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全国秘湯巡り・福島県 2015湯本温泉 ハワイアンズ と 水戸 2015(後編)
第1日目 大船→上野→湯本駅→ハワイアンズ 第1日目
今回の旅の目的は
従って、与市の露天風呂、スプリングパークの温泉、スパガーデンパレオの温泉、などに入ってみないとハワイアンズは語れないのだが、体力的なこともあり、これ以上たくさんの温泉に浸かることは出来ないので、与市はお湯に入るにしても、スパーイングパークやスパガーデンは主に見るだけにしたいと思った。 露天風呂 与市への通路は、南館からウオーターパークへの通路をたどり、ウオーターパークの脇から左に折れる。 この、通路は途中登り階段(もしくはエスカレーター)があったが距離的には近い場所らしい。 与市の入り口には、昔風の小間物屋などの売店が並んで、江戸情緒を表現している。江戸時代に江戸の街中に露天風呂があったとも思えないが、物珍しさと江戸時代の演出としてはおもしろかった。 のれんをくぐると正面にそば処「与市」があった。 ハワイアンズの中でも和食は珍しかった。 そば処「与市」のホームページ 左奥に進むと、江戸情話「与市」の大露天風呂がある。 廊下が背の高い日本建築で、左側に木製のロッカーが並び右側に大きな露天風呂が広がる。 温度管理のために要所要所で泉温を計っている人に伺うと、左側に源泉の流入口があり、やや熱めの43度で、ゆっくりと右側に流れるので、右側(与市の入り口側)は40度位とのこと。 この人にお願いして無理矢理人のいないアングルで写真を撮らせてもらった。 以下が貴重な二枚。 掛け湯の槽は脱衣用ロッカーのある廊下側から露天風呂に突き出すように建てられており、掛け湯をして露天風呂に入り、上がり湯としてお湯を掛けてから脱衣用ロッカーに至るよう配置され、4カ所ほどある。 ロッカーに荷物を入れて露天風呂に浸かる。ゆっくりと中を歩き回る。 日本一広い露天風呂とうたわれ、確かに広いのだろうが、建物に囲まれていて、周りの情景が日本的は風情のある露天風呂だ。 お湯は加熱・循環利用とのこと。 気温によっては放熱が多いだろうから、循環は止むを得まい。 ゆっくりと入っていたら薄暗くなってきたので、またアロハシャツをまとい、与市から通路を伝わってスプリングパークに入った。 スプリングパークの温泉施設 スプリングパークは
ハダカで入る温泉大浴場パレスには
ざっとのぞいて見て、次回の訪問時には、何とかオープン直後の時間帯に来てみて撮影してみたいと思った。 スパガーデン パレオ スパガーデンパレオは水着着用で、青空の下で楽しむ温泉ガーデンなので、すでに時間切れ。 という次第で、ハワイアンズには、一日では回りきれない温泉施設があるのだが、今回の浴場施設紹介はここまでとなった。 あと、南館の各部屋の風呂場は明朝朝食前に入るつもりだ。 このページのTop ● ハワイアンズの夕食ハワイアンズの夕食は南館のラピータ。和食以外の食事で宿泊しているお客さんは、会場は別らしい。 部屋は広い空間は、会議場か式場かあるいは結婚式披露宴場のような宴会場かパーティ場か、ともかく大きな空間で、机と椅子が並んでいた。 以上のように、いろいろと品数があったが、食材はいわきの海を代表しているようなものは少なく、手は込んでいたが、感動するようなものは少なかった。 栗の炊き込みご飯が美味しかった。 このページのTop 第2日目
朝起きて、朝食までの間に個室のお風呂に入る。お湯の蛇口をひねると、しばらくは冷たかったがやがてかなり熱いお湯に変わった。 若干の硫黄臭がして、適温のお湯がたまった。 気分は自宅のふろと変わらず、やはり温泉場に泊まったら、大浴場か、外湯に入った方が良いというのが実感だった。 ハワイアンズの朝食 朝食会場も昨夜と同じ南館二階のラピータ。 朝はバイキングなので、並んで好きなものを選ぶのが楽しい。 なるべく自宅の朝食と同じようなものを選んで、並べたのが下の写真。 2人分の食材をトレーに載せて運び、それぞれの皿に移して食べる。 豪勢な料理ではないが、まあ満足する。 このページのTop ● 湯本駅から水戸駅へホテルハワイアンズをチェックアウトし、タクシーを呼んでもらい湯本駅に向かった。運転手さんはこの地区では、ハワイアンズが一人勝ちと云っていた。 ホテルに着いて、常磐線特急列車を待っている間に、カメラを部屋に忘れてきたことに気がついた。 さあ大変。駅の固定電話からハワイアンズに電話を入れる。なかなか掛からない。 多くの10円硬貨と百円硬貨を投入し、ようやくつながり、部屋を探してくれることになった。 1時間で水戸に着き、早速電話で確かめると、カメラは見つかったとのこと。 宅配便着払いで自宅に送ってもらうことにした。 水戸駅のビル内にあった観光案内所に立ち寄り、3〜4時間で廻れる場所の相談に乗ってもらった。 廻る場所は、水戸芸術館の中庭のイベント会場(名産の展示直売)と茨城県三の丸庁舎および弘道館ということになり、偕楽園はパス。 市内の地図とバスの乗り場を聞き、荷物は構内のコインロッカーに預けた。 駅前のバス停に行って、教わったとおりの路線バスに乗る。大工町行きならどれもメインストリートを行くので泉町一丁目を通るとのこと。
水戸市 障害者施設商品・共同販売会 水戸京成百貨店の正面前で、障害者施設製品・共同販売会という催しがあった。
ポーチは一つ200円、安納乾燥芋は160グラムの袋が100円と超格安だった。 ポーチを二つ、乾燥芋を三袋購入した。家に帰ってからの話になるが、ポーチと安納乾燥芋を別途写した写真が以下の写真で、ポーチはいろいろと使い道がありそうだし、安納芋の干し芋は甘く柔らかかった。
このページのTop ● 水戸芸術館前の 「第5回 お茶は茨城・食も茨城」水戸京成百貨店前を横断し路地を進むと、すぐに水戸芸術館に着く。芸術館のシンボルは折れ曲がったステンレスの塔で、北関東の地震速報では欠かせない映像となっている。 この塔は微弱な地震でも、揺れる様が良く写るので貴重な存在なのだろう。だが、自分で撮った映像はかなり巨大な無骨なものだった このシンボルの前の広場にテントを張って、「第5回 お茶は茨城。食も茨城。」というイベントをやっていた。水戸観光協会のお姉さんのおすすめの場所にようやく着いた。 そして、なんと、このテント張りの屋台の前で1時間以上も過ごすことになった。このイベントは、水戸市だけでなく県内の各地から参加者があったらしく、小美玉市という霞ヶ浦のほとりの場所からの参加者も見つかった。 多彩な、豊かな、美味しい食品と飲料のオンパレードだった。とても全部は取り上げきれない。 池田ふみさんは個人出店で、81歳のふみさんを家族総出で支えていた。 出品されていた野菜は多彩で、見事なものばかりで、安く、適切なサイズに小分けされていた。 毎年の出店だそうだが、元気な様子だった。 水戸芸術館の方は見るべきイベントはやっていなかった。前回の訪問時にはパイプオルガンの生演奏があったっけ・・・。 このページのTop ● 新興楼のラーメン水戸芸術館前のイベント会場で雑多なものを食べたので、昼食をパスすることも考えたが、泉町一丁目のバス停に向かう路地で「新興楼」という中華の店があったので入ってみた。安い。味は普通だが、安くて素っ気ない雰囲気が良かった。イベント会場での試食などの後だったので、地元の郷土料理店などを探さないで済んだ。
このページのTop ● 弘道館へ(水戸中央郵便局の風景印)泉町一丁目のバス停でバスを待ったが、結構頻繁にバスが来る。 三の丸臨時庁舎に行くにはどこのバス停で降りたら近いかを聞くと「銀杏坂」がよいとのこと。 銀杏坂で降りて目の前を見ると水戸中央郵便局があった。 土曜日でも開いており、中に入って風景印の有無を訪ねるとあるとのことなので郵便はがきを買って押してもらう。 帰宅後調べると昔の水戸郵便局の風景印と同じ図柄なのだが、輪郭は梅の花びらに変わったらしい。 中の絵は偕楽園の好文亭とウメの花。 水戸城趾
茨城県庁三の丸庁舎桜並木の下を通って県の三の丸庁舎に向かう。この庁舎は、昭和5年(1930年)に完成し、平成11年(1999年)に新庁舎建設のため現在地に移築された。 東日本大震災で外壁の剥落などの被害を受けたので、耐震補強も含めた復旧工事が行われ、その際に増築された四階部分などは撤去され、建築当時の姿に戻ったとのこと。 大形の昭和初期の建物が復元され見応えがあった。 水戸芸術館で時間を取りすぎ庁舎内に入る時間がなかったが、次回水戸に訪れた際は是非内部も見学したい。< このページのTop ● 弘道館三の丸庁舎の裏から、八卦堂や鹿島神社などを見ながら弘道館の塀の脇を歩いた。周りは人が少なく、とても良い散歩道になっている。
下の写真だが、このあたりは文館跡といわれ、居学・講習・句読・寄宿の四寮と編集局・系纂局・講習別局・教職詰所などがあったとのことだが、明治元年に弘道館の戦いが起こり焼失したとのこと。梅の老木が多い。 観覧券売り場は木造だが雰囲気を損なわない建物で、水戸市民の気質を表しているような印象を受けた。 弘道館の塀の中には、ボランティアの案内を受け付ける机と椅子があったが、時間の無い中を駆け足で見る身なので遠慮して、依頼しなかった。
館内は撮影禁止。 見学者は少なかった。 弘道館は水戸藩の教育制度とその実践の生き証人だと思う。教育には国の将来が掛かる。藩の財政が苦しい中、藩はその大切さを重視してこのような設備を造った。だが、ソフトは欧米の先進思想を取り込もうとしたとは言い難い。武家社会だから柔軟性に欠けなければ成り立たないのだが、学者はどうだったか?。医者で洋学を学んだ人物は居なかったのか?。 浅学非才の身には分からないことが多い。 弘道館に弘道館の戦いの弾痕の跡が見られるという。 弘道館を辞し、ケヤキ並木の道を塀に沿って進み、左折して駅に向かう。 水戸駅は近かった。 所定の特急日立号に乗ったら上野は近かった。さて、どこで東海道線に乗り換えようか?。 このページのTop (前編)湯本温泉 ハワイアンズ 2015へ戻る
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