第1日目,1番から5番まで。
第2日目,11番から6番まで。
第3日目,鳴門→淡路島→神戸→帰宅
1995年4月29日〜5月1日。友人と家人との3人旅。
4月29日(土曜日)曇り一時雨
(羽田→徳島→1番→2番→3番→5番→4番→徳島)
徳島空港から霊山寺までは、バスで徳島駅に出るルートとタクシーで最寄りのJRの駅に出て、
板東駅に乗り継ぐ方法がある。
バスで徳島駅に出る方法は回り道の上、時間のロスが大きいのでタクシーにした。
タクシーの運転手は,途中駅の池谷駅に行くのも、直接霊山寺に行くのも変わらないからと
しきりに直行を進めてくれたので言葉に従った。
一番寺の竺和山霊山寺は県道沿いで,大型バスが何台も止まり,またお遍路姿の人であふれている。
(1番・霊山寺にて)
山門で写真を撮り,さてどういう形でお参りするかを,山門前の売店で相談に乗ってもらう。
お札を納め、納経帳に揮毫してもらい,御朱印を押してもらうのが一般的とのこと。
お札は紙に印刷されたもので、住所,氏名,年齢と願い事を書いて本堂と大師堂に一枚ずつ納めるのだという。納経帳のほか,納経軸に御朱印を貰う人も居るとのことだが,
布が2万円もしたので,納経帳だけにした。
店頭で,住所氏名などを書かして貰う。
手が震え,字が踊る。気が高ぶっている証拠だ。
願い事のところで,「病気平癒」と書きたいが平癒の字が出てこない。で,家内安全としたが,後で気が付いたところ「家内安全」は印刷してありダブッてしまった。
この準備に手間取ったがいよいよお参り。人をかき分ける訳にも行かず, 団体の人たちが
般若心経を詠み終えるまで待って,最前列に進む。
お札入れにお札を入れ,お賽銭を投げ込み,手を合わせる。
(霊山寺の多宝塔)
信心の気持ちが希薄だったが,周りが熱心なので段々その気になる。
般若心経を覚えたい。
「四国遍路 道中記」にあるお経を唱えて居る人は皆無だった。
本堂の右奥の納経所で御朱印を貰う。
達筆に見えた。
「四国へんろ」という本を買う。これに,先ほど教わったお参りの手順が書いてあった。
境内で写真を撮る。
先達さんたちのお経の声を聞きながら霊山寺を後にする。
昼には早いし,県道沿いにも店はありそうなので,寺の前の食堂には寄らなかった。
2番寺(極楽寺)までは約20分,県道は車が多いが危険なことは無い。大型バスがどんどん
追い越して行く。
極楽寺は霊山寺に比べてさらに境内が広い。急な石段の上に本堂がある。一度経験済みなので,
もたもたせずにお参り出来る。お参り後記念撮影。長命杉という大木の前でも写真を撮る。
10分程寺にいて次に向かう。
県道に平行してへんろ道が続く。自動車がほとんど来ないのでさらに歩き易い。
沿道には,大きな住宅が点在する。三世代は楽に入れそうな二階家が多い。囲いの塀も含めてとても
見事だ。
徒歩でお遍路する人は思ったより少ない。途中,中年の男の人が道ばたで弁当を食べているの
に出会っただけ。
雨が降り始めた。それも時間を追って激しくなる。
食堂が有れば飛び込めるが,商店さえ無い。聞かなくてもよい道を訪ね食堂の在処を聞いたと
ころ,3番寺の入り口に食堂が有り,うどんが旨いという。これに勇気つけられ,とうとう右
折すれば金泉寺という四つ角まで来て食堂に飛び込む。
ところがこの店は今日は休業という。二三日仕出しの仕事が続き,従業員が休みたいとい
うので休みにしたとのこと。テーブルの上にパックされた混ぜご飯が2つあり3人の視線が釘ず
けになる。それを察して,これは出前に頼まれたものだからとしきりに言い訳をいっていたが,
ついに,出前は止めるからこれを召し上がれといい,「ご接待します。」とのこと。
大喜びで,あっと言う間に平らげ,いろいろと世間話をする。一人暮らしのおばさんで、
蘭やエビネなど鉢植えが多くある。セッコクランも満開で芳香を放っている。
お礼を述べて,3番・金泉寺へ。雨の中をお参りする。
徳島バスの時刻表はファックスで送ってもらっていた。
県道でバスを待つ。徳島バスの運行は割と正確で。あまり待たずにバスが来た。
路線バスは例によって乗客が少ない。6〜7分で羅漢。この間をを歩いたら1時間
近く掛かるだろう。
(5番・地蔵寺)
道路横断し5番,地蔵寺をおまいりする。
境内は広く建物も素晴らしい。
ただ雨はかなり激しく,
暗いので気が滅入る。
今日の予定は,あと4番だけ。
納経所で道を聞く。
高速の下をくぐって右方向にスライスと覚える。
雨のなかを進むと,観光バスが止まり,羅漢タクシーが小型車とボックスカーでピストン輸送している。
道が細くなり,タクシーのほかは,乗用車がたまに通り過ぎるだけ。
徳島ナンバーより
愛媛,香川,高知の四国勢に岡山などが多い。
雨の大日寺(4番)
4番の大日寺はひっそりとした古びた寺だ。
山にかこまれた佇まいは,今日の寺の中ではもっとも好みに合う。
納経帳の朱印は女性に頼んだ。
だが,毛筆でなくハンコ。
傘をさしながら、境内で写真を撮る。
春の花が目にしみる。
来た道を引き返す。思ったよりたくさん歩いていたのか高速道路がなかなか見えない。
雨の中を,五百羅漢を見る。
知り合いがこの近くで、砥部焼のギャラリーを開いているので訪問する。
妻が茶碗を,友人が徳利と猪口を買う。
徳島市内で知り合いと食事をするので、とりあえず駅前のホテルに戻る。
普通のアレンジなら、付近の民宿か遍路宿、宿坊などを予約するのだが、今回は徳島のお美味しい
魚を食べることになっている。
4月30日(日曜日)
(徳島→11番→10番→9番→8番→7番→6番→徳島)
今日は,11番から6番まで逆周りの予定。
理由は,鴨島の駅にタクシーがあり,11番と10番の間は遠いのでタクシーを使うことにした
からだ。
8時11分徳島発穴吹行きの徳島線に乗る。2両編成で,乗客は座席の3〜4割。
町を出るとすぐに田園地帯に入る。3人でお喋りしているうちに鴨島。
昨日で懲りたので、駅舎内のパン屋で菓子パンとウーロン茶を買う。
タクシーは町並みを抜けると山に向かい,11番,藤井寺だ。モータープールから小川を渡り,
少し登ると山門がある。その奥に咲き始めた藤棚が見事。右に折れ,本堂と大師堂だ並ぶ。
先達さんを先頭に,女お遍路が般若心経を唱えている。中には中学生位の子供もいる。
お参りをすませ,納経を済ませ、記念撮影をする。だいぶ手順が良くなる。
売店でお守りを買う。
さらに戻りぎわに駐車場脇の売店でふかし芋を買う。3切れ100円。
タクシーで10番,切幡寺に向かう。運転手はしきりに11番と12番の間を徒歩でお遍路
する事をけしかける。16キロ,2つ山を越えるので,(朝)3時に藤井寺を出るのだという。
それでも午後2時か3時にしか着かないのとのこと。
(10番・切幡寺)
10番・切幡寺は,藤井寺とは吉野川を挟んで反対側(左岸)にある。寺は山の中腹。門前町を抜け
てからタクシーを下りる。ここから山登り。石段も333段と書いてある。休み休み登る。急な階段
から開けた所が本堂,大師堂,納経所だ。
お参りし御朱印を貰う。
大師堂の左側に石段があり多宝塔。奥の院はそれから更に山の上にある。見晴らしが良い。
ゆっくり休んで,9番・法輪寺に向かう。4キロ余り。県道とは別の昔ながらの街道は車も
少なくとてものどか。ここでも付近には大きな民家が多い。
歩き疲れたところで法輪寺。境内は広いが建物は質素。
お参り後,境内の茶店で草餅と持参のパンを食べる。
茶店のおばさんは,「ご接待じゃ。」と言って代金を受け取らない。「団体さんで稼ぎます」の
一点張り。
茶店の中で,お遍路176回というおじさんと話をする。倉敷の住人で三菱自動車のOB。
現役時代は年に何回も回れなかったが,リタイアしてからは,10日毎に,7日〜8日かけて一回り
するという。年に30回以上回れる訳。176回は何年でクリアーしたのだろうか。
100回以上は金のお札とのこと。ご接待を受けるとお札を出すのが礼儀だという。
記念に金のお札を貰う。
8番・熊谷寺は、山に近い。
熊谷寺の山門が水田に写ってとても印象的。寺は山門とは道路の反対側で,お経がテープで
流れているのは俗っぽいが,寺は良い佇まいを見せている。多宝塔も見事。藤の花も盛りだ。
昨日と変って個人お遍路さんも多い。
山門に戻り、左折。7番の十楽寺は3.5キロというが,今日の日程では一番長そうだ。
道は田舎の旧道で、点在する農家を縫って延々と続く。順打ちの遍路さんともたまに出会う。
天気は薄曇り。遍路日和と言えるだろう。黙々と歩く。はじめ、おしゃべりをしながら歩い
ていたが,だんだんマイペースのスピードになる。
私の歩調は早いので、2人に合わせようと、努めてゆっくりと歩く。
7番・十楽寺は山門も新しく,また本堂も新しい。
納経所の奥は大広間などあり,外から見ると今まで回った他の寺とは格段の差だ。
パンを食べカンジュースを飲む。昨日の空腹に懲りてパンやジュースを用意したが、
今日はご接待があり、また道中けっこううどん屋さんも多い。
今日最後の安楽寺は1.2キロの行程。15分の距離だ。
6番・安楽寺は,境内は広く,宿坊も大きいが,寺の建物は割と質素。
お参りを済ませ,納経所に行く。
徳島バスの鍛冶屋原発が14時50分なのでこれに乗る。
バスは,5番のそばを通り、3番、2番のそばを通り、40分程で徳島着。
今日も徳島泊り。遍路の方法はいろいろあろうが、今回は拠点滞在型にした。
着替えはホテルに置きっぱなしだった。
5月1日(月曜日)
(徳島→鳴門→淡路→明石→神戸→新横浜)
今日は早朝のバスで淡路島を通過した。
地震からようやく復活を始めた神戸を見舞うためだ。
フェリーで明石に出て、明石の市場で穴子の白焼きを買う。
JRは国電が開通していた。
三宮で下車し、傾いたビルに息をのむ。
取り壊しの始まったビルと手つかずのビルが混在していた。
中華街まで歩き、昼食。
ここは立ち直りが早い。
早く復興することを念じた。