に下りる際、懐かしいスワロースキーの宣伝があった。そうか!! あの初めて買ったスキー板は飯山製だったのか。60年以上前のことを思い出した。当時、マーシュウエスト、スワロー、Ogasaka、イムラスキーなどが全盛で、一方スキー教師はヘッドのメタルスキーを愛用していたっけ・・・。
飯山駅の構内は一階に観光案内所や軽食が出来るところなど、二階にコンコースと新幹線や在来線の切符売り場と改札、三階が新幹線ホーム。 新幹線改札を出て、客を出迎えている駅員さん(駅長さん?)にコインロッカーの場所を聞いたらすぐそばの柱の裏側にあるとのこと。利便性の高い場所にありこれは便利だ。 観光案内所で散歩道の概要を聞き、どう廻ったら短時間で飯山を味わえるかを教わった。
飯山の駅前は工事ラッシュだった。メインストリートを 西敬寺の踏切方向にすすんだ。 このページのTop ● 飯山市のお寺巡り仁王門真新しい仁王門が見えたので寄り道する。仁王門の中に仁王様があたりを睥睨している。何となく写真を撮ったのだが、家に帰ってネットで調べてみると、長野善光寺で、臨時にピンチヒッターになった仁王様が里帰りして、ここに祀られているとのこと。
明治末期に、高村光雲に依頼した仁王像の制作が遅れた時の善光寺の開帳にまつわるエピソードがあり、ピンチヒッターを務めたのがこの像とのこと。折しも、この飯山の旅の翌々日(2015年4月5日)から善光寺のご開帳が始まることになっている。 仁王像の由来 何でも良いから、ほんのちょっとこのエピソードを示す看板があればもっとありがたく写真を撮ったのに残念に思った。 SL C56 129観光案内所でもらったマップに「SL公園」とあり、文字通り SL が置いてある広場も素っ気ない。単にSLが置いてあるだけで、ブランコ一基が SL の前にある広場だが、SL は優雅な C56 だった。旅先でたまに SL を見かけるが、SL のプレートのナンバーをネットで検索すると、開発の経緯、製造会社、製造年月などが判り、また現役時代にどこを走っていたのかも判る。 これがネットに掲載されているので、これらの関係者には敬意を表したい。 とは云っても、公園の展示には、簡単な説明は欠かせない。 準備が間に合わないのだろうが、一刻も早く説明板を設置して欲しい。 「SL C56 129」について 日蓮宗・西敬寺西敬寺(さいきょうじ)は踏切を渡らなくても見える大きなお寺だった。境内に入ると、大量の残雪があったが、マンサクは満開で、ご住職が雪の始末や庭の整備をしていた。本堂にお参りする。 浄土宗・慶宗寺慶宗寺(けいそうじ)は浄土宗のお寺で、山門右のお地蔵様たちが可愛らしい。
慶宗寺を過ぎると、メインストリートの左側の山側に寺院が並ぶ。 浄土宗・中恩寺先ず、忠恩寺。飯山シャンツュへ向かう道に面して忠恩寺(ちゅうおんじ)がある。 就学前の子供が祖父とキャッチボールしており、ボールを取り損なって走っていた。 忠恩寺は隣の称念寺と接しており、境内を通り抜けて行き来できる。雪解けで顔を出した斜面にはフキノトウが顔を出していた。 真宗・称念寺真宗・称念寺(しょうねんじ)の本堂は大正9年の火災で焼失した後、昭和43年に再建された比較的新しい建物で、正倉院校倉式の姿が面白い。境内は紅葉が見事という。称念寺は植木が多いので、雪囲いの数も半端ではない。良く金沢兼六園の雪囲いが季節毎にテレビに映るのだが、この土地の雪囲いは太い材木をくくった頑丈な物で、雪の多さが忍ばれる。
ここらあたりからは、隣の寺院には寺巡り遊歩道が続くのだが未だ雪解けが進まず滑ってしまうと怪我をしかねないので一々雁木の仏壇通りまで戻って各寺院の石段を登った。 がんぎ通りの赤丸ポスト称念寺と妙専寺の間の、がんぎ通りのお菓子屋さんの脇に赤丸ポストがあった。ここのところ、旅の途中の散策の際に赤丸ポストに出会うと必ず写真を撮り紹介することにしている。
真宗・妙専寺赤丸ポストを越してがんぎ通りをしばらく歩く。妙専寺は家と家の間の細い道を山に向かうと突き当たりにある。 お寺の境内にはクロッカスが咲いたばかりの姿を見せていた。
妙専寺は元の住職が飯山市にスキーをもたらしたという歴史を持った寺院とのこと。 帰宅後、Web で飯山のスキーの歴史を調べてみたら、やはり妙専寺の住職が関わっていたとの記録が見つかった。 長野の旅.com というサイトの「長野県スキー発祥100年の歴史」というページで、以下にリンクする。 このページに依れば、妙専寺の住職市川達譲さんが飯山市にスキーをもたらしたと記されている。 高田市(現上越市)でオーストリア・ハンガリー帝国公使館付武官のレルヒ小佐が高田第13師団で指導した年(1911年)の翌年(1912(明治45年))に高田連隊に再度訪れた際、一本杖のスキー講習が行われ長野県から当時飯山中学(現飯山北高)の体操教師だった市川さんや、大町中学教員の里見源次郎さんが参加し、技術を会得後各地域で普及に努めた由。 長野の旅.com 長野県スキー発祥100年の歴史 また、このページには、飯山の建具屋の小賀坂浜太郎さんや伊村栄蔵さんが高田でスキーの製法を学んでオガサカスキーやイムラスキーの製造始めたとも記されている。 がんぎ通りに戻りしばらく歩くと、道の反対側で雪囲いを撤去している人たちに出会う。もうこれから先は大雪は降らないだろうとこの日から道路周辺の整備に掛かるのだとのこと。 こんな日常の景色にこそ風情がある。観光とは何なのか? 右に高橋まゆみ人形館を見て、左側のお菓子屋さんの路地を入ると常福寺がある。 曹洞宗・常福寺の大黒天常福寺は曹洞宗の寺院で、飯山七福神の大黒天を祀っている。山門から境内に入ってクロッカスの花などを撮っていると、ご住職から話しかけてきて、内陣のご本尊に線香を上げさせてもらいまた七福神の大黒天にも線香を焚くことになった。
ご住職と、飯山市とお寺などについていろいろ話をする。 雪が溶けたばかりでいろいろとお忙しいのだろう。でも、気さくな話が面白かった。 このページのTop ● 雪と寺の町公園常福寺を辞しがんぎ通りの反対側の「雪と寺の町公園」に入る。 小さな公園で、寺の町飯山の大きな木の案内図がある。この公園は、別に赤丸ポストがあり、高橋まゆみ人形館、ギャラリー、食事処の「月あかり」などが集約された観光スポットである。 このページのTop ● 高橋まゆみ人形館と味蔵月あかり高橋まゆみ人形館高橋まゆみ人形館に入る。 ふるさと納税の際、市役所からの礼状に人形館の無料入場券が同封されていた。高橋まゆみさんの経歴他は同館のホームページに詳しく書いてあるが、展示されている人形は、お年寄りや子供の姿の日常を、ありのままに、ほほえましく、やさしく表現している。
ところが例によって館内は撮影禁止なので、映像で人形の様子を紹介することができない。苦肉の策だが、受付そばに人形のポストカードを販売しており、受付嬢に相談するとポストカードのコピーは掲載可能ではないかとのこと。 ポストカードの紙質はでこぼこ紙でスキャナーで撮ると若干不細工になるのだが紹介したい。 味蔵 月あかり人形館の前にある月あかりというお店に入る。飯山駅の観光案内所では別のお店も候補に挙がっていたが明るく活気があったのでここに決めた。
頼んだのは笹ずし定食とおにかけそば。 かなり安い価格で味は期待通りだった。笹ずしは特に良かった。この笹ずしの解説図がメニューに混じっておいてあった。
このお店は「いいやま食文化の会」という団体がオープンしたと「月あかり」のホームページに掲載されている。 最近こういった地方の自主的動きが目立つ。しかも、お店内で注文を取るお母さんも、厨房でおむすびをにぎるお母さんもみな生き生きとして元気なのだ。 月あかりのホームページ がんぎ通りを駅方向に向かって歩く。 先ほどは主に山側を歩いて常福寺まで来たのだが、帰りは反対側を歩いた。 道々、仏具屋さんのおかみさんが、雪解けしたばかりのがんぎの柱の根本に置く花の鉢に花を植えている姿を見かけたのでしばらく話しをうかがった。 このページのTop ● 飯山市美術館とふるさと館踏切近くまで戻り、右折して飯山市美術館とふるさと館まで歩いた。ここの無料入館証もふるさと納税の際に市役所から送って頂いたもの。 飯山市美術館
飯山市美術館は郷土の有名画家の作品を展示していた。 引き続きふるさと館に入る。 飯山市ふるさと館 飯山市ふるさと館は高橋まゆみさんの作品を始めとして、古い家具、農具、生活用品、スキー、古時計、古い足踏みミシン、等々がぎっしりと保管されていて、昭和の空気が残っていた。 もうちょっと整理され、分類され、見やすく展示されていれば、これはすばらしい観光資源になるような気がした。 高橋まゆみさんの人形について、撮影はかまわないとのことなので紹介したい。 民具 ふるさと館の二階は使いこなした昭和の民具の宝庫だった。順不同だが一部を紹介する。
という具合にともかく何でもかんでも保存されている。 面白くて時の経つのも忘れている間に、次の妙高上越に行く新幹線の時間が迫ってきた。 (後編)上越市編を見る
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