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全国秘湯巡り・肥後日奈久温泉と人吉 湯巡りの旅 2012(前編)日奈久温泉編
第1日目 羽田→熊本空港→八代→日奈久温泉 第1日目● 日奈久温泉へ(日奈久温泉の路地裏)二年ほど前(2009年か?)のことだが、テレビで日奈久温泉の路地裏を、山頭火の服装をした人が案内している番組を見た。 そのとき以来、チャンスがあったら日奈久温泉を訪問したいと思っていた。 2012年になって、五月の連休にどの温泉を訪れるか考えたが、日奈久ともう一ヶ所訪れる訪問先を人吉とし、いろいろと思案をこらした。 1月末の航空機の予約時期には、次のような旅のスケジュールが完成した。 見所は
熊本空港から日奈久温泉に行くには、本数の少ない「すーぱーばんぺいゆ号」というシャトルバスが唯一の交通機関で、熊本市経由で八代に行くのはとても時間が掛かる。 で、JALの早めのフライトを予約したのだが、羽田までがしんどかった。
マイクロバスのすーぱーばんぺいゆは快適で、所定の時間に八代駅着。 ここからタクシーで日奈久温泉には正午前に着いた。 このページのTop ● 日奈久温泉公衆浴場巡り日奈久温泉には、公衆浴場が5軒ある。日奈久温泉センターばんぺい湯の中に大浴場と本湯、他に東湯、西湯、松の湯の5ヶ所で、ばんぺい湯の中の大浴場は食堂や休息所も設置されていて別棟の本湯(公衆浴場)とは別料金になっている。 本湯ばんぺい湯公衆浴場はぱんぺい湯の裏手から入る。裏に回る途中には日奈久温泉の歴史を語る「壱号泉」のモニュメントなどがあった。 本湯は受付タイプの番台で、脱衣場は大型のコインの戻るタイプのコインロッカーと脱衣用棚があり、浴室内部はタイル張りで、結構な大きさの二連の浴槽には数人の先客がいた。 お湯に浸かると、無色透明でぬるめのお湯は肌にやさしく、わずかにぬるすべ感があり、早朝から急いできた身体にお湯がじんわりとしみ込んで来た。 このページのTop ばんぺい湯 大浴場裏の本湯から表側に戻り、一階の受付で入場料金を払う。70歳以上割引というのがあった。
食事が先か?入浴が先か?という選択に悩んだが、家人は食事のみというのでひろさんはメニューを決めて厨房に頼んだままお風呂場に行った。 脱衣場にはコインロッカーがあり10円で使える。 浴場はタイル張りで、L字型のメインの浴槽と窓の外には露天風呂、他にサウナ室と水風呂がある。 お湯はぬるめの無色透明のアルカリ性単純泉で、温泉分析書によれば、いくつかの源泉の混合泉とある。 やわらかなお湯は本湯と変わらなかった。 お風呂に入って桑庵に戻ったらまだ頼んだ昼食が出来ていなかった。 さんざん待った末に頂いた昼食は下記。 待った甲斐があったのかあっさり目のスープが気に入った。 食事を終えて、再度共同浴場巡りへ。 このページのTop 松の湯ばんぺい湯の前を通っている薩摩街道を西に4〜5百メートル歩くと松の湯がある。松の湯は民営の公衆浴場で、創業は昭和7年とのこと。 番台は浴舎からは独立しており、浴舎に入ると脱衣場と浴室が一体になった形式で、浴室は脱衣場から三段ほど下に下がっている。 こういった形式は古い共同浴場などに多く、昭和初期の形のまま今に引き継がれたらしい。 浴室はタイル張りで、浴槽が二槽あり、源泉の湯口があるのが奥のやや小さめの浴槽。 手前の浴槽はやや大きめで5〜6人が入れそう。 全体的にぬるめのお湯で、なめらかな肌触り。わずかにヌルすべ感。 この雰囲気にうれしくなってしまう。 このページのTop なまこ壁の村津邸松の湯を出て、西湯に入ろうと思ったが午後の開場は14時からなので、ばんぺい湯の前を通って村津邸のある地区に向かった。いろいろの角度から写真を撮るが赤丸ポストを入れ、路地を入れ、白壁を入れた上におばあさんの歩く姿を入れた『まち歩きガイド本』には敵わないことが判った。 このページのTop 東湯午後2時になったので東湯に行く。村津邸の前の路地を入ったところにある。 2時少し前から常連さんが数人待っていてほぼぴったりに扉が開いた。 東湯は番台形式の銭湯で、昔のイメージが残っていた。 番台が脱衣場の方を向き、脱衣棚も木の棚で、浴室はタイル張り。 新しい物は、洗い場の混合栓のシャワーぐらい。こういうイメージは大好きだ。 お湯は単純温泉で入って感触が良く、掛け流しもうれしい。 ばんぺい湯と同じ系統の混合泉。 入浴もそこそこにして西湯に戻る。 西湯西湯も典型的な銭湯。規模は東湯とほぼ同じで、先客の常連さんも、住居の場所でどちらかを選んでいるようだ。 二人いた先客にいろいろ聞かれた。 銭湯巡りが趣味だというと撮影に協力してくれた。 このあと、日奈久温泉街案内人の会の人に古い旅館を案内してもらうことになっているという話をしたら、案内人に知っている人がいるとのこと。 このページのTop ● 日奈久温泉街案内人の会 Tさんの街案内(日奈久温泉街案内人の会の二人)日奈久温泉街案内人の会に街案内をお願いしたらOKが出た。 希望内容は、モデルコースでなく、古い建物の旅館を数軒選んで、内部を見せてもらう、という希望で、2時半に、この日私たちが泊まる予定の旅館泉屋のロビーで落ち合う予定。 約束の時間に現れた方は二人だったが、内一人は簡単な打ち合わせの後所用でお帰りになりもう一方の方がわがままな希望を叶えてくれた。 ルートは、金波楼→柳屋旅館→新湯旅館→温泉神社→旅館幸ヶ丘というもの。 日奈久温泉街案内人の会ところで、「日奈久温泉街案内人の会」とはどういう会か?。同会は肥薩おれんじ鉄道の開業に併せて平成17年に発足したとのこと。 発足当初は「日奈久街並み観光ボランティアガイド」と称したが、平成18年に「日奈久温泉街案内人の会」と改名し、約20名で活動中。 このいきさつは下記のページに詳しく書かれている。 くまもと元気モン!(2009年9月10日) では、案内人Tさんの案内スタート!!! 金波楼金波楼は創業が明治43年(1910年)の木造三階建ての温泉旅館で、現存する九州最古・最大級の木造旅館として平成21年4月に国の有形文化財に登録された。日奈久温泉街案内人のTさんは玄関で交渉し、案内を請う。 社長直々の案内で、先ずお風呂場に案内され後は係の人によって大広間へ。 館内は明治以来の贅を尽くした日本建築の良さと匠たちの技が詰まっていて大感激だった。
金波楼ホームページ 感激しながら金波楼を辞して柳屋旅館に向かう。 このページのTop 柳屋旅館柳屋旅館は日奈久いこいの広場に面しており金波楼から数分の距離。
柳屋旅館は明治22年(1889年)の創業で金波楼より20年近く古い。 木造二階建ては健在で、ここはおかみさんが応対してくれた。 創業当時からあるお風呂場は大理石製で、二階には広間の天井や欄間、障子の桟などに珍しい物が多かった。 このあと、日奈久温泉センターの隣の新湯旅館経由で温泉神社に行った。 このページのTop 温泉神社温泉神社は日奈久温泉センターばんぺい湯の裏側に当たり、結構階段を上らなければならない。急な階段の下は階段を観客席にしたイベント会場があり、相撲大会などが開かれるとのこと。
急な階段をようやく上り、有明湾を見下ろしたが、雲仙の山並みや普賢岳などは雲に隠れて見ることが出来なかった。 旅館幸ヶ丘温泉神社の真下の旅館幸ヶ丘が最後の訪問先。三味線の音が流れ、おかみさんがお稽古の最中とのことだったが声をかけ、お風呂場を見せてもらう。
旅館幸ヶ丘は昭和33年創業の二階建ての和風旅館だったが現在は旅館の営業は中止し、日帰り温泉のみ受け入れているとのこと。 浴場は、脱衣場と浴室が一体型の浴場で、湯口から大量のお湯が浴槽に流入している。 独自源泉で、かなり強い硫化水素臭がしており、是非入ってみたくなった。 ここのお湯は、共同浴場のお湯と異なり、湯温も高く、鮮度も良く、最高の入り心地で、しかも、浴室の床や浴槽は石造りであった。 街案内人のTさんとは、旅館泉屋まで送ってもらい旅館のロビーでお別れした。 約2時間のガイドご苦労さまでした。 このページのTop ● 旅館泉屋この日予約してあった旅館泉屋も昭和2年創業の木造三階建て老舗旅館で、館内のそこかしこに歴史を感じさせる造作が残っていた。
泉屋のお風呂旅館泉屋には男女別にそれぞれ内湯が一つずつあり、日替わりで入れ替わるので宿泊客は二つのお風呂を楽しむことが出来る。(仮に浴室Aと浴室Bと呼ぶ)
適温の、肌に優しいお湯で、刺激が少なく、無色透明。1時間半でお湯が入れ替わるような流入量の掛け流しと表示してある。 お湯は独自源泉で、温泉分析書によればナトリウム−塩化物温泉(低張製・弱アルカリ性・高温泉)で湯温は44.8度。 どちらのお風呂場も裏庭に面しているのだが、ガラスに半分ほど目隠しをしてあり、覗いてみると道路一本を隔てて金波楼の三階建て建物が迫っていた。 泉屋の夕食泉屋の夕食は一階の厨房に近い個室。主な料理は以下の通りで、赤ワインのグラスはサービスかネット予約のたまものか?。 他に、ハマグリのお吸い物とデザート。 年寄りにはとても食べきれなかった。 このページのTop 第2日目● BAR 千扇 のおはぎ(BAR千扇のおはぎ)日奈久名物は竹輪とおはぎと竹細工という。 とらやさんの天ぷらは昨日の街案内人のTさんの案内の際に購入し、試食もさせてもらった。 竹細工は桑原竹細工店さんで竹の割り箸を購入した。 ところが、BAR千扇さんのおはぎは、店の場所を見つけたものの午前中に売り切れとのことであった。 翌朝6時前に起きて午前6時と同時にバーの戸を開けた。 中は真っ暗だったが、できたてのおはぎが並んでいるので声をかけると、オーナーが中から顔を出した。 写真を撮らせてもらってお話しを伺った。 写真はインターネットのホームページに載せるかも知れないと話すと、髪のほつれを気にしたのかバンダナで覆ってモデルになってくれた。 バーは40年営業したが営業を止め、好きなおはぎ作りで貢献したいと、毎朝3時前に起きておはぎを作り、パックして一休みするという。 どうも幕開けの客だったようだ。
旅館泉屋に戻り、朝食前におはぎを頂く。 大きなおはぎが二個詰まったパックは1パック100円。 甘い餡がうれしかった。 このページのTop ● 日奈久温泉の赤丸ポストと山頭火の俳句日奈久温泉は古い土地柄だし、日奈久温泉を紹介する写真には必ず村津邸と赤丸ポストが写っている。訪問する前から、赤丸ポストはいくつかあるに違いないと思っていたので、八代から乗ったタクシーの運転手に聞いてみたのだが要領を得なかった。彼は日奈久温泉営業所の同僚に無線で聞いてくれて、日奈久温泉駅にあるということが判った。 実際に日奈久温泉の表通りや裏通りを歩いてみて、さらにもう一基が日奈久温泉センターの前にあったのでここに三基の赤丸ポストを並べてみる。 山頭火の俳句は旅館の前や他の店先などに思い思いに掲示されていた。 このページのTop ● 人吉へ肥薩おれんじ鉄道からJR肥薩線を乗り継いで人吉に行くため、泉屋のおかみさんに早めの朝食をお願いし、日奈久温泉駅まで送迎をお願いする。
日奈久温泉駅には期待通り赤丸ポストがあった。 日奈久温泉駅は地元の女性二人がスタッフとして運営していた。
熊本行き肥薩おれんじ鉄道車両は一両編成でさして混雑していなかった。 短い日奈久温泉の滞在が終わった。 日奈久温泉と人吉 湯巡りの旅 2012(後編 人吉編)へ このページのTop
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