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No.1241 えいちゃんのサッカーの試合
2016年12月11日(日)
頑張るえいちゃん
先日の大樹のサッカーの試合に引き続き
この日はえいちゃん2回目のサッカーの試合。
前回に比べるとだいぶ積極的にボールに向かっていったえいちゃん。
なかなかいいね〜。

キーパーも頑張る
キーパーは例のごとく持ち回り制なので大抵1人1回はキーパーをやる。
この写真はフリースローのようだが実はキーパーがボールを投げたところ。
えいちゃんを含めほぼ全ての子が
キーパーでボールをキャッチして投げるときは
フリースローのように両手両足を左右対称にして投げていた。
まだ年中さん、ルールは理解しきれていない。
(ちなみに上の写真、左端にビデオ撮影する僕が映り込んでいる)

前半はなかなか頑張っていたえいちゃんだったが
後半はちょっと飽きてきて動きもだれ気味だったえいちゃん。
まあしゃーないか。

この日は天気も良くて
楽しいサッカー日和だった。
はいチーズ
(戸沢橋スポーツ広場にて撮影)
No.1242 トイレ・リフォーム
2016年12月12日(月)〜13日(火)
トイレ・リフォーム(アフター)
今の部屋に引っ越してほぼ10年(このマンションが出来てからだと約16年)。
遂にトイレのリフォームを行った。
これが完成後のトイレ。
トイレ本体はパナソニックの新型アラウーノ
タンクレスにしたので手洗い場も新たに設置。
実に快適なトイレに変身した。

そもそものきっかけはウォシュレットが壊れたこと。
多分だが壊れたのはリモコンの受光部。
(我が家のウォシュレットは操作部がリモコンになっていた)
便座に座ればウォシュレットは反応してノズル部の洗浄を始めるし
リモコン側は操作ボタンを押せば赤外線が発光しているのも確認した。
(赤外線はCCDに反応するのでデジカメで確認可能)
それなのに操作ボタンを押しても何も反応しないということは
リモコンの受光部が壊れた可能性が高い。
もしそうだとしたらこれで2回目。
何年か前にも同じような症状になり
その時はTOTOの人に来てもらって速攻で修理してもらった。
今回もまた修理してもらおうかとも思ったが修理代が結構する。
しかもユキちゃんもいずれはトイレをリフォームしたいと思っていた。
ということでもうトイレの修理は行わずに
思い切ってリフォームすることにしたのだ。

トイレは今流行のタンクレス。
タンクレスにするとそれまでタンク上部にあった手洗い場が無くなってしまうので
新たに壁に設置。
壁紙も拭き掃除が簡単にできるようにキッチンボードを使用。
床も耐水性の木目調に。
手洗い場には大きめの鏡も設置。
結構大がかりになってしまったため工事は2日がかりに。
工事初日の夜はなんとトイレ無し。
かなり不便だったがなんとか乗り切った。
そして2日目無事完成。
(本当はキッチンボードが当初の見込みでは足りなくなってしまって後日追加工事をした)

ドアを開けると自動的に便座の蓋が開く。
初めのうちは結構びびっていたけど
慣れるとなんだかちょっと偉くなった気分がして優越感に浸れる。
トイレがとっても居心地のいい空間に大変身した。

ちなみにビフォアーはこんな感じ。
トイレ・リフォーム(ビフォアー)
(自宅にて撮影)
No.1243 こどもの国
2016年12月17日(土)
落書き広場にて
僕と子供2人連れてこどもの国に行って来た。
(ゆきちゃんはおうちのお仕事)
若干話が前後するが
上の写真は帰り際に入り口を入った所にあるらくがき広場で
大樹が描いた田園都市線と一緒に記念撮影したもの。
なかなかよく描けていて
他の人からも「おー、すごい」と褒められていた。

えいちゃんも落書き
えいちゃんも負けてはいない。
奥の方の地面に描かれているこどもの国のマークをほぼそのまま書き写し。
途中まではほぼ完璧に描けていたのだが
途中他の子の邪魔が入って断念。
外乱に弱いのが玉に瑕。

SUSEのカメレオン
そして暇に任せて僕が描いたのがこれ。
ちょっと薄くて分かりづらいかもしれないが
某Linuxディストリビュータの1つ、SUSE(スシではない、スーゼと読む)のマスコットキャラクターのカメレオン。
今週仕事でSUSEの講習に出席していて
途中いろいろ質問やら発言をしたお陰で
このカメレオンのぬいぐるみを2つもらってきたのだ。
それ以来大樹もえいちゃんもこのカメレオン大好き。
SUSEのぬいぐるみを配った効果は絶大!

巨大なリース
時はクリスマス。
こんな巨大なリースも飾ってあった。

宝探し開始
前回ユキちゃんが大樹たちを連れてきたときにやったトレジャーキングダム
またやりたいというので参加してみた。
瑛太は初級、大樹は中級に挑戦。
システムをあまりよく理解していなかったのだが
なんとなく定期的に内容(例えば宝物の隠し場所など)が更新されるのかと思ったら
えいちゃんがやった初級は前回と全く変わっていなかったらしい。
次々に宝物の場所を見つけるえいちゃん。
でも途中全く憶えていないところも…。

初めて来る場所
今回大樹が挑戦した中級に関しては全くの初めて。
謎解きもそれなりに難しくて大人のアシストもある程度必要。
こどもの国には何度も来ていたが
初めて訪れる場所が多くてなかなか楽しい。

次の手がかりを探す
極力大樹が自力で宝物を見つけられるように
あんまりヒントは出さなかった。
必死に宝物を探す2人。

最後のお宝発見
ようやく中級の最後の宝物を発見。
謎解きはどれもひとひねりしてあって大人も結構楽しめる。
(というより小2くらいの子供だけでは無理だ)
ここも初めて来る場所。
まだやっていない人のためにあえて場所が分からないようにモザイク加工。

おもしろ自転車
宝物を見つけたあとにはおもしろ自転車も楽しんだ。
相変わらずこどもの国は楽しめるところが多くて一日たっぷり遊べる。
(こどもの国にて撮影)
No.1244 父の死
2016年12月18日(日)
2011年に脳梗塞で倒れて以来ほぼ寝たきりだった父親がこの日他界した。
弟からメールで食事をあまり摂らなくなったとの連絡があり
この日久しぶりのお見舞いに行った。
母親と弟の家族も一緒。
僕が病院に着いたときにはちょうど父の食事中。
病院の人から流動食のようなものを食べさせてもらっていた。
この光景がなかなか凄かった。
雑に食べさせようとする(ように見える)看護師さんと
それに全力で抵抗する父。
あきらかに不機嫌そうな父の表情。
ガッチリとスプーンを歯でくわえる。
そういう父に悪戦苦闘する看護師さん。
結局口の中に食べ物が残ってしまったのでそれらを今度は取り出すことに。
再び看護師さんと父とのバトルが。
父親の口の中に無造作に指を突っ込んで中に溜まってる食べ物を出そうとする看護師さん。
途中父親がその指を噛んだらしい。
あからさまに痛がる看護師さん。
(実際痛かったんだと思う)
とにかくこういった光景を見るのが初めての僕には
何もかもが強烈で凄かった。
とは言いながらもなんだかんだ言ってまだまだ父は元気そうだと思った。
この時点でまさかこの日に父が死ぬとは思いもしなかった。

僕たちも昼食に行くことにした。
父にちょっと断って外出。
母が「ちょっとお昼食べてくるからね」と言った言葉に
父は「うん」とうなずいたように見えた。

それまで病院の前の公園で遊んでいた弟の子供たちと合流して近くのラーメン屋さんへ。
小さいラーメン屋でお客さんも結構入っていたため
頼んだものが出てくるまで結構時間がかかった。
母と弟と僕は先に食べ終わった。
弟の子供たちが食べ終わるまでちょっと時間がかかりそうだったので
僕たち3人だけ先に病院へ戻ることにした。

病院に戻ると父の病室の周りが慌ただしくなっていた。
ベッドごと病室から運び出される父。
父の顔の色があきらかにおかしい。
青いというか血の気が全く感じられない。
「大丈夫か? これ?」
いったい何が起きているのかさっぱり分からない。
でもこの時点でまだ父が死んだとは思っていなかった。
ナースセンターを挟んだ反対側にある個室に父は運び込まれた。
代わりにそれまでその個室にいた人は別の部屋に運び出された。
個室に運び込まれた父はそのまましばらく放置状態。
まさに周りには病院の関係者が1人もいない。
「まさか死にかけている人を放置したりしないだろう」
なんだかんだ言いながらそれほど切迫した状態ではないんだろうと思っていた。
父が寝るベッドの胸の辺りの布団をじーっと見る。
目を凝らしてよーく見ても布団が上下しているようには見えない。
僕たちが来たときからずっとナースセンターではアラーム音が鳴っている。
その音はよく医療系のドラマで聞く、患者さんが心肺停止の状態に陥ったときに鳴る音だ。
まさかその音が父に関するものだとは思っていなかった。

やっと病院の人が父のベッドの周りに機材を運んでやってきた。
病室のドアが閉じられ窓のカーテンも閉じて中で処置が開始された。
それほど時間がかからないうちにドアが開き
「もう呼吸が止まっており心臓ももう止まりそうです。近くに行ってあげてください」
と告げられた。
え? 呼吸止まってるの?
それってもう死んだってこと?
いまいち状況が理解できないままベッドの周りへ。
ラーメン屋から戻った弟の奥様と子供3人も合流。
心電図を見るとまだ20ちょっとの数値が表示されている。
心臓はまだ動いている!
まだ何かすれば間に合うようにも思えるのに誰も蘇生しようとはしない。
そうか、延命処置はしないでいいと話していたんだっけ。
確かにここで蘇生処置をして万が一息を吹き返したとしても
また元の寝たきりの状態に戻るだけ。
だったらこのまま寝かせてあげた方がいいんだ。
口を大きく開いたまま動かなくなってしまった父の顔。
母が「ねえ、目を開けてよ」と懇願するように話しかけても何も反応はない。
母が父のおでこに触れ「まだ暖かい」と言うので僕も触ってみた。
確かにまだ温もりが残っている。
医師がやって来て父の目を開いてライトを当て瞳孔の動きを確認し
よくドラマで見る通り「〜時〜分ご臨終です」と告げた。
本当に父は死んでしまったんだ。
再び病室を出されその間に病院の職員が父の体をきれいにしてくれた。
再度病室に入ったときには口は閉じられきれいな浴衣姿になっていた。

悲しみに暮れる間もなく
遺体を運び出す手配をして欲しいと言われる。
あくまで事務的に対応せざるを得ない病院の職員。
まだ生きている患者さんを優先しなければならない事情は理解できた。
予めどこに葬儀をお願いするか決めていたので母が電話で連絡した。
その間に僕は今日お見舞いに来れなかった兄に電話で連絡。
死んだ父を見て弟の長男(5年生)だけは母親の胸で泣いていた。
それを見て兄と話している僕も言葉を詰まらせる。
約1時間後に葬儀屋さんが到着。
病院で軽く葬儀屋さんと今後の予定を打ち合わせた。
父の荷物を全て片付けて地下1階から寝台車(霊柩車ではないワンボックス)に乗せる。
僕と母がその車に乗り弟は自分の車で葬儀場へ。
案内された部屋で待っていると少しして父の遺体のところに案内された。
そこには横たわる父の遺体とその前にはお線香を上げる台が。
母が困惑していた。
ちょっと前まで生きていた人のお線香を上げることが
頭では分かっていてもどうにも納得できないようだった。

父の死に目に偶然にも遭遇してしまった。
兄はよく父のお見舞いに来ていた。
弟も比較的近くに住んでいたこともあり
僕よりも頻繁にお見舞いに来ていた。
一方僕は家が微妙に遠いのと
やはり土日は子供の相手をしなければいけなかったので
年に数回しかお見舞いに来ていなかった。
それなのに兄は結局父の死に目には会えなかった。
兄にはなんだか申し訳なく思う。

脳梗塞で倒れて5年。
それからの不自由な生活を考えると
僕としては父には早く楽になって欲しいと思っていた。
(死んで欲しいと思っていた訳ではないのだがこの辺ちょっと難しい)
今日この日についに他界してしまい
悲しいのももちろんだがちょっとホッともした。
そしてこれで母の負担も軽減される。
父が倒れて以来ずっと心のどこかに残っていたモヤモヤが
この日消えたような気がした。
※26日(月)にお通夜、27日(火)に告別式を無事執り行った。
(立川の病院と玉川上水の葬儀場にて)
No.1245 クリスマス
2016年12月25日(日)
プレゼント
父が死のうと死ぬまいとクリスマスはやってくる。
本来であれば忌引き期間中で仕事は休めたりするのだが
今年は23日と24日にすでに仕事が入っていた。
しかも僕以外にやれる人がいない仕事。
幸か不幸か父のお通夜と告別式までちょっと時間が空いたため
その仕事は無事完遂できた。
ただしそのお陰でクリスマス・イヴのお祝いはできなかった。
しかしサンタさんは今年も無事に我が家にも来てくれた。
25日クリスマスの日プレゼントがちゃんと届いていて喜ぶ2人。

マスコンを操作する次男
次男のプレゼントはプラレールのマスコンとそれで操作できる北海道新幹線はやぶさだった。
さっそくプラレールの線路を組み立ててマスコンで遊び始める次男。
長男も実はかなりやりたい。

COOLPIX W100
一方長男のプレゼントはなんとデジカメ。
しかもトイカメラではなくニコン製のCOOLPIX W100というもの。
防水機能と耐衝撃性能を兼ね備えたなかなかの優れもの。
しかもこれ子供用のデジカメとしていろいろ変わった撮影機能やひらがなメニューなどが装備されている。
大樹あたりの年代にぴったりのカメラ。
さすがサンタさん、分かってる〜♪
ちなみに本日のトップの写真はこのカメラで撮影したもの。
普通によく写る。

24日にお祝いできなかったので25日に家族でクリスマスを祝った。
その時に大樹がもらったカメラで僕を撮った1枚がこれ。
まさにトロン状態。
他にもいろいろ変わった写真が撮れてなかなか面白い。
トロン?
(自宅にて撮影)
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