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全国秘湯巡り・長野

信州・別所温泉と鹿教湯温泉

(今回の旅は1泊2日です)
第1日目・東京→上田→別所温泉→鹿教湯温泉
第2日目・鹿教湯温泉→海野宿→上田→東京

第1日目

第1日目・東京→上田→別所温泉→鹿教湯温泉

(鹿教湯温泉・五台橋)
五台橋 2003年の梅雨明けは例年より遅い。

通常だと、7月20日が梅雨明けだが、まだ肌寒い日が続いている。

ところが、上田から別所温泉に向かう車中で、雲の合間から夏の太陽が顔を出し、別所温泉駅に着いたときには、蒸し暑さで汗が噴き出す陽気になっていた。

(上田電鉄)
(別所温泉駅)
上田電鉄車両
別所温泉駅

別所駅に荷物を預け、地図をもらって最初に訪れたのが共同浴場の「大湯」。
およそ10分足らずの散歩だが、紫陽花が盛りだった。

大湯は、脱衣場もゆったりしており、浴槽が広い。
また、露天風呂も付いており、女性の駅長さんの推薦するだけのことはあった。

(大湯)
(大湯の浴槽)
(大湯の露天風呂)
大湯 大湯の浴槽 大湯の露天風呂

大湯の前に「葵の湯」という飲用温泉があった。
滑らかなのどごしの湯だった。

大湯から北向観音に向かう。
歩いて4〜5分の距離で、観音堂の脇から入る。
立派な古い本堂で、回廊には奉納された絵巻物など。
境内の鐘楼は袴付きだった。

(北向観音)
(鐘楼)
北向観音
鐘楼

(愛染かつら)
愛染かつら 鐘楼の隣りに愛染かつらがあった。樹齢1,200年ほど。

木の肌がイチョウに似ていたが葉っぱが全く違う。

「愛染カツラ」の名前は、参道の反対側にある愛染堂からだが、第一回直木賞を受賞した故川口松太郎(1899-1985)の『愛染かつら』(日活映画)がこの名をひろめたのか。
そのため今でも縁結びの霊木とされているとのこと。

北向観音の門前の商店街からメインストリートに抜ける。
川のほとりに新しい温泉飲み場が出来ていた。「慈覚大師之湯」という飲用温泉。
北向観音の手洗い場には「慈悲の湯」があふれていたので、飲用温泉は3ヶ所目。

(慈悲の湯)
(北向観音手洗い場)
(慈覚大師之湯)
慈悲の湯 北向観音手洗い場 慈覚大師之湯

別所温泉の共同浴場は「大湯」の他に、「大師湯」と「石湯」がありどちらも歩いてすぐ近くだった。
今後の行程も考えさすがに入ることが出来なかったが建物は魅力ある佇まいだった。

(大師湯)
(石湯)
大師湯
石湯

信州ソバの昼食を摂り、安楽寺の国宝「八角三重塔」を見た。

ひっそりした山懐に囲まれた安楽寺の脇の杉林を登ると見事な三重塔がそびえていた。

(国宝・八角三重塔)
八角三重塔

安楽寺から山裾を廻って常楽寺に着く。
常楽寺には重要文化財の石造・多宝塔がある。
杉林に囲まれた中に多宝塔が保存されており、鎌倉時代のものという。

(常楽寺・本堂)
(常楽寺・重文・石造多宝塔)
常楽寺・本堂
常楽寺・重文・石造多宝塔

歩いて10分ほどで別所温泉駅に戻る。

次の予定は、下之郷駅での乗り換え。
千曲バスの上田発・鹿教湯温泉行きのバスは、大半が丸子町経由だが、1日に2本だけ「生島足島(いくしまたるしま)神社経由」があるとのこと。
生島足島神社は下之郷の駅前なので、ここで乗り換えられる。

電車に乗ったと同時に激しい雨。
まだ梅雨は明けきっていなかった。

下之郷駅でもしばらく雨宿りして、駅前の生島足島神社に向かう。

下之郷駅は生島足島神社の後ろ側で、神社の正門は本殿の左右に2つあった。
この神社は、武田信玄の「戦勝願状と社領安堵状」(国の重要文化財)と部下の武将達の「起請文」(国の重文)が遺されており観光バスが次々と見物客を運んできた。

(生島足島神社本殿)
(天然記念物の欅)
生島足島神社本殿
天然記念物の欅

鹿教湯行きのバス停は神社前。
鹿教湯までおよそ30分ほどだった。
今日の宿「斉北荘」は、旅館街の入り口で、クアハウスに近い。

荷物を下ろし、家人は昼寝、ひろさんは共同浴場の「文殊の湯」に向かった。

(文殊の湯)
(文殊の湯・浴槽)
文殊の湯
文殊の湯・浴槽

文殊の湯は「五台橋」のたもとにあって、内村川に面しており、対岸には文殊堂や温泉薬師堂等がある。

文殊の湯は料金300円(宿泊客200円)、脱衣場が広く、お湯もマイルド。しかも露天風呂がついている。

(文殊堂)
(温泉薬師堂)
文殊堂
温泉薬師堂

対岸の文殊堂と温泉薬師堂をお参りして、また文殊の湯の脇を通り温泉街を下った。

(鹿教湯温泉街)
温泉街 鹿教湯温泉は古い温泉場で、旅館の数も多い。

戦時中、ひろさんの住んでいた東京都杉並区の学童疎開を受け容れて貰った縁で、ひろさんも母親に連れられて、姉の見舞いに来たことがある。
そのときの唯一の記憶は、温泉街を横切る橋からこどもが川で泳ぐ姿を見たという記憶。

その橋はどうやら鹿教湯橋らしかったが、ここは温泉場から少し外れており、人に尋ねたくても誰も通らなかった。

昔話はあきらめて、高梨部落の共同浴場を探した。
わかりずらい場所だったが、どうやら訪ねあてて入り口をくぐる。

(高梨部落共同浴場)
(共同浴場浴槽)
高梨部落共同浴場
高梨部落共同浴場・浴場

入浴料100円。これをポスト型の箱に入れる仕組み。
浴槽にはおじさんが1人で入っており、写真を撮らせてもらう。
お湯は丁度良い湯加減で、泉質はマイルド。

ただ今朝からの疲れと、次の予定があることでもあり長湯は出来なかった。

斉北荘に戻り、家人と近くのクアハウスへ。
鹿教湯は全国でも珍しく、温泉場全体がリハビリなど科学的「湯治」に取り組んでいるという。
「リハビリテーションセンター鹿教湯病院」に温泉療法医とリハビリ専門技術スタッフが居り、訪れる患者の治療に当たるという。
医師から温泉療法指導書を受け取った患者は「クアハウス鹿教湯」に通う。
患者用の低カロリーメニューと長期滞在用料金体系が鹿教湯を支えている。

(クアハウス内部)
(クアハウスの温水プール)
クアハウス内部
クアハウスの温水プール

いろいろのメニューを試し、疲れでくたくたになって斉北荘に戻った。
雨が本降りになり、梅雨が未だ空けていないことを証明した。

食事をしたが、斉北荘の風呂に入る元気は残っていなかった。

翌朝、温泉に浸かり、玄関の写真などを撮った。

(斉北荘玄関)
(斉北荘の浴場)
斉北荘玄関
斉北荘の浴場S

チェックアウトの時、おかみさんに、戦時中の状況を知っている人に心当たりはないかと訊ねてみた。

ひろさんが戦前通っていた杉九(杉並第九国民学校)の4年生以上の学童疎開は鹿教湯温泉で、ひろさんの姉も此処に来ており、小学1年のひろさんは母親に連れられて鹿教湯にきたことがあった。

おかみさんは、自分の母親が斉北荘の下に住んでおり、「戦時中寮母をやったことがある」という話を聞いたと云い、お母さんを電話で呼んでくれた。

斉北荘のおばあちゃんの斉藤智恵子さんは、大正8年生まれで、20歳の時、親戚の中村屋旅館に東京杉並区の児童が疎開してきており、児童の面倒を見てくれと頼まれ、寮母を引き受けたという。
中村屋旅館には杉七(杉並第7国民学校)の3年生から6年生までの児童が来ていたとのこと。

当時が懐かしく、杉七のカサイ先生とはいまだに交流を続けているとのこと。

杉九の児童がどの旅館に居たか記憶が無く、聞ける人もほとんど残っていないとのことであった。
バスの時間が迫り名残惜しかったがおいとました。

バスで丸子町に向かう。
上田に出るには遠回りだが、鹿教湯は丸子町に所属しており、大半のバスは丸子経由。
ただ、海野宿に行くには、大屋駅で下車して歩くことも可能だ。

ところが大屋駅でまた雨が土砂降りになった。駅でしばらく雨宿りし、小降りになったのを見計らってタクシーで海野宿に行った。

(海野宿の街並み)
海野宿 海野宿は北国街道の宿場町で、1.5キロにわたって保存されており、ほとんどの家が現役で、昔通りの生活を続けている。

海野宿歴史民俗資料館に入った。
昔(200年前頃)建てられた旅籠屋で、明治になって宿場の機能が失われると大部屋を利用して養蚕を始めたとのこと。
現在もいろいろな道具が残っており、蚕を飼っていた。

(消防ポンプ)
(蚕)
消防ポンプ
蚕

多くの家は土産物屋か甘味、ソバなどの食堂に変身し街並みを維持していた。

(大嶋屋のおかみ)
(街並み)
大嶋屋のおかみ
街並み

雨が上がって陽が差した。大屋駅に徒歩で戻っても15分ほどだった。
来合わせたしなの鉄道に乗って上田に着いたら、所定より前の新幹線に間に合う時間だった。

今回の旅もいろいろのお湯に浸かってリフレッシュできた。


(若干の情報)
場所電話
上田バス
0268-22-1504
別所温泉観光協会
0268-38-3510
鹿教湯温泉観光協会
0268-44-2331
斉北荘
0268-44-2417
クアハウスかけゆ
0268-44-2131
東部町観光協会
0268-62-1111



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