クラシックCD感想記:ひとりごと編(2008年8月より以前のもの)

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ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第28番、第29番「ハンマークラヴィーア」
 内田光子(pf) 
 フィリップス 2007年 4758662

2006年録音のピアノ・ソナタ第30〜32番に続く内田光子のベートーヴェン・ソナタ集第2弾ディスク。 両ソナタとも驚異的な名演だと思う。

このベートーヴェンはかなり個性的な造型スタイルであり、全体に内田光子の演奏者としての 主観性が強烈に反映されている。テンポひとつとっても、遅い部分と速い部分のメリハリが際立っているが、それでいて ステレオタイプな運用感からは遠く、いわゆる類型的な緩急展開とはなっていない。よって表現の真実味が高く、演奏者 の、こう解釈したいという表力な表現意欲が音楽に満ち溢れんばかりだ。深みのある弱音、気持ちのこもり切ったような 強音の張り。

両ソナタとも聴いていて音楽にグングン惹きこまれるが、わけても終楽章が抜群にいい。28番ソナタのフィナーレにおいては序から主部に入るくだりの、つまり(3:22)以降のストリンジェンドからメインテーマが導かれるあたりの音楽の表情が、 まさに喜悦の極みでありながら、それが少しもわざとらしくなく、素晴らしいとしか言い様がない。29番ソナタの フィナーレにおいては主楽想のフーガ以降の表出力が超絶的であり、これも迫真の表現としか言い様がない。

ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集「四季」、ヴァイオリン協奏曲集作品12第1番
 サラ・チャン(vn) オルフェウス室内管弦楽団
 EMIクラシックス 2007年 3944312

これほどロマンティックな「四季」の演奏は、ちょっと覚えがないほど。サラ・チャンのヴァイオリン・ソロは妖艶な までに音色の立った弾き回しから繰り出されるロマン味たっぷりのフレージング展開に特徴がある。全体にヴィブラート が積極的に多用され、テンポ変化も闊達。それも、例えば「春」第1楽章(2:17)からのように、極端なテンポ・シフトも 随所に聴かれ、ポルタメントの大胆な強調(特に「夏」の終楽章がものすごい)とともに、およそバロック音楽的では なく、それが新鮮で面白い。

韓国系ヴァイオリニストと室内オケとの組み合わせによる「四季」というと、 同じEMIから出ているチョン・キョンファとセント・ルークス室内管のディスクが連想される。 しかしこのサラ・チャン盤は、そのキョンファ盤とは音楽の雰囲気がかなり異なる感じがする。 ボウイングの性質の差も大きい(キョンファ盤はドラマティックの極みで、 サラ・チャン盤はロマンティックの極み)が、決定的に異なるのは、キョンファ盤が完全にソロ主導型の演奏なのに 対し、このサラ・チャン盤はそうではなく、むしろオーケストラ主導的な演奏となって入る点だ。

このサラ・チャン盤の演奏では、オルフェウス室内管のアンサンブルのインパクトがソロのそれをも凌駕するような局面がかなりある。例えば「春」第1楽章(1:46)からのエコー効果の鮮やかさ、「冬」第1楽章冒頭の魔術的な音彩の湧出などで、いずれも素晴らしい。両盤の比較としては超弩級のソロ演奏を擁するキョンファ盤に軍配をあげたいが、このサラ・チャン盤はソロ・プラス・オーケストラの総合力でキョンファ盤にも肉薄するほどの名演だと思う。

ブラームス 弦楽四重奏曲全集、ピアノ五重奏曲
 エマーソン四重奏団、レオン・フライシャー(pf)
 グラモフォン 2005年(四重奏2番・3番)、2006年(ピアノ五重奏)、2007年(四重奏1番)477-6458

リーダー(第1ヴァイオリン)は四重奏1番とピアノ五重奏がドラッガー、四重奏2番・3番がセッツァー。

四重奏第1番は、第1楽章から細めのキビキビした、テンポ感の良いアンサンブル展開で、込み入ったフレーズに対する 抜群の技巧性といい、フレージングの切れにのきなみ充実感がある。しかし、作品が作品だけに、これらの個性が 深みに必ずしも直結しないような印象も受ける。

全体に音色の強さが希薄で、展開部の(6:10)あたりのヴァイオリンの叫びなどちょっと大人しいし、(6:32)前後のクライマックスも、アンサンブルの厚味不足と熱感不足で、さらっと過ぎてしまって味気ない。第2楽章も緻密なタッチで繊細な音色の美感を大事に進められるが、その美しさが外面的な地点に留まるような印象を拭えず、後半の2つの楽章にしても、アンサンブルは巧妙に練られているのに、全体にフレーズの彫りが浅く、個々の音色に強烈感がそれほど乗らないため、聴いていて表面的に音楽が流れていくような物足りなさを覚えてしまう。

四重奏第2番は、リーダー交代の影響ゆえか、第1楽章冒頭の主メロディの歌いだしなどを始め、1番のときよりもリーダー主導性がやや増している感じがする。しかし表情自体は1番とおおむね同様で、全体にヴァイオリンの闊達な旋律展開に対して、下声部ことにチェロが響きが薄いのが気になるし、ブラームスとしても、どうなのだろう。四重奏第3番は、第1楽章展開部の(5:50)あたりなど、アンサンブルの畳み掛けの迫力が凄いが、全体的にみると、技巧の冴えの割りに感銘がいまひとつ弱い。ピアノ五重奏は全体にフライシャーのソロの、強音のつよさに物足りなさがあるものの、ソロとアンサンブルとの緊密な掛け合いの度合いが素晴らしい。ことに第1楽章コーダや第3楽章の(2:42)あたりなど、切れ味の鋭さが非常にいい。

シューマン ダヴィッド同盟舞曲集&モーツァルト ピアノ・ソナタK330 &ショパン ノクターン15番・16番、バラード第3番
 片山敬子(よしこ)(pf)
 ライブノーツ 2006年 WWCC7545

このソロ・アルバムは、全曲とも素晴らしい演奏だと思う。

最初のシューマンだが、この曲のイメージを見直すほどの名演! 最初のクララ主題の躍動感からして並でなく、 すべてのタッチにみずみずしい音色の精彩が際立つ。とりわけ第1部の3曲めの愉悦、4曲めの急迫、5曲めの やすらぎ、6曲めの激情と、この一連の流れに聴かれる表情のコントラストは 最高だ。第2部4曲めは全体の白眉で、音楽の訴求力がたまらなく強い。同じく8曲めの終盤での、火のような アッチェレランド! 

続くモーツァルトも絶品。1楽章冒頭からテンポの活きていること、音の立っていること。 全編にピアニズムの愉悦が充満する。ショパンは、ノクターン15番で、序盤こそややスロー・テンポを強調 し過ぎか、と思っていると、中間部の猛烈な白熱ぶりが待っていたり、表情に予断を許さない。バラード3番も 素晴らしく、聴いていて圧倒される思いだ。

J.S.バッハ インヴェンションとシンフォニア、4つのデュエットBWV801-805
 エヴァ・ポブウォツカ(pf)
 ビクター 2006年 VICC-60555

2声の曲(インヴェンション)と3声の曲(シンフォニア)が分離収録されているが、これだと 楽曲相互のコントラストがどうしても弱くなると思う。それより問題なのは、演奏タイムの記載が全く無いこと。 廉価盤ならともかく、フル・プライス3千円のCDにしてこれはちょっとヒドイのでは?

演奏だが、この作品集の演奏としては、あまりピンとこない気がする。エヴァ・ポブウォツカは、 ポーランド生まれのピアニストでショパンが メイン・レパートリーであり、またフィールドのノクターン全集の世界初録音でも知られるのだが、このバッハは、 ほどほどに表情的で、ほどほどに緻密という中途半端。音は美音一辺倒で、総じて和音が軽く、重みがない。 特に気になるのは高音偏重主義で、バッハに合わない。シンフォニア9番のクレッシェンドなど、いかにも表面的で 深みがない。

しかし最後のシンフォニア15番だけは、なぜかかなり良い。タッチの切れ、ダイナミクスなど、 これまでと段違いだ。そして4つのデュエットも同様に、かなり良い感じがする。 この調子で最初から演奏していれば、、と思うのだが。

ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」、交響曲第7番
 ドゥダメル/ベネズエラ・シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ
 グラモフォン 2006年 UCCG1345

ベネズエラ出身の若手指揮者グスターヴォ・ドゥダメルのデビュー・ディスク。

5番は第1楽章冒頭から音の勢いが めざましく、音楽に豪壮な感触が強い。ことに引き締まったフォルテを中核に発散される演奏のヴァイタリティは 素晴らしく、コーダでの、腰を落としたアンサンブルの強力な鳴動感! 第2楽章はかなり濃密にカンタービレを 描き分け、第3楽章も豪放な中にも理性的な緻密さを感じさせるようなアンサンブルの練り上げ。終楽章は冒頭から 音を鋭く切って威勢良く、コーダまでパワフルに駆け抜ける。

非常にすがすがしい演奏ではあるものの、深みとなると どうだろうか。いまひとつ弱い感じがする。ひとつは、全体にパワフルな鳴りっぷりの割りに響きがどうも軽いと いうか、量感がいまひとつで、ここぞと言う時の質感的な集約に、やや難ありと感じる。もうひとつはアンサンブルの 音色の質で、常に明彩感が先立つような色合い。音楽の深刻味に対していまひとつ調和しない感じがしてしまう。

7番の方は5番よりも演奏の個性と音楽の一体感がより強く、第1楽章から管の音彩の鮮やかさがより強いし、 第2楽章も表情の翳りこそ薄いもののバスを中心に響きの味が濃い。第3・第4楽章も若さにあふれた快演、ことに フィナーレはかなり荒削りながら音楽の勢いがものすごい。

チャイコフスキー 交響曲第4番、第5番、第6番「悲愴」
 パッパーノ/ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団
 EMIクラシックス 2006年ライブ TOCE-55928-29

アントニオ・パッパーノのオーケストラ指揮者としてのデビューディスク。3曲とも名演だ。

4番の第1楽章冒頭の金管の ファンファーレの鳴りっぷりのいいことや、最初の強和音の打ち込みの強烈なことときたら、ここだけでもう 嬉しくなるほど。長めのルフトパウゼ後の、(1:27)からの第1テーマには豊かなバスに支えられた表情の強さが あり、(5:33)からの第2テーマ部は、木管の主メロディをくまどる弦のふくよかな音色が印象的。展開部以降も弦パートの 響きの冴えはさらに増し、ことに(12:46)あたりの、金管のダイナミックなファンファーレとともに奏される、高弦の キュルキュルという律動の鮮烈感。以降も弦を中核とする響きの強さが曲自体の熱感とよくシンクロし、コーダまで 一気に聴かせてしまう。中間2楽章も、時に悩ましげな、時に喜びを弾ませたような、アンサンブルの旋律展開の 切り出す表情にグッとくるものがあるし(ことにチェロ・パートの音色の豊かさは格別)、終楽章も、冒頭から 推進力バツグン、終曲までアンサンブルの活力が常にみなぎり、その迫力は素晴らしい。

敢えて難を言うなら、 質感面で、ズドンとくるような強烈な叩き込みがいまひとつ大人しい感がある。このあたりは多分に感覚的な領域だが、 アンサンブルの質量感というような側面に、もう少し充実の余地が残されているような気がする。5・6番も同じ スタイルの名演。一貫的に豊かなバスの支え、そしてクライマックスでの、高音弦を起点に発する熱感のほとばしりが 印象的だ。

シューマン 交響曲第2番、交響曲第4番、ゲノヴェーヴァ序曲
 シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
 デッカ 2006年 4758352

交響曲の2曲はいずれもマーラー版が用いられている。シューマンの交響曲のディスクはこれまで無数に購入 しているのに、「マーラー版」を銘打ったディスクとなると、それまでチェッカート指揮ベルゲン・フィルの 交響曲全集(BIS)しか持っていなかった。

最初の交響曲第2番は、冒頭の出だしが、トランペット・ソロのみで開始され、シューマンによる本来の、ホルンと トロンボーンの重ねがけが除かれている。またアレグロの主部も、弦とトランペットのみで提示され、シューマンの スコアによる木管の重ねがけは除かれている。要するにマーラー編曲というのはオーケストレーションの合理化に 最大の狙いがあるのだが、このシャイー盤の演奏は、その編曲効果を効果的に生かしたようなアンサンブル展開に 妙味があり、聴き慣れたはずのシューマンの音景がかなり新鮮に響く。

さらにはマーラー編曲とは別に、演奏自体の充実感も素晴らしい。 第1楽章で言うなら主部を導入する(2:27)からの高弦の放つ鮮烈感など抜群だし、(7:03)から 再現部までの盛り上がりも燃焼力に満ちている。(7:56)あたりの木管のびっくりするような生彩感などもすこぶる 印象に残るものだ。

以下の楽章、および続く第4シンフォニーも含め、全体に言えることは、マーラー編曲の効果プラス演奏自体の 充実度の高さに由来する、くっきりとして鮮やかな音響展開の醍醐味が十全に表現されている点で、それが 音楽にフレッシュな感興を呼び込ませている。

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番&ベルク ヴァイオリン協奏曲
 大植英次/ハノーヴァー音楽大学管弦楽団 ビエロフ(vn)
 ハノーヴァー音楽大学自主制作 2006年ライブ HMTH0514

大植英次が指揮課終身教授を務めるハノーヴァー音楽大学の学生オーケストラによるコンサートのライブ録音。 アンドレイ・ビエロフのソロによるベルクのコンチェルトもなかなかの名演だが、ショスタコの5番が素晴らしい。

第1楽章冒頭からしばらくはやや抑制のかかったアンサンブル展開という感じで、丁寧ではあるが感興や面白味に いまひとつ欠ける嫌いがあるものの、展開部あたりから俄然アンサンブルにエンジンがかかってくる。高弦の切迫した 強奏、それを迎え撃つ(8:18)あたりの低弦の迫力など、オーケストラの燃焼度が並々ならず、(10:47)あたりのヴァイオ リンの最強奏の刻みなど、その断末魔的な響きに圧倒されしまうほど。第2楽章はバスを存分に効かせたどぎつさが印象 的で、要所要所の木管のソロも、決して練達ではないが闊達なフレージングで、それぞれの個性がバシッと刻み込まれて いる。第3楽章も含めて、さらっと流すようなところはどこにもない。

終楽章は冒頭の強奏の殺気だったような雰囲気 から強烈で、多少アンサンブルは粗いとしても、その真に迫る響きが素晴らしい。大植の指揮も絶好調で、(1:44)での 意表を突くようなテンポアップの鮮やかさなど、聴いていて痺れてしまうし、アンサンブルをガンガン鳴らして いながら最強奏時でさえトッティから抜けの良い響きが導出されていて、オーケストラに対する統制力が完璧だ。

マーラー 交響曲第3番
 ハイティンク/シカゴ交響楽団、ミシェル・デヤング(alt)
 CSO・RESOUND 2006年ライブ CSOR901701

シカゴ響自主制作レーベルの第1弾ディスクで、ハイティンクのシカゴ響主席指揮者就任後のシーズン・オープニング・ コンサートのライブ。ハイティンクのマーラー3番はこれが実に3度目の録音であり、それもコンセルトヘボウ、 ベルリン・フィル、そして今回のシカゴ響と、すごいオーケストラばかりだ。

それらの3つの中においても、今回の録音 は、演奏内容としてベストだと思う。冒頭の金管ファンファーレからして、壮観の極みだ。全体として金管パートや 打楽器パートを中核に響きの充実味が極めて高く、シカゴ響本来のアンサンブルのハイ・ポテンシャルがダイレクトに 発揮されているのがいい。ハイティンクの指揮はおおむね遅めのテンポ選択であり、場面によっては急迫感に欠けるが、 とにかく高音を中心としたアンサンブルの鳴りがいいので、その管弦楽的なカタルシスを心ゆくまで堪能するという点 では、理想的なテンポ設定とも言えそう。完成度の高さも相変わらずで、音層展開のキメの細かさなど、いかにも ハイティンクらしい感じがする。

またこのディスクの強力なアドヴァンテージは、音質。これはハイティンクの同曲の 3つの録音の中でも抜きん出ていいし、同じシカゴ響のマーラー3番としては、名録音と誉れ高い ショルティ指揮のデッカ盤にも肉薄する素晴らしさだ。

ブラームス チェロ・ソナタ集
 ウィスペルウェイ(vc)、ラツィック(pf)
 チャンネル・クラシックス 2006年 CCSSA24707

収録曲は@チェロ・ソナタ第1番ホ短調Op.38Aチェロ・ソナタニ長調Op.78Bチェロ・ソナタへ短調Op.120-1。 このうちAはヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調のブラームス編曲版で、Bはクラリネット・ソナタ第1番のウィスペルウェイによる編曲版。とくにBは、ヴィオラ編曲版こそ珍しくないものの、チェロ編曲版というのは初めて聴く。

この3曲は 原曲の想定音域が低・中・高とそれぞれ異なるため、チェロでそういう特徴感を出すのはなかなか難しいと思うが、 このウィスペルウェイの演奏はそういう音域的個性感がかなりナチュラルなバランスで表出されている。チェロ演奏と しての表現の強さを活かしつつ、原曲の雰囲気の名残りをほのかに匂わせるような表情というべきか。演奏そのものは 楽章単位としてみると@の終楽章が内容的に最高だが、曲単位としてはAが最もいい。このヴァージョンによる演奏と してはヨーヨー・マが1998年にアックスと録音したソニー盤(SK63229)の演奏がおそらくベストだと思うが、この ウィスペルウェイ盤も素晴らしい。マの旋律的流動力にはやや及ばないものの、強奏時のボウイングの凝縮力などは ウィスペルウェイの方がやや勝っている感じもするし、SACDの優れた音質も大きな強みになっているようだ。

ブラームス ドイツ・レクイエム
 ラトル/ベルリン・フィル
 EMIクラシックス 2006年ライブ  3653932

名演とは思うも、ラトルの、ベルリン・フィルの、という観点からすると、少し物足りない感じもする。

第1楽章から 印象的なのは声楽パートのデリケートなデュナーミク統制の鮮やかさで、例えば(3:30)あたりのソプラノのハイ・トーンの 美しさ。オーケストラも弱音の精緻な練り上げが見事だ。第2楽章は(3:00)あたりの強奏起伏など、力動感みなぎる 立派な面持ちだが、ティンパニがやや弱いのが意外。終盤の讃歌なども、金管のファンファーレが突き抜け切らなかった り、ティンパニがいまいち決まらなかったり、ラトルにしては、、、という気がする。

第3楽章はクヴァストホフのハイ・ バリトン風トーンが独特であり、オケもいい。(5:59)あたりなど密度ぎっしりだ。第4楽章は、合唱のキメが細かい。特に(3:35)前後などが印象的。第5楽章はレッシュマンの歌唱が品の良いヴィブラートで清楚な色合い。

第6楽章だが、(2:57)からの主部は高速テンポからオケ・合唱ともどもビシッとコントロールされた響きの奔流が、ドラマティックに してまばゆいばかりの威容を顕現せしめて間然としない。それでも、ラトルにしてはどこか穏健というか、もう少し 破滅感が濃くても、という気がしてしまう。

シベリウス 交響曲第1番、第3番、組曲「恋人たち」
 アシュケナージ/ロイヤル・ストックホルム・フィル
 エクストン 2006年 OVCL-00279 

交響曲第1番は、第1楽章冒頭のクラリネット・ソロの音色の、冴えざえとした美しさがまず印象深く、その余韻 覚めやらない(2:42)からの第1テーマ強奏の手ごたえも素晴らしい。気迫のこもった弦の律動に、ティンパニの震撼。

このあたり、アシュケナージの同曲の旧録音(デッカ 436 473-2 フィルハーモニア管・84年)と比べてみても、 旧盤の(2:37)からの第1テーマ強奏などを初め、全体に新録音の方が、明らかに音色の冴えと強さが勝っていると思う。 展開部から再現部の迫力もかなりのものだ。この迫力感の表出は、もしオケが手兵・N響だったら難しいのでは?

第2楽章も全般に、ことに管の、音色の素朴な美しさとしっとりとした味わいが心地いい。しかし第3・第4楽章は ちょっと印象が落ちる。アンサンブルの迫力の振り切らないもどかしさが気になり、突き詰めると、ハーモニクスの 秩序立てにやや整理不足なところがあると思う。例えば終楽章(6:18)あたりの強奏展開など、手ごたえは十分なのに、 個々のパートの響きがあまり浮き上がらず、ソノリティがボヤッとしていて、もったいない感じがしてしまう。この あたりは、旧録音(436 473-2)の方がクリアかと思えるくらいだ。

3番の方も1番の演奏とおおむね同じ感想。秀演 だが、もっと練り上げられるような気もする。

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番&ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第1番
 マツーエフ(pf) テミルカーノフ/サンクトペテルブルク・フィル
 RCA 2006年 BVCC-31093

1998年チャイコフスキー国際コンクール優勝者デニス・マツーエフの、初のコンチェルト・アルバム。 すでに出ているストラヴィンスキーとチャイコのソロ・アルバムは素晴らしい演奏だったが、このディスクでも、 ソロに関しては、圧倒的な聴き応えだ。

マツーエフのタッチは時に野性的ともいうような豪快感に富み、ことに 重低音の屈強感とド迫力という点では、まさに驚嘆すべき個性味がある。例えば、チャイコの方の第1楽章の カデンツァ、(17:42)あたりなど、まさに格別だし、同じく終楽章の(4:58)前後など、なんという迫力! またショスタコも最高クラスの名演で、第1楽章など、チャイコとは対照的に高音の量感と切れが素晴らしく、 音楽の奔放性にジャストフィットして、言うこと無しだ。

問題はテミルカーノフの指揮で、チャイコ冒頭、序奏の 強奏部から響きの薄さにガクッときてしまう。総じてアンサンブルの屈強感とか音色の強さなど、相当に物足りなく、 マツーエフの力動感とギャップがありすぎて、何かいびつな感じがするほど。もったいない。所属レーベルの関係で 難しいとは思うが、やはりゲルギエフあたりと組ませるべきだと思う。

ベートーヴェン ディアベッリ主題変奏曲、「森の乙女」主題変奏曲
 アシュケナージ(pf)
 デッカ 2006年 UCCD-1185

アシュケナージは、かつて63歳の時のショパン・アルバム(OVCL-00027)の演奏がかなり凡庸だったため、ピアニスト としての力量に関しては、もう峠を過ぎたという印象を持っていた。それだけに、このベートーヴェンのディアベッリ 変奏曲にはびっくりさせられた。

冒頭テーマからfやsfなどピリッとしたタッチの打ち込みで、フレーズが強靭な 勢いと活力に満ち、(0:52)からの第1変奏ともなると、タッチの張りがさらに冴え、充実した迫力だ。

以降においても、 例えば14変奏など、スタインウェイを鳴らし切ったような、和音強打のダイナミズムが素晴らしく、響きが部厚くて 訴求力が強い。16から17変奏に移る際の打鍵のアクティビティもすごいし、23変奏での、強和音の叩きつける ような鮮烈感! 31変奏での高音パッセージの冴えていること。32変奏の気迫もすごい。

全体に表現としては オーソドックスであり、それゆえ聴いていてギクリとするような不意打ち感には乏しいし、テクニックの面でも、 全盛期のキレから計ると、さすがに超絶味が薄れている感じもする。しかし、69歳という高齢のパフォーマンスと してみると、そのフィジカルなアクティヴィティは驚異的とも思えるし、完成度の高さといい、やはりこの演奏は 名演だと思う。

リスト ピアノ作品集
 佐藤美香(pf)
 カメラータ 2006年 CMCD-28130

収録曲は@歌劇「ドン・ジョバンニ」の回想Aリゴレット・パラフレーズBイゾルデ愛の死Cピアノ・ソナタロ短調。

佐藤美香は2000年国際ショパンコンクールで日本人最高位の6位を獲得し楽壇にデビュー、以後主にショパンを メインにレパートリーを築いてきたピアニストとのこと。しかしこのソロ・アルバムではリストに挑んでいる。

@は冒頭の、オペラ終盤の騎士長来客シーンのデモーニッシュな迫力が素晴らしく、まさに原曲を彷彿とさせるほど。 しかし(4:29)からの「お手をどうぞ」のフレーズ展開などは、ちょっと表情味が薄く、それこそモーツァルトの ソナタのような表情を期待していると、やや肩透かし気味だ。もちろんリストの様式との兼ね合いもあるので、 そのあたりが難しいのだろう、、と思っていると(14:52)からの「シャンパンの歌」のフレーズ展開は楽しい!  やはりこのくらい表情の方が、音楽がより引き立つ感じがする。

A、Bもこれらパラフレーズ作品の演奏としては、 まさに名演で、それぞれの原曲の雰囲気が聴いていて立ち込めるよう。ただ、それがゆえに、逆に作品自体の、 まがいものとしての限界性までかなり意識させられてしまうが、、、

Cのソナタも、充実感の強い演奏で、確信的な 造型の構成感と、一点の揺らぎもないテクニックの冴え。ただ、部分的にやや手堅すぎるような感じもあり、 表情立ちに物足りなさがあるし、強打音の激烈感も、何か振り切らない感じがする。作品に対する敬意が 強すぎてかえって仇になっている、という感じだろうか。

ショパン 練習曲・作品10、即興曲全曲、大ポロネーズ
 三浦友理枝(pf)
 エイベックス 2006年 AVCL-25137

最初のエチュード第1番から、高音の宝石のような音色のきらめきが素晴らしい。2番以降ものきなみ右手の 生彩がものをいう感じで、高音の切れと音立ちが抜群に良く、3番「別れ」の(2:20)〜など、陶然とさせられるほどだ。

即興曲とポロネーズも含め、完璧なテクニックを裏づけとして、ショパンの音楽の優美さと艶麗が、鍵盤から 零れ落ちんばかり。11番のアルペジオの綺麗なこと。このディスクの演奏は、過去のショパンの名演ディスクのそれ と比較しても、およそ遜色を感じないし、そういう意味で、このピアニストの才能と実力は、やはり凄いものがあると 思う。

難を言うなら左手だろうか。右手が極めて雄弁なため、それに左手が拮抗し切らないアンバランスさが、時に 露呈してしまうようなところがあるようだ。4番冒頭などそうで、生彩に満ちた最初の高音部に対して、続く低音部が かなり聴き劣る感じがする。また、造型展開が型どおりという様相からそれほど踏み出さない点も、実力からして、 もっと自己主張が強くてもいいのではないか。

マーラー 交響曲第1番「巨人」、花の章
 ジンマン/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
 RCA 2006年 BVCC-37471

第1楽章序部から弱奏ながらも色彩的なメリハリが緻密に立っていて、(2:06)あたりの木管など色合いが実に 鮮やかだ。(3:55)からの第1テーマは、それを出すチェロの響きが薄く、いかにもさりげない。後半強奏部では ティンパニの活発なアクセントが強印象で、展開部冒頭木管ソロの掛け合いはかなり濃密だ。終盤では(13:44)を境とするテンポ・チェンジが実に確信的に決まっていて、音楽の流れに素晴らしい張りをもたらしている。響きも高迫力だ。

対して、第2・第3楽章は、全体にジンマンにしては個性感を感じない。テンポの伸縮は大人しく、ていねいな運びで、完成度は高いが、いかんせんこのあたりの楽章は、そもそもの音楽の魅力に限界があり、何か突出したものが無いと退屈してしまう。

しかし終楽章はかなり個性的だ。冒頭からややおそめのテンポをてこでも動かさず、最強奏でも決して濁らない、 緻密なハーモニーのコントロールに対して、打楽器のものすごい強打が絶妙なアクセントを提供! この透明感プラス 迫力のバランスはかなり独特で、非常に成功しているように思う。

チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」
 アシュケナージ/NHK交響楽団
 エクストン 2006年 OVCL00266

第1楽章序奏部および主部はかなり美しい。木管のソロが軒並み冴えている。(2:19)からのクラリネット・ソロなど、 実に美麗だ。しかし展開部に入ると演奏が急速に色褪せていく。美麗以上の響きの陰影に乏しいためで、(5:37)か ら(6:10)までのクライマックスも、かなり生ぬるい。

第2楽章は、美演ではあるものの、第1楽章後半あたりの印象が冴えないので、その魅力も半減してしまう。 第3楽章は総じてムード調で、率直に言って退屈。しかし終楽章は、第1楽章よりもずっといい感じだ。トッティの 響きに手応えがあり、強奏が活きている。この楽章に関しては、現在のN響にしては、なかなか覇気のある演奏展開 だと思う。

ショスタコーヴィチ 交響曲第14番「死者の歌」
 アシュケナージ/NHK交響楽団、レイフェルクス(br)、ロジャーズ(sop)
 デッカ 2006年 UCCD-1187

アシュケナージとN響によるショスタコのシンフォニーとして13番と同時リリースされたもの。ただしこちらは ライブ録りではなく、収録年も13番から6年後となっている。

しかし演奏内容は、やはり良くない。13番同様、 音色の強さに欠ける点が相当に物足りなく、ことに第2楽章のヴァイオリン・ソロなど、何でこれほど、というくらい 冴えないし、他楽章にしても、全体にアンサンブルの高音がモワモワしていて、切迫感が希薄。

歌手の方も、 レイフェルクスはまだしも、ロジャーズがいかにも淡白で、発狂的な感じがおよそ薄い。第6楽章など、ベタッとした フレージングが最悪だ。

この14番と先の13番は、アシュケナージがこれまでデッカに録音してきたショスタコの 一連の録音と合わせて、全集としてまとめるために製作されたとのことで、そうなると、この演奏が世界市場に流通する ことになるが、、、さすがに、まずいのでは? 日本の現状の演奏水準に比して、名誉になるとはちょっと思えないし、 考え直した方がいいのではないか。

蔵島由貴ソロ・アルバム「献呈」
 蔵島由貴(pf)
 EMIクラシックス 2006年 TOCE-55880

ジャケットのルックスがいかにもビジュアル系という雰囲気。演奏もそんな感じではないかと、 あまり期待しないで聴き始めたが、これがビックリ仰天の大演奏だ。

ビジュアル系どころか超本格派のピアニズムであり、最初のシューマン「献呈」 (リスト編曲)から、個々のタッチの冴えは言うに及ばず、熱味を帯びた強音と、叙情的で怜悧な弱音との、絶妙な コントラストに耳を奪われる。 次のカッチーニ「アヴェ・マリア」(吉松隆編曲)は甘美の極みだが、続くショパン「幻想即興曲」で このピアニストの真価が前面に出てくる。最初の強和音から鮮烈であり、急迫感に満ちた疾走フレーズと、情熱的な フォルテの織り成す音楽の情景は、アルゲリッチの演奏にも比肩するような素晴らしさだ。

次のリスト・超絶技巧 練習曲第8番「狩り」はさらにいい。情熱的というより、激情的なほどのダイナミクスの極み。しかもテクニックも 最高水準だ。6曲目は武満徹「雨の樹」素描だが、強弱のメリハリが冴え渡る。現代曲だろうとロマン派だろうと、 お構いなく演奏がいいというのは、驚きだ。ラフマニノフ「ヴォカリーズ」はショパンなみの名演だし、メシアン 「むなじろひばり」も、実に厚みと深みのある和音構成で、その非表面的な響きが素晴らしい。

ショパン・革命の エチュードの、左手の効いていること。リスト・スペイン狂詩曲も美演だが、アルバムの最後を締めるのは、 チェクナヴァリオン「ノスタルジア」ピアノ・ソロ版の世界初録音。なんともアグレッシブなデビュー・アルバムだ。

シューベルト 交響曲第9番「グレイト」
 ノット/バンベルク交響楽団
 TUDOR 2006年 CD7144

ジョナサン・ノットとバンベルク響による一連のシューベルト交響曲シリーズの完結盤。全体に印象的な点は、とにかくアンサンブルの奏でる響きの晴澄感が高く、ハーモニーが冴えわたっていること。ノットの指揮は緻密を極めるアンサンブル統制でありながらも、克明にスコアを再現するだけにとどまらずに、場合によってはスコアの強弱バランスを再構築してまでも響きの埋没を極力抑止し、澄み切った、晴れやかなアンサンブル展開を実現させている。例えば第1楽章の展開部山場の(9:52)など、金管を中心に吹かれる主題のコラールを必要以上にがならせずに抑制し、逆に弦の律動音の方を激しく強調させている。このあたりの音響展開のパノラマ感は聴いていてすこぶる新鮮で、SACDハイブリッドの高音質もそのパノラマ的な音の広がりに拍車をかける。

しかし難点は個々のフレーズの線の細さと音色の濃度の低さで、それがゆえに得難いまでの響きの晴澄度が確保されているとしても、重厚感ないし濃密感という観点からすると全般にかなり物足りない。テンポ取りも概ね型どおりで新味に乏しく、個々のフレージングも総じてフラットなために音楽の流れとしても素っ気ない感じがする。このあたりが聴いていて勿体ないなと思わされる点で、端的に言うと凄味に乏しく、聴いている時は確かに心地よいが、心に強く喰い付いてくるという感じが薄い。せっかくここまで手の込んだハーモニー・バランスに基づくフレッシュなアンサンブル展開を創出しているだけに、もう少し凄味が効いていればさぞかし、と思ってしまう。

ラヴェル ラ・ヴァルス&武満徹 「ノスタルジア」&R.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」
 大植英次/大阪フィル
 フォンテック 2004年ライブ(ラヴェル)、2006年ライブ(武満、シュトラウス) FOCD9292

ラ・ヴァルスは大植の前任者・朝比奈隆がまずレパートリーにしなかった作品だが、この演奏は完成度的には万全な 水準で、ことに管の複雑なフレーズなど完璧だ。相当のリハーサルが伺えるが、ただ、技巧面にかけるエネルギーが 多すぎて、音楽としての表情の強さがあまり出ていない、というか手が回らないような様子も、聴いていて伺える。 しかしティンパニはすごい。(3:44)あたりから早くも全開だ。(10:57)以降のド迫力! 

「ノスタルジア」は映画監督 タルエフスキーの追悼作品。長原幸太のヴァイオリン・ソロがいい。(3:37)あたりの音色の冷却感など、ゾクッと する。しかし大フィルの弦セクションは、全体に細かいコントラストがいまいち立たず、現代作品に対する不慣れさが あちこちに感じられる。

「英雄の生涯」は、最初しばらくどこかギクシャクしていて、アンサンブルを抑えぎみに 進めていく感じだが、(3:33)あたりからエンジン全開。素晴らしい全強奏だ。第2部「敵」も(2:40)あたりの木管など、 総じて音色の表情が強く、上のラ・ヴァルスよりいいと思う。第3部「伴侶」はヴァイオリン・ソロ(長原幸太)も 健闘しているが、むしろ大フィルの響きが印象的で、ことに(7:45)あたりの弦の甘美な色合いなど、朝比奈時代には ちょっと無かった個性と感じる。第4部「戦い」だが、弦・打は充実をきわめるも、管がいまいちで、ことに トランペットは音量的にやや苦しい。しかし、(4:00)以降はまさに激闘!!凄まじい迫力だ。第5部「業績」は かなり丁寧な運びで、第6部「引退」では噛み締めるようなアンサンブルの着実感が素晴らしい。

ハンナ・チャン「ロマンス」
 ハンナ・チャン(vc) パッパーノ/ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミア管弦楽団
 EMIクラシックス 2005年ライブ、2006年 3823902

収録曲は@グラズノフ メロディAサン=サーンス アレグロ・アッパーシオナータBドヴォルザーク ロンドCチャ イコフスキー アンダンテ・カンタービレDラロ チェロ協奏曲Eカザルス 鳥の歌。CとDはライブ録音。

これはチェロの歌謡的魅力にまいってしまうアルバムで、@の冒頭から、ソロの艶美な響きが素晴らしい。 そのカンタービレ・ ラインの表情の鮮やかさ、音色の美しさ、フレージングの歌心の豊かさに加え、ヴィブラートがすごくいい。 潤沢にかけているのに少しも押し付けがましくなく、技巧臭もなく、何気ない呼吸であるかのように、自然に音楽に 溶け込んでいる。ヴィブラートに関しては、すごい才能を感じる。

A、B、Cもいずれ美しいロマンティズムが 立ち込める演奏だが、ここまではオードブルであり、続くDがメインディッシュになる。第1楽章冒頭ソロの レスタティーヴォは重厚ではないが濃厚な響きであり、気持ちのこもったボウイングだ。(1:32)からの第1テーマのfは 実に威勢が良く、(3:09)からのドルチシモの第2テーマは付点音ごとのヴィブラートが甘美。展開部以降は 万全の技巧を駆使しての情熱的なカラーが素晴らしく、パッパーノの指揮も切れ味鋭いアンサンブルでこれに寄り添う。 第2楽章は@などと同様魅力たっぷり、中間部のバグパイプ旋律のコケティッシュな楽しさ。終楽章は(1:28)からの コン・フォーコの主題など思い切り良く音階を駆け上がり、全体にスペイン風のリズミックな展開というより、むしろ メロディックな弓運びで、この曲の歌謡的魅力が新鮮な形で伝達されるような快演だ。

モーツァルト ピアノ・ソナタ第13番、第9番、第18番
 永富和子(pf)
 デンオン 2005年(13番、9番)、2006年(18番) COCQ-84259

ベーレンライター新版による演奏で、作品番号は9番が8番、18番が15番に変更されている。

13番の第1楽章から 造型はオーソドックスながらタッチが常に生彩に満ち、克明で繊細な弱音と、凛然として張りのある強音の織り成す ダイナミクスが、モーツァルトの音楽の美しさをみずみずしく描写していて素晴らしい。(4:45)あたりの右手の 素晴らしさ! 第2楽章の(4:28)からの短調展開(第32小節)での、ふっと闇が湧くような感触、終楽章第1テーマの、 おっとりしたフレージングからたちこめる無限のポエジー、コーダ直前のカデンツァの愉悦味。

9番は第1楽章第1テーマ最初の和音が実にハツラツとしていて嬉しくなる。第2テーマの前打音などかなりおっとりした 感じだが、モッサリせず、メロディが良く語りかけてくる感じだ。第2楽章も美演、終楽章は冒頭アレグロにしては やや遅いと思うと、 イ長調に入ったとたんテンポを一変して上下音階をキビキビと描き出すあたりの機知が素晴らしい。(2:56)からの ロ短調主題が左手に移るときの右手の鮮やかな運動感! 

18番は第1楽章の(5:10)からのハ短調展開がため息が 出るほど美しい。第2楽章の中間部なども強音がのきなみ充実し、ときにベートーヴェン的な音色の強ささえも。

マーラー 交響曲第4番
 マーツァル/チェコ・フィル
 エクストン 2006年 OVCL00267

第1楽章冒頭はスロー調を効かせた開曲だが、色合いが実に濃密だ。木管それぞれのフレーズの絡みといい、(1:48)の チェロの 第2テーマといい、気持ちよいほど味が濃い。(4:50)からの木管のアーチ展開など夢のような音色の感触だし、(5:45)の ホルン、その後のフルート四重奏などもこの上なく鮮やかだ。そして、(8:44)からの音楽の翳り。これが伏線効果になって いるので、(10:02)のカタストロフが実に良く映えている。

第2楽章も素晴らしい。色彩のメリハリの強さは前楽章同様 なのに加え、主部の急速テンポの切迫味が効いていて音楽がピリッとしている。第3楽章も全体に響きがウエットで みずみずしい。長調時の晴朗と、短調時の翳りの濃さの、絶大なコントラスト。(17:35)あたりのティンパニの 活きていること。終楽章はミカエラ・カウネのソプラノだが、荷重感の希薄な、ひらめくようなフレージングが かつてのキャスリーン・バトルを思わせるようで、天上描写としてはムード的にピッタリだ。

ブラームス 交響曲第1番&ベートーヴェン エグモント序曲
 ティーレマン/ミュンヘン・フィル
 グラモフォン 2005年ライブ UCCG1347

最初のエグモント序曲からブラームス級の重量感。編成的にも次のブラームスとほぼ同じくらいの感触がある。 この豊かな量感をそのまま受け継いだようなブラームスは、第1楽章冒頭から深々とした響きの捻出がたっぷりと した量感とあいまって、重厚味たっぷり。主部もそうで、バスもふんだんに効いていて、響きの味が常に 濃い。(4:03)あたりのテンポの落とし方もハンパでなく、音楽の重厚味を増幅させる。後半の再現部突入近辺の クライマックスもかなりの迫力だが、ヴァイオリンの効きが少し弱い感じがあり、いまひとつ盛り上がり切らない 嫌いも。バスの強さに押されているような感じだろうか。

第2楽章も遅めのテンポによる、揺るぎない造型感と、 音楽の気高い佇まい。常に土台の安定感が絶えない。第3楽章も同様、音楽が気高い。

終楽章もじっくりとした テンポで、ことに主部直前のホルンとトロンボーンのファンファーレの、ものすごいテヌート! しかし主部以降は 第1楽章後半同様、ヴァイオリンの鳴りがいまひとつ弱いし、メインのテーマを出すときテンポを即興的に速めたり 遅めたりするあたりも、いささか場当たり的な印象があり、演奏の深みを逆に弱めているように思う。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第23番「熱情」、第21番「ワルトシュタイン」、第17番「テンペスト」
 ファジル・サイ(pf)
 naive 2005年 V5016

「熱情」、「ワルトシュタイン」、「テンペスト」というへヴィー級のラインナップで、いずれもサイの持ち前の 超技巧を全面に押し出した快刀乱麻ぶりが際立っている。

「熱情」の第1楽章から音価を徹底的に切り詰めたスタカート 奏法をベースとしながらの、切れ味バツグンの進行だ。(4:11)からのアルペジオの音立ちの良さなど無類に冴えている。 対して強打時においてはまるでピアノ全体がうなるようなすさまじい激打を放つ。先のアルペジオの直後の運命動機 のffフレーズなど実に峻烈だし、(6:03)でのアタックなど、まさに乾坤一擲の強打。

第2楽章はガラッと気分を変えた くつろいだ表情が印象的で、第3変奏のところで右手で32分音符を華麗に弾きながら、変奏主題を気持ち良さそうに 鼻歌で口ずさんだりしている。終楽章は何と言ってもテンポが圧巻。信じがたいほどの超快速、それでいて弾き崩しは まるでなく、人間業を超えたようなサイのテクニックが全開だ。凄いが、難点はタッチのえぐりが甘い点。このテンポ ではどうしようもないのだが、やはり個々の音符を鳴らしてはいるが鳴らし切っていない、という印象が強く、タッチの 質感も軽いため、そのテクニックの冴えを超えた音楽としての訴えかけが振り切らないという感じもまた否めない。

「ワルトシュタイン」は「熱情」以上に技巧の華やかさが浮き出ていて、実に華麗。ただ、やはり華麗である以上の 深みがいまひとつ感じにくいような気がする。「テンペスト」も同様だ。

チャイコフスキー 交響曲第5番
 ラザレフ/読売日本交響楽団
 エクストン 2005年ライブ OVCL-00215

全体からすると終楽章が圧巻だが、それ以外がいまいちなのが残念だ。

第1楽章冒頭序のフレージングは、テンポも音色もかなり 陰鬱だ。主部に移ってもテンポは上がらず、第1主題部後半の起伏でも、テンポをほとんど動かさない(コバケンとは 対照的)。第2テーマの(6:15)あたりから弦の大規模なテヌートが聴かれるが、ここまでとにかくテンポが上がらない。 展開部から再現部にかけても同様で、スローというほど遅くないが演奏の運動感がよくない。ちょっと手堅すぎると いうか、表面的な仕上がりを意識し過ぎてる気がする。コーダに到っても動かず、表情の強さを感じにくい。

第2楽章も 全体に型通りの運びという印象拭えないが、(7:25)前後のフォルテッシモは、強力に鳴動しながらものすごい透明感だ。 第3楽章は中間部の弦の急速な織り上げがすごく緻密。聴いていて楽しい。

終楽章だが、抜群にいい。なにしろここまで 徹底的に抑えてきたテンポが主部突入と同時に爆発的に進軍! 急速なのに弦の刻みは緻密を極め、強奏部のド迫力も 素晴らしい。オーケストラも乗りまくっていて、後半から終盤でのハイ・テンポの急迫感はコバケンの演奏と互角か、 わずかに上とさえ思える。第1楽章とは別格のフィナーレだ。

シャルパンティエ 演劇的モテット「ソロモンの裁き」、長い奉納式のためのモテット
 クリスティ/レザール・フロリサン 
 ヴァージン・クラシックス 2005年 TOCE-55872

ともにシャルパンティエ最晩年のモテット作品で、「ソロモンの裁き」は1702年の作。旧約聖書の、イスラエル王 ソロモンの逸話が題材(列王記上3章5節以下)。2部構成で、第1部はソロモン治下のイスラエルの平和讃歌、 第2部が本編で、こちらが面白い。

冒頭のシンフォニアは夜をイメージするようなほの暗い諧調で、第1部の シンフォニアの華やかさとはガラリと雰囲気が変わる。神のソロモン王に対するお告げのシーンがあり、イスラエルの 繁栄が約束され、ソロモンはこのお告げを民に告知し祝宴を開くが、その最中に2人の売春婦が一人の子供とともに 現われる。それぞれがその子供の母だと主張、王の判断を求める。

王は一本の剣を差し出し、その子供の体を2つに 切り裂いた上で、それぞれの母親となるがいいと告げる。これを受け2人の女のうちAは王の言葉通り子供を切り裂こう とするが、もう一人の女Bはそれを止め、子供をAに差し出し身を引こうとする。それを見た王はBを真の母と判断し 裁定を下す、というもの。

要するに大岡裁きの原型なのだが、こう書くといかにもドラマティックな音楽を想像させるものの、実際の音楽はすこぶるスタティックなもので、淡々と場面が語られていく。ちょっと肩透かしというところか。音楽としてはむしろ後半のモテットの方が上質な感じがする。

チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」
 マーツァル/チェコ・フィル
 エクストン 2005年 OVCL00225

全体にオーケストラの鳴り切りぶりがハンパでなく、ストレートで健康的な表現ながら、迫力満点だ。

第1楽章序部から、弦も管もそれぞれのパートの色合いをヴィヴィッドに前面に浮き出させた色彩の鮮やかさが 最高で、(3:22)の木管のきらめき、第1テーマの(4:19)の弦の刻みの冴え、続くティンパニの鮮烈なアタックなど、すべてがベストに色づいている。ティンパニといえば、(5:36)あたりのぶちかましも凄い。展開部以降も、音の密度が素晴らしいし、第2楽章も、管楽器の音彩が異常に冴えている。

第3楽章の強和音のダイナミズムも圧巻だし、終楽章も、主部直前のティンパニのド迫力、(5:25)あたりのヴァイオリンの刻みの冴え、クライマックスの鳴りっぷりなど、最高レベルの音質を追い風にして音楽の色合いが実に鮮やかだ。

チャイコフスキー バレエ音楽「白鳥の湖」、「眠れる森の美女」、「くるみ割り人形」(抜粋)
 ドミトリエフ/サンクトペテルブルク交響楽団
 エイベックス・クラシック 2005年ライブ AVCL-25117

東京オペラシティ・タケミツメモリアルでのライブ。

「白鳥の湖」冒頭から一貫的にアンサンブルの色合いが濃く、 ことに2曲目のワルツにおいては、厚味の良く乗ったハーモニクスから浮かんでは消えるメロディの移り行きの 色彩感など、めくるめくものがあり、この音楽の美しさを改めて思い知らされるほど。

「眠れる森の美女」も、 アダージョなどヴァイオリンもホルンも豊潤にして濃厚な響きを奏でていて、仮に日本のオーケストラがこの曲を 演奏しても、こういう音はまず出ないだろうとさえ思う。「くるみ割り」も、花のワルツ(4:10)あたりなど聴いていて クラっとするほどだ。

ただ、難を言うなら全体にいまひとつの緊張感だろうか。ライブなのに常に危なげないアンサンブル 展開で、安定感抜群だが、どうも安定し過ぎというか、普段着的なムードもそれなりに強く、聴いている時は愉悦の 極みであっても、余韻としての味が意外と薄いようなところが気になるといえば気になった。

ボッケリーニ クラヴィーア五重奏曲全集
 アンサンブル・クラヴィエーレ、イラーリオ・グレゴレット(pf)
 ブリリアント・クラシックス 2005年 BRL92890

ボッケリーニはその全作品およそ600のうち、弦楽五重奏曲の分野だけで100を超える数の作品を残しているが、 クラヴィーア五重奏曲となると、わずかに12曲を数えるのみ。その1797年作曲の作品56の6曲と、1798〜99年作曲の作品57の6曲とを収録したのがこのアルバムで、2006年にリリースされた。

いずれの曲も初めて聴いたのだが、全12曲の中には、かなり魅力的な作品もあるが、それほどでもない作品もある、というのが率直な感想。作品56の6曲の中ではG.409とG.410の2曲が名曲だと思う。いずれも3楽章の簡潔な書式の中に豊かな音楽的情感が息づき、冗長な感じもなく、この分野の傑作とさえ思えるほど。これらに比べて他の4曲は音楽が ひとまわり冴えない感じで、特にG.408とG.411は聴いていて冗長感が先立つ。作品57の6曲は水準としては 作品56よりも上だと思う。ベスト作品はG.416で、これは隠れた名曲だ。

アンサンブル・クラヴィエーレは近年活動を始めた古楽器アンサンブルとのことで、その演奏は概ね充実的であり、 ことにヴァイオリンの音色の強さはなかなかのもの。ただ、グレゴレットのフォルテ・ピアノは、全般に強度不足。 ロココ趣味というのだろうか。

ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」
 延原武春/テレマン室内管弦楽団
 ライヴノーツ 2005年ライブ WWCC7543

オーケストラ46人、合唱53人のコンパクト編成による第9。古楽器オケではないが、テンポや奏法など、 ピリオド・スタイルがかなり取り入れられている。テンポ面では、第1・第3楽章の高速テンポが際立つ。

響きのバランスの特徴として、当然ながら弦パートの音幕が薄いかわりに、管パートの色が鮮やかであり(特に 第2楽章開始部など、木管のみのハーモニーのように聴こえる)、ティンパニの強烈なアクセントも効いている(特に 第1楽章再現部冒頭・コーダ、第4楽章開始部などが面白い)。

弦パートの音幕が薄さという点では、第4楽章冒頭の、第1楽章のテーマが全く聴こえないのにはビックリ。演奏の 印象だが、全体に、濃淡不足という感が否めない。速いテンポがベースなので、それをアンサンブルが追いかけるのに いっぱいいっぱいで、聴かせどころが十分に構築し切れていない感がある。確かに個性的ではあるが、感銘としては 残念ながらいまひとつだ。

ショスタコーヴィチ 室内交響曲Op.110a&スヴィリードフ 室内交響曲Op.14&ヴァインベルク 室内交響曲第1番
 バシュメット/モスクワ・ソロイスツ合奏団
 オニックス 2005年 ONYX4007

旧ソ連の3人の作曲家の手による室内交響曲を収録したアルバム。ゲオルギー・スヴィリードフはショスタコーヴィチ の弟子筋の作曲家、モイセイ・ヴァインベルクはロシアに亡命したユダヤ人の作曲家で、ショスタコーヴィチの親友。 いずれも1948年の例のジダーノフ批判にてショスタコーヴィチと同じくソ連当局から槍玉にあげられている。

スヴィリードフの室内交響曲はこのディスクが世界初録音とされている。1940年作曲で、4楽章制だが、第1楽章の 冒頭のモチーフはワーグナーの「神々の黄昏」終幕時の神々の終焉のモチーフにそっくりだ(意図的な引用か、偶然かは 分らないが)。しかし全体の感触はワーグナー的というより明らかにショスタコ的であり、ことに終楽章の雰囲気など、 ショスタコーヴィチの第5シンフォニーの終楽章のそれをかなり彷彿とさせ、こちらはおそらく意図的なものだと 思われる。ヴァインベルクの室内交響曲第1番の方は1986年作曲のもので、こちらは確信犯的なショスタコの亜流作品 という感じがする。

バシュメット指揮によるモスクワ・ソロイスツ合奏団の演奏は内容的には一級だと思うものの、 やはりスヴィリードフとヴァインベルクの作品には音楽自体の訴求力に限界があるし、ショスタコーヴィチの室内交響曲 (第8カルテットの編曲)の演奏においても、いまひとつ突き抜けた決定感に欠ける感じがする。もっともそう思う理由は、 これを聴く少し前に、この作品の編曲者バルシャイがミラノ・ヴェルディ響を指揮した同じ曲の新盤を聴いていたからかも知れない。そのバルシャイ盤が超名演だったため、相対的にこのバシュメット盤の演奏の印象をいくぶん薄めてしまったような気がする。

ちなみに両盤の大きな違いはオケの編成規模にあり、モスクワ・ソロイスツ合奏団の方はファースト・ヴァイ オリンが5人で総勢18名というかなりの小規模編成。ゆえにバルシャイ盤での大きめの編成を擁したミラノ・ヴェルディ 響のアンサンブル展開に対して、ヴォリューム・インパクトや質感面において明らかに引けを取る。とはいえモスクワ・ ソロイスツの個々の奏者の技量の高さは瞭然で、アンサンブルの緻密感やシャープ感などはベスト・クラスにあり、 演奏自体はやはり一級だと思う。第2楽章の(1:01)の鮮烈感など聴いていて驚嘆させられるし、楽章後半の発狂感に おいても作品の凄味が存分に伝わってくる。

ショスタコーヴィチ 室内交響曲全集
 バルシャイ/ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団
 ブリリアント・クラシックス 2005年ライブ 8212

ショスタコーヴィチの室内交響曲は計5曲あり、それぞれ弦楽四重奏第3番、第4番、第1番、第8番、第10番の 室内オーケストラ用編曲となっている。ただし編曲者はショスタコーヴィチではなく、生前作曲家と親交のあった ルドルフ・バルシャイだが、ショスタコーヴィチはそれらに作品番号を与え、「自作」として公認している。

このディスクの演奏は そのバルシャイの指揮なので、「自作自演」という要素もあり、録音としても貴重だが、内容的にも見事な名演だ。 その根拠は大きく2つあり、ひとつは、バルシャイの指揮がショスタコーヴィチの演奏の本質を的確に捉えたものである こと。ショスタコーヴィチの演奏の本質というのは、つまるところ、地獄を聞かせるべきところで地獄を奏でられ、 虚無を聞かせるべきところで虚無を奏でられるかという点に集約されると思うのだが、いずれにおいてもここでの バルシャイの演奏は素晴らしい。例えば室内交響曲op.73aの第3楽章の地獄感とか、同第4楽章の虚無感など、ゾッと するものだ。

もう一点はオーケストラの編成規模で、おそらく通常の室内管編成よりいくぶん大きめの編成で演奏されて いるように感じる。例えば室内交響曲op.83aの第1楽章冒頭の弦のトッティのクレッシェンドのボリューム感など聴く 限り、フル編成にも比肩するようなインパクトが出ている。やはり小編成で聞くよりある程度の編成で聴く方が、音楽の 生彩がよりアップするように思われ、このディスクの演奏はその点でも好ましく感じる。

全5曲のベストは、やはり第8 カルテット編曲による室内交響曲op.110aだろう。第2楽章の恐ろしさは忘れがたい。アレグロ・モルトながら敢えて テンポを抑え気味にしてアンサンブルの音色の強度感の凄みを全面に押し出しており、音楽の怖さが実によく伝わって くる。この演奏をバルシャイの同曲の旧録音(グラモフォン・1989年録音、POCG-1023)と聞き比べてみたのだが、 旧録音も稀有の名演ながら、こちらの新録音の方が一歩上という感じがする。その理由は、前述の響きの肉厚感で 新録音の方が勝っているからで、旧録の方は、確かにシャープで痛烈感が凄い(オーケストラはヨーロッパ室内管)が、 時にアンサンブルの線の細さがマイナスになっているような局面も聴かれる。それを克服しつつ同等の強度感を保持 させた演奏が、こちらの新録音ということになるのだろう。

ベートーヴェン 交響曲第1番、交響曲第5番「運命」
 クーン/ボルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団
 コル・レーニョ 2005年ライブ WWE1CD60001

2曲ともすこぶる新鮮なベートーヴェンで、鮮烈な魅力に満ちた名演だ。最初の第1シンフォニーの第1楽章からアンサンブルのバランスが独特で、チェロを中核とするバス低声部の響きが一貫して強い。それはほとんど意識的に高声部に対立させているのかとさえ思えるくらいだが、面白いのは、これだけ低声が強いのに、ハーモニーの重厚感はそれほど強調されていない点。 おそらくかなり編成を絞っているせいもあると思うが、むしろ演奏の方針として、響きの量感よりも音色の強さを、という方向性に起因している感じがする。このため量感的迫力はいまひとつながらも克明きわまるバス低声部の表出力により もたらされるフレッシュなハーモニクス、ピリッとした緊張感が素晴らしい。

この傾向は次の「運命」においても同様で、こちらの方が成功していると思う。第1楽章冒頭のトッティで低声部が 発する斬りつけるような鋭いソノリティから特異なインパクトがあるが、この低声パートの強度感は第1主題に留まらず、 第2主題部においてさえ持続し、運命動機が第2主題以上の実在感で響くため、第1主題部での緊迫感が減衰しない。 展開部から再現部においてもバスのえぐりが壮絶な緊張をもたらしているし、コーダの(6:30)なども、スコアのfに対してフルパワーの低声がffくらいの音量で鳴り響き、fの高声を喰ってしまうほど。

以下の楽章も同様で、ハーモニーが時に異様なバランスで響いてきたりする。この低声の強力な実在感ゆえに、このシンフォニーの本質的にシリアスな感興が、さらに一歩増幅されているように聴こえもする。いずれにしても、 編成的には明らかに軽量な アンサンブル展開なのに、その予想外とも言うべきズッシリとした聴き応えに独特の魅力のある演奏だ。

マーラー 交響曲第6番「悲劇的」&ヘンツェ 「夢の中のセバスチャン」
 ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
 RCO-Live 2005年ライヴ RCO06001

マーラーの方はコンセルトヘボウ管の05年シーズンのオープニング・コンサートのライヴ録音、 ヘンツェの方は04年に作曲された新作の世界初演コンサートでのライヴ録音で、これが世界初録音とされる。

RCO-Liveレーベルによる一連のコンセルトヘボウ管のライヴ・シリーズは、第1弾のドヴォルザーク「新世界より」が 圧巻の名演だったが、リヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」のような、あまりパッとしない演奏もあるという風に、 内容にややムラがあるように思う。やはりライヴ取りゆえ、その時のオーケストラのコンディションとかモチヴェーションに 左右されるような要素が強いのだろう。

その点、このマーラーの「悲劇的」は相当な名演だと思う。先の「新世界」に肉薄するアンサンブルの充実感が素晴らしく、 マーラー・オーケストラとしてのコンセルトヘボウの美質が存分に発揮された快演だ。ただし録音レベルが「新世界」同様 かなり低いのでヴォリュームを相当に上げる必要がある。

第1楽章は冒頭から一貫してバスの力感と充実感が濃く、その土台の上に高弦や管楽器が鮮やかな明彩でハーモニーを 絶妙にいろどってゆく。トッティでの鳴りっぷりも一品だ。そして、ヤンソンスの指揮は、前任者シャイーよりも 明らかに重低音を重視した音楽造りを志向しているように感じる。この点、シャイーがデッカに録音した同曲の演奏に おいてはバスにそれほどハーモニーの重点を置かず、むしろ高声を煌びやかに、美しく奏でることに意が注がれていたが、 その特性に加えてこのヤンソンス盤はアンサンブルの力感的迫力がかなり向上されている。造形的にもシャイーより オーソドックスで、その奇をてらわない実直な表出力にも傾聴させられる。

第2楽章はスケルツォではなくアンダンテ。甘美な音色が形成する豊穣なハーモニーがいい。第3楽章のスケルツォも 第1楽章同様、全編に旺盛な表現意欲が漲る。終楽章はまさに手に汗握る熱演。併録のヘンツェもマーラーと似た雰囲気を 宿した作品で、演奏の充実感としてもマーラーでのそれがきっちり継承されている。

チャイコフスキー 交響曲第5番
 マズア/フランス国立管弦楽団
 naive 2005年ライブ V5040

フランスのオーケストラによるチャイ5の演奏は、実演録音も含めてこれまでに聴いた覚えがなく、どういう 感じの音になるのか、という興味から購入したディスク。

その感想としては、確かにフランス国立管のアンサンブルに 関しては、管パートを中核に持ち前のウエットにして美彩な、しっとりとした音色の色合いをハーモニーに付与していて、 しかもそれがチャイコフスキーの音楽の情感的性格にかなりフィットしている感じがする。

しかしながら、せっかくの そういう美点を、マズアの指揮がほとんど活かし切れていないところが、この演奏の最大の問題点だと思う。それは 端的に言うと苦味不足、緊張感不足というべきもので、苦味が効かないのでせっかくの上質な甘みが引き立たない、と いうべきか。

第1楽章冒頭のpからして、いかにもフレージング・ラインがか細く、弱々しい。pでこうだから、(2:52)からの第1テーマのppなどはさらに弱々しい。この出だしがダイナミクスの基準とされてしまっているため、例えば(4:15)あたりの金管の強フレーズも音が細くて冴えないし、続くティンパニもぬるい。展開部から再現部の流れにおいても、たとえ 最強奏においてさえ抑制が利き過ぎて起伏に乏しいし、音に強度的な伸びが全然足りないため高揚力が伸び切らない。

第2楽章も、甘美一辺倒で耳当たりの良さは抜群なのだが、真実味、とまでは言わなくてももう少し深刻味のある音が 聴きたいところだ。終楽章は部分的にはフランスの名門オケの片鱗を伺わせる管パートの充実的な音が聞こえてくるが、 マズアのルーティンな運用のために、それが凄味に高まり切らずに終曲を迎えてしまっている。

ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」、第6番「田園」
 スクロヴァチェフスキー/ザールブリュッケン放送響
 オーエム・クラシックス 2005年 BVCD-37434

「運命」は第1楽章冒頭からアンサンブルの充実的な感触が素晴らしい。造型バランスはオーソドックスで、奇をてらう ようなところはないが、内声部の活力に豊かさが常にあり、表面的な響きの展開にとどまらない、えぐりの効いた 感じというのか、そういう表情の強さがある。スクロヴァチェフスキーらしい、細部に対するキメ細やかな 描述((2:52)からの主題リレーなど)や、ここぞと言う時の迫力((6:37)のティンパニなど)もさすがだ。

以降の楽章も、 とにかく音楽がイージーに流れる感じがないのがよく、終楽章の(4:16)直前の展開部の入りなど、すごい緻密さで 音彩の急転ぶりを表していて、ビックリするほど。

「田園」も、アンサンブルの隅々まで神経の行き届いたような、アバウト感のない響きの練り上げ。 第2楽章はスローで個性的だが、ここは非常に細密的な音楽の流れになっていて、 メロディの流れに独特の美しさが感じられるほどだ。

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲、瞑想曲、ロシアの踊り
 ジョシュア・ベル(vn) ティルソン・トーマス/ベルリン・フィル
 ソニー・クラシカル 2005年ライブ SICC10034

チャイコンの第1楽章冒頭から、ベルのソロは軽めのタッチを主体に各メロディを滑らかに紡ぎ、美しいボウイングの 心地よい流動感と、決して濁らない音色の澄んだ美感が鮮やかに浮かび上がる。第2主題あたりなど細かくテンポを 揺らしてロマンティックな気分を描き上げ、万全の技巧がそれを支える。

非常に音楽性の高いソロであることは 確かだと思うけれども、音楽としての密度はどうだろうか。例えば、(5:35)あたりでソロが華麗に立ち回るところなど、 ものすごい弓さばきなのに、フレージングの抉りが甘いこともあり、凄いテクニックだとは感じても凄い演奏だという 感じをあまり受けない。

第2楽章も甘美だが、心にあまり引っかかる感じがないし、終楽章も、全体になにかスポーツ的 というか、最初に技巧ありきという感じの、スタイリッシュで浅い演奏に聞こえてしまう。この終楽章は、通常カット される反復部まで弾かれているが、これもどうか。習慣的なパターン以上に音楽が生彩的というようにはあまり 感じない。ティルソン・トーマス指揮のアンサンブルは、ベルリン・フィルにしては全体に響きが軽い。ウェイト不足と いう感じだ

ショスタコーヴィチ 交響曲第1番、第6番
 V.ユロフスキ/ロシア・ナショナル管弦楽団
 ペンタトーン・クラシックス 2004年 PTC5186068

このショスタコーヴィチは素晴らしい。ロシア・ナショナル管のショスタコには、 すでにスピヴァコフが2001年に録音した5番&9番という圧巻の名演があるが、この ウラディーミル・ユロフスキの1番&6番もそれと同等水準の名演だと思う。

交響曲第1番は第1楽章冒頭から木管を中心に弱奏時でさえ音色に強い張りをもたせ、この作品の 怪奇性を容赦なく抉り出してくる。中盤から後半の強奏起伏では耳に迫るダイナミックな迫力が見事だし、 ただ迫力があるというに留まらず、ギラリとした凶暴さをもアンサンブルから抽出せしめていることに何より 惹かれる感じがする。第2楽章も同様で、とくに終盤のピアノ強打の激烈ぶりがいい。緊迫を絶やさない 第3楽章から連続する終楽章の冒頭での打楽器の破壊力も凄いし、楽章後半、クライマックスを形成する 最強奏のさなかの(6:10)あたりで仕掛ける猛烈なリタルダンドは、ものすごいの一言だ。

交響曲第6番は第1楽章ラルゴから切迫感みなぎる弦のフレージングに管の迫真の叫びが絶妙に呼応している。 楽章を通じ、遅めのテンポで、聴いていてジリジリするような緊迫を帯びたアンサンブル展開。 真実味に満ちた音楽の流れが常に絶えない。第2楽章がまた圧巻で、何しろテンポ・スピードが尋常でない。 楽章タイムは5分15秒だが、この楽章は、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの1972年の ライヴでさえ5分30秒。あのムラヴィンスキーより速いとは! しかも第1楽章が20分をかけた遅めのテンポで あっただけに、反動がたっぷり効いていて、感覚的に迫ってくる力が圧倒的だ。終楽章もいい。SACDハイブリッド の音質も極上で、コンサートホールで聴くのに近い臨場感が確保されている。

ワーグナー 管弦楽作品集
 エド・デ・ワールト/オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団
 エクストン 2004年 OVCL00198

収録曲は@「ワルキューレの騎行」A「妖精」序曲Bファウスト序曲Cリエンツィ序曲D「マイスタージンガー」第3幕 への前奏曲Eジークフリート牧歌。

@は全体にアンサンブルの鳴りっぷりが良く、それでいて響きが緻密。室内楽的な 精緻さでの弦の織り上げが凄い。しかしテンポはややモッサリしていて急迫感が薄く、またバスの厚みがいまいちで トッティの押しが弱いため、迫力的にいまひとつ伸びきらない印象も残る。AとBはワーグナーの若書きの作品で あまり演奏されないが、Aの(3:35)あたりの弦の高音飛翔的なフレーズ展開や、Bの(3:38)あたりの暴風雨的描写など、 後年のワーグナーの個性がやはり随所に滲んでいる。音質の良さもあり、この演奏は貴重と感じる。

Cだが、テンポの スロー調は@よりもマッチしているものの、(4:33)あたりなど管のコラールがいまいち冴えないし、後半も音量は十分 としても、金管のファンファーレがややボッタリしていて、音楽としての切れがいまひとつ。DとEはオケの弦の響きの みずみずしさを活かした美演。ウエットな音色の感触を満たした夢想的な音響展開だ。

マーラー 交響曲第10番(アダージョ)、交響曲第9番
 ベルティーニ/東京都交響楽団
 フォンテック 2003年ライブ(10番)、2004年ライブ(9番) FOCD9259/60

最初の10番アダージョは細部まで丁寧な練りこみで、弦を中心にフレーズのえぐりもあり、バスもよく効いている。 ただ、木管の音色の強さに物足りなさがあるし、(8:00)あたりの痛切味もいまひとつ弱いと感じる。しかし(18:37)から のクライマックス、ことに(19:21)あたりはすこぶる痛切で、ライブで聴くとかなり感動させられると思う。

続く9番は 第1楽章冒頭あたりやや焦点が甘い感じだが、(2:11)の第2テーマあたりでビシッとしてくる。以降は上のアダージョの 演奏と美点・短点の傾向は概ね同一ながら、クレッシェンドでの力感の集約ぶりがのきなみ冴えている。(7:32)あたり からのティンパニの鳴りのいいこと。(12:20)前後などのデクレシェンドは、もっと闇に沈むような濃密さが欲しい ところだが、(18:25)からの破滅感は素晴らしい! まさに、乾坤一擲の痛打。

第2楽章は、ずば抜けたインパクトと いう感じではないものの、オーソドックスなスタンスから演奏が常によく表情を語っているし、第3楽章も、 欲を言えば、金管の強フレーズに克己感があればいいと思うが(テンポが速いのでフレーズを追うのに手一杯的と いう風だ)、迫力は十分、ことにコーダの激烈な加速ぶりを伴う音楽のド迫力! 

終楽章は、05年初頭の ベルティーニ急逝により結果的に都響との最後の楽章となったが、この事実が、後付けながらも、この楽章の惜別的な 万感の情を強力に感じさせる要因になっている。アンサンブルも、全楽章中、最高の出来栄えを示していると感じる。

ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」、歌劇「料理女マヴラ」全曲
 エトヴェシュ/ユンゲ・ドイチェ・フィル(ハルサイ)、 エーテボリ交響楽団(マヴラ)
 BMC 2004年(ハルサイ)、03年(マヴラ) BMCCD118

ストラヴィンスキーのバレエ音楽とオペラを収録したアルバム。 ペーター・エトヴェシュはハンガリー生まれの指揮者で、現代音楽をメインレパートリーとし、 ピエール・ブーレーズの後任として1979年か ら91年までアンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督を務めている。ユンゲ・ドイチェ・フィル は1974に設立された、18歳から28歳までのメンバーで構成されるドイツのユース・オーケストラ。

このディスクは、当初はストラヴィンスキーの珍しいオペラ作品が収録されていたので、どういうものか 聴きたくて購入したもの。しかし、むしろユンゲ・ドイチェ・フィルとの「春の祭典」が瞠目に値する 名演となっていて驚かされた。

その「ハルサイ」、第1部の序奏から「春のきざし」にかけては、中庸なテンポに則しつつスコアの隅々まで 照らすかのようなアンサンブルの細密感と響きの情報量が素晴らしく、やはりブーレーズの「ハルサイ」と同様、 おそらく解釈としては客観を極めた解釈の極北に位置する演奏なのだなと、思って聴いていると、 春のロンド中盤あたりから様子がおかしくなる。ことに(2:12)以降の発狂的なまでのダイナミクスの様相は、 ドラマティックを極め、ものすごい凄味を放っており、そこまでのスタティックな音楽の流れからの反動効果が すさまじい。

第2部も同様で、ことに「選ばれし乙女への賛美」に入るあたりなど、天地がひっくり返るかというくらいの 途方もないインパクトがあり、ビックリしてしまう。

このエトヴェシュのハルサイは、 ちょっと聴くとディテールに凝った緻密路線の演奏と思わせておいて、いきなり表情が劇的に転換 するので圧倒させられてしまう。つまりこれは冷気と熱気とが大胆に交錯するような、エトヴェシュならではの ハルサイというべき演奏で、その素晴らしい変わり身と、それら静的・動的な各フェイズがもたらす極端なまでの 落差に聴いていて激しく揺さぶられ、それにいつしか酔いしれてしまうのだが、ここで称賛されるべきは、 このエトヴェシュの抜き差しならない極端な解釈に、献身的に喰らい付いて行く、ユンゲ・ドイチェ・フィルの アンサンブル展開なのかもしれない。彼らの若いエネルギーとエモーションがこの演奏の背後に見え隠れし、 それがエトヴェシュの表現に真の生命を吹き込んでいるように思う。

ラフマニノフ 交響詩「死の島」、交響的舞曲
 V.ユロフスキ/ロンドン・フィル
 ロンドン・フィル自主制作 2003・04年ライヴ LPO0004

ロシアの俊英指揮者ウラディーミル・ユロフスキの実質的なデビュー盤となるラフマニノフ・アルバム。 ユロフスキの録音を最初に耳にしたのはロシア・ナショナル管との ショスタコーヴィチのアルバム(ペンタトーン・レーベル)で、その演奏内容が素晴らしかったので、 引き続きこちらのラフマニノフ・アルバムも購入して聴いてみたところ、やはり大した演奏内容だった。

「死の島」に交響的舞曲という、地味な組み合わせのラフマニノフ・アルバムだが、これらをこのユロフスキの演奏で 聴くと、ラフマニノフというより、むしろショスタコーヴィチを聴いているような錯覚をおぼえる。そのくらいの 緊迫した音響展開が全編に披歴されている。

最初の「死の島」からショスタコーヴィチのようなラフマニノフだ。(10:15)や(14:56)あたりに聴かれる破滅的な音響の 感触など、そんな感じがするし、クライマックス後の(16:47)からのグレゴリオ聖歌「怒りの日」のメロディの死滅的な 肌ざわりなど、ラフマニノフの甘美なイメージとは明らかにかけ離れていて、聴いていて新鮮だし、何より音楽としての 表出力にすごいものを感じる。

交響的舞曲は第1曲の主部から耳当たりの強烈にしてガッツ溢れるダイナミクスが見事だ。テンポは遅めで、12分半を 要しているが、この歩調の上から、中間部のオーボエとクラリネットの弱奏対話に、キリッと精悍な美しさを 付帯させているあたり、聴いていて惹き込まれる。第2曲は全体に管パートのフレージングが強い諧謔味を帯び、 「死の島」同様、やはりショスタコーヴィチのスケルツォ楽章のような趣きだ。終曲も素晴らしく、 甘美な段とピリピリする段とのメリハリが強いし、最後のクライマックスの迫力も満点で、これを実演で聴いたら さぞかし、と思う。

モーツァルト レクイエム
 アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
 ドイツ・ハルモニア・ムンディ 2003年ライブ 82876587052

アーノンクールがウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを指揮したモツレクの2度目の録音。SACDハイブリッド盤 でのリリースで、CD-ROMセクションにモーツァルトの自筆譜データが入っている。CDをパソコンにセットし、その 中の実行ファイル「requiem.exe」をクリックしたら閲覧することができた。

肝心の演奏だが、テルデックに1981年に録音した旧録音 の方も名演だったが、この新録音はさらにいいと思う。実際、その旧録音のディスク(WPCC-5320)と聞き比べてみたが、 新録音の方が感銘の度合いが強かった。どちらもバイヤー版使用で、オーケストラも同じ、解釈面もほほ同一で、演奏 タイムとしても、旧録49分、新録50分とほぼ拮抗している。しかし両者の印象はかなり異なっており、その最大の 要因は、録音環境にあるように思う。

旧録音の方はスタジオ録音であり、場所はウィーンのテルデック・スタジオ。 その音質にはいきおい硬質感が先立ち、聴感がハード。対して新録音の方はウィーン・ムジークフェラインザールでの ライブ録音。必然的に残響感が多く取り込まれ、いかにもホール的な音響の拡がりだ。この点も含め、演奏の流儀は 同一ながらも、旧録音の方は音楽の構えが人工的であり、新録音の方は生命感を感じさせるリアリスティックなムードに 溢れている。

どちらが良い演奏かは難しいところだし、旧録音に聴くアンサンブル、特に弦パートのシャープな強度感 などは、新録音より上だと思うが、音楽としての全体的感銘となると、やはり新録音ということになると思う。冒頭の バゼット・ホルンの音色からして、旧録音の素っ気無さに対して、新録音は実在感が凄い。レコルダーレ冒頭なども そうで、総じて新録音は旧録音より管パート、ことに木管の実在感と表出力が遥かに高い。これはもちろん残響の度合い も影響していると思うが、それに加え、旧録音から20余年という年月によるオリジナル楽器演奏の技術的進歩という要因も 大きいように思う。対して弦パートには旧録音ほどは強度感を感じないとはいえ、やはり素晴らしく、フレージングの 鋭角性と音色の美しさが両立されている点なども、やはり見事としか言いようがない。

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番
 スクロヴァチェフスキー/ベルリン・ドイツ交響楽団
 ヴァイトブリック 2003年ライヴ SSS0076

2008年にリリースされたディスクで、ミスターSことスタニスラフ・スクロヴァチェフスキーの、 タコ10の待望の再録音。2003年5月の、ベルリン・フィルハーモニーにおける ベルリン・ドイツ響とのコンサートがライヴ収録されている。

スクロヴァチェフスキーの指揮によるタコ10としては、1990年にハレ管を振って録音したスタジオ盤が 既にあるが、その演奏は、別に感想に書いたように、 いまひとつ物足りなかった。特に、2007年秋に サントリーホールで聴いたミスターSの指揮、読売日響によるタコ10が圧巻だったこともあり、 尚さら物足りなく思っていたところ、その翌年の春に本ディスクがリリースされたので速攻で購入し、 聴いてみたところ、まさに期待通り、素晴らしい演奏だった。

演奏様式自体は旧録音同様、アンサンブルの緻密な練り込みに立脚した、超常的音響感の導出の度合いが見事で、 その上において、旧録音において物足りなかった、狂気の佇まいが、ベルリン・ドイツ響とのライヴでは格段に 増幅されている。全く、聴いていて震えがくるほどの凄絶な演奏だ

第1楽章の(11:25)のトッティの最強奏が発する、熾烈なまでの迫力など、まさにサントリーホールで 聴いた時の感触に酷似してゾクゾクするし、(13:19)あたりの激烈無比ぶりも、旧録音とは比較を絶して苛烈を極める。

第2楽章の破滅感、第3楽章の虚無感、終楽章の狂騒感、いずれも素晴らしいが、それにしてもこの演奏でミスターSの 要求する、妥協を許さないシビアなアンサンブル展開に、最高のレスポンスで応答するベルリン・ドイツ響の、 オーケストラとしての高度なポテンシャルにも、聴いていて素直に感服させられてしまう。

シューベルト 交響曲第8番「未完成」、第9番「グレイト」
 ジークハルト/アーネム・フィル
 エクストン 2003年 OVCL-00151

「未完成」は冒頭第1テーマの木管フレーズがノン・ヴィブラートでシャープだ。各声部はリアルに描かれ、力感も ある。ことに強和音のバスの押しが強い。展開部(8:02)あたりの破滅感も印象的だし、(8:27)などのティンパニも バンバン鳴り、全体にピリッとした緊張感が充溢する。第2楽章も鋭利で澄んだ響きの醸す厳しさと美しさが共存、 起伏部の(2:37)などでの金管のアクセントが絶妙だ。

「グレイト」は冒頭からかなりものものしい開曲で、全体に ワイルドなアンサンブルの鳴りっぷりが独特。管は強めで、低音のパンチ力も常に効いている。「未完成」では している提示部反復がこちらではなぜか無いが、展開部・再現部ともにかなり表情の強いアンサンブル構成で、 聴き応え十分。コーダの猛烈なアッチェレランド。第2楽章以降も、強奏部でのティンパニ激打を厭わない、 闊達な演奏展開だ。

ジークハルトはウィーン生まれながら、ここでは古風なシューベルトを振るというより えぐりを効かせたベートーヴェン風スタイルを展開している。アーノンクールにやや近い気もするが、あれほど 奇抜でなく、全般に安心して聴いていられながらもドキドキするほどの表情の強さが面白い。

シベリウス ヴァイオリン協奏曲、セレナード&シンディング ヴァイオリン協奏曲第1番、ロマンス
 クラッゲルード(vn) エンゲセット/ボーンマス交響楽団
 ナクソス 2003年 8.557266

特にシベリウスの演奏内容が素晴らしい。ソロを弾くのはノルウェーの若手ヴァイオリニスト、ヘンニング・クラッゲルード。

そのシベリウスは、最初の第1楽章は表現の幅こそ抑制されているものの、一音一音に対する響きの凝縮力が半端でなく、例えば(3:55)からの重音奏法による第2テーマなど、本格的なドイツ音楽を聴くような磁場を感じさせるほどだし、展開部のカデンツァでのフレージングの果敢な切れ込みは穏やかならぬ雰囲気を纏い、再現部からコーダにかけては、密度たっぷりの弾き回しでありながら淀みのない音楽の流れを形成せしめる、ヴァイオリン・ソロの途方もない表現力に、聴いていて圧倒させられてしまう。

内燃的な深みを湛えたような印象的な第2楽章を経た終楽章においては、第1楽章よりも一回り表現の幅が広くなっている。例えば冒頭の第1テーマは各小節の最後の音符に強めのアタックを与えながら溌剌とした気分を醸し出しているし、第2テーマを歌う(2:01)あたりの崩し方も独特だ。表現の幅が広くなっても個々の音符に対する集中力やボウイングの凝縮力は相変わらずで、ボーンマス響の気合いの入ったバックに支えられて、すこぶる感銘深いシベリウスの名演が披歴されている。

併録のシンディングの第1コンチェルトは1898年作曲の作品とのことで、このCDで初めて耳にする。ほぼ同時期に作曲のシベリウスのコンチェルトと比べると、かなりムードチックだ。名演とするにはソロ奏者の表情付けの厳しさが不可欠ではないか。このクラッゲルードのソロのように。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」、第15番「田園」
 片山敬子(pf)
 ライブノーツ 2003年 WWCC7485

片山敬子の演奏を初めて聴いたのは2006年に録音されたシューマンとモーツァルトとショパンの作品のソロ・アルバムで、その演奏の名演ぶりには驚嘆させられた。対してこのベートーヴェンのアルバムはその3年前の録音となる。ここでは最高峰「ハンマークラヴィーア」に挑んでいるが、内容的にも前に聴いた06年のアルバムの水準に迫る名演奏だと思う。

印象的には「ハンマークラヴィーア」の方が素晴らしい。第1楽章冒頭のffの強烈感から素晴らしく、2〜3小節のスタカート指定も立っていることこの上ない。以降も楽譜に誠実でありながら、個々のタッチに強い存在感や意義深さが常に付帯する。その右手の奏でる高音の響きの美彩感と、左手の奏でる低音の響きの強度感とが、ともに臨場感抜群の高音質に支えられて訴えてくる度合いが甚だしく、展開部の込み入った進行においても、作品に対するしっかりとした咀嚼感を背景に、丁寧でありながら表面的に流れない真実味のこもったハーモニクスが充溢する。第2楽章こそやや正調が過ぎてもうひとつ苦渋味が弱い感じもするが、第3楽章は白眉で、現代ピアノの粋を存分に生かした、美しく華麗で、それでいて音楽としての訴える力にも不足せず、とにかく稀有の美演だ。(2:48)からのト長調に転調して出るメロディの美感など、思わずため息がでるほどだし、(14:56)の超高音の訴求力なども、臨界的とも言えるほどに素晴らしい。終楽章もいい。総じて素早いフレーズでも上滑りせずに克明に弾き抜いているし、その構築的な厳かさに聴いていて胸打たれる感じがする。

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」
 ラトル/全英ナショナル・ユース管弦楽団
 Sounds-Supreme 2002年ライブ 2S-107

CD−R盤。2002年8月11日におけるプロムスでのコンサートのライブ録音。サイモン・ラトルによるマーラーの交響曲第8番の録音といえばEMIから2005年にリリースされたバーミンガム市立響とのライブ盤が名演として絶賛を博しているが、このナショナル・ユース管との録音はその2年前のもので、ちょうどラトルのベルリン・フィル音楽監督就任直前期にあたる。

バーミンガム市立響とのEMI盤の演奏も素晴らしかったが、この全英ナショナル・ユース管との演奏もそれに負けず劣らずの名演ぶりだと思うし、部分的にはEMI盤を上回る感銘がもたらされるシーンも多い。音質もかなり良く、ボリュームレベルがかなり低めでアンプの音量設定に注意を要するものの、それさえ気をつければ、EMI盤でのいくぶん霞みがかったようなソノリティと比しても、こちらの方が好ましいくらい。声楽陣は、第3ソプラノにローズマリー・ジョシュアが起用されている以外はEMI盤と同じ布陣で(EMI盤の第3ソプラノはユリアネ・バンゼ)、合唱団の構成も同じ。ユース・オーケストラの表現力はEMI盤のバーミンガム市立響のアンサンブルにも比肩する見事なもので、ラトルの棒に俊敏に反応し、一貫的に緻密にしてキレの良い響きを供出し、演奏への集中度、安定感ともに抜群だ。速めのテンポ基調による推進性を維持しながらもメリハリの鮮やかなアンサンブル展開。声楽とのバランス・コントロールも巧妙で、フォルテッシモでのハーモニーの眺望が極めて美しい。加えてクライマックスでの熱のこもった迫真の強奏からはライブの熱気が直截に伝わってきて感動させられる。音場がややオフマイク気味でトッティでの量感が伝わり切らないもどかしさはあるものの、全体としては十分に傾聴させられるマーラー8番の熱演と感じた。

音質は前述のように良質なものだが、第2部開始すぐの、同トラック(1:48)のところに一か所だけ大きな音歪みがあった。

チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」
 スヴェトラーノフ/BBC交響楽団
 EnLarmes 2002年ライブ ELS03-310

スヴェトラーノフが2002年に死去する直前期にロンドンに客演し、BBC響を指揮した際の コンサートのライブ録音で、CDーR盤。非正規盤ながら、貴重な記録であり、それ以上に演奏が素晴らしい。

スヴェトラーノフ一流の勇壮な オーケストラ・ドライブの要求に対してBBC響が実に良く応答している。ソノリティとしてはあくまで洗練された イギリス的なものであり、ロシア的な土着感こそさすがに希薄だが、アンサンブルの鳴動力の高さと、音色の濃色感と いう点においては、非イギリス的な音響的感触に満ちている。

第1楽章冒頭(1:57)からの金管のファンファーレの鳴動感、(2:27)からのクラリネットの濃色感、展開部の山場での、 金管パートの豪壮を極める最強奏など、いずれも味の濃さが際立っていて、聴いていて嬉しくなるほど。 第2楽章も濃密であり、(1:54)からのオーボエ・ソロからしてスコアのp指定に対して明らかに強め。弦 パートの部厚いカンタービレに絡みつく木管動機の情緒的なこと。第3楽章も同様で、わけてもトリオにおける弦の 厚味のあるユニゾンから繰り出されるメロディ・ラインの訴えかけの強さが忘れがたい。コーダのティンパニも激烈だ。

そして終楽章は、これがこの2週間後に死を迎える指揮者の演奏かというくらいのヴァイタリティに満ち、 実に感動的であり、まさにスヴェトラーノフ有終の美というに相応しい、見事な演奏だと思う。

シューマン ピアノ・ソナタ第1番&ヴォルフ 「ワルキューレ・パラフレーズ」
 鷲見加寿子(pf)
 ライブノーツ 2001年(シューマン)・02年(ヴォルフ) WWCC-7459

国内初CD化となるヴォルフの「ワルキューレ・パラフレーズ」が興味深く、どういう曲なのか聴いてみたいと思い購入したディスク。だが、ひと通り聴いた感想としては、ヴォルフはいまひとつ印象が弱く、むしろシューマンのソナタの方が遙かに感動的な名演だと思う。

「ワルキューレ・パラフレーズ」はドイツ歌曲の大家ヴォルフが20歳のときに書いた作品で、そこにはワグネリアンであったヴォルフの楽劇「ワルキューレ」に対する崇拝心が下敷きとなっている。演奏時間30分を要する大曲で、構成はおおむね原作の筋に沿ったものであり、ジークムントとジークリンデの邂逅に始まりブリュンヒルデの炎の中での眠りに終わる。そして旋律素材として、当然ながら「ワルキューレ」で使われている各種ライト・モチーフ(指導動機)が散りばめられている。そのあたりの各動機の配置の妙、動機相互の絡み合いの巧さ、そして音楽のスムーズな流動感など、確かにパラフレーズ作品としては優れたものだと思うし、聴いていて新鮮な趣きには事欠かない。ただ、不満なのが、原作オペラでの大きな聴きどころである第3幕「ワルキューレの騎行」とか、第1幕終盤の二重唱の盛り上がる場面とか第2幕終盤のジークムントの激死の場面とか、そういう強烈なシーンが概ねオミットされている点。どうも、作品の力点が指導動機の展開に傾き過ぎているような感があり、もうすこし「オペラ的な」展開の表情を強く出していたら、作品としての面白味がもっと増したのではないか、と思われる。

その意味で、このディスクの真の聴きものはむしろシューマンだと思う。第1楽章冒頭の序のfの主題からキリッとした強音で音色の張りが素晴らしい。(2:29)からの第1テーマにおける左手のpの強度感、右手のfの鮮烈感、いずれも抜群で、高音質の録音を通してシューマンの仄暗い情念の機微が絶妙に響いている。展開部でのヴィヴァチッシモの急迫感にもゾクゾクさせられる。第2楽章の「アリア」での清らかなニュアンスもいいし、後半楽章でも全体にタッチに充実感が絶えない、気持ちの乗った名演奏だ。

シューマン 交響曲第1番「春」&ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」
 ウルフ/フランクフルト放送響
 hr-musik.de 2001年(シューマン)、02年(ベートーヴェン) HRMK010-02

シューマン「春」は第1楽章 冒頭から極めて整然として見晴らしの良いハーモニクスが安定的に供出されており、それでいてアンサンブル展開に おいても水準以上の充実感がコンスタントに維持されている。管と弦のバランスはおおむね弦上位で、例えば(2:06)からの 第1テーマのメロディなど、前半の管のスタカート部より後半の弦によるノン・スタカート部の方がひとまわり強度的な 冴えが高い。楽章を通して弦の表出力はかなり良いのに比べて、木管の表出力はちょっと弱い。例えば展開部150小節め の(5:25)からのオーボエのサブテーマなど、もう少し濃色感が欲しいような気がする。

第2楽章もいささか管の 色彩感が弱い構図は同じだが、それ以上に弦の音色がいい。ことに変ロ長調に転調する(1:54)からのチェロの音色など。 第3楽章は冒頭のフォルテからくっきりと明晰なトッティのこなれ具合が抜群。迫力も十分。ただ、ややこなれ過ぎと いうのか、整然とし過ぎているというか、もう少しデモンな色合いも欲しいところだ。終楽章もやはり明晰にして 晴れやか。

ベートーヴェンの「田園」の方も表現の方向性としては同軌道で、速めのキビキビしたテンポを基調に しながらも、どんなに速いパッセージでも細密感が立ち、アンサンブルの見通しも常に最上に保たれ、ハーモニーの ポリフォニックな複妙感が非常に冴えている。

これだけの演奏形成をなし得ているヒュー・ウルフは、やはり実力者だと 思うが、気になるのは、テンポ取りやダイナミクスの動かし方などに、どことなく型にはまったような印象が払底されない 点。名演なだけにもったいなく、これで強烈な個性感を叩きつけるという方向性をもう少し強く打ち出していればさぞかし、 と思う。

ハーシェル 交響曲作品集
 バーメルト/ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ
 シャンドス 2002年 CHSA5005

シャンドス・レーベルの企画による「モーツァルトと同世代の作曲家シリーズ」に含まれる一枚で、SACD仕様のもの。ウィリアム・ハーシェルは1738年にドイツのハノーヴァーに生まれた作曲家だが、現在においては作曲家としての名声よりも天文学者としてのそれの方が圧倒的に高い。事実その天文学者としての功績には計り知れないものがあり、ハーシェル式反射望遠鏡の開発や、1781年の天王星の発見はあまりにも有名(ただ、現在の我々の実生活に対する影響という点では、むしろ赤外線の発見の方が功績としてはるかに大きいように思うが)。

対して、音楽家としての歴史的業績はそれほど大きなものではないようだ。なにしろ天王星発見の翌年には音楽家から足を洗って、イギリス王立天文台の所長職に専念したというくらいだから。そのハーシェルの音楽的業績として今日知られているものとして交響曲、協奏曲、オルガン音楽の数作品があり、交響曲は計24曲が作曲されたといわれている。

このディスクにはその交響曲のうち2番、8番、12番、13番、14番、17番の計6曲が収録されていて、いずれも世界初録音と記載されている。いずれも3楽章制で規模的にも小さく、むしろシンフォニアというべきもので、内容的にも、聴いた印象を一言でいうと、「軽い」。娯楽音楽的な軽さというべきか、全編に親しみやすい旋律展開に満ち、耳当たりバツグン。よって、聴いていて疲れることはなく、むしろ疲れが癒されるような、ヒーリング・ミュージックとしての色彩すら感じられる。音楽作品としては、やはりそのあたりの、聴いていてゾクゾクするような瞬間が皆無である点に決定的な物足りなさを感じるとしても、耳を潤すような優雅な心地良さに得難い個性味があるように感じた。音楽は聴きたいが疲れたくない、という時に聴くべき一枚だと思う。演奏は良好で、音質的にもSACDのまろやかなソノリティの特性が作品のカラーによく調和している。

ベルリオーズ 幻想交響曲、叙情的場面「エルミニー」
 ミンコフスキ/ルーブル宮音楽隊&マーラー室内管弦楽団、ルゲイ(sop)
 グラモフォン 2002年ライブ 474209-2

このミンコフスキの「幻想」は各方面から絶賛を博したディスクで、確かにいい演奏だと思うも、大絶賛するには いささか躊躇する。というのも、せっかくの斬新なそのコンセプトがフルに活かし切れていないような感じもするからだ。古楽器オーケストラとモダン編成オーケストラの混成をベースとするという、かなり思い切ったコンセプトは素晴らしいと思うし、実際、聴いていてそのコンセプトが生み出す新鮮な音響特性が随所において耳を刺激する。総じてルーブル宮音楽隊のアンサンブルを中核とする古楽器様式的なスタイルに拠りながら、音響的迫力や音色の美的洗練が要求されるような場面ではマーラー室内管のハイ・ポテンシャルを全面に押し出すというやり方で、結果として新旧両スタイルのいいとこ取りともいうべき感じになり、その印象度には確かに目覚しいものがある。

第2楽章や第3楽章はどちらかというとマーラー室内管の持ち味が生きているようだし、逆に第4・第5楽章は古楽器色がかなり支配的で、わけても第4楽章は、金管の副音形が放つ人間のうめき声のようなおどろおどろしい響きとあいまって、刺激的なことこの上ない。そういう意味で、もったいないと思うのが第1楽章。第2楽章以降と比べて個性味が薄いからで、展開部などいかにも迫力不足だし、全体に両オーケストラの音色の表出力が中途半端で、煮え切らない印象を受ける。ライブ取りゆえのムラなのかも知れないが、後半楽章が素晴らしいだけに残念な感じがする。

マーラー 交響曲第6番「悲劇的」
 ザンダー/フィルハーモニア管弦楽団
 テラーク 2001年 3SACD-60586

全体としては名演だけども、、というのが率直な感想。第1楽章冒頭から遅めのテンポを維持した慎重かつ堅実な足取りで歩を進め、その高度に練り込まれた客観を極めるダイナミクス展開に立脚した、ハーモニクスの怜悧な冴えが抜群だ。管パートの表出力が軒並み高いのも特徴的で、例えば(10:42)からのフォルテでの金管の鳴りっぷりの強烈感、(11:30)のトランペットの巧妙なヴィブラートなど、いずれも聴いていてゾクッとくる。SACDハイブリッド仕様による音質も極上で、わけても(12:42)からの弱奏部においては、最弱音の克明度がハンパでない。弦の細やかな音色の震えひとつでさえ、手に取るように聴こえてくる、夢幻的なピアニッシモ。強奏時での臨場感も高水準に捕捉され、ザンダーの緻密なアンサンブルの練り上げの機微がすこぶる克明に伝達されている。

しかしながら、気になるのが音像からの距離感が全体にオフマイク気味な点で、場面によっては、特に最強奏のあたりなどで総じてソノリティの迫力感が大人しい感じがある。ティンパニが全体に弱いのも迫力が伸びきらない一因で、再現部突入の(18:01)でさえもかなり穏健だ。それは第2楽章も同様で、名演なのだが一抹の物足りなさも残る。むしろ白眉は第3楽章で、ここでは音質の利をフルに生かした繊細にして怜悧なアンサンブル展開が、音楽の物悲しい幻想味を余すところなく伝え切っている。(13:51)あたりのホルンの美しさなど、ちょっと忘れがたいほどだ。終楽章は前半2楽章よりはアンサンブルの迫力が明らかに上回る。ティンパニが総じて前より強めで、弦のえぐりもエッジが立ち、金管もシャープでキリッとしていて、総体的に響きに付帯する痛烈味が素晴らしい。

ところで、この終楽章は初演版と改訂版の2ヴァージョンが別収録されているが、聴いた限りでは両演奏の違いは第3ハンマーの有無のみだ。すなわち初演版の方の(29:16)で叩かれる第3ハンマーが、改訂版の方では叩かれない。このあたりの両版の違いを強調する意図もあるのかどうか、ハンマーの打撃音はいずれもすこぶる激烈だ。

ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」
 ヴァント/ミュンヘン・フィル
 Profil 2001年ライヴ PH06046

2006年にドイツのProfilレーベルからリリースされたCDで、ギュンター・ヴァントが ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団に客演した際のブルックナーのライヴが収録されている。 本CDのライナーノートによると、ミュンヘン・フィルはベルリン・フィルと並んで、ヴァントが死の 直前期まで客演を続けた、たった2つのオーケストラのうちの一つであるとのこと。

演奏は2001年9月の、ミュンヘン・ガスタイクでのコンサートのもので、翌年2月に死去となった巨匠ヴァントの、 まさに最晩年の時期に係るブルックナーだが、ヴァントは同じブルックナーの4番を、2001年10月に 北ドイツ放送交響楽団とハンブルク・ムジークハレで演奏していて、そのライヴを収録したCDも、「ヴァント生涯最後の コンサート」としてRCAから2002年にリリースされている。

今回リリースされたミュンヘン・フィルとのブル4を聴いて、そのラスト・コンサートのブル4が、やはり思い浮かんだ。 聴き比べてみると、ほとんど同一の時期の録音で、全体の構成感などは明らかに同一なのに、 演奏の雰囲気として少なからぬ相違が認められるのが興味深い。

ミュンヘン・フィルの南ドイツ的な響きの特性がそうさせるのか、或いは、チェリビダッケ時代に隅々まで沁み渡った、 オーケストラとしての個性がそうさせるのか、、、

それにしても、どちらも本当に素晴らしいブルックナーで、聴いていて惚れぼれするばかりだ。 ヴァントの手兵・北ドイツ放送響とは対照的な響きの特性を備える、ミュンヘン・フィルとの顔合わせにおいても、 ヴァントならではのブルックナーの美質がクッキリと顕現しているあたり、やはりドイツのオーケストラ文化の、 計り知れない懐の深さが感じられてならない。

ホルスト 「惑星」
 秋山和慶/東京交響楽団
fineN 2001年 NF61201

全体に遅めの安定的なテンポをベースに、格調重視の造型構築に基づく音楽の風格と、バランス的にほとんど危うさを 感じない、こなれ切ったアンサンブル展開の妙味が持ち味の演奏ながら、迫力がいまひとつという 局面も多い。「火星」は特にそうで、テンポ感に推進性が欠ける上に、強和音の展開も(4:53)などをはじめ軒並み穏健 で、パンチ力不足という感が否めない。

「金星」や「水星」あたりは中庸な表現ながら、丁寧な響きの構築が爽快な音楽の流れを創出している。 「木星」はここでのベストで、全体に金管パートが健闘していて響きに豊かな厚みを もたらし、打楽器の強打もパリッとしている。次点は「天王星」。(2:08)をはじめ木管の音がいいし、(2:55)など ティンパニにも充実味がある。「土星」と「海王星」は堅実無比。弱音の緻密な練り上げ具合が光っている。

ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」
 アシュケナージ/NHK交響楽団、セルゲイ・コプチャック(br)
 デッカ 2000年ライブ UCCD-1186

全編に音楽の表見的な仕上がりにおいては一点のほころびも無く、ライブであることも含めると、N響の演奏技術の 傑出性は確かによく伝わる。としても、肝心の演奏自体の感銘が、どうにも弱い。

第1楽章から、いかにも技術主導的な 表情の薄さであり、(3:33)あたりの強和音連打の響きなど安っぽいし、(9:40)前後のクライマックスも、表面的な ボリュームや迫力と裏腹に、それこそ地獄を見るような壮絶ぶりは希薄。まさにN響の限界をここに聴く思いが する。

第2・第3楽章は聴いていて退屈してしまうし、第4楽章も、終盤の起伏など、いかにも型どおりの強奏に 終始し、凄みに欠け、白けてしまう。終楽章も良くない。コプチャックの歌唱は会場がNHKホールのためか、 ボリュームを張り上げるのに手一杯で、他のことに手が回らないという印象だ。

ハチャトゥリアン 交響曲第2番「鐘」&武中淳彦 「管弦二抄」
 井上喜惟/アルメニア・フィル
 アルトゥス 2000年ライヴ ALT011

2001年にリリースされたディスクで、アルメニアの首都イェレヴァンで2000年9月に開催された 「日本音楽週間」での演奏会のライヴ。演目は武中淳彦の「管弦二抄」と、 ハチャトゥリアンの交響曲第2番「鐘」だが、公演の最初に演奏された 武中淳彦編曲の「君が代」と、アンコール曲の小山清茂「アイヌの唄」も収録されている。

アルメニア・フィルは、かつてロリス・チェクナヴォリアンの 指揮で、ASVレーベルにハチャトゥリアンの交響曲第2番を録音している。 その演奏は民族的な味わいに満ち、 アンサンブルの荒びた迫力や、エネルギッシュな響きの奔流に圧倒させられるような名演だった。 これに対して、このCDにおけるハチャトゥリアンは、同じオーケストラなのに、こんなに違うのか、と 聴いていて驚かされることしきりだった。演奏の方向性としてはチェクナヴォリアン盤との差異が強いが、 音楽としての感銘の度合いという点になると、さてどっちが上だろうかと迷うくらいに、こちらの井上喜惟盤の ハチャトゥリアンも素晴らしい。

第1楽章冒頭の1小節だけでも、この井上喜惟盤がチェクナヴォリアン盤と全然違っていてビックリさせられる。 というのも、この井上喜惟の演奏では、fffの冒頭部の3つのアクセントが圧倒的に 強調されていて、ガン・ガン・ガンという熾烈なリズムがいきなり耳に飛び込んでくるのだ。しかし チェクナヴォリアン盤では、聴き比べれば誰にでも分かるように、このアクセントはほとんど強調されていない。 このビート感の有無により、それこそ別の曲かと思うくらいの印象の違いがある。

第1楽章(1:43)から出る第1テーマ以降のテンポ感が、かなり緩やかに設定されているのも特徴的だ。 結果チェクナヴォリアン盤での推進力にこそ欠けるが、旋律の粘着力やフレージングのキメ細やかさに優位し、 一つ一つのメロディの流れがはっきりとした訴えかけを帯びている感じがする。

第2楽章以降も含めて、全体的に井上盤の方が緻密で洗練された演奏という印象が強く、チェクナヴォリアン盤の ような強烈な民族色を感じさせる演奏ではないが、聴き比べてみると、チェクナヴォリアン盤では気がつかなかった 音楽の味わいがそこかしこにあるし、ライヴの実在感ゆえか、音楽の訴えかけの強さにも惹き込まれてしまう。

併録の武中淳彦「管弦二抄」は、この演奏会のために書き下ろされた作品で、これが世界初演とのこと。まるでNHK大河 ドラマのオープニング曲に、そのまま使えそうな雰囲気の曲だ。

ヴェルディ 歌劇「椿姫」全曲
 メータ/国立RAI交響楽団
 テルデック 2000年 8573-82741-2

音質が大問題。このディスクは、もともと映画フィルム「パリの椿姫」のサウンドトラックとして製作された もので、通常のオペラ録音の音質的特徴とは明らかに違っている。それは映画中の効果音(ガラスの割れる音や ダンスのステップ音など)まで録られていることからも明らかだが、だからといって、オペラ公演でのライブ録音 のような雰囲気ではまるでなく、人工的というか、とにかく音という音が平面的で奥行き感がほとんど感じられない。 まるで歌手、オケ、合唱が一直線に並んでいるかのような、不自然なソノリティ。

さらに追い討ちをかけているのが 高音の伸びの悪さ、抜けの悪さで、第1幕終盤でのヴィオレッタのアリアなど、いかにも高音がやせ細っていて 聴いていてガックリくる。とにかく全般的にこの調子なので、普通に聴くのがかなり辛いと言わざるを得ない。

アーティストの点でもかなり不満。メータの指揮には凄みがないし(サウンドトラックと割り切っているのかも 知れないが)、グヴァザーヴァのヴィオレッタは全般に力不足(ヴィジュアル優先の、いかにもモデルのような 歌手なので、仕方ないのだろうか)。クーラのアルフレードは立派だが、声質的にそもそもアルフレードに合わないような 気が、、、。いろいろな点で、どうにも違和感の強いディスクだ。

ブルックナー 交響曲第8番&シューベルト 交響曲第8番「未完成」
 ヴァント/ミュンヘン・フィル
 Profil 2000年ライヴ PH06008

2006年にリリースされたCDで、ギュンター・ヴァントがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団に客演した 際のブルックナーとシューベルトのライヴが収録されている。演奏は2000年9月のコンサートのもので、 ヴァントとしては最晩年の時期に係る。

ブルックナーの8番、シューベルトの「未完成」、いずれもヴァントの自家薬籠中ともいうべき作品だが、 このミュンヘン・フィルとの演奏においても、いずれ素晴らしい演奏内容というほかなく、 聴き終えて圧倒的な感銘の残る演奏だ。

このミュンヘン・フィルとのライヴにおいて、聴いていて特に印象深いと感じられた点は、 時としてアンサンブルの奏でる響きの感触が、ヴァントの指揮にしては明らかにソフトと いうか、まったりとした音彩になっていることで、ある意味ヴァントらしからぬとさえ思えるほど。 特にブルックナーにおいて顕著で、実に味わい深い演奏だが、その味わいというのは、むしろチェリビダッケの ブルックナーでのそれに近いような気がする。

もちろん造形バランス、テンポ設定、そして版の選択の 違い(ヴァントはハース版、チェリビダッケはノヴァーク版)も含め、オーケストラの響きの特性を除くすべての 属性は、疑いなくヴァントのブルックナーを指し示しているのだが、しかし実際に響きてくる音楽には、 ヴァントのブルックナー特有の峻厳な佇まいとは、やや趣きを異にする、独特の温か味や包容力が宿っているように思う。

いずれにしても、シューベルトの方も含めて、このミュンヘン・フィルとのライヴにおいては、ヴァントの指揮にしては 聴いていて陶酔的な感覚が誘引される割り合いが高く、逆に覚醒的な凄味が大人しいが、音楽としての深みには掛けがえの ないものがあるし、何より北ドイツ放送響やベルリン・フィルとの演奏とは違った方面において、巨匠ヴァントの 思いがけない美質がくっきりと立ち現われている点に、独特の趣きを感じさせる演奏だ。

このブルックナーでは、終演後、盛大な拍手が湧き起こるまでに、11秒もの神秘的な間が存在している。 これを聴いて、同じブルックナーの8番を、かつてチェリビダッケがミュンヘン・フィルを指揮した録音(EMIクラ シックス、1993年のライヴ)を思い出した。そこでも、最後の音が消えてから最初の拍手が始まるまでの間 が、15秒であった。ミュンヘン・ガスタイクの聴衆の伝統なのだろうか。素晴らしいものだ。

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
 朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団
 エクストン 2000年ライヴ OVCL-00026

朝比奈隆の通算7回目の、そして最後となったベートーヴェン交響曲全集からの録音。2000年7月8日大阪シンフォニーホールでのライヴ録音、および23日東京のサントリーホールでのライヴ録音の2種類の「エロイカ」がCD2枚に収録されている。

両演奏ともに最晩年の巨匠・朝比奈の残した至高ともいうべき「エロイカ」であり、彼の一連の同曲の録音の中では、全体的に多少アンサンブルのキメが粗い感じはするものの、遅めのテンポで頑強にリズムを刻んでゆく、朝比奈流アプローチは健在。オケの気力の充実度、アンサンブルの発する音の勢い、いずれも素晴らしく、聴いていて嘆息を禁じえない。

興味深いのは、8日の大阪ライヴでの第2楽章の総タイムに19分20秒も掛けられている点で、これは23日の東京でのライヴ(18分20秒)よりも1分も長くなっている。この楽章で19分を超えるものは朝比奈の「エロイカ」全種を通しても他にないし、異常とも思える遅さだ(最初にCDを見た時はタイムの表記ミスかと思ったほど)。

この超スローペースを背景に、音楽の歩みは荘厳を極め、スケールも極大(とくに(9:46)あたりのティンパニ強打の迫力は尋常でない)だが、この異端とも思えるペース、その造型のいびつさに対し、さすがに朝比奈もやり過ぎたと判断したのか、直後の東京公演では通常のペースに戻されている(それでも十分に遅いテンポだが)。東京ライヴの方はサントリーホールのふくよかな残響の追い風を受け、彼の生涯最後のエロイカの録音を飾るに相応しい、掛け値なしに気宇壮大な演奏に仕上げられていて、聴いていて実に深い感動の奥底に誘われる思いがする。決して艶やかとはいえない大フィルから、ここまで雑味のなく抜け切ったような美しさが奏でられるあたり、耳を奪われる。

それにしても驚くべきは、このとき朝比奈は実に92歳(!)の誕生日を目前に控える高齢。それほどの年齢で、これほどのベートーヴェンが振れるというのは一種の奇跡とも思えるが、彼の手兵・大フィルとの積年の信頼関係があればこその、前人未到の偉業なのかもしれない。

ロゼッティ 交響曲集
 マイス/ヴィルニウス・リトアニア室内管弦楽団
 アルテ・ノヴァ 1999年 74321-72123-2

アントニオ・ロゼッティは18世紀後半に活躍したボヘミア生まれの作曲家だが、もともとフランチシェク・アントニーン・レスレルという名前の作曲家であり、1773年にアントニオ・ロゼッティに改名している。これだけでもややこしいのに、さらに改名前の名前のドイツ語表記であるフランツ・アントン・レスラーとしても認知されているという。

音楽史的には、やはりモーツァルトとの関係で取り上げられることが多く、そのホルン協奏曲はモーツァルトがホルン協奏曲を作曲する際の手本となったとも言われるし、モーツァルトの葬儀の際にロゼッティのレクイエムが演奏されたことも知られている。このディスクに収録されているのはそのロゼッティの4つのシンフォニーで、聴いた印象としては、ハイドンの中期シンフォニーのような様式をベースとしながら、ところどころにモーツァルトからの影響と思われるパッセージを散りばめたような作品という感じだ。例えばニ長調のシンフォニーの第1楽章のコーダあたりに出るモチーフなど、モーツァルトの小ト短調シンフォニーの第1楽章に出てくるそれにそっくり。

ゲオルグ・マイスの指揮によるリトアニア室内管の演奏は4つのシンフォニーに通底する典雅な情感と一抹の憂いの情を衒い無く表現していて、バスがいくぶん薄い感じはあるとしても、ヴァイオリンの鳴りの良さ、木管の色合いのくっきり感などいずれも作品の味わいを過不足なく伝えてくれる。

ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲第10番、第14番
 アルバン・ベルク四重奏団
 EMIクラシックス 1999年ライブ 5570132

変ホ長調の第10番はドヴォルザークの弦楽四重奏曲の中でもひときわスラヴ的な味の濃い、郷土色豊かな 趣きの作品だが、ここでのアルバン・ベルクSQの演奏は基本的に柔らかめの強弱のイントネーションを ベースに、緩急の繊細な揺らぎを駆使したウィーン風のアンサンブル展開であり、それが生彩にして 美しい。

第1楽章でのタッタタ・タッタタ…という特徴的なリズム感で楽章全体を鮮やかに彩るポルカ・リズムの 愉悦味や、第2主題部の(2:06)あたりでヴァイオリンのポルカ・リズムと 戯れるように朗々と歌われるヴィオラの主題音形の旋律妙感の麗しさ、あるいは展開部序盤の(6:23)から 短調に移された第2主題がヴァイオリン主導で美しく再登場するシーンでのメランコリーなメロディの気品など、 全編的に音楽が非常に綺麗に奏でられている。

ト短調のエレジーな楽想が麗しい第2楽章や 静かなカンタービレの美しさが印象的な第3楽章も、いずれもこれ以上は多分ムリというくらいの優美さでもって 音楽が形成されていて、聞き惚れるばかりだ。終楽章もよく、全体に各奏者の奏でる舞曲的な イントネーションがいかにも洗練されたウィーン風の発声様式でありながら、アンサンブルとしての鋭敏な機動性を 駆使したスリリングなスピード感にも富んでいる。そのあたりの伝統的とも現代表現風ともつかない表情ぶりが いかにもアルバン・ベルクSQらしいというべきか。

カップリングはドヴォルザークの書き上げた最後の室内楽作品 である第14番カルテットで、演奏も同じスタイルでの美演。ただスタイルとの相性によるのか、10番よりは 表情の立ち具合が大人しい気がする。

ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」&スクリャービン 交響曲第4番「法悦の詩」
 ゲルギエフ/キーロフ歌劇場管弦楽団
 フィリップス 1999年 UCCP-1035

この「春の祭典」は、確かに素晴らしく、いろいろなところで大絶賛されているとおり、おそらくゲルギエフとキーロフ歌劇場管の真骨頂が刻まれたディスクだと思う。

しかし、これはかなり個性的な部類に属するハルサイであり、その個性感の強さゆえに生ずる問題点というのも少なからずあるのではないか。

デュナーミクにおいては、本来メゾ・フォルテのフレーズをフォルテとしてクッキリと処理したり、フォルテを フォルテッシモに強調したりというシーンがかなり聴かれるので、 局面によっては対旋律の方が強く、主従が逆転したようなバランスが聴かれるし、 テンポ的にも、最後の2小節における、前代未聞ともいうべき「4秒のパウゼ」の大芝居を始めとして、 かなり独断的な運用が耳につく。とにかくゲルギエフにしては珍しいくらいに主観的な目線での解釈となっていて 驚かされる。 そして、この解釈ゆえに聴いていて圧倒的な感銘を与えられる場面も確かに少なくないとしても、 これはハルサイ本来の精巧な造形の凄味とはちょっと別物ではないかという気もするのだ。

そういう意味で、これはまさしく「ゲルギエフのハルサイ」であり、自身の解釈がアンサンブルの隅々まで行きわたり、実に途方もない迫力が捻出されていて、少なくともその問答無用な猛烈ぶりには、聴いていて実直に感じ入ってしまい、白旗を挙げざるを得ない。「春のきざし」冒頭のアルコの弦のスタカートが奏でるメガトン級の響きからして凄いが、「春のロンド」(2:31)以降に到っては、文字通り「阿鼻叫喚」であり、壮絶を尽くしている。第2部の「選ばれし乙女への賛美」に入るあたりも同様で、その凄まじさは聴いていて理性が吹っ飛ぶかと思うほどで、とにかく感覚に訴える力がものすごい。

J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲全曲(サキソフォーン編曲版)
 清水瑞晃(t-sax)、サキソフォネッツ
 ビクター 1996年(1番〜3番)、1999年(4番〜6番) VICP63779-80

このディスクの面白さは、テナー・サキソフォン編曲云々というより、とにかくバッハでここまで遊ぶか!、というほど 遊んでいる点で、この点においては有無を言わさぬ楽しさに満ちている。

最初の1番のプレリュードは、かなり真面目に、丁寧に音形を刻む感じなので、きちんとした正調の演奏かと思わせるが、 これがとんだフェイント?で、 続くアルマンドはいきなりパーンとはじける様な豪快なファンファーレで始まり、お祭り騒ぎ。クーラントも同様で、 あのバッハの原曲の渋さが微塵も無いし、サラバンドは完全にジャズ風、メヌエットは11分!をかけた極端な スロー調の、まったり感が独特。ジーグ冒頭の、人を喰ったような出だしの面白さ! 

以降もこんな調子で、表情に予断を許さない意外性と楽しさがいい。もちろん、この演奏はほとんど遊びに近いとも言え、ここにバッハ音楽本来の深みを聞くことはおよそ無理だろう。 としても、構えず気楽に聴く分には相当に楽しい演奏だ。バッハファンならずとも一聴の価値ありと感じる。

モーツァルト クラリネット協奏曲&ドビュッシー クラリネットのための第1狂詩曲 &武満徹 ファンタズマ/カントス
 ザビーネ・マイヤー(cl) アバド/ベルリン・フィル
 EMIクラシックス 1998年 TOCE-55078

収録の3曲の中では武満がベストと感じる。タケミツ作品の、世界的名手とベルリン・フィルによる演奏というのは やはり貴重だし、演奏も素晴らしい。作品の抽象美が最高の感度で描かれた名演だ。

メインのモーツァルトだが、 ここではバゼット・ホルンが使用されている。低域のコクは非常に豊かだが、反面、高音の音量と艶がいまひとつで、 これはドビュッシーやタケミツと比べれば明白。それはいいとしても、バックが古楽器オーケストラならともかく、 ベルリン・フィルという点が、なにかチグハグで、第1楽章の(1:50)からソロが入るところなど、映画に喩えれば、 フルカラーの極彩色の背景にいきなりセピア調の色合いの主人公が飛び込んできて立ち回るような感じだ。もっとも、 その対比の妙こそが狙いなのかもしれない。第2楽章を満たすソロ高音の、粉雪のような淡い美しさは印象的だ。

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」&シェーンベルク オラトリオ「ヤコブの梯子」
 ギーレン/南西ドイツ放送交響楽団
 ヘンスラー 1998年(マーラー)、96年(シェーンベルク) CD93.015

ミヒャエル・ギーレンと南西ドイツ放送響のマーラー全集の演奏は軒並み名演、なかでも第2番と第6番の演奏は 抜群の名演だと思うが、この第8番の演奏は少し冴えない感じがする。

具体的には、オーケストラが声楽パートと協調しながらハーモニーを 形成していくような段での表出力において、オーケストラが声楽の後手に回るような局面が聴かれる点が気になる。 それが大編成によるソノリティが飽和するのを防ぐためのポリシーであるとしても、あの第2番や第6番の録音において 聴かれた、純音響的なアプローチの極地ともいうべき、壮絶なまでの音響の張り詰めぶりと比べて、 管弦楽的な醍醐味にやはり物足りなさが残る。

ところでギーレンはこのマーラーの第8番を、フランク フルト歌劇場管弦楽団を指揮して1981年にライブ録音している(ソニー・クラシカル SBK48281)ので、それと聴き 比べてみたところ、面白いことが分かった。

まず全タイムは今回の南西ドイツ放送響との新録音が84分なのに対し、 旧盤は72分と大きく下回る。それでは旧盤の方が新盤より画一的にタイムが短いかというとそうでもなく、第2部 冒頭部の、バリトン独唱が入るまでのオーケストラ・メインの場面のタイムが、新盤15分、旧盤17分と、旧盤の 方が長い。逆に、オーケストラと声楽が同等以上に進行する段になると新盤の方が概ねタイムが長い。

つまり、今回の 新録音においては、声楽主体の局面においてテンポを比較的緩やかに設定し歌唱陣の歌いまわしに余裕とゆとりを与え、 ハーモニクスのバランスが緻密に調整されている。よって歌唱の映え、ハーモニーの見通し、ともにバツグンであり、 たとえ最強奏でもソノリティが飽和しない。それは素晴らしいのだが、その代償として場面によってはオーケストラの アンサンブル活力が低回する局面が聞かれ、その点においては旧盤よりも聴き劣る印象さえある。

その意味で、今回の 新盤の白眉は、第2部の冒頭部だと思う。ここは声楽とのバランス調整をほぼ考えなくて良いので、ギーレンと南西 ドイツ放送響のコンビの美質がストレートに出ている。(8:00)あたり以降が特にそうで、その冷厳な起伏ぶり、(9:44)の フルート・ソロ(ppp)への切り換えの妙など、いずれも表情が旧盤を上回る冴えだ。

ドヴォルザーク 交響曲第8番&ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭」
 ヴェロ/新星日本交響楽団
 新星日響自主制作 1998年ライヴ B9818

ベルリオーズは98年2月27日東京芸術劇場、ドヴォルザークは98年2月19日サントリーホールでの収録で、 いずれもコンサートのライヴ録音。アンコール曲と思われるドヴォルザークのスラヴ舞曲第10番も収録されている。

このCDはおそらくパスカル・ヴェロと新星日響が残した録音の中でも最高の一枚ではないか。とにかく美演。 特にドヴォルザークのシンフォニーが素晴らしい。日本のオーケストラによる演奏とはにわかに信じがたいほどに、 フランス風の音色の美感が立ち、それがドヴォルザークの音楽のスラブ色を塗り替えてしまうほどに際立っている。

第1楽章冒頭から弦のメロディが上質なエレガンシーを湛え、ソフト・タッチな旋律線の描き出すふくよかな音楽美に 耳を奪われる。しかも管パートの音色の美感ときたら弦以上だ。(1:30)からの木管のトリルの美しいこと。(5:45)からの 弦と木管のハーモニーの、ニュアンスの美しさ。後半の山場においても優美なハーモニーの景観は揺るがないが、 音色に強い張りが付帯し、優美一辺倒に終始しない音楽としての厳しさも垣間見せている。

第2楽章以降も同様、特に第2楽章中間部と第3楽章主部に聴かれる音楽の流れの美しさは絶品だ。完全に フランス風のドヴォルザークだが、しごく陶酔的で、その純粋な音楽美に酔わされてしまう。終楽章は 他楽章と比べてかなり情熱的な色合いを押し出した熱演でありながら、そこに蠱惑的なまでの 響きのエレガンスを絶妙に同居させていて、聴いていて心弾むような愉悦味がコーダまで充溢する。

モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」全曲
 クイケン/ラ・プティット・バンド
 アクサン 1998年ライブ KKCC-4263/5

ファン・メヘレン(フィガロ)、エルツェ(スザンナ)、クラッセンス(伯爵)、ビッチーレ(伯爵夫人)。 歌手陣は小粒だが、いずれも気取りのない歌唱で真摯さが伝わり、スター歌手中心のラインナップとは一味違う 好演と感じる。しかし、問題はオーケストラ演奏で、全般にどうにも低カロリーというか薄味というか、表現が 控えめ過ぎてブッファ的愉悦味があまり感じられない。

古楽器オーケストラのオペラ全曲演奏のライブ録音という こともあり、完成度重視でこじんまり手堅くまとめたという印象が拭えない。ノン・ヴィブラートのアンサンブルは 響きがずいぶん緊縮的で、上品な音色ではあるが、新鮮味が少ない。新鮮味という点では最新のヤコープス盤は いうに及ばす、古楽器演奏の先駆たるガーディナー盤の演奏と比してもかなり聴き劣りする。パンチが無さ過ぎると いうべきか。第2幕のスザンナのアリア(第12曲)など、木管の響きが薄すぎて音楽本来の艶やかさがあまり 出ていないし、金管も全般に大人しく、活力不足だ。第1幕や第3幕の幕切れなど、どうしてこんなにしょんぼり 終わるのだろうか? 高揚感という点で、かなり物足りない。

ベートーヴェン コリオラン序曲、交響曲第5番「運命」
 宇野功芳/アンサンブル・サクラ
 フォンテック 1998年ライブ FPCD2724

このディスクは、もともと商品化の意図でなされたものではないにもかかわらず、限定生産としてディスク化したところベストセラーとなり、それもメジャー・レーベルの有名アーティスト演奏の新譜を抑えて売り上げトップの座を数週に渡り維持したという、特異なエピソードを持つ。

その原因は、ひとえに演奏内容のすさまじさにあり、それが口コミで広がり大評判になったというのが経緯だが、実際この演奏は、とんでもない代物だと思う。

これは狂気的な演奏だ。このコリオラン序曲の、(8:24)あたりをフル・ボリュームで耳にして背筋が凍らない人間は、まずいないだろう。交響曲の演奏も含め、宇野功芳はここで、ベートーヴェン音楽の狂気的な表情を、極限的に強調する解釈を施行している。その狂気性が聴き手をゾッとさせると同時に絶大なるインパクトを演奏にもたらしているのだが、それにしても、すさまじい。ティンパニの過激きわまる強打。「運命」第3楽章(3:12)あたりなど、発狂的としかいいようがない。

エルガー ヴァイオリン・ソナタ&フランク ヴァイオリン・ソナタ
 五嶋みどり(vn)、ロバート・マクドナルド(pf)
 ソニー・クラシカル 1997年 SICC339

エルガーはまず第1楽章冒頭の主題に対する情熱味に満ちたフレージング展開に圧倒される。以前の五嶋みどりの 演奏にはめっぽう技術は立つものの、どこか音楽にのめり込め切れないような、ある種の消極性が気になることが 多かったのだが、このエルガーは本当に積極的で、音楽が活き活きと羽ばたくことこの上なく、持ち前の技巧の 鮮やかさも、完全にプラスに転化されていて、もう言うことが無いほど。第2楽章の切々としたフレーズの訴えかけ など、深いし、終楽章も冒頭のテーマなど、パッションに支えられたカンタービレの、何という美しさ。(4:51)あたり の感涙! 

フランクの方も、部分的にピアノがやや平板に流れるところが気になる(ことに第2楽章冒頭)ものの、 ヴァイオリンのフレーズ展開の充実感はやはりエルガーと同格で、強奏におけるピリッとした抉りや、多感な弱奏の 織り成す音楽の様相には聴いていて魅せられる瞬間が非常に多い。

ブルックナー  交響曲第4番「ロマンティック」
 サロネン/ロスアンジェルス・フィル
 ソニー・クラシカル 1997年 SRCR2157

おそらくアメリカのオーケストラに拠るブルックナー演奏という範疇における、最高の美演のひとつではないか。 サロネン一流の現代的に洗練された色彩感覚を、フルに活かした透明度の高い音響カラーの豊かさが際立った演奏内容を 形成している。

第1楽章の提示部から、スリムな筆致感に基づくフレージングが、しっとりとしたハーモニーの淡彩美を構成していて 惹き込まれるし、管弦楽運用面での特徴として、全体的に弱奏部から強奏部に推移する際のクレッシェンドを、強奏部 直前まで抑制的に抑え込んでいることも耳を捉える。これによってクレッシェンド過程における起伏感が 強調されて、神秘的というのか、独特の趣きを出しているように感じられる。 展開部の中盤強奏進行において第1主題を発展的に扱う場面での、金管声部のカラフルな主題モチーフ描出など、 めくるめくものだし、展開部後半第303小節からの管楽器のコラール進行においても、ヴィオラ・パートが出す2オクターブ 対位モチーフまで、くっきりとハーモニー前面に浮き上がらせる透過性の高いアンサンブルが、何とも言えない 静謐感に満ちて素晴らしい。

第2楽章でも冒頭アンダンテ主旋律を出すチェロと弦楽高声対位との絡み合いなど、あたかも初夏の森にひらめく木洩れ陽のようなムードをたたえていたり、楽章全体で17分近い、たっぷりとした演奏タイムをかけつつ、ユニークなまでに清雅な リリシズムを描きだしている。第3楽章も同様で、夏の朝の心地良い清涼感を伝達するような爽やかなムードがある。

終楽章は冒頭の第1主題提示場面を始めとして、全体的に楽曲が大きく起伏する場面で適度にテンポを動かすなど、のびやかな伸縮性を活かした柔軟な造型の取り方を主体に進められるが、どんなに音楽がフォルテッシモで大きく起伏しようとも、 アンサンブルの彩色面での透明感を湛えた美質は常に絶やされず、その微妙な色調感に宿る詩的なまでのロマンティズムの 発する、管弦楽表情の魅惑性において、サロネンの優れた音楽性と美的感性の豊かさが如実に息づいている。

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」、序曲「オセロ」
 アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 グラモフォン 1997年ライヴ POCG-10098

あまり評判にならない演奏だと思うが、聴いてみると、なかなか面白い「新世界」だ。 表面的にはオーソドックスなアプローチに見せかけながらも、随所にアバドの隠し味的な 運用が敷設されている。

第1楽章は提示部反復を含めて12分ジャストと、快速調のテンポだが、そのような速めの音楽の流れの割りには、かなり細やかな旋律処理を施して局部的な稠密感を意識させるような趣きが形成されている。 例えば(3:05)からの第2主題に対するフレージングなど、スコアのスラーを明確に意識させるような形になっていて、 他盤と聞き比べれば差は歴然だ。この特質は次の長めのタイム(13分半)を掛けた第2楽章において、 よりくっきりと表面化されている。とりわけ中間部ポコ・メノ・モッソ(5:50)からの主旋律(木管)と対声(高弦)との 掛け合いに対するバランスが独特で、スコアでは木管主旋律のppに対し高弦の細分音形はpとなっているので、 通常の演奏では当然ながら後者をハーモニーの中で相対的に強調させる傾向にあるのだが、このアバド盤では それとは逆に、弦をギリギリまで抑制して木管を主役として音楽を描いており、結果的に一種幽玄な表情が 音楽の位相として出ている。

第3楽章は7分40秒という、同楽章としては最短レベルのタイムだが、全体的にスタカートやアクセントといった アーティキュレーションの差異に起因する、細かいイントネーションの機微を高水準に感じさせてくれる。 このあたり、さすがにベルリン・フィルという感じがする。終楽章では冒頭の出だしから重く引き摺るような 強和音の出し方に始まり、メイン・テーマ部となってもテンポを抑制しながら、やや隔音的に処理して同主題の 威厳的な様相を強調するようなイフェクトを巧く出しているし、トッティ部と弦合奏部との緩やかなテンポ変化を 経緯した推移楽節での怒涛の加速とか、第2主題を終えてフォルテッシモ楽節に入る直前での意表を付いた粘り腰の テヌートとか、展開部におけるチェロ以下の弦低声部が奏でるオスティナートを、作為的なほど 強調させたユニークなバランス・シフトなど、全体的に演奏進行に伴うトリッキーというか変妙な間合いの取り方が、 却って多角的な音楽のフェイズを浮かび上がらせていて面白い。いずれもベルリン・フィルの高度なアンサンブル技術 の賜物だと思うが、アバドのウィットな運用センスにも拠るのだろう。

マーラー 交響曲第7番「夜の歌」
 ティルソン・トーマス/ロンドン交響楽団
 RCA 1997年 BVCC34026/27

全体的に重厚さや濃密さに欠けるマーラーだが、軽快な旋律の浮遊感や、リズムの心地よい弾力感を 特色とする現代感覚の強い演奏だ。 楽章別にみると第1楽章は短め、中間3楽章は普通、終楽章はやや長めという演奏時間配分であり、特に終楽章の 演奏解釈がやや個性的で面白い。

第1楽章は冒頭の導入部からそれほどスローに傾斜しない、ほどよい前進的な進行で開始され、弦の刻みの重みよりもキレの良いフットワークに注力したような印象で、特に主部に近づきテンポが速まるにつれて、この傾向が大きくなる。 第1主題が出る6小節前のピウ・モッソから既にかなりの速さにまでテンポが上げられているが、その勢いをもって そのまま主部に入り、弦の付点リズム音形を鋭敏に刻んで颯爽たる行進調で進められる。経過部・第2主題部も含めて 流れの良いテンポで疾走しつつ、管弦楽の艶やかさな色彩バランスも充分に発揮し、展開部も含めて推進テンポと 管弦楽の高音域の色合いの豊かさとの調和がすがすがしい余韻を残している。少なくとも聴いていて陰鬱な影を感じさせない陽気さ・朗らかさのようなものが根底を一貫しているようだ。 再現部からコーダにかけては一気呵成的に管弦楽を走らせているが、打楽器群のパリッとした打音も良く冴え、 やはり陽気な高揚感に満ちている。爽快だが、この曲はそういう景色だけでいいのか、という疑問も残る。

中間3楽章においてはそれほど速いテンポを強調しないオーソドックスな流れだが、オーケストラの響きは相変わらず 清潔な色彩感が音楽に潤いを与え、第2楽章でのカウベル・トライアングル、第3楽章でのティンパニ・大太鼓、第4楽章でのギター・マンドリンといった個々の楽章を彩る特定の器楽群の色合いも良く冴えていて、すこぶる愉悦的だ。

終楽章は、この楽章における書法上の不連続性の強調に主眼の置かれたようなアプローチだ。 ロンド形式を基本とする楽章構造だが、ロンド主題リフレイン部と2つの副主題のリフレイン部とで テンポの緩急差やデュナーミクの強弱差に強いメリハリが与えられている。 いわばパノラマのような独特の起伏だが、聴いていて新鮮だし、この分かりにくい終楽章の解釈としても、 傾聴に値するものだと思う。

マーラー 交響曲第3番
 サロネン/ロスアンジェルス・フィルハーモニック
 ソニー・クラシカル 1997年 S2K60250

第1楽章冒頭からホルンの朗々たる響きの張りが素晴らしく、以降は晴朗を極めたようなハーモニーのデリケートなまでの 組上げがもたらす、絶妙な陰影が、この楽章に潜んでいる「夏」的な風景を照射するかのようだ。 第132小節からの、牧神パンが眠りから目覚めゆく場面における木管群の澄み切った色彩美、さらにトロンボーンが 吹奏する主題旋律のすがすがしい色彩感など、いずれも大いに耳を楽しませてくれるし、 クラリネットからヴァイオリンに継がれる第4主題部に聴かれる、それこそ「透き通るような」最弱奏進行から、トロンボーンの最強奏を伴う結尾での充実したフォルテッシモまでスムーズに管弦楽を繋いでいくあたりの、センスの良い 音楽の運び具合も絶妙だ。

展開部以降も、相変わらず繊細にして美しい色合いのハーモニーが耳を潤し、 ロスアンジェルス・フィルのアンサンブル展開としても、弱奏部での繊細な和声の組上げといい、各種ソロでの旋律的な キレ味の鋭さといい、いずれも水際立っている。ただ、旋律幅を必要以上に広げず、造型をスリムに絞った 反重厚スタンスが基本となっているため、展開部後半あたりになると、その旋律ラインの線の細さに加えて低弦部の 重量感がいまひとつものを言わないので、ことボリューム感や演奏スケールの面においては、マーラーにしては物足りない ような憾みも残る。もっとも緩急の対比はかなり鮮明で、その点では実にマーラー的だ。展開部終盤から再現部直前に かけての、トップ・スピードによるアンサンブルの高速回転にはスリリングな爽快感が漂う。ちなみに、 ここで同じように一気にテンポを急加速させる演奏の、代表盤はバーンスタイン盤だが、 そのバーンスタイン盤での重戦車的なド迫力という印象に対して、 このサロネン盤はずっとスマートで、むしろスポーティで爽やかなオーケストラ・ドライブという印象だ。

第2楽章は冒頭のオーボエによる主題メロディの開始から、清流のように清潔な色彩的美感を聴き手に意識させる ような表情であり、特に第2トリオ中盤から終盤にかけて弦に出る跳躍音形の、リズム的な弾力感を活発に強調した フレージングなど、音楽がいかにも楽しげに彩られ、聴いていて気持ち良い。しかし全曲の白眉はむしろ第3楽章だろう。 全編に渡ってセンシティヴな音色のコントロールと、オーケストラのウェスト・コースト風ともいうべき音響カラーに 起因する開放感が、伸びやかなリリシズムとして充溢し、ポストホルンの、夏の日の陽炎が揺らぐようなまどろみの響きも 深い余韻を耳に刻み込んでやまない。

第4楽章ではスウェーデン出身のアルト・ラーションが歌っている。師ルートヴィヒゆずりのリートの格式を感じさせる カッチリとした歌唱様式。終楽章は、その透過性の高い弦合奏の発する心地良い清涼感には、聴いていて惹き込まれるが、 全体的にデュナーミクの段階的なメリハリが少し行き過ぎて、ところどころフレージングがやや神経質に流れて 窮屈さを帯びているように思う。手が込み過ぎて逆にアダになったという感じだが、それだけに惜しまれる。

ポートレート・オブ・グートマン(vol.2)
 グートマン(vc)、ナセトキン(pf)、ロバノフ(pf)
 ライブ・クラシックス 1967、82、98年ライブ LCL2032

収録曲は@ドビュッシー チェロ・ソナタAシュニトケ チェロ・ソナタBJ.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 第1番。@は1967年のミュンヘン国際コンクールでのライブで、ピアノはアレクセイ・ナセトキン。Aは1982年の モスクワ音楽院ホールでのライブで、ピアノはヴァシーリ・ロバノフ。Bは1998年のバルセロナでのカザルス 記念コンサートのライブ。

ナターリヤ・グートマンはヴァイオリニストのオレグ・カガンの妻であり名チェリストと して知られるが、このディスクはそのグートマンの幅広い年代からのライブ録音が3曲収録されている。その3曲が いずれも素晴らしい名演ばかりだ。

@はグートマンがミュンヘン国際コンクール室内楽部門で優勝した際のライブと されるが、冒頭のプロローグ楽章からチェロの音色の張りに充実感が強い。セレナード楽章も含め、その響きは克己的 にして芯のくっきりとした強靭さが常にあり、ゆえにドビュッシー風という感じでは必ずしもないが、その演奏の生彩 に惹かれてしまう。フィナーレ楽章など特に素晴らしいが、続くAがさらに良く、とにかく演奏の次元が高い! ラルゴ 楽章での緊迫感から冴えているが、次のプレスト楽章の凄さときたら最高で、聴いていてジリジリするほどにひりつく ような緊張の応酬。最後のラルゴも、実に抜き差しならない。

Bも相当の名演だ。なにより音色の味の濃いこと! 冒頭 のプレリュードの出だしから濃厚なチェロのソノリティが充溢し、終曲まで訴求力豊かなフレージング展開で一貫 される。全編に演奏者の強い表現意思が滲むような聴き応えのあるバッハだ。

ブラームス 交響曲第1番&ベートーヴェン 交響曲第1番
 ヴァント/ミュンヘン・フィル
 Profil 1997年ライブ(ブラームス)、1994年ライブ(ベートーヴェン) PHO6044

2006年にリリースされたCDで、ギュンター・ヴァントがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団に客演した際の ベートーヴェン交響曲第1番とブラームス交響曲第1番のライヴが収録されている。

注目すべきは録音時期で、ブラームスの方の97年はミュンヘン・フィルの音楽監督チェリビダッケ死去の翌年、 またベートーヴェンの方はチェリビダッケがまだ存命の時期の録音。すなわちミュンヘン・フィルの、ほぼ最盛期における 録音というべきもので、事実このディスクに聴く演奏は両曲とも圧倒的に素晴らしい。

ヴァントの演奏の持ち味である構築的訴求力の高さも凄いが、特筆すべきはオーケストラの 響きの深み! ことに弦パートの音色の奥行きと響きの包容力が絶大であり、聴いていて本当にドイツ本場の響きと いう実感が湧いてくる。ヴァントの演奏様式はRCAの北ドイツ放送響との録音とおおむね同じで、ブラームスの 終楽章主部のアニマート(5:42)でテンポを強烈にシフトする流儀もしっかりと継承されている。

ブルックナー 交響曲第8番
 ヴァント/ベルリン・フィル
 メモリーズ 1996年ライブ ME1043/44

これは正規盤ではないが、1996年9月に行われたベルリン芸術週間におけるコンサートのライブ録音であり、 ヴァントの指揮によるブル8の正規盤である、93年録音の北ドイツ放送響盤と01年録音のベルリン・フィル盤との、 ちょうど中間の時期での録音となる。

同じベルリン・フィルとの顔合わせ である最晩年の録音(RCA 2001年ライブ 74321828662)も超絶的な名演だが、この96年録音のものも、 それとは別の美質に満ちた、圧倒的名演だと思う(ただ、録音レベルが多少低めで、01年盤よりヴォリュームを3割ほど 上げて聴くとちょうどいい感じがする)。

総タイムは01年盤の87分に対しこの96年盤は88分とほぼ拮抗し、楽章別タイムも ほぼ拮抗している。その意味で両演の大きな差異は主にアンサンブルのソノリティの感触にあり、01年盤に聴かれる 霊妙なまでの深みに満ちたアンサンブル展開に対し、こちらの96年盤は、造型フォルムの精悍さや緻密さ、ソノリティ の剛質感において圧倒的な高みを示している。これはむしろ同じ96年に同じ顔合わせでRCAに録音されたブル5の 演奏に聴かれる感触に近い。

例えば第1楽章冒頭の第1テーマを両演で聞き比べてみると、01年盤の方は気負いを 脱却したような、実に鷹揚にして懐の深いフレージングで朗々と弾かれている。対してこの96年盤の方は、過分に 旋律幅を広げずに、研ぎ澄まされたフレージングの結像感と、厳しいまでの響きの強さを印象付けるような弾かれ方だ。 しかし音楽としての深みには甲乙付けがたいものがあり、この96年盤も、その有機的な 響きに激しく魅了されてしまう。

第1楽章(14:57)からのフォルテッシモなど鳥肌ものだし、第2楽章のヴァイタリティ も素晴らしい。ティンパニが良く効いている上に、その打音の切り分けも絶妙を極める。第3楽章の味わいも汲めども尽 きぬもので、例えば(12:00)近辺のクレッシェンドに聴かれるヴァイオリン最強奏の透徹した響き! しかし白眉は終楽章 にあり、ここではヴァントの練達の指揮にベルリン・フィルが最高のパフォーマンスで応答し、演奏の充実感がハンパで なく、その感動度は01年盤のそれさえ一歩凌駕するほど。これほどの演奏が正規リリースされないとは、 如何なものだろうか。

ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲&メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲
 パールマン(vn) ヨーヨー・マ(vc) バレンボイム/シカゴ交響楽団
 テルデック 1996年ライブ(ブラームス)、1993年ライブ(メンデルスゾーン) 0630-15870-2

音質はかなりいいが、これは心に痛切に訴えかける演奏とは、ちょっと違うと感じる。このディスクの聴きものは、ソロ奏者の器楽的なアクティビティの超越的な高みであり、ことにブラームスはその点で、圧巻だ。

パールマンは、極めつきの美音と、絶大なテクニックを武器とする華麗にして陶酔的なフレージングが支配的ながら、その表現にえぐりはほとんどなく、概して表面的な表情付けという感が否めない。ヨーヨー・マはパールマンよりは表現にえぐりがあり、同格のテクニックの切れに加えて、その天才的な歌謡性が、ブラームスのカンタービレの美質を端的に描き出していて素晴らしい。バレンボイムは、総じてティンパニが弱いし、迫力面での課題が多いが、ここでは音楽の精悍なフォルムが全体に立っている。ことに第1テーマに対する厳しい響きの刈り込みは秀逸で、主題の最初の2小節のフレーズ展開で、音価を鋭く切っているのが成功している。

その第1楽章は両ソロの技巧水準の高さが際立つ反面、(5:49)からのチェロのソロによる第2テーマが(スコアはpだが、ppのように)薄かったり、どうも全体に技巧面の強調にエネルギーを消耗し過ぎて、音楽の味が軽くなっている気がする。むしろ、第2楽章がよく、ここでは技巧は控えめながら両ソロの器楽的なフレージングの冴えが極まり、冴えすぎて、器楽というより声楽的な趣きさえ漂う感じだ。冒頭ユニゾン進行といい、(2:21)からの両ソロの掛け合いといい、あたかもソプラノとバリトンの二重奏を聴くようだ。(4:39)でそれが極まるが、この流れに聴く響きの感覚的な美しさには、抗し難いものを感じる。終楽章は、チェロのソロの躍動ぶりが印象的で、冒頭のpのスタカート主題に対する軽やかな洒脱味など、ヨーヨー・マならではだ。

メンコンの方は、冒頭から音色がものすごく甘美で、あぜんとするほど。旧盤(ハイティンク&コンセルトヘボウ)に輪をかけて甘美だ。まさに陶酔美の極みここにあり。よって、ムード音楽に限りなく接近した演奏、とも言えそうだ。

ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」、交響曲第7番
 ティーレマン/フィルハーモニア管弦楽団
 グラモフォン 1996年 449981-2

クリスティアン・ティーレマンのグラモフォン・デビュー盤。2曲とも名演だが、特に「運命」が素晴らしい。第1楽章冒頭の全奏による運命動機の、大きく間合いを取った重々しい響かせ方、その最後の和音が終わらぬうちに次の弱奏のフレーズをハイ・テンポで進め、続く和音強打ではまた間合いを広げ重々しい響かせ、というように、フォルテで強調して聞かせるところは思いっきり遅く、それ以外の推移的フレーズのところは思いっきり速くという、大胆なまでのフレージングのメリハリが耳を捉える。これはフルトヴェングラーの演奏様式にやや類似するが、あれほどの即興性には乏しく、むしろ緻密に設計された揺るぎない構築性が背後に感じられる。オケの鳴りっぷりも実によく、特に(6:30)からのコーダの、悠然たる足どりでの最強奏など迫力満点だ。中間2楽章もテンポを遅めにとって巨匠型の安定感ある演奏を示すが、終楽章もまた個性的で、第1主題旋律前半の広く間合いを取った雄大な提示から、うってかわった旋律後半部での猛烈な加速など、第1楽章同様全体的にテンポをかなり動かし、活力みなぎる迫真の演奏に仕上げられている。

第7番も「運命」同様、メリハリの効いたデュナーミクやアゴーギグの変化と、鳴りっぷりの良いオケの響きによるスケール性の高さが際だった演奏だ。それにしても、オリジナル楽器編成オケの演奏に代表される復古的演奏様式が主流となりつつある90年代後半において、このようなロマン主義的な色合いの強いスタイルの演奏というのは、生半可な内容だと単なる時代錯誤と取られかねないのに、このティーレマン盤には、そういった反時流的な要素を捻じ伏せるだけの、決然とした意志の強さが聴いていて伝わってくるのだ。なにも時流に乗った様式ばかり採るのが脳ではないことを認識させてくれる、見事なベートーヴェンだと思う。

カルロス・クライバー/バイエルン国立管の1996年ミュンヘン・ライブ(DVD)
 カルロス・クライバー/バイエルン国立管弦楽団
 グラモフォン 1996年ライブ 0734017

収録曲は@ベートーヴェン コリオラン序曲Aモーツァルト 交響曲第33番Bブラームス 交響曲第4番。このDVD は2004年のクライバー急逝の直後にグラモフォンから初リリースされたもので、1996年10月21日のミュンヘンの ヘラクレスザールでの演奏会の映像とされている。

DVD媒体はCDのような再生環境を持ち合わせていないため、 CDほど積極的には買っていないが、このDVDはたまたまCDショップの店頭で流されていて、その時のコリオラン序曲の音が非常に充実していたため、思わず購入したというもの。とりあえずパソコンからDVDを再生し、その出力端子をアンプに繋いで聴いてみる。

音質はまずまずだが、CDプレーヤー経由のものよりは、やはりダイナミックレンジなどでそれなりに聴き劣る感じはする。 しかし演奏は素晴らしい。特にコリオラン序曲の充実感が印象的であり、この曲はクライバーの正式録音がないだけに、 すこぶる新鮮に聴こえる。

加齢のためか、ステージ登場時はやや冴えない足取りのようだったが、演奏が始まるや否や その表情は一変、精悍にして鋭い張りを帯びた響きがホールに充溢し、映像による視覚効果もあり実演の臨場感が 聴いていてまざまざと伝わってくるようだ。

Aのモーツァルトは@とはまた表情がガラリと変わり、くつろいだアンサンブル を基調としながら、リズムの優美な脈動感といい、フレーズのリアルな鼓動感といい、やはりクライバーの演奏であることが 実感させられる美演。Bのブラームスは@の精悍さとAの融通無碍なアンサンブル運用との美質が融合したような名演。

いずれの演奏もクライバーのタクト捌きの妙感が音響的妙感に加算されていて、視覚的にも聴覚的にも酔わされるというか、 そんな感じがする。出来ればCD形態でも聴いてみたいところだ。

バルトーク ピアノ協奏曲全集
 シフ(pf) I.フィッシャー/ブタペスト祝祭管弦楽団
 テルデック 1996年録音 WPCS-5646

このアルバムは、バルトークの協奏曲全集としては、最高峰の水準の演奏だと思う。個々のナンバーだけとれば、 ここでの演奏を上回る水準の演奏も、将来聴けるかも知れないが、全集としてのムラの無い名演ぶりと いう観点からすると、これは圧巻だ。

まず第1番、これが素晴らしい。この作品の真価を、このシフの 演奏で初めて知った思いがする。以前聞いたドノホー&ラトル盤では、ここまで音楽が訴えてこなかった。 ドノホー盤は決して悪い演奏ではないのに。それほど、このシフ&フィッシャーの演奏はいい。シフの ピアニズムはフォルテッシモになっても全く濁らないタッチの圧倒的な凛然ぶりが最高だ。とかく美音が 持ち味の甘口ピアニストという評判のシフだが、このバルトークでは、個々のタッチの精彩、鮮烈な音色の 訴求力が際立っており、作品の苛烈なダイナミクスが実直に伝わってくる。そしてフィッシャーの指揮も 見事で、味の濃いハンガリーのアンサンブルの良さが存分に出ている。さらには、ティンパニのパンチ力! 聴かせどころで震撼的な打撃を轟かせ、すごい緊張感だ。

第2番以降も、一貫的に緊迫した演奏構築で、 聴いていてヒリヒリする。第2番の第1楽章など、まさにソロとオケとの火花散る熱演で、ダイナミックな テンポの揺さぶりを背景に両者が繰り広げる響きのせめぎ合いの凄みは、問答無用だ。終盤の カデンツァの、もの凄いテクニックで憑依的に弾かれるパッセージのインパクト。第3番での音色の凛然性も ドノホー以上で、第2楽章など、あまりに音色が立っていてピアノの響きとは思えないほどだ。

シューベルト 交響曲第9番「グレイト」
 朝比奈隆/大阪フィル
 キャニオンクラシックス 1996年ライブ PCCL-00388

大阪フィルの名古屋公演におけるライヴ録音。 この曲の演奏としては、あまりテンポを動かさない、オーソドックス・スタイルのものの中では 最高の演奏のひとつだと思う。

トッティの音響密度の充実感と強和音の豊かな質感が全編にわたり よくものを言っていて、これが朝比奈流の名演形成の立役者となっている。テンポは早くも遅くもないバランスで、 第1楽章コーダなどの一部を除き一貫されているため、(フルトヴェングラーやワルターのような)情動的・ ロマン的な味は薄いが、ずっしりと手ごたえあるアンサンブル展開の素晴らしさは特筆的だ。とにかく、 オケがバンバン鳴る感じで、聴いていて爽快この上ない。

なかでも第4楽章が圧倒的にいい。気持ちの 乗った豪快な弦、怒涛のようなティンパニ、鳴りっぷりの際立つ金管パート。逆に唯一の不満点は 第3楽章トリオか。木管のテーマが弦幕に埋もれ気味なのがもったいない。確かに音の厚みは 良く出ているが、ここは主題をもっと大事にしてもいいところだと思う。

オルフ カルミナ・ブラーナ
 デュトワ/モントリオール響
 デッカ 1996年 POCL-1740

高度に練り上げられたアンサンブルの、華麗な響きを堪能するという点では全く申し分の無い演奏なのだが、 この作品の演奏としては、全体に品が良すぎるというか、響きの口当たりが良すぎる点が物足りない。

最初の 序奏部から、ティンパニがボワンとした打音でキリッとしていないし、トランペットのファンファーレも、 良く鳴っているが音色がどうも丸っこい感触であり、ピリッとした感じが薄い。 本編以降も、第1部中盤の 間奏曲など、優雅なムードではあるが低カロリーだし、その前後の合唱曲なども、もう少しバカ騒ぎ的なノリが 欲しいところだ。

歌唱陣も問題で、バス(オズワルド)は高音の表現に強い反面低音に重みがなく、第1部の2曲目 などは良いものの第2部や第3部は全般に薄味。テノール(オルセン)は高音が痩せ気味だし、 ソプラノ(ホック)も高音があまり冴えない。3人とも古楽歌唱的な繊細な味わいは感じるものの、やはり オーケストラのカラフルな色合いと対比するとなると、どうしても聴き劣る感が否めない。音質はさすがに 上質の部類に入ると思うが、同じデッカから出ているブロムシュテット盤(おそらく最優秀音質)に比べると、 トッティでのソノリティの拡がりが若干だが劣るようだ。

「フランス名交響詩集」
 プラッソン/トゥールーズ市立管
 EMIクラシックス 1994・95年録音 TOCE-9159

収録曲は@デュカス「魔法使いの弟子」Aフランク「呪われた狩人」Bラッザーリ「夜の印象」Cデュパルク「レノール」Dサン=サーンス「死の舞踏」Eデュパルク「星たちに」の6曲。

アンサンブルの響きの傾向は高音を強めにクッキリと鳴らせた色彩性豊かな ものであり、金管パートの出来は平均水準だが、木管やヴァイオリン・パートの強音の響きに訴求力があり、 これは音楽が盛り上がるほど、より生彩を増す。よって@では魔法をかけられたホウキが暴れまわるシーンの 音楽の生彩が見事で、かなり阿鼻叫喚的なムードが発散され、聴いていて楽しい。Aでも同傾向で、フランク としてはドイツ音楽的な重厚感に弱さもあるが、フランス音楽的側面でいえば充実的な演奏といえ、とくに 終結時のクライマックスなど常軌を逸した雰囲気がかなり良く出ている。

Bは前半がドビュッシー風、後半が ワーグナー風という感じの作品だが、このあたりになると後半に演奏としての弱さも、いささかだが顔を出す ようだ。決して悪い演奏ではなく、強奏時の聴かせどころなど、なかなかの熱狂感なのだが、もともとドイツ風の 重厚なアンサンブル展開の演奏ではないので、そういうスタイルの演奏だったら、もっと良いのでは?と思える ような場面も少なからず耳に付く。バスの押しの弱さとか、トッティでの量感不足とか、、。それはCでも 同じで、これはほぼ全編ワーグナー的な曲調の作品なのだが、やはり弦の重厚味、ティンパニの量感といった あたりに不満を感じる。とはいえ、高音パートの迫力は素晴らしく、特に(10:00)あたりの、レノール絶命シーン など、ディスク全曲の白眉ともいえる見事さだ。

Dはオーソドックスなスタイルでの名演。夜明け直前の 盛り上がりの白熱ぶりも、申し分なし。Eは、このディスクの構成としてはアンコール・ピース的な位置付けで、 白熱シーンの無い唯一の曲だが、ここまで聴いてきて昂ぶった興奮を冷ますにちょうどいい感じだ。

マーラー 交響曲第6番「悲劇的」
 メータ/イスラエル・フィル
 テルデック 1995年 4509-98423-2

完成度は高いが、それだけ、という感じの演奏。申し訳ないが、どうにも聴いていて退屈な演奏だった。

そのアンサンブル展開は全体において、過度に熱しきらず冷め切らず、というところで、中途半端な表情に 終始し、音楽として、何らかの凄みを伝えるという感じがしない。やはりマーラーは、ある種の極限的な音楽 なのだから、演奏する側にも何らかの、極限性に近いものを有するアプローチがないと、演奏が作品に負けてしまう のではないか。

全体に、規範的な強弱、規範的なテンポの動き、規範的な音色の濃度、、、ちょっと型にはまり過ぎ ではないかと思う。第1楽章においては、デュナーミク、音彩の点では、ドキッとさせられるような箇所は残念ながら 見当たらず、テンポの点についても、あえて言うなら、コーダの(20:39)あたりで一瞬、大きなリタルダンドを展開する ぐらい。それもその後の加速が中途半端なので、あまり強烈な印象を残さない。終楽章なども、確かに一定以上の迫力は 感じるものの、その迫力が振り切るかと思うと総じてスッと引いてしまう、この抑制ぶりが歯がゆい。

ブルックナー 交響曲第0番
 ショルティ/シカゴ交響楽団
 デッカ 1995年ライブ POCL-1679

初めの2つの楽章が上出来だと思う。ライブということもあるのか、第1楽章を通して アンサンブル展開に良い意味での抑制が効いており、几帳面で誠実な造型展開をベースに、シカゴ響の機能美と、 洗練を極めた音色の美感が、わりとストレートに発揮された演奏となっている。ショルティにしてはチェロ・パート の音色がよく活きているため、ヴァイオリンの響きの冴えもなかなか効果的だし、金管のコラールも、ハデハデしさ の一歩手前できっちりと豪快に鳴らされている。終結のティンパニも、ショルティにしては響きが立っている。

第2楽章もわりに融通の効いたテンポ感から、木管パートのシャープで艶やかな音色が随所にものをいっており、 細やかで緻密なアンサンブル展開とあいまって、なかなかの美しさだ。

これに対して、第3楽章以下はかなり落ちる。 基調テンポが速すぎるのが原因で、第3楽章のスケルツォなど、急速テンポで外見的にはドラマティックに見えても、 総じて響きが上滑り傾向でそれほど迫力を感じないし、終楽章主部にいたってはまるでジェットコースターに 乗っているような慌ただしさで、響きに重みがなく、余韻の薄いこと甚だしい。

ブルックナー 交響曲第9番
 宇野功芳/日本大学管弦楽団
 グランドスラム 1994年ライブ GS-2002

宇野功芳の指揮によるブルックナーといえば、世評の高い?新星日響との「ロマンティック」があまり出来の良い演奏とは思えなかったこと もあり、この演奏もそれほど期待せず聴き始めたのだが、あにはからんや、圧倒的な演奏内容でビックリさせられた。

先の「ロマンティック」ではとかく小手先の細工に終始し、音質ともどもあまりパッとしない内容だったが、この9番 では細工を弄せずに真っ向から大曲に立ち向かい、アンサンブルの燃焼力に勝負を賭けたという趣きで、音質も「ロマン ティック」より格段に良く、とにかく演奏の充実度が並みでない。

第1楽章冒頭からppをまるで無視したトレモロ強奏 が早くも濃密感を発散させるが、18小節めからのホルン斉唱の響きの野太さがその濃密ぶりにさらに拍車をかける。 第2テーマから第3テーマにかけてもアンサンブルのなりふりかなわぬ肉厚感が特筆的だ。展開部以降ではまず(11:31)からの木管パートの目いっぱいの強奏がインパクト大で、その直後の第1テーマ強奏の極限的なテヌートといい、いずれも オーソドックスとは言えないが、小細工という感じはなく、指揮者の旺盛な表現意欲の必然的帰結、という感じで、 真にこもっている。(14:45)近辺のヴァイオリンのたぎるような色あい、(22:40)前後のトッティの圧倒的な密度感。

第2楽章はティンパニがものすごい。もはや気違い的ともいえるもので、やり過ぎの感なくもないが、この楽章の雰囲気 がいかに尋常でないか、いかに異常な音楽であるか、という点はひしひしと伝わってくる。終楽章はアマチュア演奏の 持ち味が全開する素晴らしい内容で、技巧は2の次だがその響きには真実味たっぷりだ。時に泥臭いまでの響きの感触だ が、音響的リアリティという点ではN響などの取り澄ましたアンサンブルとはまさに対極にある。

J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲
 園田高弘(pf)
 エヴィカ 1994年 HTCA-1010

世界に誇りうるゴルトベルク演奏だと思う。冒頭のアリアは反復を含め5分強をかけての、ゆっくりとした流れで、このテンポを背景におよそ効果を狙わない誠実なアーティキュレーションが展開され、トリル一つ、前打音の一つにさえ音楽の豊かな息吹が宿っている。第1変奏は快適な流れで始まり、以降は完全な正攻法スタイルながら、すべてのタッチに血が通い、確信に満ち、そこから紡ぎ出される確たる造形的感触の素晴らしさ! 高速展開や超難曲の変奏段階においても、無骨ながらも確実な指さばきで、バッハの構造美と力動感をしっかり共存させている点が凄いし、バスの力感という点でも、チェンバロやフォルテピアノではおよそ表現不能な、グランド・ピアノ演奏ならではの歯応えだ。

グランド・ピアノ演奏といっても、(例えばシフのように)表面的な音色の艶を磨こうというような意識は希薄であり、 その分の余力がすべて造形的調和およびタッチの確実な質感伝達に注がれているという感じがする。 だからこその名演。16変奏での量感の豊かなこと、23変奏や28変奏でのダイナミクスの充実感、第30変奏での 万感をこめるようなタッチ。

全編に、演奏方針として語られているところの、「奇を衒うことを主眼としたり、 意表を衝くことを目的とした演奏に終始することは戒めるべきである」(ライナーより)という言辞その通りの演奏であって、おそらくグールドの、ことに55年盤とは対極にあると思う。両演ともまさにその極地性ゆえに、いずれ同格の名演性を獲得していると言えるのではないか。

スメタナ 「わが祖国」全曲
 コシュラー/チェコ・ナショナル交響楽団
 ビクター 1994年 VICC-40236〜7

チェコ・ナショナル響は1993年創設なので、このディスクはだいたい創設直後の時期の録音だが、オーケストラの 構成要員はチェコ国内の一流オケの奏者からの選りすぐり、というだけあり、演奏の技術水準はかなりハイレベルだ。 チェコ・フィルと同格、あるいは、わずかに勝るかも知れないとさえ思える。

その最良の例が「モルダウ」で、 冒頭の源流展開の場面など、速めのテンポのわりに木管の弱奏フレーズに切れと艶が常に絶えず、夢のように美しい 音彩だし、中盤の水の精が舞う場面の神秘的な弱奏のハーモニクス、後半の急流展開での、弦の切れ味の鋭いユニゾン の流れ等、いずれも、オーケストラ構成奏者の技術レベルの高さを活かしての、音響描写的なリアリティに傑出する 表現だ。金管パートの表現力も軒並み冴えている。「ボヘミアの森と草原」での、冒頭のファンファーレや中盤の ホルンなどの立派な音立ち。

チェコ・ナショナル響初代音楽監督コシュラーの指揮は、奇をてらわない正攻法の アプローチであり、随所に音楽的格調を滲ませる、こなれたテンポ運用が見事だ。気になったのはフォルテッシモでの 音響的屈強感が今一歩振り切らない点で、「シャールカ」(8:42)からの大虐殺シーンなど、かなり手の込んだバランス の丁寧なハーモニーがやや裏目に出て、響きが鳴り切らないもどかしさが残るし、「ターボル」(10:00)前後の強奏展開 なども、強和音の鮮烈感がいささか弱い感じがする。

「カルロス・クライバー&ベルリン・フィル ラスト・コンサート」
 カルロス・クライバー/ベルリン・フィル
 MEMORIES 1994年ライブ ME1013

カルロス・クライバーとベルリン・フィルの共演はわずかに2回で、その最後の顔合わせのコンサートのライブ録音がこのディスクの演奏。当然プライヴェート盤であり、モノラル録音。音質はやはり万全ではないが、ソノリティの感触はかなりリアルで、クライバーのプライヴェート盤の中では比較的上等な音質だと思う。

演目は@ベートーヴェン コリオラン序曲Aモーツァルト 交響曲第33番Bブラームス 交響曲第4番。すべて名演。最初の@から、強和音のすさまじい音響的インパクトに度肝を抜かれる。そのアンサンブルの凝縮力と充実感はアバドやカラヤンの比ではまるでなく、むしろフルトヴェングラーのそれに近い感じがする。Aのモーツァルトは一転して肩の力を抜いた洒脱な趣きで、クライバーならではの艶やかな舞踏感が、十全でない音質状態を突き抜けて響いてくる。Bのブラームスは、超絶的名演と言うしかない内容。天下の名器ベルリン・フィルが本当の本気になった時のアンサンブルがどんなにものすごいものであるか、この演奏を聴けば嫌でも実感できる。わけても第1楽章コーダはまさにオーケストラが死んだ気になったような超常的迫力に満ちる。轟雷のようなティンパニ、断末魔的な金管の絶叫、弦の全力的疾走感!! 同じベルリン・フィルであっても、カラヤンの指揮では聞けない類の極限的音響展開がここにある。第3楽章のド迫力もハンパでないが、終楽章がまた強烈。(5:24)からの最強奏など、度肝を抜かれるという次元でなく、聴いていて放心状態にさせられるほど。

リスト 名曲集
 ハイドシェック(pf)
 キングインターナショナル 1994年 KDC10

収録曲は、@ノルマ回想(ベルリーニ/リスト編曲)A葬送曲B2つの伝説C悲しみのゴンドラ第1番Dメフィス トワルツ第1番。

この中では、Bの後半「海を渡るパオラの聖フランシス」がベストだ。ハイドシェックらしい エネルギー全開な演奏で、ピアニズムの醍醐味が充満。Dも名演。音楽の情景が目に見えるような、ドラマティックな響きの 描写性が傑出している。

@は、曲が冗長と感じるが、終盤(17:30)あたりからの劇的な盛り上がりは文句無くいい。AやCは、いまひとつで、 内省的な楽想の段でもタッチが雄弁なため、過表情で、曲想の抑制された味が十分に活きていない気がする。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第1番〜第3番
 ペライア(pf)
 ソニー・クラシカル 1994年(1・2番)、90年(3番) SRCR9806

ペライアのタッチはいつもながら美彩で、感覚的な愉悦味に満ちている。弱音はもとより強音においても水晶のような 透明感であり、およそ響きが曇るという感じがなく、各打音の質感も繊細なもので、小気味良いスピード感も、 その独特の美音の儚さを支え、全編にペライア一流のファンタジーが充溢する演奏だ。ことに、第2ソナタの 第3楽章冒頭の主題の鮮やかな音立ち! 

ただ、ベートーヴェンのソナタともなると、このスタイルだと、 やはり初期作品でこその快演、という気もする。仮に後期の大作でもこのスタイルだと、さすがにちょっと苦しい のではないか。

ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」、序曲集
 チョン・ミュンフン/パリ・バスティーユ・オペラ座管弦楽団
 グラモフォン 1993・94年 POCG-1950

ミュンフンがバスティーユ管と残した録音は、数少ないながら総じて名演だが、その最後の録音となったこの ベルリオーズ・アルバムもいい演奏だと思う。

ハロルドの第1楽章冒頭、ppからpへの段階的なデュナーミクの 推移のデリケートなこと。これが効いて、(1:17)からのmfのハロルド主題短調形の登場が実に鮮やか。(1:34)からの ヴィオラ・ソロ(ローラン・ヴェルネイ)は音色の強い味にこそ欠けるものの、透明感のある繊細な音色の美しさが いいし、オーケストラとの連携感も抜群だ。アレグロ以降は強音の鮮烈なアタックに充実感がみなぎり、クライマックス もすこぶる情熱的。そして第2楽章の、ヴィオラとオケの合奏の醸しだす、魔法のように美しいハーモニクス。これは 聴いていて陶然としてしまう。

第3楽章も、アンサンブルの音色の配分の妙が素晴らしく、各パートがそれぞれの味を 残しつつ、相互にまろやかに溶け合うという感じだろうか。冒頭の主題を始め、フレージングは技巧的に冴えていると いう感じではないが、かえって鄙びた感じが出ていて、独特の味がある。終楽章は、ややテンポを抑え気味にして 各場面をかなり丁寧に描写するという風だが、高音の生彩が非凡。オペラティックな感触の情景展開だ。

ブルックナー  交響曲第7番、テ・デウム
 チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
 EMIクラシックス 1994年ライヴ(7番)、82年ライヴ(テ・デウム) TOCE-9900-1

交響曲第7番は、1994年のライヴというからチェリビダッケ最晩年の時期に係るが、実に巨匠的な表現力に満ちた 演奏であり、その雄大無比な交響空間には聴いていて実直に圧倒させられてしまう。CDにはハース版使用と 記載されているが、実際はノヴァーク版の演奏だ。

第1楽章は24分を超える演奏時間。冒頭から提示部全体を通し、一貫したスロー基調が支配する。 これだけのテンポだと、例えば第1主題部を支える高弦部のトレモロ和音、あるいは第2主題部を彩る 金管2群の持続和声といった、ハーモニーの副声部を形成する対位的な存在感まで増幅されるので、 その管弦楽的な陰影の深みにはただならないものがある。 アゴーギグの運用面では、特に第3主題提示直前のリテヌートの活かし方が素晴らしい。これにより第3主題部での テンポをゆったりと保ちながらも、旋律に緩やかな躍動感が付帯させられ、メリハリが鮮やかだ。

展開部においても、全体にまるで急がないテンポと、総じて味の濃い管弦楽の色彩感とに起因し、スコアの裏側まで 克明に示すような稠密性に傑出するし、再現部からコーダあたりなども、ゆっくりとした速度を基本線とした壮大な 時間スケールと共に、緩やかにテンポを揺らしつつ、楽想の変遷過程を自然体のように 聴き手に提示するあたり、やはりただならない演奏だ。

続く第2楽章の、29分にも到らんとする演奏時間の長さは特筆もので、この楽章としては最長タイム例のひとつ だと思われるが、これだけのスローにもかかわらず音楽の流れが常にナチュラルな流動感を保っている点に驚かされる。 まるで大雪山の雪解け水のごとく、音楽が自律的に粛然と流れていくような趣きすら漂わせている。 ゆえに造型的な意味での堅牢感にこそ弱いが、その刻一刻と推移する音楽表情の無常感が、 そこはかとない哀感を聴き手に匂わせる。

後半2楽章では前半2楽章ほどには際立ったタイム・スケールというほどでないが、全般にアナログ的ともいうべき 旋律の胎動感に独特のものがある。もっとも、前半のスケール拡張の反動として、後半に行くほど音楽のスケールが 尻つぼみに弱くなっていく憾みはある。それが作品の構成である以上、仕方のないことではあるが。

併録のテ・デウムは82年のライヴ。第1曲は平均の演奏タイムが約6分のところ、ここでは10分に到らんとする 演奏時間が与えられている。雄大なスケール。第2曲の冒頭、テノール独唱を支えるヴィオラ細分伴奏音の 厳かな存在感、第3曲のアレグロ部で敢えて急速テンポを回避することによって、 そして第4曲のモデラートでアダージョ並みにテンポを落とすことによって、醸される超然たる音楽の胎動感。 終曲のフーガでのスロー進行では対位的な神秘感が素晴らしい。

チュルリョーニス 交響詩「海」&グラズノフ 管弦楽のための幻想曲「海」&ドビュッシー 交響詩「海」
 スヴェトラーノフ/ロシア国立交響楽団 
 トリトン 1993年ライブ録音 DMCC-26012

いずれもモスクワ音楽院でのコンサート・ライブで、3曲とも「海」がタイトル。ドビュッシー以外は初めて聴く曲だ。

チュルリョーニスはリトアニア生まれの作曲家で、この交響詩「海」は1907年の作品なのだが、ドビュッシーの 「海」(1905年完成)の影響はほとんど無いように思う。印象主義的というより描写音楽に近く、作風的には むしろチャイコフスキーあたりか。この曲は中盤でのドラマティックな楽想の印象が強烈なのだが、内容の割りに 規模が大きく、冗長な感じもある。演奏タイムで30分であり、グラズノフの20分、ドビュッシーの25分と 比べても長い。後半の10分くらいは、要らないような気もするが、、。

グラズノフの「海」は1889年の 作で、これは「ワーグナーの追悼」という副題がある。作風はグラズノフらしい重厚絢爛な管弦楽書法をメインに、 ワーグナー的ダイナミクスを混ぜたような感じだ。特に後半の強奏進行部は、ジークフリートの対ファフナー戦の 場面の音楽を彷彿とさせるような迫力に満ちている。

スヴェトラーノフの演奏は、個性的だが一度聴いたら 忘れられないほどのインパクトがある。チュルリョーニスの「海」の最初のフォルテッシモの、メガトン級の響き からしてもの凄い。オーケストラの響きには脂ぎったようなギラギラした張りがあり、金管も容赦なくバンバン鳴り、 アンサンブル展開がとにかく重厚かつアグレッシブで、チュルリョーニスの中間部やグラズノフの後半部など、 聴いていて引き摺り回されるようなド迫力の鳴りっぷりだ。この2曲は、曲自体が多少冗長な感があるが、 スヴェトラーノフのカロリー満点の演奏だとその冗長感も薄くなり、一気に聴き通せる。対してドビュッシーは、 さすがに違和感が強い。なにしろ繊細さには程遠い演奏なので、1曲目など、聴いていて一人相撲という印象も 受けるのだが、2曲目の後半の迫力は捨てがたいし、1・3曲目の終結の凄まじさも、前代未聞のインパクトだ。

ブラームス クラリネット三重奏曲&ベートーヴェン ピアノ三重奏曲「街の歌」&モーツァルト ピアノ三重奏曲「ケーゲルシュタット」
 ヨーヨー・マ(vc) アックス(pf) ストルツマン(cl)
 ソニー・クラシカル 1993年 SRCR9812

ブラームスは、第1楽章冒頭のチェロの主題が、やや線が細いも鋭いラインの刻みだ。(0:58)からのffは峻烈、 (1:34)からの第2テーマではチェロもピアノも実によく歌っている。展開部以降は前半弱奏進行でのキメ細かい 筆致のほの暗い情感がいいし、後半の起伏はクラリネットの強音の発する凛然とした冴えが素晴らしい。 第2楽章は超美演。冒頭のクラリネットのドルチェ・テーマから信じがたいほどの透明で美しい音色で始まり、 これが受け渡されるチェロもまた同格な透明感と美しさ。このリレーは本当に優美だ。楽章全体にたちこめる高雅な 音楽美は最高であり、何という清澄感! 第3楽章も美演で、ことに第1トリオの、クラリネットのメロディなど 聴いていてとろけるようだ。終楽章もいいものの、迫力面に関しては冒頭のチェロなど、もう少しバスを効かせても いいと思うし、ピアノも時にもっと前にガンガン出てきても良さそう。

ベートーヴェンだが、いい演奏なのだが、 この曲としてはストルツマンがタッシのメンバーとして録音したRCA盤の方がやや上だと感じる。あの演奏での、 ピーター・ゼルキンとストルツマンのせめぎ合いの良さは極めて印象的だ。モーツァルトだが、ここでは本来の ヴィオラ・パートがチェロに置き換えられている。高音を苦としないヨーヨー・マならではの措置だろう。ここでも クラリネットの澄み切った音色が冴え渡り、これに絡むアックスのピアノ・ソロもセンスが良く、音楽的に美しい。 終楽章(3:47)あたりなど、最高だ。ただ、チェロに関しては、本来ヴィオラ用という点をおそらくヨーヨー・マが 意識してか、かなり軽めのタッチに終始していて、ちょっと味が薄い感がある。もっとアグレッシブでも良かった のでは?

シューベルト「死と乙女」マーラー編曲版&マーラー「アダージェット」
 水戸室内管弦楽団
 ソニー・クラシカル 1993年 SRCR9502

シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」のマーラー編曲に基づく弦楽合奏版の演奏は、ディスク点数自体それほど無い が、ここでの水戸室内管の演奏は、完成度的には完璧な水準であり、鮮明な録音を含め、マーラー編曲の実像を正確に 伝えるという点においては、このディスクの右に出る録音はほぼ皆無という気がする。

しかしながら、それでは演奏自体 の感銘はというと、残念ながら聴いていていまひとつ音楽が訴えてこない。マーラー編曲自体の是非は別として、問題は 水戸室内管のアンサンブル展開にあり、端的に言えば、その合奏があまりにも整然とし過ぎていて、逆に音楽の表情が のっぺりしてしまっている。

第1楽章の展開部ないし再現部の盛り上がりにおいて、テンポはおよそ無変動、濃淡変化や 音色の推移も、何と言うか、型どおり、スコア通り、という感じであり、それ以上のものがない。この演奏は表情付けに おいて明らかに客観的な方向性が強いが、客観的な表情ならではの凄みは薄い。 ここでは指揮者を立てないやり方が裏目に出ているようにも思うし、また水戸室内管のメンバー編成が、高弦を 中心に女性が過半数を占めていることも何らかの影響を与えているような気がする。全体に強奏時の表情が厳しさに 欠ける反面、弱奏時のソノリティは無上に繊細だ。

ヴェラチーニ ドレスデン宮廷のための序曲集
 ゲーベル/ムジカ・アンティクァ・ケルン
 アルヒーフ 1993年 POCA-1112

フランチェスコ・ユリア・ヴェラチーニは18世紀前半に活躍したフィレンツェ生まれの作曲家で、 ヴィヴァルディのライバルともテレマンの先駆的存在とも目されている。このディスクにはヴェラチーニが ドレスデン宮廷に仕えていた時代に作られたとされる(1716年ごろとされる)6曲の管弦楽序曲集のうち 第5番を除く5曲が収録されている。これが世界初録音とのこと。

作風はヴィヴァルディよりテレマンに近く、 その有名なターフェルムジーク(1733年)にもつながるような音楽のイメージがあり、少なくとも退屈な 作品では決してないが、さすがにテレマンやバッハあたりと比べると聴き劣る感じも否めない。調性ベースも 変ロ長調、ヘ長調の2種のみ。内容的にも宮廷音楽然としたムードが(当然ながら)強い。

もっともゲーベルの アンサンブルは相変わらずの切れ味なので、刺激的インパクトには事欠かない。ガボットやギグーでの リズムの切れなどはさすがだ。

シューベルト 交響曲第9番「グレイト」
 ヴァント/ベルリン・ドイツ交響楽団
 EnLarmes 1993年ライブ ELS01-139

CDR盤。ギュンター・ヴァントとベルリン・ドイツ響 という珍しい組み合わせで、曲目はヴァントの十八番の「グレイト」。 それも最晩年の充実期の録音であり、これはちょっと聴き逃せないと思ったが、購入して聴いてみると、期待に違わぬ 見事な名演だった。

その内容は客演指揮とはいえ手兵・北ドイツ放送響との演奏に比肩する完成度だが、それよりも 素晴らしいのはその演奏展開におけるハーモニクスの立体的訴求力であり、音質がかなりクッキリとしているため、 その良さが遺憾なく伝達される。

第1楽章冒頭の弱奏展開から早くも立体感抜群だ。(1:04)あたりの高弦と低弦の掛け 合いなどが良い例で、こういうのを聴くともう演奏の期待感でワクワクさせられてしまう。(3:44)あたりの主部を迎える クレッシェンドはその音量増加以上に各パートの音色のバシッとした焦点の合わせ方が絶妙で、提示部・展開部ともども オーケストラが指揮者の構築しようとする音楽の造型を完璧に描き出している風であり、これは聴いていて感動を 禁じえない。

第2楽章もスコアに忠実でありながら、時にスコア以上に雄弁にシューベルトが再現されてゆく。例えば 第2テーマの(3:28)あたりでのチェロの活きていること! 第3楽章も含め、純正なスタイルでこれだけ音楽としての 拡がりと深みを感じさせてくれるあたり、ヴァントの演奏の本質が出ているとも言えそう。終楽章は快速テンポから アンサンブルを相互のバランスを保って理想的に鳴らし切っており、素晴らしい迫力だ。

ラフマニノフ 交響曲第2番
 ゲルギエフ/キーロフ歌劇場管弦楽団
 フィリップス 1993年 438864-2

音質が少しモコモコするのが惜しいが、演奏自体はゲルギエフの真骨頂という感じで、惚れぼれするばかりだ。

第1楽章冒頭からヴァイオリンや木管やホルンといった導入動機を奏でる高音域パートの響きの存在感が、ずいぶん禁欲的 に聴こえる。それらの節制を通じて、むしろハーモニーの底に深々と広がる、重低音パートの壮重性が強調され、 すこぶる荘厳な構えのプレリュードが形成されているし、(4:44)からの第1主題になると旋律の幅を必要以上に 広げずにメロディ・ラインを逞しく隆起させ、この旋律に 与えられているシンコペート音形を巧く活かして緊張感の高い表情が形成され、第2主題部でも軽く流すことをせず、 その甘美な旋律情緒の中の哀感が痛切に浮かびあがってくる。

しかし白眉は展開部で、冒頭イングリッシュ・ホルンのメロディに対する素っ気無いほど淡々とした奏で方といい、続く低弦が鋭くリズムを刻むあたりの峻厳的な低声部の強調といい、要するに高音域声部の虚飾的な音彩を徹底的に削ぎ落として 低音域声部のもたらす律動を前面に押し出す、その独特のアプローチが異彩を放ち、特に展開部中盤(13:40)以降の緊張感は 特筆に値するし、(17:05)を頂点としてジワジワと高まりゆく破滅的なまでの音楽の迫力も圧巻だ。

第2楽章においても高声パートは相変わらず装飾感は希薄であり、押しの強い重低音域をコアとする質実剛健の アンサンブル展開。第3楽章は全体的に早過ぎず遅過ぎずという、バランスの取れたテンポ基調をベースとしながら、 依然として音色の華やかさを慎重に抑え込んで過剰な感傷性を排しつつ、楽曲のエッセンシャルな魅力を浮かび上がらせた ような演奏。デコレーション・ケーキ型表現性と対極とも言うべき、ストイックで透徹感に満ちた音楽が展開されている。 終楽章は全編を貫く精力的ダイナミズムが楽曲の感情的波動をくっきりと照射している。およそ表面的な意味で饒舌に語りかけるスタイルの演奏ではないが、そのぶん強靭な手応えに満ちていて、この作品の演奏としては異例なくらいに屈強で ハードな聴き応えが素晴らしい。

ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」全曲
 ショルティ/ベルリン・フィル
 デッカ 1993年ライブ POCL-1400/1

ショルティ指揮のファルスタッフ全曲ディスクはRCAイタリア・オペラ管との旧盤が名演なのだが、こちらの ベルリン・フィルとの新盤は、良いところも少なくないものの、問題点の方の比重が上回るように思う。最大の問題点は 外題役ヴァン・ダムの歌唱で、これは完全にミスキャストでは? 

全体において芝居気が薄く、重い声質、暗い感じが つきまとう発声と、とにかく愉悦味不足が甚だしい。第1幕第1場終盤のアリアなど、ショルティ旧盤でのエヴァンスで 聴くと思わず笑ってしまうほど楽しいのに、こちらのヴァン・ダムで聴くと全然楽しくない。その少し前の、裏声で 「ファルスタッフ様のもの」と歌う超高音フレーズも、声が擦れて苦しそうだし、全般に高音の表情感が希薄だ。

ベルリン・フィルの演奏にも少し問題を感じる。これはライブといってもコンサート形式の演奏会なので、完成度は ものすごく高いし、第2幕終盤でフォードがどなり込んでくるあたりからの弦のコミカルな反復フレーズなど、さすがに キビキビ感が最上だし、第3幕2場の仮装妖精登場シーンを彩る精緻なアンサンブル展開の、夢のような幻想味も いいし、美点は多いが、ときに弦に威力がありすぎてブッファ味を危うくさせている場面があるのが気になる。 第2幕1場最後のフォードのアリアなどがそうで、どこかワーグナー風だし、第3幕冒頭のファルスタッフのアリアにも 同様の傾向を感じる。

以上に対して、主役以外の歌唱陣は個性派ぞろいながら、いずれもなかなかの名演だと思う。 クイックリー夫人役リポヴシェクは芝居気たっぷりで、第2幕最初の、ファルスタッフとの対面シーンなど歌いまわしが 露骨に腹黒い。「女は生まれつき利発」と歌うあたりなど、皮肉たっぷりだ。アリス役セッラはひときわ素晴らしい。 超美声にして小鳥のさえずりのような非荷重的な発声の鮮やかさ! 第2幕2場「ウィンザーの陽気な女房たち」と歌う あたりなど、実にコケティッシュだ。フォード役コーニは、外題役ヴァン・ダムより表情付けに優れていると思う。 第2幕1場でのファルスタッフとの掛け合いなど、こちらが主役でもいいのではないか。

ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」全曲
 ムーティ/ミラノ・スカラ座管弦楽団
 ソニー・クラシカル 1993年ライブ SRCR-9742〜3

「ファルスタッフ」スカラ座初演100周年を記念したスカラ座公演のライブ録音。

音質はライブとしては良いものの、 音像との距離感がややあり、全体にソフト・フォーカスぎみ。さすがに内容的にはかなり気合の入った演奏で、完成度は スタジオ録音なみだし、ライブならではの良さも多い。とくに第2幕ラストのドタバタ騒ぎなど、ナマの舞台の情景が 目に見えるような面白さだ。

外題役ファン・ポンスは、「衣装の下に何も入れずにあの太鼓腹のファルスタッフを演じる ことのできる」ほどの「自然な役作り」とされるが、ここでは等身大のファルスタッフで、芝居気も十分、ヴァン・ダム よりはずっといい。ただ聴いていて、突出したコミカル感が薄いのも事実で、とくに第1幕ラストのアリアなど、表情が 硬く、技巧的にいっぱいいっぱいという感じもする(彼は高音が弱点といわれるが)。面白さではエヴァンス(ショル ティ旧盤)には及ばないと感じる。とはいえ、第3幕冒頭でクイックリー夫人に毒ずく場面や、終盤の袋叩きのあとに バルドルファにくってかかる場面など、いずれも早口の滑舌がすごくて笑ってしまう。

ムーティの指揮はいつもながら 自分が語るというより音楽に語らせる感じのスタイルで、そのアンサンブルはさすがにこなれ切っており、ショルティ/ ベルリン・フィルのような異質な力こぶ(ワーグナー風)をおよそ感じさせない、純然たるヴェルディの色合いだ。 素晴らしいが、録音の関係でアンサンブルの線がいくぶん細く流れるシーンがままあり、できればよりオン・マイクで 聴きたいところ。

他のメイン・キャストも、フォード役フロンターリ、クイックリー夫人役マンカ・ディ・ニッサなど、 いずれもとくに過不足感がなく、安心して聴ける。アリーチェ役ダニエラ・デッシー、フェントン役ラモン・ヴァルガス は、いずれもまずまずだが、彼らの後年のスターぶりからすると、もうひとつ歌唱が薄い気もする。このあたりはやはり もっとオン・マイクで聴きたいのだが、、、。

シベリウス ヴァイオリン協奏曲&ブルッフ スコットランド幻想曲
 五嶋みどり(vn) メータ/イスラエル・フィル
 ソニー・クラシカル 1993年 SRCR9651

シベコンは第1楽章冒頭のソロからおおむね細身のフレーズラインを主体に、強弱を丁寧に刻み、音色の美感にも常に 意識が注がれ、テンポ感もいい。しかしその演奏は全体になにか味気ない感じが拭えない。

メータの伴奏が全体にあまり 冴えない点は別としても、例えば展開部以降で言うと(7:05)の3オクターブ跳躍やその後の分散和音の連続、カデンツァ の重音展開、いずれも難技巧に対する弾きこなしは完璧なのに、そのボウイングには、強靭、濃密、鮮烈といった、 何らかの個性感が希薄で、技巧の切れを演奏のインパクトに転化し切れていないというような感じがする。第2楽章も あまりピンと来ない。pの響きの強さやfの訴求力などの不足感。正直、演奏に魅せられる瞬間が少ない。

終楽章も、 聴いていて表現の方向が良くわからないというか、テンポの動きとして、若さを叩きつけるという感じでは明らかに ないし、堂々とした風格で聴かそうという感じでもない。全体に技巧の冴えと裏腹にフレージングの抉りが浅く、 全身的な表現の段階に達する前に技巧に流れてしまうような感覚だろうか。ブルッフも、作品の表面的な耳あたりの良さ ばかり印象付けられ、あまり深い余韻を刻み付けてくれない。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番、ヴォカリース第14番、前奏曲第2番
 キーシン(pf) 小澤征爾/ボストン交響楽団
 RCA 1993年ライブ 09026-61548-2

あまり良くない演奏だと思うが、その原因が演奏者に起因するのか、録音のコンディションに起因するのかが、どうも 判然としない。

協奏曲の第1楽章から、全編にソロの強音が冴えない。のきなみ質感不足だ。(8:34)からのピウ・ ヴィーヴォのmfや、カデンツァなど、ダイナミックな聴かせどころで響きがことごとくベッタリしてしまう。弱音は 粒立ちがいいし、美しいが、強音がものをいわないので、その良さもあまり引き立たない。

以降の楽章も同様で、 終楽章の冒頭などとくに良くない。キーシンが本調子でないのかもしれないが、録音の録り方のせいかもしれない。 すなわち、かなりオフ・マイクな録られ方で、ホールでいうなら最後席あたりから聴く感覚に近い。それが迫力不足の 原因とも思えるが、ただ、キーシンのソロ自体も、第1楽章のスロー調といい、フレージングの切れの甘さといい、 なにか思い切りが悪いというか、音楽に乗っていないというか、そんな感じもする。

小澤のアンサンブルも全体的に線が細めで、やはり強奏がよくない。併録のヴォカリース14番、前奏曲2番は 演奏会当日のアンコールと思われるが、ここでも強音に厚味がのっていない。

ショパン ピアノ・ソナタ第3番、スケルツォ全曲
 仲道郁代(pf) 
 RCA 1993年 BVCC642

仲道郁代のショパン演奏に対する豊かな音楽性が全編に充溢する名演だ。

第3ソナタ第1楽章からフレージングの さりげない独奏力が光っている。スコアは冒頭fから入り、4小節め中盤でffまで持っていくように書かれている ところ、この演奏においては2小節めの休符直後に音量がpまで落とされる。たったこれだけのことで、旋律の 訴求力の向上感がめざましい。テンポ取りにおいても極端なルバートは抑制されているが、およそ画一感のない しなやかな音楽の呼吸感が素晴らしい。展開部の(5:01)から(5:40)あたりまでの表出力などバツグンだ。 第2楽章冒頭のレジェロのpの立っていること! 第3楽章の(4:24)あたりで短調にふれる場面のため息のような 旋律の美感。

およそ仲道郁代の弾くショパンには自己の深い表現衝動に基づく根源的な表情が感じられ、それは例えば ショパンコンクール入賞者の演奏によく聴かれるような、課題をこなすというようなスタイルとはおよそ異なっている。 終楽章は冒頭、スコアにない強弱をいささか付け過ぎて主題の外形がボヤッとした感じになっているのは勇み足と いう気がするが、ここでも尻上がりに良くなり、(3:48)付近など、これでこそショパンという感じだ。スケルツォの 4曲もいずれも名演。ことに1番と2番の演奏はひときわいい。

ブルックナー 交響曲第8番
 チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
 EMIクラシックス 1993年ライヴ TOCE9902-3

チェリビダッケ独特ともいうべき巨匠的な表現力に満ちた、雄大無比な演奏であり、 総演奏時間は100分を超えている。ブル8としては、おそらく最長盤だろう。

この曲は普通に演奏していても長大な演奏時間を要求するし、楽曲としての内的充実度にしても、ブルックナーの 一連のシンフォニー中随一とも評価されている曲であり、聴く方のみならず演奏する側も、集中力の持続に相当の労力が 必要となるはずだ。逆にこの曲を、全編ムラなく緊張感を持続させて演奏し切る、などというのは、スタジオ録音は 別として、少なくともライブにおいては、かなり困難な話なのではないか。

この意味で、このチェリビダッケのブル8は、こと集中力の持続という面で、必ずしも万全とは言い難いような気がする。 少なくとも第1と第2の楽章までは聴いていて音楽に何か冗長感が先立ち、チェリビダッケのブルックナーとしては、 意外に平凡に感じられるからだ。特に第1楽章は、テンポが遅く安定感はあるものの、この指揮者らしい緻密な指揮ぶりに 今一つ欠けるし、オケのほうの響きも、もうひとつ張りが弱い感がある。

ところが、第3楽章アダージョに入ると状況は一変し、前楽章までとは一味ちがう、すごい緻密性と色彩感にあふれた アンサンブル展開と、そこから捻出される深いコクのある響きが、引っ切りなしに耳に飛び込んでくるようになる。 ここだけで36分もかかる超スローテンポだが、聞き惚れてしまって遅いという感覚がしないのだ。

まるで急がないテンポに起因した、スコアの裏側まで見晴らせるような稠密性が何より素晴らしいし、 ゆっくりとした速度を基本線とする、壮大な時間スケールなど、聴いていて気が遠くなるくらいで、 とにかく音楽の陰影の深みがただならない。まさに、このテンポならではだ。

終楽章も圧巻だ。これだけのスローにもかかわらず、というよりは、これだけのスローだからこそ、 その刻一刻と移りゆく音楽の表情の儚さが、聴いていて激しく心に食い込んでくる。このアンサンブルの 微視的な流動感は独特を極め、言わばチェリビダッケひとりのみが為し得る至芸のようなものなのではないか。

終楽章が終って最後の音が消えてから、最初の拍手が始まるまでの間が、なんと15秒ある。 演奏が終ってから拍手までの間が15秒というのは、とんでもない長さであり、これだけの時間、ガスタイクの聴衆は演奏の余韻に浸っていたことになるが、さもありなんという気もする。

シューマン 交響曲第2番、第3番「ライン」
 ウェルザー=メスト/ロンドン・フィル
 EMIクラシックス 1992年 TOCE-55013

完成度ばかり高くて、肝心の音楽の生彩に欠けるという見本のような演奏。さっぱりとして見通しのいい ハーモニクスを背景に、スコアの表現を丁寧に響かせているという感じの内容だが、とにかく聴いていて 音楽が訴えて来ないこと甚だしい。演奏指揮としての個性味、主張が無さすぎる。

確かに造型面での 完成度は高いが、それが災いしてオーケストラの響きのダイナミクスが総じて縮こまり傾向で、 聴かせどころでの迫力に乏しいし、弦を中心に量感不足のアンサンブルは響きにコクがない。 重厚濃密さとは無縁なわりにはテンポの鋭さもフレージングの切れやえぐりも全然足りない。2番など 聴いていてシューマン独特の危うさをほとんど感じないのでつまらないし、3番も全般にモッサリ したテンポ感にコクのない音色(特に木管がひどい)と、良いところがほとんど見付からない。 多少なりとも生彩を感じたのは2番の1楽章コーダくらいで、後は軒並みダメだ。

ハチャトゥリアン 交響曲第1番、交響曲第3番「交響詩曲」
 チェクナヴォリアン/アルメニア・フィル
 ASV 1992年 CRCB-164

ショスタコーヴィチ、プロコフィエフと並んで旧ソ連3大作曲家に数えられるアラム・ハチャトゥリアンは 計3曲の交響曲を残している。このCDには、そのうちの1番と3番の交響曲が収録されているが、 いずれもロリス・チェクナヴォリアン指揮アルメニア・フィルの演奏が豪快を極めている。

交響曲第1番はハチャトゥリアンのモスクワ音楽院卒業作品なので、内容としても習作的な雰囲気が残り、 一般にも3曲中で最も知名度が低い。しかしチェクナヴォリアンの演奏は凄いものだ。 ハチャトゥリアンのスペシャリストとして知られるアルメニア人指揮者チェクナヴォリアンが、手兵の アルメニア・フィルを意のままに駆使し、ほとんど爆演すれすれのエネルギッシュな演奏が展開されている。 第1楽章の(7:27)あたりのアンサンブルの発する異常なまでの熱気などを耳にすると、やはり同郷の作曲家 に対する親愛や共感の意識の、並はずれた強さが伺われるし、コッテリしたオケの色彩感も、このシンフォニーの 露骨なまでの民族主義的な楽想に貫かれた作風にこよなくマッチしているし、とにかく並々ならない 表出力の漲る演奏だ。

交響曲第3番「交響詩曲」はハチャトゥリアンがロシア革命30周年記念のために作曲したもので、単一楽章形式の シンフォニー。通常のオーケストラに加えてオルガン、それにトランペット・ソロ15本という前代未聞の編成を要するが、 この法外な編成が当時の保守的なソ連当局側に理解されるはずもなく、1947年初演後、例のジダーノフ批判を 喰らって1963年まで封印状態にされてしまう。 冒頭(00:28)からの15本のトランペットが、アルメニア民謡「モカーツ・ミルザ」のメロディを一斉に奏でる音景は 壮観というほかない。追い討ちをかけるように、(2:18)からオルガンが飛び込んでくる。 以降、ひたすらに祝典的なムードであり、前作の第2交響曲「鐘」での闘争的な雰囲気は微塵もない。 いわば壮大なる音響のハッタリ、というところか。チェクナヴォリアンのアンサンブル展開は相変わらず 情熱的でパワフルで、時にメガトン級の響きを湧き立たせ強烈無比な高揚を形成せしめている。

ハチャトゥリアン 交響曲第2番「鐘」、「スターリングラードの戦い」組曲
 チェクナヴォリアン/アルメニア・フィル
 ASV 1992年 CRCB-165

ハチャトゥリアンの交響曲第2番「鐘」は、作曲の背景において当時の独ソ戦におけるソ連国民の戦意高揚という 政治的思惑を有する曲で、その点でショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」と共通している。 ハチャトゥリアンの3曲のシンフォニーの中では最もポピュラーな作品だが、録音には必ずしも恵まれていないようだ。 このCDにおけるロリス・チェクナヴォリアン指揮アルメニア・フィルの演奏は素晴らしく、この曲の決定盤とさえ 思われるくらいだ。

第1楽章冒頭のトッティによる「鐘」の動機からメガトン級の響きだ。(1:15)からの第1テーマのヴィオラ、(2:59)からの 第2テーマのファゴット、いずれもボッテリした感じのフレージングだが、メロディの味が濃く、民族的な味わいがあり、 展開部以降はアンサンブルの荒びた迫力が猛烈で、そのエネルギッシュな響きの奔流に圧倒させられる。 第2楽章のスケルツォは、連続する複数の舞曲ごとに音楽の気分がコロコロ変わり、聴いていて落ち着かないが、 そういう音楽なのだろう。常に戦争の暗い影がつきまとう。第3楽章は葬送行進曲みたいに始まり、重苦しい。 中盤の(6:14)でグレゴリオ聖歌「怒りの日」が重厚に奏され、戦死者を伴う。(9:16)の最強奏の凄まじさは、ちょっと 忘れ難い。終楽章は序奏部での暗い色調が主部になると一転、朗々たる勝利の凱歌となり、ソ連軍の勝利を鐘の音とともに 高らかに告げて終曲となる、というステレオタイプの構成だが、ここでもチェクナヴォリアンのオーケストラ・ドライブは 迫真というほかなく、その堂々たる演奏展開と、オケの途方もない鳴りっぷりのため、湧きたつような高揚力に 満ちていて、聴いていて音楽の安っぽさを忘れてしまうほどだ。

併録されている「スターリングラードの戦い」組曲は1943年のスターリングラード攻防戦を題材とした、 ウラジミール・ペトロフ監督による同名映画のために制作された音楽。戦闘シーン中心の構成であり、 さすがに深みには乏しい作品だが、チェクナヴォリアンの気魄あふれるアンサンブル展開のため、 音響的な迫力が並みでなく、つい惹き込まれる。特に3曲めの「炎上するスターリングラード」の終盤が もの凄い。

ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」
 朝比奈隆/新日本フィル
 フォンテック 1992年ライブ FOCD9061

90年代以降の朝比奈による同曲の数種の録音の中では、音質が鮮明感の点で比較的冴えない感じがする。 音質的なベストは、やはり00年の大阪フィル盤(エクストン)か。

第1楽章冒頭の第1テーマのホルンのp、(2:26)からの第2テーマのヴィオラのp、いずれもすこぶる 克己的かつ確信的で音楽の表情がたくましい。 バスの豊かなこと。(3:55)からの第3テーマのffや、(4:36)からのトランペットとトロンボーンのffの ファンファーレには、濃密な朝比奈的ソノリティの良さが充溢する。(8:20)からの最強奏でのマッシブな 音響的充実感、(9:27)からの弱音テーマ回想の味の濃さ。

しかしベストは第2楽章で、冒頭のチェロの第1テーマ、(3:02)からのヴィオラの第2テーマ、とも にpというよりmf的であり、全体に主旋律ラインが非常に部厚い。 これに管パートの有機的な音色が彩りを沿え、ふくよかな低弦は常にものをいい、ハーモニーとしての響きの深みと 潤いが抜群だ。

第3楽章も、重厚な構えが立派だが、ホルンが第1楽章よりやや冴えない感がある。冒頭から フレージングがやや慎重で、音量があまり立っていないようだ(pではあるのだが)。終楽章は、ffでの金管の 鳴り切りぶり、ティンパニのド迫力、ヴァイオリンの鳴りなど充実を極めるが、その分バスの効きが割りを食った形に なっているのか、リズムの腰がわずかに軽い感じがあり、画竜点睛を欠いているように思われる。

ビゼー 管弦楽作品集
 プラッソン/トゥールーズ市立管
 EMIクラシックス 1992年 TOCE13462

収録曲は@「カルメン」第1組曲A「アルルの女」第1組曲B管弦楽のための小組曲「子供の遊び」C陣取りD序曲 イ長調E葬送行進曲・ロ短調。

@とAは、良く練れたアンサンブルから明彩感の高い響きが捻出された美演だが、 もうひとつ印象が弱い。@は両端の2曲がややパンチ不足、中間の2曲は木管のフレーズがややぼってりしているのが 気になるし、音色のコクもちょっと物足りない。Aも前奏曲などフォルテの引き締まりが弱いので弱奏の音色のうるおいが活かし切れない気がするし、メヌエットやアダージェットも、響きがどこかモッサリしていたり、 カリオンはリズムの張りが弱かったり。

対してBはなかなかの名演。行進曲は、トランペットが冴えているし、フォルテの充実味も上々。 こうなると次の子守唄の弱奏のデリカシーも活きてくる。続く即興曲も冒頭の強奏からパンチが効いているし、 二重奏の弦も、響きがみずみずしい。ギャロップも、リズムがパリッとしていて申し分なし。

C〜Eは、いずれも 本ディスクが世界初録音らしいが、どれもなかなかの佳曲だ。演奏もおおむねBと同格の名演で、音楽の新鮮ぶりが 引き立っている。

ベルリオーズ レクイエム
 小澤征爾/ボストン響、コール(ten)
 RCA 1993年ライブ BVCC-680

ベルリオーズの「レクイエム」は、音質の良いデジタル録音でパリッとしたディスクが欲しいところであり、この 小澤盤には期待したのだが、結果としては期待はずれだった。ボストン響定期公演のライブ演奏ということもあり、 完成度最優先で、破綻無くきっちり最後まで仕上げている点は見事とも言えるものの、いかんせん演奏内容自体の 魅力が弱い。

オーケストラに関しては、全編において弱奏は徹底的に音量を絞り、丁寧で繊細な音の描写という 以上の訴えかけが希薄だし、フォルテも軒並みインパクトが低い。全編の中核たる「ラクリモサ」など、絵に描いた ような安全運転であり、冒頭の管・弦のシンコペーション・リズムからして力強さが薄いし、中盤以降も低弦の アクセントがボヤッとしていたり、ティンパニがものを言わなかったり。同じボストン響の、ミュンシュ盤での、 終盤のティンパニのド迫力と比べると、雲泥の差と言わざるを得ない。

合唱に関しては、タングルウッド祝祭合唱団の アンサンブルは細部まで緻密に歌いこみ、多声フーガなどの局面では鮮やかな立体感と克明感で聴かせてくれるが、 フォルテ以上の局面では密度が薄くなり、盛り上がりきらない嫌いがある。音質は悪くないと思うが、ディエス・イレ の中盤の、有名な金管コラールの分散斉唱シーン(5:40)は、分散パートの配置の遠隔性が強調されているようで、2小節 間隔で奏されるコラール同士に距離感があるため、ハーモニーが分断的になり、盛り上がりがいまひとつだ。

ラロ ピアノ三重奏曲全集
 ヴェラニー(pf) アンリ三重奏団
 ビクター 1992年ライヴ VICC-23002

ラロの残した3曲のピアノ・トリオ作品を収録したディスク。このうち1番と2番は1850年前後の初期 作品で、3番が1880年の後期作品。やはり最も深みがあるのが3番で、ラロのスペイン・シンフォニー を思わせる情熱の猛りやロマンティックな美しさに満ちた作品だ。

対して1番と2番は、シューマンやメンデルスゾーンの作風を吸収しつつ、フランス室内楽発展への道程を 固めるという風であり、1番の第2楽章ロマンスのとろけるような甘美さや、2番の第2楽章アンダンテ の夢のような儚さは、一度聴いたら忘れ難い余韻が残る。

アンリ三重奏団は1980年頃に結成されたフランスのトリオ・アンサンブルとのこと。 その演奏は実に素晴らしい。最初の1番冒頭のチェロの序奏から、その味の濃さと音色の深みにまいってしまう。 アンサンブル展開は常にこなれ切った練達の織り上げでありながら、チェロとヴァイオリンの旋律線の 深いコクに導かれるメロディの訴求力が素晴らしく、ピエール・ヴェラニーのピアノが少し弱いのが惜しいものの、 全曲ともにフランス室内楽演奏としても最高級の音楽美が充溢する名演だ。

クララ・シューマン ピアノ協奏曲&ロベルト・シューマン ピアノ協奏曲
 杉谷昭子(pf) オスカンプ/ベルリン交響楽団
 ビクター 1992年 VICC149

シューマン夫妻のピアノ協奏曲を収録したアルバムで、並べて聴くことで両者の作風の個性の違いが端的に実感される。面白いと思ったのは、クララの作品が意外に男性的な色合い帯びている(冒頭の第1テーマなど特にそう)ことで、むしろロベルトの方が女性的な作風に聴こえてしまうほど。クララの作は16歳の時のもので、さすがに深みにおいてはロベルトに一歩も二歩も譲る感じがするものの、総じてピアニスティックなパッセージの華やかさや、メロディの優雅な造りなど、やはり聴いていて何となく非凡な才が伝わってくるような気がする。

演奏自体は、ジェラルド・オスカンプの指揮も含めて作品への敬意を感じさせる、誠実なアプローチ。ロベルトでは聴き慣れない表情の鋭さなどは全体に聞かれないとしても、自然体な構えから自発的に立ち込めるロマン味が美しい。

グルック バレエ音楽「ドン・ジュアン」、「セミラーミス」
 ヴァイル/ターフェルムジーク・バロック管弦楽団
 VIVARTE 1992年 SRCR9147

18世紀最大級のオペラ作曲家グルックはバレエ音楽にも佳作を残しているが、「ドン・ジュアン」はその中でも 最高傑作とも目されており、バレエ音楽に対するグルックの改革意識(バレエの主役を「踊り手」から「音楽」に移さん とするもの)を背景とする生彩に満ちた音楽描写が強いインパクトを放っている。

バレエのストーリーはモーツァルトの オペラ「ドン・ジョバンニ」と同一で、ドン・ジュアンの騎士長との決闘で幕を開け、ドン・ジュアンの地獄落ちで幕を 閉じる。バレエ音楽なので当然ながら舞曲を中心とした構成になるが、それらはいずれも運動的であると同時に音楽的に 優美であり、ドンナ・エルヴィラやツェルリーナといったキャラクターの愛らしさが聴いていて伝わってくるようだ。

しかしこの作品の白眉は第23曲以降、すなわち騎士長の亡霊が石像となってドン・ジュアンのもとを訪れる場面から。 そこまでのエレガンスな音楽の運びから、ニ短調をベースとする緊迫した雰囲気に包まれ、なんとも鮮やかな 情景転換だ。わけても最大の聞き物は終曲(第31曲)のドン・ジュアン地獄落ちで、このシャコンヌの激烈ぶりには 驚かされる。まさしくシュトルム・ウンド・ドラング(疾風怒濤)。演奏も素晴らしく、終曲の緊迫感は圧巻だ。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第11番、創作主題変奏曲、第21番「ワルトシュタイン」
 ハイドシェック(pf)
 キングインターナショナル 1992年 KDC12

11番ソナタは、第1楽章・終楽章ともに、緩急自在の筆致と強弱の増幅されたダイナミクスに印象づけられる、 極めて表情的な演奏で、ピアニズム自体の聴き応えは満点なのだが、ベートーヴェンの他ソナタほどは、楽想が立たない 感もある。やはり曲の構造の古典性が強いせいだろうか。それにしても第2楽章はロマンティックの極みだ。歌うという より「歌い抜く」という風情。

創作主題変奏曲だが、ハイドシェックの十八番ということもあり、名演。ただ、94年に録音したものの方が、音質がいい分インパクトに勝る感もある。しかし(10:11)あたりの最強打は、凄いにもほどがある。 ワルトシュタインは、重低音の強調がわりあい控えめで、かわりに高音フレーズの訴求力が極まっている。指回りも凄い 速さであり、華麗・絢爛なピアニズムの粋といった感じだが、それでいて全編に深みがある。ここぞというときの タッチの充実味が破格であり、音楽の迫真的な表情が素晴らしい。

リムスキー=コルサコフ 管弦楽作品集
 ラザレフ/ボリショイ交響楽団
 エラート 1992年 WPCS-4044

収録曲は@スペイン奇想曲A「ロシアの復活祭」序曲B「皇帝の花嫁」序曲C「5月の夜」序曲D「金鶏」組曲。

このディスクは、演奏自体はいまひとつ物足りないが、 収録曲の珍しさと、親しみやすいメロディがこれでもかと言わんばかりに 連続するリムスキー=コルサコフの音楽の楽しさが魅力だ。

ラザレフの指揮は全体に模範演奏という域からそれほど 踏み出さず、ボリショイ響のアンサンブルも、緻密で色彩的には豊かだが、総じて味が薄い。少なくともロシア的な 重厚・濃密という要素はそれほど感じない。個別的にみると、@やDはまあまあ良いが、Aは良くない。序部のチェロ のソロなどいかにも味が薄いし、主部以降もインパクト不足。逆に良いのはBと、Cの後半で、いずれも線が細いなり に緻密なアンサンブル展開が功を奏して音楽が精彩的だ。

コルンゴルド&ツェムリンスキー ピアノ三重奏曲
 ボザール・トリオ
 フィリップス 1992年 PHCP5232

両曲ともにウィーン生まれのユダヤ系作曲家による、20世紀初頭の作品。コルンゴルドの 曲は、R.シュトラウス風という見解もあるが、むしろブラームス的な味が強い気がする。また作曲の師の ツェムリンスキーの影響もおそらくあるのだろう。後期ロマン派の熱っぽい作風の逸品だ。全4楽章の中では、 第3楽章のラルゲットが忘れがたい。なんと深い祈りの音楽であることか。ヒタヒタと、情感を一歩一歩高めて いく音楽の足取りが、聴いていてジワジワと伝達されてきて何ともいえない。ツェムリンスキーは3楽章制だが、 これは第1楽章がいい。コルンゴルドに輪をかけてブラームス風であり、ほの暗い情熱味を中核とした楽想の 情感的訴求力が並々ならない。

ボザール・トリオの演奏は、おおむね穏健で堅実なスタンスで、部分的には 物足りないところもある(コルンゴルドでは1楽章の(6:15)あたりのピアノ強打などもっと響かせて欲しいし、 ツェムリンスキーは弦の響きが全般に厚み不足)が、聴かせどころがなかなかの充実感だ。コルンゴルドの 第3楽章(3:00)からのピアノ強奏など実に迫力があるし、ツェムリンスキー第1楽章の急迫場面でのアンサンブルの 響きの緊迫感も素晴らしい。楽想が込み入っても響きが良くこなれていて、つねに造型がピリッとしているあたりは さすがにベテランのトリオ団体だ。

ブルックナー 交響曲第1番
 ベルティーニ/ベルリン・ドイツ交響楽団
 EnLarmes 録音年不詳 ELS02-289

CDR盤。マーラー指揮者ベルティーニによるブルックナーの録音は極めて珍しく、期待半ば、不安半ばで聴き始めたが、ふたを開けてみるとこれが超名演! 指揮・オケ・音質ともに素晴らしい。使用版の記載は無いが、聴いた限りではウィーン稿ではなくリンツ稿だ。

第1楽章冒頭の高弦によるp指定の主題提示からしてキリッとしていると同時に低弦の刻みの厚味がたっぷりで、ハーモニーが重厚味を帯びている。ここでのベルリン・ドイツ響のアンサンブル、ことに弦の絶好調ぶりは目を見張るばかりで、(1:24)からの第2テーマなどの弱奏時でも味の濃い音色だが、強奏時の音彩がまた絶品。(4:35)あたりなどがそうだし、展開部から再現部の盛り上がりにおいても、かなりの高速テンポにも関わらず、フレーズのえぐりが深く、ハーモニーの上滑り感がまるでないため、フォルテッシモの表出力がものすごい。コーダでの強烈なアッチェレランドも最高で、完全にドラマティック様式のブルックナーだが、すごい迫力だ。

第2楽章も冒頭の主題のppによるチェロの音色からして実在感に富み、まさにドイツ的な音色の厳しさ。楽章を通して弦パートの音色の音立ちが冴え渡り、後半部はまさにワーグナーのような壮麗を極める響きが充溢する。

第3楽章も冒頭からffの弦のフレージングが強烈かつ濃密。あまりに強烈なので全体に金管パートの強奏フレーズが埋もれ気味になっているのが残念だが、迫力抜群のスケルツォだ。終楽章も一気呵成なテンポをベースに充実した響きで一貫され、その響きはすこぶる情熱的でありながら造型はすこぶる構築的という、ベルティーニの演奏手腕が冴え渡っている。

ラモー クラヴサン合奏曲全曲
 東京バロック・トリオ
 ハルモニア・ムンディ・フランス 1992年 HMC9011418

ラモーの5つのコンセールを収録したアルバム。クラヴサン、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバという編成 で、クラヴサンはクリストフ・ルセ、ヴァイオリンは寺神戸亮、ヴィオラ・ダ・ガンバは上村かおりがそれぞれ演奏 している。また、第1コンセールの第2楽章「リブリ」、第2コンセールの第3楽章「挑発」、第3コンせールの 第2楽章「内気」、第4コンセールの第2楽章「おしゃべり」はクラヴサン・ソロ用のアレンジ版による演奏のものも 収録されている。

演奏は素晴らしい。ルセのクラヴサンは個々のタッチの音立ちの冴えていることこの上なく、テク ニックも万全で危なげなく、フレージングのセンスも良く、要するに最高だ。これに絡む寺神戸亮のバロック・ヴァイ オリンの音色がまた冴え渡っている。ノン・ヴィヴラートの強い音彩によるフレージングは、優雅な中にもピリッとした 厳しさを付帯させ、エレガンシー一辺倒でない、ハイ・レベルの合奏を展開せしめている。上村かおりは他2者よりは 一歩下がった地点で合奏を完璧にバックアップして間然としない。

このディスクを聴いて、全5曲ともに、作品の良さを あらためて認識し直させられた。わけても第2コンセールの第2楽章「ブコン」での優美な佇まい、第3コンセールの 第1楽章「ラ・プポリニエール」での抗し難いまでの幸福感、第5コンセール第1楽章「フォルクレ」でのフーガの馥郁 とした響きの香気、同第2楽章「キュピス」での夢でも見ているかのような麗しい音彩。

ブルックナー 交響曲第7番
 朝比奈隆/新日本フィル
 フォンテック 1992年ライブ録音 FOCD9063

サントリーホールでのライヴ録音。手兵の大阪フィルではないものの、このブルックナーは素晴らしい。 アンサンブルの印象としては低声の馬力が、大阪フィルよりやや落ちるかという感じだが、別に不満という レベルでないし、それより弦高声部のえぐりの効き具合や、金管パートのファンファーレの立派さなど、 大阪フィルを凌ぐかという局面もかなりあり、簡単に甲乙はつけられないほどだ。

第1楽章冒頭のチェロから、深々とした味の濃い音色! 全編にトッティの重厚感、弱奏での克己的な 響きの色合いなど、朝比奈的な良さが充満しているが、とりわけ再現部の第3主題回帰直前での、弦の掛け合いが 醸し出すものすごい痛切感と、楽章終結シーンでの 果てしなく登りつめるような圧倒的なクレッシェンドの壮絶な威容が、いずれも筆舌を超えた深みを 表出していて忘れがたい。

第2楽章もゆったりとしたテンポから実に音楽が濃密に響き、モデラート主題部での チェロ・パートの味の濃さ、コーダでの金管のコラールの見事な屹立感など、いずれも息をのむような表情だ。 後半2楽章は低声の馬力があと少し欲しいようなシーンもあるものの、弦高声の充実がそれを補填して 余りある。それにしても第4楽章第3主題でのテンポの落とし方は半端でない。ものすごい緊張感だ。

ラフマニノフ 交響曲第1番、5つの練習曲「音の絵」(レスピーギ編曲)
 尾高忠明/BBCウェールズ交響楽団
 ニンバス 1992年 NI5311

ラフマニノフのシンフォニー演奏を得意レパートリーとする尾高忠明の、自ら首席指揮者を務めたBBCウェールズ響 との録音。このコンビではラフマニノフの交響曲第2番の録音が名演だったが、この第1番の方もそれと同じくらい良く、 全体に奇を衒わない規範的解釈ながら、その作為性の無い音楽のみずみずしい呼吸感が聴いていて新鮮だ。

第1楽章冒頭のフォルテッシモ(f×3)からすこぶるダイナミックでくっきりとした金管の音立ちが 素晴らしい。くっきりとしていながらコッテリ感が希薄なのが特徴的で、以降においてもロシア的なコッテリ風味とは 一線を画したバランスが敷設されていて、そのハーモニーの見晴らしの良さと清潔な色合いのダイナミクスにまず 魅了させられるし、アンサンブル展開もすこぶる緻密で、フレーズの隅々まで血が通っている感じがする。展開部に 入る(5:48)での乾坤一擲のフォルテも実にいいし、直後のフーガの表出力も抜群だ。そして(8:50)の再現部突入あたり、 颯爽としていることこの上なく、聴いていて心躍らされる。

第2楽章と第3楽章はBBCウェールズ響の奏でるハーモニーの上質な響きに魅力があり、独特の気品を伴う音色の エレガンシーを帯びた憂愁の調べが連綿と綴られていて、音楽に自然に惹き込まれる感じがする。 終楽章も奥行きの深い演奏。(10:23)あたりのクライマックスなど、金管の大音響ぶりからすると驚くほどの ハーモニーの透徹さで、アンサンブルがこなれ切った感じだ。

バルトーク ピアノ協奏曲全集
 ドノホー(pf) ラトル/バーミンガム市立交響楽団
 EMIクラシックス 1992年(第1、第3)・90年(第2) TOCE-8348

収録の全3曲の演奏を全体としてみると少しムラを感じるとしても、演奏の出来の良いところが 非常に素晴らしい。

特にいいのが、第2番の第3楽章と、第3番の第2楽章で、 第2番の第1楽章と第3番の第3楽章がこれに続く出来だ。ドノホーのピアニズムは鋭利なタッチとセンスの光る フレージング展開に個性味があり、ことに第2番第3楽章での闊達な語り口は音楽に溌剌たる生命感を付与して 間然としない。ラトルの演奏のバックアップも強力なもので、打楽器や木管の響きの冴えていることといったらなく、 まさにバルトークに相応しい理想のダイナミズムがここにある。

対してドノホーの現代的なピアニズムの良さが いかんなく発揮されているのが第3番第2楽章で、静謐な弱音の音色に宿る怜悧な響きが何ともいえない痛切味を 醸し出し、精緻を極めたオーケストラ伴奏と相まって、バルトークの絶筆の音楽の味わいを存分に聴かせてくれる。 楽章終結間際のピアノ・ソロのフォルテッシモなど、震えがくるほどだ。

このアルバムでは前記の2つの楽章が 演奏としてかなり際立っているが、他の部分もだいたい平均以上の出来で、全集として申し分ないと感じる。 ただ第1番は全体に生彩がいまひとつという感もあり、録音の問題かも知れないが、弱奏部でやや響きがモコモコ するようなもどかしさもあった。

「ミケランジェリ+チェリビダッケ共演集」
 ミケランジェリ(pf) チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル他
 メモリーズ 1972年〜92年ライブ ME1018/19

収録曲は@ラヴェル・ピアノ協奏曲Aシューマン・ピアノ協奏曲Bベートーヴェン・ピアノ協奏曲第5番 「皇帝」Cグリーグ・ピアノ協奏曲。オーケストラと録音年は@とAがミュンヘン・フィルで1992年、Bがフランス 国立管で74年、Cがシュトウットガルト放送響で72年。録音は@〜Bがステレオで、Cのみモノラル。またCの後には アンコールとして弾かれたグリーグの叙情小曲集「ゆりかご」が収録されている。

この4演におけるベストはBで、これは稀代の名演だと思う。@やAも素晴らしいのだが、 それらの印象さえ、このBを聴いた後だと、霞んでしまうくらいだ。 ミケランジェリのピアニズムの魅力がほぼ全開状態であるのに加えてチェリビダッケの指揮するフランス国立管の アンサンブルもすこぶる魅力的で、良好な音質がそれらをいかんなく伝達する。

ミケランジェリのソロは第1楽章冒頭 から好調を極め、そのタッチの発する音色はクリスタルをも思わせる怜悧な響きを付随させ、聴いていて言い様のない 快感を覚えるほどだ。展開部冒頭(9:14)あたりの右手のタッチの美彩といい、(9:56)あたりでの左手の強パッセージの美彩 といい、右手のみならず左手の強音にさえも、常に凛とした音色の輝きが絶えない点に驚かされる。それでいて(10:22)あ たりの最強奏の真に迫る迫力など、陶酔一辺倒に終始しない表出力の高さを発揮していて圧倒させされる。 チェリビダッケの伴奏もフランスの名門オケから官能的なまでの色合いの音色を絶妙に引きだしていて、 それがピアノ・ソロの味をさらに引き立たせる。わけても第2楽章に聴かれるハーモニーの流れの玲瓏な美しさは、 圧倒的だ。

このBに比べると、@の ラヴェルとAのシューマンは音質水準としてはBと同格なのだが、Bよりも残響感が高く、かつオフマイク気味な 録られ方となっていて、その分だけ純音響的なインパクトがBより若干落ちる感じがする。@に関しては90年代の チェリビダッケの指揮としては異例なほどのハイ・テンポなのだが、そのせいか否か、 両端楽章でのオーケストラの鳴動感が、 チェリビダッケとしてのベスト領域には到っていない感じを受ける。その意味において真の聴きものは第2楽章で、 繊細を極めるアンサンブルの詩的な響きがミケランジェリのタッチの美彩と有機的に混合し、その美しさは ちょっとこの世のものとは思えないほど。

対してAではチェリビダッケの指揮が@とはうって変わったスロー調だ。 ただ@よりさらに残響が強く、場面によってはアンサンブルの細部がモコモコする。ミケランジェリのタッチの充実は 相変わらずだが、第1楽章の展開部序盤あたりとか、カデンツァとか、いずれも強残響のためにその音色の陶酔性にさらに 拍車がかかっている。さすがにここまでくると美彩過剰、という感じが否めず、その点においてやはりBのベートーヴェン での感銘には及ばない。最後のCは音質にかなり問題があり、モノラルである以上に高音の抜けの悪さが大きなネックと なっていて、ミケランジェリのピアニズムの特徴感をかなり削いでしまっているように思う。

ベートーヴェン 交響曲全集
 テンシュテット/メクレンブルク・シュターツカペレ、ウィーン・フィル他
 メモリーズ 1968年〜1992年ライブ 1020/24

非正規盤だが、テンシュテット指揮によるベートーヴェンの交響曲全曲の実況録音が収録されている。オーケ ストラと録音時期はまちまちで、交響曲第1番はメクレンブルク・シュターツカペレとの68年録音、「エロイカ」は ウィーン・フィルとの82年録音、第2番、「田園」、第7番、第8番はボストン響との75年・77年録音、第4番は ニューヨーク・フィルとの80年録音、「運命」はキール・フィルとの80年録音、「第9」はロンドン・フィルとの 91年録音。他に北ドイツ放送響とのコリオラン序曲、ロンドン・フィルとのエグモンド序曲、ボストン響とのプロメ テウス序曲も収録されている。

収録時期や演奏オーケストラにこれだけ幅があるだけに、内容的には混交玉石という 感じなのだが、その「玉」の演奏が圧倒的に素晴らしい。具体的には第1番、「運命」、「第9」の3曲が圧倒的名演 で、第4番がこれに次ぐ。「エロイカ」、「田園」、8番、2番、7番あたりはパッとしない。

まず第1番だが、正攻法 のスタイルながらアンサンブルの充実感に目を見張るものがある。わけても弦パートの素晴らしさは特筆的で、その刻み は彫りが深く、色感も立ち、真にこもった響きが常に絶えず、聴いていて惚れ惚れしてしまう。ティンパニはかなり 控えめで、終楽章コーダでさえ大人しいが、それでも弦を中核とするアンサンブルの表出力の高さのため、迫力的に 不足するものはない。

続く「エロイカ」だが、第1番の後で聴くとかなり聴き劣る。冒頭の低弦から線が細く、味が 薄いし、以降においても第1番でのメクレンブルク・シュターツカペレより弦パートの表出力が振るわない。それでも ウィーン・フィルだけに、管の音色の魅力は随所に活きてはいるが、、、。続くボストン響との2番と7番は平凡。 ボヤッとした音質ともども、あまり印象に残るものがない。次のニューヨーク・フィルとの4番は、ノイズ・レベルが かなり高めながら、演奏自体はなかなかのもので、全体に響きの強度感が立っているし、フォルテの充実感とパンチ力 も見事だ。

キール・フィルとの「運命」は名演! この演奏はアンサンブルのキメが荒く、いわゆるスマートな表現 ではないが、むしろオーケストラのアマチュア的な表現意欲が聴いていてひしひしと伝わってくる。管パートを中心に 迫真の響きが充溢し、フォルテッシモでのアンサンブルのなりふり構わぬ燃焼力など、圧倒的だ。それにしても この全集、ウィーン・フィルやボストン響といった名門オケより、メクレンブルク・シュターツカペレやキール・ フィルという無名オケの方が演奏がずっと良いというあたり、面白い気がする。

次はボストン響との8番と「田園」 だが、先の2番と7番同様、やはりあまりパッとしない演奏だ。ただ音質はこちらが若干いい。8番の終楽章で客席の 赤ん坊が派手に泣き出してしまうというハプニングあり。最後のロンドン・フィルとの「第9」は、超名演というより 超絶的名演というべきだ。テンシュテット最晩年の鬼気迫る演奏で、その響きは壮絶を極める。ティンパニの強打ぶり など、第1番や第2番、ウィーン・フィルとの「エロイカ」でさえ強打を控えた指揮者とは思えないほどで、第1楽章 再現部の山場を越えて、起伏が落ち着きかけても、ティンパニだけは激打を止めない。特筆すべきは終楽章の冒頭で、 第3楽章の最後の和音が半分も鳴り終わらないうちに終楽章のトッティが鳴り響き、またその響きが激烈を極める ものすごさ。いうなれば天国を地獄に一変させた、という表現がぴったりだ。終曲場面も実に凄まじい。フルトヴェン グラーにも比肩する激烈なアッチェレランドで壮絶に幕を閉じている。

ハイドシェック・ソロアルバム 「ケンプに捧ぐ」
 ハイドシェック(pf)
 テイチク 1991年ライブ TECC-28117

収録曲は@ブラームス 6つの小品op.118より3曲Aヘンデル クラヴィーア組曲第2番Bブラームス ヘンデルの 主題による変奏曲とフーガCベートーヴェン ピアノ・ソナタ第30番Dドビュッシー 前奏曲第1巻より2曲。

ハイドシェックのピアノの師ケンプの追悼コンサートのライブ録音。その演奏は素晴らしく、ちょっと呆然と させられるほど。最初の@から何という情感の極み。およそ、この@のみならずA〜Dも含め、作品自体は本来 いずれも内省的だったり抽象性の強い演目ばかりで、情感型の作品ではないはずなのに、このハイドシェックで聴くと、 時に哀切的であったり喜悦的であったり、いずれもある種の情感の色合いが音楽に強度に付着していて驚かされる。 こんな風にも演奏できるのかという驚きと、その深み。時にテンポを大胆に動かし、時に左手を存分に鳴らしたりと、 自己流でありながら、どこまでも全身的な表現が表出し得る深みというべきか。

Cのベートーヴェンでは、第2楽章の 疾風怒涛を経た直後、第3楽章冒頭から抑制的なダイナミズムで、飄々と弾かれる時の音楽の晴澄感が比類ない。  それでいて(5:57)あたりなど抑えきれない情動をついに爆発させるという風であり、静と動の激しいコントラスト が全体を強烈に貫いたピアニズムの妙感!

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」
 ロバート・ショウ/アトランタ響
 テラーク 1991年録音 PHCT-5069

オーケストラから声楽まで含めて、マーラーのスコアを誠実に、過不足なく音化したというような感じの演奏だが、  逆にいえば、それ以上のものを感じない。

オーケストラの表現は、ショウの師匠筋のジョージ・セルの表現様式に かなり近く、いわゆる重厚濃密路線とは一線を画した、造形的完成度重視の理性的スタイル。その良し悪しは ともかく、最大の問題は、マーラーの音楽の核心ともいうべき、切羽つまった情動起伏のインパクトが決定的に 欠けている点だろう。オーケストラが響かせる音色は明るく健康的な華やかさばかり耳につき、およそマーラーの毒 ともいうべき陰影や暗みに乏しいため、音楽が進んでもメリハリに乏しい一本調子に終始し、聴いていてどうにも 退屈だ。

オーケストラの鳴りっぷりは、確かに悪くはないが、圧倒的なレベルには遠く、演奏スタイルも絵に描いた ような正攻法であり、ハッとするような強烈な個性味がどうにも見当たらない。録音が極めて鮮明なため、演奏自体の 個性味の無さがかえってクローズアップされているようで、気の毒だ。合唱などはかなり鮮明に捉えられているので、 声楽を中心に聴くならいいのかも知れないが、やはりマーラーだけに、オーケストラの表現に光るものがないと、 80分の長丁場を聴き通すのはかなりきついものがある。

J.S.バッハ ブランデンブルク協奏曲全集
 サヴァル/ル・コンセール・デ・ナション&ラ・カペラ・レイアル・カタルーニャ
 ASTREE 1991年 E8737

ジョルディ・サヴァル指揮ル・コンセール・デ・ナシオンの演奏として、この前年に録音されているバッハ管弦楽組曲全集と同様の流儀による名演。その演奏の特徴感も同傾向であり、全般にアンサンブルの放つ音色の美感が並々ならない。古楽器演奏ならではの響きの原色感を保持しつつ、これほどの洗練された音色を展開させている点に関しては、他の古楽器団体の演奏と引き比べてみても突き抜けたものがあると思う。もっとも、この演奏はその性格上、陶酔と覚醒のバランスという点において、前者にかなりシフトしている。その音色の性質に加え、古楽器アンサンブルとしてはレガートの使用比率が明らかに高いし、いわゆるパンチの効き具合に関してはかなり大人しい。そこに物足りなさもあるものの、それ以上に純然な音響的美感の練り上げが素晴らしい。

第1コンチェルトの第4楽章冒頭など、本来なら主役となるホルンとヴァイオリンの強奏を極めて抑制し、他パートも含む響きの相互の溶け合いが、完璧な調和の中で実現されていて、ため息が出るほどの美感だ。第3番の第1楽章(4:37)あたりからの弦パート同士の掛け合いなども、最高の鮮やかさで表現されていて驚かされる。全6曲中のベストはというと、おそらく第4コンチェルトだと思う。ここでの演奏の個性味がひときわ際立っているからで、冒頭のリコーダーを伴うハーモニクスの美しさときたら、メルヘン的別世界とでもいうべきであり、ビオンディの見事な独奏ヴァイオリンも全編に華を沿えている。

オネゲル 管弦楽作品集
 プラッソン/トゥールーズ市立管
 EMIクラシックス 1991年 POCG-1675

収録曲は@シェイクスピア「テンペスト」のための前奏曲A交響詩「夏の牧歌」B交響的黙劇「勝利のオラース」Cパ シフィック231DラグビーEメルモッツ組曲第1番「アンデス越え」Fメルモッツ組曲第2番「大西洋横断 飛行」。

@は暴風雨描写が主体の激烈な作品で、演奏も内容に相応しい。雷鳴的な管の明滅の強烈な色合い、 打楽器の充実感、ともに素晴らしく、聴いていて音響的暴風雨という感じが良く伝わる。Aは打って変わった 田園的静けさに包まれた曲だが、冒頭のテーマのホルンやヴァイオリンの弱奏の、うるおいのある響き、その上で ひらめくフルートやクラリネットのppの、木漏れ日のような儚さなど、全編に上質のエレガンシーが充溢する美演 だ。

Bは20分を要する大曲で、前半は主に緻密で堅実な歩みから、音楽の不穏な印象を徐々に定着させていき、後半の 戦闘からカミーユ殺害までの流れにおける音楽の苛烈ぶりが、かなり効果的に浮かび上がっている。CとDはともに 有名な曲だが、いずれも高音の充実感と鮮明感がものを言っていて、作品の面白さが良くわかる。敢えて言うなら、Cは 機関車が走りだした後の低弦のエネルギーがやや物足りないし、Dは全体にパス回しが手堅いというか、もう少し キビキビしたボール運びだとより面白い感じもする。EとFは映画音楽からの転用作品。緊張感はいまいちだが 親しみやすい。

ロッシーニ 序曲集
 ジェルメッティ/シュトゥトガルド放送交響楽団
 EMIクラシックス 1991年 TOCE-7890

収録序曲は@絹のはしごAセビリャの理髪師BシンデレラCタンクレディDアルジェのイタリア女Eブルスキーノ 氏Fウィリアム・テルの7曲。

ロッシーニ演奏のスペシャリストとされるジェルメッティの指揮は総じて明彩的な響きの メリハリが効いており、キビキビとしたテンポ運用と、フル・オーケストラを振りながらも軽妙で機敏なアンサンブル 運用も特徴的であり、ドイツの名門シュトゥトガルド放送響の機能性もこれに良くレスポンスし、いかにも現代的な ロッシーニ演奏が展開されている。

確かに一定の聴き栄えはするのだが、いくつか問題点があると思う。まず、アンサンブル の彫りの浅さ。例えばCやDの主部第1テーマなどの高速テンポ進行においては、スピード感のために弦の刻みが 甘くなり、響きが表面的になっている。Dをアバド・ヨーロッパ室内管の演奏盤のそれと比較してみれば、その精彩 の差は歴然だ。超精鋭オケのアバド盤との比較は酷かも知れないが、一般水準としてもこの演奏にそれほどの優越味 は感じない。次に、全体にテンポ運用が中途半端な感じがする点で、表情を付けようとしているのか、格調重視で 聞かせようとしているのか、判然としない箇所が聴かれる。アンサンブル展開も濃淡対比がいまひとつで、例えばFの 嵐の場面も、フォルテッシモの密度に物足りなさが残ってしまう。

ダイアモンド 交響曲第3番、チェロ協奏曲「カディッシュ」ほか
 シュワルツ/シアトル交響楽団
 デロス 1990・91年 DE3103

収録曲は@シェークスピアの「ロメオとジュリエット」のための音楽A管弦楽のための詩篇Bチェロ協奏曲「カディッ シュ」C交響曲第3番。

アメリカの現代作曲家デイヴィッド・ダイアモンドは2005年に死去するまでに計11曲の 交響曲を残すなど、主に絶対音楽の分野に多くの作品を作曲したが、その作風は完全にロマン派音楽の流れ に則ったもので、極めて保守的であり、本格的な現代音楽としての感触はおよそ希薄だ。気軽に聞ける親しみやすさが 特徴であり、同時に弱点でもある。

とくに@はかなりムードチックだ。聴いているときは楽しいとしても、聴き終えた あとの印象感がはなはだ弱い。Aは1936年作曲のダイアモンドの出世作で、題名といい作風といい、明らかにスト ラヴィンスキーの影響が伺われるものの、@と比べれば音楽としての印象感は大分高い。Bは1989年にヨーヨー・マ のために書かれた作品。ただこのCDではシュタルケルがソロを務めている。シュタルケルの本領からすると、かなり 抑制がかった感じだが、やはり本格的な作品ではないためだろう。Cの交響曲第3番はアレグロ・デチソの冒頭部の 勇壮な開曲シーンが好感的。表情が多分に健康的ではあるものの、オーケストラのダイナミックなソノリティが爽快。 ジェラード・シュワルツ指揮によるシアトル響のアンサンブル展開は、典型的なアメリカン・バランスだが、作品の 性格を考えると演奏としては理想的なもののひとつではないかと思う。

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番
 スクロヴァチェフスキー/ハレ管弦楽団
 IMP 1990年 PCD2043

2007年秋にサントリーホールで聴いたスクロヴァチェフスキー指揮によるショスタコ10番の演奏は、その年の ベスト・コンサートとも言える超名演だった。オーケストラは読売日響だったが、およそ日本のオーケストラらしからぬ とさえ言える様な迫真を極めるアンサンブル展開であり、それをコンスタントに捻出するミスターSの手腕は見事な ばかりで、あれほどのショスタコーヴィチの生演奏は滅多に聴けるものではない。

対してこのディスクは、同じくミスターSの指揮によるタコ10であり、オーケストラはハレ管。やはり見事な名演 ではあるものの、かのコンサートでの生演奏と比べてしまうと、全体にやや聴き劣る感がある。

演奏様式自体は双方ともおおむね共通であり、アンサンブルの緻密な練り込みに立脚した超常的音響感の導出の度合いが冴えている。第1楽章の(10:45)あたりの起伏などがそうであり、音楽自体の恐怖がじりじり伝わってくる。 しかし、同(13:40)あたりなど、最強奏の秩序感が先立ち、そのぶん音楽の狂気的な凄みがいまひとつ大人しい感じがする。 同じことは第2楽章全般、第3楽章終盤などにも感じる。

このあたりは、スタジオ録音ゆえのデメリットという気もするし、ハレ管の特性に拠るものかも知れない。しかし 実演ではいずれも抜群であり、ミスターSはこの作品をぜひ再録音して欲しいところだ。

ブルックナー ミサ曲第3番
 チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル
 EMIクラシックス 1990年ライブ 5567022

圧倒的名演だと思う。全体の演奏タイムは77分。 古典的名盤とされているヨッフムとバイエルン放送響によるグラモフォン録音が58分であるのと比べると長さが 際立っているが、このタイムにして演奏密度の充実ぶりが一貫的に高水準なのだから驚かされる。

第1楽章冒頭の ppのチェロ導入からして音色に張りが満ち、最弱音が克明に訴えてきて、もうゾクッとしてしまう。(1:04)からの キリエ導入の声量はかなり抑制され、スコアのpにしてはppくらい。mfからfに移っても押さえを効かせ、(1:37) 近辺のpp部ともなると聞こえるか聞こえないかというくらいだ。以降においても、管弦楽は強めの色合いでくっきり と、声楽は音量を抑えてデリケートに、という対比が独特の荘厳な面持ちを音楽に付与し、スロー・テンポがその荘厳を 増幅する。

第2楽章も冒頭の合唱部のffはいくぶん押さえ気味であり、逆にオーケストラの鳴動感がすこぶる高く、 その管弦楽主導的なハーモニクスの導出する交響的な深みに、聴いていて否応無く酔わされる。(11:11)からのグロリア・ フーガの感動的なこと。

しかし白眉は第3楽章だ。まず冒頭からのハイ・テンポに驚かされる。管弦楽の鳴りっぷりも 合唱の力のこもり具合も、ここまでより一段磨きがかかっているが、この楽章においては何と言ってもその大胆なテンポ ・レンジが音楽に絶大な深みを与えている。すなわち、冒頭あたりのハイ・テンポから中盤あたりのスロー・テンポへと 緩やかに推移する音楽の景観の移ろいが絶妙なのだ。(8:17)からバスが歌う、いわゆる十字架詠唱でのスロー・テンポの 活きていることこの上なく、音楽に付帯する苦味が実に立っている。これが効いて(11:08)からのキリスト復活の段の 表情もバツグンだし、直後の最後の審判から終盤のフーガに流れ込むあたりの一連の音楽の流れも、実に感動的だ。

第4楽章から終楽章にかけても苦痛的音響感と浄化的音響感とが絶妙に交差するような、その深いハーモニー展開が 素晴らしい。

「17世紀イタリアのチェロ音楽作品集」
 ディールティエンス(vc) コーネン(cemb)他
 アクサン 1990年 ACC9070D

収録曲はドメニコ・ガブリエリのチェロ作品が全体の過半数を占め、ほかにB.マルチェロ、G.B.ボノンチーニ、A.ス カルラッティ、W.デ・フェッシュのそれぞれのチェロ・ソナタが録音されている。D.ガブリエリの収録作品 はチェロ・ソナタが2曲、リチュルカーレ第1番〜第7番、2つのチェロのためのカノンとなっている。

D.ガブリエリ のチェロ作品は独奏楽器としてチェロを用いた作品としては最初期のものとされており、バッハの無伴奏チェロ組曲の 生まれる半世紀前に、このような作品がすでに創られていたのだ。そこにはバッハ作品との共通性をも感じさせる器楽的 な魅力もあるが、むしろ原初的なチェロ音楽としての魅力というのか、シンプルな旋律の動きが醸しだすチェロの音色の 味わいに独特の感触がある。

ロエル・ディールティエンスはオランダのバロック・チェロ奏者で、ここでもバロック・ チェロが用いられている。全体にガット弦の音色の強さは控えめであり、もう少し濃淡差が強調できれば演奏の味がより 濃くなるような気もするものの、その音色は一貫的に高貴な温雅さと磨かれた音楽美に富み、フレージングは内面的で 深みがあり、技巧も冴え、作品の良さが素直に感じ取れる好演奏だと思う。

フォーレ チェロ・ソナタ第1番、第2番、エレジー
 倉田澄子(vc) 藤井一興(pf)
 フォンテック 1990年 FOCD3130

フォーレの2曲のチェロ・ソナタは楽想がかなり渋めというか地味であり、チェロ奏者の表現力が立たないと往々にして 退屈してしまうが、このディスクの演奏はチェロの響きがとても充実しているため、チェロ音楽としての醍醐味が全編に 充溢している。

第1ソナタ第1楽章冒頭のチェロ主題のpからして音色がしっかり立っていて、第3小節のオクターブ 上行で聴かれる画然としたフレージングなど、雰囲気に流されず自分の音を厳しく刻み込むという構えが伝わってくる ようだ。第2テーマ部の(1:06)での超高音の表出力なども思わず聴き惚れてしまうし、展開部以降も、こまかく配慮の 行きとどいたフレージングから紡がれる、あたかも憂愁のヴェールを帯びたような音彩の魅力が素晴らしい。第2楽章 も詩的な味わいに満ち、終楽章も冒頭のコン・グラツィアのmpのふくよかな響きからしてまいってしまうほどいい。 藤井一興のピアノ・ソロは時おりタッチがボヤッとするというか焦点がビシッと定まっていないもどかしさを感じる 局面もあるとしても、勘所においてはチェロの魅力的な音色に迫るほどの集中力で聴かせてくれる。

第2ソナタの方も 第1ソナタ同様に名演。第1楽章冒頭のチェロのmfの訴えかけの強さからグッとくるし、以降も一貫して音色にコク があり、フォーレのほの暗い情熱味や匂い立つような情感の妙が如実に感じ取れる。

チュルリョーニス 弦楽四重奏曲全集
 ヴィリニュス四重奏団
 テイチク・A&E 1990年 TECC-30143

収録曲は@弦楽四重奏曲ハ短調A主題と変奏・ロ短調B2つのフーガC2つのカノン。いずれも ミカロユス・チュルリョーニスの音楽院時代の習作。@は本来4楽章制だが、第1次大戦で第4楽章が消失した ため、第3楽章までの収録。

いずれの作風も後期ロマン派の典型で、ドヴォルザーク・ボロディンあたりに 似ている。@の2・3楽章、あるいはA全般など、かなりロマンティックなメロディの動きが特徴であり、 なかなか陶酔的で、耳あたりが良い。その耳あたりの良さを超えて、訴えてくるものが少ないという点も共通で、 端的に言えば、やや深みに乏しい(習作なので当然かも知れないが)。

ヴィリニュス四重奏団はリトアニアの カルテット団体だが、この演奏に関する限り、おおむね丁寧で、緻密で、バランスがよく取れている点は良いと しても、全体にアンサンブルの線がほっそりとしており、響きとしては薄味という印象を免れない。

ビゼー オーケストラ作品全集
 バティス/メキシコ・シティ・フィル、ロイヤル・フィル
 ブリリアント・クラシックス 録音年不明 BRL99786

収録曲は「カルメン」組曲第1番、第2番、「真珠とり」〜前奏曲、序曲「祖国」、「アルルの女」第1組曲、第2組曲、 「美しいバースの娘」組曲、「子供の遊び」組曲、交響曲ハ長調(第1番)、交響曲「ローマ」。2つの交響曲のみ ロイヤル・フィルで、ほかはメキシコ・シティ・フィルの演奏。

一部にカルト的人気を博しているメキシコの指揮者 エンリケ・バティスのCDを初めて聴いたのは「パリのエンリケ・バティス」と称されたライブ・アルバム(メキシコ 州立交響楽団2005年パリ公演集)で、 この中ではベートーヴェンやビゼーの交響曲も収録されていた。ベートーヴェンの方は聴いていて思わず「ちょっと待った」 と言いたくなるようなもので、あまり感心しなかったが、ビゼーの方は名演だと思った。だから、このブリリアント・ レーベルの廉価のビゼー全集にも興味をそそられ、購入して聴いてみたところ、やはり悪くないと思った。

最も印象が強いのは「アルル」で、第1組曲冒頭の出だしからザクッザクッ、というスタカートの強調ぶりが凄い。 スタカート指定があるのは第1小節だけなのに、このバティスの演奏で聴くとオール・スタカート的で、 思わずのけぞってしまう。 一貫的な音色の張りの強さも印象深く、その反面、洗練された美しさのようなものは全体に希薄。アンサンブルの カラッとしたソノリティの感触とあいまって、悪く言えばかなりアッケラカンとした表情の演奏、良く言えば南欧を 思わせるカラッとした気風が伝わってくるような演奏というべきか。 第1組曲終曲カリオンに聴かれる、文字通り鄙びた音色の味わい。 第2組曲間奏曲でのサキソフォンなども相当に鄙びている。 第2組曲終曲ファランドールのラストの度を越した盛り上がりも強烈だ。

「カルメン」の方は「アルル」ほどは大胆なアーティキュレーションという感じでないが、 アンサンブルの野性味というか豪快ぶりという点では軌を一にする演奏。深みよりも「ノリ」。2曲の 交響曲の方はオーケストラがロイヤル・フィルで、メキシコ・シティ・フィルとの時ほどにはソノリティのアクが 強くない。いずれもノリのいい、開放的で、晴れやかな気分にさせてくれる快演。ただ、ハ長調の交響曲は メキシコ州立響とのパリ・ライブの演奏の方がインパクトがある。

なお、録音年のデータがないので 録音年不明と書いたが、ネットで検索してみたところ、「カルメン」の含まれるCDは1987年録音のASV CDDCA-596、 「アルル」の含まれるCDは1989年録音のASV CDDCA-620が原盤とわかった。ロイヤル・フィルとの交響曲は 判らなかったが、たぶん90年代の録音だと思う。

メユール 交響曲第1番・第2番
 マルク・ミンコフスキ/ルーブル宮音楽隊
 エラート 1989年 WPCC-3231

エティエンヌ・ニコラ・メユールはほぼベートーヴェンと同時期に活躍したフランスの作曲家で、この時期における フランス人作曲家としては例外的に交響曲分野に業績を残したシンフォニストとして知られている。そのシンフォニーは 習作の1曲と未完の1曲を除くと計4曲が作曲されており、そのうちの最初の2曲がこのディスクに収録のものとなる。

その作風においてはベートーヴェンからの影響が指摘されており、事実、メンデルスゾーンがメユールの交響曲第1番を 指揮した際、その終楽章が、ベートーヴェンの「運命」交響曲第1楽章に似ていることに驚いたと伝えらえている。 その交響曲第1番と第2番はともに1808年作曲のもので、ベートーヴェンからの影響もさることながら、すでに ロマン派の作風の先駆け的なムードも立ち込める名品だ。

疾風怒濤の第1番に対し開放的な第2番と、作風が対照的 な点も、ベートーヴェンの「運命」と「田園」のような関係を彷彿とさせる。ミンコフスキ&ルーブル宮音楽隊の 演奏は素晴らしく、古楽器オーケストラの音色の原色的なソノリティを活かした強烈な響きの肌触りだ。

ショスタコーヴィッチ 交響曲第8番
 ショルティ/シカゴ交響楽団
 デッカ 1989年ライブ FOOL-20462

全体的に、シカゴ響のハイ・ポテンシャルなアンサンブルの充実感において魅力的なシーンの多い演奏だ。

第1楽章冒頭からの アダージョ進行はフォルテ・弱奏にかかわらず、ショルティらしい几帳面なデュナーミク統制の行き届いた、透徹した 響きの練り上げで、(5:31)からのポコ・ピウ・モッソのヴァイオリン・フレーズなど、p指定とはいえかなり線が 細かったりと、肉厚感の弱さが少し気になるものの、(12:52) からのフォルテ展開はさすがに強烈! (14:29)のf4つ の強和音がいまいち弱かったり、(15:30)からのアレグロのテンポが少しもっさりしていたりと、気になる ところはあるものの、とにかくここぞと言う時の金管が立派だし、高弦もバンバン響き、外面的な迫力という点では 最高部類で、聴き応え十分だ。もっとも、終盤のアダージョのクライマックスは、高弦と金管の鳴りが絶大な反面、 バスが弱いので、なんとなく表面的な感じがしてしまう。最後のイングリッシュ・ホルンのモノローグも、ちょっと 味が薄い。

第2楽章は、ベストだ。なんといっても金管セクションが上手すぎる! 音量、テクニック、響きの密度、 音色の張り、いずれも最高クラスと感じる。第3楽章もそれに準ずる出来だが、中核的な強和音の打ち込みが多少甘い ように思う。ここは乾坤一擲の響きをぜひとも聴きたい。終盤のティンパニ、小太鼓のリレーのド迫力は素晴らしい。

第4楽章は、弱音へのこだわりがちょっと神経質にすぎると思える部分があるとしても、怜悧なハーモニクスの冴え は相変わらず凄い。終楽章も全体にビシッとしていて、とりわけ(8:19)あたりのクライマックスは、第1楽章の時より 一段と凄みがある。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番&ハイドン ピアノ協奏曲ニ長調
 フー・ツォン(pf) スヴォボダ/シンフォニア・ヴァルソヴィア(ベートーヴェン)、フー・ツォン/ポーランド室内管弦楽団(ハイドン)
 Meridian 1989年 CDE84494

2005年に再発された、フー・ツォンのピアノ演奏によるベートーヴェンとハイドンのコンチェルト・アルバム。 ベートーヴェンはイェルジ・スヴォボダ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィアの伴奏、 ハイドンはフー・ツォンの弾き振りでポーランド室内管の伴奏となっている。

フー・ツォンは中国の上海に生まれ、ワルシャワ音楽院に留学し、1955年のショパン・ピアノコンクールで 第3位という経歴を持つピアニスト。このCDにおけるベートーヴェンの第4コンチェルトというのが、 その独特を極めた解釈のため、インターネットなどで評判になっていたので、興味を惹かれて聴いてみたところ、 なるほど独特で、しかも奇抜に留まらない音楽性の輝きが感じられる演奏が奏でられていた。

ここでのベートーヴェンのピアノ協奏曲の第1楽章は、演奏時間が22分という 異様な長さだ。冒頭からしばらく続くオーケストラ提示部は、いかにも間延びしたようなスロー・テンポで、 正直あまり感心できないが、(3:41)から入ってくるピアノ・ソロはそれほど遅くなく、むしろ躍動味を帯びていて 小粋な感じさえ帯びている。しかしテンポのレンジは大きく、(5:01)から特に遅くなるし、(9:09)からの展開部に 到っては、かつて聴いたことのないような、深沈とした音楽の雰囲気が立ち込め、その斬新な音景に驚かされる ばかりだ。

そこでは一つ一つの音符を、それこそ噛みしめ抜くという風だが、その香り立つような詩味と、その甘美な 味わいが素晴らしく、聴いているうちに、この聴き慣れたコンチェルトのイメージが刷新されていくような心地よさに 誘われる、そんな演奏というべきか。そして(16:38)からのカデンツァの速いこと! 第2楽章以下とハイドンは比較的 オーソドックスだが、それでも随所に個性的な刻印が聴かれる。

それにしてもベートーヴェンのコンチェルトという、頑強な古典作品において、これだけ自己のビジョンで自由な音楽の 再構築ができるピアニストというのは、特に現代においては稀少な才だと思う。出来れば実演で聴いてみたい演奏家だ

ブラームス 交響曲第1番
 ヴァント/シカゴ交響楽団
 RCA 1989年ライヴ RD60428

ドイツの名匠ギュンター・ヴァントが、ただ一度だけアメリカのオーケストラに客演した際の コンサートのライヴ。1989年1月、シカゴのオーケストラ・ホールで名門シカゴ響を振っての コンサートで、演目はシューベルトの「未完成」とブラームスの1番。そのブラームスのライヴ収録が 本CDの演奏となっている。

このCDのライナーノートを読むと、興味深いことが色々と書かれている。いわく、 当時ヴァントは、アメリカのオケとしてはシカゴ響のほか、 ボストン響やクリーヴランド管といったビッグネームからオファーを受けていたが、 ヴァントの要求する膨大なリハーサル時間の要求に応じられず、いずれも実現化しなかったこと、 そのシカゴ響の客演にしても、世界屈指のオーケストラに対する「ウルトラスタンダードな」演目のリハーサルとしては、 通常の2倍もの時間を呑ませた上で、漸く実現したものであったこと、など。

そのシカゴ響とのブラームスだが、確かに造形的には素晴らしいし、完成度も抜群だし、 音質もいい。 ヴァントのトレードマークともいうべき、終楽章主部のアニマート(5:52)からのテンポ・シフトも、 しっかりと刻み込まれている。

しかし残念ながら、ヴァント晩年のブラームスとしてみると、全体的に物足りない印象を拭えなかったというのが 正直なところだ。

音響的には、アンサンブルのバスが全体に軽く、ヴァントのブラームスとしては明らかに腰が軽い感じがするし、 ここぞという時のアンサンブルの質感の集約も振り切らないし、ティンパニもずいぶん大人しいし、という 按配で、要するに手兵・北ドイツ放送響を指揮した時に聴かれるブラームスと比べて、音楽の雰囲気や、その 表出力において、どうも違いが出過ぎているように思われるのだ。

やはりヴァントのブラームスへのビジョンに対する感応というか、共鳴の度合いにおいて、オケ側に 少なからず齟齬があるような気がする。あるいは、相性の問題なのかも知れないが、いずれにしても、 いくらリハーサルに通常の倍の時間を掛けたとしても、それだけでは如何とも埋めがたいものが、おそらくあるの ではないだろうか、、、

メンデルスゾーン チェロとピアノのための作品集
 コワン(vc)、コーエン(pf)
 オワゾリール 1989年 POCL-1312

収録曲は@チェロ・ソナタ第1番Aチェロ・ソナタ第2番B無言歌C協奏変奏曲の4曲。すなわち下掲のシュタルク& エッシェンバッハ盤と同一の収録曲であり、アルバムとしての位置付けもメンデルスゾーンによるチェロとピアノの 作品全集というコンセプト。

しかしこちらのクリストフ・コワン&パトリック・コーエン盤はオリジナル楽器による 演奏であり、当然ながらシュタルク&エッシェンバッハ盤とはソノリティの質がかなり異なる。抑制されたヴィブラート によるキリッとした結像感や細身のシャープな旋律線の刻みによるハーモニーの晴澄感などが特徴と言えると思えるが、 反面として現代楽器の音彩の豊かさの欠如はマイナスであり、曲がロマン派であるだけに、場面によっては響きが薄く 感じられる局面もある。

奏者別に見るとコワンのチェロはフレージングの技術やセンスなどいずれ申し分ない出来で、 その点ではシュタルクのチェロに比しても遜色感はない。問題はコーエンのフォルテピアノで、技術的には音程がやや 危うい感じがするし、表出力という点でもエッシェンバッハのソロと比較すると、どうにも遜色感が先立ってしまう。

ロッシーニ 序曲集
 アバド/ヨーロッパ室内管弦楽団
 グラモフォン 1989年 POCG-1092

収録序曲は@セビリャの理髪師AセミラーミデBアルジェのイタリア女Cウィリアム・テルDシンデレラE絹のはしごFど ろぼうかささぎの7曲。

このディスクの演奏は、音楽的には極上の水準であり、確かに聴いていて楽しいのだが、圧倒的に楽しいかというと、いまひとつ振り切らないものがある。編成は、ブックレットの演奏風景を見る限り、対向配置のセカンド・ヴァイオリンが6人なのだが、これだとトッティでのヴォリューム感がどうしても落ちる。いわゆるロッシーニ・クレッシェンドのインパクトがもうひとつ大人しいのはこのためだと思うが、アバドの解釈自体も、小編成からヴォリューム感を練りだそうという意思はおおむね希薄であり、むしろ響きの切れ、透明感、繊細さ、細部へのこだわり、等そういう方面に意識が明らかに向いている。

よって純音楽的には素晴らしいレベルだが、それが必ずしもロッシーニ演奏としての愉悦性に呼応するとは限らない。@、D、Eなどはそうで、全般に神経質な弱音展開と透明感の捻出の懲り過ぎが気になるし、Cなども、後半の牧歌やアレグロ・ヴィヴァーチェの有名なマーチはかなり良いものの、その前の嵐など、小編成の限界で迫力がいまひとつだ。この7曲の中では、Bがぶっちぎりに良い。主部(2:30)あたりでの急速展開における、弦の小回りの効きまくった回転の速さから繰り出されるシャープきわまる旋律ラインが素晴らしいし、続く木管のテーマも、細身ながら細やかな音色の機微があり、何とも愉悦的だ。

ワーヘナール 管弦楽作品集
 シャイー/コンセルトヘボウ管
 デッカ 1989年録音 POCL-1063

ヨハン・ワーヘナールは1862年オランダ・ユトレヒト生まれの作曲家で、オランダ近代音楽の父として 知られる。このアルバムには以下の、ワーヘナールの管弦楽作品7曲が収録されている。

@序曲「じゃじゃ馬ならし」A交響詩「サウルとダヴィデ」B序曲「十二夜」C歌劇「エル・シド」序曲 D序曲「アンフィトリオン」Eワルツチクルス「ウィーンの3/4拍子」F序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」。

まず@を耳にすると、どこか聴いたことのある曲調で、どうもR.シュトラウス「ドンファン」にどことなく 似ている感じがする。このアルバムの7曲はすべて20世紀初頭に作曲の作品で、ところどころにR.シュトラウスの 作品からの影響と思われるふしが顔を出している。Fなどはモチーフといい曲調といい、「ティル」を彷彿と させる。

シュトラウスの影響はさておき、音楽自体はいかにも後期ロマン派といった感の華やかなものばかりで、 オーケストレーションの巧みさ、音楽としてのダイナミズムなど、知名度の無さからすると驚くほどだ。 もっとも、純粋に音楽表現として鑑みると、全体にパンチが弱いような印象がある。R.シュトラウスの作品での シニカルな毒、強烈なパンチ力といった面が相対的に弱く、確かに華やかで聴いていて楽しいのだが、それだけ、 という感じで、後に残る余韻が薄い。悪く言えばムード音楽調なのだが、過分な深みを求めなければ、音楽として なかなかの水準にあることは違いない。

7曲の中では、AとBの後半部がなかなかいい。あと印象深いのはEで、 ラヴェル「ラ・ヴァルス」のような雰囲気が魅力的。シャイー/コンセルトヘボウ管の演奏は文句なしで、音質も 抜群だ。

フランツ・シュミット 交響曲第2番
 N.ヤルヴィ/シカゴ交響楽団
 シャンドス 1989年ライヴ CHAN8779

オーストリアの作曲家フランツ・シュミットは、主に19世紀後半から20世紀前半において作曲活動を展開し、 全部で4曲の交響曲を残している。この中では第4交響曲が現在もっともポピュラリティの高い楽曲で、 それなりにレコーディングもされているが、他の交響曲となると、その機会に恵まれない状態のようだ。

このシュミットの第2交響曲は1913年に作曲されている。 第1楽章に「プレリュード」、第2楽章に「スケルツォ、トリオ付きの変奏曲」、そして第3楽章に「コーダ」という タイトルが与えられているが、聴いた印象を単純化して言うと、第1楽章がマーラー、第2楽章がブラームス、 第3楽章がブルックナーのシンフォニーに、それぞれ近い雰囲気が感じられるように思う。

特に第2楽章は、第1楽章で出されたメロディを用いた変奏形式の楽章だが、かなり手が込んでいて、 例えば主題提示と第2変奏は木管だけの編成、第1変奏と第3変奏は弦だけの編成、というように 編成上のコントラストが明確に付けられているし、最初は必要最小限の規模の編成から、変奏が進むにつれて 編成規模を徐々に拡大していき、第9変奏に到って初めてフル・オーケストラ編成を用いるような書かれ方に なっていたり、とにかく個々の変奏におけるアンサンブル編成の切り分けに細かい工夫がされていて、 こと変奏の妙という点では、かのブラームスの上を行くような印象すら受ける。

このディスクの演奏は、ネーメ・ヤルヴィがシカゴ響に客演したコンサートのライブ収録。 ヤルヴィのアプローチは正攻法ながら、シカゴ響の卓抜した演奏能力が良く活かされている。 特にシカゴ響の強力なブラス・セクションの力量が、充分に発揮できる作品である点が、 演奏上の大きな強みになっているのだろう。聴き慣れない曲なのに、つい惹き込まれてしまう。 実際このヤルヴィ盤で聴くと、この曲のダイナミックな魅力が良く伝わってくるように思う。 ホルン8本、クラリネット5本、トランペット4本という管楽器の大規模なスペックに対し、 シカゴ響のアンサンブルが抜群のパフォーマンスで応えているし、音質も優秀だ。

ブルックナー  交響曲第7番
 カラヤン/ウィーン・フィル
 グラモフォン 1989年  POCG1005

カラヤンのラスト・レコーディングとして知られる演奏。その死の3ヶ月前に録音されている。

アンサンブルの外面的な音響の洗練度としては、同じウィーン・フィルと、この前年に収録のブルックナー第8交響曲のそれとほぼ同等の、およそこれ以上望み得ないレベルを示しており、感情的なテンポやデュナーミクの動きもほとんど無く、 良くも悪くも、冷たいまでに透徹した響きの際立つ演奏だ。

第1楽章の提示部第1主題(1:39)あたりの壮麗を極めた起伏ぶり、第2主題の流麗なメロディの流れ、 第3主題の神秘的なピアニッシモ、 いずれにもカラヤンのブルックナーの刻印が聴かれる。展開部でも個々のモチーフが極めて艶麗に響き、夢幻的な音彩に 満ちている。第2楽章もひたすら美しく、特に終盤での壮麗無比な盛り上がりを示すブルックナー・クレッシェンドなどは、圧巻だ。第3楽章に聴かれる、本来の粗野なスケルツォの面影すらない優美な旋律の流れ。

終楽章では特に第3主題(提示部の最後と再現部の最初に出る)に対する華麗なオケの全奏と、その間に静かに流れる 展開部の弱音主体の進行との強弱の対比感が冴えている。 最弱音だろうと最強音だろうと響きがまるで濁らないのは見事という他なく、生涯最後の演奏まで貫き通された、 カラヤンの美学の集大成のようなブルックナーがここにある。

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番&グラズノフ ヴァイオリン協奏曲
 パールマン(vn) メータ/イスラエル・フィル
 EMIクラシックス 1988年ライブ TOCE-5954

ショスタコの方はあまり感心しない。技術はめっぽう立つものの、ソロのフレーズの深刻味の希薄さや音色の軽さ など、いずれもシリアスな曲趣との乖離が甚だしく、どういう音楽なのかが聴いていてあまり伝わらない。

逆にグラズノフは、非常に表情の立った名演で、ショスタコでマイナスな特性がこちらだと、ことごとくプラスに なっていると感じる。冒頭のソロ・テーマから深刻ぶらない軽めのタッチでテンポよくフレーズを刻み、とろける ような高音域の美音と、フレージングの滑らかな美感が耳を潤す。ポルタメントも活発に用いられ、とくに第2主題の ソロの2小節め、6度上に跳ぶあたりなど、実によく決まっている。テンポT以降のソロの華麗な弓さばきは 胸がすくし、カデンツァの名技ぶりもすごい。終楽章の民謡メロディも歌心満点だ。メータの指揮は重厚感は希薄だが すこぶる明彩的で、ショスタコよりずっと音楽の表情に調和していると思う。

リャードフ 管弦楽作品集
 バティス/メキシコ・シティ・フィル
 ASV 1988年 CRCB-59

収録曲は@金管楽器と打楽器による讃歌Aポロネーズop.49B交響詩「魔の湖」Cババ・ヤガーDキキーモラEバラード 「古い時代から」F音楽玉手箱G8つのロシア民謡Hポロネーズop.55。リャードフの管弦楽作品全11曲のうち9曲まで が収録されていることになる。

カルト的な人気を誇るエンリケ・バティスのASV時代の録音のひとつだが、ここでは 後年のいくつかの録音において示される強烈な個性感こそ概ね希薄であるものの、その表現の方向性はかなり明確だ。 アンサンブル展開においては一貫的にフレージングの伸びやかさと音彩的な開放感が特徴的であり、質感も軽めで、 ゆえに総じて深刻味の薄い表情に終始する代わりに、カラッとした鳴りっぷりの良さが導出する音響的な爽快性に 優れた演奏と言えると思う。

その本領はAやC、あるいはDの後半といったイケイケ的な楽想の段において顕著だが、 逆にBのようなスタティックな情景描写がメインの作品だと演奏の味があまり立たない。木管を中心にフレージングの 濃度がいかにも薄めで刻みも浅く、音響的な密度面でかなり物足りない感じが否めない。

オルフ カルミナ・ブラーナ
 小澤征爾/ベルリン・フィル
 フィリップス 1988年 PHCP-1614

この「カルミナ」は最初からがっかり。最初のffの強和音のアクセントは強烈感が希薄だし、ティンパニも あまり冴えないのでリズム的インパクトが弱い。倍テンポ以降もフレーズを刻むというより流すというような 濃度の薄いアンサンブル展開で、聴いていてあまり面白くない。第1部中盤の舞踏曲など、ずいぶんもっさりした 感じに聞こえるし、全体にヴァイタリティ不足だ。

普友会合唱団の合唱は、とにかく音程が緻密で発声も克明、 ここまで歌詞の内容が明瞭に聞き取れるディスクも稀有だと思う。ただ、いささか神経質すぎるというか、感情的 抑揚が大人しいというか、必ずしも音楽に乗り切れていないような印象も受ける。全体に、表現が清潔すぎる ように思う。

ハンプソン(バリトン)は立派だけれど、格調が高すぎるのか、俗っぽい感じではないし、 エイラー(テノール)は明らかにヴィブラート過剰、グルベローヴァ(ソプラノ)も、個性を完全に発揮して いない(そもそもこの曲にこれほどのコロラトゥーラが必要?)ように思う。

チャイコフスキー 交響曲第5番、幻想序曲「ハムレット」
 デュトワ/モントリオール交響楽団
 デッカ 1988年 POCL-5081

交響曲第5番の第1楽章は、主部の第1主題を出すクラリネットとファゴットのユニゾンが、ふっくらと 洗練された音色で、優美にして味の濃いカンタービレを繰り出している。第1主題部後半のffやfffの強奏場面においても エレガントな構えを崩さないが、鋭いまでの彩色感に魅力を感じるし、第2主題から展開部にかけても特に木管楽器の 柔らかくデリケートな息遣いが出色だ。特に提示部第152小節のピウ・アニマートから木管が5度で連進する場面や、 第277小節からの木管4声の小フガートなどに聴かれる、繊麗な音色の絡みが対位的に織り成す綾など、聴いていて うっとりさせられる。

第2楽章も味わい深い。基調テンポはオーソドックスであり、あからさまな情緒的アゴーギグなどは特に目立たない。 そういう意味で造型自体はクールで禁欲的だが、それと裏腹にアンサンブルの放つ甘美な響きの色彩が センチメンタルな楽想の動きを絶妙に引き立てる。いわば過感傷スレスレで踏みとどまっている、というところか。 同じことは第3楽章のワルツにおいても言える。弦と木管の怜悧なハーモニーが表出する、夢幻的な情感。

終楽章はかなり典雅な趣きのフィナーレで、主部に入ってもスタカートの打ち込み等の音響的な荒々しさは抑制傾向であり、 そのぶんメロディのスマートな流れが際立つ。クライマックスの最強奏においても管パートを中心に響きの艶が相変わらず 素晴らしい。そのぶん熾烈さに欠け、特に中盤あたりは緊張感が伸びあぐねる憾みもあり、いわばチャイコフスキーで フランス・スタイルを貫徹した場合の限界も感じさせるが、このスタイルならではの美点も多いし、音質もいいので、 そういった美点が聴いていて仮借なく伝わってくる。

ブラームス ハンガリー舞曲集(全曲)
 レーデル/ブダペストMAV交響楽団
 ビクター 1988年 VICC-14

クルト・レーデルは1918年生まれのドイツ人指揮者。オケはハンガリーの国営鉄道所属のオーケストラ。全21曲のうちブラームス編曲のもの(1、3、10番)とドヴォルザーク編曲のもの(17〜21番)以外はレーデル自身が管弦楽編曲したものが演奏されている。

しかし肝心の演奏があまり良くない。オーケストラでは総じて技術面が冴えない。とくに木管のソロなど細かいパッセージのフレージングに切れがなく、モッサリしているし、トッティでのキメも粗い。それでも、例えばアマチュアオーケストラ的な勢いがあればいいのだが、レーデルの指揮が、全体に学者然としているというか、テンポに勢いは無いし、強奏の力感的集約が弱いし、とにかく音楽としての活力が低く、聴いていてあまり盛り上がる感じがしない。同じような風景のずっと続く鈍行列車に乗っているようで、途中で退屈してしまう。プレスト指定の曲(8番や12番など)でもゆっくり進めるのは、どうなのだろうか。アンサンブルの音色自体の、ハンガリー色を思わせる味の濃い色彩感は魅力的なのだが、、、

メシアン 峡谷から星たちへ、異国の鳥たち、天の都市の色彩
 サロネン/ロンドン・シンフォニエッタ クロスリー(pf)
 ソニー・クラシカル 1988年 SRCR9474〜5

「峡谷から星たちへ」はメシアンの管弦楽作品の総決算ともいうべきもので、とにかく大曲だが、代表作「トゥーラン ガリア交響曲」を凌ぐ演奏タイム(90分)でありながら聴いていて意外にもたれない。全12楽章の楽章配置がメリハリに 富んでいて単調性が薄いことに加えて、随所に配置されている、この作品ならではの面白い聴きどころが耳を ピリッと刺激するからだろう。

例えば、特殊楽器。第1楽章(1:00)あたりからの風力楽器エオリフィーンによる風の響き、 砂楽器ジェオフォーンによる、砂漠の砂の舞う響きなど、なんとも刺激的だし、第5楽章ではバス・トロンボーンが 黙示録的な咆哮を響かせる。そして、鳥の鳴き声の模倣という点で、これはメシアン作品のほとんどで聴かれるもの でもあるが、この作品ほどの規模のものはまたとなく、ことに第11楽章など、ものすごい。さらに大きな聞き物は 第6楽章のホルン・ソロで、これは特殊奏法のオンパレードだ。ホルン好きでなくとも、これはスリリングな刺激に 満ち、聴いていてドキドキする。

サロネンの演奏は全体的に素晴らしいが、わけても、全曲の中核たる第7楽章が 圧巻。鮮やかな色彩のコントラスト、冴えるリズム、強和音の怜悧な輝き、最強奏においても澄み切ったハーモニクス の透徹性。クロスリーのピアノ・ソロも、完璧にコントロールされたタッチが神秘的な音色を醸し出す。ことに 第9楽章のソロ展開は絶品。併録の2曲も極上の演奏だ。

ハイドン 弦楽四重奏曲op.76全曲
 タカーチ四重奏団
 デッカ 1987・88年 4756213

ハイドンの作品76のカルテット通称「エルデーディ四重奏曲」全6曲が収録されている。タカーチ四重奏団の演奏は様式的にウィーン風というよりドイツ風に近く、造形的にカッチリと固めたうえで個々の声部の色付けを鮮やかに付与するという正攻法スタイル。そのアンサンブルの色合いにおいては総じてメリハリの効いた強度感がみなぎりながら、収録ホールのまろやかな残響特性がそれを優しく包み込み、強めの色彩でありながらふっくらと優美なソノリティの感触を保有しているあたりが聴いていて独特だ。コーヒーに喩えればブルーマウンテン、苦味が良く効いているのに芳醇なのど越し。

全6曲ともにアンサンブル運用はおおむねスコアに誠実なものであり、曲によってはもうすこし踏み外しがあれば音楽のウィット感が伸びる感じもするのだが、逆に遊ばないぶんだけ表情がシリアスで、響きに真実味もこもっている。作品単位としてのベストはエルデーディ第2番通称「5度」か。隙のないアンサンブル構築をベースに全編に得難い緊張感がみなぎり、第1ヴァイオリンを中心にフレージングの刻みが軒並み鋭利でえぐりに 富み、それが情熱のほとばしりに転化し、演奏の感銘が素晴らしい。同じことは「皇帝」の終楽章などのマイナー調の楽章にも当てはまるが、楽章単位のベストは、エルデーディ第6番の第2楽章ファンタジアを挙げたい。音色の味の濃さ、虚飾を排したソノリティの有機性が抜群に良く、感動的であり、これぞまさにカルテット・アンサンブルの粋という感じがする。

マーラー 交響曲第5番
 バーンスタイン/ウィーン・フィルハーモニ―管弦楽団
 ファースト・クラシックス 1987年ライブ FC-119

1987年9月のロンドンのプロムスでのライヴ。非正規盤ではあるが、マーラー指揮者バーンスタインの残した一連のマーラー録音の中でも、このウィーン・フィルとの5番のライヴは、おそらくあのベルリン・フィルとの9番のライヴと双璧をなす至高の演奏だと思う。バーンスタインは同じマーラーの5番を、やはり同じウィーン・フィルとグラモフォンにライヴ録音していて、そちらも超名演だが、このライヴは、そのグラモフォン盤をもさらに凌いだ超絶的名演なのだ。

そのグラモフォン盤(POCG-1591)と聞き比べてみると、このファーストクラシックス盤での演奏の凄さが良く実感できる。音質はグラモフォン盤と比べるとアナログノイズのレベルがやや高いが、音響の鮮明度や空間的な広がりの点ではグラモフォン盤と遜色ない。そして演奏内容がすさまじい。このマーラーの5番における、極めて複雑に錯綜する楽想の振幅を十全に表現し切っている点ではグラモフォン盤と同じだが、全体にグラモフォン盤よりも内面吐露的な表情に強烈味が高く、より強い真実味をもって音楽が訴えてくる。

第1楽章は全体的にかなり遅めのテンポに基づくスタイルから、極めて深い悲しみの表情が描写されており、特にトリオでの血潮を思わせる色彩感、終盤でトランペット動機が再現する直前における万感の思いを込めるかのような威容のフォルテッシモなど、いずれも超絶的インパクトをたたえている。(8:23)あたりのバスの奈落の底に沈むような表情を始めとして、随所にグラモフォン盤を凌ぐ表出力を湛えて圧倒させられる。

第2楽章はまさに白眉で、速い場面と遅い場面とのテンポ落差が思いっきり激しい、大胆な起伏を伴うスタイルから、泥臭いほどに感情剥き出しの荒々しいアンサンブルが、迫真の表出力をもって奏でられ、聴いていて圧倒されっぱなしだ。(8:23)あたりでの、死にもの狂いというも生ぬるいほどの、極限に張り付いたアンサンブル展開。(10:42)からの、世界が崩れ落ちるような衝撃感。

第3楽章は、この楽章のワルツやレントラー的な楽想にウィーン・フィルの音楽性がすこぶるマッチした快演にして、バーンスタインの指揮運用も融通が利いていて、楽想の微妙なたゆたいが高感度に描かれていて思わず聴き入ってしまう。第4楽章の濃密感もすこぶるつきだ。終楽章は、フーガ楽想などの一部で緻密さが要求されるところがそれほどパリッとしないのがこの演奏の唯一のネック。ただ、それはグラモフォン盤も同様だし、それを補って余りあるのが、楽章全体を貫く生命感の豊かな音楽の表情、湧き立つようなアンサンブルの音彩で、その点では類いまれな充実度と表出力を湛えている。

ブルックナー 交響曲第3番
 ロジェストヴェンスキー/ソヴィエト国立文化省交響楽団
 メロディア 1985・88年 BVCX-38005-6

ロジェストヴェンスキーが旧ソ連設立のオケとまとめたブルックナー交響曲全集の分売ディスクで、1999年にCDリリースされたもの。ここではブルックナー交響曲第3番の、「第1稿」と「第3稿」および「1876年アダージョ異稿版」の3つの演奏がCD2枚組に収められている。

「1876年アダージョ異稿版」というのが面白い。このアダージョの版は、同曲の「第1稿」の初演拒否を時のウィーン・フィルから被ったブルックナーが、「第2稿」への改訂に歩を進める過程で生まれた過渡的産物であり、「第1稿」以上にレコーディングの俎上にのぼることが稀な状況となっているとのこと。

このアダージョ、聴いた印象としては「第1稿」と「第2稿」の中間というより「第1稿」にかなり近いようだ。ABABAの5部形式に拠る構造やワーグナーの動機の積極的な引用といった「第1稿」の要素は、ここでも概ね継承されているが、1873年の第1稿と比べて楽想上の洗練性が目立って向上されているような印象には乏しい。おそらく、ここでの改訂の主な狙いはウィーン・フィルによる演奏不可能のクレームを受けての妥協的修正にあったのではないかと思われる。

その1873年の第1稿との具体的な相違点の中で、特に印象深く思われた箇所は5部形式の最後で第1主題部が再帰する場面、このロジェヴェン盤での(13:24)からの場面におけるファースト・ヴァイオリンの伴奏音形で、この部分が1873年の第1稿での十六分音符により延々と続くシンコペーション構造から、休符を挟んだ断続的十六分音符3連音構造へと単純化されている。しかし、このシンフォニーの「ワーグナー」という副題的性質を考えると、この「1876年アダージョ異稿版」が最も「ワーグナー的な趣き」に富むような楽想の広がりを持つように感じられるがどうだろうか。これが次の「第2稿」になると更に単純化された八分音符のピチカート音形に変更されるわけだが、、

ロジェストヴェンスキーの指揮は、解釈の面では彼にしては「まとも」に近いが、むしろオーケストラ自体の、ロシア的管弦楽バランスに起因するアクの強いバランスが前面に出てきている。しかし1876年アダージョ異稿版に関しては割りと抵抗感なく音楽に浸れる感じがする。ヴァージョンの稀少性のためかも知れないが、その稀少性を演奏側が強く意識したのか、アンサンブルのキメが全体に細やかだ。

ブラームス チェロ・ソナタ第1番・第2番
 堤剛(vc)、サヴァリッシュ(pf)
 ソニー・クラシカル 1987年 SRCR9326

チェロ・ソナタ第1番では第1楽章冒頭の第1テーマのpのずしりとした実在感が素晴らしい。テンポや緩急のバランスなどずべてオーソドックスにまとめながらも、音楽としての輪郭の強さと、質感の手応えにおいて、一貫的に充実感がある。(1:58)からの第2テーマのfのフレーズの痛切味。展開部以降はサヴァリッシュのピアノに俄然、精彩が増し、チェロとのウェットな掛け合いのハーモニーは味が濃く、これこそブラームスという感じがする。第2楽章は技巧で聴かせるより音楽の内実で聴かせようというような(もちろん技巧自体も高いが)スタンスの伺える演奏。終楽章も表面的には淡々としているようで、内面的・内燃的な表現と言うのか、音楽に対する姿勢が両者とも徹底的に真摯であり、その演奏も実に感動的だ。

チェロ・ソナタ第2番も第1番同様、充実した演奏で、欲を言うならサヴァリッシュのピアノに技巧的な余裕がもう少しあればと思うものの、演奏自体の、ハッタリのない正調の、骨太な表現に傾聴させられる。

メンデルスゾーン 交響曲第2番「讃歌」
 サヴァリッシュ/ベルリン・フィル
 EMIクラシックス 1987年ライヴ CE33-5368

サヴァリッシュとベルリン・フィルという組み合わせは珍しい。かつてカラヤンが、自己の脅威となり得る実力指揮者を意識的にベルリン・フィルから遠ざけた、という話は割と有名で、その中にカルロス・クライバーやバーンスタインらとともにサヴァリッシュの名も含まれていたと記憶する。

このディスクは1987年で、ちょうどカラヤンのベルリン・フィルへの統制が消滅した時期だが、その影響もあるのだろうか。

演奏は抜群にいい。シンフォニア冒頭から、まず何よりもアンサンブルの迫力に圧倒される。サヴァリッシュらしい、整理の限りを尽くしたような練り上げでありながら、弦を中心にフレージングに強靭な張りが素晴らしい。ことに強奏部のヴァイオリン・パートは充実を極めるし、まるで音楽本体の熱感が自然に湧出し鮮やかに彩っているかのようだ。金管の勇壮なこと。第2・第3楽章ではオーケストラの感じ入ったような響きのコクと美しさが全編を支配し、なんとも言えない上質感がある。第2部以降の合唱を含め、最後まで充実感が絶えない。これは同曲屈指の名演だと思う。

ヴェルディ レクイエム
 ムーティ/ミラノ・スカラ座管弦楽団
 EMIクラシックス 1987年ライヴ 7493902

ヴェルディの本場スカラ座でのライブ録音。 スカラ座の底力のある管弦楽の表出力と、個性の立った豪華な声楽陣が魅力の演奏だが、 惜しむらくは全体にアンサンブルが(ライヴとはいえ)かなり荒っぽいのと、 残響過多のため、音質がかなりボワンとした感じになっている点が少しネックだ。

これはリッカルド・ムーティとしてはヴェルレクの2回めの録音となるが、アンサンブルの組み立てにおいては、 初録音のフィルハーモニア管との演奏よりも、打楽器を含めたアンサンブルのバス低声部の存在感が強く、力感あふれる 伴奏が展開されている。キメが粗い点はともかく、ダイナミックで張りのあるオーケストラ・ドライブであり、旧盤よりも スケール味があって好ましい感じがする。

声楽陣にはスチューダ、ザジック、パバロッティ、レイミーというスター性のある独唱陣を揃え、特に男性陣が 秀逸。バスのレイミーは、チューバ・ミルムの後半で最後の審判に対する 畏怖を歌う場面などを始めとして、表情の付け方が真に迫っていて惹き込まれるし、テノールのパバロッティは 持ち前の輝かしい超高音を活かして、特にディエス・イレの「我は嘆く」とか、オッフェルトリウム後半の アダージョ「ホスティアス」などでのリリカルな歌唱表現力に個性味を発揮している。

しかし合唱の音幕がかなり薄いのは、聴いていてかなり不満だ。サンクタスなどは、独唱陣が完全に 沈黙するだけに弱さが際立ち、せっかくの壮大な二重フーガがいまひとつ訴えてこない。終曲「リベラ・メ」での アレグロ・リソルート以降のフーガでは、全曲の締め括りということで合唱自体に一段と気合が入っているからか、 サンクタスよりは響きが格段に立っていて、最後に何とか格好のついた感じになってはいるが、、、

プロコフィエフ 交響曲第1番「古典」&ブリテン シンプル・シンフォニー&ビゼー 交響曲ハ長調
 オルフェウス室内管弦楽団
 グラモフォン 1987年 F32G20288

プロコの交響曲が名演! 第1楽章冒頭の主題部からして各パートが凄いニュアンスと精彩をもって活き活きと 躍動している。スタカートもアクセントも、スラーすべての支持がこの上なく表情豊かに色づき、室内合奏の極みと いう感じがする。中間2楽章もいいし、終楽章も最高だ。ことに第1テーマと第2テーマの中間あたりの、ものすごい 回転でかけ合う木管と弦のハーモニー展開など、素晴らしい。

ブリテンは、プロコほど愉悦的に聴かせてくれる演奏では ないが、真面目な響きの組み上げから随所にこぼれるウィットな情感と、ブリテンらしい多感な和声や抑揚の推移の妙が 魅力的な演奏だし、アンサンブルもとことんビシッとしていて気持ちがいい。

次のビゼーは、上の2曲、ことにプロコの 時と比べると、アーティキュレーションのきめ細かさや鋭敏性がひとまわり冴えない感じもする。アンサンブルは完璧に ビシッとしているが、このくらいの規模の曲ともなると、指揮者なしでは上の2曲よりも、アンサンブルを揃える(コア メンバーからのキュー出しによる)ための負荷が大きいのではないかと思う。それでも無機的な演奏では決してないし、 ことに小編成演奏の美質という点では全開に近い充実ぶりだ。

J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲
 パールマン(vn)
 EMIクラシックス 1986・87年録音 TOCE-8712/13

とにかくヴァイオリンの美しい音色感が印象的な演奏。そのボウイングより放たれる響きは美麗を極めるが、 豊饒な音色にもかかわらず旋律線も太く、あたかもオルガンを思わせる壮麗な演奏であり、 音色そのものの表現性の高さにおいて卓抜したものを感じさせる。

であるがゆえに一般にとっつきにくいと いわれるこの曲の渋いイメージさえ、がらりと変えてしまうほどの、実に華やかな演奏となっている。 もちろんテクニックも万全。

それでは名演かと言われると、迷ってしまうところだ。なぜなら、聴いているとどうも、 確かに凄い演奏だとは思わされながらも、その音色の華やかさに過分に意識が 向けられてしまうためか、このバッハの曲集自体のもつ造型構築がもたらすはずの極限的なまでの荘厳性が薄くなって いるような気がするのだ。

特にソナタの方にその傾向が強く、その音色とフレージングの美しさはちょっと類例を みないほどだが、いかんせんその流れるようなレガートを基調とした朗々とした旋律の歌い方が、フーガなどでは 押し並べて音楽の重みを削いでしまっているような気がするし、音色自体の性格も、バッハに対しては、やはり 華やかさが勝ち過ぎるように思う。

逆にパルティータの方は音楽とある程度マッチしている感じがする。特に 「シャコンヌ」は冒頭の力強くも壮麗な主題提示といい、中間部のアルペッジョにおける変幻自在なデュナーミクの 揺らめき、あるいは後半の変奏部でのオルガン的な響きの美彩など、バッハ的かどうかはともかく、ヴァイオリン演奏 のひとつの極みを示していると思う。

ブルックナー 交響曲第5番
 チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル
 アルトゥス 1986年ライブ ALT138/9

チェリビダッケ率いるミュンヘン・フィルが1986年に初来日した際のサントリー・ホールでのライブ。2006年にリリースされた。

チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルによるブル5は1993年録音のEMI盤も超絶的名演だったが、 このアルトゥス盤も、トーン・カラーは異なるものの、いずれ 甲乙付けがたいほどの演奏内容だ。

第1楽章冒頭からスロー調の足取りをベースに展開される雄大な音楽の拡がりが 素晴らしく、(2:36)からの最初の最強奏の雄渾ぶりなど、震えがくるほどだし、 その後の第1テーマの濃密な旋律感もいいし、 展開部においてもペースを速めないテンポの上で繰り広げられる、無比なまでに克明かつ繊細で、まろやかに 溶け合うハーモニクスの妙感が際立っている。しかし白眉は第2楽章にあり、ここではチェリビダッケ特有の長時間的 な音楽的濃密感が比類なく、聴いていて文字通り時間を忘れさせられる。そのハーモニクスは濃密にして透明な美しさを 湛え、音響的な実在感とはかなさが常に同居する。(8:26)からの高弦と低弦と管パートとの織り成す、めくるめく音響美 など聴いていてため息が出るし、(18:21)以降ともなるとその音彩は絶美を極める。果てしない音響的な深みがここにある。

第3楽章は緩急のダイナミクスが印象深く、ここまで一貫的に保たれてきたスロー・ペースが初めて破られるだけに、 そのインパクトは絶大だ。終楽章もやはりタイム・スケールと演奏スケールが相乗的に引き立っており、わけても コーダの頂点をなす(24:43)からの最強奏展開での圧倒的な強度感と透明感の両顕ぶりは凄すぎる。

メンデルスゾーン チェロとピアノのための作品集
 シュタルク(vc)、エッシェンバッハ(pf)
 claves 1985年 CD50-8604

収録曲は@チェロ・ソナタ第1番Aチェロ・ソナタ第2番B無言歌C協奏変奏曲の4曲で、メンデルスゾーンがチェロと ピアノのために書いた作品がすべて収録されている。

2曲のチェロ・ソナタはあまり知名度は高くないものの、 メンデルスゾーンの音楽らしい畳み掛けるような情熱味のアレグロ楽章にきわめて歌謡的で親しみやすい緩徐楽章が 組み合わされた佳曲だ。他の2曲も含めて、いずれも強烈な余韻を残す作品とは言い難いものの、初期ロマン派の音楽としての その優雅な様相に魅力がある。

クロード・シュタルクはチューリヒ・トーンハレ管の主席チェロ奏者にしてトーンハレ 四重奏団のメンバー。この演奏においてはいわゆるソリスト的な強烈な個性感の発露や音色の強度、濃密感といった 面に物足りなさもあるとしても、作品に相応しい気品とロマン味を湛えたウェットな響きに好感が持てる。エッシェン バッハも同様で、主導権をシュタルクに託したような感じではあるが、それだけ室内楽的なまとまりが強固だ。

アルビノーニ 「アダージョ」&グリーク 「悲しき旋律」&シベリウス 「悲しきワルツ」ほか
 ケーゲル/ドレスデン・フィルほか
 CAPRICCIO 1982〜87年 49314

ヘルベルト・ケーゲルの80年代のCAPRICCIOレーベルへの録音を集めたCD8枚組みの廉価ボックス。このうち 最初の5枚がベートーヴェン交響曲全集、6枚目がベートーヴェンのトリプルコンチェルトと合唱幻想曲、7枚目が ブラームス「ドイツ・レクイエム」、8枚目が名曲小品集となっており、オーケストラはブラームスのみライプツィヒ 放送響、他がすべてドレスデン・フィル。

このボックス・セットの購入目的は8枚目の名曲小品集で、なにか凄い内容 であるという話はあちこちで聞いていたがCD自体がなかなか再発されず、ようやく2008年に再発されたので購入 したという次第。

さっそく聴いてみると、最初のアルビノーニのアダージョから絶句ものだ。アンサンブルの表出する 透明な音色の潤いと共存する、身を切るような悲壮感が只ならない。とくに(5:52)以降のくだりが凄いし、(7:54)の あたりともなると、その慟哭的な音彩に圧倒されてしまう。2曲めはグルック「精霊の踊り」だが、こちらはアルビ ノーニとは趣きが正反対。とにかく喜悦的であり、至福ともいうような天上の開放感に満たされている。これが3曲め のグリーク「悲しき旋律」となると、再び最初のアルビノーニで示されたような絶望的なまでに暗く沈み込むような 表情に立ち返り、4曲めのヴォルフ・フェラーリの作品では再びグルックでの開放感に立ち返り、5曲めのシベリウス 「悲しきワルツ」ではみたび絶望的諧調が、、という按配であり、総じてこの名曲小品集の収録配置は、暗調と明調の 2つの諧調が交互に去来するような構成となっている。

そして、その諧調の表出ぶりがいずれも度が過ぎるほどの極端な色合いで染め上げられているため、その揺り戻しの度合いがハンパでない。作品間の表情の落差、その振幅の激しさに 聴いていて引き摺り回されるというか、酔いしれるというか、そんな感じだ。

純粋な演奏自体のインパクトとしての ベスト・スリーは冒頭のアルビノーニのアダージョと、グリークの「悲しき旋律」と、フランツ・シュミットの 「ノートル・ダム」間奏曲。この3つは、ディスク全体でも内容的にずば抜けていると思う。

名曲小品集以外の7枚の ディスクについて言及すると、ベートーヴェン交響曲全集に関してはすでにレーザーライトから出ていた同一の録音を 所有済み。音質をちょっと比べてみたが、全く同じだった。トリプルコンチェルトと合唱幻想曲の演奏も交響曲全集と 同一線上のもので、いずれも名演と言えると思う。対してブラームスのドイツ・レクイエムは、かなり落ちる感じ がする。ライプツィヒ放送響の力感不足、ことに弦パートの音層の薄さが致命的だし、アンサンブルの練り具合も、 ドレスデン・フィルより明らかに下回る。第6楽章の主部「怒りの日」の段など、ものすごいハイ・テンポの代償として アンサンブルの鳴動感がほとんど深まらず、響きがいかにも表面的だ。

ドヴォルザーク 弦楽五重奏曲第3番、ピアノ五重奏曲第1番
 スメタナ四重奏団、ヨゼフ・スーク(va)、ヤン・パネンカ(pf)
 デンオン 1986年(弦楽五重奏)、88年(ピアノ五重奏) 33CO-2507

ドヴォルザークの室内楽作品のなかでも比較的シブい曲目がカップリングされたアルバムだが、いずれも佳曲であり、 レコーディングに恵まれないのが不思議だ。

とくに弦楽五重奏曲第3番の方は、交響曲「新世界より」および弦楽 四重奏曲「アメリカ」とともにドヴォルザークのアメリカ時代を代表する作品であり、いわゆる「アメリカ3部作」 なのだが、この曲のみ知名度が他2曲より格段に落ちる。内容的には「アメリカ」四重奏曲を編成・規模ともに ヴォリューム・アップしたもので、第3楽章の(7:07)あたりなど、「新世界」交響曲第1楽章コーダにもろに似ていたり する。ピアノ五重奏曲の方は、同じイ長調の第2ピアノ五重奏と比すと知名度的にも内容的にも引けをとるものの、 ドヴォルザーク若書きの溌剌とした楽想が爽快だ。

演奏はスメタナ四重奏団と、弦楽五重奏の方はヴィオラにスーク、 ピアノ五重奏の方がピアノにパネンカを加えた布陣で、いずれも味の濃い名演。ただ、スメタナ四重奏団の最晩年時期 の録音ゆえか、聴かせどころでアンサンブルに強度感がいまひとつ大人しいのが惜しい。

ビゼー 交響曲第1番ハ長調、「アルルの女」抜粋
 ガーディナー/リヨン歌劇場管弦楽団
 エラート 1986年 R32E-1088

交響曲の方は、編成を絞った軽量アンサンブルによる、かなり緻密な演奏なのだが、全体に表情が生真面目すぎて いまひとつ愉悦味に欠ける感が否めない。第1楽章第1主題から軽いステップで進行するが、(1:43)あたりの ヴァイオリンのピチカートは(いくらppでも)弱いし、第2テーマのオーボエなども、線が細く薄味。展開部は、(6:46)あ たりのホルンなど、響きになかなか張りがあるのだが、そのホルンも(7:45)あたりからのモチーフになると かなり弱々しい。このモチーフはmfなのだからもっと強くてもよいはずだし、その方が直後の再現部突入の精彩が アップするはずだ。第2楽章は、(0:51)からのオーボエ主題など、ヴィブラートをかなり抑えた清潔で澄んだ音色が 美しく、前半はなかなか良い感じだが、後半はカノンが形式的に流れていたり、ピチカートが弱すぎたりと、音楽に 乗り切れない。後半の楽章も、総じてアンサンブルの歯切れの良い刻みが秀逸だが、シンフォニーというより、 むしろ軽音楽的な雰囲気の方が強い。

アルルの方は、ガーディナーのオリジナル・スコア尊重の姿勢が良くも悪くも この演奏の個性となっている。この作品に対し、ビゼーが本来想定していた26人編成という小規模オーケストラでの 演奏を忠実に再現したもので、ガーディナーによると、「楽器を増やして演奏すると、ビゼーの慎重に計算された 楽器のバランスを壊すことになる」(ライナーノートより)。一理あるとしても、こちらとしては、やはり演奏自体の 面白味が第一義で、ここでの演奏は、全体に原典主義に傾斜し過ぎていて、演奏としての精彩がいまいち良くない。 小編成ならではの細部のえぐり、響きの凝縮性、アンサンブルの闊達なアクティビティといったあたりが全般に いまひとつであり、いわば学究的な表現が支配的で、愉悦感の喚起は二の次という印象だ。

エルガー エニグマ変奏曲、行進曲「威風堂々」全曲
 プレヴィン/ロイヤル・フィル
 フィリップス 1985・86年 PHCP-20232

アンドレ・プレヴィンが手兵のロイヤル・フィルハーモニーを指揮して録音したエルガーのアルバム。 エニグマ、威風堂々、いずれもイギリス音楽のスペシャリストと誉れの高いプレヴィンの面目躍如ともいうべき名演だ。

特にエニグマ変奏曲が素晴らしい。聴いていて、よく考えられた表情という感じがする。全体に曲想の切り分けが 鮮やかというのか、作品を十分に把握した自信のようなものが漲っている演奏というべきか、、、

例えば第9変奏には4分が掛けられているが、ショルティ/シカゴを始めとして、ここは3分台の演奏が多い。 ここなど変奏に持たされているパーソナリティをテンポ的に切り分けようとしていることは明らかだし、 そのショルティが示すような直球一辺倒とは一味ちがう、いわば変化球を巧みに織り交ぜながらの、老獪な手腕の光る 演奏という印象を受ける。

個々のフレージングにも、良い意味でのノーブルな感じが出ていて、曲想に合うし、その意味ではエルガーを聴く 愉悦を心ゆくまで堪能することができる、「エニグマ」の名演のひとつだと思う。

ポートレート・オブ・グートマン(vol.1)
 グートマン(vc) コンドラシン/モスクワ放送交響楽団ほか
 ライブ・クラシックス 1976、86、82年ライブ LCL202

収録曲は@ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第1番Aショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第2番Bシュニトケ チェロ と室内オーケストラのためのディアローグ。@はコンドラシン/モスクワ放送響、Aはキタエンコ/モスクワ国立 響、Bはニコラエフスキー/グネーシン音楽院室内アンサンブル。収録年はそれぞれ1976、86、82年。

いずれの演奏 も名演だが、@が抜群にいい。第1楽章からチェロの音色の濃度感とメロディの強度感が素晴らしい。まさにショスタ コーヴィチならではの狂気の音楽がここにある。オーケストラも絶好調、ホルン・ソロ(ボリス・アファナシエフ)も 実に強烈だ。第2楽章も、静寂からジワジワと動感を増す音楽の位相の変転が絶妙、(7:40)あたりのものすごさ。第3 楽章のチェロのソロの終盤から終楽章へ突入するあたりの緊迫感は、ちょっと忘れがたいほど。

AとBは@ほど突き抜け た感じには劣るものの、それでも十分に素晴らしく、音楽の筆致が確信に満ちていて、表現意欲の強さが聴いていてひし ひしと伝わってくるようだ。

ショーソン 交響曲、交響詩「ヴィヴィアーヌ」
 アルミン・ジョルダン/バーゼル交響楽団
 エラート 1985年 2292-45554-2

交響曲の方は、全体に堅実かつ等身大の演奏展開という感じであり、一定の水準は満たしているが、それ以上の 吸引力となると物足りなさが否めない。

第1楽章だが、全般にヴァイオリン・パートを核とする高音の響きの音彩は かなりパリッとしていて、その部分の旋律訴求力はかなり高い。反面、序部のトロンボーンとホルンのコラール(2:53) がいまひとつ冴えなかったり、(5:35)の第2主題のハーモニーでチェロの効きが弱かったりと、低音域の旋律訴求力に 煮え切らなさを感じるし、展開部以降のフォルテッシモ形成も屈強感が弱く、再現部直前(10:10)あたりも、インパクト が弱い。しかし、コーダ近辺(12:00)あたりからの追い込みはかなり響きが良いので、ポテンシャルはかなりあるのでは ないか。

第2楽章だが、第1楽章より全体に木管の音色が冴えている。バーゼル響の持ち味という点では、この楽章が 聴きどころになると思う。しかし終楽章は第1楽章同様に煮え切らなさが随所に顔を出す。(1:46)あたりの強奏展開は もっと強烈な音彩が欲しいし、楽章中盤から終盤にかけては、フォルテッシモなど色彩感はあるものの響きの感触が ソフトで、聴いていて耳当たりが良すぎるのが問題だ。交響詩の方は、交響曲よりもやや充実感に勝る。(6:40)あたり からのマーリンの悲痛を表す段など色彩が鮮やかだし、(7:30)あたりの起伏も強烈だ。

ワーグナー 管弦楽作品集
 シノーポリ/ニューヨーク・フィル
 グラモフォン 1985年録音 POCG-7086

最初の「マイスタージンガー」前奏曲は、冒頭から遅めのテンポの重々しい足取りで開始される。 アンサンブル展開は響きの透明性重視のポリシーが明白で、よってドイツ風の重厚さは希薄、これで アンサンブルの活力が高ければ名演なのだが、響きの内声を過分に描出したり、細工が過ぎるというか、 これが仇となって響き全体の活力がいまひとつ弱い。結果、どうにももったいぶったような音楽の進展と なり、演奏の訴求力を落としている。メイン・テーマが盛り上がる場面など、いちいち対声部を必要以上に 描き出すのだが、かえってどういう音楽だか分かりにくくしている気がする。「オランダ人」序曲も同様。 起伏部で細工が過ぎるのが仇になっているようだ。

しかし、続く3曲はなかなかの名演だ。ジークフリート牧歌は 冒頭のヴァイオリン主題に対してチェロの対声線を同格的に描くなど、あいかわらず個性的だが、少なくとも この作品では成功している。オーケストラのパワーが過分に要求されない曲だからだろう。鮮やかな声部の コントラストが美しいし、音楽全体も自然に流れている。「ローエングリン」第1幕への前奏曲もいい。 ジークフリート牧歌同様、弱奏での手の込んだアンサンブル表現が奏功し、純音楽的な美しさが充溢する。 「ローエングリン」第3幕への前奏曲はストレートな解釈ながらアンサンブルのパワフルな活力に強い 充実感がある。

J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲
 スコット・ロス(cemb)
 エラート 1985年ライブ録音 WPCS-6172

ライブ録音としては、確かに驚異的な完成度の演奏だが、、、正直、演奏自体にあまり惹かれるものがない。 バッハ・ゴルトベルク変奏曲のチェンバロ演奏としては、カール・リヒターのスタジオ録音がベストだと思っているが、 それと比較すると、このロスの演奏は色々な点で表現力が弱いと思う。

まず、和声の構成様式が「重み・力感よりも美感・透明感」 という方針(リヒターとは逆)が明白で、確かに音色は綺麗だが、バッハ的、ひいてはドイツ音楽的な 重みがどうにも薄く、音楽がピリッとしていない。そして、テンポも画一的な速めのテンポで一貫されて いるため変奏ごとの緩急対比が弱く、同じような風景が続く急行列車に乗っているような感じがする。 高低の声部対比もリヒターに比べると全然おとなしい(第5、第14変奏あたりを聴けば明白)ため、 音楽本来の生彩感がそれほど浮き出ない。どうも、原典尊重意識の強さ、あるいはライブ収録ゆえの 安全運転ぶりが、演奏としての面白さを削いでいるような気がする。

ゴルトベルク変奏曲の最後のアリアが 終わって拍手があり、続けてアンコールとして演奏されたスカルラッティのソナタ(K146)も収録されているが、 むしろこちらの方がバッハより明らかに演奏が「乗っている」感じがする。

ドビュッシー&ラヴェル 弦楽四重奏曲
 エマーソン四重奏団
 グラモフォン 1984年 POCG-1008

エマーソンSQは曲によりリーダーを変えるスタイルであり、このアルバムでも、ドビュッシーの方はドラッガー、 ラヴェルの方はセッツァーがそれぞれ第1ヴァイオリンを担当している。

演奏は、各奏者の卓越的なテクニックを 土台に、シャープで歯切れの良い現代的なアンサンブル展開の特性を前面に打ち出した、爽快で清々しい表情が 印象的であり、決して凡演ではないと思うのだが、いまひとつピンとこない感じがする。確かに聴いているときは 爽快で清々しい気持ちになるのだが、それ以上の領域には導いてくれない、というところか。

この演奏様式だと、 カルミナSQの演奏スタイルにかなり似ているのだが、それと比べると、こちらのエマーソンSQ盤の方が、強弱の メリハリの強さ、フォルテッシモの訴求力、ハーモニクスの響きの対比という観点において全般にかなり穏健であり、 そこに物足りなさの一因がある。また、繊細ではあるが過分に線が細くて音色が薄くなっている場面も散見される。 例えばドビュッシーの第3楽章の中間主題を歌う(2:43)のヴィオラは響きが弱すぎる。スコアのpにこだわり過ぎと 感じる。その後の、同テーマがヴァイオリン主体で盛り上がる場面も響きが細くて物足りない。同じくビュッシーの 第4楽章(4:13)からの循環主題のffも、もっとインパクトを叩き付けて欲しいのだが。

ラヴェルでは、第1楽章の 第2主題(1:49)でテンポをグッと下げているが、様式的にはカルミナSQの演奏のように、快速調でやる方が音楽の 精彩が増すと感じる。第2楽章の冒頭fのピチカートはいかにも弱いし、テンポも淡白だ。後半の楽章も、総じて 洗練された音色の美しさが緻密なアンサンブル展開と結託し、独特の味を出しているが、音色の繊細さと対比される べき音色のコクがいまひとつ大人しいせいで、音楽が単調に流れてしまうような危うさを感じてしまう。   

ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」&シューベルト 交響曲第8番「未完成」
 テンシュテット/ロンドン・フィル
 TDKコア 1984年ライブ TDKOC021

FM東京による放送録音を音源とするTDKオリジナルコンサート・シリーズの一枚で、1984年4月11日の 東京簡易保険ホールでのライヴ。同年にテンシュテットが手兵ロンドン・フィルを率いての初の来日時の演奏とされ、 両曲のリハーサル風景も収録されている。

テンシュテットの「ロマンティック」はベルリン・フィルとのスタジオ盤(1981年、EMI)の方もなかなかの名演 だったが、このロンドン・フィルとの実演もかなりの名演だと思う。テンシュテットの形成する表情はアンサンブルの 重心を常に低く保持しながらも高弦を中心とする高声部を極めて克明かつ強力に鳴らし切る、緊張感の高いもので、 シンフォニックな聴きごたえが素晴らしい。

第1楽章冒頭からやや遅めのテンポをベースにアンサンブルの響きの 充実した密度感に惹き込まれる。わけても展開部(9:20)からのフォルテッシモの充実感、(11:06)からの音楽の雄大な 眺望など、いずれも聴いていてゾクゾクする。第2楽章はさらにテンポが遅く、総タイムが 約18分。ちなみにEMI盤(TOCE-7572)では17分で、かなり遅めだが、この東京ライブはさらに遅い。 テンポを粘っての濃密的表情が印象深いが、ベルリン・フィル盤と比べると、ハーモニーがわずかに弛緩的な気配も ある。逆に第3楽章はハイ・テンポで、緩急対比が鮮明。ただ、ここも、ベルリン・フィル盤と比べると、特にホルンの 冴えが明らかに聴き劣る。

しかし終楽章はベルリン・フィル盤と同格か、あるいはそれ以上の名演ぶりと感じる。 ライブならではの燃焼力が付帯しているからで、テンシュテットの強力な求心力に基づく音響密度も抜群だ。 使用スコアはハース版だが、例えば第4楽章第76小節(2:30)におけるシンバルの追加など、ベルリン・フィル盤と同様に 改訂版の表現が随所に取り入れられている。

ブルックナー  交響曲第8番
 ジュリーニ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 グラモフォン 1984年 445529-2

ノヴァーク版使用で、全曲の演奏時間88分と、いかにも巨匠的な佇まいのブルックナーだが、 全曲を通して遅いテンポを崩さない演奏スタイルから、緻密に練り上げられるアンサンブルの 奥行きが素晴らしく、ウィーン・フィルの濃密を極めたような音彩も惚れぼれするばかりだ。

第1楽章冒頭から極めてゆったりとした音楽の流れに乗り、ヴァイオリンのトレモロの刻みの、一つ一つまで明晰なほど 各声部の響きの絡みが明瞭に聴こえる。ウィーン・フィルの響きの味の濃さも特筆的なレベルで、特にホルンとオーボエの 音色のコクが抜群で、いざという時のトランペット強奏なども、表出力満点だ。

第2楽章は、全体で16分半にも及び、とにかくテンポが遅い。これほどのスローペースは他に無いのではないかと いうくらいの遅速前進ぶりだ。当然、スケルツォ本来の躍動感や推進力には極めて乏しいものの、歌うような旋律性の際立っていることにおいてはこの上なく、例えば主旋律の転回形が木管で展開される場面(2:47)において、 繊細なリタルダンドを掛けてメロディの美しさをさりげなく強調しているあたり、なんともいえない深い趣きがある。 そして、このテンポだからこその趣きという感じもする。

第3楽章もやはり遅いテンポで通され、各モチーフの音符の流れがくっきりと明示されるが、 同時にゆるやかなアゴ―ギグの推移による、繊細な表情性にも富み、聴いていて音楽の流れに画一的な感じがしないし、 これだけ味の濃いアンサンブル展開なのに、各声部がくっきりと分離して聴こえることにも、驚嘆の念を禁じえない。 強奏形成時の深々としたアンサンブルの鳴動力、そこに聴かれる音楽の雄大無比な趣き。 しみじみと心を打つ響きと、深い味わいの、実に豊かな内容のブルックナーだ。

終楽章も深々とした呼吸のフレージングに対し、ウィーン・フィルのアンサンブルが最高の色彩感を提供して止まない。 その遅いテンポと、絶妙なアゴ―ギグによる情緒性の濃さが独特で、ブルックナーの音楽に、これほどまでの メロディの魅力が隠れていたのかと、このジュリーニの演奏で初めて意識させられるような部分が少なからずあるし、 それでいて強奏部にはギロリとした凄味に事欠かない。歌わせるべきところを歌い抜き、抉りを効かせるところでは しっかりと抉りを効かせている。

ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」(マーラー版)
 ロジェストヴェンスキー/ソヴィエト国立文化省交響楽団
 イコン 1984年 ICN-9429-2

ブルックナー交響曲第4番の「マーラー版」を用いた世界初録音盤。

「マーラー版」というのは、クナッパーツブッシュ盤などで用いられている「レーヴェ版」(俗に言う「改悪版」)に 対し、さらにマーラーが改訂の手を入れた版であり、今日において「レーヴェ版」が用いることすら絶無に 近いところに、そのまた改訂版であるところの「マーラー版」での録音というのは世にも珍しい。 全曲の演奏時間は50分を切っている。通常の「原典版」演奏では考えられないショート・タイムだが、 これはもちろん指揮者のテンポの問題では全くなく、マーラーの改訂に拠る小節カットが要因だ。

そのカットのメスが入る楽章は第2〜第4の3つの楽章で、逆に言えば第1楽章はマーラーによるカットの裁断を 免れており、書式的にはオリジナル構造が保たれている。ただしオーケストレーションの変更は「レーヴェ版」同様 かなり活発で、例えば冒頭で第1主題が起伏する、第40小節あたりからのクレッシェンド場面における、いかにも分厚く重ね掛けされた管楽器群のモチーフ層などを 始めとして、全体的にワーグナー的な重厚性を感じさせるような、音響密度の高い響きの様相を呈するものに変化され ている。

加えて第2楽章からはブルックナーの楽曲構造を打破する小節カットが随所に挿入されるが、第2楽章でとりわけ 特徴的なのは練習番号GからMまでがバッサリとカットされている点で、本来であれば練習番号Gから再現部に入り、 練習番号Mからコーダに入るはずの楽曲構造が破られ、いわば展開部が終わった(5:52)から、 いきなりコーダにワープさせるという大胆な改訂が実行されている。

続く第3楽章ではスケルツォ主部がトリオを挟んでダ・カーポした後の第25小節から「レーヴェ版」と同様にカットが入る。ただし「レーヴェ版」と違うのはカットによりワープさせられる先で、「レーヴェ版」ではここからいきなり 第92小節に飛んで前後の脈絡に乏しい楽曲の流れに陥ってしまっているのに対し、さすがにマーラーはそのあたりに配慮したのか、第92小節から続くはずのスケルツォ強奏モチーフが 回帰する第187小節に繋げることで、音楽的な流れを一聴して損なわずに構造短縮が成されている。

最後の第4楽章は最も改訂の度合いの激しい楽章で、端的に言うと「第3主題の無いフィナーレ」に改編されてしまった。まず原典版・練習番号Eからの部分がカットされてしまって、第2主題部が終わると展開部へ直結される。そうすると当然ながらこのカットされた第3主題が展開部で扱われるところの原典版・練習番号L〜Pの部分も サッパリとカットされ、なかば強引に第1・第2主題による古典的2主題ソナタ構造に帰着させられてしまった。

それにしても、 いくら楽曲スケール短縮のための改訂とはいえ、なぜわざわざ、こんな手の込んだ改訂をマーラーが施したのだろうか。自分の作曲したシンフォニーの中では主題を4つも5つも使った拡大ソナタ構造を用いているくせに、他人のシンフォニーの改訂に際しては逆に主題を減らすという行為に 走っているところに、マーラーの作曲家としての複雑な美学が垣間見れるような気もする。

ロジェストヴェンスキーの演奏は、全体的にアンサンブルにおける管楽器群の濃色感の際立った典型的なロシアン・バランスを主体とする表情となっているので、 ブルックナー演奏としては異端的なアクの強さが目立つ。もっとも、 「原典版」よりひとまわり管弦楽密度の高いこの「マーラー版」に対しては、これくらいの濃密表現がある意味 ふさわしいのかもしれない。

ビゼー ローマ交響曲、交響曲第1番ハ長調
 ガルデッリ/ミュンヘン放送管弦楽団
 オルフェオ 1984年 C184-891A

ランベルト・ガルデッリは1915年ヴェネチア生まれのスウェーデンの指揮者。

ローマ交響曲だが、第1楽章(3:17)から の第1テーマ(アレグロ・アジタート)は、アジタートにしては動きがかなり鈍い。(5:02)からの クラリネットフレーズも線が細いし、艶もいまいち。全体に、かなりドイツ風な感じで、明彩を抑えたシックな色調に 構築的な弦の歩みなど、ビゼーというよりウェーバーあたりを聴く様な印象に近い。第2楽章は冒頭の弦のレジェロ フレーズがfなのにかなり弱いし、逆に(2:04)からのトリオ主題のppは強めだ。つまり強弱の表現レンジがせまく、 その辺がスケール的な物足りなさに繋がっている感じがする。第3楽章は全体に美しいが、その美しさの焦点が定まり きらないうちに音楽が流れていってしまう。第4楽章は冒頭のオーボエのジョコーソ主題(f)がやはり弱いし、 副主題の弦(p)と差異があまりない。強弱のメリハリにやや問題のある演奏と感じる。

ハ長調シンフォニーだが、 第1楽章冒頭第1テーマでは、最初のfと、4小節め休符後のpとの対比が、かなりくっきりしている。つまり上の ローマシンフォニーとは違う感触だ。(2:02)からオーボエの第2テーマや、展開部のホルンなど、味の濃さはないが 素朴な音色の美感。それにしても展開部から再現部など、ずいぶんのんびりした音楽の運びだ。総じてフランス音楽的 なパッションは希薄で、ドイツ音楽的な格調を重視した感じだが、いかんせん内容的に調和しているとは思えない。 以降の楽章も同様で、全般にビゼーの音楽の南国的な香りが薄いのがこの曲としてはさすがにどうかという気がする。

モーツァルト 交響曲第38番「プラハ」〜41番「ジュピター」、旧37番
 ホグウッド/エンシェント室内管弦楽団
 オワゾリール 1983・84年 POCL-2605/7

ホグウッドとエンシェント室内管による、CD19枚組モーツァルト交響曲全集の最終巻にあたるセット。40番の 演奏は第1版(クラリネット無し)と第2版(クラリネットあり)が個別に収録されている。また、旧37番の 演奏が収録されている珍しいディスク。

旧37番は周知のとおり、実体はミヒャエル・ハイドンのシンフォニーで、 その第1楽章にモーツァルトが序奏を加えたもの。よって第1楽章の(1:26)までの部分のみ、モーツァルトの音楽と いうことになる。当然ながらほとんど録音されない曲であり、そういう意味では貴重だ。

演奏については、総じて 美演ではあるものの、これらの後期シンフォニー群の演奏に対する、現在の古楽器演奏の百花繚乱的な状況においては、 さすがにいまひとつインパクトが弱い感じも否めない。ホグウッドの同全集では20番台のシンフォニー群がのきなみ 名演なのだが、それと比すと、やはり音楽の書式の大きさを、この時期の古楽器アンサンブルがカヴァーし切れない ような印象がある。

具体的には「プラハ」や「ジュピター」などの両端楽章での迫力不足とか、管楽器の冴えの不足感 などがやや耳に付き、20番台のシンフォニー群だとあまり気にならないのに、こちらだとやはり気になる。しかし 緩徐楽章における音楽の古雅な美感は秀逸で、「プラハ」第2楽章でのチェンバロなども、かなり新鮮な趣きだ。

マーラー 交響曲第3番
 ショルティ/シカゴ交響楽団
 デッカ 1982年 F40L-23149/50

ゲオルグ・ショルティが手兵・シカゴ響と録音した一連のマーラー交響曲全集には、優れたものが多いが、 その中でも、このマーラーの3番はおそらくベスト・パフォーマンスではないかと思う。 ショルティの直線的で明晰なダイナミズムに基づく竹を割ったような指揮ぶり、 シカゴ響の高性能な合奏能力、そして素晴らしく鮮明で音響分離の優秀な音質、この3拍子が揃うことにより、 とにかくマーラー3番の管弦楽的な醍醐味を存分に満喫できる演奏だ。

第1楽章冒頭の8本のホルンのユニゾンによるフォルテッシモの強奏から圧倒的な力感とめくるめく色彩的広がりを 示し、(2:18)からのホルンに出る第2主題、(4:55)からのオーボエに出る第3主題、(9:10)から クラリネットに出てヴァイオリンに引き継がれる第4主題、いずれも総じて管動機の音彩が立体的に冴え渡っていて 耳に爽快だし、展開部以降においても、例えば前半で弦の精緻なトレモロに乗って各主題が、管を主体に発展する 場面での、弱音レベルでの水際立ったアンサンブルの制御、あるいは後半から再現部にかけ、強烈なフォルテッシモで 複数の主題が同時進行的に絡み合い展開されていく様など、アンサンブル展開のあまりの巧さに聴き惚れてしまう。

第2楽章での各種木管パートや、第3楽章のポストホルン独唱を含む各種金管パートなども、器楽的な歌い回しが 冴えている。情緒感は低いが、純音楽的にキリッとしていて、曖昧を許さない響きの快楽がここにはある。

第4楽章ではワーグナー・ソプラノのデルネシュを独唱に立てているが、さすがに高音の伸びと中高音域の響きの充実が豊かで、本来アルト向けに書かれた歌唱に対しても、さほど違和感を感じない。終楽章の天上の音楽においても、一点の曇りも ない清廉な音響美が紡がれた、室内楽的な極みのような演奏だ。

J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲
 シフ(pf)
 デッカ 1982年 FOOL-23133

冒頭アリアは反復を含め4分を切る速めのテンポ。即興的な装飾音を交えつつ、強弱を自在に揺らし、フレーズの ラインを克己的に描くというより、幻想味あるタッチで繊細に描くという感じだろうか。

第1変奏からは、左手で 主題形を軽やかなリズムで刻みつつ、右手の主旋律を飄々とした流れで紡ぎ出し、音楽の流れは常に流麗。 そのタッチは少しも耳に挑まず、洗練された艶やかな音色により、音楽を鮮やかに彩る。技術的にも万全で、 指回りの冴えていること! 第29変奏など圧巻だ。第7変奏での高音の色使いの美しさ。第19変奏もシフならでは の表情だろう。

こうしてみると、やはりこの演奏は、ある面で傑出的であることは疑いないと思うも、 同時に聴いていてある種の物足りなさを感じる時もある。その原因は、突き詰めるとタッチの 質感の軽さと、それに比例するかのような美しい音彩の冴えに起因する、現実感の希薄さとでもいうべきものに 求められるように思う。全体に幻想の中で奏でられている演奏のような、感覚的陶酔と実在的な頼りなさの共存。 確かにすごい演奏だと思うものの、少し耳に優しすぎないだろうか?

グローフェ 組曲「グランドキャニオン」  &コープランド エル・サロン・メヒコ、市民のためのファンファーレ、バレエ音楽「ロデオ」より4つのエピソード
 ドラティ/デトロイト交響楽団
 デッカ 1982年(グローフェ)、81年(コープランド) POCL-5092

演奏は全曲ともいいが、特に「グランドキャニオン」がひときわ。この曲の録音としては、バーンスタインと ニューヨーク・フィルの演奏と並んで、ベストとも言えるほどの名演だと思うし、音質面ではこちらのドラティ盤が はるかに上。

最初の「日の出」からオーケストラの音響的な色彩展開の度合いが抜群で、まさに絶景だ。「砂漠」や 「山道」などもいいが、むしろ「日没」「豪雨」が圧巻。前者ではスペクタクルなソノリティの雄大さが凄いし、 後者のド迫力も素晴らしい。(7:01)での一撃の凄まじさ。

コープランドの3曲の方の同格の名演。いずれもアンサンブル の管パートの豊かな生彩感が上質の録音と相まって、響きが実にカラフルだし、「市民のためのファンファーレ」での ティンパニのパリッとした打音も爽快無比だ。

ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」、エグモント序曲
 ヨッフム/バンベルク交響楽団
 TDKコア 1982年ライブ TDK-OC017

FM東京による放送録音を音源とするTDKオリジナルコンサート・シリーズの一枚で、東京文化会館でのライブ。

最初のエグモント序曲は一貫したスロー・テンポをベースにバンベルク響のアンサンブルの上質な音色の魅力が引き立っている。しかし全般にフォルテでの屈強感にかなりの物足りなさがあり、ティンパニもかなり弱く、スローペースによる急迫感不足と相まって、音楽自体の激性に対し、迫力不足という感じも否めない。

続く「田園」は、エグモントよりも演奏表情と作品との相性がより調和している感じがする。第1楽章冒頭からいかにもロマンティックなスロー調で開始され、ヨッフムの円熟の棒のもと、楽章を通してバンベルク響の捻出するエレガントでふくよかなソノリティの温もりに魅了される。ベートーヴェンとしてはちょっと穏健に過ぎる感もあるとしても、その響きには常に血の通った生彩感が付帯し、のんびりとしたテンポと相まって、いつしか時間を忘れて聴き入ってしまう。第2楽章も同様で、(5:24)あたりの管と弦のおおらかな掛け合いの至福、(7:38)あたりの木管の音色のはかない美しさ。第3楽章に入ってもフォルテをかなりソフトに響かせたり、上品な語り口の姿勢を崩さない。しかし第4楽章は堂々としたイン・テンポから強力な強奏を形成、ティンパニもエグモントより格段に鳴っており、まずまずの迫力。終楽章も名演だ。

ショーソン ピアノ三重奏曲op.3、ピアノ四重奏曲op.30
 レ・ミュジシャン
 ハルモニア・ムンディ・フランス 1982年 901115

ショーソンの室内楽作品が2曲収録されたアルバム。三重奏曲の方はピアノ、ヴァイオリン、チェロの編成に よる1881年の作。すこぶる情熱的な作風であり、作曲当時にショーソンが大感銘を受けたという、ワーグナーの 「トリスタンとイゾルデ」をも思わせる雰囲気。対して四重奏曲の方はヴィオラを加えた編成による1897年の 作。三重奏曲と比べると作風は渋く、叙情的であり、柔らかな旋律の動きに溢れる作品。

レ・ミュジシャンはフランスの 室内楽演奏団体であり、メンバーはジャン=クロード・ペヌティエ(pf)、ブルーノ・パスキエ(va)、レジ・パスキエ(vn)、ロ ラン・ピドゥー(vc)。2曲とも名演で、特にいいのが三重奏曲の第1楽章。味の濃いアンサンブルから繰り出される 情熱味に満ちた演奏展開が素晴らしく、ことにピドゥーのチェロの濃密感とペヌティエのピアノの激情的ともいうべき タッチの織り成すハーモニクスが絶品。この楽章に関しては、演奏の方向性と音楽のカラーとがまさにジャストフィット だ。四重奏曲の方は三重奏曲でのインパクトにこそ落ちるものの、作品の美感や魅力は聴いていて良く伝わってくるし、 終楽章の演奏のインパクトは三重奏曲での第1楽章のそれに比肩している。

ガーシュイン ラプソディ・イン・ブルー、前奏曲2番&バーンスタイン 交響的舞曲「ウェストサイドストーリー」
 バーンスタイン/ロサンゼルス・フィル
 グラモフォン 1982年ライブ POCG-7060

ガーシュインは全体にずいぶん気楽な感じというか、軽音楽的なムードが大半を占め、正直、あまり聴き応えがない。 本当に、気楽に聴く(聞き流す?)にはいいのかも知れないが、、バーンスタインの旧録音の方には、少なくとも オケの音色に強さがあったが、こちらはそういう強烈性が薄く、バーンスタインのピアノ・ソロも旧録同様いまひとつ。

ウェストサイドの方も、あまり良くないと思う。自作自演なので尊重すべきかも知れないけれど、同じく自作自演盤の 旧録(ニューヨーク・フィル)の演奏の方が、聴いていて圧倒的に楽しい。聴き比べてみると、音色の強さがまるで 違う。表現意欲のかたまりのような旧録に比べるとこちらの新録はずいぶんイージーな感じがする。

シューベルト ピアノ三重奏曲第1番(作品99)
 ルヴィエ・カントルフ・ミュレ三重奏団
 FORLANE 1982年 D22L1022

3人の奏者はいずれもフランス人で、明朗にして強めの音色の色彩性を全面に押し出したスタイルによる、幸福感に 包まれたシューベルト演奏だ。

第1楽章冒頭のテーマを出すヴァイオリンとチェロのユニゾンにはフォルテ指定の 強さと同時に旋律の伸びやかさが兼ね備わり、胸のすくような開曲。(1:54)からの第2テーマを弾くチェロはpp指定 にしては響きが立ち、ヴァイオリンともども、シューベルト一流の歌謡的なメロディをたっぷりとした音量で朗々と 歌っている。フレージングの歌謡性という点ではカントルフのヴァイオリンが抜群で、もちろんウィーン風の小粋な 歌い方というのではなく、むしろ野暮ったいくらいだが、一貫して旋律線は太いし、鳴りっぷりのいい弾き回しの 爽快感もグッド。ルヴィエのピアノはタッチが多少画一的な感じもするが、音色がとにかく綺麗で、主題線の響きの 美感が素晴らしい。この両者の橋渡しをするのがミュレのチェロで、役割分担がかなり明確なため、アンサンブルの こなれ具合も一級。わけても第1楽章展開部に聴かれる音色の熟した味わいはフランス流のスタイルの良さが充溢す る。(9:20)での弦のハイ・ポジションの表出力も素晴らしい。

以降の楽章も同じ流儀による名演だが、わけても第2楽章は 絶品で、この有機的な楽器の絡み合いはまさに耳の御馳走。至福の音楽がここにある。

ミケランジェリのBBC放送ロンドンライブ録音集
 ミケランジェリ(pf) デ・ブルゴス/フィルハーモニア管
 BBC-LEGENDS 1959〜82年 BBCL5002-2

収録曲は@グリーク ピアノ協奏曲Aドビュッシー 前奏曲第1巻Bベートーヴェン ピアノ・ソナタ第12番Cベー トーヴェン ピアノ・ソナタ第4番Dドビュッシー ラモーを讃えてEラヴェル 夜のガスパールFスカル ラッティ ソナタ集Gベートーヴェン ピアノ・ソナタ第32番Hクレメンティ ピアノ・ソナタ 変ロ長調Iショパン ピアノ・ソナタ第2番。

ミケランジェリのピアニズムに特有の響きの性質は、ラジオ放送用ソースを目的とする音源には さすがに入りきらないのではないか、という考えからこのピアニストの放送用ライブ録音はあまり積極的に聴こうとして いなかったのだが、この3枚組の廉価ディスクを聴いて、その考え方がどうも間違っていたということを思い知らされ た。確かに音質的にみると、ことに@やEなどの59年録音のモノラルものは、ノイズレベルもそれなりに高いので、 必ずしも良好とは言い難い。しかし、それを突き抜けて聴こえてくるタッチの感触は、まぎれもなくミケランジェリに 特有するそれであり、音質の良し悪しを超えて、くっきりと記録されている。

Aのような80年代のステレオものとも なると、音質も格段に良くなっている。これをグラモフォンに録音されている同曲のスタジオ録音盤と聞き比べて みたが、純粋にピアノ演奏だけ比べてみると、どっちがライブでどっちがセッションだかにわかには分からないほど。 つまりこのライブは、完成度、響きの練り上げなど、ほぼスタジオ盤なみであり、完全主義者としての知られたミケラン ジェリの凄みが伝わってくる。

ここでのベストは、Gだと思う。そのタッチの研磨性と、そこから繰り出される音色の 光沢感は極限的とも思えるほどで、そのタッチの感触は、例えばバックハウスの演奏様式とはまさに対極。非ピアノ的な バックハウスに対し、超ピアノ的なミケランジェリ。いずれ劣らぬ極限的なピアニズムの粋。

シューベルト 交響曲第9番「グレイト」&ワーグナー ジークフリート牧歌
 ショルティ/ウィーン・フィル
 デッカ 1981年(シューベルト)、65年(ワーグナー) UCCD-5007

せっかくのウィーン・フィルによる、高音質のシューベルトなのに、ショルティの指揮のために、面白味に 著しく欠ける演奏になり下がってしまっているのが残念だ。

第1楽章第1主題部は高音がパワフルで、表面的には立派だが、 バスの支えがあまり効いていないので、トッティとしての響きの訴えかけが弱いし、第2主題は音量を絞り過ぎて、 どうにも味が薄い。展開部の前半の弱奏など、ウィーン・フィルの管パートの音色の味を生かそうという気がない かのような、淡白な音彩で、辟易する。後半の盛り上がりも、サラッとしていて味気ない。

第2楽章は、木管を 中心に音色の質そのものは高いものの、ショルティの指揮運用の個性の無さ、凄みの無さのせいで実に退屈だ。 テンポはとことん中庸、強弱はとことん画一的、味の薄いフォルテ、、これで、シューベルトの懊悩が、 どれほど描けると思っているのか、そういうことに、はなから興味が無いのか、、。第3楽章に入っても相変わらず であり、たしかに緻密を極めるアンサンブル展開から、規範的なバランスの響きが常に提供されているのだが、 そのことばかりにエネルギーが注がれて、肝心なことが忘れられているとしか思えない。終楽章にいたっても やはり状況は改善されない。強弱のメリハリは、実に鋭敏だが、音楽の陰影のメリハリとなると、鈍感の極みだ。

併録されたワーグナーの方が遥かにウィーン・フィルの良さが出ており、シューベルトの後で聴くと、ホッとする気分に なる。ヴァイオリンの味の濃さ、ウィンナ・ホルンの音色のコクなど、いずれも先のシューベルトを相当に上回っている。

シベリウス 交響曲全集
 渡辺暁雄/日本フィル
 デンオン 1981年録音 COCO-6681〜4

この渡辺暁雄/日本フィルによるシベリウス交響曲全集の演奏は純音楽的なスタイルでの名演ぞろいで、 臨場感に富んだ優秀な音質がそれら演奏の良さをグッと引き立てている。

全体にいえることは、弦の厚みを抑制したアンサンブルが繰り出す 響きの透明感、ひとつひとつのフレーズに対する入念な描きこみと、弱奏時の克己的で意味深い音色、 強奏時の勇壮なティンパニといったあたりが特徴となっていて、したがって重厚濃密という風では必ずしも ないものの、シベリウスの音楽の純粋な音楽美に焦点をあてたスタイルとしては、非常に成功しているように思われる。

特に第1番の演奏は素晴らしい。冒頭の弱奏の響きの意味深い広がりから思わず惹きつけられるものがあり、 主部以降も弦といい管といい外面的な響きの感触がなく、アンサンブルに充実感が満ちている。第1楽章コーダ での凄まじいアッチェレランド、第3楽章終結時の激烈なティンパニなど、一度聴いたら忘れられないくらいだし、 終楽章の迫力にも忘れがたいものがある。

第2番の演奏は、スタイル的には第1番と同様なのだが、感銘度は いくぶん落ちる。終楽章の迫力がいまいちで、トランペットなど金管ソロのファンファーレに力不足を感じるし、 木管ソロにもあまり切れがない。ただコーダの幕切れの最強奏は素晴らしいし、他楽章にも第1番同様の充実感 がある。第3番は全体にむらがなく、高水準のできばえと感じるが、第1番でのバイタリティと比べると、若干 聴き劣るようにも思う。

第4番は文句無く、名演。ここでの演奏においては、弱奏時の響きの実在感と音色の 神秘的趣きという点において驚異的な表情が開陳されている。第1楽章といい第3楽章といい、大自然の静謐な 佇まいをまざまざと実感させられるような、精妙を極めた弱音展開が実に見事だ。第5番も同じスタイルでの 名演で、第1楽章の中盤での、弱音展開の神秘など実に感動的なのだが、フィナーレでのアンサンブルの力感が やや弱い点だけがちょっと気になった。

第6番と第7番の演奏は、第1、第4に並ぶ、充実感に満ちた名演。 透明感豊かな、透徹したアンサンブルの響きが醸し出す純音楽的な魅力に、強奏時での、技術よりも魂の燃焼を 感じさせる金管・ティンパニの最強音が絶妙に交差し、最高水準のシベリウス演奏に結実されている。

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調&チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
 チョン・キョンファ(vn) デュトワ/モントリオール交響楽団
 デッカ 1981年 POCL-5013

チョン・キョンファとしては、チャイコンの方が2度目の録音で、メンコンは初録音。 両演ともに素晴らしいが、特にメンコンが圧巻の名演奏だと思う。

冒頭の第1主題で強烈に訴えかけるような高音域のフレージングから、もう聴いていて感嘆する以外なしと、いうほどに 現実離れした響きが耳に飛び込んでくる。76小節からのロ短調のメロディないし226小節からのアジタートといった局面で 披歴される、研ぎ澄まされたボウイング展開が放つ熱風のような情熱的高揚力といい、 カデンツァ最後のトリル進行からアルペッジョにかけての場面に聴かれる深々とした余韻といい、 コーダでの胸のすくようなアッチュレランドといい、素晴らしい部分を挙げていくだけでキリがないほどだが、 しかし何故、この演奏は、これほど感動的なのか? 思うに、このキョンファの演奏では、表現が本質的にストイックで あるがために、却って飾らないロマンティズムが前面に出てきて、それが聴き手の心を鷲づかみにして 放さないからではないか。

というのも、この第1楽章は演奏時間にして12分ジャストと、かなり速いテンポで弾かれている。 同じ女流ヴァイオリニストのメンコンの録音と比べても、ムローヴァ、サラ・チャン、ムター、そのいずれも 上回るタイムだ。それだけ引き締まった前進性が顕著で、造型的にもストイック。だが、 同じくらいテンポの速いハイフェッツの録音などでは、明らかに自身の圧倒的な技巧を聴き手に明示するために テンポを速めている、という感じがするのに対し、このキョンファの演奏は、むしろ逆で、 場面場面の音楽表情を最高の感度で克明に刻み込んだ結果として、このテンポになった、というような雰囲気が強いのだ。

おもに第1楽章について書いたが、以降の楽章も同様であって、とかく甘美に流れがちなこのメンコンが、その 演奏姿勢の真摯さと、そこから展開される無垢なまでにストイックなヴァイオリニズムにより、 単なるムード音楽を遙かに超えた地点を思わせる掛け替えのない趣きが満面に披歴されていて、 それがデュトワ/モントリオール響の奏でる、むせ返るような響きの雅と、驚異的に優秀な音質とにより 絶妙に引き立つ結果となっているのだろう。これほど深い味わいのあるメンコンは容易に耳に出来ない。

併録のチャイコンも名演だと思うものの、この曲に関しては、プレヴィン/ロンドン響との初録音の演奏と比べて、こちらの再録音の演奏は表出力が一回り大人しいように思えてならない。

ニールセン 交響曲第4番「不滅」&シベリウス タピオラ
 カラヤン/ベルリン・フィル
 グラモフォン 1981年(不滅)、84年(タピオラ) 445518-2

ニールセンのシンフォニーのベルリン・フィルによる演奏は貴重だし、音質もいい。しかしカラヤンの指揮がどうにも いただけない。

冒頭に出るメイン・テーマの各小節の終音符のアクセントがまるで活きず、ほとんどスラーで塗りつぶ されたよう。直後の起伏も、とにかくアタックが弱い。第1楽節中盤から後半の展開部でも、確かにオケの鳴りは いいし、音響的には華やかで、ベルリン・フィルの合奏力も抜群ではあるものの、前述のアタックの脆弱感に加えて のきなみバスの響きが薄いので、フォルテの屈強感が弱いし、高声にしても、快適なテンポの代償としてフレーズの 定着感が浅いため、各フレーズが十分に訴えかける前に音楽が先に進んでしまう感じだ。

続く第2楽節(ポコアレグ レット)冒頭のpppも音量以上に音色に味がないし、第3楽節(アダージョ)冒頭のフォルツァンドなども強さに 欠ける。終楽節(アレグロ)も第1楽節同様、表情がぬるい。技術的な完成度は非常に高いが、その完成度は、なぜ この曲に「不滅」というタイトルが与えられたか、ということを、あまり語ってくれないように思う。

ブラームス チェロ・ソナタ第2番、第1番
 藤原真理(vc) アラン・プラネス(pf) 
 デンオン 1980年(2番)・1981年(1番) CO-3513

2番のソナタが、実にいい演奏。第1楽章冒頭の、ピアノの強烈なスフォルツァンドを受けた、チェロの第1テーマの 高音の伸びやかさ!きわめて飛翔的にして音量も豊潤、この開曲の2・3小節を聴くだけで、この演奏の充実ぶりを 物語るに充分なものがある。

藤原真理のソロはアゴーギグ振幅は控えめながらも高音域のフレージング展開の訴求力 が際立っており、さらには細やかな音色の変化による陰影の浮き出しが抜群だ。わけても第1楽章展開部、この、 チェロ側のトレモロ比率が際立つ特異な楽想に対し、この演奏でのトレモロが響かせる表情の多彩さはどうだろう! 終盤のffに向けての、強弱と濃淡の闊達な伸縮が、音楽を実に雄弁に彩っている。中間2楽章も、憂愁味や激情感の 充溢する音色の潤いが素晴らしい。終楽章も、チェロの表現力が冴え渡る。第1テーマの情熱的なレガート、 第2テーマの意思的な重音スタッカート、終盤のチャーミングなピチカート。

第1ソナタだが、こちらも名演だが 第2ソナタよりは若干、演奏の精彩が落ちる。第2ソナタよりチェロの音域が低音にシフトしているので、持ち前の 高音域の訴求力が活きる場面が相対的に少ないこともあるし、音質も、第2ソナタよりやや奥行きが浅い気がする。 しかし第1楽章後半から終盤での、聴いていてジワジワ湧きあがる高揚感といい、終楽章フーガの音楽の格調といい、 演奏水準の高さは相当なものだ。

ブルックナー 交響曲第5番
 ショルティ/シカゴ交響楽団
 デッカ 1980年 UCCD3734

第1楽章は冒頭から味の薄い弦・線の細い木管と、大音響の金管との、いびつなハーモニー・バランスが耳に付き、 ブルックナーとしては奇矯な印象を受ける。しかも、これだとボリュームを上げると金管がうるさく、ボリュームを 絞ると弦の味がさらに希薄化するので、非常に聴きにくい。その金管も、弱奏となると冴えがガタ落ちする。(9:11)あたりのホルンがいい例だ。展開部から再現部は、豪快な金管のファンファーレの割りに音楽が冴えない。バスが弱いせいもあるし、響きの質にも問題がありそうだ。

第2楽章は、問題が山積み。ハーモニクスのデュナーミクバランス が機械的なために、音楽の良さがいくつもスポイルされており、例えば(6:20)からの管のコラールは弦の音幕が強すぎて まるで冴えないし、(8:55)あたりは逆に管が強すぎて、弦の祈りのようなゼクエンツが潰されている。終盤(15:55)以降 は金管の大音量に弦がまるで対抗できていない!(19:50)あたりなど、最悪だ。

第3楽章はテンポの出入りがかなり激しい が、高速テンポ時の響きの上滑りが耳に付く。終楽章は、主部のフーガなど、精度的には最高水準だし、迫力も あるのだが、響きがいささか神経質に過ぎてメリハリ不足だし、デュナーミクが機械的なせいで、聴いていてあまり ワクワクしない。中盤から終盤も、テクニカルな面での希求が過ぎるように思う。現代音楽ではないのだし、、。 金管のファンファーレなどこれほどの大音量で、恐るべき精度だが、いかんせん響きの味が薄い。

ショパン チェロ・ソナタ、序奏と華麗なるポロネーズ&シューマン ピアノとチェロのためのアダージョとアレグロ
 ロストロポーヴィチ(vc)、アルゲリッチ(pf)
 グラモフォン 1980年 419860-2

ロストロポーヴィチ、アルゲリッチ両雄の繰り出す情熱的なアンサンブル展開が魅力的なデュオ・アルバム。

素晴らしいのはやはりショパンのチェロ・ソナタで、第1楽章冒頭の主題からチェロのフレージングの訴求力に惹かれてしまう。この提示部でのロストロポーヴィチはアルゲリッチを凌ぐほどにアグレッシブかつ歌謡性に満ちた弾き回しで、魅力たっぷり。(4:40)前後でのアルゲリッチとのパッションのせめぎ合いなど、実にスリリングだ。展開部から再現部にかけては両雄一歩も譲らないアンサンブルの拮抗感が素晴らしい感興を表出する。第2楽章は、チェロのボリューム感とメロディ性が最上、ただ、冒頭3小節目のsfを始め強音のアタックにいまひとつパンチが乗っていると、さらに良かったのだが(アルゲリッチの強音のパンチ力が凄いだけに)。第3楽章は短いが優美の極み。フィナーレはピアノ・ソロの熱感が際立ち、ショパンを聴く醍醐味が充満している。

併録の2曲も同傾向。音質も上等で、80年代初期のアナログ録音の円熟したソノリティの良さが素直に活かされている感じだ。

J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲
 クレーメル(vn)
 フィリップス 1980年録音 416651-2

ソナタ第1番の第1楽章冒頭から異例なほどに個々の和音の重みや響きの豊かさを強調しない、 さらっとしたボウイングだが、そこに聴かれるのは、まるで技巧上の難関すら存在しないかのような、水流みたいな 音楽の流動感と、時には強奏時における和声の汚れさえも躊躇しない、楽想細部に対する強烈な切り込みと、 そういった演奏表現が総合的に表出する、ピーンと張り詰めたような緊張感の持続だ  第3楽章シチリアーノで聴かれる舞曲らしからぬ旋律分断的な表現もかなり独創的だが、 白眉はやはり第2楽章フーガ。その純器楽的な静謐性には何とも言えない神秘感がある。

パルティータ第1番では第2楽章クーラントの後半のドゥブルが圧巻。信じ難い超常的ハイ・テンポを主体と しながら一音一音の音符まで正確かつ克明な刻みという、ヴィルトゥオーゾの凄みが際立っている。 ソナタ第2番でも第1ソナタ同様、響きの重みも音響的豊かさも、どこ吹く風、といった 風情であり、無伴奏ソナタ3曲の中で最も重厚的楽想を持つこの第2ソナタにおいては、いっそうその個性味が際立つ 感じがする。

パルティータ第2番も第1番と同様な演奏解釈に基づき、表情としてはとにかく非ロマン的というか、 いわば表情主義的な動きをとことん排し、個々のフレーズを短距離的に停滞無く連結させているという趣きで、 一体に無駄なく引き締まった表現。わけてもシャコンヌは個別変奏部における旋律的魅力よりもリズム和音の強奏による 旋律分断を主眼とするような構造解析風アプローチを主体とし、よって造型構築的にはやや脆弱的としても、そのぶん 多感な音楽的ひらめきに満ちているし、また第11〜15変奏部での32分音符の連続進行場面における演奏技巧の冴えなど、聴いていて呆気に取られるほどだ。

ソナタ第3番は第2楽章のフーガに対する演奏が面白い。多分にカンタータ的な歌謡風旋律構成を内在するこのフーガに 対し、あくまでロマン味を感じさせるような旋律起伏など一切与えず、対位書法メインで弾き抜いている。がゆえに 主題の展開応答の伝達性が恐ろしいほどの精度で表現されており、バッハの対位構成手法の深みがストレートに 伝わってくるような感じがする。

最後のパルティータ第3番もパルティータ前2曲と同様の表情。全体的にこれらの「パルティータ」演奏においてはフレージングの表情感の欠如がやはりそれなりに耳に付くものの、 表情は新鮮であり、音楽的な独創性を感じさせられる。

シマノフスキ 交響曲第3番「夜の歌」、交響曲第2番
 ドラティ/デトロイト交響楽団、コルチコフスキー(ten)
 デッカ 1980年 F28L-203400

ドラティ/デトロイト響の演奏に関しては、何ら不満点は無く、高水準な内容だ。しかし如何せん作品自体の訴求力が いまひとつで、強力な魅力という点で決め手に欠ける感がある。

交響曲第2番の方はR.シュトラウスの影響がかなり 露骨で、もしシュトラウスが無標題シンフォニーを書いていたらこんな感じでは、と思わせるが、しかし全体に メリハリに乏しく、展開が単調な気がする。

交響曲第3番は声楽(テノール独唱を含む)付きの作品で、印象的には スクリャービン、ドビュッシー、ワーグナーといったあたりを足して3で割ったような感じか。第2番よりは印象が 強いものの、ここでも他の作曲家の作風の影響がかなり大きい点が、聴いていてどうも、シマノフスキらしさというか、 非代替的な個性感のようなものを希薄化させてインパクトを弱めている感じがしてしまう。

J.S.バッハ オルガン作品全集
 アラン(org)
 エラート 1978・80年 256469902-8

マリー=クレール・アランによる第2次バッハ・オルガン作品全集。2007年に再発されたボックス版で、 値段が9千円と格安。とはいえ、CD15枚組の大物なだけに、結局、一通り聞き終えるのに3ヶ月もかかってしまったが、 このオルガン全集は色々な意味で大収穫だった。

そもそもバッハのオルガン全作品を体系的に聴き通すという のも初めての体験だったが、その音楽の内容的な素晴らしさをハッキリと認識させてくれたという点で 掛け替えのないものとなった。

バッハのオルガン音楽は、「プレリュードとフーガ」や「トッカータとフーガ」 のようなフーガ系列の作品と、オルガン・コラール系列との大きく2系統に分けれており、これに加えて オルガン・トリオやオルガン協奏曲といった小規模なジャンルから構成されている。中でも全体の過半数を占めるのが オルガン・コラールであり、本全集でも第7ディスクから第14ディスクまで足掛け8枚を占めている。

しかし、印象度の強さという点では、やはりフーガ系列の一連の作品の方が断然上だと思う。こちらは本全集の 第2ディスクから第6ディスクまでの5枚に収められており、超有名曲のトッカータとフーガBWV565や小フーガ ト短調BWV578もここに含まれる。ただ、この2曲は有名だが、バッハのオルガン音楽の真価としてはちょっと 弱い(BWV565については偽作説も根強い)。聴いた限りにおいて、このジャンルにおいて個人的なベスト10を 選ぶとすると、おそらくBWV538、540、542、543、544、547、548、564、579、582の10曲ということになると思う。

わけてもベスト・オブ・ベスツはBWV548のプレリュードとフーガで、これはバッハ全オルガン音楽中の最高傑作で はないかと思う。とにかくこの曲をフル・ボリュームで鳴らした時の、あの衝撃的な感動はちょっと忘れがたい。 まさにオルガン・シンフォニーとも呼ばれるこの作品を聴く醍醐味がここにある。このBWV548と比肩するのがBWV582の パッサカリアとフーガで、これにBWV540のトッカータとフーガを合わせた3曲がトップ・スリーだと思う。

そして、これらに「ドリア調」の呼び名で親しまれているBWV538のトッカータとフーガ、ライプツィヒ時代の傑作として 名高くフーガの充実が圧巻なBWV547のプレリュードとフーガ、イタリア様式と3楽章形式が異彩を放つBWV564の トッカータ、アダージョとフーガ、即興風の激しいダイナミズムが素晴らしいBWV542の幻想曲とフーガ、 ワイマール時代の荒削りな個性とライプツィヒ時代の熟成された色彩とが同居してせめぎ合うBWV543の トッカータとフーガ、マタイ受難曲と同時期に書かれ、その面影を残すBWV544のトッカータとフーガ、 コレッリのメロディをベースとした美しいBWV579のフーガが追随する。

以上のフーガ系列の作品群に対し、 バッハのオルガン・コラール系列の作品は「オルガン小曲集(オルゲルビュヒライン)」、「シュプラー・コラール集」、 「ライプツィヒ・コラール集」、「クラヴィーア練習曲集第3巻」、「キルンベルガー・コラール集」の5つの コラール集に大別されるが、この中では「ライプツィヒ・コラール集」が印象的にベストで、まさに宝石のような珠玉の 旋律美に浸れる素晴らしい作品だ。次いでは「シュプラー・コラール集」と「クラヴィーア練習曲集第3巻」がいい。

「オルゲルビュヒライン」は、個々のコラール自体は名曲だと思うが、やはり続けて聴くとどうしても単調になる。 「キルンベルガー・コラール集」は親しみ易いメロディが多く耳につくが、心に強く引っ掛かる感じが他のコラール 集よりも弱いように思う。

J.S.バッハ オルガン曲選集
 リヒター(org)
 TDKコア 1979年ライブ TDK-OC004

収録曲はBWV572、548、654、544、650、540、564の7曲。 カール・リヒター最後の来日公演となったコンサートのライブで、その死去2年前の録音とされる。

購入時期が、ちょうどマリー=クレール・アランの第2次バッハ・オルガン作品全集をひととおり聴き終えたあたり だったため、アラン盤の演奏様式と比べてどうだろうという視点からの興味も含めて、このリヒターのライブ盤を 聴いてみた。録音の時期は、奇しくもアランの第2次全集の録音時期とほぼ同じだ。

収録会場が東京カテドラルと いうことで、教会特有の高めの残響感の影響が心配だったが、聴いてみるとモヤッとした感じはほとんどなく、 ソノリティの克明度は申し分ないレベルで一安心だし、その演奏も素晴らしく、最初のファンタジアBWV572から 実在感の強さを伴うハーモニクスの表出力に惚れぼれさせられる。この音響的な実在感はライブ録音ゆえの臨場感 プラス音勢的高揚力に起因するもので、それはリヒターのオルガン演奏ならではの美質とも言えるように思う。

マリー=クレール・アランの演奏と対比した場合、(6:24)あたりの重和音強奏に聴かれる凄味などを始め、ここぞと いうときの強度的集約力においてリヒター盤の方が優っていると思う。反面、(6:28)からの第3部における細分的な フレージングの切れなどはアランの演奏の方が優っている感じがする。対位的な描出度という点では、全編にムラなく 圧巻の完成度を誇るアラン盤のそれと比べるとやはり遜色する部分はあるとしても、ここでのリヒターの演奏においては、 聴かせどころでの驚異的なまでの集中力に基づくハーモニクスの荘厳な立体感が特筆的だ。例えばBWV548での(12:10)あたり でのフーガ主題の精彩な色合いなど、聴いていてゾクゾクする。全7曲中のベスト演奏はそのBWV548のプレリュードと フーガだと思うが、BWV540や564などもいずれ劣らぬ名演だと思う。

マーラー 交響曲第9番
 バーンスタイン/ボストン交響楽団
 メモリーズ 1979年ライブ ME1049/50

1979年7月29日におけるタングルウッド音楽祭でのコンサートのライブ録音。なにしろ演目のマーラー9番といえば、バーンスタインが生涯ただ一度だけベルリン・フィルに客演した、あの歴史的名演ともいうべきコンサートでの曲目と同じで、時期はその客演のわずか2か月前。あのベルリン・フィルとの超絶的名演がボストン響により再現されているのか、ドキドキしながら聴き始めた。

が、結論から言うと、このディスクは、あまりバーンスタインの名誉になるものとは思えない。演奏としての表出力が、ベルリン・フィル盤とは違いすぎるのだ。

まず音質がいまいちで、全体にノイズ・レベルが高い。ただ、ベルリン・フィル盤とて音質的には万全でないので、決定的な違いは、やはりオーケストラのモチヴェーションの高低、ということになると思う。

あのベルリン・フィルがそれこそ死んだ気になったような法外な表出力と比べて、こちらのボストンのアンサンブルは、その緊張感において著しく聞き劣る。第1楽章でいうなら、(3:25)あたりのクレッシェンドからして、あのベルリン・フィル盤での聞いていて身が切られるような痛切が甚だ弱い し、(18:54)の破滅のティンパニなども生ぬるい。

オーケストラの技術面にも大いに問題がある。特に酷いのが第3楽章で、なにしろ冒頭の出からトランペットがずっこけている。これにはガクッときてしまうし、楽章を通してトランペットを中心に管パートのフレーズがおよそ冴えない。いかにもリハーサル不足という感じなのだが、その弱みを本番の燃焼力で挽回しようというベルリン・フィルの気迫も、残念ながらここには薄い。弦パートの音色も管以上に冴えが薄く、終楽章など、いかにも味が薄い。

全体を通して、造形の取り方、ことにテンポ面での特徴などは、ベルリン・フィルとのそれにかなり似ている。ベルリンに乗り込む直前期のコンサートということで、バーンスタインにとって試運転的な意味合いは当然あったものと思うが、逆に言うなら、それ以上の意味合いは薄かったのではないか。

マーラー 交響曲第1番「巨人」、第2番「復活」
 テンシュテット/北ドイツ放送交響楽団、ゾッフェル(sop)、マティス(alt)
 MEMORIES 1977年ライブ(巨人)、1980年ライブ(復活) ME1025/26

テンシュテットと北ドイツ放送響のマーラー「復活」の1980年ライブは、海賊盤ながらもいろいろなところで 絶賛されている有名な演奏だが、その絶賛のされ方もまた際立っている。これをマーラーの「復活」のベスト盤と 言い切るほどだったり、これを聴かずしてマーラーを語るな、マーラー好きならどんなことをしてでも手に入れる べきディスク、などなど。

しかし実際に聴いてみると、そういう評価もあながちオーバーなものではないと 思わされてしまう。それほどこの演奏は凄い。全編を通してアンサンブルの発する響きの表出力が桁外れであり、その 迫力が振り切るともはや狂的という域にまで到達している。ことに第1楽章の(15:40)から再現部突入までのくだりなど、 聴いていて頭がどうにかなるかというほどに凄まじい。まさにマーラーの音楽の真骨頂がここにある。終楽章なども 凄いが、第2楽章中間部での絶望色の強さや、第3楽章開始部などでのティンパニ激打の痛切感なども、いずれ 圧倒的な表出力だ。

カップリングされている「巨人」の方も同様の流儀による凄演だが、こちらは音質がやや 落ちる感じがあり、ことにステレオの分離感が「復活」ほど冴えがなく、そのぶん響きの立体感が損なわれている ようだ。逆に言えば「復活」の方の音質はほぼ理想的で、演奏の凄みがほぼダイレクトに伝わってくる。

マーラー 交響曲第9番
 カラヤン/ベルリン・フィル
 グラモフォン 1979・80年 453040-2

この演奏のつまらなさは特筆に値すると思う。同年録音の歴史的名演たるバーンスタイン/ベルリン・フィル盤を ことさら持ち出さなくとも、カラヤンが以前に録った4番、5番、6番といったマーラーの録音とひき比べても、 この9番の演奏は格段に精彩が落ちる。

結局、カラヤンがこの作品に対する明確な演奏ビジョンを持ち得ていないことが原因なのだろう。それはカラヤンがこの曲を 録音した経緯を考えれば、ほぼ自明で、この曲を演奏したいという衝動ではなく、バーンスタインに対する敵愾心から指揮 しているのは明瞭だ。この録音によりバーンスタインがベルリン・フィルに及ぼした影響力は消し得たのかもしれないが、 その代償として、ベルリン・フィルにとって名誉になるとはとても思えない、こんなペラペラなマーラーが残ってしまったようだ。

ハイドン チェロ協奏曲第1番・第2番
 ペレーニ(vc) ローラ/フランツ・リスト室内管弦楽団
 Hungaroton 1979年 HCD12121

ハンガリーのチェロの名手、ミクローシュ・ペレーニが30代の前半に録音したハイドンの チェロ・コンチェルト集。ヤーノシュ・ローラ指揮フランツ・リスト室内管の伴奏で、ニ長調とハ長調の2曲が 収録されている。2曲とも名演だ。

特にチェロ協奏曲第2番が素晴らしい。第1楽章(1:52)からの独奏提示から、まるで書の達人が描きだすような フレージングの伸び伸びとした呼吸感に魅了させられる。全体を支配するチェロ独奏の落ち着いたフレーズ構成、 音色の開放的な味わい、そして、音楽全体を包み込むような、まろやかな響きの味わい。

ローラ/フランツ・リスト室内管の伴奏は、全体的に管パートにいまひとつのコクが不足するのが惜しいが、 弦のコクは充分だし、何よりペレーニのフレージングとの、息の合った掛け合いが披歴され、それがソロの表情を さりげなく引き立てている。好感の持てる演奏だ。

それにしても、チェロ協奏曲第1番の方も含めて、ここに聴くチェロ独奏の弾き回しにおいては、音楽の流れが 全くの自然体であることに、改めて感嘆させられる。技術的に余裕があるというのか、そこには難関を難関として 聴かせないだけのフレージング技術の高さが見え隠れする。結果、この演奏は聴いていて「効果狙い」という 観念から遠く離れた、孤高なまでの「中庸の美」があり、それが聴き手の傾聴を誘わずにはおかない、そんな演奏だと 思う。

シューマン オーボエとピアノのための作品集
 ホリガー(ob)、ブレンデル(pf)
 フィリップス 1979年 426386-2

収録曲は@3つのロマンスop94A夕べの歌op85-12Bアダージョとアレグロop70C幻想小曲集op73D民謡風の5つの 小品op102抜粋。

シューマンによるオーボエとピアノのための作品を集めたアルバムだが、純粋にオーボエのために書かれた 曲は収録曲の中にひとつもなく、@はクラリネットの他にヴァイオリン、クラリネット、チェロで演奏してもいいし、Aは ヴァイオリンかフルートでもいいし、Bはホルン、ヴァイオリン、チェロでもいい。CとDではオーボエは本来 想定されていないが、音域的には演奏可能。もっともこのディスクでは、Cのみオーボエ・ダモーレで奏されている。

この中では@〜Bが素晴らしい。ホリガーの超現実的な音色の美感と、シューマンの音楽のメルヘンティズムが絶妙に 調和し、まさに一場の夢のようなムードだ。@の第1曲でのメロディの美しさなど、これ以上ないほどいいし、第2曲の なかほどで嬰へ短調にふれるくだりでの暗い情熱味なども忘れがたい。ホリガーのソロは必ずしもスコア主義的なもので はなく、例えば第3曲冒頭など、最初のpが7小節目でfに到ったあと、9小節目のfpの直前で即興的に音量を下げて いたり、強弱法はかなり融通のきいた、しなやかなものだ。他の曲も概ね名演だが、残念なのはCのみ演奏が落ちる点。 これはオーボエ・ダモーレを使っているためで、オーボエでの音色の美感と響きの透徹感には及ばないように感じる。

ブラームス ドイツ・レクイエム
 ショルティ/シカゴ交響楽団
 デッカ 1978年 UCCD-3756

全体に遅めのテンポ選択で、最初の第1楽章と最後の第7楽章はとくに遅め(タイムは前者12分強、後者14分半)。 第1楽章から気になるのは響きがボワンとしている点で、ホールでなくメディナ・テンプルの録音なのだが、そのせいか 残響感が高めだ。例えば第2楽章の最初の盛り上がりの(3:11)のティンパニ強打など、鳴りは悪くないのに力感が さほど伝わってこない。マイクの位置のせいか、残響のせいか。アンサンブルも、管を中心に音色のメリハリが薄 い。(9:38)からのイザヤ書の部分など、総じて合唱の強声のハーモニーもあまり立体的に聞こえない。

第3楽章のバリトンの ヴァイクルは上々で、ことに詩篇39篇6節最初の「Ach we gar 〜」など、これほど厚味の乗った高音で歌える歌手は 希少だろう。第4楽章は、全体に平凡。第5楽章はソプラノがテ・カナワだが、美声だがヴィブラートがものすごい。 ちょっとかけ過ぎでは? レクイエムにしてこれはどうかと。第6楽章はまずまず。ヴァイクルは健闘しているし、主部 以降は高速テンポで、オーケストラに漲るダイナミクスの充実味がよく、合唱も丁寧だ。しかし強声部の軽さが残念で、 最強奏でグワッと圧し掛かるような、声楽的な重みがいまいち弱い感じがする。終楽章はかなりのスローで、前楽章の 高速テンポからつながるので前半は対比効果でグッとくるが、後半はやはりもたれてくる感が否めない。

スメタナ 「わが祖国」全曲
 ベルグルンド/ドレスデン・シュターツカペレ
 EMIクラシックス 1978年 TOCE-13469

ベルグルンドの指揮は全体にわたりオーソドックスながらも味の濃い演奏展開で、オケの音色のコクも豊かだ。例えば モルダウの(5:23)あたりからとか、ブラーニクの(4:25)〜(5:00)などが印象的で、響きがアナログ的というか、 デジタル臭が薄いというか、そんな雰囲気がアンサンブルに漂う。

反面、速いテンポの強奏時に、アンサンブルが上滑り気味で響きが浅い場面がいくつか 聴かれる。ヴィシェフラドの(8:26)あたりやシャールカの(8:49)あたりなどがそうだが、逆にボヘミアの森と草原 の(10:01)からのフォルテッシモなど、素晴らしい充実感の漲るシーンもある。全体のベストはターボルだろう。音楽の 深い呼吸に重厚なアンサンブルの展開、ティンパニの激烈な強打!

ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番
 ベルグルンド/ボーンマス交響楽団
 EMIクラシックス 録音年不明 TOCE13471

なぜか録音年記載が無い。第1楽章は遅めのテンポでじっくり攻めた感じの展開だが、いかんせん全体に響きの彫りが 浅く、音色の鮮烈感も薄い。(11:29)の絶叫など、もっと突き抜けて欲しいし、(13:23)あたりの破滅感も弱い。 第2楽章も正攻法の展開だが、手堅すぎて表情がアク抜けされた感じだ。

第3楽章は、スケールの豊かな深い音楽の呼吸感が良い ものの、オケの響きの色合いが表面的で、深刻味を発し切れていない感じがする。フィナーレは快速調で、 全体にティンパニの健闘が光っているが、アンサンブルの強奏時の響きの混濁感や、木管パートの力感不足などが 耳に付き、煮え切らない印象が残る。

チャイコフスキー 交響曲全集
ティルソン=トーマスほか/ボストン交響楽団ほか
 タワー・レコード 1960〜1978年 PROA-129/33

タワー・レコードのヴィンテージ・コレクション・シリーズとして2007年にリリースされたもの。

収録内容は以下の通りで、このうちアツモンの3番とサヴァリッシュの5番は世界初CD化とされる。

第1番:ティルソン=トーマス/ボストン交響楽団(70年)
第2番:アバド/ニュー・フィルハーモニア管(68年)
第3番:アツモン/ウィーン交響楽団(72年)
第4番:ハイティンク/コンセルトヘボウ管(78年)
第5番:サヴァリッシュ/コンセルトヘボウ管(62年)
第6番:ドラティ/ロンドン響(60年)
マンフレッド交響曲:アーロノヴィチ/ロンドン響(77年)

この全集、寄せ集めだけに ある程度は混交玉石を覚悟で購入したものの、フタを開けてみると、すべて名演で驚かされた。しかも マンフレッド以外の6演は超名演だと思う。7つの演奏についての個別の感想は以下の通り。

・ティルソン=トーマス/ボストン交響楽団による交響曲第1番「冬の日の幻想」:
いきなり超名演だ。若き日のティルソン・トーマスの棒は湧き立つようなダイナミズムを 湧出させた見事なもので、ボストン・シンフォニーの有機的なアンサンブル展開も素晴らしい。 それはミュンシュ時代の残照をも感じさせるパッショネイトな色合いに富み、 ティルソン・トーマスの指揮といい、まるでミュンシュがこの曲をベスト・モードで 指揮したら、こういう感じではないか、とさえ思われる。第1楽章展開部の(5:12)から 再現部までのくだりに聴かれる、充実を極めるアンサンブルの白熱感。第2楽章(1:58)あたり からの木管の絡みの味の濃さなど、全編にわたって酔わされる演奏だ。

・アバド/ニュー・フィルハーモニア管による交響曲第2番「小ロシア」:
アバドはこの曲を後にシカゴ交響楽団とソニーにデジタル録音している。しかしその演奏は およそ感心できないものだった。それが頭にあったので、正直あまり期待しないで 聴き始めたところ、その名演ぶりにびっくりさせられた。シカゴ響とのソニー盤でのひ弱な ダイナミズムとはまるで別人のような豪快にして張りに満ちたダイナミズム展開! 第1楽章の(9:20)あたりの山場など聴いていてゾクゾクさせられるし、全体にここぞと いう時のアンサンブルの表出力がのきなみ素晴らしい。

・アツモン/ウィーン響による交響曲第3番「ポーランド」:
世界初CD化となる演奏で、ウィーン響のアンサンブルの美彩が巧みに活かされた美演だ。 第1楽章第2テーマ(5:23)でのオーボエの音色の陶酔的な色合いを始め、全体的に木管パートの 音色がすこぶる鮮やかにして美しい。アツモンの指揮も、運動的で切れのあるアンサンブル展開の 爽快感が素晴らしく、ハーモニーが総じてシャープでキリッとしていて、その上にウィーン響の 味の濃い音色が華やかな彩りを添えている。

・ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウによる交響曲第4番:
これも非常な名演。ハイティンクらしい小細工のない正攻法スタイルに依りながら、アンサンブル各部の 合奏の集中力がすこぶる高く、音色の張りが非常に充実している。おそらくコンセルトヘボウ管の ベスト・モードに近いアンサンブル展開のように感じる。全体にずしりとしたボリューム感も豊かで、 それでいて不思議に響きの見晴らしがよく、かつ音色の味も濃い。ハイティンクのアンサンブル統制力の 良さが最良の形で表れている演奏だと思う。

・サヴァリッシュ/アムステルダム・コンセルトヘボウによる交響曲第5番:
アツモン/ウィーン響の第3シンフォニーと同じく世界初CD化。サヴァリッシュの キャリア初期の頃の録音ながら、全体的にアンサンブルの充実感が素晴らしい。 同じコンセルトヘボウに依ったハイティンク指揮による上掲の4番での充実感も素晴らしかったが、 このサヴァリッシュのそれもほとんど甲乙付け難いほどいい。しかも、客観志向の強い ハイティンク盤に対して、このサヴァリッシュ盤は意外にも?、かなりドラマティック・スタイルだ。 テンポの緩急のメリハリが強く、喜怒哀楽に則した表情の張りがかなり強く感じられる。 逆にハーモニクスのパースペクティブはハイティンクの演奏よりやや遜色的だ。このあたりは 片や手兵、片や客演指揮ゆえの完成度面での開きに加えて音質の古さも影響している感じがする。 それでも感動の度合いは互角。つまり条件さえ同等ならおそらくサヴァリッシュの方が上だと思う。

・ドラティ/ロンドン交響楽団による交響曲第6番「悲愴」:
純粋な音響的壮絶度という観点での全7演中ベスト。この中では最も古い60年録音で、 かつ残響の抑制された録られ方がされているせいもあると思うが、ソノリティの硬質感が 高く、響きの耳当たりがすこぶる厳しく、非常にシリアスだ。このソノリティの厳しさは ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルのそれに近い感じさえする。造形的には ムラヴィンスキーよりもずっとロマンティック・スタイルで、起伏感が激しいが、 それによる情動性よりもむしろ、アンサンブルの放つハードでソリッドな響きの 感触が強烈なインパクトを叩きつけている。

・アーロノヴィチ/ロンドン響によるマンフレッド交響曲:
名演だとは思うものの、他の6演が凄すぎるからか、この全集中では最も印象が弱い感じがする。 同じロンドン響でも、ドラティの「悲愴」と比べると強度感や濃度感に明らかに遜色を感じるし、 ユーリ・アーロノヴィチの指揮も概ね規範的で誠実で、その意味で同郷の作曲家への敬意は良く 伝わってくるが、それだけに規範的な線からの踏み出しが甘く、特に第1楽章コーダや 第4楽章全般においての破滅的な色合いがいまひとつ伸び切らないように思う。

モーツァルト 交響曲第29番&R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」
 ベーム/ウィーン・フィル
 TDKコア 1977年ライブ TDK-OC006

FM東京による放送録音を音源とするTDKオリジナルコンサート・シリーズに含まれているディスク。77年の カール・ベームとウィーン・フィルのコンビの2度目の来日公演時におけるコンサートのライブ、およびプローべ 風景(ブラームスの2番)が収録されているが、そのコンサートの演奏内容が2曲ともに絶品だ。

モーツァルトの29番はまるで鈍行列車のようなゆっくりとしたテンポから繰り出されるウィーン・フィルの馥郁たる 音響美が抜群だ。まるで50年代の同フィルを思わせる、高雅な音色の芳しさが何ともいえない。対して「ドン・ファン」は ウィーン・フィルのまさにベスト・コンディションともいうべきアンサンブル展開の充実感に圧倒される。 金管パートは軒並み絶好調だし、強奏時の濃密な音響のリアリティが圧倒的に際立っている。

ビゼー 交響曲第1番ハ長調、組曲「子供の遊び」
 ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 フィリップス 1977年 PHCP-24018

ハイティンクの指揮は全編にわたり実直な演奏展開という点で一貫し、運用面での際立った個性感のようなものは 希薄ながらも、オーケストラのハイ・ポテンシャルなアンサンブルが繰り出す音響的愉悦味が、優秀な音質を背景に良く 引き立っていて、ビゼーの音楽自体のみずみずしい感興がかなりの感度で描かれた演奏と感じる。

交響曲は第1楽章 冒頭から全体的にアンサンブルの弦高域パートの響きに躍動的なヴァイタリティと音彩的充実味が強く、管パートの 表情の抑制を補って演奏全体を潤している。第2楽章は素晴らしい。全編が上質な音楽美に包まれ、音楽そのもの の楽しさ、美しさが聴いていて率直に伝わってくるようだ。規範的ながらも、すべてのバランスが最良に練られて いると思う。第3楽章は、響きの強度的充実という点では、全楽章中ベストで、立派だが、少し音楽が重々しい感じ もある。終楽章は第1楽章と同じような感じで、快演だ。

「子供の遊び」もやはり全方位的に几帳面な演奏ながらも アンサンブルの音色の質が秀逸で、4曲目の二重奏の、部厚い弦の品の良いレガートが織り成すエレガンスがいい。

ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」「ペトルーシュカ」
 C.デイヴィス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 フィリップス 1976年(春の祭典)、77年(ペトルーシュカ) PHCP-9606

2曲とも名演で、特に「春の祭典」が素晴らしい。コリン・デイヴィスのスコアに対する怜悧な視線、そして 自分の意のままの表現をオケから自在に引き出す統制力に対し、コンセルトヘボウ管がベスト・パフォーマンスで 応答し切っていて、音質も下手なデジタル録音よりも遙かによく、臨場感が抜群で、演奏自体の醍醐味がジリジリ 伝わってくる。

第1部の序奏を抜けた「春のきざし」を告げる(3:26)からのアルコの弦によるfのスタカートの重厚な迫力、(4:49)での ティンパニ強打の震撼など、全体的にオーソドックスな表現ながらもオーケストラ・ドライブの切れ味や充実感が 並みでなく、惹き込まれてしまう。「春のロンド」冒頭の(8:15)からのクラリネットによるロンド主題なども、 スマートに流さず、スコアの通りに吹かして、メロディのたどたどしい感じを良く出していて、これでこそ という感じがするし、後半から終盤までのクライマックスの迫力もハンパでなく、(10:37)での最強撃のすさまじさなど、 特筆ものだ。

第2部においても、いけにえの乙女を表す(5:05)からのフルート・ソロが暗く沈んだ雰囲気を出していて独特な 感じがしたり、「選ばれし乙女への賛美」が始まる(7:49)から打楽器群がfで刻む強打音の、地を揺るがすかのような ヘビーなアタックなども、聴いていて惚れぼれしてしまう。全体を通して、これだけパートの隅々まで克明に描写しながら、 よくこれほどの迫力が出せるものだと感嘆させられる場面が多い。そのあたりの、ディテールに対する緻密さとダイナミックな迫力との絶妙な均衡が素晴らしく、およそ喧噪という印象なくして迫力的に振り切れた感じがする点が凄いと思う。

ベルリオーズ 幻想交響曲
 バーンスタイン/フランス国立管弦楽団
 EMIクラシックス 1976年 TOCE-13487

第1楽章は全体的にテンポの振幅を大きく取り、音楽の感情的なうねりを明示感をもって描き出すという風で、 バーンスタインの表現の方向性はかなりはっきりしているし、何ら迷いもなく、自信に満ちたタクト捌きだ。

しかし残念なのは、その表情付けにオーケストラが完全に対応し切れていない点。例えばコーダで、ものすごい アッチェレランドなのだが、アンサンブルはそれについていくのに精一杯で、刻みが甘く、完全に響きが上滑っている。

第2・第3楽章も、バーンスタインの体臭の強い表現と、オーケストラのアンサンブルの、ことにソフトな音色の 持ち味との方向性がずれていて、焦点の合わないようなもどかしさがある。例えば第2楽章(3:43)あたり、 ハーモニーの濃密ぶりが際立つが、ここにフランス国立管の音色の持ち味が、果たしてどれほど発揮されているの だろうか。

第4・第5楽章も同様で、確かに表面的な迫力はものすごいものがあるが、それが根源的な迫力に 昇華するのを、アンサンブルの音色のソフト感が阻害してしまうという感じがする。

ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」
 バーンスタイン/フランス国立管弦楽団、ドナルド・マッキネス(va)
 EMIクラシックス 1976年 TOCE-13488

第1楽章冒頭の序はちょっと響きが雑然としている。アンサンブルは太めのタッチで織り込まれ、濃厚だし、(2:16)の 強奏などかなり強烈だが、響きがこなれ切れず、大味なのが気になる。(3:18)からのヴィオラ・ソロは すごいスロー・テンポの歌い出し。主題を徹底的に歌い抜くという構え。主部以降はフォルテの沸き立つような 色合いが素晴らしく、多少響きがグシャッとした感じもあるものの、とにかくエネルギッシュ。(11:57)あたりの、 ものすごい爆発力! コーダのアッチェレランドも凄まじい限りだ。

第2楽章も味の濃い演奏だが、その割りに フランス的な音色の個性はそれほど感じない。音質のせいだろうか。第3楽章も、管パートのフレーズがやや もっさりしていたり、音色の冴えという点ではいまひとつ。しかしヴィオラ・ソロは一貫的にいい音を出している。

終楽章はバーンスタインらしい緩急落差の大きなドラマティックな音楽の流れ。(5:01)の死ぬほどの一撃などすごいが、 惜しむらくは響きの混濁感。再現部突入時など特にそうで、アクセルを踏み過ぎて響きが飽和しているような感じと いうべきか。

ブラームス 交響曲第1番、大学祝典序曲
 ヨッフム/ロンドン・フィル
 EMIクラシックス 1976年 TOCE-13481

交響曲第1番の第1楽章冒頭からアンサンブルの充実感がめざましく、主部以降も響きの凝縮力と密度感が超一級。ことに 凄いのはヴァイオリン・パートの張りだろうか。すごい鳴動力だ。展開部のクライマックスなど、壮絶! その少し前(12:00)あたりに聴かれる、バスのギィーというような響きのリアルな感触などもちょっと忘れ難い。

中間2楽章も名演で、ことに第2楽章など、木管ソロの音色の冴え、バスのコク、アンサンブルの味の濃さ、 いずれも、こう言ってはなんだが、本当にロンドン・フィル?というくらいにいい。

終楽章も圧倒的だ。ヨッフムの流儀ともいうべき、不意打ち的なアッチェレランドを効果的に配しての 峻厳な表現であり、ティンパニの打音が意外に立たないのが惜しいものの、ここぞという時の高音のパワフルな 張りは素晴らしいし、どんなにテンポが速まっても、決してハーモニーが薄く流れないヨッフムの強力な オーケストラ統制力にも実直に感嘆させられる。

ブラームス 交響曲第2番、交響曲第3番
 ヨッフム/ロンドン・フィル
 EMIクラシックス 1976年 TOCE-13482

ヨッフムとロンドン・フィルのブラームス交響曲全集は、1番と4番がものすごい名演なのに、この2番と3番は、 不思議なことに、その1番・4番と比べて演奏がかなり落ちる感じがする。濃密感は平均以上だし、決して退屈な 演奏ではないのだが、1番・4番から続けて聴くと明らかに聴き劣る。

響きの凝縮感、密度、量感など、1番・4番 での破格の充実ぶりからすると、かなり物足りない印象が否めない。ヴァイオリンの張りも、1番の時より、全般に 弱い。全体的にアンサンブルの彫りが浅い感じがあり、ことに強奏時のえぐりが甘い。

ヨッフムの思い入れの差か、 そうでなければ、音質の違いが原因だろうか。1番・4番ほど、くっきりと録られていない感じがするので、 音質に原因があるような気がするが、、、

ブラームス 交響曲第4番、悲劇的序曲
 ヨッフム/ロンドン・フィル
 EMIクラシックス 1976年 TOCE-13483

交響曲第4番の第1楽章冒頭からフレージングの呼吸の深さが素晴らしい。楽章を通じてテンポは 柔軟に伸縮し、それは音楽の情感に完璧にマッチし、絶妙だ。そして何より、アンサンブルの音響展開の 充実感!わけても弦パートは最高で、第1テーマのヴァイオリン、第2テーマのチェロなど、いずれも 実に深みのある音色だし、展開部からコーダにおいても、ここぞという時に必ず有機的な響きが充溢し、 本当に惹き込まれてしまう。

中間の2楽章も同様だが、それにしても、この4番の水準に比べて、同じ全集の2番と3番の演奏が冴えない のが不思議だ。響きの色合いの強さが明らかに違う。1番の演奏はこの4番なみで、どうも2番と3番は 音質に問題があるような気がする。

終楽章も前半から表出力のある高弦と、痛切な音色の管パートとの折り重なりが生み出す情感のたぎりが素晴らしいし、 変奏部後半においても、(7:01)からのクライマックスでティンパニがちょっと弱いのが唯一気になるくらいで、 全強奏の迫力は特筆的だ。序曲も名演で、迫力的にはシンフォニーよりさらに上かもしれない。

バルトーク ピアノ協奏曲全集
 ロジェ(pf) ヴェラー/ロンドン交響楽団
 デッカ 1974・75・76年 POCL-3656/7

最初は「ピアノと管弦楽のためのラプソディ」だが、冒頭のピアノ導入となるffの重和音進行から、まばゆいばかり に燦然と輝くピアノ・フレーズの光彩。以降も全編に軽妙にして粒立ち抜群のタッチが冴え渡り、華麗な弾き回し といい、まさにラプソディックな色合いに相応しい演奏だ。

しかし、協奏曲第1番の方に演奏が移っても、やはり 表現のやり方が同様なのは、ちょっと問題だと感じる。第1楽章の(0:56)からの第1テーマの弾き出しは、いかにも 非打楽器的だし、(2:16)からの第2テーマも、最初のmfといい、その9小節後のfといい、バルトークのフォルテ 領域に要求される荒々しいインパクトが弱い。以降も、ピアニズムとしての運動性、技巧、音色の洗練は抜群ながら、 いかんせん迫力不足で、バルトーク演奏として少なからぬ物足りなさを感じてしまう。第2楽章も、きめ細かい デュナーミクの統制とクリアーな音色による精緻な響きの練り上げが秀逸ながら、タッチの質感的訴求力の弱さが、 随所で音楽の深みを削いでいる気がしてならない。終楽章も「ピアノは打楽器ではなく、あくまでピアノ」という 構えが明白で、あくまで知的にして純音楽的なアプローチで聞かせようとしている。

この傾向は続く協奏曲第2番では さらに裏目に感じられる。すなわち、第1楽章冒頭のソロのフォルテ開始から品が良すぎるフレージングで、全体に ピアノの打音の張りよりも、響きの表面の艶が主役になってしまっている点が問題だ。楽章を通して、華やかで、 明朗調なのだが、ここには精神の屈折のような色合いの表出が希薄であり、それが聴いていて物足りない。逆に 第2楽章は、離散的なフレーズに対するタッチの含蓄、中間プレスト展開での怜悧なフレーズの走りなど、ロジェの フランス音楽に対する高度な適性がおおむねプラスに作用して、かなり奥行きの深い演奏という感じがする。しかし 終楽章は第1楽章同様、オケの高カロリーな響きに拮抗しないソロの低カロリーさが歯がゆい。

協奏曲第3番は 全3曲中のベストだ。第2番の第2楽章のような透徹感の豊かなピアノのソノリティの拡がりが音楽的な深みを 導いていると思う。第2楽章(5:08)あたりの、澄み切った高音の飛躍! 最後にヴェラー・ロンドン響の演奏に 言及すると、全曲ともムラ無く高水準。ティンパニの迫力は凄いし、管の強音は押しが強く、トッティの鮮烈感も 素晴らしい。

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」&ワーグナー 「マイスタージンガー」前奏曲
 朝比奈隆/大阪フィル
 グリーンドア 1975年ライブ GDOP-2001

朝比奈と大阪フィルの1975年ヨーロッパ・ツアーのライブ録音。ワーグナーはスイス、ベートーヴェンはベルリンで演奏されており、時期的には聖フローリアンで行われた例のブルックナー7番のライブと前後している。朝比奈の死後の2002年に初CD化された。

朝比奈の18番ともいうべき「エロイカ」がやはり素晴らしい。本場ヨーロッパに乗り込みながらもその演奏は全く朝比奈流の様式であり、その徹底ぶりに驚かされる。第1楽章冒頭から弦の厚味とバスの豊かな支えに立脚した風格に満ちたメインテーマが描き出され、遅めのテンポを持続させつつ、弦パート上位的なアンサンブルの魅力が充溢する。提示部の反復が無いのはちょっとびっくりしたが、展開部においては(6:10)前後でのものすごいテンポダウンが強烈。テンポが減速するにつれて響きの凝縮力が跳ね上がるのは朝比奈演奏の大きな特徴ともいえるが、これはその例証だ。再現部からコーダの大河的な音楽の流れ。第2楽章もいい。(6:20)あたりのフォルテッシモなどを聴くと、演奏を無難に、小さくまとめよう、という気がまるで無いのが良く伝わってくる。ただ、後半のフーガはいまひとつ押しが弱い。さすがにちょっと力み過ぎで、ソノリティの厚味が削がれているのが残念。後半の2楽章も名演だが、難を言うなら管パートの技巧面か。当時の水準からするとやむなしという気もするが、90年代以降の大フィルの技術レベルの向上がめざましいだけに、逆に気になってしまう。

ブラームス 交響曲全集、ハイドン主題変奏曲
 ケンペ/ミュンヘン・フィル
 スクリベンダム 1974・75年 SC002

名匠ルドルフ・ケンペがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して録音したブラームス交響曲全集 で、2001年にスクリベンダム・レーベルより廉価で再発されたもの。

同じ顔合わせでのベートーヴェン交響曲全集も、2000年に オランダのディスキー・レーベルから再発 されたが、そのベートーヴェン全集よりもこちらのブラームスの方が、音質の良さもあり、全体にひとまわり 演奏が冴えていて、このコンビの良さが仮借なく発揮されているように思う。

全4曲とも、造型的には客観風のインテンポ・スタイルでもなければ、主観風のロマンティック・スタイルでもなく、 まさに「ケンペ風」。それはベートーヴェンでも同じだったが、その音楽の形成するフォルム自体がブラームスに実に 良く調和していて驚かされる。ひとつひとつのフレージングの呼吸感が絶妙だ。

ここでのミュンヘン・フィルの響きには、良く引き締った、いぶし銀のような渋い光沢があり、 ドイツのオーケストラの質実剛健なハーモニーの醍醐味を満喫させてくれる。難を言うなら、 ここぞという時のフォルテッシモに、いまひとつの威圧感があればさぞかしと思うが(ティンパニが総じて おとなしすぎる)、弦を中核とするアンサンブルの音勢、内燃的な迫力などは素晴らしい。 特に交響曲第2番は4曲の中でもベストというべき名演だ。全体にオーケストラの鳴りが良く、 第1楽章(8:13)からの金管の味の濃い最強奏など、他の演奏では容易に耳に出来ないものだし、 ケンペ流の造型といいオーケストラの色調といい、聴いていて気持がいいほどに曲調にフィットしている。

エルガー エニグマ変奏曲、交響的習作「フォールスタッフ」
 ショルティ/シカゴ交響楽団(エニグマ)、ロンドン・フィル(フォールスタッフ)
 デッカ 1974年(エニグマ)、79年(フォールスタッフ) F25L-20574

シカゴ響によるエルガーのエニグマ変奏曲の録音というのは、イギリスの楽壇に縁の深いショルティの レパートリーゆえかと思いきや、本CDのライナーノートによると実はシカゴ響の伝統なのだそうで、 初代音楽監督のセオドア・トーマス以来エニグマ変奏曲はシカゴ響としての重要なレパートリーであるとのこと。

それにしても、このエニグマ変奏曲の演奏は素晴らしい。高性能オーケストラのポテンシャルが気持の良いほど発揮 された演奏というべきで、聴いていて爽快な気分に浸ることができるし、このエルガーの代表作が、シカゴ響の ようなハイ・ポテンシャルのアンサンブルで聴いてこそ映える面が、いかに多いかという点にも驚かされる。 デッカ特有の分離の良い音質の利もあり、この長大な変奏曲が、まるでオケの楽器一つ一つのソロの集積体として 聴こえてくるような印象さえ受けるし、強奏時のド迫力も素晴らしく、何より音響が立体的に響いていて惚れぼれする上、 ブラスセクションの胸のすくような鳴りっぷり! さすがにシカゴ響という感じの演奏だ。

交響的習作「フォールスタッフ」はシェイクスピアの作品に出てくるファルスタッフを題材とした音楽だが、 このエルガーの曲ではヴェルディの「ファルスタッフ」とは正反対のバッドエンドが印象的だ。 ファルスタッフが親友ヘンリー5世の背信により投獄され非業の死を遂げる終曲が物悲しい。

マーラー 交響曲第1番「巨人」
 メータ/イスラエル・フィル
 デッカ 1974年 230E-51083

第1楽章序盤から中盤にかけてはかなり規範的な進め方で、特に個性を出すという様子ではないものの、堅実な 音楽の運びから木管の各音色に極力うるおいをもたせて、この場面のメルヘンティズムが音楽的に巧く描き出され ている。しかし提示部ラストの盛り上がりは、テンポの速さのためアンサンブルの刻みが甘く、上滑り気味だ。 逆に展開部から再現部のクライマックスは、ハイテンポに対してアンサンブルがきっちり響きを刻み込み、管の 威勢の良い音色に弦のシャキシャキしたフレージングの流れが交差し、充実した高揚感を導出させている。

中間2楽章は全体に物足りない。ちょっとオーソドックスに過ぎると感じる。終楽章も、残念ながらあまり良くない。 ffでの高弦の鳴りっぷりはかなり良いものの、第1楽章の前半と同じように、テンポの速さが裏目に出て演奏展開が 大味というか上滑っているように思う。特にトランペット、トロンボーンなどがいまいちで、突き抜けるべき ファンファーレが突き抜けきらない。(2:16)あたりの強フレーズなどいかにも軽くて、もう少し強烈感が欲しい。 バスもあまり効いておらず、速めのテンポとあいまって、全体に腰の軽い演奏という感じがしてしまう。

ブラームス ヴァイオリン協奏曲
 ミルシテイン(vn) ヨッフム/ウィーン・フィル
 グラモフォン 1974年 GCP-1023

このブラームスの演奏は、疑いなく名演だ。第1楽章の、最初の主題強奏での、オーケストラの響きの張りが 素晴らしい!なんという壮観さ。ヨッフムとウィーン・フィルという組み合わせは珍しいと思うが、とにかく この演奏では指揮もオケも絶好調で、アンサンブルの鳴り具合が並でなく、実にスケール豊かだ。それに音色も みずみずしく、(10:58)あたりでのオケの響きなど、なんと有機的な! 

ミルシテインのソロは、響きの引き締まった 旋律展開をベースとした雄弁なフレージングと非虚飾的な音色の美しさが実にいい。(8:30)あたりからの強奏に 聴く響きの訴求力など、さすがだ。自作のカデンツァでは急迫的なフレーズ展開が多用され、ドラマティックな 楽想がさらに盛り上げられる。

第2楽章は、オーボエを中核とするウィーン・フィルの響きが夢のような美しさだ。 ミルシテインのソロもオケの響きに良く溶け込んで、美的調和に拍車をかけている。終楽章も、なんとも 美しい。表面的に美しいのではなく、音楽的に美しいというか、格調に根ざした美しさというか、そんな感じだ。

ブルックナー  交響曲第5番
 ロジェストヴェンスキー/ソヴィエト国立文化省交響楽団
 イコン 1974年 ICN9430-2

ロジェストヴェンスキーの変則的な演奏解釈と、オーケストラの奏でるロシア風アンサンブルの音響構成との 組み合わせによる、実に異色がかったブルックナーだ。

第1楽章は基調テンポこそオーソドックスだが、局所的な緩急の振幅は大きめに取られ、まず何といっても導入部最初のフォルテから、思いっきりド派手な金管群の音響的突き上げが耳に鋭く突き刺さる。

トッティのみならず、例えば第40小節前後のホルンとトランペットのソロですら、圧倒的なまでのバランスで鳴り響いて いてビックリしてしまう。以降も、第3主題部の金管群フォルテッシモで大きくリタルダンドをかけて音符上のアクセントを強調する解釈とか、あるいは 小結尾部練習番号Iからのトレモロにおける大胆なまでのデュナーミク変化など、いずれも他の演奏ではちょっと 聴けないくらいにアクが強い。

展開部においても、練習番号K以降のフォルテ主体場面の金管セクションの音響バランスが圧倒的だったり、 練習番号Nからのfff場面においても、メインの6度下降動機よりもホルン2管とトランペット3管によるリズム動機の方が 明らかに支配的なバランスとなっているなど、とにかく聴いていて異色という他ない。

そういう新鮮な響きが耳に出来るのは良いとしても、反面あまりにも強大なブラス群の音響性が、他のパートの音色的・旋律的な機微をことごとく叩き潰してしまっているのは、大きく評価を分けるところだと思う。

第2楽章は、冒頭オーボエの深く沈鬱的なロシア風音色に始まり、練習番号Aのあたりなど時々唐突的にハーモニーの 音彩が、ものすごく濃色的になる場面があったりして、独特のメランコリズムがあるが、しかし全体的に大味に流れるキメの荒い 対位構築が気になるところで、最後の第5部なども、金管の威力が立ち過ぎて本来のポリフォニーの深みには甚だ遠いように思う。

続く第3楽章がまた異様な内容で、なにしろ総演奏時間で16分を超えるという、恐るべきスロー基調を主体とする、 極めてエキセントリックな趣きのスケルツォとなっている。

かと思うと終楽章では、提示部のフーガを始めとして速めのリズムで軽やかに流しまくる場面が多く、 はっきりいってこれほど様式的統一性に欠ける、やりたい放題の演奏というのも珍しいもので、特に最後の コーダなど、拍子の取り方といい音響バランスといい、やりたい放題の極みといった感がある。

ちなみに基調スコアはハース原典版に基づいているようだが、随所に改訂版からの表現だかロジェヴェンの恣意的な アレンジだか良く分らない細部の改編が施されており、とにかく色々な意味で異端的なブルックナー演奏であるので、 聴いていて確かにスリリングで面白いが、面白いという以上の感銘はとなると、どうもイマイチなのが残念なところで、 ある意味マニア向けの演奏と言えるのではないか。

ショスタコーヴィチ 交響曲第15番&ボリス・チャイコフスキー 主題と8つの変奏
 コンドラシン/ドレスデン・シュターツカペレ
 Profil 1974年ライブ PH06065

2007年に初リリースされた、コンドラシンがドレスデン・シュターツカペレに客演したコンサートのライブで、1974年1月23日ドレスデン文化宮殿での演奏会とされる。カップリングはショスタコーヴィチの愛弟子とされるボリス・チャイコフスキーが同オーケストラ創立425周年(!)のために作曲・献呈した「主題と8つの変奏」の世界初演時のライヴ。これは聞くのは初めてで、(5:55)あたりのくだりなど、いかにもショスタコーヴィチの音楽の影響を感じさせる。

メインのショスタコだが、第1楽章はテンポがかなり速い。楽章タイムはジャスト7分で、冒頭のフルートのpのソロから駆け足的な流れに乗った疾走感が印象的であり、一貫的なハイ・テンポが独特の緊張感を醸している。速さの割りにアンサンブルもピリッとしているし、色合いも申し分ないが、ウィリアム・テルの例の金管モチーフはスコアのpからするとppくらいに抑えている感じがする。もう少し強くてもと思うが、何か考えがあるのだろうか。

逆に第2楽章は遅めのペースを基本に、何かが遠くからじわじわと迫るような静かな緊迫が良く描かれていて、それが(8:56)からの最強奏に到達した時の恐怖的な音彩も素晴らしい。第3楽章はクラリネット・ソロとヴァイオリン・ソロが時々ふらつく。色彩的にもヴァイオリン・ソロがいまひとつ振るわず、作品のアイロニーの表出が完全でない気がする。ラスト5小節の打楽器群の競演部も音量が弱すぎてもやっとした感じなのも残念。終楽章は(5:00)からのパッサカリア進行以後にかなりの充実感がある。弱奏展開においてはアンサンブルの音量を絞った緻密なハーモニクスの練り上げを供出し、最強奏においてもその緻密ぶりを持続しながら驚異的な高揚力を表出せしめており、ショスタコーヴィチ指揮者としてのコンドラシンの面目躍如という感じがする。

ショスタコーヴィチ 交響曲全集
 コンドラシン/モスクワ・フィル
 ヴェネツィア 1962〜74年 CDVE04241

いわずと知れた、ショスタコ交響曲全集の録音史上の金字塔だが、これは2006年にロシアのヴェネツィア・レーベル から再発されたCD12枚組の激安ボックスセットで、本来のメロディア原盤による交響曲全曲録音の他に、 オスタンキノ放送原盤による交響曲第13番「バビ・ヤール」の世界初演2日後のライヴ録音と、 コーガンのソロによるヴァイオリン協奏曲第1番と、オイストラフのソロによるヴァイオリン協奏曲第2番が 収録されている。

この交響曲全集はこれまでBMGレーベルのディスクをバラ買いしていて、とりあえず主要曲目は既に入手済み だったが、このヴェネツィアのボックス盤は値段が激安だったこともあり、軽い気持ちで買い直してみた。 そうして聴いてみたところ、このヴェネツィア盤のあまりの音質の良さに仰天させられてしまった。

その音質を同一演奏のBMGレーベルの音質と比べてみると、あまりの違いに愕然とさせられる。はっきり言って、 同一の演奏とは思えないほど違っている。

この点、かつて1962年録音の交響曲第4番 のBMG輸入盤(743211198402)に関して、それを聴いた感想記として 「録音年の古さ以上に、ダイナミック・レンジがやや抑制された感じの録られ方であり、最強奏でのソノリティの分離感がいまいちで、場面によってはアンサンブルがダンゴ的に聞こえてしまい、ショスタコーヴィチの精緻なオーケストレーションの醍醐味の伝達が十全ではないように感じる」と書いたことがあった。しかし、同じ演奏なのに、今回のヴェネツィア盤を 聴いて、上のような印象はほとんど受けない。つまり、音質がまるで別物なのだ。

その交響曲第4番は、このヴェネツィア盤では冒頭のフォルテからBMG輸入盤でのモコモコしたソノリティがウソの ような鮮烈きわまりないダイナミクスが炸裂し、素晴らしい迫力だ。その演奏内容は熾烈を極め、(4:15)あたりの管の 絶叫の断末魔的なすごみ、(7:09)からの全強奏での、世界が崩れさるようなインパクト、(14:25)からのフガートでの、 発狂的ともいうべき壮絶度など、いずれもなんという凄さであろうか。その音響的強度もさることながら、 もの凄い高速テンポなのにオーケストラが鉄壁の合奏力を崩さない点に関しても、途方もないものがある。 第2楽章と終楽章も同様で、ティンパニの激烈さひとつとっても、BMG輸入盤でのボワンとした鳴りとは 段違いだ。まさに歴史的名演で、その事実をこのヴェネツィア盤の音質のおかげでまざまざと認識させられた。

このロシアのヴェネツィア・レーベルは、メロディア原盤の再リリースにおける音質面のクオリティに定評のある レーベルらしく、マスターテープに対して不必要なリマスタリングをひかえ、原盤に忠実な音質再現を旨と しているとのこと。それにしても、BMGレーベルのメロディア原盤に対するリマスタリングの悪評はこれまでも ちらほら耳にしてはいたが、まさかこれほど酷いとは思わなかった。

いずれにしてもこのヴェネツィア盤は超掘り出しものだった。他の11枚もひと通り聴いてみたが、おおむね 音質が圧倒的に良く、少なくともBMG盤とは比較にならない。

今回あらためてこのコンドラシンの全集録音を聴き直してみて、その名演ぶりを再確認させられた。音質が いいので、演奏の凄味がダイレクトに伝わってくる。なかでも4番と10番と13番の3曲の演奏は超絶的名演 だと感じた。ただし、その13番は1967年録音の「改訂版」の方。これは当時の旧ソ連当局の圧力に 屈して「バビ・ヤール」の歌詞の一部が改変された版なのだが、そんなことに関係なく演奏の緊迫度が 尋常でない。聴いていて空恐ろしくなるくらいだ。

同じ交響曲第13番「バビ・ヤール」でも、オスタンキノ放送原盤による1962年の世界初演2日後のライヴ録音の 方は、表出力が67年録音のものよりひとまわり落ちる(ただしこちらはオリジナル版だが)。バスのヴィターリ・グロマトスキーも67年録音での アルトゥール・エイゼンに比べると全体に表情が弱いし声質的にも重み不足だ。

2曲のヴァイオリン協奏曲に関しては、コーガンのソロによる協奏曲第1番が超絶的名演だと思う。 この曲の録音としては、オイストラフがムラヴィンスキー/レニングラード・フィルと録音した演奏も 凄いが、音質まで含めると、このコーガン&コンドラシン/モスクワ・フィル盤がおそらく 事実上のベストディスクではないか。協奏曲第2番はオイストラフのソロで、こちらも名演だが、 録音時期がオイストラフの全盛期を過ぎているためか、1番でのコーガンのソロのインパクトと 比べると少し弱い。

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
 朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団
 学研カペレ 1973年 GD174914

朝比奈隆の指揮によるベートーヴェン交響曲第3番「英雄」には、2008年現においてで計11種類もの録音がリリースされているが、この1973年録音のエロイカは、朝比奈の第1回ベートーヴェン交響曲全集の中の録音であり、これ以後、朝比奈は2001年に亡くなるまでに実に計7回のベートーヴェン交響曲全集の録音という、前人未到の業績を成し遂げている。

第1楽章は反復が省略されている上にテンポも朝比奈にしては速め。第2楽章も総タイム16分半と、後年の録音からすると速足。それでも(8:42)あたりの、クレッシェンドのド迫力など凄まじい限りであり、並の演奏とは一線を画した凄味がみなぎる。

しかし全体に、この73年録音のエロイカは彼の後年の一連の「英雄」の中では訴求力が比較的おとなしい感が否めない。朝比奈にとって同曲の初めてのレコーディングということで、堅さがあったのだろうか、後年の朝比奈の「英雄」各録音と比べると、全体に彼の個性感の発露の度合が比較的弱い。大フィルのアンサンブルもスタジオ録りにしては全体にフレージングがぎこちなく、呼吸も浅く、ここぞいう時のティンパニも弱く、どうも聴いていて思い切りが悪いというのか、オケの動きがガチガチという感じで、少なくとも後年の同フィルに聴かれる伸び伸びとした解放感は希薄と言わざるを得ない。ただ、それはあくまで後年の朝比奈のエロイカの演奏水準と引き比べての印象であり、少なくとも平凡な演奏には程遠い。

なお彼の計11種類に及ぶベートーヴェンのエロイカの録音の中で、純粋なスタジオ録音は唯一この73年録音盤のみ。

ベートーヴェン 交響曲全集
 ケンペ/ミュンヘン・フィル
 Disky 1971〜73年 DB70708

ドイツの名指揮者ルドルフ・ケンペがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮しEMIに録音した ベートーヴェン交響曲全集で、2000年にオランダのディスキー・レーベルより廉価で再発されたもの。 9曲の交響曲のほかには3つの序曲(プロメテウスの創造物、エグモント 、レオノーレ第3番)が 収録されている。

ケンペ/ミュンヘン・フィルのベートーヴェンということで期待して聴いたが、これはいささか期待はずれだった。 凡庸な演奏ではないものの、決め手に欠けるというのか、聴いていて引っ掛かりに乏しい印象が否めない。

まず音質がいまいちで、確かに再リマスターの音質水準は良好であり、リアルな音響的感触だが、 収録ホールのプレゼンスにネックがあるのか、音響が緊縮的で、空間的な広がりと奥行きに物足りなさがあるのが惜しい。

ミュンヘン・フィルのアンサンブル展開は、弦パートを中心に充実感が強い。バスを強く響かせる典型的なドイツ風の バランスだ。これを土台にケンペが展開する演奏は、全曲ともに正調のベートーヴェンで、造型的にはとにかく オーソドックスの極み。客観風のインテンポ・スタイルでもなければ、主観風のロマンティック・スタイルでもなく、 とにかくオーソドックスとしか言いようがない。

このあたりが物足りなさのひとつの要因で、要するに予定調和というのか、規範的すぎて聴いていて新味に乏しい。 こなれたオーケストラ・ドライヴにおいても、こなれ過ぎて緊張感がいまひとつだし、局面によっては バスが強すぎてリズム感がもっさりした感じに聴こえる。金管も強奏時においてさえ音色が丸っこく、音量に見合う 響きの強さを提示しないし、ティンパニもここぞという時に申しわけ程度にしか鳴らされないので、迫力が伸びない。

確かに安心して聴いていられる反面、ベートーヴェンとしては穏健に過ぎるように思う。

ただ、「第9」の第1楽章のコーダ第538小節で、 連符を断ち切ってまで途中にパウゼを挿入している点は新鮮に感じた。こういうやり方は普通しないと思うが、 このパウゼが直後の第1テーマ最強奏の劇感を効果的に高めていてハッとさせられた。こういう踏み外しが他でも積極的に 取り入れられていたなら、もっと印象が違っていたような気がする。

ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番、スコットランド幻想曲
 チョン・キョンファ(vn) ケンペ/ロイヤル・フィル
 デッカ 1972年 448597-2

ヴァイオリン協奏曲の方はキョンファの2種の録音のひとつで、デビュー間もない24歳時の録音。後の再録音の演奏と比べてもヴァイオリンの音色の開放的な訴求力が並々ならない。

第1楽章冒頭のソロの出からして強音の濃度といい弱音のヴィブラートの訴えかけの強さといい、すごいし、(1:27)からの第1テーマに到ってはパッションの表出感が素晴らしい。同テーマで2オクターブ半を一気に駆け上がるところなど、魅力たっぷりだ。展開部からカデンツァにかけてのソロの充実感もいいが、ケンペの指揮も充実的であり、ことに(5:26)以降の全奏部の響きなど、惚れ惚れするほどいい。第2楽章も美演だが、白眉は終楽章で、冒頭の第1テーマに対するヴァイオリン・ソロの、強和音の刻みつけの度合いが際立っている。テンポ・スピードはやや犠牲になっているが、一音一音に対するボウイングの張りと、その音色のコクに魅了されてしまう。スコットランド幻想曲の方も同様の流儀による名演だ。

ブルックナー 交響曲第8番
 ヴァント/ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
 スクリベンダム 1971年ライブ SC007

ギュンター・ヴァントのケルン市音楽総監督就任25周年記念演奏会のライブ録音とされている。

使用版はもちろんハース版だが、印象的なのは基調テンポの速さ。ヴァント指揮によるブル8のディスクは、2008年現在で正規盤がこのディスクを含め6種類リリースされており、他にバイエルン放送響やベルリン・フィルとのプライベート盤もリリースされているが、それらすべての中において、総演奏タイムが80分を切っているものはこのディスクだけだ。実際このケルン・ギュルツェニヒ管との演奏はCD1枚だが、他のディスクはすべてCD2枚組みであり、後年の演奏と比較して基本テンポがひとまわり速い。

演奏の印象としては、後年のヴァントのブル8の演奏の水準から計ると、全体的に聴き劣る感じが否めない。理由のひとつは音質面にやや問題がある点で、ダイナミック・レンジ的に物足りないし、ソノリティの実在感もいまひとつ。理由のふたつめは前述の基本テンポの速さで、全体的に個々のフレーズの呼吸感が、後年のそれと比べて浅い感じがあり、流れが淡々と流れ過ぎる局面も感じられ、後年の演奏に聴かれる表情のような音楽の強い訴えかけを表出するには至っていないように思う。

オーケストラの技量も万全でなく、後年の極限的な造型的完成度からすると、いかにも大味だ。逆に祝祭的な感興という点はかなり強い演奏で、アンサンブルの響きのリアルさ、弦や木管の音色の味の濃さなど、やはり名演といえる内容だと感じる。金管はムラがあり、例えば第1楽章(8:41)あたりなどはかなりぬるいが、第3楽章(17:00)前後などは絶好調、というように、良い時は凄いがそうでない時はかなり落ちる感じがする。

マーラー 交響曲第7番「夜の歌」
 ショルティ/シカゴ交響楽団
 デッカ 1970年 FOOL-23138

何と言うか、これほど「夜」の気配の薄い「夜の歌」というのも珍しいのではないか、と聴いていて 思ってしまうような、割り切った雰囲気の演奏だ。

第1楽章では冒頭の導入部からコーダまで、それこそ竹を割ったような直線進行であり、しかも音楽の造型的な境界線に 対する克明さが際立っている。反面、楽節の進行に伴う音楽表情の変遷の妙において物足りなさがあり、 要するに表情が画一すぎて陰影に欠けるような印象が否めない。

もちろん、標題が「夜の歌」 だからと言って、夜としての幻想感とか、何がしかの神秘な雰囲気を、殊更に強調する 必要も無いのかも知れない。が、ここまでサッパリされると、やはり違和感も募ってしまう。

演奏の回転が常に前のめり的に進行していく推進的なダイナミズム、それがpp指定であるなしに関わらず、余りにも 旋律輪郭がくっきりとしたデュナーミク・バランス、ことに弱音部の曖昧感の払拭の度合い。もちろん 管弦楽の音響表現力自体も際立ったもので、これらの特徴により、総合的に「夜の世界」というには、かなり懸け離れた、 むしろ白昼の祝祭的活気に満ちたような演奏表情がユニークだ。

第2楽章もそれほどテンポを落とさず、明るく冴え渡る色彩感を主体に、華やかな音響世界が現出されているが、 弱音指定音符の曖昧模糊とした雰囲気が徹底的に排除されていることに起因する、情緒感の乏しさは、さすがに好悪を分ける ような気がする。第3楽章では9分前半という、およそ余裕を持たせない切り詰めたテンポの中で、総じて スケルツォ旋律に対するシャープでザクザクとした感じの弦楽器群のボウイングが冴えている。が、第4楽章は、 ここまでの速度バランスからして明らかにペース・ダウンで、 急に音楽が弛緩してしまう。冒頭のクラリネット動機から変に間延びしたようなフレージングの印象があるなど、 全体的に何となくシカゴ響のメンバーもやりにくいそうな気配が、、。

終楽章では冒頭のティンパニ独奏場面における、ソリストの演奏迫力と技巧の冴えが圧巻で度肝を抜かれる (これはある意味このディスク最大の聴き物かもしれない)。しかし楽章全体としてみると端的には第1楽章の プレイ・バックのような趣きで、何の迷いも無くひたすら勝利に向かって一直線という風な、 その吹っ切れた表現性は、どこか得体の知れないムードの漂う同曲の解釈としては、ある意味で貴重と言えるのかも 知れない。

ドヴォルザーク 交響曲第8番、スラヴ舞曲第3・第10番
 セル/クリーブランド管弦楽団
 EMIクラシックス 1970年 TOCE-3038

ドボ8の古典的名盤として名高いディスク。端正な造型フォルムと、オーケストラの各声部を十全に鳴らし切ったハイ・スケールとの、高度な両立性、それにクリーブランド管の合奏精度の高いアンサンブル、加えてハンガリー出身の巨匠指揮者 ジョージ・セル最晩年、まさに死の直前のレコーディングということもあるのか、あたかもボヘミアに対する郷愁の念を、 仮借なく表現するかのような熱感も加味されており、全体として並はずれた名演奏として結実されている。

第1楽章の冒頭第1主題から、アメリカのオケらしからぬ旋律線を太く取った、ウェットな出し方が、何とも情緒豊かで 惹き込まれてしまう。続く主題後半が大きく盛り上がる場面での、推進性と力感に満ちたアンサンブルの迫力(2:05)も 見事だし、続く第2主題への推移部(2:21)においてグッとテンポを落とし、弱音の繊細な移ろいを表現するあたり、 音楽の生命力が非常に豊かだし、展開部後半のフォルテッシモ進行の場面(7:03)における、強靭な造型 フォルムとスケール感みなぎる迫真のオーケストラ・ドライブは、聴いていて惚れぼれするばかりだ。

中間の2つの楽章では、管弦の部厚い旋律線による重厚性と、流動性の良いメロディラインとが両立されているのが 何より秀逸で、テンポは決して遅くないものの、どっしりとした揺るぎない安定感が絶えない。 終楽章においても、すこぶる鳴りっぷりの良いアンサンブルに浮つかず、厳格に決められるアーティキュレーションが 見事なものだし、特にボヘミア風旋律が大きく盛り上がってクライマックスを形成するまでの第6〜10変奏における、 音楽の高潮感が圧巻だ。

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲&シベリウス ヴァイオリン協奏曲
 チョン・キョンファ(vn) プレヴィン/ロンドン交響楽団
 デッカ 1970年 POCL-9960

韓国の天才女流ヴァイオリニスト、チョン・キョンファのデビュー録音。

チャイコン、シベコン、両演奏ともに弱冠22歳のキョンファのヴァイオリンが素晴らしく、 アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン響のバックも、彼女の直向きなヴァイオリニズムを正面からガッチリと 受け止め、最高の伴奏で応えていて、音質が少しザラついているのが惜しいものの、音楽全体としての 訴えかけの強さが途方もない。

しかし、この2つの演奏のうち、シベリウスの方は世評が絶大なのに、チャイコフスキーの方は、それほど評判が良く ないようだ。このチャイコンには、後にキョンファが デュトワ/モントリオール響とデジタル録音した演奏があり、そちらの方の評判は圧倒的に高い。 なぜだろうか。

この点に関連するかどうか、新録音の方のライナーノートの中には、この旧録音のチャイコンが 「不出来」という見解が掲載されている。 執筆者は音楽評論家の宇野功芳だが、いわく「できばえは今回の(新録音の)方が数等すばらしい。」「旧盤は初のレコーディングということで慎重になり過ぎたのが、不出来の原因である。」

しかし上記の見解は、ちょっと首肯しがたい気がする。というのも実際、キョンファの新旧2つのチャイコンを 聴き比べてみると、むしろ慎重なのは、明らかに新録音の方ではないかと思われる局面が少なからず聴かれるからだ。

第1楽章で比べると、全体的にフレージングにおけるアクセントのメリハリの強いのは明らかに旧録音だ。 例えば第63小節からのフォルテッシモのスタカート進行(2:53)など、この旧録音では、このフレーズのスタカート上に 記されたアクセント記号の意味が、それこそ最高度に活かされたようなアグレッシヴなボウイングが披歴されていて、 フレージングが積極性で張り裂けんばかりなのに、新録音の方で同じシーンを聴くと、ずいぶん穏健というか、慎重な 感じのボウイングとなっていて、かなり物足りない。 同じことはカデンツァの(12:20)あたりとか、コーダの(16:23)あたりなどにも当てはまり、要するに旧録音の 方が、ヴァイオリン表情として明らかに積極果敢で、自己の感情を存分にさらけ出すことが出来た演奏、という 雰囲気が強い。これに比べると、新録音の方は、明らかに抑制が効いている。

もちろん、そのぶん旧録音の方が荒削りで、ある種の洗練に乏しく、その意味では新録音の方が(音質も含めて) 洗練された味わいが強いので、そちらの方が世評が高いのかも知れない。しかし、 少なくともヴァイオリニストとしての抑えがたい感情のうねりが赤裸々にぶつけられているという点では、 旧録音に軍配が挙がると思うし、少なくとも不出来とは思えない。つまり併録のシベリウス同様、このチャイコフスキーも 希有の名演だと思われてならない。

リャードフ 管弦楽作品集
 スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立交響楽団
 メロディア 1970年(リャードフ)、90年(ナプラヴニク) SUCD-10-00140

リャードフ作品の収録曲は@交響的絵画「ヨハネ黙示録から」Aバラード「古い時代から」Bババ・ヤガーC交響詩 「魔の湖」DキキーモラE8つのロシア民謡F音楽玉手箱。他にエドゥアルド・ナプラヴニクの管弦楽作品が2つ 併録されている。

いずれにおいてもスヴェトラーノフ一流の豪快・濃密なオーケストラ・ドライブの魅力が充溢する 演奏で、リャードフの音画的な色彩に富むオーケストレーションに対し、音のパレットをふんだんに用いての厚塗りの ハーモニー展開という風であり、作品の特性にジャスト・フィットしている。最初の@から凄い迫力だし、Bの ような有名曲でも、痛快なまでに派手な色合いを帯びた音響の捻出ぶりがさすがだが、ベストは おそらくCの「魔の湖」だと思う。

この曲はババ・ヤガーやキキーモラほどは知名度が立たないが、すぐれた名品だ。 ここでのスヴェトラーノフの演奏ぶりは冴えており、冒頭の湖面のさざなみ描写から弦の弱奏に確かな質感と実在感が みなぎり、木管パートの好調ぶりも素晴らしい。(1:25)からのフルートといい、(1:54)からのオーボエといい。わけ ても(2:54)からのフルートとクラリネットによるメロディ・モチーフなど、スコアはppだが、強めの色感が絶妙で、音色 が訴えてくるようだ。(3:31)あたりの弦のトレモロ(pp指定)なども同様で、弱音を克己的に表現している点が音楽 の味の濃さを強く後押ししている。(4:39)からのヴァイオリン旋律の流れの濃密なこと。D以降の演奏も含め、いわゆる ロシア本場のアンサンブルの特性とその醍醐味を堪能するという点ではベスト・クラスの演奏だと思う。  

ショスタコーヴィチ 交響曲第1番、第9番
 マタチッチ/NHK交響楽団
 アルトゥス 1967年ライヴ(9番)、69年ライヴ(1番) ALT129

いずれも東京文化会館でのコンサートのライヴ。マタチッチの指揮によるショスタコーヴィチという点でも 興味深いし、60年代という時代にショスタコーヴィチを取り上げるあたりの意欲的なスタンスにも興味を そそられる。

その演奏内容としては、全体的にやや遅めのテンポをベースとしつつ、表情的にはオーソドックスで奇をてらう 印象もなく、いわば作品の姿を聴き手に丁寧に紹介するというスタイルのような感じがする。

音響的にはかなり燃焼感のある演奏で、豪壮なフォルテ、アンサンブルの肉厚豊かなスケール感、いずれも マタチッチとN響のコンビの良点がかなり発揮されていて、そういう意味では名演だ。

ただ、この作品の表現主義的な内奥を開陳するというほどには、音楽の強烈味が足りないのも事実で、 この年代の日本のオーケストラがこれらの作品を実演で再現するには、やはりこのあたりが限界か、 という印象も聴いていて感じてしまう。造型的に手堅すぎる局面が多いし、アンサンブルにも緻密さが いまひとつ希薄で、特に第1交響曲の方は、管パートのソロがパリッとしない。第3楽章(8:03)での トランペットソロの音程ミスも痛い。

第9交響曲の方は第1よりも管楽器の響きに冴えがあり、こちらの方が名演だと感じる。とくに第3楽章から 終楽章までの内容が充実的で、手堅さよりも表現主義的な味の方がいくぶん強くなっていて聴きごたえ十分だ。

ワーグナー 楽劇「ラインの黄金」全曲
 マゼール/バイロイト祝祭管弦楽団
 新潮社 1968年ライブ SCD008-03〜04-RG1〜2

「新潮社オペラ・ブック」シリーズに含まれるディスクだが、なんでも音源に関する著作権の絡みから、 発刊後にすぐ絶版・回収に追いこまれたシロモノで、現在いわゆる入手不能盤ということになっているらしい。

モノラル録音だが、前奏曲冒頭の低音からかなりボワッとした感じで、解像度が相当に悪く、(2:20)あたりの 波の動機など、かなりモコモコだ。音質面で全体に言えることは、ソノリティのダイナミックレンジや横の 拡がり感、奥行きなど、すべてが著しく狭い。ノイズがほとんど無いのは救いだが、オーケストラ全奏の響きなどは あまり膨らまないので迫力が出ない。ほとんどSP並みで、68年の録音としては、ちょっと商用的に苦しいような 気がする。コレクターズ・アイテムか、現場の雰囲気を楽しむべきディスクだろう。真面目に鑑賞するなら、最低でも アンプのトーン・コントロールによる高域補強はすべきだと思う。

マゼールの指揮だが、テンポはオーソドックスで、 ショルティのスタジオ盤とほぼ同じ全曲タイム。音質の関係で細かい表情付けまでは分からないが、迫力面は かなりのものと思われる。なぜなら、ファゾルド・ファフナー登場シーンなど、これだけ音質が悪いのに、 かなりダイナミックなインパクトが伝わってくるため、これらから類推するなら、ナマではさぞかしド迫力だった ように思われるからだ。

ヴォータン役アダム、アルベリヒ役ナイトリンガー、ローゲ役ヴィントガッセンは66年の ベームのライブ盤と同じキャストだが、ファゾルド・ファフナーがリッダーブッシュ・グラインドルという豪華な 悪役コンビ?で、この組み合わせはなかなかに新鮮。あと印象的なのはフリッカ役ジャニス・マーティンで、2場の 冒頭でヴォータンをやり込めるシーンの表情が素晴らしい。彼女は他盤には出ていないと思うので、このディスク ならではの聴きどころと言えそうだ。

エリー・ナイ晩年の録音全集
 ナイ(pf)
 コロセウム 1960〜68年 COL9025-12.2

エリー・ナイがコロセウム・レーベルに残した最晩年の録音の全集成で、全12枚組のボックス・セット。 収録内容は以下の通り。

CD@:ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第30〜32番
CDA:フォルテピアノによるベートーヴェン作品集
CDB:ピアノ協奏曲第3番、第4番
CDC:シューベルト さすらい人幻想曲&シューマン 交響的練習曲集
CDD:ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第4番、第8番「悲愴」、第12番
CDE:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」
CDF:ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第14番「月光」、第17番「テンペスト」、第21番「ワルトシュタイン」
CDG:ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第18番、第29番「ハンマークラヴィーア」からアダージョ、小品集
CDH:メンデルスゾーン、シューベルト、ショパンのピアノ作品集
CDI:モーツァルト ピアノ作品集
CDJ:ブラームス ピアノ作品集
CDK:アンコール用小品集&ベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」の朗読

ドイツの女性ピアニスト、エリー・ナイは、日本では21世紀になってからその名前が急速に知られるように なった。その契機となったのは、最晩年にコロセウムに録音した一連の録音の復刻リリースだが、 このボックス・セットはそれらの全録音を集成したものにあたる。

実際、ナイのピアノ演奏を耳にするのはこのCDセットが初めてだったが、聴いてみると、 確かに並々ならないピアニズムと実感される。ナイはベートーヴェンを中心とするドイツ作品の解釈で名を馳せた ピアニストとされるが、やはりベートーヴェンが圧巻だ。

そのピアニズムにおいては、軽快な響きよりも響きの厚みや質感を明らかに指向した、すこぶる本格的なもので、 ことに強音の音色の強さが素晴らしい。技巧的には、特に難曲になるとかなりたどたどしい感じもあるし、 音価や強弱の変化が大味できめ細かさに欠けたりもするが、濃色なタッチから繰り出されるピアニズムの迫力、 重厚感、表情豊かさにおいては、本当に掛け替えのない個性味が充溢している。音質も一部を除いて極上というべきで、 眼前にピアノの音色が広がるような実在感に富んでいて申し分がない。

ベートーヴェンのソナタはどれも凄いが、音質の良さも加味したベスト5を選ぶとすると、第4番、「悲愴」、「月光」、 「テンペスト」、第31番になると思う。特に第4ソナタに関しては他の録音と比べてみても、 ミケランジェリ盤と並んで同曲異演中ベストクラスという感じがする。

ベートーヴェンの演奏では、ピアノ協奏曲も3曲収録されている。 ナイの夫であるヴィレム・ファン・ホーフストラーテンの指揮、 ニュルンベルク交響楽団によるバックだが、このオーケストラの 響きもかなりの充実感がある。

また、CDAにはフォルテピアノによるベートーヴェン作品集が収録されているが、 これは1965年にボンのベートヴェンハウスで録音されたもので、 ベートーヴェンが実際に使用したとされるピアノが演奏に使われている。 この演奏は、フォルテピアノにしてはかなり響きが強く、音色が鮮烈で、 かなりの聴き応えがあり、おそらくベートーヴェンもこんな感じで演奏していた のではないかと思わせるほどの説得力がある。

ベートーヴェン以外の作品では、シューベルトのさすらい人幻想曲とメンデルスゾーンの無言歌集がとくに 素晴らしいと思う。

ブルックナー 交響曲第7番
 セル/ウィーン・フィル
 ソニー・クラシカル 1968年ライヴ SRCR9631

ジョージ・セルがウィーン・フィルを指揮した、ザルツブルグ音楽祭における放送録音。モノラル音質。 版の表記はないが、聴く限りではシャルク改訂版のようだ。

音質にかなりの問題がある。全体的にアンサンブルの線が細く、響きが薄いし、それ以上に音に 力がない。ことに弱音など、いくらボリュームを上げてもラジカセ的なソノリティというのか、とにかく 厚みが乗らない。フォルテにおいてもハーモニーがほとんど膨らまず、量感不足が甚だしい。 透明感重視のセルのポリシーも多少は影響しているのかも知れないが、やはり録音の刻みの浅さが、 演奏自体の精彩を相当に削いでいると感じる。 第2楽章など、遅めのテンポから音楽の精緻な美しさを滲ませるような表情が垣間見れるのだが、 音に生彩が薄いので、その良さも十分に実感し切れない。

ジョージ・セル:ザルツブルク音楽祭ライヴ1958−68
 セル/アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団ほか
 オルフェオ 1958〜68年ライブ C704077L

2007年にリリースされた、巨匠ジョージ・セルのザルツブルク音楽祭におけるライヴコンサート録音集で、 以下の曲目がCD7枚に収録されている。

@モーツァルト 交響曲第33番
Aモーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」
Bハイドン 交響曲第92番「オックスフォード」
Cアイネム 管弦楽のためのバラード
Dウォルトン 管弦楽のためのパルティータ
Eプロコフィエフ 交響曲第5番
Fモーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」
Gベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番
Hベートーヴェン エグモント序曲
Iベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
Jグルック 歌劇『アルチェステ』序曲
Kモーツァルト ピアノ協奏曲第27番
LR.シュトラウス 家庭交響曲
Mベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番
Nベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
Oブルックナー 交響曲第7番ホ長調(シャルク改訂版)

それぞれのオーケストラは以下の通り。
 アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団:@、A、C〜F(58年録音)
 フランス国立放送管弦楽団:B(59年録音)
 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団:G〜I(63年録音)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団:J〜L(64年録音)
 ドレスデン・シュターツカペレ:M(65年録音)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団:N、O(68年録音)

コンチェルトのソリストは、Gがルドルフ・フィルクシュニー、MとNがサー・クリフォード・カーゾン。 また@、C、D、E、G、J、K、L、M、Nはこのリリースが初出とされている。

ジョージ・セルはライブ録音に名演がかなり多い。そこではクリーブランド管とのスタジオ録音とは、また 一味違った精彩や燃焼感に溢れた音楽造りに特徴をもつが、このザルツブルクのライブ集の演奏も、ひととおり聴いた 印象としてかなり魅力的な演奏が多いと思う。音質が心配だったのだが、いずれもオーストリア放送提供の正規音源を オルフェオが独自リマスタリングしており、全体的にかなりしっかりしている。

オーケストラはヨーロッパ屈指の 名門がずらっと顔を揃えていて壮観だが、演奏自体の充実感としてはコンセルトへボウ管とウィーン・フィルを振った ものが相対的に優れている感じがする。ベルリン・フィルやチェコ・フィルのものも悪くないものの、聴いていて どこか客演指揮の堅さというかぎこちなさが感じられるようなところがある。

このライブ・セットは初出音源も多く含んでいて、それらの演奏の新鮮な感触を楽しめたのも大きな収穫だった。 しかし、このセットにおける最大の収穫は、Oのブルックナーだ。これは初出音源ではなく、以前、同じ録音が 国内盤でリリースされたことがあった(ソニークラシカル SRCR9631)。それはモノラルだったが、 その音質の貧弱さに辟易したのを覚えている。

その同一の演奏が、このオルフェオのリリースではステレオに なっている。そして、それ以上に音質がもう全然ちがう。ソニー盤でのラジカセ的な音質が見違えるようで、 同じ演奏とは思えないほどだ。ソニーのリマスタリングのお粗末ぶりには愕然とさせられるが、とまれこの オルフェオ盤に聴くブルックナーは、その高音質のステレオ録音により、セルの指揮の美質とウィーン・フィルの アンサンブルの美質との相乗的な特質がかなり克明に感じられる名演だと思う。わけても第2楽章の美感が特筆的で、 セルにしては遅めのテンポで粛々と歩を進めつつ、持ち前の透過性重視のアンサンブル展開がウィーン・フィルの 味の濃いソノリティをベースに音楽の精緻な美しさを滲ませていて魅了させられる。

ベートーヴェン 交響曲選集
 朝比奈隆/NHK交響楽団
 フォンテック 1967〜95年ライヴ FOCD9200

このベートーヴェン選集は朝比奈隆が1967年から95年にかけてNHK交響楽団の定期演奏会でベートーヴェンを指揮してのライヴ録音を集成したもので、2004年にリリースされた。収録されているのはベートーヴェンの@交響曲第1番、A交響曲第3番「英雄」、B交響曲第4番、C交響曲第5番「運命」、D交響曲第7番、Eエグモント序曲の6曲。出自は@とAとEが1967年10月17日東京文化会館でのライヴ、Cが1994年6月3日NHKホールでのライヴ、BとDが1995年12月13日NHKホールでのライヴとされる。

このうちAのエロイカを含む1967年のコンサートは、N響設立40周年の年に朝比奈が初めて定期の指揮台に招かれた時のものとされている。自身初めてのN響定期にオール・ベートーヴェンで臨んだことになるが、朝比奈は既にベルリン・フィルでベートーヴェンの4番を振っていたし、相手が国内トップのN響だからといって気後れせずに自身の音楽を貫徹していることが演奏から伺える。

それにしても、このエロイカは素晴らしい。音質の限界からボリュームを上げると音の濁りが大きいのがネックだが、例えば第1楽章の展開部の入りで大胆にテンポを落としつつアンサンブルの重心を下げる、ドッシリとした進め方など、後年の彼の流儀が早くも確立されていることが、くっきりと確認できるし、第2楽章も実に壮絶な演奏が披歴されていてゾクゾクさせられる。とくに(13:34)あたりのティンパニ激打の震撼! ただし完成度は低めであり、時々アンサンブルのタテの線が揃ってないところが聴かれたりもするが、予定調和な表現からは程遠い迫真のベートーヴェンがここにあり、後年に朝比奈が残すことになる10種を超えるエロイカの演奏の原点をここに聴く思いがする。

シャルル・ミュンシュ「コンサート・ホール」録音集
 ミュンシュ/フランス国立放送管、ロッテルダム・フィル
 スクリベンダム 1966・67年 SC012

収録曲は@ベートーヴェン:交響曲第6番『田園』Aアルベニス:イベリアBビゼー:交響曲 ハ長調Cビゼー: 『子供の遊び』組曲Dビゼー:序曲『祖国』Eリムスキー・コルサコフ:『ロシアの復活祭』序曲Fドビュッシー: 管弦楽の為の映像より『イベリア』Gドビュッシー:『海』Hドビュッシー:牧神の午後への前奏曲Iボロディン: 交響詩『中央アジアの広原にて』Jムソルグスキー:歌劇『ホヴァンシチナ』より序奏、ペルシアの踊りKリムスキー・ コルサコフ:金鶏Lフランク:交響曲 ニ短調。

いずれも「コンサート・ホール・ソサエティ」シリーズからの復刻で、 オーケストラはA〜Kがフランス国立放送管、@とLのみロッテルダム・フィル。いずれもミュンシュ最晩年の時期の 貴重な録音ということになるが、内容的にも軒並み名演だ。音質もこれ以上はないと思えるほどいい。

全曲中のベストはBのビゼーで、 これは間違いなく超名演。とにかくアンサンブルの音色のこくやフレージングの躍動味が半端でない。響きの質も極上で、 フランスの名門オケの持ち味がフルに活かし切られている。ミュンシュはこの作品をボストン響とはなぜか録音しなかった が、仮に録音してもここまでの水準には達しなかったと思う。CとDも含め、ミュンシュのビゼー作品の演奏はいずれも 素晴らしい。

@のベートーヴェンも名演で、RCAのボストン響とのスタジオ盤よりもこちらのロッテルダム・フィルと の演奏の方が明らかに表情が強く、響きが立っていると思う。EやIなどのロシアものも良く、いずれもミュンシュ一流の 豪快なオーケストラ・ドライブの魅力とオーケストラの上質なソノリティの魅力が一体的に昇華されたハイクラスの名演 と感じる。

対して相対的に印象が落ちるのはG、H、L。G、Hのドビュッシーに関しては弱奏部でハーモニーの輪郭の 緻密さが弱い点が原因で、これには音質の枷(リマスタリングは最高レベルだが、それでもピアニッシモではさすがに ノイズ感が十分に払底されていない)の影響もあるとしても、ミュンシュの表現の方向性自体としても、ドビュッシーの 印象主義的な陰影に対するこだわりというか、執着のようなものが、それほど強いものではないような感じがする。

Lの フランクも、ミュンシュの指揮自体は情熱味を十全に孕んだ見事なものだが、それに対応するオーケストラの響きが 全体にいまひとつで、例えばJやKなどよりもアンサンブルの鳴動感が高まり切らず、えぐりが弱い。RCAのボストン響 とのスタジオ盤よりは、こちらの方が上だと思うが、それでもミュンシュとしてのベストモードには到っていないように 思う。

ワイル 交響曲第1番、第2番
 ベルティーニ/BBC交響楽団
 デッカ 1966年 POCL-3440

後年マーラー指揮者として不動の評価を確立したベルティーニの比較的初期の録音ながら、その後年のマーラーの名演 をも彷彿とさせる強力なアンサンブル統制から展開されるダイナミクスの充実感が素晴らしい。

交響曲第1番冒頭の 序部からアンサンブルの色彩的メリハリ感が見事で、強奏と弱奏の表情の鮮やかなコントラストもバツグン、ことに 全奏の大きな盛り上がりから(1:38)のヴァイオリン・ソロによるpのエスプレシーヴォに流れ込むあたりの情景展開 などさすがだ。(2:45)からメイン・テーマを出す金管のfもキリッとしたもので、以降も、(4:25)あたりや(7:58)あたり など、響きが密集するほど演奏の生彩が跳ね上がる演奏展開は、まさに後年のベルティー二のマーラー演奏の大きな 特徴でもあり、このワイルにおいても、そういうマーラー様式的な進め方が楽想の深い気分を抉り出していて、全体に すこぶる新鮮な感じがする。

交響曲第2番も同様のスタイルでの名演。第1楽章冒頭のトランペット・ソロの冴えて いること。主部アレグロ・モルト以降の急迫感の表出なども、聴いていて惹きこまれてしまうし、第2楽章の(9:35) あたりの破滅感もいいし、終楽章も、オーボエといいクラリネットといいピッコロといい、木管のパッセージの音色の 強さが音楽の彩りをしごく強烈なものにせしめている。

ベートーヴェン 交響曲第1番、第8番、大フーガ
 クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団
 テスタメント 1963年ライブ(交響曲)、66年ライブ(大フーガ) SBT1405

いずれもロイヤル・フェスティバル・ホールでのライブ。

第1番は、第1楽章提示部から強和音リズムを強く踏みしめ、 ガンガンガンという感じで、強固なリズムによる構築的感触がよく伝わる。が、録音(モノラル)の彫りが浅く、 クレンペラーの演奏特有の立体性はイマイチだ。展開部の(5:42)あたりの全奏など厚味が伝わり切らない。しかし 再現部の(7:36)のバスのド迫力は素晴らしい。第2楽章は全体に木管の音色がスタジオ録音より薄いのが気になるが、 やはり音質のためだろう。きわめて古典的なテンポの進め方。第3楽章は遅めのテンポの堂々たる流れに、ティンパニの 豪快な強打がものすごい。終楽章も冒頭から徹底的にイン・テンポ。バスの力感がいい。前楽章のように、局所的に ティンパニをドカンとやらず、強度をやや抑え、そのかわりコンスタントに、バスに厚味を供給している。格調と迫力が 絶妙に同居した演奏だ。

8番は、1番に比べると全体に大味。第1楽章冒頭など響きがやや混濁的で、展開部後半の(5:35)からのあたりなど高弦の主題形が音幕に埋もれかけてアップアップという風だし、再現部からコーダも響きが グシャとしている。以降の楽章も、クレンペラーほどの指揮者にしてはいささか平凡。迫力的にも上の1番に及ばないと 感じる。

大フーガだが、音質が比較的良く、ややオフマイクだが全体に上の1番・8番より響きの彫りと潤いがある。 表情はドスンドスンとリズムをイン・テンポで踏みしめる、まさにクレンペラーのスタイル。フルトヴェングラーの デモン性とは対照的なアポロ的表現の極地だ。

フランク 交響曲&モーツァルト 交響曲第35番「ハフナー」&ヒンデミット ウェーバーの主題による交響的変容
 クーベリック/バイエルン放送交響楽団
 アルトゥス 1965年ライヴ ALT009

1965年4月23日東京文化会館でのコンサートのライヴで、ク―べリック&バイエルン放送響の初来日公演の録音。 この3曲のほかに、アンコールとして奏されたワーグナー「ローエングリン」第3幕への前奏曲の演奏も収録されている。

ラファエル・クーべリックはバイエルン放送響を指揮してグラモフォンやソニーに多くの録音を残しているものの、 実演時においては、それらのスタジオ録音とは別人のような強烈な名演を成し遂げることでも知られる。 この初来日公演のライヴは、おそらくその最良の例のひとつなのだろう。

最初のモーツァルト「ハフナー」冒頭のフォルテから度肝を抜かれる。弦楽器の響きの鳴動力、音色の生彩、 いずれも絶品で聴き惚れるばかりだ。一貫して熱気を孕んだアンサンブル展開は終楽章において充実を極め、 弦パートの表出力が素晴らしい。

続くヒンデミットの交響的変容ではモーツァルトの弦に対してむしろ管パートの充実味が際立つ。とにかく良く鳴るが、 決して外面的な音色でなく、訴求力に富み、聴いていて背筋が自ずと伸びるような、心地よい緊張感が全曲を包む。

最後のフランクは、モーツァルトでの弦パートの充実味とヒンデミットでの管パートの充実味とがドッキングした ような最高クラスの名演で、クーベリックの指揮におけるバイエルン放送響のベストモードの凄さを存分に堪能 することができる演奏というべきか。第1楽章第1テーマを導く(4:52)あたりの壮絶さ、(9:48)あたりの 臨界突破的な高揚感! 第2楽章はかなり速足なテンポなからアンサンブルの味の濃さは損なわれず、 終楽章の素晴らしい熱演ぶりは筆舌に尽くせないほどだ。

マスカーニ 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」全曲
 カラヤン/ミラノ・スカラ座管弦楽団
 グラモフォン 1965年 POCG-30148

カラヤンの指揮が素晴らしく、強靭にして濃厚なアンサンブル展開の流れ。スカラ座のオケの美質が全面に 充溢している。

冒頭の前奏曲最初のドルチェ・エ・レリジオーソに対するヴァイオリンのカンタービレの 深い色合い、モルト・アニマートでの情熱味をさらけ出したようなff展開など、後年のカラヤンの演奏には あまり聴かれない類の、音楽の生々しい息吹きが立ち込める。逆に美しく聞かせるところは徹底的に美しく、 第2景のシェーナや第8景の間奏曲など、陶然たる音楽美が立ち込め、魅力満点だ。この音楽美は、このオペラの 破滅的な性質からするとやや齟齬があるとしても、音楽的に練れ切ったアンサンブル展開の充実感が、表面的な 美しさを超えた訴えかけを感じさせる。

主役級3人の布陣はトゥリッドゥ−ベルゴンツィ、サントゥッツァ− コッソット、アルフィオ−グエルフィ。3人ともいい。とくにコッソットはひときわで、歌唱様式として、 カラスのように感情を赤裸々に叩きつけるというより、むしろ各々のフレーズを崩さず歌う端正な表現だが、 とにかく声の力がすごい! フレーズを揺らさなくてもキャラクタの心理の動きが目に見えるような克己感。 第5景のアリアなど最高だと思う。

リリー・ラスキーヌによるハープ協奏曲の名演集
 ラスキーヌ(hp) パイヤール/パイヤール室内管弦楽団、マリ/コンセール・ラムルー管弦楽団
 エラート 1964・65年 WPCC-5055

収録曲は@ヘンデル ハープ協奏曲op.4-6Aクルムフォルツ ハープ協奏曲第6番Bボイエルデュー ハープ協奏曲Cボク サ ハープ協奏曲第1番。オーケストラは@〜Bがパイヤール指揮のパイヤール室内管、Cがジャン=バプティ スト・マリ指揮のコンセール・ラムルー管。

フランスの名ハープ奏者リリー・ラスキーヌのソロによるアルバムで、 音質に多少の古さを感じるものの、演奏自体はいずれも美演だ。

@はヘンデルの有名なオルガン協奏曲第6番の原曲 となった作品で、オルガンとはまた一味違う典雅な趣きがいい。とくにト短調の第2楽章ラルゲットの美しいまでの哀調 はちょっと忘れがたいほどで、(4:37)からのカデンツァの優艶なこと。Aのジャン・バティスト・クルムフォルツは18世紀後半に活躍した作曲家で、最愛の妻の不倫に絶望しセーヌ河に身を投じて自殺したという壮絶な経歴がある。作品はすべて ハープ作品で占められているが、作風がなんとなくハイドンを思わせる。ハイドン時代のエステルハージ楽団の ハープ奏者だったらしいので、ハイドンの作品から間接的な影響を受けていたのかもしれない。

Bのフランソワ・アドリアン・ボイエルデューは19世紀初頭のフランスのオペラ作曲家で、このハープ協奏曲も、まるでオペラの一幕といった 面持ちだ。Cのロベール・ニコラ・シャルル・ボクサもボイエルデュー同様、19世紀初頭のフランスの作曲家。自身が ハープ奏者であり、しかもヴィルトゥオーソとして名を馳せていたという経歴上、このハープ協奏曲もハイ・テクニックが要求される華麗な作品となっている。

ビゼー 「アルルの女」第1・第2組曲、「カルメン」組曲
 クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団
 EMIクラシックス 1964年 TOCE-3166

クリュイタンスらしい、濃厚な味わいのビゼーだ。やはり個性的なのは、弦の量感の豊かさだろう。一般的な 軽妙スタイルでのビゼー演奏とは一線を画した、シンフォニックな聴き応えがいい。管楽器の音彩も、高音を 中心に鮮やかで、そのまろやかでエレガントな音色が、潤沢な弦の音色と絶妙に溶け合う様は、まさに クリュイタンスの演奏の醍醐味だ。

アルル第1組曲の前奏曲冒頭から、高カロリーの響きのエネルギーが素晴らしく、 管の彩りも冴え、(1:57)あたりからのアルル主題をくまどる管のリズムなど、なんとも味が濃い。メヌエットの 出だしの、ヴァイオリンのユニゾンのシャキッとした高音の響きは気持ち良いほどだし、カリヨン中間部なども 実にロマンティックで、(2:50)あたりなど、チェロが主旋律の木管を食うくらいのバランスで、情緒満点だ。 アルル第2組曲も同様にアンサンブルの充実味が光る。パストラール中間部木管ソロの音色の立っていること!

カルメン組曲は全体にやや遅めのテンポでの格調高い進行ぶりで、やはりトッティでのシンフォニックな 鳴りっぷりの良さが素晴らしい。音質のせいもあり、弱奏で音色の繊細さがあまり立たない弱みはあるものの、 強奏での演奏展開の立派さは言うこと無しだ。

ベルリオーズ 幻想交響曲 
 クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団
 アルトゥス 1964年ライヴ ALT003

1964年5月10日の東京文化会館でのライヴで、クリュイタンス&パリ音楽院管の最初で最後の来日公演の コンサート。ベルリオーズの「幻想」のほかに、当日アンコールとして奏された、ムソルグスキー「展覧会の絵」古い城と ビゼー「アルルの女」ファランドールが収録されている。

ちょうどパリ音楽院管がミュンシュのもとでパリ管へと発展的解消を遂げる直前期の演奏だが、 ここでのパリ音楽院管の「幻想」はアンサンブルの色彩的妙感がすこぶる印象深く、この点に関しては 同じオーケストラによる「幻想」でもミュンシュ/パリ管の録音とは一味違った魅力を覚える。

音源はNHKに保存されていたテープと思われるが、音質はそれほど良くない。テープノイズの水準がかなり 高くて、弱音部の音抜けがかなり悪く、第1楽章なども冒頭の序のあたりは聞き苦しさが先立つ。

しかし主部が近づくにつれ、アンサンブルの音色の妙味がノイズ感を上回る魅力を放ってゆく。例えば(4:05)あたりの 木管ソロなど、ヴィブラートをふんだんに纏いつつ、ふっくらと香気立ち、なんとも魅力的だ。

ここでの「幻想」のライヴは、少なくとも前半から中盤までは、全体的に情動的というより格調高さを優先した 美演で、オーケストラの弦楽器も管楽器も、聴いていていかにもフランス的なイメージがピタリとくる、妙なる音の 愉悦を堪能させてくれる。

しかし後半の第4楽章と終楽章になると様相がやや変化する。このあたりでは次第に音楽の格調高さの中にも随所に どぎつさを明確に意識させる様式に推移していき、それが終楽章で極まる。特に(2:10)あたりでは聴いていて鳥肌が 立ったが、これは前半から中盤までの優雅なムードからの揺さぶりが凄いからだ。その直後の鐘の音は音程が外れま くっているのだが、これはおそらくワザとではないか。とにかく音楽本来の奇怪さにさらに拍車がかかっている。

ラヴェル 管弦楽作品集
 クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団
 Altus 1964年ライヴ ALT004

1964年5月、東京文化会館におけるクリュイタンス/パリ音楽院管の最初で最後の来日公演のライヴで、 オール・ラヴェル・ブログラムによる当日のコンサートが完全収録されている。

@スペイン狂詩曲Aマ・メール・ロアBラ・ヴァルスCクープランの墓D亡き王女のためのパヴァーヌEダフニスと クロエ第2組曲。それにアンコールとして奏されたベルリオーズのラコッツィ行進曲。

印象的には、圧倒的な美演。だたしナマで聴いたなら、、、という条件付きなのが残念だ。

本CDと同時発売された、同じ来日公演の別プロのベルリオーズ「幻想交響曲」(アルトゥス ALT003)が 圧倒的な名演だったので、こちらのラヴェルも聴かなければ、と思って購入したのだが、少なくともCDを 聴く限り、音質がいまひとつ振るわないためか、「幻想交響曲」の録音よりは精彩が立たない感じがする。

その音質に関しては、モノラル録音である上、テープノイズの水準がかなり高くて、弱音部の音抜けがかなり 悪いなど、ALT003の「幻想交響曲」と大体同じような感じで、良好とは言い難い。ベルリオーズでは 音質以上の音楽としての雄弁な語り口に惹かれたが、さすがにラヴェルともなるとそれも厳しい。

しかし、その音質状態の向こうに察せられる実演時のソノリティの雰囲気にはすこぶる極上な美しさがあり、 幻想交響曲の方の演奏で感じられたような、まさにフランス的なイメージがピタリとくる、妙なる音の片鱗は 随所に堪能させてくれる。

また、その幻想交響曲での後半部で感じられた、音楽の格調高さの中にも随所にどぎつさを明確に 意識させるようなクリュイタンスの様式性は、こちらのラヴェルでもしっかり継承されている。 特に「ラ・ヴァルス」や「ダフニスとクロエ」の終曲部あたりが素晴らしい。

ドヴォルザーク 交響曲第7番&ブラームス セレナード第2番
 ボンガルツ/ドレスデン・フィル
 エーデル・クラシックス 1962年(ブラームス)、64年(ドヴォルザーク) 2482CCC

ドヴォルザークの方はあまりいい演奏とは思えないが、ブラームスの方はかなりの名演だと思う。 それぞれの演奏に対してそういう風に感じる原因は共通のところにあり、それはおそらくアンサンブルの 編成スケールに起因している。

すなわち、本盤に聴かれる ドレスデン・フィルの弦パートの編成規模は、明らかに抑制的であり、そのため弦の音幕が総じて薄く、 これが響いて全奏時における弦の質感的ならびに強度的な迫力において、かなり聴き劣る感じが否めない。 この弱点がもろに出ているのがドヴォルザークの方で、確かに管パートを中心にアンサンブルの音色の質は高いが、 この曲の場合やはりシンフォニックな迫力が伸び切らないのが致命的で、ことにヴァイオリン・パートの 強度不足が物足りない。音質的にも、ボリュームを一定以上に 上げると響きが著しく混濁したりするため、ちょっと聴きにくい。

以上に対して、ブラームスの方は もともと作品がシンフォニックというより室内楽的なスケールを想定した書式であるため、アンサンブル編成上の 弊がドヴォルザークほどには際立たない。したがって、ドレスデン・フィルの音色の良点が俄然に活きてくることに なる。ヴァイオリン・パートを必要としない独特の編成様式もここでは完全に追い風で、全体に管パートの高音の音色の 美感がドヴォルザーク以上に冴えている。その音色は第1楽章冒頭の第1テーマから淡く、柔らかく、そして飾らない 美しさを感じさせる上質なもので、それは他楽章においてもセレナードとしての作品のカラーに良く調和していて 好感を覚える。なかんずく第3楽章の冒頭でクラリネットとフルートがpで奏でる旋律など、極めて素朴な色合い でありながら、本質的な美しさを湛えたような味わい深い音色だ。

スクリャービン 交響曲第1番
 スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立交響楽団
 メロディア 1963年 KKCC6010

スヴェトラーノフとソヴィエト国立交響のスクリャービンといえば2002年にリリースされた交響曲全集(1996年 録音 エクストン OVCL00050)が素晴らしい出来栄えだったが、このディスクの第1シンフォニーの演奏はその30年 ほど前のもの。それだけに、同じ作品を同一の指揮者とオケが演奏していながら、やはり印象が大分異なる。

96年盤 は、オーケストラのパワーや表現力という点で一級品であり、音質も極上ながら、いかにもスタジオ録音という感じの、 良く造り込まれた完成品という印象もあった。対してこちらの63年盤は、さすがに音質はかなり落ちるものの、 全体にライブ的な感興が豊かで、その響きは洗練味こそ薄いものの荒々しいヴァイタリティに富み、局面によっては96年盤 以上の表出力を湛えていると思う。スヴェトラーノフがソヴィエト国立響の音楽監督に就任する2年前の録音 なので、アンサンブルの練り具合など、96年盤ほど秩序的でないが、むしろその情動的な味わいが好感的だ。

とくに 第2楽章と第5楽章が良く、第2楽章冒頭のヴァイオリンからメロディの訴えが活きている。(0:50)からのクラリネ ットの第2主題の飾り気のない素朴な美しさ、(4:32)あたりでの金管最強奏の猛々しさ、コーダの情熱のたぎり。第5 楽章も同様に、ロシアン・バランスの美質が良く発揮された名演だ。

グローフェ 組曲「グランドキャニオン」&バーンスタイン 交響的舞曲「ウェストサイドストーリー」 &ガーシュイン ラプソディ・イン・ブルー
 バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(グローフェ、バーンスタイン)、コロンビア交響楽団(ガーシュイン)
 ソニー・クラシカル 1963年(グローフェ)、61年(バーンスタイン)、59年(ラプソディ) SRCR9204

3曲とも良く知られた録音で、いずれも若き日のバーンスタインの、才気あふれる熱演ぶりだ(ただガーシュインは あまり良くないと思うが)。

グローフェは聴いていて音楽の楽しさがそのまま伝わってくるような名演。録音の 古さを感じさせない、音色の色彩的強さがいい。第1楽章(4:43)からのfffはバーンスタインらしい爆発的 クライマックス、その後のプレストの加速もすごい! 第3楽章(1:30)からのオーボエのスタカートに絡みつく、 ココナッツ・シェルのポコポコという響きの面白さ。第5楽章アレグロ以降の凄まじさ! 

ウェストサイドは 自作自演の強みでやりたいようにやっているという感じの、躍動感みなぎる管弦楽ドライブ。4曲めのマンボなど、 ノリまくりだ。

クナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルによるベートーヴェン、ワーグナー作品のライヴ録音集
 クナッパーツブッシュ/ウィーン・フィル
 Hosanna 1954〜63年ライヴ HOS-01

収録曲はベートーヴェンのコリオラン序曲(54年1月17日)とレオノーレ序曲第3番(62年5月31日)、ワーグナーのジークフリート牧歌(63年5月21日)と「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死(62年5月31日)。「愛の死」ではビルギット・ニルソンがイゾルデを歌っている。

いずれもハンス・クナッパーツブッシュがウィーン・フィルを指揮したコンサートからのライヴ録音。メディアはCD−Rで、いわゆる海賊盤だが、音質はかなりしっかりしているし、録音自体も貴重で、同じ録音でこのHosanna盤以外のものは現在軒並み廃盤もしくは入手困難となっているようだ。

ベートーヴェンの方は両曲ともクナッパーツブッシュによる正規録音はなく、逆にワーグナーの方の曲目はいずれもデッカからリリースされているスタジオ録音と演目が重なる。よってベートーヴェンの方が新鮮味が高いが、ワーグナーの方はスタジオ録りには無いライヴの空気感に妙味がある。例えば「トリスタンとイゾルデ」前奏曲の(1:40)のところで、クレッシェンドを指示するためのクナッパーツブッシュの足音がものすごいし、それを受けたアンサンブルの起立ぶりも生々しさの限りだ。

ただ、音質はしっかりしているとはいえ、やはり鮮明感やダイナミック・レンジにやや難があるのも事実。特に「コリオラン」と「ジークフリート牧歌」にそういう感じが強い。逆に「レオノーレ」と「トリスタンとイゾルデ」は比較的音質が良い。

内容的な印象度としても、やはり「レオノーレ」と「トリスタンとイゾルデ」の演奏が強烈。「レオノーレ」は冒頭からの一貫的な超スロー・テンポをベースとしながらアンサンブルの響きの濃密感が極だっていて、とにかく音楽の密度がものすごい。(4:05)からの主部以降の超スロー・テンポは異彩を極め、(4:40)あたりでヴァイオリンの発する強烈な音彩といい、(8:34)あたりの全奏の破壊力といい、ウィーン・フィル迫真の響きに圧倒させられる。(14:44)からのコーダはかなりテンポ・アップするが、それでも並の演奏よりは相当に遅く、非常に凝縮感のある音響的感触だ。「トリスタンとイゾルデ」の方はベートーヴェンと比べるとずっとオーソドックスだが、アンサンブルの濃密性という点ではベートーヴェンを凌いで素晴らしい。

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番
 コンドラシン/モスクワ・フィル
 メロディア 1962年録音 743211198402

ショスタコーヴィチの交響曲第4番は1936年に作曲されながら、諸般の事情で初演が1961年となり、その初演は コンドラシン指揮モスクワ・フィルにより行われた。その一年後に同じ指揮者とオケで録音されたのがこのディスクの 演奏で、事実上この作品を世に知らしめた歴史的録音でもあり、演奏としても一定の充実感を備えた名演だと感じる。

だが、21世紀の現在、この作品の録音としては、いささか苦しいという印象も受けて しまう。やはり音質の問題がそれなりに影響しているようだ。録音年の古さ以上に、ダイナミック・レンジがやや抑制 された感じの録られ方であり、最強奏でのソノリティの分離感がいまいちで、場面によってはアンサンブルがダンゴ的 に聞こえてしまい、ショスタコーヴィチの精緻なオーケストレーションの醍醐味の伝達が十全ではないように感じる。

また、コンドラシンとモスクワ・フィルの演奏自体も、確かにスコアに忠実であり、その上でアンサンブルのパワフル な感触と弦を中心とする強度に満ちた旋律の刻み込みなど、この作品の凄絶ぶりが一定以上の迫力で表現されていて、 その点は凄いのだが、その凄みが残念ながら超絶的に高まらない。ひとつにはティンパニを中心とする打楽器の強打が ボワンとした感じで激烈感が薄い点が理由で、第1楽章でいうなら(4:19)あたりのティンパニとか、(6:07)あたりの 最強打などがそうだ。また、第1楽章の練習番号63からのフガート(14:20)などを始め、アンサンブルが上滑り気味に 流れるような感じの場面がいくつかある。終楽章の(9:02)前後なども同様で、このあたりなどどうも聴いていて、テンポの 速さに見合った迫力が付随しないもどかしさを感じてしまう。

ベルリオーズ 幻想交響曲、「ベンヴェヌート・チェリーニ」序曲
 ミュンシュ/ボストン交響楽団
 "0""0""0"CLASSICS 1962年ライブ(幻想交響曲)、59年ライブ(序曲) TH067

プライヴェート盤。ミュンシュはボストン交響楽団と幻想交響曲をRCAに2回録音しているが、 いずれもスタジオ録音なので、このライブ盤は貴重だし、演奏も素晴らしい。 幸い音質がかなり良く、クリアなステレオ録音で、多少の ノイズや音擦れなどは耳に付くものの、ソノリティの実在感は一貫して高い。

その演奏だが、62年といえば同じボストン響 とRCAに2回目の「幻想」を録音した年であり、当然同じような流儀だろうと思ったのだが、これがそうでもなく、 実際、タイム的にも第3楽章がRCA盤より1分以上短いし、内部の動きもRCA盤よりひとまわりダイナミックな 感じがする。

ミュンシュの指揮もスタジオ盤以上に気合の入ったもので、第3楽章の(7:25)での壮絶な最強奏など、 ミュンシュの唸り声がはっきり聞こえて来るほど。全体的な印象としては、同年のRCA盤より最晩年のパリ管盤の それに近いように思う。

そのパリ管との「幻想」は極めてライブ的な表情と評されるほどの燃焼力みなぎる演奏だが、この ボストン響とのライブも、それと同格の燃焼力を感じさせる。しかもこちらは正真正銘のライブゆえ、音楽のリアリティ としてはパリ管盤をも上回るものがある。すなわち、これはミュンシュの数種類の「幻想」のディスクの中でも、それこそ トップの座を争うほどの名演だと思う。

ベートーヴェン 交響曲全集
 レイボヴィッツ/ロイヤル・フィル
 スクリベンダム 1961年 SC041

2004年にスクリベンダム・レーベルより復刻リリースされた、ルネ・レイボヴィッツ指揮ロイヤル・フィルハーモニー 管弦楽団の演奏によるベートーヴェン交響曲全集。何気なく聴き始めて、その演奏内容の素晴らしさに度肝を抜かれた。

新ウィーン楽派のシェーンベルクやヴェーベルンに作曲の指導を受けた経歴を持つレイボヴィッツは、 このベートーヴェン全集においても、可能な範囲でベートーヴェンのテンポ指定に従った解釈を披歴しているようであり、 「田園」のみ穏やかなテンポだが、「英雄」・「運命」・「第9」などではテンポスピードの速さが際立っている。

しかしそれよりも、ここでの一連のベートーヴェンが素晴らしいのは、とにかくアンサンブルの彫りの深さが尋常でなく、 それが高速テンポの猛烈な突進力と相まって、曲に拠っては途方もない聴きごたえがもたらされていることにある。 このような逸品をよくぞ復刻してくれたものだと思う。

特に交響曲第2番の演奏は絶品だ。そのアンサンブルの爽快なまでの推進力と、強烈な音響的迫力は、 聴いていて惚れぼれさせられるほど。ここぞという時にトランペットやホルンが発する容赦ない咆哮も見事で、この全力疾走 からこれほど色の立った音色が、よく出せるものだと感心してしまう。次いでは「第9」を取りたい。特に第2楽章が 圧巻で、速めのザクザクしたテンポからトランペット、ホルン、そしてティンパニのアグレッシヴな鳴りっぷりが ハンパでなく、ド迫力もいいところだ。

逆に良くないのが「運命」。なぜか、この曲のみアンサンブルの充実度が明らかに振るわない。ティンパニが軒並み ものを言わないのは、テンポスピードが速すぎるせいだろうか。しかし、同じくらい速い交響曲第2番の演奏では凄いし、 アンサンブルのコンディションの問題か、あるいは音質のせいか、、、「運命」から「田園」に入ると急にソノリティが ピリッとした感じになるから、やはり音質のせいかも知れない。

その「運命」だが、第1楽章再現部の冒頭、第253小節(4:09)からのオーボエのバランスが異様に突出していて 驚かされる。スコアはpだが、とてもpには聴こえないくらい音が強いし、直後のカデンツァ(f指定)の音量とも 全然違わない。これだと、まるで第253小節からカデンツァが始まるみたいだ。

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」、スラブ舞曲集&スメタナ 「モルダウ」
 ケルテス/ウィーン・フィル(新世界)、イスラエル・フィル(スラブ舞曲とモルダウ)
 デッカ 1960年(新世界)、62年(スラブ舞曲とモルダウ) KICC8403

「新世界」の古典的名盤として名高いディスク。名門オケ・ウィーンフィルをこのうえもなく豪快に鳴らし、 その土俗的ともいえる強めの色彩感といい、シンフォニックな厚みの際立つスケール感といい、 いずれ強力な聴き応えを喚起して止まない。

第1楽章冒頭導入部のクレッシェンドから野性味を感じさせる 強奏でありながら、どんなに強奏強打しても音彩的に過剰に野暮ったくならず、コクと深みのある響きが 維持される。オケがウィーン・フィルであるがゆえの、絶妙な音彩感と言えそうだ。主部では速めの推進力 豊かな進行ながらも、第2〜第3主題にかかるとぐっとテンポを落として趣きを変化させたり。そのあたりの呼吸に基づく豊かな情緒感の発露といい、展開部から再現部の流れに聞かれる密度きっしりのアンサンブル展開といい、コーダでの豪快な加速による 高潮感といい、いずれも聴いていて惚れ惚れさせられる。

第2楽章では全体的に主旋律に対する対旋律の線の強調が 特徴的で、メロディの主・従に捕われない太めの旋律線が持続されているため、色彩的に非常に濃密な表現となっており、ノスタルジックな味わいに満ちている。第3楽章は速めのテンポによるエネルギッシュなスケルツォ。 ティンパニの思い切った強調によるリズムの活力が際立つ。

終楽章では冒頭から小細工の無い、すなわち、主題提示に入る前に加速して勢いをつけるでも、減速して ものものしさを出すでもない、ほとんどイン・テンポでの堂々とした入り方で、その音楽の格調高さがまず印象的。 アンサンブルの響きも荒々しいまでの迫力を湛え、スケールも大きい。第1主題再現部でホルン主体の メノ・モッソの部分に入る前に一拍の間を置いて叙情感を強調しているのも、楽章冒頭との対比が立っていて印象的だ。

ブラームス ヴァイオリン協奏曲
 オイストラフ(vn) クレンペラー/フランス国立放送局管弦楽団
EMIクラシックス 1960年 TOCE-3180

このブラームスはいただけない。音楽の表情が甘口一本槍という風であり、これではほとんどムード音楽ではないか。

ここでのオイストラフのソロは甘美な音色に潤沢な響きの量感を伴う独特のフレージング展開なのだが、聴いていて 爽やか、心地よい、という以上の切実な表情展開がほとんど聴かれない。第1楽章の(8:15)あたりからの見せ場こそ、 割合に思い切りの良いボウイングと雄弁な高音がものをいい、少しいい感じなのに、(13:30)になるとそのボウイングも 気迫を欠いたモッサリしたものと化し、以降も表情がピリッとしない。(17:31)からのカデンツァなど、豊潤な音色の フレージングながら、えぐりが効いていない。表面的に美しく聞かせようという意識が強すぎるように思う。第2楽章 もひたすら甘美な節回しに終始、終楽章も冒頭から、取り澄ましたような、悪い意味での上品なフレージング展開が 含蓄に欠け、最後まで内なるパッションの燃焼、切実な何かが聞こえてこない。

クレンペラーの指揮だが、これまた 悪い意味での上品な演奏展開が支配的で、緊迫味を欠いたテンポ運用、脆弱なフォルテ、響きの中核を欠く フォルテッシモ。これにはフランスのオーケストラの響きのせいもあると思うが、とにかく深みが感じにくい。

ヴェルディ 歌劇「オテロ」全曲
 セラフィン/ローマ歌劇場管弦楽団
 RCA 1960年 R25C-1051〜52

「オテロ」の古典的名盤という位置付けになるのだろうか。ヤーゴを聴くディスクとさえ言われるほどのゴッビの 名唱ぶりが印象的。

第1幕中盤カッシオに酒を勧めるシーンで連発される「beva(飲め)」のフレーズの、地獄へ 誘うというようなニュアンス! 第2幕冒頭のクレドの最初のところなど、腹の中に溜まりに溜まったものをすべて 吐き出すという風で、すさまじい。第3幕での狡猾な立ち回りにおける役作りなど、非常にリアリティに満ちた 悪役ぶりというのか、苦味が滲むというのか。

セラフィンのアンサンブル展開は、なんと気持ちの良い演奏ぶりだろう。  テンポ、強弱、いずれも特殊な運用という感じではないのに、音楽の表情の豊かさと味の濃さが素晴らしい。板に ついた演奏というべきか、アンサンブルの自然な呼吸がそのまま音楽の呼吸にフィットしている幸福感がここにはある。 バスの音色の豊かさ、表情的なフォルテ、やや暗みがかった音色の金管の鋭い響きも、ここぞという時に強力な効果を 発揮し、のっぴきならない情景展開に拍車をかける。

オテロ役ヴィッカーズは、高音の訴求力こそデルモナコや、 ドミンゴといった「オテロ歌い」に比して一歩を譲る感があるも、役柄への没入度においては彼らにおよそ引けを とらず、第2幕のヤーゴとの掛け合いなど、心の動揺を強声に依拠せずに、緻密に表出しているあたりが素晴らしいと 思う。第3幕中盤でのデズデモナ退出後のアリアには、救いようのない絶望感が滲んでいる。デズデモナ役リザネクは 線の細い、可憐で清純な印象を与えられる歌唱。悲劇のヒロインというキャラクタが、特に小細工なく、自然に 漂い出る感じだ。

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