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横浜 そごう美術館の鈴木信太郎展
横浜ポルタは35周年横浜駅とそごう百貨店や横浜スカイビルのYCAT(横浜シティーエアターミナル)を結ぶ横浜ポルタは35周年記念のイベントを行っていた。そうか、もう、35年にもなるのか。コンコースの柱には鈴木信太郎展のポスターが貼ってあって期待を持たせてくれた。 そごうの店内に入って、エスカレーターで6階に急ぐ。 そごう美術館の鈴木信太郎展入手したチケットで入館した。入館してからは撮影禁止だったが、カメラを背中のデイパックに入れれば預けなくて結構とのこと。 例によって美術館や博物館の観覧は撮影禁止が多い。見た際の感動をどのように伝えたらよいのか?。そごう美術館の場合、美術館前の展示は撮影可なのでこれを大写ししたい。 美術館前とポルタのポスターの絵は、「像と見物人」という題名の絵だがサーカスの様子を描いた大作で、サーカスのショーの様子をおもしろおかしく見せている。 中に入ってまず目を惹いたのが「靴屋」という大作。靴屋のショーウインドウ越しに婦人靴を丁寧に並べた様を描いているのだが、丁寧なわりに大ざっぱな婦人靴の描き方はまさに秀逸で、ショーウインドウの中の背景は赤、黄、ピンクなど鮮やかな色だが全体は緑色系にまとまっている。奥に見られる店番の店員の足が妙になまめかしい。(映像なし)。 鈴木信太郎は戦前から戦後にかけて二科展を中心に活躍した。 ほのぼのとしたあたたかさと、無造作なようでいて周到な全体構成、美しくてしぶい色、稚拙なデッサンなどの特徴を持つ絵は安心して見ることが出来て、ずっと好ましい画家として関心を持っていた。 大作の多い展示場をゆっくりとまわった。 鈴木信太郎の生い立ちや、作画の場所、方法などを解説した文字の展示もゆっくり読んでみた。 以下はそごう美術館の出口にある売店の絵はがきのコピーだが、この展覧会ではどういう絵が展覧されていたかを知っていただくために掲示する。 今回の展覧会はそごう美術館のコレクション展だが、油絵が80点の他、水彩やスケッチブックなども展覧され見応えがあった。 また、2015年のノーベル医学賞を受賞した北里大特別栄誉教授の大村智さんのコレクションを展示している韮崎大村美術館から6点の鈴木信太郎の絵画が特別展示されていた。 昭和36年のニュートーキョービール祭りと絵皿突然だが話は50年以上も前に遡る。ひろさんが社会人になった昭和36年(1961年)は、数寄屋橋のニュートーキョーのビール祭りが始まってから2年目の年で、無料の絵皿のデザインは鈴木信太郎だった。 その当時はまだ現在ほどビールは一般的な飲料になっておらず、銀座にはライオンビアホールとニュートーキョーとがあったが、百貨店などの屋上ビアガーデンは一般的ではなかった。 ビアホールを宣伝するため、5月の初めにビール祭りを開催し、来客に絵皿を進呈するというビール祭りは画期的な催しで、社会人になったばかりで、何日か通ってみた。 そこでいただいたのが下記の三枚の絵皿で、昭和35年の第一回の棟方志功、第三回(昭和37年)の宮本三郎、第四回(昭和38年)の杉本謙吉各画伯などの絵皿と合わせて22枚ほどの絵皿が我が家にそろうことになった。 (三枚の絵皿のうち、フランス人形の絵皿は昭和43年にゲットしたもので、この年は有名画伯5人の競演だった) (ニュートーキョー数寄屋橋本店は再開発のため2015年2月に移転しています) これらの絵皿の描き方は、そごう美術館の今回の展示でも何枚かの絵に重ねて見ると、鈴木信太郎の本質に迫ることが出来よう。特に人形は鈴木信太郎の絵のモチーフでも重要な対象物だし、紫陽花も数枚の絵が展示され、とても印象がよく似ていた。 ニュートーキョーのホームページ 昼食はルミネビル地下道を通り、横浜駅ビルのルミネに入る。7階のレストラン街に行く。入った店はパスタが中心の店だったが、良い店とは言い難い店だった。 パスタが茹ですぎのほか、絡めたソースは塩味が濃く、とても本欄で紹介する気になれるものではなかった。 この半日の横浜行は昼食のせいで疲れたものとなったが、そごうが大量の鈴木信太郎画伯のコレクションを持っていることがよく分かった。 |
(若干の情報)
場所 | 電話 |
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