全国秘湯巡り・岩手と青森
後生掛・蔦・金田一の湯巡り旅行
(今回の旅は3泊4日です)
第1日目・東京→
玉川温泉
→
後生掛温泉
第2日目・後生掛温泉→十和田湖→
蔦温泉
第3日目・蔦温泉→八戸→
金田一温泉
第4日目・金田一温泉→
浄法寺町→東京
第1日目
(玉川温泉)
2003年の東北地方の梅雨は、明けないまま涼しい日が続いている。
東北地方は米の出穂率が低く、不作が心配されている。
関東でも梅雨明けが遅れ、晴れの日は長続きしない。
盆休み、孫の世話が無いので東北旅行を企画した。
台風シーズンには少し早かったが、出発前日は大型台風が九州から北海道まで駆け抜け、空路や鉄道が寸断された。
出発日には台風は北海道沖に温帯低気圧となって横たわっていたが、東北地方も大半は晴れマークになった。
今回の旅は、後生掛温泉、蔦温泉、金田一温泉のはしごに、玉川温泉を加え、奥入瀬散策と八戸近辺の散策を楽しもうというもの。
玉川温泉は今回が3回目で、田沢湖側から入ることにした。
JR田沢湖駅は晴れ間がのぞいていたがひんやりとした空気で、八幡平行きのバスには間があったので、田沢湖行きのバスに乗り田沢湖畔で昼食を摂った。
玉川温泉
(玉川温泉1) |
(玉川温泉2) |
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田沢湖から玉川温泉まではおよそ1時間。
山が深くなるにつれて森林の様相が変わり、ブナやカエデの林の中をすすんで、新玉川温泉経由で玉川温泉に着いた。
すぐに温泉。荷物はコインロッカーに入らないので浴場の入り口に置かせて貰った。
玉川温泉の浴場は大きな建物で、天井が高く、浴槽は左右に分かれていろいろの泉質の湯が楽しめる。
前回にない掲示は、源泉の比率が書いてあること。 これは時代の流れか?
酸性度が強く肌のチョットした傷でもヒリヒリする。
ゆっくりとお湯を楽しんだ後、屋外の噴気孔見物へ。
(大噴(98℃の湯)) |
(大噴の説明看板) クリックすると拡大します |
(噴気孔) |
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温泉の吹出し口を過ぎ、脱衣場も無い露天風呂を越えると、何棟かの小屋掛けがあり、岩盤浴の順番待ちの人を見かける。
小屋の中では、雑魚寝の人がタオルケットにくるまって汗をかいて横たわっている。
玉川温泉で2時間ほどを過ごし、次のバスで後生掛温泉へ向かう。
バスは鹿角市方面に向かい、アスピーデラインに入って八幡平に向かう。
どんどん高度を稼ぐ。
後生掛温泉
(後生掛温泉)
大沼を過ぎると後生掛温泉は近い。
バス停から一軒宿の旅館が見える。
宿の周辺にも泥の火山状の噴気孔があり温泉が楽しみだ。
荷物を置くとすぐ「後生掛自然研究路」を歩く。
自然研究路は環境庁が設置したもので、30分ほど、泥火山や噴気孔、湯の沼などを巡る遊歩道のこと。
玉川温泉にもあったが、玉川温泉とは様相がかなり異なる。
(大湯沼1) |
(大湯沼2) |
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(泥火山) |
(紺屋地獄) |
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宿に戻り、すぐに大浴場へ。
浴場は、木造でかなり大きく、通常の湯のほか、泡湯、箱蒸し風呂、泥湯、打たせ湯があり、露天風呂までついていた。
夕食は食堂で食べた。
しょっつる鍋かきりたんぽ鍋を選ぶ方式が面白かった。 また、各部屋の家族構成を推理するのが楽しかった。
深夜、浴場の写真を撮りにいったが、水蒸気でレンズが曇り、フラッシュが反射したりして出来は良くなく、公開できるものは無かった。
第2日目
早朝から目が覚めた。
天気は下り坂だがほぼ良好。
(後生掛温泉の足湯)
湯につかり、朝食を摂って、後生掛温泉の館内を廻る。
付属設備として「湯治村」があり、オンドル部屋などがあった。
また、流行の足湯があって大人気だった。
バス停に出て、一日2本の十和田湖行きに乗った。
十和田湖までは鹿角市などを通りおよそ2時間。
途中、道の駅でトイレ休憩をはさむ。
(十和田湖)
十和田湖は発荷峠からの景色が一番といわれるが、登りは平らで湖に向かった下りは大層急坂だ。
休屋から青森もしくは八戸への接続バスが無く、子の口に行くには遊覧船か、1時間ほど付近を散策して高村光太郎の「乙女の像」を見て次のバスを待つかの選択が必要だった。
奥入瀬散策
子の口で荷物を託送し、身軽になって奥入瀬散策を楽しんだ。
託送した荷物は焼山のバス停まで運んで置いてくれる。
今日の奥入瀬渓流は、昨日の台風の雨の影響もあり、水が濁っていつもの奥入瀬の清流とは違って迫力満点だった。
写真を撮りながら奥入瀬渓流に沿った散歩道を歩き、石ヶ戸(いしげど)で再度バスをつかまえ、焼山で荷物を貰い、バスに乗ったまま蔦温泉に着いた。
「ひろさんの旅枕」は青森県は別ページになっています。
この旅行記で奥入瀬散策、蔦温泉、八戸近辺については必要最小限の記述に止めます。
(下記のページもご覧になって下さい)
青森の旅・奥入瀬へ
青森の旅・2003年夏・奥入瀬へ
蔦温泉
蔦温泉は変わらぬたたずまいで、ひっそりと建っていたが、フロントは賑わっていた。 荷物を置いて、沼めぐりに出かけた。夕方近くで雨が降りそうだった。
(蔦温泉・玄関) |
(ブナ林) |
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蔦沼まで10分ほど。
蔦沼の見晴らしブリッジにマムシがいると数人の散策客が教えてくれた。
マムシはうずくまっているだけだったが怖かった。
宿に戻って温泉に浸かった。
昔の浴槽の他に、新しく男女別の浴槽が新設され(泉饗の湯)、昔の浴槽は時間帯で男女別に入ることになっており、混浴はなくなっていた。
(蔦沼のマムシ) |
(蔦温泉の浴槽) |
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夕食は部屋出し。
3階の部屋までフロントからかなりの階段を上ることになっており、係りの人は大変そうだった。
ひろさんの旅枕は青森県は別ページです。
この旅行記では青森県は最小限の記述に押さえています。
青森県のページもご覧下さい。
青森の旅・蔦温泉へ
夜中激しい雨が降った。
第3日目
朝食は新刊の食堂だった。
八戸行きのバスに間に合うよう、焼山まで送迎バスが出た。
新幹線の八戸開業に合わせて、JRのバス便が1日3本開通した。
八戸
(八戸三社大祭おはやし)
八戸駅では、子供たちが三社大祭のおはやしをやっており、お盆の帰省客を歓迎していた。
また、八戸の観光案内をボランティアがしており、今日の予定の「陸奥湊」の市場や食堂、蕪島や種差海岸への交通手段などを教えてくれた。
鮮魚や魚介の加工品の市場は八食センターもあるが、陸奥湊のほうが庶民的だし、蕪島にも近い。
陸奥湊の市場で魚介類の加工品を宅急便で家に送った。あわせて不要になった衣類なども同梱し身軽になった。
昼食は近くの「大洋食堂」で摂った。
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青森の旅・陸奥湊の朝市へ
陸奥湊から鮫まで路線バスに乗り、鮫からはワンコインバスという100円バスで、蕪島と種差海岸を周って、JR鮫駅に戻りJRで八戸経由青い森鉄道の金田一温泉駅についた。
金田一温泉
駅から今日の宿「きたぐに旅館」に、電話で迎えを頼んだ。
話のつながりがおかしかったので、迎えの人に聞いたら、予約日は明日とのこと。 確かにメールは1日ずれていた。
宿で荷物を下ろし、共同浴場の所在を聞いたら、2軒ともすぐ近くとのこと。
一軒は、「金田一温泉センター・ゆうゆうゆーらく」。もう一軒は「金田一温泉郷・スパドーム」。 スパドームを訪ねた。
(ゆうゆうゆーらく) |
(スパドーム) |
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(スパドームの浴槽) |
(スパドームの露天風呂) |
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きたぐに旅館に戻ると夕食。
ひろさんの入れた予約は翌日だったが、急遽変更してくれ、あついもてなしを受けた。
きたぐに旅館は作家の三浦哲郎と縁続きの宿とのこと。
また、翌朝、ブルーベリー摘み取りに行くよう誘われ、早寝をした。
(きたぐに旅館の玄関) |
(きたぐに旅館の浴槽) |
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第4日目
ブルーベリー摘み取りのため早起きして待機していると、おかみさん代理が自動車を仕立ててくれた。
子ども3人と千葉から来ている親戚の人(夫妻)、ひろさんと家人の総勢8人。
場所は軽米町に入ったところで、中里さんが経営する「権七園」という観光農園。
ブルーベリーの木が400本ほどと隣りがりんご園。
(ブルーベリー園) |
(摘み取ったブルーベリー) |
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ブルーベリーは、実った実は紫色になり、触れば落ちてしまいそうな感じ。
朝食前の一仕事で、約1キロほど採れ、現場では食べ放題という仕組み。
持って帰るのが大変だが、貴重な、楽しい体験だった。
北国旅館に戻り、用意の朝食を頂き、二戸に向かって宿を後にした。
バスで二戸まで、およそ30分。
二戸の駅は二戸市の中心からやや外れているが、新幹線で東京まで一本でつながるというのは大変なことだと思った。
あとは、浄法寺町の訪問が残っているが、浄法寺ではとんだハップニングがあったので、別ページに仕立てたい。
(若干の情報)
場所 | 電話 |
玉川温泉 | 0187-58-3000 |
後生掛温泉 | 0186-31-2221 |
蔦温泉 | 0176-74-2311 |
きたぐに旅館 | 0195-27-2531 |
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