クラシックCD感想記:ひとりごと編(2008年8月〜11月分)

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ボーウェン ピアノ協奏曲第3番・第4番
 ドライヴァー(pf) ブラビンズ/BBCスコティッシュ交響楽団
 ハイペリオン 2007年 CDA67659

ハイペリオンの看板シリーズともいうべき「ロマンティック・ピアノ・コンチェルト・シリーズ」の第46弾で、 イギリスの作曲家ヨーク・ボーウェンのピアノ・コンチェルト作品が2曲収録されている。 このうちピアノ協奏曲第4番は本CDが世界初録音とのこと。

ちなみにヨーク・ボーウェンはピアニストとしても名声を馳せており、1925年にスタンリー・チャップル指揮 エオリアン管とベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の世界初録音を成し遂げている。

そのボーウェンのピアノ協奏曲第3番は1907年作曲、第4番は1929年作曲の作品。一聴して顕著なのは ラフマニノフとの音楽の関連性で、そのピアノ協奏曲と雰囲気がかなり似ている。

第3番は「幻想曲」と題された単一楽章の作品で、規模も小さく、全体で18分に満たない。対して 第4番は3楽章の本格的なコンチェルトで、演奏時間も42分。両曲に共通するのは、音楽がとにかく ロマンティクな点で、その点においては、確かにラフマニノフ作品を継承した特徴が強く出ていて、 「イギリスのラフマニノフ」という異名もうなずける。

なかんずく第4協奏曲の第1楽章冒頭の出だしは、ラフマニノフのかのピアノ協奏曲第2番冒頭にそっくり。 管弦楽弱奏を背景にピアノが鐘の音のような和音を静かに刻んで始まる。(2:15)からのチェロの主題も この上もなくロマンティックなもので、やはりラフマニノフ的だ。

両曲ともに、作曲年代を考えるといわゆる前衛精神が決定的に欠如している点は明らかで、おそらくそのあたりが 評価の分かれ目になっている感があるものの、音楽自体の魅力としてはほぼラフマニノフに比肩するものがある。 実に甘美な楽想に満ちたコンチェルトだ。

ピアノ・ソロを務めているダニー・ドライヴァーは初めて聞くピアニストで、このハイペリオンのRPCシリーズ にもこれが初登場だ。作品の要求する高度なテクニックを完璧にクリアする、腕の立つ若手ピアニスト。 このRPCシリーズは、これまでアムラン、ドノホー、オズボーンなどの一級の名ピアニストが顔を揃えているが、 今回のドライヴァーも彼らに比肩するほどの逸材かもしれない。

ベートーヴェン チェロ・ソナタ第1番〜第3番
 ミュラー=ショット(vc)、ヒューイット(pf)
 ハイペリオン 2008年 CDA67633

ダニエル・ミュラー=ショットは、クライツベルク/バイエルン放送響と組んでのショスタコのコンチェルト集で 聴いたのが初めてだったが、その見事な弾きっぷりが印象に残っていたところ、続いてベートーヴェンの チェロ・ソナタ全曲をレコーディングするとのことで、その第1弾として本CDがリリースされたので購入して 聴いてみた。

相方はなんとアンジェラ・ヒューイット。バッハ作品を中心にファースト・ステージとしてのキャリアを形成し、 現在はセカンド・ステージとしてベートーヴェンに取り組んでいるようで、おそらくこのチェロ・ソナタ全集もその 一環という位置づけと思われる。

演奏内容は、率直に言って超名演。ベートーヴェンのソナタでこんなに聴き応えのある演奏は久しぶりだ。

ミュラー=ショットのチェロに関しては、ショスタコのコンチェルト集の感想のところで、「圧倒的なテクニックの 冴えをそのまま表出力に転化させる術を熟知しているアーティストという感じ」と書いたが、それが本演奏にも そのまま当てはまる。切れ味抜群のボウイングから繰り出される、鋭敏にして集中度の高い表現に魅了される。 そして、それにプラスして、チェロの音色の立ち具合が絶妙だ。この音色面の精彩に関しては、前回聴いた ショスタコのコンチェルト集でのそれをかなり上回っている感じがする。レーベルが違うせいかも しれない(ショスタコのコンチェルト集はオルフェオ)が、いずれにしても、こちらのハイペリオンの録音の 方が、チェロの音色の音立ちがひとまわり良く、それに起因して、音色自体の深みも良く伝わってくる。 ズシリとした感触の、濃厚な響きで、1727年製マッテオ・ゴッフリラーという名器が実にいい音を奏でていて 聴き惚れてしまう。

ヒューイットのピアノに関しては、一連のバッハ作品のレコーディングで確立したと思われる自己の確固たる 流儀に則ったもので、強弱緩急の振幅をそれほど強調しないかわりに、一音一音のアーティキュレーションに すこぶる細やかな表情付けが丁寧に付帯されていて、音色の冴えも相変わらず良好。こちらもチェロ同様、 音色自体にも独特の魅力がある。楽器はヒューイット愛用の銘器ファツィオーリ。

もっとも、両者のスタイルとして、ミュラー=ショットはすこぶるダイナミックにして闊達な弾き回しなのに 対し、逆にヒューイットの方は全体にダイナミクスが抑制されているため、アンサンブルとしてはどうしても チェロ上位のバランスになり勝ちで、ピアノが一歩退いた感じの表情に聞こえる局面もあるようだ。 従ってピアノとチェロが火花を散らすような演奏という感じではなく、主役はチェロで、ピアノが名脇役と いう印象。とはいえそれは妥協の産物という感じでもなく、聴いていて、両奏者のアーティストとしての パーソナリティからすると必然的にそうなるというような強い説得力が感じられる。

3曲とも表出力の高い名演だが、特に第3ソナタが素晴らしい。作品の深みに拮抗するだけの見事なテクニックと 表出力に加えて音色のクオリティも非常にいい。第1楽章(7:23)からのffでのミュラー=ショットの ボウイングの表出力には聴いていて鳥肌が立ったほどで、そのチェリストとしての潜在的な表現力には凄いものが あると思う。

マーラー 交響曲第4番&モーツァルト 「ドン・ジョヴァンニ」序曲
 K.ザンデルリンク/BBCノーザン交響楽団、ロット(sop)
 BBC-Legends 1978年 BBCL4248

08年10月に初リリースされたクルト・ザンデルリンクのマーラー4番。ザンデルリンクのマーラー というとこれまで9番とクック補筆の10番、それに「大地の歌」を加えた3曲のみが録音されて いたが、8番以下の作品の録音としてはこれが初めてのはずで、そのあたりの興味から購入して聴いてみた。 ただ、購入時にはてっきりBBC放送用のライヴ音源による演奏と思っていたが、良く見ると マンチェスターのBBCスタジオでのスタジオ録りだった。

演奏内容は、率直に言うといまひとつインパクト不足という印象が最後まで拭えなかった。 ザンデルリンクのマーラーということで、先入観として構えの大きな、巨匠風の演奏を思い浮かべて いたのだが、そういうイメージはこの演奏には希薄だ。テンポはオーソドックスで、むしろ平均よりやや速め。 それでも全体にザンデルリンクらしい緻密なアンサンブルの練り上げは顕著で、ハーモニーの内部まで 日が差し込むようなパースペクティブの良好性が、堅固な造型バランスのもたらす音楽としての格調と結託し、 それが一定の聴き映えをもたらす。その意味では名演としても、ザンデルリンクとしての 個性感の刻印の度合が弱いのが不満。前述のテンポ取りの他にも音響的な強度感、フレージングの表情、音色の濃さなど、 全体的に無難というか手堅いというか、どうも聴いていて表出力が振るわない。BBCノーザン響の響きも全体に地味で、 色彩の立ち具合が大人しい。

このマーラーの4番が、78年にスタジオ録りされていながら、2008年まで 日の目を見なかった理由は、ザンデルリンク本人が承認しなかったからではないかと、 この演奏を聴いていて思った。それはあくまで憶測で、逆にディストリビューター側の事情かも しれないが、どうもそういう気がする。

このマーラーの4番がリリースされる少し前に、ザンデルリンクとベルリン響のベートーヴェン「第9」の87年ライヴが リリースされたが、そちらは圧倒的な名演で、同じ「第9」でも、ザンデルリンクが81年にフィルハーモニア管と録音したスタジオ盤とは、表出力がケタ違いだった。そして、今回リリースのマーラーには、どちらかというと、その フィルハーモニア管とのベートーヴェン「第9」と同じような、ショーウィンドウ的な雰囲気が強かったように思う。

以上のように、演奏そのものはちょっと期待外れだったが、それはこちらの期待度がいささか高すぎたせいかもしれない。 フェリシティ・ロットの若き日のみずみずしい歌唱も含めて、演奏そのものは悪くない水準だった。

レオポルド・モーツァルト 交響曲作品集
 バーメルト/ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ
 シャンドス 2007年 CHAN10496

シャンドスにより続けられている「モーツァルトと同世代の作曲家シリーズ」の一枚で、アマデウスの父レオポルドの 交響曲作品を収録したアルバム。収録曲は@交響曲ハ長調(C1)A交響曲ニ長調(D17)B交響曲ハ長調(D1)C交響曲 ト長調(G14)D交響曲(パルティータ)ハ長調(C4)E交響曲ニ長調(D25)。以上6曲すべて、本ディスクが世界初録音と される。

レオポルド・モーツァルトの作品集で構成されるアルバム自体はこれまでもあったが、 それらには「おもちゃの交響曲」とか、新ランバッハ交響曲などの、ある程度の知名度のある作品も 含まれていたと思う。このシャンドスのアルバムのように、これまで一度も録音されていないマイナーな作品で構成された ディスクはおそらく初めてで、こういう意欲性はこのシリーズのひとつの特徴だろう。

ひととおり聴いてみた感想としては、やはり音楽としての並はずれた創造性とか、時代を画するようなインパクトなど とはおおむね無縁な、貴族趣味的な嗜好の強い音楽という感じで、何がしかの深みを伴うような余韻もさほど強くない。 とはいえ、その親しみ易い楽想は聴いていて実直に愉悦的だし、18世紀後半のヨーロッパという時代の空気が 屈託なく反映されたような、開放的なムードにも魅力がある。演奏の良さもあり、音楽としては十分に楽しめるアルバムだ。

アマデウスとの関連という点では、聴いた印象として、ここでの一連のレオポルドの交響曲は、アマデウスの 初期の交響曲群に雰囲気的に近い感じがする。アマデウスが初めて交響曲を書いたのは1764年と言われ、 このディスクに収録されているレオポルド作品の作曲時期とだいたい一致するから、おそらく何らかの 影響をアマデウスに与えたと考えるのが自然。また、作曲家としての、レオポルドの終点とアマデウスの始点が 同じ地点であることも伺われる。

ちなみにEの交響曲ニ長調(D25)は1771年に作曲されたレオポルドの絶筆で、この作品を最後に作曲活動 から足を洗い、以後アマデウスの音楽教育とプロモーションに専念することになる。

ヴェルディ レクイエム
 リヒター/ミュンヘン・フィル
 アルトゥス 1969年ライヴ ALT156/7

08年10月に初リリースされたカール・リヒターのヴェル・レク。バッハのスペシャリストによる、ロマン派作品の 稀少な録音。リヒターのロマン派ものとしては、かつてベルリン放送響とのブルックナーの4番が リリースされたこともあったが、このヴェル・レクはさすがに驚きで、おそらくリヒター指揮の演奏としては、 ドイツ作品以外ではこれは唯一ではないか。

ライナーノートによると、この音源の提供元はリヒターの子息にしてラインドイツ・オペラ総監督のトビアス・リヒター 氏。収録されている演奏はミュンヘンのドイツ博物館コングレスザールでのコンサートにおけるライヴだが、録音自体は 商用目的ではなかったらしく、当時のミュンヘン・バッハ管の楽団員の一人による私的録音が本CDの音源として 使われているとのこと。とはいえ録音機材は商用ベースのものが使われたと言われ、実際その音質もかなり しっかりしている。ダイナミックレンジが多少せまく、アナログノイズのレベルも高めだが、ステレオ感はかなり 良好で、音像も鮮明で臨場感に富み、商用のものと比してもほとんど遜色を感じない。

以上のようにこのリヒターのヴェル・レクは、録音自体は極めて貴重で資料的価値も高いものの、演奏そのものに 関しては、聴く前は正直それほど期待していなかった。以前のベルリン放送響とのブルックナーの4番があまり パッとしなかったからで、やはりバッハのスペシャリストにロマン派作品は合わないのではないか、という 先入観が拭えなかった。しかし、いざ聴いてみると、その見事な名演ぶりに驚かされた。

全体にブルックナーの時と同様、かなり禁欲的なスタイルに則しているが、アンサンブルの充実感がはるかにいい。 リヒター最晩年期の77年録音のブルックナーと違い、こちらは充実期における録音で、しかもオケもリヒターの手兵 ミュンヘン・バッハ管と親戚関係ともいうべき名門ミュンヘン・フィル。その差が端的に出ている。

演奏様式は、完全なドイツ様式とでもいうべきか、イン・テンポ中心の粛々とした進め方で、トッティにおいても 決してアンサンブルを絶叫させず、むしろ祈りのような透明感と厳かな高揚感が印象付けられる。 ディエス・イレなど、冒頭からかなりスローな固定テンポをテコでも動かさず、打楽器の強打リズムを硬質的に 打ち鳴らし、まるでドイツ系統のシンフォニーの出だしのような音楽の威容が素晴らしい。

非絶叫型のスタイルゆえに、歌手の歌唱も含めてダイナミクスそのものは抑制がかっていて、局所的なインパクトも弱いが、 この演奏ではその徹底ぶりがハンパでなく、それが得難い表出力に転嫁されていて傾聴させられる。 完全に「リヒターのヴェル・レク」で、演奏に対するリヒターの確固たるヴィジョンが聴いていて良く伝わってくる演奏だ。

モーツァルト 歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」全曲
 スウィトナー/ベルリン・シュターツカペレ
 DENON 1969年 90C37-7181-83

これは先日、神田の中古CD店で購入したもの。モーツァルトの「コシ」には正直それほど馴染みも思い入れもないのだが、 値段の安さにつられて購入してしまった。なにしろ3枚組で歌詞対訳つきで1500円(ちなみに定価は9000円) で、盤質も問題なし。

ひと通り聴いてみた感想は、率直に言えばシナリオはちょっとアレだが音楽はやはりいい、 というもので、まあ月並みな感想だが、やはりそう思う。こんなシナリオには勿体ないくらいの音楽、というべきか。 音質は年代を考えると非常に良く、下手なデジタル録音より音響的な臨場性に富んでいる。ただ、ヴォルーム・レベルがやや 低めに録られているため、通常より2・3割高めの音量で聴くとちょうどいいようだ。

スウィトナーの指揮はおおむね 正攻法の格調高いもので、弦は堅実かつ克明にフレーズを刻み、それに管パートの素朴にして柔らかい音色が味わいを 添える。誇張感を抑えた誠実な運用であり、歌唱とのアンサンブルにおいてもハーモニーのパースペクティブが すこぶる良好で、オペラ演奏としてのナチュラルな愉悦感が聴いていて直截に伝わってくる。ただ場面によっては 正調に過ぎるというか、表情の誇張感に乏しく、シナリオのマンガ的性質からすると、何となく真面目過ぎるような 違和感を若干感じたのも事実で、あまり思い入れのないオペラだけに、何らかのスパイスがもう一味欲しい感なきにしもあらず。

歌唱陣については、それぞれの歌唱を単独で考える分にはいずれも非常に立派で申し分ないと 思うが、性格対比という面でちょっとひっかかるものがある。具体的にはフィオルディリージ役カーサピエトラと ドラベラ役ブルマイスターの配役がそうで、両者の歌唱を比べるとブルマイスターの方がカーサピエトラより ひとまわり貞淑な感じがする。しかし台本上、ドラベラは第2幕5場で早々と「陥落」するが、フィオルディリージは 第2幕12場でようやく陥落することからも明らかなように、性格的にはフィオルディリージの方がドラベラより も貞淑のはずで、そのあたりの対比がちょっと曖昧だと感じる。

フェルランド役シュライアー、グリエルモ役ライプ、 アルフォンソ役アダムはそれぞれ歌唱も上手いし芸達者ぶりも上々だ。しかし芸達者という点でピカイチなのは むしろデスピーナ役ゲスティで、第1幕終盤での医者に化けてラテン語もどきをまくしたてるあたりとか、 第2幕終盤で今度は公証人に化けて契約書を早口でまくしたてるあたりとか、いずれも聴いていて思わず吹き出して しまうほど面白い。

フローラン・シュミット 組曲「サロメの悲劇」&イベール 交響組曲「寄港地」&オネゲル 管弦楽作品集
 マルティノン/フランス国立放送局管弦楽団
 EMIクラシックス 1971年頃(オネゲル)、74年(イベール)、72年(シュミット) TOCE-8205

フランスの名匠ジャン・マルティノンが晩年に音楽監督を務めたフランス国立放送局管と録音したフランス作品集。 オネゲルは「パシフィック231」「夏の牧歌」「ラグビー」の3作品を収録。

全体的にマルティノンらしい音楽の味の濃さとエスプリの効いた表情を備えた名演だと思う。ベストは フローラン・シュミットの「サロメの悲劇」で、第2部の「稲妻の踊り」から「恐怖の踊り」にかけての 演奏がものすごい。黙劇のシナリオでいうと、ヨハネの首が落とされてからサロメの絶命までのシーンで、 ヨハネの血で海が赤く染まるとか、舞台の上が無数のヨハネの首で埋め尽くされるとか、実に血なま臭く壮絶だが、 それに匹敵するほど演奏も壮絶で素晴らしい。オーケストラのコンディションとしては、おそらく 同じオーケストラで最晩年に録音した、サン=サーンスの「オルガン付き」に聴かれる圧倒的なまでの 管弦楽的充実感に近い水準で、舞台の異常な雰囲気が聴いていて良く伝わってくる感じがするし、その 場面に到るまでの、第1部の前奏曲と「真珠の踊り」の方も濃密なアンサンブルのタッチが緊張した情景の ムードを表現主義的な凄味とともに描いていて見事だと思う。

オネゲルの3曲も「サロメの悲劇」と同格の名演。しかしイベールの「寄港地」は少し落ちるように思う。 シュミットやオネゲルと比べて演奏としての強烈度が落ちるし、この曲の一般的な演奏スタイルとしても、 いまひとつ表情の変化や陰影に乏しいとも思える。マルティノンのイベールというと50年代に パリ音楽院管弦楽団と録音したフレンチ・アルバムに含まれる 「ディベルティスマン」の名演が思い浮かぶが、「寄港地」もこの時期に録音していたら、また 違った結果になっていたような気がする。

マーラー 交響曲第9番
 クーン/マルキジャーナ・フィル
 エームス・クラシックス 2004年ライブ OC345

グスタフ・クーンの演奏に初めて接したのはコル・レーニョに録音した一連のベートーヴェンの交響曲の演奏で、これがいずれも超名演だったので、クーンの他の録音についても興味が向いたのだが、調べてみるとほとんどがオペラもので、交響曲の録音はたった一点しかリリースされていない。それがこのマーラーの9番で、オーケストラも初めて聞く名前だ。クーンが音楽監督を務めているイタリアのオーケストラとのことで、イタリアのオケによるマーラーというのも、このディスクで初めて聞くような気がする。

その演奏だが、名演であることは確かだと思うも、超名演とまでは至らず、という印象。クーンの指揮の力点がハーモニクスの明晰な描出にあることは聞いていて明らかで、どんなに最強奏でもソノリティの透き通るような見通しの良さが持続し、どんなに最弱奏でも響きがキリッとした生彩を失わない。その意味でも名演だし、加えて局部的なインパクトも十分にある。第1楽章の(4:33)あたりのチェロの生々しい律動感や(18:42)のティンパニの激烈、その直前のトロンボーンの凄まじい慟哭感など、いずれもまさに音楽が音楽として語りかける響きの強さを感じさせるものだ。完成度も高い。終演後の拍手で、これがライブ録音と分かるが、それが無ければスタジオ録音と勘違いするほど。

対して難点と思われるところは、アンサンブルの質感と全奏での凝縮力で、全体に響きがやや軽めの印象であるのに加えて、ここぞという時にいまひとつのパワフルさが欲しい場面がある。音色も全体に晴れやかというか明るい色彩で、イタリアのオーケストラの特性を感じさせるが、それが局面によっては裏目に出ることもあるようだ。

ブルックナー 交響曲第9番 
 スクロヴァチェフスキー/ミネソタ管弦楽団
 レファレンス 1996年 RR81

確かに名匠スクロヴァチェフスキーの指揮そのものは至極見事なものだと思う。その精緻を極めるアンサンブル運用は 音楽の輪郭を鮮やかに描き切っているし、どんな強奏時においてもハーモニーが澄んだ美しさを保持し、透明感抜群。 それでいて響きの力感も高く、迫力的にも素晴らしいし、ミネソタ管のアンサンブルも、ことに金管パートを中心に 呆れるほど上手い。

それにも関わらず、演奏から受ける感銘の度合いという点では、意外に振るわないというのが率直なところだ。その 理由は、ひとつには音質、ひとつにはオーケストラ自体の音色の特性にあるように思う。

まず音質だが、オーディオ・ファンに人気の高いレーベルだけあって、確かに高音質といえば高音質だ。音響の 抜けの良さといい、解像度の高さといい、今日のSACD仕様にも比肩するようなレベルで、その点は凄いが、 そういう音質面の特性がいささか強調され過ぎているのか、この音質には聴いていてどうも違和感を感じる。 音響自体が人工的に過ぎるというか、まず残響感が極端に抑えられているうえ、音響の分離も良過ぎて音色の相互の 溶け合いの妙味がほとんど聴かれない、かなりドライなソノリティという印象を受け、率直にいうと深みに欠ける。

オーケストラの音色の特性という点でも同様にいまひとつ深みを感じにくい。技術的には上手いし、とにかく良く鳴るが、 それが時にあっけらかんと響き、音楽を軽からしめている感じがする。そもそもアメリカのオーケストラによる ブルックナーの録音には、聴いていて良いと思うものが非常に少ない。その意味でこのスクロヴァチェフスキー盤には 期待したのだが、その手腕をもってしても難しかったようだ。

ドヴォルザーク 交響曲第8番、交響詩「野ばと」、交響詩「真昼の魔女」
 クライツベルク/オランダ・フィルハーモニー管弦楽団
 ペンタトーン・クラシックス 2006年 PTC5186065

ヤコフ・クライツベルクというと2002年のチェコ・フィル来日公演においてすみだトリフォニーで聴いた ドヴォルザークの「新世界」が思い出される。老舗チェコ・フィルを相手にしながらおよそ気後れ も気負いも感じさせない堂々とした指揮ぶりが印象に残っており、演奏自体もなかなかの名演だったと記憶している。

このCDは2007年にリリースされたものだが、奇しくも同じドヴォルザークのアルバム。 第8シンフォニー第1楽章から弦、木管ともに音色の色合いの立ち具合が極上で、ハーモニーが 実にみずみずしい。強奏時における若武者のような切れ味抜群のアンサンブル・ドライブも素晴らしく、トッティの 充実感も抜群だ。ことに(6:18)からの強奏展開の痛切感! 第2・第3楽章の味の濃い音楽の流れも絶品で、 ロマンティックな造形とリアルな響きが絶妙に拮抗している。終楽章もすこぶる充実的で、聴いていると、5年前にすみだ トリフォニーで聴いた際のゾクゾクするような感興が実感として蘇ってくるようだ。

SACDハイブリッドによる 音質は臨場感が傑出的で、その水準はほとんど実演なみとさえ思えるほど。クライツベルクが音楽監督を務める オランダ・フィルの演奏水準も素晴らしく、各ソロのフレーズの切れ、音色のコク、ソノリティの質の高さ、いずれも 抜群で感服させられる。

2曲の交響詩も名演。「野ばと」は(14:35)あたりの悲劇的色彩の強烈感に圧倒させられるし、 「真昼の魔女」の方では(8:30)からのくだりの音響的緊張感が尋常でない。

ブルックナー 交響曲第8番
 ヴァント/バイエルン放送交響楽団
 The Bells of Saint Florian 録音年不詳 AB-6-7

おそらくプライベート盤だが、音質は正規盤並みにいいし、演奏もいい。

ギュンター・ヴァント指揮のブル8の録音は、 2008年現在で、ケルン・ギュルツェニヒ管、ケルン放送響、北ドイツ放送響(2種)、ベルリン・フィル、 ミュンヘン・フィルとの演奏が残されているが、このバイエルン放送響との録音は、それらの一連の演奏と比べると やや毛色が違う感じがする。全体的にオーケストラの気迫のこもったソノリティの感触により打ち出される熱演的手応え に満ちた演奏で、ヴァントの晩年から最晩年の時期のブルックナーのような、霊妙にして深い響きの立ち込めるような 雰囲気とはかなり違うが、名器バイエルン放送響のポテンシャルを十全に活かしたようなそのアンサンブル展開の充実 感に思わず聞き惚れてしまう演奏だ。

第1楽章から音楽の進行に伴い、緩急のメリハリや濃淡の対照の強さが比較的 くっきりと打ち出された熱演という印象が強い。ヴァントの他の同曲のディスクにはない、一発勝負的なスリル感が 充溢する内容というべきか。ここではトランペットの絶好調ぶりが印象的だ。(14:37)など、実にいい。第2楽章は ヴァントの指揮にしてはちょっと落ち着かない感じもあるものの、内燃的な迫力感は素晴らしい。

第3楽章は、最も ヴァントの演奏らしさが伺われる名演。例えば(11:31)の強奏展開など、練れ切ったソノリティの充実感が凄いし、(18:10)からの強奏展開は、先ほどとは対照的なまでに絶叫を抑えたソフトな佇まい。このあたりの音響構築の緻密ぶりと 多彩ぶりには目を見張らされる。終楽章はかなり力のこもった熱演。弦パートの充実感が素晴らしい。(6:45)あたりなど 震撼的だし、全体にバイエルン放送響の底力がヴァントの並外れた統制力と結託し、アンサンブル展開は充実を極め、 得難いまでの感興がコーダまで一貫する。

ブラームス 交響曲全集
 G.アルブレヒト/ハンブルク州立フィルハーモニー管弦楽団
 ハンブルク州立歌劇場自主制作盤 1987〜97年ライブ BR0497/1-4

ゲルト・アルブレヒトが音楽監督を務めたハンブルク州立フィルを指揮してのブラームス交響曲全集で、すべて ハンブルク・ムジークハレでのライブ録音となっている。

録音年に少し開きがあり、第1番が87年、第2番が 97年、第3番が94年と97年、第4番が88年の録音。そして、この録音年の開きに照応するように、 演奏内容としても4曲においてそれなりにムラがあるように感じる。

全体的に名演だと思うが、その中でも 87年に録音された第1番の演奏内容が突出的にいい。これはアルブレヒトがハンブルク州立フィルの音楽監督に 就任する一年前の録音とされるが、その演奏内容は圧倒的だ。

第1楽章冒頭からの異様なまでに切迫した激烈な強奏といい、 主部を経て展開部から再現部へ到るまでの激流のような音楽の流れといい、この演奏は作曲者の心情をそのまま 表しているとさえ思えるような、強力な説得力に満ちていて、息を呑む思いで聴き入ってしまう。中間2楽章の 詩情も素晴らしく、まさにブラームスゆかりの都市ハンブルクの伝統の息遣いとでもいうべきものが、音楽の 中に脈々と息づいているかのような演奏。終楽章の素晴らしさもハンパでなく、わけても起伏部においては アンサンブルの限界点をも超えるような演奏の勢いに圧倒させられる。まさにアルブレヒト会心の演奏という べきものだ。

以上の第1番の演奏に比べると、名演とはいえ他の3曲はちょっと印象が霞んでしまうところが ある。特に第2番の演奏は、アンサンブルの勢いというか音響的な強度感が、その10年前の第1番の演奏より 明らかに聴き劣る。その点がかなり物足りないとはいえ、アンサンブルの発する音色のクオリティ自体はハイ・レベル で惚れぼれさせられるし、アンサンブルの練り上げの緻密ぶりも、第1番の演奏に輪をかけて良く、いかにも円熟感の 高い好演という感じがする。

第3番もおおむね第2番と同じ印象。第4番は第1番と録音時期が近いが、 録音プロデューサが異なっているようで、第1番の演奏よりも耳当たりが若干ソフトな感じがする。そのぶん 強烈感が落ちるものの、演奏自体の勢いの良さは第1番のそれに近いものがあり、ブラームス演奏に対する 指揮者とオーケストラの確固たる自負が演奏の説得力として結実したかのような快演だ。

ラインベルガー ヴァイオリンとオルガンのための6つの小品、ヴァイオリンとオルガンのための組曲
 デニソヴァ(vn)、シュトルツェプ(org)
 アルテ・ノヴァ 1997年 74321-58965-2

ヨゼフ・ラインベルガーはドイツ・ロマン派の流れを組む作曲家の一人で、フルトヴェングラーの師匠筋に当たる人と して知られる。

このディスクに収録されているのはヴァイオリンとオルガンのための作品集だが、両者の対位関係は対等ではなく、 比率的にはヴァイオリン8にオルガン2という感じであり、あくまで主導はヴァイオリン・ソロ、それをオルガンが 縁取りつつ音楽が進行する。

その作風はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を一層甘美にしたような、情緒纏綿と いうような雰囲気が支配的で、ひとつ間違えればムード・ミュージックともなり得るほど。それだけに演奏者の表現力 が生命線の作品ともいえそうだが、ここでの演奏は素晴らしい。エレーナ・デニソヴァのヴァイオリン・ソロは甘美な フレージングの線を程よく強調しつつもそれを過分に広げすぎず、強めの音色とキレの良いボウイングを核とするシビア な色彩を音楽に付与することに成功しているため、演奏がムード・チックに堕さず、きりりとしていて、最後まで安心 して聴き通せる。

白眉は「6つの小品」の6番目の「序曲」。明らかにバッハの無伴奏ソナタからの影響と思われる フレーズを感じさせる佳曲であり、演奏もバッハ的なものを感じさせるに十分な内容だ。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集
 プレトニョフ(pf) ガンシュ/ロシア国立管弦楽団
 グラモフォン 2006年ライヴ 4777475

全5曲とも2006年9月のボン・ベートーヴェンハレにおけるコンサートのライヴ録音。プレトニョフは このコンサートを最後にピアニストとしての活動を終了し、指揮業に専念する方針とのこと。

この全集盤はもともとバラでリリースされていた録音を集成したもので、定価もかなり安い(同じ録音 の国内盤をバラで買った時と比べるとちょうど半額になる)。

演奏内容はリリース当初からかなり話題になっていたものだが(ネット上でも「賛否両論」という類の セールスフレーズが見かけられる)、実際聴いたかぎりでも、かなり個性的な演奏だと思う。ピアノ・ソロに 関する大まかな特徴を挙げるとすると、全5曲とも、程度の差はあるものの、おおむね
@個性的なルバートを多用する。
Aスコアの細かい指定に必ずしも忠実でない。
B強弱のメリハリ効果を大胆に強調する。
という演奏様式が採られている。

全5曲の演奏中もっとも凄いと感じたものは第4協奏曲で、これが5曲中のベスト演奏だと思う。まず冒頭の メイン・テーマを出すソロが意表を突いた弾かれ方で驚かされる。スタッカートがスタッカーティッシモ風に 弾かれ、しかも第2小節アタマなどのスラーつながりの音符も全部スタッカートにして弾いている。ずいぶん 独創的だ。全編にピアノ・ソロの表情の強さが際立ち、例えば(3:58)あたりのソロの振幅の強烈感といい、(8:23)あたりの ものすごいルバートといい、ショパン風なロマンティズムをも思わせる鮮烈な感触を与えられて、聴いていて 新鮮きわまりない。再現部冒頭のソロの強打の凄いこと。カデンツァでの大いなる自在感。第2楽章と終楽章も含め、 この作品をこれほど個性的に弾いた演奏というのも珍しいと思うが、それが実に音楽的であり、少なくとも 奇抜なだけに終わらない表情の豊かさと音楽としての充実感に昇華されていて素晴らしいと思う。

この第4協奏曲に次いでは、第3協奏曲と「皇帝」がいい。第3協奏曲もやはり個性的な内容で、細かく 聴いていくと、第4協奏曲同様、スコア通りでない弾かれ方も耳につく。大きなところだと、第1楽章の カデンツァ460小節のところ(13:53)で、16分音符のアタマだけ弾くようにして分散和音の雪崩れ落ちるような 効果を強調しているのが印象的だ。「皇帝」の方はむしろデュナーミクとアゴーギグの振幅感に圧倒される。

以上の3曲に比べると第1と第2の協奏曲は、やや印象が落ちる感じがする。プレトニョフの個性感の発露が それほどでもないからで、確かに普通の演奏と比べるとずいぶん表情を付けた内容で、聴いていて 新鮮さには事欠かないものの、第3協奏曲以降の演奏のそれと比べるとかなり大人しい。おそらく作品の構造自体が 純古典的なので、そうなってしまうのだろう。確かに個性的だが、その個性感が第4協奏曲ほどには際立たないようだ。

ビゼー 交響曲第1番&ブラームス 交響曲第3番
 フルネ/東京都交響楽団
 フォンテック 2000年ライブ(ビゼー)・2001年ライブ(ブラームス) FOCD9157

ビゼーはサントリーホール、ブラームスは東京芸術劇場でそれぞれライブ収録。いずれも90歳間近の指揮者 によるものとはにわかには思えないほど立派な演奏。

しかし、ビゼーの方は聴いていてどうもしっくりこない というのが率直な感想。終楽章を除いて スロー基調のイン・テンポ・スタイルを貫いていることが理由で、確かに音楽としての恰幅はすこぶる立派ではあるものの、 それが必ずしも曲趣と調和しないような印象が拭えない。やはり17歳のビゼーが書いた若書き作品に対し、このテンポ取り はちょっと過分なような気がする。強奏時の全奏の鳴り具合もフルネと都響の水準としては物足りなく、木管の響きも おおむねソフトで、特に第1楽章や第3楽章において表情のメリハリがいまひとつ薄い。逆に第2楽章はスタイルの長所が かなりストレートに感じられる名演で、オーボエの第1テーマのしっとりとした美感、(3:55)あたりの静的な高揚力など、 いずれも演奏の構えの大きさを背景に音楽が強く訴えかけてくる。

対してブラームスの方はビゼーとは対照的に速めのテンポを 主体とするオーソドックスなスタイルで、こちらの方が内容的には上だと思う。第1楽章冒頭から アンサンブルの鳴り具合がビゼーの時よりも明らかに充実的で、ことに金管パートの好調ぶりが際立つ。わけても 同楽章コーダ(7:49)あたりなど、金管の鳴りが強すぎて弦の強奏さえ霞んでしまうほどだが、その高揚感はバツグンだ。 第2・第3楽章も全体に音色の強さと美性とを兼備したようなアンサンブル展開が素晴らしく、やはりビゼーの時より 音楽の味がひとまわり濃い感じがする。終楽章は冒頭の弱奏からフォルテへ向かってのアンサンブルの迷いのないビシッと した歩調で、金管パートも相変わらず好調、特に(3:50)あたりの表出力が見事だが、さらに印象的なのは(4:10)あたり からのアッチェレランドの強烈感で、その迫力はテンポの動きを徹底的に抑制したビゼーの時とは別人とさえ思えるほどだ。

ショーソン 交響曲&ラヴェル 「マ・メール・ロア」組曲、スペイン狂詩曲
 フルネ/東京都交響楽団
 フォンテック 2003ライブ(マ・メール・ロア)、2004年ライブ(ショーソン、狂詩曲) FOCD9257

ショーソンは第1楽章冒頭序からアンサンブルの緻密で濃密な練り上げが素晴らしい。広大な情景が拡がるよう。(2:55)あ たり、なんと雄大な! 主部に入ってもアレグロに反してテンポは上がらない。確信的なスロー・テンポ。

その流れにおいてはこの楽章の情動的な猛りこそ希薄としても、常に音色の陰影に意の注がれるアンサンブルが導出する 大河的な音楽の迫力と美しさとが際立っていて、ことに(10:35)あたりのクライマックスから、再現部を導くあたりの、 ハーモニーの雄渾な佇まいは、一度聴いたら忘れられないくらい。第2楽章は、前半の静謐と後半の裂ぱくとが、 完全に一体的な流れの中で連結されている。まるで自然の気候の推移のようだ。

終楽章は、迫力面ではもう少し ティンパニが強くてもと思うも、スロー調の利を生かしたハーモニクスの広々とした佇まい、音彩推移の克明性による 機微など、すこぶるつきだ。そして、91歳!のフルネを懸命に支えようとする都響のアンサンブルの献身的な響き。 これはラヴェルの2曲も同様であり、N響あたりの気の抜けたアンサンブルとは段違いの充実感だ。

ブラームス 交響曲第1番、声楽作品集
 ガーディナー/オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク
 ソリ・デオ・グローリア 2007年ライヴ SDG702

収録曲は@ブラームス 埋葬の歌Aメンデルスゾーン 「われら、人生のただ中にありて」Bブラームス 運命の歌Cブラームス 交響曲第1番。

07年秋から2年間かけてブラームスの4つのシンフォニーと主要な合唱作品をライヴ録音してゆくという、 ガーディナーのブラームス・プロジェクトの第1弾ディスクとのことで、 ガーディナー自身の運営するソリ・デオ・グローリア・レーベルから07年9月にリリースされた。

これまでピリオドオーケストラによるブラームスのシンフォニー録音はほとんどなされていないはずで、 かつてノリントンがロンドンプレーヤーと録音した演奏くらいしか思い当たらない。このガーディナー/ORR管の 演奏は果たしてどんな感じだろうか。

さっそく聴いてみると、第1楽章冒頭のフォルテから金管パートの突出感がもの凄くて驚かされる。 それは(2:26)からの主部においても同様で、ナチュラルホルンの音色がすこぶる鮮烈に響きわたる。 楽章を通して、管パートの音色の冴えが抜群にいい。弦楽器は重厚さこそ薄いが強靭な音色の切れ味が鋭く、 ティンパニの音立ちもパリッとしていて、 編成規模からすると想像しがたいほどの音楽の迫力がコンスタントに立ち現われている。テンポは おおむね快速調だが、速め一辺倒でもなく、むしろオーソドックス。だからこそピリオドアンサンブルの発する ハーモニーの異色感がこよなく強調される形になる。(10:55)からのクライマックスの強烈な響き!

第2楽章と第3楽章も個性的で、ヴィブラートを抑制したフレージングラインは造形的輪郭を美しく描き出し、 このシンフォニーの一般的なイメージである重厚なロマンティズムとは明らかに一線を画する表情形成。 ピリオドアンサンブルの清潔感豊かな音色がその美しさを助長し、聴いていて晴れやかな気分にさせられる。

終楽章も非常な名演。ナチュラルホルンを中核とする金管パートの音色の冴えが絶妙で、管パートの 活力が際立っている。(2:24)からのホルン・コラールの濃密なこと。弦パートは必要以上に出しゃばらないが、 音色自体が常にキリッとしていて、アンサンブルの高揚力を全く落とさない。このあたりはバランス的にかなり スリリングで、聴いていて感服させられるほどだ。

このガーディナー/ORR管の演奏は、おそらくピリオドオーケストラによるブラームスのシンフォニー録音としては 現状において最良ともいうべき画期的な成果だと思う。少なくともかつてのノリントン/ロンドンプレーヤーを遙かに 凌駕する完成度と表出力を備えた演奏に仕上げられていると感じた。

ブラームス ドイツ・レクイエム
 ガーディナー/オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク
 フィリップス 1990年録音 432140-2

ガーディナーが創設したピリオド・オーケストラであるオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークとの 初録音で、ドイツ・レクイエムのピリオド・オーケストラによる演奏としても初録音。この曲が初演された1860年代の オーケストラの楽器と奏法の再現による演奏形式に拠っている。

スタイル的にはおそらくこの曲を構築するバロック的な特徴性に焦点を合わせ、情緒的なヴィブラートなどは極力排し、 対位法的様式をくっきりと浮き上がらせた、造形的輪郭の極めて明確な演奏内容となっている。

よってこの曲に対して一般的にとられるような、重厚さやロマンティシズムといった演奏要素はここでは極めて希薄だが、 その反面、端正な造型美やきびきびとした機動性、細やかな色彩美、細部まで緻密な旋律処理など、ピリオド演奏ならではの個性が端的に表れていて傾聴させられる。

全7曲の中では第2曲と第3曲の演奏が特に秀逸。第2曲では冒頭の葬送行進曲での引き締まったフォルムによる厳かな響きから、しだいに曲想的に力強く盛り上がっていく過程での緻密なデュナーミクの制御、中間部トリオでの舞うように軽快なアンサンブルによる晴朗な響きなど、いずれも素晴らしく、第3曲ではやはり後半の大規模なフーガでの精緻な旋律の走らせ方が際立っている。

第4・第5曲なども繊細にして歯切れの良いアンサンブルによる純音楽的に優れた名演だが、第6曲は主部ヴィヴァーチェ以降の「怒りの日」の楽想において若干の迫力不足が否めない。

合唱・独唱も全体的にオケに劣らず緻密性に優れ、相互のバランスにしても理想的で、ピリオド・オーケストラによるファーストレコーディングながらも非常に完成度の高い演奏だと思う。

ベルワルド 交響曲全集 
 ダウスゴー/デンマーク国立放送交響楽団
 ブリリアント・クラシックス 2000〜2004年 BRL93699

18世紀前半のスウェーデンの作曲家フランツ・ベルワルドの4曲のシンフォニーおよび 交響詩「ノルウェーの山の思い出」と音詩「妖精たちの遊び」が収録されている。もともとはシャンドスから リリースされていたもので、2008年にブリリアントから激安価格で再リリースされた。

ベルワルドの交響曲全集はヤルヴィ/エーテボリ交響楽団の録音(1985年録音、グラモフォン、F66G 50307/8)を すでに持っていて、内容的にもこれがあればとりあえずいいかと思っていたが、値段の安さもあって購入して聴いてみた。 ヤルヴィ/エーテボリ響の演奏とも部分的に聴き比べてみた。

ヤルヴィ/エーテボリ響の全集盤とはかなり雰囲気が違うものの、このダウスゴー/デンマーク国立放送響の演奏も 同じくらいの名演ぶりだと思う。ヤルヴィ盤と比べると色々な点で異なるが、最も大きな点は、アンサンブルの発する ハーモニクスが凝縮的なところだと思う。

このダウスゴー盤の演奏では、全体にフレーズの線を必要以上に広げず、ヴィブラートも抑制し、ハーモニーの音像 を常にキリッと維持し、響きを拡散させない。このあたり、ヤルヴィ盤は個々のフレーズの線がかなり分厚いし、 ヴィブラートも闊達だし、ハーモニーも拡散的で、響きが濃密でスケール味が高く、非常に聴き応えがあった。 対してこのダウスゴー盤は、そういう濃密性こそ薄いが、ダイナミクスの強弱に関わらずハーモニーの見通しが 非常に良く、細部の仕上がり具合や細かい表情のニュアンスという点でもヤルヴィ盤を凌いで素晴らしい。 テンポ設定もヤルヴィ盤よりおおむね遅めで、そのぶん緻密だし、ヤルヴィ盤では気づきにくいディテールの機微も このダウスゴー盤だと良く伝わってくる感じがする。

迫力面もかなり充実している。特に「サンギュリエール」の終楽章 が見事で、凝縮的なアンサンブルの繰り出すキリッとした音像のパンチ力が抜群。ヤルヴィ盤をも上回る迫力だ。

ドヴォルザーク スターバト・マーテル
 シノーポリ/ドレスデン・シュターツカペレ
 グラモフォン 2000年ライヴ 4710332

下に掲載のアーノンクール/バイエルン放送響によるドヴォルザークのスターバト・マーテルについての感想の中で触れた シノーポリ/ドレスデン・シュターツカペレによる同曲の録音。購入したのはもう7年も前だが、その時は 演奏そのものによる感銘もさることながら、このディスクに関する付帯要素に起因した、ある種の強い感慨が 聴いていて想起されたことが思い出される。

その付帯要素というのは、このディスクのリリース時期にまつわる。このシノーポリの「スターバト・マーテル」が リリースされたのが、2001年4月だったのだが、ちょうどその月の20日に、シノーポリはベルリン・ドイツ・オペラ でヴェルディの歌劇「アイーダ」を指揮中、心筋梗塞で倒れ急逝する。54歳というその若すぎる死を惜しむ声は当時 絶えなかったが、この「スターバト・マーテル」のリリースは結果的に、シノーポリ自身の死の前触れともなり、 また自身の演奏で自身の死を葬うというシチュエーションともなってしまった。

以上のような付帯要素ゆえ、演奏自体による純粋な感銘よりも付帯要素による感銘の度合の方がむしろ大きいくらいだが、 いずれにしてもこの演奏は感動的だ。上掲のアーノンクール盤と比較すると強奏時の音色の強度やトッティの痛撃力など が振るわないものの、聴き手を忘我の境地に誘うとでもいうような旋律形成の美しさは特筆的で、それが前記の付帯要素 によりこよなく増幅される。終楽章の終盤での劇的な高揚力もアーノンクール盤を凌いで素晴らしい。

この「スターバト・マーテル」は、シノーポリの最後の録音というわけではないものの、実質的にはまさにその 「白鳥の歌」ともいうような強烈な印象を付帯した、忘れがたい一枚だ。

ドヴォルザーク スターバト・マーテル
 アーノンクール/バイエルン放送交響楽団
 RCA 2007年 88697338342

アーノンクールとバイエルン放送響の共演による第2弾ディスクで、第1弾のシューマン「楽園とペリ」が 堂々たる名演だったため今回のドヴォルザークにも食指が伸びた。それにしても前回のシューマンといい、 意識的に地味な選曲を採っているのだろうか。ちなみにドヴォルザークのスターバト・マーテルのディスクを 購入したのは2001年のシノーポリ盤以来になる。

歌唱陣はルーバ・オルゴナソーヴァ(Sp)、ビルギット・レンメルト(A)、 ピョートル・ベチャーラ(T)、フランツ・ハヴラータ(Bs)という布陣で、合唱は バイエルン放送合唱団。

それで聴いてみると、第1曲冒頭のピアニッシモが緩やかに起伏し、(2:06)あたりで慟哭を 迎えるまでの流れに聴かれる音楽の悲痛味がすこぶる鮮烈に奏でられていて、この3分足らずで、 この演奏はまず名演だと確信させられる。(3:39)から再弱音で入るスターバトマーテル合唱は 静謐な透明感を湛えて美しく、オーケストラ伴奏のリアルに引き締まった音響のシリアス感が 合唱の美感をさらに増幅させる。中間部の四重奏での4歌手のアンサンブルも美しさの限りだ。

この第1曲に限らず、全体にここでのアーノンクールの表情形成においては、全10曲の曲趣に応じた幅広い 表情を名門バイエルン響から高感度に抽出しつつ、そこに例えばクールに冴えた旋律線によるシャープな造型感や、 トッティでの圧倒的な痛撃力を伴うドラマティックな起伏力といった、アーノンクール独自の個性ともいうべき 色付けが巧妙に敷設されていて、全体の9割以上がスローテンポ指定というこの特異な作品に対して絶妙な起伏感 を付与することに成功している。

作品に対するスタンスとしては感情的に飲めり込むような表情とは一線を画していて、客観的に作品を眺望しながら、 緻密な音響設計に基づいて音楽を構築するという風で、そのせいで内面から沸き起こる情動力に関しては 表情的にやや不足する感じもするものの、常に格調高い音楽の運びの中から、この曲のダイナミクスの凄味を いかんなく抽出させている点では間違いなく一級品の演奏という印象を与えられる。

全体にこのアーノンクールのスターバトマーテルは、ドヴォルザークの音楽としての 民族主義的な匂いをほぼ極限まで薄め切り、さりとてそれを例えばドイツ風というように換骨奪胎させるでもなく、 高性能オーケストラの支援を武器に、この作品の魅力をあくまで純音楽的なスタンスで描き出した美演と感じられた。 SACDハイブリッド仕様による音質も極上だ。

ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集
 ムローヴァ(vn)アントニーニ/イル・ジャルディーノ・アルモニコ
 オニキス 2004年 ONYX4001

収録曲は@ヴァイオリン協奏曲ニ長調RV.208「ムガール大帝」A4つのヴァイオリンのための協奏曲ロ短調RV.580Bヴァイ オリン協奏曲ハ長調RV.187Cヴァイオリン協奏曲ニ長調RV.234「不安」Dヴァイオリン協奏曲ホ短調RV.277「お気に入り」。

下に掲載のカルミニョーラとムローヴァの共演によるヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集についての感想の中で言及した、 2005年リリースのムローヴァによるヴィヴァルディの協奏曲アルバムがこのディスク。久しぶりに聴き返してみたが、 ヴァイオリン・ソロ、オーケストラ伴奏を含め、カルミニョーラとの共演盤とはまた違った魅力を感じさせてくれた。

上で書いたように、このアルバムでのムローヴァの演奏スタイルは擬似的な古楽器スタイルによる。 すなわち、使用楽器はバロック・ヴァイオリンではなく、自身のストラディヴァリウスを用いながら、弦を スチールからガットに張り替え、ピッチを415Hzに調律し、かつボウイングには バロック・ボウを使用するといった演奏様式が採られている。

このようなスタイルゆえか、カルミニョーラとの共演盤での演奏と比べると、こちらのオニキス盤の方が全体に 弾き回しが闊達で、音色の張りが強い。もちろんカルミニョーラとの共演盤では受け持ちがセカンド・ヴァイオリン なので単純比較は無理だが、少なくとも演奏のヴァイタリティや、純粋なヴァイオリズムとしての魅力という点では、 こちらのオニキス盤のヴィヴァルディの方により強い魅力が感じられる。

イル・ジャルディーノ・アルモニコの伴奏がまた強烈で、トッティのとんがり具合といい、フレージングの鋭角性といい、 音色の鮮烈感といい、いずれもヴェニス・バロック・オーケストラより一枚上手だ。演奏様式は、あの一世を風靡した ヴィヴァルディの「四季」のアルバムにも近い。局面によってはヴァイオリン・ソロの表出力さえ霞ませてしまう ほどで(とくにRV.234「不安」の第1楽章など)、コンチェルトとしては必ずしも理想的なバランスでないとしても、 凡庸感はほぼゼロで、その音楽の愉悦味が素晴らしい。

ヴィヴァルディ 2つのヴァイオリンのための協奏曲集
 カルミニョーラ(vn)、ムローヴァ(vn) マルコン/ヴェニス・バロック・オーケストラ
 アルヒーフ 2007年 4777466

収録曲はヴィヴァルディによる2つのヴァイオリンのための協奏曲 計6曲(RV.516、RV.511、RV.514、RV.524、RV.509、RV.523)で、 ヴァイオリン・ソロを共演するのはジュリアーノ・カルミニョーラと ヴィクトリア・ムローヴァという豪華な顔合わせだ。

カルミニョーラに関してはヴィヴァルディはほとんどホームグラウンドという印象があるが、 ムローヴァの方も、2005年にヴィヴァルディの協奏曲アルバムを イル・ジャルディーノ・アルモニコのバックでオニキス・レーベルに録音 していて(2004年録音、ONYX4001)、この演奏での名演ぶりも印象に残っている。

もっとも、その2005年のヴィヴァルディのアルバムでは、ムローヴァの使用楽器は バロック・ヴァイオリンそのものではなく、いわば擬似的な古楽器スタイルだった。 しかし今回のヴィヴァルディのアルバムでは、共演するカルミニョーラ同様、バロック・ヴァイオリンを 用いた本格的なバロック演奏となっている。

演奏内容は素晴らしく、最初のRV.516の第1楽章から、フレージングの切れ、ボウイングの運動性、 音色の強さ、そして両者のソロの掛け合いの緊密な一体感、いずれもあまりに際立っていて感嘆させられる。 特にカルミニョーラの歌い回しがまた闊達を極めていて凄い。カルミニョーラはこのアルバムのリリースされる 少し前に、アバド/モーツァルト管と組んでのモーツァルトの協奏曲全集をグラモフォンからリリースしていて、 それもすこぶる名演だったが、このヴィヴァルディでの演奏の生彩感は、ホームグラウンドの強みもあるのか、 そのモーツァルトの時よりもさらに冴えている感じがする。ムローヴァもカルミニョーラのソロにピタリと 付随し、まさに完璧にコミュニケートされた共演という感じで聴いていてワクワクさせられる。

バックのヴェニス・バロック・オーケストラのアンサンブルも含めて、演奏ピッチは440Hzとやや高めに 設定されているため、かなり響きが明るく華やかだ。華麗な演奏様式とあいまって、ちょっと華やかさが勝ち過ぎる 気配もあるとしても、ヴィヴァルディの音楽の悦楽を堪能するという点ではまず最高水準のアルバムだと思う。

ちなみに作品自体の魅力では、RV.511とRV.523が全6曲の中でもひとつ抜けている感じがする。 逆にRV.524とRV.509はちょっと地味だ。

ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第1番、第2番
 ミュラー=ショット(vc) クライツベルク/バイエルン放送交響楽団
 オルフェオ 2005年 C659081A

08年7月リリースのディスクで、進境著しいヤコブ・クライツベルクと名門バイエルン放送響との顔合わせ に興味をそそられて購入したもの。チェロ奏者はダニエル・ミュラー=ショットで、その演奏を聴くのは このCDが初めてだ。

ショスタコの2曲のチェロ・コンチェルトの録音に関しては、個人的にはナターリヤ・グートマン(コンドラ シン/モスクワ放送交響楽団)のライブ盤が忘れがたい(ライブ・クラシックス LCL202)。 このグートマンの演奏を聴いて、初めてこれらの曲がいかにもの凄いものであるかを 認識させられたものだ。

対してこのミュラー=ショット盤は、グッドマン盤ほどの強烈なインパクトには及ばないとしても、 これらのコンチェルトのもの凄さが聴いていて良く伝わってくるという点で、間違いなく名演だと 思う。

第1コンチェルト冒頭からミュラー=ショットのソロの技巧は一貫的にハイ・レベルで、作品の要求する難技巧に 完全に対応し尽くしているし、それに留まらない表出力の高さにも圧倒される。というより、 圧倒的なテクニックの冴えをそのまま表出力に転化させる術を熟知しているアーティストという 感じがする。

クライツベルクとバイエルン放送響の伴奏も見事なもので、アンサンブルに張り詰めた ような密度感が絶えないし、作品の生命線ともいうべきホルンとティンパニの音立ちの鮮やかさという 点でも特筆的だ。第2楽章の(9:00)近辺でのぞっとするような切迫味など、チェロ独奏の音彩の鮮やかさ と相まって、ちょっと忘れがたいほど。

第2コンチェルトの方も第1コンチェルトに劣らずの名演。 終楽章の(11:17)からの狂気感など、まさにショスタコーヴィチを聴く醍醐味に満ちている。

ドビュッシー 前奏曲集第1巻・第2巻
 オズボーン(pf)
 ハイペリオン 2006年 CDA67530

スティーヴン・オズボーンは71年スコットランド生まれの若手ピアニスト。07年4月に東京文化会館で ブラームスの第2協奏曲を弾いたのを聴いたのだが(デプリースト/都響)、なにかヘンテコな演奏という 印象があり、ピアニズムがブラームスにあまり合っていないような感じだった。

演奏後に会場で売られていたディスクを見ると、ドビュッシー、メシアン、ショスタコーヴィチといったあたりが並んでいたが、そういう方面に対する適性の強いピアニストなのだろうか、と思って購入したのがこのディスク。

まず第1巻の1番と2番の、夢幻的な音色の美感に驚かされる。まるで夢の中で聴くような、響きのふっくらとした美しさとはかなさ。ことにppやpなど良い意味での現実感の希薄さというのか、時にはピアノというより自然音を思わせる柔らか味さえあり、なんと美しい音楽だろうと、率直に思わせるようなピアニズム。

例えば第5番など、冒頭のppのスタカート上行といい、3小節めからのppの高音フレーズといい、まるで風鈴が風に揺られて鳴っているというような清涼感があり、中盤のタランテラ進行なども、左手のリズムを必要以上に強調せず、むしろ右手をしなやかに用いて、まるで一陣の風が吹き抜けるような音楽の肌合いだ。こういう雰囲気が第2巻も含めて全体に立ち込め、この作品集の良さを再認識させられるほどの、肌触りの新鮮さに魅了される。

難を言うなら強音の表現力が大人しい(ブラームスでもそうだったが)点で、 例えば第1巻の第7番などは、これでffがより鮮烈ならさぞかし。

ブリテン ピアノと管弦楽のための作品全集
 オズボーン(pf) ヴォルコフ/BBCスコティッシュ交響楽団
 ハイペリオン 2007年 CDA67625

収録曲は@ピアノ協奏曲(1945年版)A「若きアポロ」B左手のピアノと管弦楽のためのディヴァージョンズ。 また@には第3楽章の初稿版「レチタティーヴォとアリア」が別収録されている。

@は ブリテンの残したピアノ作品としては最も有名なものだが、「トッカータ」と題された第1楽章での2つのテーマの 扱い方がかなり独特で、 冒頭の第1テーマはピアノ、(1:14)からの第2テーマはオーケストラ、という分担がとにかく徹底されている。 そして(5:19)からの再現部では、この2つが同時に出される。普通は順次出るものなのに、同時に出るというのは かなり珍しい。「ワルツ」と題された第2楽章のノーブルなムード、「アンプロンプテュ」と題された 第3楽章の詩的な佇まい、そして「行進曲」と題された終楽章の弾けるようなギャロップ感。

この@に対し、ブリテンの残したもう一つのピアノ協奏曲であるBは 第1次大戦におけるロシア戦線で右腕を失ったウィーンのピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインの委託により 書かれた作品。ちなみにラヴェルも彼のために「左手のためのピアノ協奏曲」を作曲している。 このブリテンの「左手」はラヴェルの「左手」よりは知名度が低いが、左手のみの構成とはにわかに思えないほどの 華やかな楽想で、ラヴェルとはまた違った明朗な作風に魅力がある。

スティーヴン・オズボーンは71年スコットランド生まれの若手ピアニストで、07年4月に東京文化会館で ブラームスの第2協奏曲の実演を聴いたことがある(デプリースト/都響)。この実演はいまひとつ印象が 強くなかったが、そのときホールで購入したドビュッシーの前奏曲全集の録音が非常な名演だった。 それでこのブリテンのアルバムも購入して聴いてみたが、こちらも名演で、オズボーンはおそらくドイツ音楽とは 少し離れた地点にピアニズムの適性を備えているように思う。

ブルックナー 交響曲第6番
 D・R・デイヴィス/リンツ・ブルックナー管弦楽団
アルテ・ノヴァ 2008年ライヴ 88697319892

ブルックナーゆかりのリンツ・ブルックナーハウスでのライヴ録音。 デニス・ラッセル・デイヴィスとリンツ・ブルックナー管による一連のブルックナー・シリーズの録音では、 とりわけ第2交響曲が非常な名演と感じたが、今回の第6交響曲はどうだろうか。

ところで、リンツ・ブルックナー管によるブルックナーの6番には、アイヒホルン盤という稀有の名演がある (カメラータ CMCD15049)。そこで、そのアイヒホルン盤の演奏と聴き比べての感想も書いてみたいと思う。

楽章別にタイム比較すると、中間2楽章は両盤ともにほぼ同じだが、両端楽章は、デイヴィス盤の方が アイヒホルン盤より2分ほど長い。

全体的な印象を比べてみると、アイヒホルン盤の演奏の方は、おおむね管よりも弦を中核とする重厚感と 濃密感に特色があり、その音色はどこか洗練し切らない朴訥な風情を残した、味わい深いもので、テンポ取りも 端正で造形的に格調高い。

対してこのデイヴィス盤の演奏は、アイヒホルン盤の演奏よりも総じて弦と管のバランスを拮抗させ、弦の音幕を 必要以上に押し出さず、トッティ等でのソノリティの肥大化を防ぎながら、極めて効率的に最適化された アンサンブル展開をベースに緻密にスコアを再現するという方向性が比較的強い。音色においても、 アイヒホルン盤のそれより洗練度がひとまわり高く、ことに管パートのフレージングの切れや克明度において アイヒホルン盤に勝っているし、ティンパニの響きの張りも一貫的に充実している。造型的には、 アイヒホルン盤と比べると両端楽章で遅めのテンポが選択されて いて、かつ緩急の動きもアイヒホルン盤よりも大きい。

以上のように、同じオーケストラに拠りながらも、両演における表情性はだいぶ異なり、引いてはその差異が 両指揮者の表現の指向の違いということになると思う。

全体としてみると、このデイヴィス盤の演奏はやはり名演で、まず演奏内容に指揮者の主張というか個性感が 良く発揮されている点がいいし、それが音楽の良さを巧く引き立たせている点も素晴らしいと思う。

ただ、アイヒホルン盤の演奏と比べると、どことなく薄味なきらいもあり、濃色感や味わい深さという点から 導かれる音楽のしての深みという観点では、アイヒホルン盤を凌ぐまでには到らないというのが率直な感想でもある。

例えば、第1楽章展開部の練習番号L(8:01)からのところで、第1テーマの転回形(メロディが 上下ひっくり返った形)が高弦に歌われるくだりがそうで、高弦の主声部に対して低弦の副声部の音量がかなり抑制されているため、音の密度に物足りなさを感じる。ここは、アイヒホルン盤が素晴らしいだけに。

もっとも、再現部開始の(10:22)からの強奏展開などでは、fffのティンパニの発する強い張りを含めて、 このデイヴィス盤の冴えわたった響きの充実感の方に魅力を感じるし、局部的にはアイヒホルン盤を 凌ぐように感じられる場面もかなり多いようだ。

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」、ピアノ協奏曲第1番
 コスタンティノフ(pf) ミュンシュ/パリ音楽院管弦楽団
 archipel 1948年(悲愴)、41年(協奏曲) ARPCD0383

ミュンシュとパリ音楽院管とのDECCA録音をarchipelが復刻したディスク。08年8月にリリースされた。

「悲愴」が48年、協奏曲が41年なので、聴く前はおそらく「悲愴」の方が音質が良く、戦時下の録音である 協奏曲はあまり音質が冴えないだろうと、予想していたが、聴いてみるとこれが全くの逆。「悲愴」は 音質があまり冴えず、逆に協奏曲は驚くほどいい。そして演奏内容としても、協奏曲の方が圧倒的な名演だと 思う。

最初の「悲愴」は全体にスクラッチノイズがかなり多めだが、それ以上に音響がかなり痩せている感じを受ける。 それゆえ全体に響きが軽く、トッティにも厚みがあまり乗らない。この音質の影響が逆風となって、演奏自体から 受ける感銘もいまひとつ弱い。全般に気になるのは金管パートの弱々しさで、第1楽章の(10:24)からの最強奏など 弱すぎて聞こえなくくらいだ。終楽章の(5:11)からのところなどもそうで、明らかに響きがか細い。ミュンシュは 後年「悲愴」をボストン響とRCAにスタジオ録音しているが、その演奏では逆に管が強くて弦がかなり弱く、 バランスがいまいちと感じたが、このパリ音楽院管との「悲愴」は全く逆の意味で、やはりバランスが悪いように 思う。

続くピアノ協奏曲ではコスティア・コスタンティノフをピアノ・ソロに迎えての演奏だが、音質が「悲愴」とは 段違いにいい。ソノリティがグッと立体的になり、ダイナミック・レンジも広く、本当に41年録音かと 思われるほど。この音質のおかげで演奏の生々しい感触がリアルに伝わり、その演奏内容がまた素晴らしい。 ミュンシュの指揮、コスタンティノフのソロ、ともに充実を極めている。ミュンシュの指揮は「悲愴」の時より 明らかに冴えが感じられるし、コスタンティノフは一貫してタッチに見事な張りと艶が付帯していて 聞き惚れてしまう。第1楽章の(7:32)あたりのピアノとオケとの掛け合いなどを始め、全体を通して 両者の織りなす華麗にして豪壮なダイナミクスの織り上げが絶品だ。

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」、幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 ミュンシュ/ボストン響
 RCA 1962年、61年 BVCC-38452

前述の、ミュンシュとパリ音楽院管の「悲愴」に関する感想の中で言及した、ミュンシュがRCAに ボストン響とスタジオ録音した方の「悲愴」がこれになる。ちなみにミュンシュとボストン響による チャイコフスキーの交響曲の録音は、この「悲愴」の他には第4交響曲があるのみ。

このスタジオ録音の方の「悲愴」は、さすがにパリ音楽院管のライヴよりずっとアンサンブルが整っていて、 音質的にも不足なく、ミュンシュ一流のエモーショナルな音楽の起伏力も良く感じられる演奏だ。

ただ、この演奏は、全体にヴァイオリンの響きが薄いのが気になるところで、例えば第4楽章の後半(7:15)あたりで、 管パートの響きにつぶされ、弦の動きがよく聴こえないとか、そんな感じのバランスが聴いていて時々みうけられる。 トッティは良く鳴っているものの、弦の響きの薄さが迫力をそれなりに損ねているように感じる。第1楽章再現部直前の リタルダンドの強調などをはじめ、かなりテンポを動かして表面的にはドラマティックだが、その特徴感を 最大限に発揮させるための弦の力動感がいまひとつなのが惜しい感じがする。

インパクトとしてはむしろ併録のロメ・ジュリの方が「悲愴」よりもひとまわり上で、 主部からの響きの苛烈ぶりが半端でなく、急迫テンポのわりに厚みもよく乗っていて、 すこぶる高迫力の演奏だ。

マーラー 交響曲第6番「悲劇的」
 ハイティンク/シカゴ交響楽団
 CSO・RESOUND 2007年ライヴ CSOR901804

シカゴ響自主製作レーベルによるハイティンクとシカゴ響のマーラーライヴの第2弾ディスク。第1弾の第3交響曲での 名演ぶりが印象に残っていたので、この「悲劇的」にも期待したが、実際聴いてみると、期待どおりの名演だった。

ハイティンク指揮による「悲劇的」のディスク・リリースは、この録音を含めて実に5種類にも及ぶが、その中では おそらくこのシカゴ響とのライヴ盤が内容的にベストだと思う。オーケストラの演奏コンディションの良さ、音質の良さ、 そしてハイティンクのスケール味豊かな指揮など、いずれも過去の4演のそれを上回り、すこぶる聴き応えあるマーラー となっている。

ハイティンクの指揮という点では、まずテンポ設定が個性的で、かなりのスロー調が主体だ。全曲の 総タイムは90分の大台に乗っており、第1楽章だけでも26分にも及ぶ。

その第1楽章は冒頭、第8小節からの 第1テーマがff指定にしては明らかに抑制された音量でソフトに奏でられる。ここぞという時以外は音量にそれほど ものを言わせない静的なダイナミクスで、そのぶんハーモニクスの克明な描出ぶりが素晴らしい。(2:48)からの 第2テーマなど、超スローテンポの上で奏でられる、透明なハーモニーのポリフォニックな美しさがすごい。

展開部から再現部にかけても決してテンポを上げず、悠然とした歩調を崩さないが、ダイナミクスのメリハリは かなり強い。例えば練習番号25からの(16:27)のffは楽章冒頭と同じくかなり弱いが、再現部突入の(17:42)では 同じffなのに明らかに強奏水準が高い。総じてスコアの強弱指定に画一的に従うのでなく、運用が柔軟さに 富んでいるため、聴いていて新鮮な感じがする。

加えてシカゴ響のブラスパートの名演ぶりも特筆ものだ。コーダ 第390小節(22:33)からのホルンのゲシュトプフの巧いこと! 

第2楽章以降も傾向は同じで、特に終楽章など、 以前のハイティンクのどの録音よりも呼吸感が深く、演奏に独特の吸引力あるいは深みが付帯している。

ベルク 歌劇「ヴォツェック」全曲
 ベーム/ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 アンダンテ 1955年ライブ AN3060

カール・ベームがウィーン国立歌劇場の監督 だった1955年の国立歌劇場再建オープニング・フェスティヴァルにおけるライヴ。音源はウィーン 国立歌劇場アーカイヴのものが使われている。

ベームによる「ヴォツェック」全曲のCDといえば、 グラモフォンの1965年のスタジオ盤(ベルリン・ドイツ・オペラ管)が一般に名盤と名高い。 だが、このスタジオ盤(POCG9072/75)は、オーケストラのアンサンブルに関しては素晴らしいのだが、歌唱陣に やや問題があって、総じて芝居気不足というのか、ちょっと格調が高すぎるというのか、聴いていて、 オペラ本来の狂気感が十分に発揮されていないような物足りなさがあった。

ディースカウのヴォツェックが 特にそうで、その歌唱は立派だが、精神錯乱的な危うさが薄い。シュトルツェの大尉も意外と芝居気がない。

そのスタジオ盤に比べて、こちらのベームのライブ盤の方が、歌唱陣の表情がずっと強い。 オーケストラの迫力や細部の響きの彫りなどはさすがにスタジオ盤には及ばないが、歌唱陣の名唱ぶりと、 舞台の生々しい臨場感という点にスタジオ盤を凌ぐ良さを感じる。

ヴォツェック役のヴァルター・ベリーは ディースカウよりもずっとヴォツェック的というのか、気のふれたような凄味の発露という点で圧倒される。 第2幕半ばでマリーの不倫を大尉と医者から知らされる場面での錯乱ぶりなど凄いし、第3幕での 歌唱力にも圧倒されるものがある。他の歌唱陣もおおむね好演。欲をいうなら、オーケストラのアンサンブルに もう少し緻密さがあればと思う。この年代のライヴとしては、かなり健闘はしているのだが、、、。

録音は舞台からやや距離感のある録られ方で、やや線が細いが、ソノリティはかなり鮮明で聴き苦しさがなく、 モノラルだがステレオ的な音場の広がりを感じさせる。

ブラームス 交響曲全集
 メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 メモリーズ 1932年〜40年 MR2049/50

2008年にリリースされたメンゲルベルクとコンセルトヘボウのブラームス交響曲全集。録音年は1番 と2番が40年、3番が32年(CD上の表記には31年とあるが、たぶん誤記だと思う)、4番 が38年。形態は1番のみライブ録りで、他はスタジオ録音。

全4曲ともこれまでにも複数のレーベルから復刻が 行われているお馴染みの演奏なのだが、このメモリーズの復刻盤は全4曲がCD2枚に組み込まれていて、 かつ音質改善がうたわれている。

値段も安かったこともあり購入して聴いてみると、音質は確かにいいと思う。 例えば最初に収録されている第3シンフォニーの録音を、同一音源のアンダンテ 盤と比べてみたが、 明らかにこちらのメモリーズ盤の方が音が鮮明で、響きが実在感に富んでいる。ノイズはやや多めだが、ノイズを 下手に除かずに原盤のダイナミクスをそのまま活かしたようなトーン・ポリシーのようで、特にフォルテの鮮烈感が 素晴らしい。他の3曲の演奏も同傾向で、既出盤中最高かどうかは分らないが、少なくとも最高水準の音質という 感じはする。

演奏としても総じて名演で、音質の良さもありそれぞれの演奏の良さをあらためて認識させられる。4曲の中 でのベストは第1シンフォニーの演奏で、とにかくメンゲルベルクの個性全開だ。第1楽章冒頭から弦の強烈な 鳴りっぷりが爽快を極め、主部以降では何かに憑かれたような高速テンポを主体に部分的にテンポを大きくうねらせ、 その造形の振幅が凄まじい。ティンパニの鳴りも32年録音の第3シンフォニーの時よりはるかによく、 アンサンブルのド迫力に拍車をかける。コーダの(12:19)での激打! 第2楽章はメンゲルベルクのお家芸ともいうべき ポルタメントを全編に押し出しての濃厚無比なフレージングに圧倒される。第3楽章もケレン味たっぷり。終楽章は 第1楽章に輪をかけて強烈に造形を揺さぶったロマンティック・スタイルの極地だが、その造形ほどには音楽の表情自体は 甘くない。アンサンブルの充実感が際立っているからで、例えば(12:36)あたりの最強奏に聴かれるアンサンブルの 凝縮感など聴いていて鳥肌が立つし、コーダの高潮感も抜群だ。

他の2〜4番の演奏も流儀は同様で、それぞれ名演だが、ライブの1番ほどの表出力には至っていないように思う。

ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」、レオノーレ序曲第3番
 トスカニーニ/コロン劇場管弦楽団(第9)、ニューヨーク・フィル(レオノーレ)
 ギルド・ヒストリカル 1941年ライヴ(第9)、36年ライヴ(レオノーレ) GHCD2344

2008年9月にギルド・ヒストリカルより復刻リリースされたトスカニーニのベートーヴェン「第9」ライヴ盤。

1941年7月24日におけるブエノスアイレス・コロン劇場でのライヴで、これは「トスカニーニの 1941年ブエノスアイレス・ライヴ」として語り継がれる伝説的演奏。これまでにもアリオーソなど一部のヒストリカル・レーベルからリリースされたこともあるが、実際聞くのはこのギルド盤が初めてだ。

さっそく聴いてみると、第1楽章冒頭から凄まじいティンパニの強打に驚かされる。音質的には良好とは言い難く、 アナログ・テープ再生時のノイズ・レベルがかなり高いし、音場もこもり気味で、録音年代を考慮しても 音質水準はそれほど高くない。だが、その音質から響いてくる演奏自体の張り詰めた緊迫感がただごとでなく、 例えばフルトヴェングラーのバイロイトの第9のように、音質を超えて伝わってくる強度のリアリティに 感動させられる演奏だ。

第1楽章展開部(4:46)での爆発的な強奏といい、(5:55)での度を越したティンパニの激打といい、 トスカニーニの流儀による推進性みなぎる音楽の流れの中から、恐ろしいほどのダイナミクスが充溢する。 再現部からコーダにかけてのテンションの高さも常軌を逸したような凄味に満ちていて圧倒させられる。

他楽章も同様だが、第2楽章は第1楽章より音質が一段鮮明で、演奏の迫力感がほぼ振り切れている。 逆に終楽章は相対的に音質が落ち、局面によってはやや聞き苦しい。そのためか否か、トスカニーニの指揮も 前半2楽章ほどの凄味には欠けるような気がする。併録のレオノーレ第3番も、音質はいまひとつだが、 内容的には「第9」に迫る名演だと思う。

プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」全曲
 カラヤン/ウィーン・フィル
 グラモフォン 1981年 F90G-50217/9

08年10月に新国立劇場で新シーズン開幕を飾る、新演出によるプッチーニの「トゥーランドット」を 観劇した。このオペラをナマで観るのは初めてだったが、実演に接してみて、あらためて この「トゥーランドット」の音楽がいかに強烈なものであるかを実感した。

録音では結構聴いているが、 やはり実演のインパクトには叶わないものがある。演出がいささか奇抜すぎて、疑問を感じなくも なかったものの(面白いことは面白かったが)、歌唱陣、オーケストラの演奏はともに満足の行くもので、 音楽の魅力を十分に堪能した公演だった。

このカラヤンによる全曲盤は、「トゥーランドット」の全曲録音の中でも最も気に入っているもののひとつで、 新国に聴きに行く前にも、おさらいとしてひと通り聴いてみた。この演奏には実は少なからぬ問題点もあるのだが、 同時にそのマイナスを上回る大きな魅力も備えている。このカラヤン盤の最大の魅力は、ウィーン・フィルによる 極上の管弦楽的な美彩感が、良質な音質で味わえる点にあると思う。プッチーニの極彩色なオーケストレーションに 基づく麗しい音楽美が、ウィーン・フィルのアンサンブルの個性と調和し、聴いていて何とも言えない陶酔感に 満たされる。例えば、第1幕でトゥーランドット姫が初登場する第7トラックの(2:55)での、妖艶にして華美な音響感、 同幕ラストでカラフがトゥーランドットの名を3回絶叫した後から幕切れまでの壮麗な音楽の流れ、 第2幕中盤のトゥーランドット姫の最初のアリアで立ち昇る怜悧な音色の超常的な美しさ。 カラヤンの指揮もプッチーニ音楽のメロディの美感を絶妙にひきたたせていて、カラヤンのプッチーニ音楽に 対する相性の良さが良く伺える演奏だ。

対して、問題点は歌唱陣の歌唱が弱いこと。外題役リッチャッレリは本来がリリック・ソプラノであり、 ドラマティック・ソプラノのために書かれたトゥーランドットを演ずるのはやはり無理がある。 そのため、ここではかなり無理をしているようで、確かに表面的には立派な歌唱だが、例えば第2幕後半の 「謎解きの場」におけるアリアでの超高音のインパクトが伸び切らなかったり、ギリギリのところで、 高揚感が突き抜けない。その点はカラフ役ドミンゴも同様で、第1幕終盤の「泣くなリュー」とか、 第3幕序盤の「誰も寝てはならぬ」あたりは素晴らしいのだが、第2幕の謎解きの場での トゥーランドット姫とのハイCの応酬のあたりになると、超高音域に弱点を保有するドミンゴの 欠点が表面化してきてしまっている。リュー役のヘンドリックス、ティムール役ライモンディ、 そしてピン・ポン・パン役にホーニク、ツェドニク、アライサを配するぜいたくなキャストは さすがにグラモフォンという感じなのだが、肝心の主役級の二人の歌手がミス・キャスト的な 配役なのが惜しまれるところだ。

ワーグナー&R・シュトラウス 歌曲・管弦楽作品集
 ガスティーン(sop) ヤング/西オーストラリア交響楽団
 ABCクラシックス 2007年 ABC4766811

収録曲は@ワーグナー ヴェーゼンドンク歌曲集Aワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲BR.シュ トラウス 「献呈」CR.シュトラウス 「ひそやかな誘い」DR.シュトラウス 「万霊節」ER.シュトラウス メタモル フォーゼン。

だたし@のヴェーゼンドンク歌曲集はワーグナー自身のオーケストレーションである第5曲「夢」から 始められ、以降、モットルのオーケストレーションによる「天使」「とまれ」「温室にて」「悩み」と配置され、 最後に「夢」のヴァイオリン・ソロによるヴァージョンのもの(伴奏パートではなく、歌唱パートをヴァイオリン・ソロ に置き換えたもの)で締めくくられている。

シモーネ・ヤングといえば、ハンブルク・フィルとエームズ・クラシックスに録音中の、一連のブルックナーの シンフォニーでの名演ぶりが印象に残っているところ、08年7月リリースのこのアルバムでは、ワーグナーと リヒャルトを取り上げている。歌曲を歌うのは新進ワーグナー・ソプラノのリサ・ガスティーン。

さっそく聴いてみると、最初のヴェーゼンドンク歌曲集ではリサ・ガスティーンの名唱ぶりに圧倒される。 その歌唱は重厚にして高音域での透明感と強度を兼ね備えた、まさにワーグナー・ソプラノとしての特性を 完璧に備えた見事なもので、特にその発声がどんなに厚みと強さを増しても、澄んだ透明感がいささかも揺らがない点には 驚かされる。例えば「天使」の後半の天使が降臨するくだり、「悩み」冒頭の太陽への呼び掛けのくだりなどがそうで、 リヒャルトの方の歌曲も含めて、素晴らしい歌唱ぶりだ。

ヤング指揮による西オーストラリア響のアンサンブルも非常に充実している。 トリスタンとイゾルデの前奏曲といい、メタモルフォーゼンといい、概してその芳醇にしてコクのある響きから すると不思議なほどの透明感を湛え、音楽の清らかな美しさと、真に迫る音色の感触とが無理なく両立されている。 聴かせどころでのインパクトも充分で、トリスタンでは(7:58)あたりの音楽の高揚力が震えがくるほどいいし、 メタモルフォーゼンでは(11:45)あたりのハーモニーの透徹ぶりなど、聴いていてため息が出るほどだ。

シューベルト 交響曲第9番「グレイト」
 マッケラス/フィルハーモニア管弦楽団
 シグナム・クラシックス 2006年ライブ SIGCD133

シグナム・クラシックスがフィルハーモニア管と新たに結んだパートナーシップ契約に基づいた、 同オーケストラのライブ・シリーズの第1弾ディスクとのことで、 06年6月10日のクィーン・エリザベス・ホールでのライヴ録音とされている。

第1楽章は最初の序部から速めのテンポで開始され、弦は最弱音においても歯切れよく、精度良く、 管は強めの色合いでくっきりと奏され、ことに強奏時にはホルンなどがピリオド・バランス風に突き抜けて 鳴り渡り、高揚感が上々だ。

(2:54)からの主部に入っても全くテンポ・アップせず、以降もテンポの動きが 徹底的に抑制されている。このあたりはちょっと気になるところで、もともと速めのテンポなので確かに聴いていて もたれることはないものの、表情感に乏しい嫌いはあるし、それ以上に、このテンポ設定には主張を感じにくい。 速すぎも遅すぎもしない中庸な速度であり、ちょっと作品を客観的に眺めすぎているような物足りなさを覚える。

とはいえアンサンブルのダイナミクスの方は非常に充実している。テンポが徹底的に安定しているため、 ハーモニクスは隅々まで統制が行き届き、練り切られていて、その緻密な妙感には得難いものがあるし、 強奏時のアンサンブルの迫力もいい。 わけてもコーダにおける鳴動力は素晴らしい。

第2楽章も冒頭からやはりテンポの動きは少ないが、ダイナミクスの 充実感はさらに良くなっている。後半の山場となる(8:06)からの強奏は凄い迫力だが、さらにここでは意表を突いた テンポの猛加速に圧倒される! ここまで徹底的に動かさなかったテンポを初めて大きく揺さぶっての最強奏である だけに、その効果は絶大で、聴いていて鳥肌が立つほどだ。

第3楽章もアンサンブルの鳴りの良さは相変わらず だが、それでも前楽章ほどのインパクトには欠ける。終楽章は冒頭からアンサンブルのヴォルテージが高く、その ヴォルテージを維持したまま提示部反復を含めてコーダまで一気に駆け抜ける。ダイナミクスの充実感も第2楽章と 並んで素晴らしく、表情の立ち具合も第1楽章より遙かにいい。卓越したフィナーレだ。

ケージ 打楽器のための作品集・第5集
 アマディンダ・パーカッション・グループ、コチシュ(pf)
 フンガトロン 2007年 HCD31848

かなりゆっくりとしたペースでリリースが続けられている、フンガトロン・レーベルによるジョン・ケージの 打楽器のための作品集の第5集で、08年7月にリリースされたもの。

収録曲は@SixAクヮルテットB一の四乗Cダンス・ミュージックD三の二乗。 このうちCは世界初録音とされる。@、B、Dのいわゆる「ナンバー・ピース」系列の作品はケージ の最晩年の時期の作品で、逆にAとCはケージの最初期の頃の作品。

ところでこのAのクヮルテットは、 ケージの初のパーカッション作品として有名なものだが、 このディスクと同じシリーズの「打楽器のための作品集・第1集」の方にも確か入っていたはず、 と思って確認してみると、やはり録音されている。だが、「第1集」の方は4楽章すべて入っているのに 対し、こちらの第5集では第3楽章を除いた3楽章版で収録されているようだ。これは、中間2つの楽章のどちらかを 省いても良いというケージの指示に基づくものらしい。印象的にも「モデラート」、「スロウ」、「ファスト」 という各楽章の速度対比がぐっと鮮やかになり、よりメリハリ立った感じがする。Cのダンス・ミュージックも含めて、 ケージの初期作品だけに感覚的にも聴きやすく、パーカッション・リズムの放つ直截な熱狂感が魅力的だ。

対して@、B、Dのナンバー・ピース系列作品は、ガラッと趣きが異なり、リズムの熱狂感を前面に押し出すことは ひかえめであり、むしろ弱音ないし無音の発する静謐な緊張感に得難い個性味をもつ。わけてもBにおける無音状態の 形成する凍てついた沈黙は素晴らしく、聴いていて時間が凝縮するような緊迫感が何ともいえない。 アマディンダ・パーカッション・グループの演奏はいつもながら良く、その打音はシャープにして強度感豊か。 やはり強打時におけるパーカッションの響きが立ってこそ、弱音ないし無音での静謐の神秘が強調されることが あらためて実感される。

バルトーク ヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノと打楽器のための協奏曲作品集
 クレーメル(vn)、バシュメット(va)、ステファノーヴィチ(pf)、エマール(pf)
 ブーレーズ/ベルリン・フィル、ロンドン交響楽団
 グラモフォン 2008年・2004年 4777440

ピエール・ブーレーズによる一連のバルトーク・プロジェクトの完結となるディスク。

収録曲は@2台のピアノ、 打楽器と管弦楽のための協奏曲Aヴァイオリン協奏曲第1番Bヴィオラ協奏曲(シェルリ補筆版)。ソリストは@が タマラ・ステファノーヴィチ(第1ピアノ)とピエール=ローラン・エマール(第2ピアノ)、Aが ギドン・クレーメル、Bがユーリ・バシュメット。オーケストラと録音年は@がロンドン響で2008年、AとBが ベルリン・フィルで2004年。

この3曲はいずれもバルトークのコンチェルト作品としては特殊な位置づけにあり、 録音も相対的に少ない。@は「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」を原曲とする編曲作品だし、Aは作曲以来数奇な 運命を辿ったバルトークの遺作、Bはバルトークの絶筆にして未完成の作品を弟子のシェルリが補筆したもの。 こういった比較的マイナーな作品群が、ブーレーズの統制のもと、超豪華ソリスト陣によって鮮やかにリフレッシュ されたようなアルバムで、3演とも作品の魅力があらためて強力に印象づけられるほどの名演だと思う。

@はエンター テイメント色が強い作品で、ピアノと多種の打楽器との音色の華やかな饗宴が魅力。ここでのブーレーズの表現は ピアノより打楽器をいくぶん強調したバランスとなっているようで、例えば第1楽章の(3:21)からの第1テーマ、(5:00)からの 第2テーマ、いずれもf指定にしては抑制が効き、逆にティンパニや小太鼓などは強く鳴り切らせる。終楽章の 第1テーマを出す木琴も含めて、打音のパンチ力やリズムの勢い、音色の鮮烈感が見事で聴き惚れてしまう。逆に 第2楽章はピアノ・ソロの幽韻な音色を主役として、ムードをガラリと転換。このあたりの切り替えの妙味は さすがに現代畑のブーレーズの演奏という感じがする。

Aも名演。第1楽章は冒頭からクレーメルのソロが意外に ヴィブラートを強めにかけているのが印象的で、かなりロマンティック。(5:08)からの第2テーマ発展部の 美しいこと。第2楽章はクレーメルのヴィルトゥオーゾ全開。湧きたつような狂騒感が支配する中、 終曲間近の(11:11)でホルンがガイエル・テーマを優しく奏でる場面の美しさが強い印象を残す。

Bも全体に バシュメットの名技ぶりが絶妙で、例えば第1楽章中盤の(6:12)からの重音奏法、直後のカデンツァなど、 難所を事も無げに弾き抜くテクニックの切れに聴いていて唖然とするほど。第2楽章の(2:29)からの モルト・ヴィブラートのところは、超高音に閃くヴィブラートの美しさにゾクゾクする。

ブルックナー 交響曲第6番
 ノリントン/シュトゥットガルト放送交響楽団
 ヘンスラー 2007年ライブ CD93.219

2008年8月にリリースされた、ノリントンとシュトゥットガルト放送響とのブルックナー・チクルス第2弾。

ロンドン・クラシカル・プレーヤーとの録音も含めるとノリントンの3枚目のブルックナーになると思うが、 前2つの録音はいずれも第3シンフォニーの初稿版で、特殊な版による搦め手勝負の演奏という感じだった。 その点、今回の第6シンフォニーはノヴァーク版による真っ向勝負だ。

さっそく聴いてみると、第1楽章冒頭のppからキリッとした音立ちが鮮やかで、強奏時においては 金管部の鳴り具合が抜群にいい。(1:05)のホルンといい、(4:25)のトロンボーンといい、鳴りっぷりの よさに惚れぼれする。対して弦パートは重厚感にこそ乏しいものの強度感は充分、総じて響きの幅を絞った鋭角的な フレージングの厳しさがいい感じだ。ただ、トッティでの量感が伸び切らない点がちょっと気になる。 おそらく10型くらいの小型編成だと思うのだが、 例えば展開部の山場の(8:11)でのf2つと、再現部突入(8:38)のf3つとのダイナミクスそれほど 違わない感じがしたり、ここぞという時のアンサンブルの質感集約がいまひとつ弱い気がする。

第2楽章は冒頭のオーボエのソロといい、全体にヴィブラートを抑えての澄んだ音色によるフレーズ展開 が甘さを排した美しさを湛え、傾聴させられる。ノリントンの指揮も、第3テーマの(4:40)でのティンパニのppを かなり強めに叩かせたりして、音楽を必要以上に甘口に流さない。第3楽章もソノリティの感触を シャープに維持しながらの、メリハリの強いフレージング展開で、そのハキハキとした音楽の流れが 聴いていて爽快。

終楽章も同様だが、ここはちょっとテンポが速すぎる気もする。フレージングを あまり歌わないで短距離的に繋ぐ感じで、颯爽としていて表情が快活だが、局面によっては もっとじっくりフレーズを繋いだ演奏で聴きたいという印象も残った。

ラヴェル ツィガーヌ&ショーソン 「詩曲」、ピアノとヴァイオリンと弦楽四重奏のための協奏曲
 デュメイ(vn、指揮)/ヴァロニエ室内王立管弦楽団、コラール(pf)
 Cascavelle 2005年 VEL3082

サントリーホールで購入。当夜のコンサートで聴いたオーギュスタン・デュメイのソロによる ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏が素晴らしく(マーク・ストリンガー指揮、 東京都交響楽団、08年9月26日)、デュメイの持ち味ともいうべき、闊達な フレージングのパッションと、美麗にして熟した音色とが醸し出す響きの魅惑に 酔わされた演奏だった。

その演奏後にロビーで買ったのがこのディスクで、ラヴェルと ショーソンのヴァイオリン名曲で編まれたアルバムだが、全3曲とも、弦楽オーケストラ伴奏ヴァージョン となっている点が異色だ。

編曲者はモラーゲス五重奏団のオーボエ奏者、デイヴィッド・ワルターだが、 面白いのは、なぜ編曲する必要があるのかという理由が、作品ごとに違う点。ツィガーヌと「詩曲」に 関しては、本来のフル・オーケストラ版では響きが重たすぎるというアイザック・スターンの要望を 受けての編曲らしい。対して、「協奏曲」の方は逆に、この曲を本当に「協奏曲」として演奏したいがため、 本来の弦楽四重奏のパートが弦楽オーケストラ用に直されている。いずれにしても、原曲とは雰囲気が かなり異なっていて、独特の面白味がある。

それは別としても、デュメイのソロが3曲とも好調で 聴き惚れるばかり。ベストは「詩曲」。(11:36)からのメロディ(第2テーマ)がピチカートで歌われる場面の、 得も言われない美しさ、(13:08)の盛り上がりの圧倒的な情熱味。

ヴァロニエ(ワロニー)室内王立管はベルギーの名門室内オーケストラで、エリザベート王妃国際コンクール本選で 伴奏を務めるオーケストラとして有名。デュメイが2003年より主席指揮者を務めている。

バーバー ヴァイオリン協奏曲、スーヴェニア(思い出)、ピアノ協奏曲
 パーカー(pf)、マクダフィ(vn)、レヴィ/アトランタ交響楽団
 テラーク 1996年 CD-80441

08年9月22日のサントリーホールにおけるスクロヴァチェフスキー/読売日響のコンサートにて、 ロビーで購入したディスク。当夜のブラームス・ピアノ協奏曲第1番のピアノ・ソロを務めた ション・キムラ・パーカーによる演奏のCDとして販売されていたもの。

ション・キムラ・パーカーは カナダ生まれの日系ピアニストで、1984年にイギリスのリーズ国際ピアノコンクールに優勝している。 その実演を当夜初めて聴いたが、非常に腕の立つピアニストであることは聴いていて明瞭で、なにしろ ミスタッチなどほとんど無い上に、個々の打音のキリッとした音立ちの良さ、フレージングのキレ、 音色の美しさ、いずれも高い次元でまとまっていて、およそアラというものが無い。ブラームスにしては 打鍵がちょっと軽いかとも思われたが、全体としては、すこぶる洗練されたピアニズムの味わいを堪能した 演奏だった。

対してこのCDでは、バーバーのピアノ・コンチェルトのソリストを務めている。この曲は、 稀代のメロディ・メーカーであるサミュエル・バーバーの残した名作であると同時に、かなりの腕達者で なければ弾きこなせない難曲としても知られる。ここでのパーカーのソロは危なげのないテクニックを主体に、 実演の印象を彷彿とさせる切れ味のいいピアニズムを展開し、叙情的色彩の強い作品のカラーに一抹の 強い緊張感を纏わせることに成功している。第1楽章(8:30)からのカデンツァの華麗なこと。 終楽章でのピアノの打楽器的な使い方も実に巧い。

レヴィ/アトランタ響の伴奏も充実していて、同楽章(1:08)からの第1テーマ、(3:20)からの第2テーマなど、 いずれもバーバー特有のメロディの魅力が引き立つし、第2楽章カンツォーネでの木管の柔らかい響きの美感も いい。カップリングの他の2曲もピアノ協奏曲同様に名演だ。

ブラームス 交響曲第1番&J.S.バッハ トッカータとフーガ・ニ短調BWV565(スクロヴァチェフスキー編)
 スクロヴァチェフスキー/読売日本交響楽団
 デンオン 2007年ライブ COGQ-34

07年9月27日の東京芸術劇場でのコンサートのライヴ録音。

実はこの演奏は客席でも聴いたのだが、その時は それほど強い感銘は受けなかった。もちろん凡演ではなかったが、スクロヴァチェフスキーにしてはいまひとつ、 という印象があり、特にそのコンサートの数日前に、同じ読売日響を振ったショスタコーヴィチの10番の 演奏をサントリーで聴いていて、そちらが超ド級の演奏だったこともあり、相対的にこのブラームスは 物足りない感じがした。

だから、このCDもそれほど強い期待を持たず、むしろ実演に立ち会った記念として 購入したものだが、聴いてみると、あまりの名演ぶりにビックリ! 率直にいって、実演をはるかに上回る インパクトだ。SACDハイブリッド仕様の音質がまた極上で、ヴォリュームを上げると、まるでホール前方の席で 聴いているかのような、抜群の臨場感。そして、この録音から受ける感触は、先日サントリーで聴いたブルックナー0番の 実演での印象にかなり近い。

考えてみれば、実演の座席は芸術劇場の2階正面K列の席で、ステージからかなり遠かった。 そのせいで音の勢いがかなり弱まって届いたのだろうか。サントリーの時は1階の前から2列目だったので、 おそらくブラームスの時も、ステージ前方の席で聴いたら、こんな風に聴こえたに違いないと思う。

とにかく、これは名演! アンサンブルの力感や音勢の水準が軒並み高く、それでいて響きの練り上げは緻密を極める。 例えば第1楽章の(12:09)からの山場など、信じがたいほどのハーモニーの情報量とアンサンブルのド迫力が、 一体的に結託していて、聴いていて圧倒されてしまう。

ミスターSはかつてこの曲をハレ管と録音して いるが(IMPレーベル 1987年 KOS/IMP110)、そこでは迫力面に物足りなさがあって、 どうも細部に懲りすぎというのか、手が込みすぎて音楽としてのアクティビティが逆に削がれているように 思われた。しかし、この読売日響とのライブでは、同じように細部にこだわった演奏なのに、迫力水準が素晴らしい。

ブルックナー 交響曲第0番、弦楽四重奏曲より「アダージョ」(スクロヴァチェフスキー編)
 スクロヴァチェフスキー/ザールブリュッケン放送交響楽団
 アルテ・ノヴァ 1999年 74321755102

2008年9月22日にサントリーホールでスクロヴァチェフスキー指揮によるブル0を聴いた(オケは読売日響)が、 実に素晴らしい演奏だった。ミスターS持ち前の緻密な解釈の上に、アンサンブルに漲る力感や音勢に圧倒的な 充実感があり、このブルックナー初期のシンフォニーが、中期のそれにも比肩する迫力とスケールで鳴り響いた。 なかんずく終楽章の素晴らしさは忘れがたい。中盤のフーガ展開から後半のクライマックス、そしてコーダへと 到るまでの音楽の流れは、客席で聴いていて鳥肌が立ったほどで、まさに、このブル0を聴く醍醐味が、 そこに凝縮していた。

ミスターSはこの時85歳という高齢だったが、その指揮姿に老衰の陰りはなく、 特に第2楽章が終った後、一息もつかずに第3楽章を続けたのには驚かされた。読響常任のポストは2010年3月で 退任することが既に決定している模様だが、これほどの指揮者が東京のオケの常任にいるというのは、全く嬉しい限りだ。

以上の実演に対して、このザールブリュッケン放送響とのブル0の録音は、全体的にちょっとインパクトが弱いように思う。 ミスターSとザールブリュッケン響のブルックナー・チクルスの録音は、総じて名演と思うも、このブル0に 限っては、内容的にちょっと落ちる感じがする。特に実演を聴いた後にあらためて聴いてみると、実演の方がもっと 良かったという思いが強くなる。

全体にアンサンブルの線が細く、情報量は多いが迫力がいまひとつで、少なくとも 読売日響との演奏の時のようなアンサンブルの力感や音勢をここに聴くのは難しい。ミスターSの解釈もここでは それほど個性味を出すという感じでなく、第1楽章の第1テーマ再現部(8:38)からのセカンド・ヴァイオリンの 大胆な強奏くらいだろうか(これは実演でも凄かったが)。音質も、どうもモヤッとした感じで、強奏時の響きの 張りがいくぶん削がれているような気がする。

ワーグナー 楽劇「ジークフリート」全曲
 カイルベルト/バイロイト祝祭管弦楽団
 テスタメント 1955年ライブ SBT41392

収録以来50年もの眠りを経て2006年に突如出現した、バイロイト・ライブの高音質ステレオ盤。

この音質の良さは実際ビックリもので、例えば最初の前奏曲の(1:26)からのニーベリング動機の、弦の音立ちの良さなど、同じ場面の、クナッパーツブッシュの56年バイロイトライブ(オルフェオ)でのモコモコ感とはえらい違いだ。

音質面でとくに凄いと感じたのは第2幕2場の「森のささやき」のシーン、(0:54)からのフルートのppのマルカート・フレーズがくっきり鮮やかだし、つづくオーボエとクラリネットの旋律も実にカラフルで、このシーンの音楽がいかに美しいかが下手なデジタル録音よりも如実に伝わってくる。

カイルベルトの指揮の推進性は当時「高速汽船のよう」と評されたとされるが、それはクナッパーツブッシュの「オーソドックスな」(当時の)テンポ運用とは、「正反対」(カイルベルト談)とまではいかなくとも趣きにかなり差異がある。クナの深いフレーズの呼吸、そこから導出する悠々たるタイムスケールはここには希薄とはいえ、そのダイナミクスの強力な躍動感やスリリングなスピード感は、むしろこの「ジーク フリート」には合っているのかも知れない。対ファフナー戦での、高速にたたき込まれる金管パッセージ(角笛動機→ノートゥング動機→ジークフリート動機)の急迫感! 金管の勇壮な厚味も軒並み素晴らしく、第3幕前奏曲での契約動機のファンファーレなどすさまじい限りだ(そのぶん黄昏動機がかなり喰われて聞こえるが)。

ジークフリート役ヴィントガッセンは、スタジオ録音のショルティ盤より圧倒的に上! 何しろ発声に若さがみなぎるし、全盛期のこの歌手の、天性の美声と高音の厚味の同時共存の凄さは、他に比肩がないほど。全体に立派だが、その中でもやはり第1幕ラスト「鍛冶の歌」と第3幕ラストのブリュンヒルデとの二重奏は一頭地を抜く。前者のハンマーがまた豪快で、オーケストラもバンバン鳴り切り、聴いていて体が火照ってくる。

ブリュンヒルデ役ヴァルナイは、当然終盤しか出ないが、恐るべき情感浸透力だ。第一声「太陽に祝福を」から鳥肌もので、終幕までのヴィントガッセンとの二重奏は、60年代のニルソンに限りなく迫るくらいの充実感に満ちている。

ウォータン役ホッターはいつもながら抜群の出来だし、アルベリヒ役ナイトリンガーも第2幕冒頭のアリアなど、鬼気迫る歌唱で凄みを感じさせる。ここは「アルベリヒの呪い」動機のトロンボーンが強烈だ。ミーメ役クーエンは芝居気豊かで、第1幕3場のジークフリートに「恐れ」を語る段など感情移入が凄まじい限り。ただ、ヴィントガッセンと声質的に似ている感じがあるので、両者の掛け合いのメリハリが聴いていてやや弱い気もする。シュトルツェやツェドニクあたりだとあまり感じないのだが。

ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」全曲
 カイルベルト/バイロイト祝祭管弦楽団
 テスタメント 1955年ライブ SBT41391

1955年のバイロイトフェスティヴァルにおける「ジークフリート」の録音がステレオの驚異的な音質でテスタメントよりリリースされ、度肝を抜かれたが、続いてリリースされた「ワルキューレ」「ラインの黄金」「神々の黄昏」にも同様に度肝を抜かれた。

わけてもこの「ワルキューレ」の素晴らしさは言語を絶するものがあり、音質ももちろん凄いが、それ以上に音楽の実在感が素晴らしい! セッション録音では味わえないオペラティックな音楽の息吹、生命感が常にみなぎり、全編4時間があっという間に過ぎていく。

第1幕冒頭の(1:28)あたりなど聴いていて総毛立つほどだし、後半のジークムント(ヴィナイ)とジークリンデ(ブレウエンステイン)の二重唱なども、実に感動的でジーンとくる。そして、それら以上に最高なのが第1幕ラスト。なんという凄まじいアッチェレランドであろうか!! このあたりはもう、興奮の極みだ。

第2幕はホッター(ヴォータン)やヴァルナイ(ブリュンヒルデ)といった名歌手たちの全盛期の歌唱が 何ともいいし、第3幕に至っては、これ以上の録音は考えられないと思うくらい凄い。

ブルックナー 交響曲第2番&ウェーバー 「オイリアンテ」序曲
 シュタイン/ウィーン・フィル
 デッカ 1973年(ブルックナー)、77年(ウェーバー) UCCD9528

サントリーホールにて購入。08年9月16日のウィーン・フィル来日公演の時のもので、 指揮者はムーティ、演目はハイドンの交響曲第67番とブルックナーの交響曲第2番という、 かなり意表を突いたプログラムだった。ホールで配布されたパンフレットによると、ムーティの 選曲によるプログラムらしい。ムーティはレパートリーの広い指揮者だから、 ハイドンやブルックナーを振ること自体は別に驚かないとしても、 曲がそれぞれ67番と2番というのは、またずいぶん思い切ったものだと 思う。

ところでこのホルスト・シュタインのブル2のディスクは、SHM−CD仕様の盤で、 ちょうど来日公演のある08年9月にリリースされたものだ。同じ録音のノーマルCDの ものはすでに所有済みだったが、SHM−CDがノーマルCDに対してどれほど音質改善されて いるか興味があったし、奇しくも08年に鬼籍に入られたシュタインの追悼盤としても 買っておきたい気持ちがあったので、ロビーにて購入した。

その音質だが、率直にいうと一長一短という感じがする。同じ演奏のノーマル仕様のもの(POCL-4321)と 聴き比べてみたところ、確かにSHM−CDの方が解像度が若干向上してると思う。特に強奏時のトッティの 解像度がかなり良く、そのぶんノーマル仕様よりも迫力を感じる。これを長所とすると、 短所は、響きが全体に硬質感が先立つような、悪い意味でデジタル的な音質になっている ように思える点。アナログ録音を強引にデジタル的な音響にしたような、味の薄さというか、 そういう印象をどことなく感じる。もちろん、双方の音質差が画一的にこうだとは到底いえないと しても、少なくともこのシュタイン盤については、解像度ではSHM−CDに、味の濃さではノーマル仕様に 優位性を感じた。

いずれにしても演奏は名演で、シュタインの無駄のない引き締った造形展開のもと、 ウィーン・フィルの味の濃い響きが、高音質(SHM−CD、ノーマルCDを問わず)によりいかんなく 伝達された、同曲の録音としても屈指の美演だと思う。

ブルックナー 交響曲第3番
 ヘンヒェン/オランダ・フィル
 レーザーライト 1989年 COCO-78032

08年9月12日にサントリーホールでヘルトムート・ヘンヒェン指揮日本フィル演奏によるブルックナーの9番を 聴いたが、これが非常な名演だった。前半にはシューベルト「未完成」が演奏され、こちらはいまひとつと感じたが、 後半のブルックナーではアンサンブルの充実感が見違えるばかりで、特に強奏時の迫力が素晴らしく、12型の 編成をフルに鳴らし切ったような突き抜けた響きがホールに充溢し陶酔させられた。ヘンヒェンの指揮も実によく、 アンサンブルから迫真の響きを引き出しながらハーモニクスのバランス統制に綻びがなく、なんというか、 ブルックナーが堂に入っている、という感じだ。造形バランスが練り切られているため、その充実した音響の 魅力に安心して浸ることができた。

ヘルトムート・ヘンヒェンは現在65歳とのことで、経歴としては1980年代 半ばまでは東ベルリンを中心に、それ以降はオランダを中心に活動を行っている。特にオランダ・フィル首席指揮者 在任時にレコーディングが多いようで、このブルックナーの3番もそのオランダ・フィルとの録音。

ただ、このCD、購入したのはもう15年くらい前で、ここ10年くらいは聴いた覚えがない。演奏を聴いた時の 印象も良く覚えていない(感想記録にも残っていなかった)。それで、久しぶりに聴いてみたのだが、やはり いまひとつ印象が弱い。丁寧でまとまりの良く、規範的でスコアに誠実な演奏なのだが、それ以上の特徴感に 乏しく、教科書的というのか、どうも聴いていて新鮮味に乏しい感じを否めなかった。とりわけ強奏時の音の 勢いやダイナミクスの腰の強さが、実演に比してかなり聴き劣るように思えるし、ここぞという時の緊迫感もいまいち伸びない。音質も全体に平板で、音色の繊細な機微の伝達感が十分でないように思う。

この録音は今から20年ほど前の 録音だが、残念ながら先日サントリーで聴いた実演の凄さの半分も発揮されていないように感じる。もし 現在ヘンヒェンがブルックナーを録音し直したら、きっと名演となるに違いないと思うのだが。

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
 ベルティーニ/ケルン放送交響楽団
 アルトゥス 1989年ライブ ALT150

2008年にリリースされた、ガリー・ベルティーニのケルン放送響とのライブ盤3点のうちのひとつ。 ベートーヴェンはベルティーニの録音ジャンルとしても珍しい。

さっそく聴いてみると、第1楽章冒頭から まず印象的なのはそのテンポ・スピードの速さ。実際、楽章全体を通して提示部反復を含めて16分強で 駆け抜けている。そしてこのハイ・テンポを土台としながら、ハーモニクスの織り上げが緻密を極めている 点にまず驚かされる。アンサンブルの 響きは弦の厳しい色合いと管の優美な色合いとを明確に対比させたもので、アンサンブル全体の奏でる ハーモニーの色合いは、厳しくも美しい、という独特なもの。わけても金管パートの色づかいは独特を極め、 例えば再現部の(10:41)からホルンがメイン・テーマを吹くくだりなど、透き通るような音色の美彩さが 耳を捉える。(11:17)から同テーマがトランペット強奏されるくだりでさえもそうで、木管も含めて 管フレーズの音色や強弱のコントロールに関しては細心の注意が払われているように思う。

同じことは第2楽章以降にも当てはまり、例えば第2楽章後半のフガートの頂点で鳴り渡る第135小節の ホルン(7:26)など、ffにも関わらず透明な美彩を失わず、現実を離れた美しさを放っていて感銘深い。

ただ、全楽章とも管の突出を徹底的に回避している点に加えてティンパニもかなり抑制されているので、純粋な 音響的迫力という点からするといまひとつ物足りないのも事実。としても、この演奏に聴かれるアンサンブルの 厳しい美しさはやはり独特であり、聴いていて耳を奪われるシーンが非常に多い。

第1楽章コーダの(15:29)からの第658小節のところでトランペットの主題線を延長させずにスコア通り消している点からも 明らかなように、解釈自体はおおむねスコアの指定に忠実な正攻法のものでありながら、普通と言うには 一味違う、ベートーヴェンの「英雄」の美演のひとつだと思う。

ブルックナー 交響曲第7番
 ベルティーニ/ケルン放送交響楽団
 アルトゥス 1988年ライブ ALT151

2008年にアルトゥスよりリリースされたガリー・ベルティーニのケルン放送響時代のライブ盤のひとつ。

ベルティーニのブルックナーの録音は正規リリースとしてはこれが初めてのものだと思うが、 以前、非正規盤のCD−Rを購入して聴いたことがある。それはベルリン・ ドイツ交響楽団との ブルックナー・交響曲第1番(EnLarmes ELS02-289)。これは超名演で、ブルックナーというより ワーグナーを思わせる、完全にドラマティック様式のブルックナーだが、とにかく迫力がものすごく、 聴いていて大感動したのを覚えている。

対して、こちらの7番の方の演奏は、その1番の演奏と 比べると印象がかなり異なる。オーケストラが違うという以上に、表情形成の特徴として、先の1番 の時より劇性を強調せず、造形的にはむしろオーソドックスに近い。ハーモニクス形成上の特徴としては、 このCDと同時リリースのベートーヴェンの「英雄」でのそれにかなり近いように思う。 すなわち、弦の厳しい色合いと管の優美な色合いとを対比させた、厳しくも美しいハーモニーの色合いだ。

ただ、聴いていてベートーヴェンの時とはやや趣きが異なる感じもあり、おそらくこのブルックナーの演奏に おいては、ベルティーニのマーラー指揮者としての味付けというかアプローチが加味されているのでは ないか、と思える節がある。例えば第1楽章の展開部(9:55)あたりでは、木管の現実を乖離したような音色の美しさを まざまざと強調し、その直後(10:55)を皮切りとする強奏部では金管パートの強音を耳に挑むかのように鋭く強調する、 というあたりの、陶酔と覚醒との激しい揺さぶりは、明らかにマーラー的な特性を感じさせられる。

それは必ずしも ブルックナーの音楽に調和し切るものではないようにも思えるとしても、こういう視点でブルックナー を聴けることにおいて、フレッシュな趣きを感じさせてくれた演奏だ。

使用版はノヴァーク盤だが、第2楽章の頂点でのシンバルとトライアングルは排除されている。

R.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」
 ベルティーニ/ケルン放送交響楽団
 アルトゥス 1984年ライブ ALT152

2008年にアルトゥスよりリリースされたガリー・ベルティーニのケルン放送響時代のライブ盤のひとつ。

同時リリースのベートーヴェンとブルックナーも疑いなく名演だったが、それらと比較してもこのリヒャルト の演奏はさらに良く、まさに超名演。なぜならこの演奏では、おそらくマーラーとリヒャルトの音楽の同質性に 起因し、ベルティーニの「マーラー指揮者」としての本領発揮の度合いがより克明に感じられるからだ。

第1部「英雄」冒頭のフォルテ開始からコントラストの立ったアンサンブルのメリハリが素晴らしく、 わけても(0:18)の第8小節からfで飛び込んでくるヴァイオリン・パートの鮮烈感が抜群だ。 ベルティーニの指揮はアンサンブルからすこぶる濃密な色彩感を抽出しながら、その濃密性を精妙に制御し、 緻密にハーモニクスの織り上げを行っている。ゆえにその響きは濃厚でありながら透明度が高く、リヒャルトの 入り組んだテクスチャが明晰かつ情感豊かに奏でられている。

第2部「英雄の敵」では木管ソロのアイロニカル な歌い口がまるでマーラーみたいだ。第3部「英雄の伴侶」ではジェンコフスキーのヴァイオリン・ソロが 絶好調。(5:21)からの感極まったフレージングの感懐! しかし全編の白眉は第4部「英雄の戦場」で、 その管弦楽的カタルシスは絶大だ。(1:39)からのffのパッセージなどトランペットの鳴りっぷりの良さには 惚れぼれするし、オーケストラの鳴動力も素晴らしい。なかんずく激戦に突入する(3:36)以降のド迫力には 参ってしまう。

第5部「業績」から第6部「引退と完成」にかけては聴いていて音海を漂うような穏やかな 感動が支配的だが、その中にあって第6部の(5:42)あたりでかつての戦闘を回想するくだりの強烈感がすごく、 その心揺さぶられる感じが忘れがたい。

ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」
 ラトル/ベルリン・フィル
 EMIクラシックス 2006年ライブ 3847232

ラトルのベルリン・フィルとのブルックナー初録音。ノヴァーク版による演奏。

第1楽章提示部から、管弦ともに かなり強めの色合いでくっきり奏され、第2テーマのチェロ、第3テーマの金管など、重厚という風ではないが 音色の味が濃い。展開部の(8:41)からティンパニの強調など、かなり豪快で、クライマックスの迫力を強力に後押し したかと思うと、(10:50)前後のクレッシェンドの響きの透明感の素晴らしさなど、ラトルらしい表情の多彩ぶりだ。

第2楽章も、全体に各パートの音色は強めなのにトータルの響きは、清楚で透明なハーモニー展開。このあたりの アンサンブル統制は絶妙であり、全奏部においても、決して響きを濁らせず、がならせず、澄んだ響きの 美感が常に絶えない。第3楽章も同様で、テンポもあまり急き込ませず、動的というよりスタティックな ロマンティズム。

しかし終楽章は、(1:28)からの第1テーマ提示クレッシェンドが凄絶! 前楽章までの クレッシェンド展開とは凝縮度が段違い。第3テーマ提示冒頭のティンパニの痛撃など凄いし、以下、ピリッとした 緊迫が演奏を包み、それがコーダまで弛緩せず持続する。

全体としてみると名演だと思う。ただ、演奏自体の純然な刺激感、あるいは独創感という点では、 ラトルがマーラーの演奏で示すそれと比べて、強烈味がちょっと薄いような感じもする。 音質もどうもいまひとつで、コンサートのライブ録りの ためか、聴いていて音像の抜けがいまいちスッキリしないもどかしさを感じる。

ブラームス 交響曲全集
 アーベントロート/バイエルン国立管弦楽団(1番)、ライプツィヒ放送交響楽団(2〜4番)
 MEMORIES 1956年ライブ(1番)、52年(2番、3番)、54年(4番) MR2045/46

アーベントロートの残したブラームスのシンフォニー録音を集めた全集盤で、2008年にリリースされたもの。

このうち1番のバイエルン国立管とのライブは名演というよりむしろ「爆演」として語られることの多いもので、これまでもいくつかのヒストリ カル・レーベルからリリースされてきた演奏だ。対して2〜4番の演奏は放送用のスタジオ録音で、オーケストラは ライプツィヒ放送響。

CDの収録が3→1→2→4の順番なのでまず第3シンフォニーから聴き始めたが、これが 素晴らしい。冒頭からコーダまでのきなみ超快速でひた走るアーベントロートらしい流儀の演奏だが、アンサンブルの鳴りっぷりに惚れ惚れする。冒頭のヴァイオリンの鳴りから最高で、このテンポでよくここまで鳴り切らせられる ものだ。いきおい音楽の白熱ぶりがバツグンで、まさに情熱のかたまりのような演奏というに相応しく、鮮明なモノラル の音質がその熱感を直裁に伝達する。第2・第3楽章はロマン味たっぷりで、すこぶる濃密。終楽章はまるで火の玉の ような灼熱の驀進ぶりがものすごい。なんともド迫力で、情熱味満点! 

次は問題?の第1シンフォニーだが、この 演奏の最大の特徴は、そのテンポの出入りの激しさにある。それもオーソドックスな動きではおよそなく、ギョッと するところでテンポをおおきく動かし、造型に激しい揺さぶりをかける。第1楽章でいうなら(7:19)あたりとか再現部 直前などがそうだが、後者はまだしも、前者などどこかハッタリめいた印象が拭えず、いまひとつ真に訴えてこない 感じがする。むしろ第2楽章の方が内容的によく、やはりテンポが激しく動くが、第1楽章ほどは奇形的でなく、必然性 があり、それが真実味に昇華されていて傾聴させられる。

しかし最大の聞き物は終楽章だ。とくに主部以降のすさまじい テンポ・アップは度を超えたもので、(6:26)あたりなどアンサンブルの縦の線が合っていないし、少なくとも再現部に入るまでのくだりは、第1楽章同様、なにかハッタリめいたショーのような感じで、迫真という印象には欠ける。しかし 再現部以降ともなると、その徹底した極端ぶりに聴いていて感じ入ってしまう。(9:57)あたりの超ハイ・テンポはすべて を投げ打つような真に迫った表情に満ち、(10:55)あたりの、何かにとり付かれたような猛加速の激感も最高だ。圧巻は コーダで、あまりにも常軌を逸したテンポをベースとする、金管の渾身の絶叫を伴うアンサンブルのフルパワー。深みは ともかく、とにかく凄絶だ。

次の第2シンフォニーは最初の第3シンフォニーと同じような流儀だが、音質がひとまわり 落ちるのが残念。最後の第4シンフォニーは、音質、アンサンブルの燃焼力、ともに第3シンフォニー並みにいいが、 演奏の流儀が第1シンフォニーのそれに近く、場合によってはいかにも芝居がかったような感じもする。

チャイコフスキー 歌劇「スペードの女王」全曲
 ゲルギエフ/キーロフ歌劇場管弦楽団
 フィリップス 1992年 PHCP-5176〜8

「スペードの女王」はチャイコフスキーの残した10番目のオペラで、ポピュラリティ的には「エフゲニー・オネーギン」 に次ぐ2番手だが、内容的には最高傑作かもしれない。チャイコフスキー晩年の円熟期に書かれた作品ゆえ、オーケスト レーションの鮮やかさといい、メロディの情感表出性といい、いずれも堂に入っており、多少の改作があるとはいえ プーシキン文学に基づくシナリオの妙味がそれらをさらにひき立てる。

このオペラは1890年にマイリンスキー歌劇場で 初演されているが、このゲルギエフ盤はそのマイリンスキー歌劇場のオーケストラによる初の全曲録音とされている。 その内容は指揮良し歌手良し音質良しという鉄壁ぶりで、このオペラの録音としてはほとんど決定盤ではないかと思える ほどいい。

ゲルギエフの指揮は手兵のキーロフのオーケストラを冷静に統率し切りながらも、その表面下に情熱の火が 透けて見えるような強烈な色彩感をアンサンブルから抽出させ、このオペラに極めて精緻にして動的な起伏を付与する ことに成功している。冒頭の序曲からして強烈であり、(1:48)からの「スペードの女王」のテーマともいうべき伯爵夫人の モチーフの鮮烈さ、(2:13)あたりの苛烈な叩き込み、(2:26)からのモルト・エスプレシーヴォの楽段でのむせかえるような 甘美な色合いなど、いずれも魅力たっぷり。その充実感は本編以降も持続し、力動的で濃厚な筆致で音楽を刻みながらも、 時に漲る非情なまでの音響の張りが素晴らしい。第2幕のラストで伯爵夫人がショック死するくだりの音楽(第6交響曲 「悲愴」の終楽章にそっくりだ)、第3幕第2場のラストのリーザの投身自殺の場面、そして第3幕終盤でゲルマンに 破滅のカードとなるスペードのクイーンが配られる場面など、いずれもゾクゾクさせられる。

ゲルマン役グリゴリアンは 第2幕から第3幕にかけてもう少し狂気的な発露が強ければという気がするものの、第1幕第1場終盤のアリアでの鬼気 迫る歌唱をはじめとして、純粋な声の力という点では抜群だ。

しかし歌唱陣においての最大の聞きものはむしろ、ヒロインの リーザを歌うマリア・グレギナで、これは今でこそ最高峰のドラマティック・ソプラノ として認知されるスター歌手の無名時代の貴重な録音なのだが、例えば第1幕ラストでゲルマンに「Zhivi!(生きて!)」 と絶叫するくだりでの高音のものすごい表出力など、その実力のほどが瞭然としている。美声という点でも申し分なく、 ポリーナ役オリガ・ボロディナとの2重唱の場面など、両歌手の美声が相乗的に引き立っていて夢のような美しさだ。

R.シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」、「ドンファン」、組曲「ばらの騎士」
 デ・ワールト/オランダ放送フィル
 エクストン 2005年 OVCL-00218

3曲とも名演だと思う。中でも「ツァラトゥストラ」がひときわよく、デ・ワールトの見事なアンサンブル統制力が最高水準の音質に助長され、素晴らしい聴き応えだ。

冒頭の自然主題の起伏から管弦ともに響きの色合いがすこぶる鮮やかなのに加えてティンパニ強打のキリッとしていることこの上なく、まさに最上の出だしを示す。この流れが導入以降もごく自然な形で定着し、精緻にしてリッチな音響展開の妙味が充溢する。「大いなるあこがれ」に入る直前のクレッシェンドの壮麗さ、その終盤から「喜びと情熱」になだれ込むあたりの沸き立つようなアンサンブルの色合いなど、強奏部はいずれも絶品。特に後者での(1:27)からのトロンボーンのff(マルカーティッシモ)など、実に見事だ。

対して弱奏部はというと、「科学について」冒頭など、かなり音量を絞っての最弱音であるにも関わらず、その響きは実在感に富んでいる。音質がいいことも原因だと思うが、やはりデ・ワールトの指揮にしっかりと芯が通っていることが大きいのではないかと思う。

後半のクライマックスもいいが、「舞踏の歌」に移る前後のコミカルな流れなど、もう少しアイロニカルな視点が強調された方が、リヒャルトの音楽に合うような気もする。「夜のさすらい人」に入る前後の最後の山場はカタルシス満点!

モーツァルト 交響曲第31番「パリ」、第41番「ジュピター」&ブルックナー 交響曲第7番
 ミュンシュ/ボストン交響楽団
 メモリーズ 1954年ライブ(パリ)、52年ライブ(ジュピター)、58年ライブ(ブルックナー) MR2069/70

「ミュンシュ+ボストン響のレア・ライブ集」と銘打たれたアルバム。2008年8月にリリース。 モーツァルト、ブルックナーともにミュンシュのレパートリーとしては極めて珍しく、いずれの交響曲の録音も ボストン響との一連のスタジオ録音(RCA)の中に残されていない。

さっそく聴いてみると、一枚目のモーツァルトは かなりの名演だと思う。「パリ」、「ジュピター」ともに密度感のある響きを主体に集中度の高い演奏が展開され、 ことに弦パートの充実感が一貫的に高い。逆に木管はやや引っ込み気味で、音色の魅力もいまひとつ冴えないものの、 弦のヴァイタリティがその弱みを補っている。テンポ設定は「パリ」がやや遅め、「ジュピター」がかなり速めで、 ことに「ジュピター」の第1楽章は冒頭からガンガン突き進むという風であり、ちょっと性急というか、急ぎ過ぎでは ないか、という気もしなくもない。しかし終楽章は同じスタイルでも表出力が格段に増し、アンサンブルの直截な 高揚力が素晴らしい。

2枚目のブルックナーは、使用スコアの記載は無いものの、第1楽章の(1:03)でのホルンの 飛び出しにより、「シャルク改訂版」と確認される。演奏内容だが、正直かなり苦しいと思う。あまりに問題が 多すぎるのだ。

第1楽章冒頭から響きが冴えず、モーツァルトの時よりオフマイク気味で強奏時の凝縮感に不足 するし、ハーモニーもかなりダンゴ状態だ。ミュンシュの指揮も、どうも聴いていて、あまりブルックナーに思い入れ がないような印象を否めない。展開部(6:47)あたりの木管の無造作なくらいそっけないフレージング、(9:11)からの セカセカした歩調。342小節からの(13:22)のトッティでは金管があまりに強すぎて弦のffが全然聴こえないし、401小節 からの(15:49)では逆にティンパニのffがあまりに弱くて迫力不足。第2楽章も同傾向で、音質のせいかも 知れないものの、総じてアンサンブルにずしりとした感触が乏しい。

第3楽章は演奏タイムがわずか6分半。これは 反復をすべてカットしているためだ。しかし驚くべきは終楽章の演奏タイムで、7分13秒というのはまずありえない タイム。一体どういうことかと思って聴いていくと、展開部の途中(4:51)でいきなり第1テーマが??? 

スコアを みて確認した限り、このミュンシュの演奏では、練習番号0〜Wの部分、すなわち175小節から274小節までがカット されていて、174小節から275小節にワープする形になっている。要するにまるまる100小節が恣意的に飛ばされている わけで、これはいくらなんでも、、という気がする。おそらく聴衆を意識してのカットと思われるが、やはり当時の アメリカでは、まだブルックナーは一般的な演目ではなかった、ということだろうか。

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」、交響曲第5番「運命」
 トスカニーニ/NBC交響楽団
 Music&Arts 1945年ライブ CD-753

2007年にリリースされたトスカニーニのヒストリカル録音。 「英雄」は1945年9月1日のVJ day、すなわち日本が降伏文書に調印したアメリカの戦勝記念日に 行われた祝賀コンサートのライブ、「運命」は同年5月8日 VE day、すなわちドイツが降伏したアメリカの 対欧戦勝記念日に行われた祝賀コンサートのライブ。

日本はともかく、対ドイツ戦勝記念日にベートーヴェンを 演奏するというのはちょっとシニカルだが、逆に言うならベートーヴェン作品のコスモポリタン的な 位置づけをくっきりと認識させられるエピソードだ。

それにつけてもこのディスクの音質の良さには驚かされる。 本当に45年当時の放送用音源に基づく録音か、とさえ思えるほど、響きの抜けはいいし、ソノリティが実在感に 満ちている。演奏内容としてもなかなかの水準で、各コンサートの祝祭的ムードが付帯要因としてあるためか、 両演奏ともに燃焼感に溢れ、聴いていてその並々ならない迫力に圧倒される。同じMusic&Artsからリリース されているトスカニーニ/NBC響の39年のベートーヴェン全曲ライブの演奏にも圧倒されたが、 この45年ライブもそれに迫る水準の名演だと感じる。

ただ、ここでの「英雄」、「運命」はともに、 個々のフレージングを客観的に鳴り切らせるという点では、確かにこれ以上ないくらいのレベルではあるものの、 例えばフルトヴェングラーの演奏に聴かれるような、各フレーズに対する主観的な色付けは総じて薄い。 そのあたりの主観的なデフォルメの希薄さはトスカニーニの解釈の強みと同時に弱みともなる諸刃の剣の ようなところがあり、少なくともこの両曲に関しては、トスカニーニの表現も圧倒的な高みにあるとしても、 それでもフルトヴェングラーの方が、演奏としては一枚上だと思う。録音が高音質なだけに、そのあたりの印象の差異も あらためて実感させられた。

J.S.バッハ シャコンヌ(齊藤秀雄編曲)&ココリアーノ 交響曲第1番
 下野竜也/読売日本交響楽団
 エイベックス・クラシックス 2006年ライブ AVCL-25186

サントリーホールでのライブで、下野竜也が読響の正指揮者に就任後初めてのコンサート。それだけにオーケストラも、両曲ともにかなり気合のこもった演奏スタンスだ。

ところで齊藤秀雄編曲によるバッハのシャコンヌというと、どうしても思い出される決定的名演がある。 それは「齊藤秀雄メモリアルコンサート1984年」(フォンテック FOCD9068/9)に収録されている演奏。これは齊藤秀雄没後10周年の命日に東京文化会館で行われたライブ録音で、指揮者は小澤征爾、奏するは桐朋学園齊藤秀雄メモリアルオーケストラだが、この演奏はまさに何かがのり移ったか、というほどの凄演ぶりを示した圧巻の名演だった。

この演奏から受けた強烈な印象と比べてしまうと、この下野&読響の演奏は、率直に言ってやはり分が悪い感じを否めない。とはいえ、 演奏自体は十分に名演と感じる。音質も抜群。小澤による凄演に対してこちらは熱演というに相応しく、弦パートの充実感が全編にめざましい。(7:55)からの主題回帰でのグッとテンポを落とした恰幅の良さ、(15:39)あたりの弦の強奏の音色の強さなど、その気持ちのこもったアンサンブルが素晴らしい。

ジョン・ココリアーノの交響曲第1番は初めて聴く。1989年作曲の作品で、翌年にバレンボイム/シカゴ響により初演されている。内容的にはアメリカの作曲家に有り勝ちなムード調の強いものではないが、現代音楽と言うには透徹した抽象的荘厳という雰囲気でもなく、ちょっと中途半端な感じがあり、後世において音楽史上のマイルストーンとなる可能性は低いように思う。しかし演奏自体はかなりのもので、第1楽章冒頭から激烈なティンパニを中核に抜き差しならない雰囲気が強く立ち込めているし、(5:18)から流れるアルベニスのタンゴの虚無感もいいし、第2楽章終盤の狂騒感、第3楽章コーダの破滅感など、いずれも下野竜也の指揮者としての力量が良く表れているように思う。

ミケランジェリのドビュッシー放送録音集(ヴァチカン・ライブ)
 ミケランジェリ(pf)
 AURA 1968年〜87年ライブ AUR225-2

収録曲は@子供の領分A映像第1集・第2集B前奏曲集第1巻(ただし第3・5・6番を除く9曲)。録音は@が68年ルガノ、Aが87年ヴァチカン市国、Bが77年ヴァチカン市国でのライブ。

AとBがいわゆる「ミケランジェリのヴァチカン・ライブ」として名高い録音であり、実際この2つの演奏は、およそピアニズムの極地が示されたような歴史的名演だと思う。

なにしろAの映像第1集最初の「水の反映」から度肝を抜かれる。冒頭のppからミケランジェリの精巧を極める指さばきと、そこから紡がれるタッチの光沢の冴えが高感度に伝達されるが、なかんずく(1:20)あたりのアルペジオの光沢にいたっては、そのあまりの音色の冴えに鳥肌が立つほどだ。これを聴いて、ミケランジェリがグラモフォンに録音した同曲のスタジオ録音盤でも、こんなに凄かっただろうか、と思って、引っ張り出して聞き比べてみた(POCG-1121 1971年)。その結果、驚くべきことにこちらのヴァチカン・ライブの方が、ピアニズムが明らかに冴えている。先のアルペジオを聴き比べてみればそれは瞭然だし、次の「ラモー讃歌」においても、冒頭のppからヴァチカン・ライブの方が克明感に一歩勝るし、5小節目から高域に弾かれるpのスタカート動機にしても、明らかにヴァチカン・ライブの方が響きが強い。3曲目の「運動」のような超技巧の作品でさえ、スタジオ盤よりこちらのライブの方が鮮烈なのだから凄い。(1:01)あたりの強奏など、バツグンだ。

第2集の3曲も然り。どこまでも最高のフォーカスで追求される、およそ雑味の無い高音の表出力が素晴らしい。音質もスタジオ盤にほとんどひけをとらないし、これはミケランジェリの録音としても出色のものだと思う。

Bの前奏曲集第1巻も同格の名演。こちらもグラモフォンのスタジオ盤(POCG-1122 1977年)と聴き比べてみたが、両演とも録音時期がほぼ同じなためか、充実度において差はほとんど無い。音質的にはスタジオ盤より若干、ひけをとる感じもするが、ヴァチカン・ライブの方が全体にソノリティが生々しい。これはライブ録音であることよりも、むしろマイクの音取りがスタジオ盤より近接的にされている影響の方が大きいようだ。

@も演奏自体は名演だと思うが、音質がAやBよりかなり落ちるのが残念な ところで、この曲に関してはスタジオ盤(POCG-1121)の方に軍配が上がると思う。

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」ほか
 マンゼ/ヘルシンボリ交響楽団
 ハルモニア・ムンディ・フランス 2007年 HMU807470

収録曲はベートーヴェンの「英雄」、12のコルトルダンス(WoO14)、バレエ「プロメテウスの創造物」よりフィナーレ。 この3曲には共通主題が用いられていることで有名で、その共通項に基づくカップリングのようだ。

アンドルー・マンゼといえばバロック・ヴァイオリンの鬼才にしてイングリッシュ・コンサートの音楽監督であり、 完全に古楽畑のアーティスト。しかしこの08年リリースのベートーヴェンの録音では、 モダン・オーケストラを指揮しての演奏となっている。オーケストラはスウェーデンのヘルシンボリ響で、06年から マンぜが首席指揮者をつとめている手兵オケとのこと。

ひと通り聴いた感想としては、迫力面にいささか難があるのが気になるとしても、全体的には名演だと思う。随所に 新鮮な息吹を感じさせるベートーヴェンだ。

まず印象的なのは、古楽的スタイルの特性がそれほどには強調されていないこと。 古楽畑の指揮者のモダン・オケによるベートーヴェンということで、かつてノリントンがシュトゥットガルト放送響 と録音した「英雄」(ヘンスラー CD93.085)での演奏のイメージを聴く前にある程度連想していたのだが、 聴いてみると趣きがかなり違う。ノリントンの「英雄」は古楽のバランスの異彩性を全面に押し出しての、 過激なまでの刺激に満ちた名演だったが、それからするとこのマンゼの「英雄」はバランス的にずっと穏健だ。 管や打の突出はおおむね抑制されていて、造形的にもオーソドックス。編成スタイルも10型とオーソドックスで、 古楽アンサンブルのように弦の人数を絞ってはいない。このようなオーソドックス・スタイルに依りながらも、 そこから湧出する響きの感触にかなりの新鮮味があり、そこに本演奏の美質があるように思う。

すなわち、 このマンゼの「英雄」では、ハーモニー・バランスにおける弦パートの音色のシャープな強度感と、管パートの音色の しっとりとした潤いとの対照がユニークな色合いを供出している。オーソドックスというのはあくまで造形やバランスの 面でのことで、奏法的には古楽流のアプローチがかなり徹底されている。ヴィブラートが抑制されてキリッとした 旋律線、レガートよりもスタカートを志向した張りのあるアーティキュレーション、そして弦楽器の音色のシャープな 強度感というあたりがそうで、わけても弦楽器の響きのクオリティが素晴らしい。古楽奏法に基づくフレージングの 鮮やかなエッジの立ち具合が、10型規模に基づくヴォリュームの確保により増強されていて、弦パートに一貫して強い 表出力が付帯している。第1楽章展開部(7:45)から低弦に沸き起こるパッセージ伝達での生々しい律動感、(8:31)の 最強奏での核のある響きなど。他部も含めて、音楽がフラットに流れることがないし、全体にマンゼが古楽演奏で培った 鋭い感性が演奏に独特の精彩をもたらしたような名演だと思う。

ただ、迫力面に関してはもう少し伸びる余地があるような気がする。例えばノリントンは古楽奏法の軽量感を補完するため 管を劇的に突出させたり打楽器を激打したりして素晴らしい迫力を表出させていたが、このマンゼの演奏では そのあたりに物足りなさがある。特にティンパニは一貫的に控えめで、場面によってはもう少し強打してもいいのではないか。

モーツァルト ヴァイオリン協奏曲全集
 カルミニョーラ(vn) アバド/モーツァルト管弦楽団
 アルヒーフ 2007年 4777371

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲全5曲とK.364の協奏交響曲(ヴィオラ奏者はダニューシャ・ヴァスキエヴィチ) が収録されている。

モーツァルト管弦楽団は2004年にアバドにより設立された、ボローニャを本拠とする 若手奏者限定オーケストラとのことで、この演奏ではピリオド楽器編成が採られている。ピッチは430HZで、 現代の標準ピッチよりは低いが、ピリオド演奏の標準415Hzよりは高い。そのため、ピリオド・アンサンブル の演奏としてはかなり華やかな色合いで、その音色も非常に洗練されている。なおかつピリオド演奏に特有する、 ヴィブラートを抑制したキリッとシャープな響きの結像感も兼ね備えているようだ。

アバドの指揮もきめ細かく、本来 ピリオド畑の指揮者ではないにもかかわらず、ピリオド・アプローチがしごく堂に入っていて驚かされるほどだし、 解釈的にもモダン・オケを振る時よりも大胆さが増している感じがする。例えば第3コンチェルトの第1楽章の 出だしなど、冒頭の強和音をすこぶる鮮烈に鳴らし、直後の弱音は音量を絞って痛快なダイナミクスのコントラスト を強調しているが、ここなど明らかにスコアのf→pをff→pp的に強調した解釈だと思う。

以上の オーケストラの名演ぶりに呼応するかのように、ジュリアーノ・カルミニョーラのソロも非常に充実している。 ピリオド・ヴァイオリンを自在に駆使することにかけてはこの上ないほどの爽快な弾きっぷりで、特に第4コンチェルト と第5コンチェルトに聴かれる速いパッセージでの響きのエッジの鮮やかな立ち具合、音色の強さと美しさ、 メロディ・ラインの訴えかけの強さ、いずれも抜群で聴いていて否応なく酔わされる。

もっとも、ここでの カルミニョーラのボウイングは、かつて一世を風靡したヴィヴァルディの「四季」(ベニス・バロック管との新録音では なく、ソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカとの旧録音の方)に聴かれた圧倒的な快刀乱麻ぶりから比べると、 全体に穏健であり、カルミニョーラにしてはいまひとつ緊張感が大人しい嫌いもある。としても、そのぶん演奏の陶酔感 が増しているのは確かで、それはモーツァルトの音楽のスタイルにもピタリと合う感じがするし、オーケストラも 含めておそらくモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集としての最高の美演のひとつだと思う。

フランク 交響曲&ストラヴィンスキー ペトルーシュカ(1911年版)
 モントゥー/シカゴ響(フランク)、ボストン響(ストラヴィンスキー)
 RCA 1961年(フランク)、1959年(ストラヴィンスキー) BVCC-37445

フランクの方は、言うまでもなくこの曲の古典的名盤で、SACD化に伴いトッティの感触などややソフト化したような 気がしなくもないものの、それでも凄い迫力だ。

第1楽章は規範的で折り目正しいテンポの動きから展開される、充実を きわめる金管の強フレージング、ティンパニの激打など、音響的迫力が並々ならない。第2楽章もオーソドックスな 進め方ながら、木管の線の太さなど、アンサンブルの響きの濃度が演奏に深みを付与しているし、終楽章は白眉で、 まさにモントゥー入魂の快演であり、磨きこまれた強靭なアンサンブルから繰り出される、ブリリアントな音響の 高揚感が圧倒的だ。

ストラヴィンスキーの方は、この曲の初演者がモントゥーであり、格調高い演奏なのだが、 フランクよりはやや落ちると感じる。肉厚の乗った響き、打楽器の苛烈な強打など、迫力水準は並みのものでないが、 ネックはやはり音質で、いくらSACD化でも限界があり、例えば第4場(夕方の市場)冒頭コン・モートなど響きが かなり混濁していて、見通しがいまひとつだ。終盤あたりも、現在のこなれた演奏水準の録音と比べると、アンサンブル 展開のシャープ感が弱く、急迫感がいまひとつ振り切らない感じがする。

マーラー 交響曲第3番、第10番アダージョ
 レナルト/新星日本交響楽団
 STUDIO FROHLA 1998年・99年ライブ B-2006-7

08年4月11日にサントリーホールでオンドレイ・レナルト指揮東京フィルによるマーラー交響曲第1番「巨人」を聴いたが、これが素晴らしい演奏だった。レナルトの演奏は今までも何回か聴いたことはあったが、今回のマーラーほどは強い印象はなかった。

アンサンブルの充実感がめざましく、弱奏部のキリリとしたソノリティのフォーカス、そして強奏部に漲る緊張感の高さ、いずれも一級で聴いていて惚れぼれさせられた。オンドレイ・レナルトは、マーラー演奏に対する相性の良さと強いシンパシーを持った指揮者ではないかと、その実演を聴いて思った。

そのホールで売られていたので購入したのが、このディスク。新星日本交響楽団が東京フィルと合併する前の録音で、もともと自主制作盤だったものを復刻したものらしい。

聴いてみると、音質が全体に若干くぐもっている感じがあり、そのため聴いていて惚れぼれするとまでは正直行かなかったが、演奏自体はかなりの名演だと思う。

最初の第10番アダージョでは(17:58)での痛切味が非常にいいし、次の第3シンフォニーも、すべてにおいて誇張のない、正調の構えでありながら、実演でのアンサンブルの充実を彷彿とさせるハーモニーの有機的な織り上げが素晴らしい。第1楽章でいうなら、(2:00)近辺でのトランペットとティンパニの強度感からいいし、(14:00)あたりの最強奏の痛撃感もいい。(22:30)あたりのクライマックスは、もう少しアクセルを踏み込んでもいいような気がする。コーダの燃焼感は最高だ。

ハイドン 交響曲第94番「驚愕」・交響曲第99番&シューベルト 交響曲第8番「未完成」
 クリップス/ウィーン・フィル
 デッカ 1957年(ハイドン)、69年(シューベルト) KICC8118

名匠クリップスとウィーン・フィルによるハイドンとシューベルトの古典的名盤。 とくに「驚愕」はLP時代から今日まで名演奏との評価がほぼ確立されている。

そのハイドンの「驚愕」は 第1楽章冒頭序奏から(1:11)の第1テーマ登場に到るまでのアンサンブルの色彩の立ち具合にまず 魅了される。弱奏においてもソノリティがふっくらとしているし、音色の味も濃い。(2:00)からのミノーレのフォルテも 響きが極めてみずみずしい。反面、(2:19)からの第2テーマではフォルツァンド指定がほとんど活きておらず、他部に おいてもアタックは総じて大人しく、パンチの効き加減が弱い。そのあたりに聴いていて一抹の物足りなさも感じる ものの、個々のフレージング自体の克己感や強度感はバツグンで、ことに弦パートの充実感がめざましい。(5:16)あたりの 高弦と低弦の織りなす濃密なハーモニクスなど、絶品だ。

第2楽章は例の「驚愕」のトッティを始めアタックがそれほど 強烈というものではないが、管弦の色彩の立ち具合は相変わらず、特に(3:22)からの第3変奏でヴァイオリンとオーボエと フルートが形成するハーモニーの美しさが素晴らしい。第3楽章はアレグロ・モルトにしてはかなりゆったりとしたテンポ で、特に近年の古楽器アンサンブルの演奏に聴くハイ・テンポのものとは表情がガラリと違う。終楽章はウィーン・フィル のヴァイオリン・パートが絶好調だ。とりわけ第1主題確保部でのフォルテ進行に聴かれる湧き立つような響きの鮮烈感が 非常にいい。

99番のシンフォニーの方も同じスタイルでの美演。ただ、こちらは編成上、94番と比較してクラリネットが 追加されているのが特徴なのに、そのクラリネットがこの演奏ではいまひとつ冴えない感じがする。もっともオーボエなどは かなり冴えているし、弦パートの充実感も相変わらずいい。

シューベルトの「未完成」はハイドンより音質がひとまわり 良く、アンサンブルのこなれ具合もハイドン以上で、音色の味も濃い。ハイドンと同様にアーティキュレーションが ソフト基調な点に物足りなさがあるものの、内容的にはハイドンと同格の名演だと思う。

ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」第1幕
 クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
 テスタメント 1969年 SBT1205

クレンペラー最晩年の時期の録音で、可能であればおそらく「リング」全曲録音の先鞭となったはずだったが、 それは70年代初頭の引退のため成されなかった。

このディスクはテスタメント・レーベルがEMIの音源を 元に再リマスタリングしてCD化したものだが、その音質の良さには驚かされる。演奏自体はかつて本家EMIから国内盤と してリリースされていたもの(TOCE-9758-59)と同一なのだが、音質的には月とスッポンで、EMI盤の モコモコした音質がこのテスタメント盤では見事なばかりに一新されている。

とにかくソノリティの臨場感が 素晴らしく、ほとんど最新録音の域だ。冒頭の序奏の低弦の荒々しいうねり、(1:48)からの高弦の猛り、(2:23)の ティンパニの轟音、いずれも圧倒的な迫力を湛え、最晩年のクレンペラーの演奏の真価をまさに伝え切っている。

音質がいいため、管弦楽のみならず歌手の歌いぶりにも非常に充実感がある。ジークムント役ウィリアム・コクラン は高音の伸びと逞しさが圧巻だ。クレンペラーの伴奏が緩急を抑制した大河的なものであるため、情感振幅性が 全体に抑えられているものの、その歌唱は伸びやかにして客観的な凄味を帯び、わけても中盤でヴォータンの名を 絶叫するあたりからジークリンデとの二重歌に流れ込むシーンが非常に充実している。

ジークリンデ役ヘルガ・デルネシュ はカラヤンの「リング」全曲のブリュンヒルデ役として有名だが、ここでの歌唱はそのカラヤン盤よりも遙かにいいと 思う。カラヤン盤は歌手よりもむしろオーケストラを中心に録音バランスが組まれているので、確かに演奏自体は 立派ではあるが、個々の歌手の真価はあまり伝わってこない。その渇きを補って余りあるのがこのクレンペラー盤で、 中でも終盤のジークムントとの二重唱に聴かれる強烈な高揚力は、美声のイメージに終始したカラヤン盤での歌唱とは 別人のような表情を呈していて感動させられる。

マーラー 交響曲第6番「悲劇的」
 井上喜惟/ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ
 JMO 2001年ライブ JMOCD001/2

井上喜惟が創設したアマチュア・オーケストラの第1回公演会のライブ録音。

第1楽章冒頭からビックリするほどのスロー・テンポ。この基調テンポは全楽章を通して一貫されており、ユニークだが、第1楽章提示部から展開部中盤くらいまでは、表情的にあまりピンと来ず、何故のスロー・テンポであるのか、という点が分かりにくい。オーケストラの技術力が万全でない(管を中心に音程取りがかなり危なっかしい)点も含め、聴いていてこのままで大丈夫か?と思ってしまう。

しかし再現部に差し掛かるあたりから、スロー・テンポがその意味を語り始め、表情が俄然生彩を増す。このスロー・テンポはスローであっても画一的なものではなく、微妙な起伏を孕んだ繊細なテンポ取りであり、例えば再現部突入直後の(18:35)など、そのテンポに漲る非情なまでの凄みが素晴らしい。(21:30)あたりのテンポ・ダウンも圧巻だ。わずかなテンポの変動で、これほど表情が激変するとは。コーダはティンパニを徹底的に抑制し、弦の刻みを前面に展開させているのが新鮮で、ここまでティンパニを抑える演奏は珍しいと思うが、そのぶん弦の表出力が効果的にかさ上げされている。

第2楽章、第3楽章もやはりスロー調を基本に繊細なテンポ・ダウンやテヌートを効果的に付帯させ、音楽のシリアスな表情がすこぶる生々しい。終楽章も同様だが、ここではオーケストラの迫真のアンサンブル展開が素晴らしい。アマチュア・オーケストラの演奏らしい、多少の演奏ミスよりも表出力を優先させる方向性が顕著だ。

マーラー 交響曲第5番
 ズヴェーデン/ロンドン・フィル
 ロンドン・フィル自主制作 2008年ライブ LPO-0033

ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンといえば、エクストン・レーベルで継続中のオランダ放送フィルによる ブルックナーの交響曲シリーズが各方面から絶賛されている。そのブルックナー・シリーズは いくつか聴いていて、いずれも文句なく名演だと思う。それに対し、このディスクに収録されているのは マーラーで、名門ロンドン・フィルに客演してのライブ録音。

しかし、ブルックナーに相性の良い指揮者は、 逆にマーラーには相性が良くない、というケースが多い。果たして、ズヴェーデンはどうだろうか。

さっそく聴いてみると、第1楽章冒頭から極めて明晰なハーモニクスの練り上げで、高声から低声まで 万遍なくクリアで抜けの良いアンサンブルが描き込まれている。フレージングもキメ細かいし、トッティの 情報量という点でも申し分がない。しかし、迫力という点ではいまひとつ突き抜けたものが弱い。ことに(5:30)からの 第1トリオがそうで、アンサンブルの見晴らしの良さが、逆に音響密度の薄さを印象づけてしまうような気配があるし、 ティンパニもいまひとつ鳴り切りが悪い。

第2楽章も冒頭から高速テンポにもかかわらず切れ味抜群のフレージング 展開であり、それは凄いとしてもバスにあまり厚みが乗らない点、ヴァイオリンのえぐりが十分に効いていない点など、 やはり迫力感が物足りない。しかし演奏が進むにつれてジワジワとアンサンブルに充実感が増していき、(11:48)以降 の追い込みになると、迫力的にも素晴らしい聴き応えだ。おそらくライブ録りの特性で、演奏の進展とともに オーケストラが好調の波に上手く乗った、という感じがする。

その好調ぶりは第3楽章にも引き継がれ、音響的な 充実感が持続しているし、ハーモニクスの見晴らしの良さも相変わらず。ライブでここまで、というハイ・レベルな 内容だ。第4楽章も名演。弱音といい強音といい、すみずみまで神経の行き届いた有機的なフレージングに 傾聴させられる。(7:43)あたりのチェロの深み。

終楽章は、冒頭から中盤までは第3楽章ほどの充実感に乏しく、 いまひとつだが、終盤で一気に盛り返す。(9:30)あたりから精彩が増していき、(10:42)あたりで全開。コーダでは 強烈な加速を仕掛けるが、アンサンブルはパーフェクトに走り抜ける。終演後の拍手は盛大だ。

ブラームス 交響曲第1番
 ジュリーニ/バイエルン放送交響楽団
 Profil 1979年ライブ PH05021

2005年の6月に没した名指揮者カルロ・マリア・ジュリーニの追悼盤として同年にリリースされたディスクで、79年 におけるミュンヘン・ヘラクレスザールでのコンサートのライブ。

ジュリーニ の指揮によるブラームスの1番は、92年録音のウィーン・フィルとの素晴らしいスタジオ録音盤(POCG9623/4)があり、 このウィーン・フィル盤がおそらくジュリーニとしても会心の演奏ではないかと思っていたのだが、このバイエルン放送響 とのライブ盤は、そのウィーン・フィル盤に比肩する素晴らしい演奏だと思う。もちろんオーケストラも録音時期も 録音形態も異なるため、演奏の印象自体は双方でかなり違うが、感動の度合いという点では互角だ。

具体的に言えば、 第1楽章はウィーン・フィル盤の方がわずかに上、中間2楽章は同格、そして終楽章はバイエルン盤の方が明らかに 上回る。演奏タイムとしてもウィーン盤52分に対しバイエルン盤49分とほぼ同じだが、ウィーン・フィル盤は 全楽章ムラなくアンサンブルの充実度が際立っているのに対し、バイエルン盤はライブ録りの特性ゆえか、 第1楽章がウィーン・フィル盤より音響密度がひとまわり弱く、逆に終楽章の音響密度がすさまじい。

ジュリーニの 指揮は両演奏ともに遅めのテンポを維持した巨匠風解釈であり、加減速の起伏に乏しいかわりに仰ぎ見るような 揺るぎない造形的格調感が供出されている。そしてこのバイエルン盤の白眉は前述のように終楽章にあり、ここに おいてもテンポ設定はスロー基調が維持され、第94小節のアニマートの局面(6:10)においてさえテンポは微動だにしない という徹底ぶり。そのテンポの安定感をベースに繰り出されるアンサンブルの音響的充実度は目を見張るばかりで、 わけても再現部に突入する(9:25)以降のソノリティの味の濃さは絶品だ。ここまで濃密を極めるアンサンブルが、 イン・テンポのスロー基調から放たれる音楽の様相は、まさに表面的な感傷とはおよそ無縁な、強力な深みを伴う 音楽的高揚感を喚起させて止まない。そして全楽章を通じて維持させてきたスロー調が初めて破られるのがコーダで、 その強烈度は聴いていて総毛立つほどだ。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第26番「告別」、第23番「熱情」、第13番
 アラウ(pf)
 フィリップス 1984年 UCCP-3206

クラウディオ・アラウは1980年から91年にかけてフィリップス・レーベルにベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品を デジタル録音したが、「月光」と「ハンマークラヴィーア」のみ再録が果たせなかったため全集とはならなかった。 このディスクはその一連の演奏の中の84年録音の3曲を収めたもの。さすがに名演との普遍的評価を享受する 見事な演奏だと思う。

中でも「熱情」は別格の名演、という感があり、第1楽章冒頭のppのか細い響きからはおよそ 考えられないほどにフォルテ・フレーズの強打音の充実感が際立つ。すなわち強弱の対比力が強烈を極め、 ダイナミズムの振幅が凄まじい。高音の音色の音彩の立ち具合も素晴らしく、これが響きに強い張りと緊張感を 付与している。

そしてテンポは、全般に遅めのイン・テンポが貫徹される。明らかに客観スタイルだが、 ダイナミズムがハンパでないため、客観演奏ならではの凄味とスケール感が充溢し、そこには仰ぎ見るような音楽の威容 さえ感じさせられる。終楽章の(7:50)からのコーダのド迫力は聴いていて震えがくるほどだ。

この「熱情」と並んで「告別」の終楽章も素晴らしい。ことに第1主題が印象的で、この主題はスコア上、最初pからクレッシェンド して4小節めからデクレシェンドしていくように指定されているのだが、クレッシェンドの頂点に強弱記号が指定 されていないため、どこまで音量を上げるかはピアニストの解釈に依存する。普通はfくらいでデクレシェンドさせるが、 これをアラウはffくらいまで高めて見事な高揚感を印象づけている。また(0:48)からのffのパッセージはまるで巨人のような足取りで、雄渾の極み。以降も終曲まで「熱情」と同等のダイナミズムの充実感が支配的で圧倒させられる。

マーラー 交響曲第9番
 バーンスタイン/ベルリン・フィル
 グラモフォン 1979年ライブ POCG-1509/10

あまりにも有名な、バーンスタインとベルリン・フィルのただ一回の共演コンサートのライブ盤。バーンスタインの死後に正式リリースされたもので、両者の一期一会の貴重なドキュメントなのだが、それ以上に演奏内容が圧巻。これは歴史的名演といい得るものだと思う。

第1楽章冒頭の低弦、ホルン、ハープの最弱奏から個々の音形が鮮やかに立っていることに驚かされるが、決定的なのが最初の起伏となる(3:28)でのものすごいクレッシェンド! 恐るべき凝縮力であり、ベルリン・フィル全力の本気ぶりがひしひしと伝わってくる。同じことは第7トラック(317小節)直前の最強奏などにも言え、とにかくここぞと言う時のアンサンブル密度の破格ぶりが際立っている。

それに反するように、テクニカルな面での冴えはベルリン・フィルにしては総じて大人しいのが印象的で、例えば第9トラック(376小節)からのラングザマーの木管ソロなど、フレージングがやや危なっかしく、超技巧オケらしくない。これは第2楽章以降もそうで、全奏でタテの線が乱れそうになったり、楽想の区切りでアインザッツがビシッとしていなかったり、音程が危うくなったり、などという局面がそれなりに耳に付く。

そ れが極まるのが終楽章第118小節すなわち第14トラックの(1:02)での有名な「トロンボーン落ち」で、天下のベルリン・フィルがこういうアマチュア・オケ並みのミスをするのは珍しいことだ。

このコンサートに関しては、演目がオーケストラにとって不慣れな作品であるのにリハーサルの時間が十分に与えられず(カラヤンの圧力によるとも言われている)、かなり厳しいコンディション下での演奏を余儀なくされたと伝えられている。それはベルリン・フィル側も承知の上であり、テクニカルな面での不備は事前に十分予期し得た。だからと言って、放送を通じて全世界に配信されるコンサートに凡演を晒すことは世界最高のオーケストラの矜持が許さない。だからこそ、その技術的な不備を補完すべく、アンサンブルの燃焼力を究極的に高め、バーンスタインの要求する表出力の発露にフルに応答することにより、彼らの矜持を保とうとしたのではないか、と思えてならない。

実際、ここに聴くベルリン・フィルの演奏はアマチュア的なまでの熱感と気迫が立ち込める素晴らしいものだ。 第3楽章コーダのピウ・ストレット以降など、あのベルリン・フィルがここまで、というくらいの命がけの疾駆だし、終楽章も冒頭から稀有の音響的深みが充溢する。このあたり、カラヤンが同年にベルリン・フィルと録音した演奏(グラモフォン 453 040-2)と比べてみると、響きの深みに雲泥の差があり、唖然としてしまう。

カラヤンの演奏は他楽章も含めて技術的には完璧だし、音質も上だ。しかし、演奏行為としてのリアリティに起因する感銘の度合いという点で、バーンスタインにおよそ敵し得ない。同じ曲で、同じオケで、録音時期も同じで、収録ホールも同じなのに、指揮者が違うだけで、まるで別の曲のような感じがする。

ローラ・ボベスコの1983年来日リサイタル・ライブ
 ボベスコ(vn)、岩崎淑(pf)
 TDKコア 1983年ライブ TDK-OC011

曲目は@ヴェラチーニ ヴァイオリン・ソナタ(作品2の8)Aブラームス ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」Bドビュッシー ヴァイオリンとピアノのためのソナタ。他にクライスラーなどのアンコール曲が4曲収録されている。

ローラ・ボベスコの4度目の来日リサイタルにおける演奏で、会場は日本都市センターホール。

@のヴェラチーニからたっぷりとした音量をベースに繰り広げられるフレージングのパッションが素晴らしい。音量が総じて高め(ヴィオラ用の弓を使っているとも言われている)な点も印象的ながら、当時60歳にならんとする年齢からすると、いかにも若々しい、その溌剌とした表情形成に魅了されるものがある。

Aはこのアルバム中の白眉で、冒頭から屈託の無い伸びやかなフレーズ・ラインが全体の表情を決定付ける。(1:15)からの重音進行の音立ちの良さ、(1:26)からのコン・アニマの躍動感とエレガンス、(4:21)あたりの弾けるような情熱味など、いずれも魅力たっぷりだ。第2楽章も、幾ばくかの危なっかしさを伴う闊達な語り口に得がたい妙味があるし、終楽章のボウイングもみずみずしい。(1:11)からのニ短調のサブ・テーマを、p指定に対し高めの音量で溌剌と弾き切っていたり。

Bのドビュッシーでは、一貫的に高めに維持される音量の豊かさが、時として弱音指定部の繊細なニュアンスの表出を阻害する局面もあるとしても、そのきっぷの良い弾きっぷりが清々しく、それに艶やかな音色の魅力が絶妙に交差する。

『アルブレヒト・マイヤー/イン・ヴェニス』
 マイヤー(ob)/ニュー・シーズンズ・アンサンブル
 デッカ 2008年 4780313

収録曲は@ヴィヴァルディ: オーボエ協奏曲 ハ長調(rv447)Aプラッティ: オーボエ協奏曲 ト短調BA.マルチェッロ: オーボエ協奏曲 ニ短調CB.マルチェッロ:カンツォーナDロッティ: オーボエ・ダ・モーレ協奏曲 イ長調Eアルビノーニ: オーボエ協奏曲 ニ短調。また@の前にはヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲「冬」のラルゴ楽章のオーボエ編曲に よる演奏がある。

このディスクは、都内のCDショップの輸入盤コーナーで新譜を物色していた時に店内にかけられていたもので、 何とはなしに聞いていたところが、そのオーボエの音色のあまりの美彩さに、いつのまにか魅了させられている自分がいた。それでどういうアルバムかも良く分からず、とりあえず購入したのだが、調べてみると08年8月に 出たばかりの新譜で、ベルリン・フィルの首席オーボエ奏者アルブレヒト・マイヤーのデッカ・レーベルへのデビュー盤 とのこと。収録曲はすべて1700年代のヴェニスにおいて作曲されたオーボエ音楽の名曲で占められている。

器楽アンサンブルを務めているニュー・シーズンズ・アンサンブルはマイヤー自身の人選による7人のメンバー から成っており、そのメンバーは、それぞれイル・ジャルディーノ・アルモニコ、コンチェルト・ケルン、 エスペリオン]]T、ル・コンセール・デ・ナシオンといった超一級の古楽器アンサンブル在籍奏者。なんとも贅沢だし、 実際それら各奏者の演奏も素晴らしいが、やはりこのアルバムの主役はマイヤーのオーボエ・ソロだ。

そのフレージングは まさに天衣無縫という感じで、息継ぎの形跡すら聴いていてほとんど分らないくらいにメロディの流動感が際立っている。 様式的にはバロック・スタイルに則ったもので、全体に旋律線を過分に広げすヴィブラートを控えめにとり、キリリと シャープな響きの結像感が一体に確保されている。それでいて音色は絶美。全6曲での白眉はBとEで、いずれも 何という美しさ!

ドヴォルザーク 弦楽セレナード 、管楽セレナード&スーク  聖ヴァーツラフのコラールによる瞑想曲
 フルシャ/プラハ・フィルハーモニア
 スプラフォン 2007年 SU3932-2

このディスクはサントリーホールで購入したもので、08年5月14日の都響定期演奏会で接したヤクブ・フルシャの 指揮が素晴らしかったため終演後に購入した。

フルシャの演奏を聴くのはこれが初めてで、チェコ生まれの若手指揮者 という経歴だが、演奏会のプログラムはスメタナの「売られた花嫁」序曲、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲、プロコ フィエフの「ロメオとジュリエット」というもので、チェコものがメインとはなっていなかった。

最初のスメタナから オーケストラの音色が冴え、その躍動感とヴァイタリティの高いアンサンブル展開の見事さに思わず傾聴させられた。 次のショスタコはガブリエル・リプキンのチェロ独奏がかなり生ぬるいことが要因であまり冴えない内容だったが、 その不満を吹き飛ばしたのが後半のプロコで、これは聴いていて惚れぼれさせられることしきりの超名演だった。 組曲ではなく全曲版から8曲が演奏されたが、冒頭の前奏曲の最初の主題からフレージングに型にはまった ような様子がない。フルシャの指揮は体全体を駆使したダイナミックな運動感に満ち、見ているだけでも飽きない。 演奏も全編に表情が豊かにして音響的にも濃厚、強奏時のはち切れんばかりのトッティのド迫力といい ティンパニの強烈感といい、真にこもった響きの有機性といい、都響からこれほどのアンサンブルを引き出す指揮者の 実力に驚嘆させられた。

フルシャはすでにスプラフォンと契約していてディスクも3点リリースされていたが、この ドヴォルザークのセレナードのアルバムはその中でも08年2月リリースの最新盤とのこと。聴いてみると、弦楽セレナード がかなりの名演だと思う。チェロを中心にふくよかなバス・パートの味わいが瑞々しく、フレージングや音彩の冴えも 一級、第3楽章の若々しい推進力もいい。

管楽セレナードの方も悪くはないものの、やや普段着的でいまひとつ特徴感 が薄い感じもある。音質は鮮明だが全体にいまひとつ抜けが悪く、改善の余地が若干あるような気がする。

シューベルト 交響曲第9番「グレイト」
 ライアン/フランス国立ボルドー・アキテーヌ管
 MIRARE 2007年 MIR045

「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008」特設会場のCD販売エリアにて購入したディスク。

この音楽祭 は2005年から毎年GW期間中に行われていたのに、会場が東京国際フォーラムというので敬遠してきたのだが、 今年初めて足を運んでみたところ、その魅力にすっかりハマってしまった。 ホールの音響に関しては、確かにNHK ホールに輪をかけてデッドだが、思ったほどに酷いものではなかった。それより何より魅力的なのは、海外のアーティスト による公演を低料金で次々にハシゴできるという、信じがたいまでの贅沢が味わえる点! 

結局、3日間で10公演ほど 聴いてしまったのだが、その中でのベスト・コンサートとして、クワメ・ライアン指揮によるフランス国立ボルドー・ アキテーヌ管のシューベルト交響曲第9番「グレイト」を挙げたいと思う。

指揮者もオーケストラも初めて聞く名前で、 ライアンはステージに出てきた時に黒人だと分かって少し驚かされた。カナダ生まれの若手指揮者で、07年より ボルドー・アキテーヌ管の音楽監督を務めているとのこと。その指揮の内容は極めてオーソドックスなもので、 ハーモニー・バランス、フレージング構成、テンポ取り等、いずれもピリオド・スタイルからの影響と思われる節は 端的には伺われない。さりとて伝統的なドイツ風重厚スタイルというのでもなく、そのあたりが聴いていて新鮮だった。

言うなればフランス風の音響的な特性をポジティブに活かしたシューベルト演奏で、全編にとにかく明るく美しく、 生命感に溢れた色彩の妙感と、細やかにして明晰なアンサンブル展開の創出するニュアンスの豊かに、聴いていて 新鮮な喜びを喚起させられた演奏だった。

終演後にCD売り場に直行し、同じ顔合わせで、実演と同じシューベルトの 「グレイト」のディスクが販売されていたので飛び付いて購入。さっそく聞いてみると、第1楽章冒頭のホルンの 飾らない音色の魅力からして、実演での感触がまざまざと蘇るようだ。全楽章を通して、こうしてディスクで客観的に 聴いてみると、総じて弦パートの力感や強度感に弱みがあるのに対し、相対的に管パートの音色のうるおいや表情の強さ に強みがあるというフランスのオーケストラらしい特性があらためて実感される。

そのあたりの特性を作品に対して絶妙に フィッティングせしめているライアンの指揮手腕にはやはり非凡なものがあり、その独特の味わいの響きが穏やかな感動を もたらしてくれる名演だ。

ネマーニャ・ラドゥロヴィチによる無伴奏ヴァイオリン作品のライブ・アルバム
 ラドゥロヴィチ(vn)
 トランスアート 2005年ライブ TRM136

「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008」特設会場のCD販売エリアにて購入したディスク。

収録曲は @ミレティチ 無伴奏ヴァイオリンのための舞曲Aイザイ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番Bパガニーニ 24の 奇想曲第1番・第13番CJ.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番Dイザイ 無伴奏ヴァイオリンの ためのソナタ第3番。

ネマーニャ・ラドゥロヴィチはセルビア生まれの若手ヴァイオリニストとのことで、その演奏を同 音楽祭で聴いたのだが(曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲で、指揮はクワメ・ライアン、オケはフランス国立 ボルドー・アキテーヌ管)、その実演での印象の限りにおいては、確かにテクニックにはもの凄いものがあり、音楽性も 抜群ではあるものの、いまひとつ深みというか凄味が付随しないもどかしさがあり、芸術家としてはいまだ発展途上段階、 というのが率直な感想だった。

ラドゥロヴィチのディスクは特設会場に2種類ほど売られていたが、デビュー盤ということ でこの無伴奏ヴァイオリン作品のライブ・アルバムを購入して聴いてみた。

ひととおり聴いての印象の強さは、こちらの方 が実演の時より数段上回っていた。まず技巧の冴えという点において尋常じゃないものがある。すべて超難技巧の曲ばかり だが、いずれにおいてもボウイングの抜群の切れと運動感に、聴いていて唖然とさせられる。しかもライブ録音ときている。 単に技巧が立つばかりでなく、例えば@の冒頭やAの終楽章など、まるで弦を掻き切らんというような切迫感を表出し、 その訴えかけの力が並々ならない。

対してCのバッハにおいては、とりわけシャコンヌにおいて、実演時の印象にも似た、 ややショー的な表面性が少し散見される感じがするのも事実。とはいえ、将来性豊かなアーティストであることは 間違いないと思う。

ストラヴィンスキー バレエ・カンタータ「結婚」、ミサ 、古いイギリスのテクストによるカンタータ
 ロイス/RIAS室内合唱団、ミュジーク・ファブリク
 ハルモニア・ムンディ・フランス 録音年不祥 HMC-801913

「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008」特設会場のCD販売エリアにて購入したディスク。

同音楽祭で ダニエル・ロイス指揮によるシューベルトのミサ曲第5番を聴いた(演奏はカペラ・アムステルダム& ヴュルテンベルク室内管)が、これが思いのほか素晴らしい内容だった。とくにグロリアとクレドにおける 強奏部での荘厳な音楽の佇まいが抜群に良く、その管弦楽と声楽の織り成す絶妙なハーモニー・バランスに魅了させ られた演奏だった。オケと合唱陣それぞれの力量もさりながら、双方を強力に統制しつつ有機的な音楽の流れを 現出せしめた指揮者ロイスの力量によるところも大きかったように思われた。

それで同指揮者のCDを会場で探して みたところ、このストラヴィンスキーの声楽アルバムが販売されていたので購入して聴いてみた。

ストラヴィンスキーの原始主義・新古典主義・セリー主義の作品からそれぞれひとつずつ抽出するというコンセプトがまず 面白いと思うし、内容的にも名演だ。RIAS室内合唱団は2003年からルイスが音楽監督を務める手兵の 合唱団で、アルバムの3曲をそれぞれロシア語、ラテン語、英語と歌いわけているが、いずれも緻密で精妙なハーモニー 展開であり、ストラヴィンスキーのマニアックなまでに入り組んだテクスチャが聴いていて手に取るように明瞭。 これにはSACDハイブリッドによる音質の良さの助力もあるようだが、いずれにしても声楽曲を聴く醍醐味を 満喫させてくれる点がいいし、さらにバレエ・カンタータ「結婚」は打楽器のヴァイタリティに充実感が伴い、 「春の祭典」をも彷彿とさせる狂騒的高揚感を伴う音響的インパクトが素晴らしい。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第31番、アンダンテ・ファヴォリほか
 エンゲラー(pf)
 ハルモニア・ムンディ・フランス 1990年 HMA1951346

「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008」特設会場のCD販売エリアにて購入したディスク。 ベートーヴェンの ピアノ小品を中心に編まれたアルバムで、収録曲は作品51の2つのロンド、作品76の変奏曲、エリーゼのために、 アンダンテ・ファヴォリ、ピアノ・ソナタ第31番の計6曲。

同音楽祭でブリジット・エンゲラーがソロを受け持った ベートーヴェンのトリプル・コンチェルトの演奏を聴いた(チェロはクニャーゼフ、ヴァイオリンはマフチン、 オケはシンフォニア・ヴァルソヴィアで指揮はカスプシク)。この演奏は素晴らしく、クニャーゼフ、マフチン、 エンゲラーの息の合った掛け合いの妙味に、聴いていてワクワクさせられることしきりで、それをシンフォニア・ヴァル ソヴィアのアンサンブルの凝縮力が絶妙にひきたて、まさに同曲のベスト・パフォーマンスという感じがした。

その演奏直後にエンゲラーのサイン会がCD販売エリアにて予定されているというので、このディスクを購入して 裏面にサインを頂いた。エンゲラーのディスクはその売り場に数点並んでいたが、とりあえず同じベートーヴェンの アルバムということでこれを選んだ。

ひととおり聴いてみたが、一貫的に明朗な色感のタッチから鮮やかに浮かび上がる メロディ・ラインの情感が好感的な演奏で、とくにロンドやアンダンテ・ファヴォリに聴かれる艶やかな音色の基調や 伸びやかなフレージングは、音楽に落ち着きのある優雅な趣きを付与していて魅了させられる。

反面、緊張感という 点に物足りなさを感じるのも事実で、それは小品作品においては性格上止むを得ないものであるとしても、31番ソナタ などでは、聴いていてもう少し不意打ちのような刺激を望みたくなるような印象があり、このあたりはやはり小品作品での それと同一線上のコンセプトゆえの限界ではないかと思う。

ロッシーニ 小荘厳ミサ曲
 コルボ/ローザンヌ声楽アンサンブル
 エラート 1987年 WPCS-11496

「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008」特設会場のCD販売エリアにて購入したディスク。

このロッシーニ 最晩年の大作を実演で聴くのはこの音楽祭が初めてで、演奏はこのCDと同じ、コルボ指揮ローザンヌ声楽アンサンブル。 しかしその演奏は、いまひとつピンと来なかった。名匠コルボの指揮による宗教曲の演奏で、内容が良くない道理はない のだが、、。

実際、コルボの指揮は完璧であり、ローザンヌ声楽アンサンブルも、その持ち前のミサ祈祷文に対する抜群の 歌唱力を披歴し、演奏自体は確かに名演だったと思う。が、いかんせん作品自体の表出力に限界があるような気がする。

70分を要する大曲としてみると個々の構成曲が形成する起伏的なインパクトが弱く、作品の雰囲気としても、確かに 完全なミサ形式に則しているとはいえ、本格的な宗教曲の荘厳な趣きはそれほど強度でない。それゆえ、聴いていて 音楽に対する集中力を維持するのがいささかキツいというのが率直なところだ。やはりこの作品は、ロッシーニの本領とは ちょっと外れた地点での音楽という感じがする。

以上の感想はこのディスクを聴いた後でもやはり同じだったが、こちら の方が実演で聴いた時よりも印象的に上だった。その理由は声楽ソリストにあり、ガスディアやラ・スコラといった スカラ座の名歌手たちの歌唱が演奏に対して表情の強さを付与していたためだ。それはもちろん宗教曲的な表情とは違うと 思うが、少なくともロッシーニの音楽として考えた場合、このくらいの表情の強さは好ましいと思う。

ドヴォルザーク 交響曲全集
 ネーメ・ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(第1〜第4)
 ビエロフラーヴェク/チェコ・フィル(第5〜第7)
 ヤンソンス/オスロ・フィル(第8・第9)
 ブリリアント・クラシックス 1987〜92年 93635

激安レーベルのブリリアントから2008年にリリースされたドヴォルザークのシンフォニー全集で、このうちヤルヴィ /スコティッシュの第1〜第4とビエロフラーヴェク/チェコ・フィルの第5〜第7はシャンドスから、ヤンソンス/ オスロ・フィルの第8と「新世界」はEMIからそれぞれ出ていた音源を寄せ集めて全集としている。

いずれの演奏も 未聴だったし、値段もディスク1枚あたり600円を切る低価格で、これだと9曲中、名演が3〜4曲もあれば十分 元が取れると思って購入した。一通り聴いてみた感想としては、1番と4番と5番の演奏が超名演、2番と3番と 6番の演奏が名演、7〜9番の演奏は相対的に平凡。

全9曲中のベスト演奏は間違いなく第1番「ズロニツェの鐘」で、 このヤルヴィ/スコティッシュの演奏を聴いて、初めてこの曲の真価を認識させられたような気がする。まず冒頭の 序奏のコラールを出すホルンの音彩から冴えまくっている。続く第1テーマの重厚なレガートの引き締まった質感、(2:14) からの第1テーマ確保の強奏進行の鳴りっぷりなど、共に抜群だ。特に金管楽器が際立っているのが特徴的 で、(8:59)や(15:12)あたりなど、まさに絶好調! 展開部から再現部に到る流れにおいては、その大きくうねる音楽の 激流に圧倒させられる。以降の楽章においても総じてアンサンブルの充実ぶりが素晴らしく、弦の深く力感のある刻みと いい、管のめくるめく音彩感といい、いずれも聴いていて惚れ惚れする。

この第1シンフォニーに比べると、同じヤルヴィ/ スコティッシュの演奏でも、第2と第3シンフォニーは少し落ちる感じがする。それでも十分名演だし、次の第4 シンフォニーの演奏は第1シンフォニーとほぼ同格だ。

ビエロフラーヴェク指揮の3曲は出来にかなりムラがある。 ベストは5番、次点が6番で、7番は明らかに演奏が落ちる。

ヤンソンス指揮の2曲はかなり平凡だ。8番は全9曲中 のワーストで、まず音質面で落ちるし、オーケストラも、スコティッシュ・ナショナルやチェコ・フィルよりもアンサンブルの充実感が振るわない。「新世界」は8番よりはいいものの、やはり平凡。ヤンソンスは「新世界」を手兵コンセルトヘボウと最近ライブ録音したが、そちらは超名演で、それと比べるとこのオスロ・フィル盤は内容的にかなり遜色する感じがする。

「スウェーデンからのあいさつ」
 和田記代(pf)、向野由美子(ms) 、カリーナ・ヘンリクソン(ms)
 ステンハンマル友の会 2004・2007年ライブ DUOC-1001

「ステンハンマル友の会」の主催によるコンサートのライブ録音。 収録曲はペッテション=ベリエルとステンハンマルの歌曲とピアノ曲から構成されていて、ペッテション=ベリエル の方は歌曲がメイン、ステンハンマルの方はピアノ曲がメインとなっている。いずれもスウェーデンの作曲家だが、 ステンハンマルはともかくペッテション=ベリエルは初めて聞く名前だ。収録曲もすべて初めて聴くものばかりで、 コンセプトとしては秘曲集という感じだろうか。

ひと通り聴いた限りではステンハンマルの「3つの幻想曲」作品11が 内容的にベストだと思う。歌曲伴奏も含めて堅実ではあるがどこか抑制的なタッチに留まっていた和田記代のピアノ・ソロ がここでは冒頭のモルト・アッパーシオナートのパッセージから表出力が格段に冴え、フレージングの力強い語りかけと いい音色の表情の鮮やかさといい、全般に気持の入ったピアニズムであり、知られざる秘曲の魅力を伝え切らんというような ピアニストの心意気さえ伝わってくるような快演で、聴いていてすがすがしい気持ちにさせてくれる。

その観点では 次の「ピアノ協奏曲第2番」の方も同等だが、こちらは本来の管弦楽パートをピアノに置き換えた2台ピアノ演奏で ある上に第3・第4楽章のみの収録なので、名演とは思うも、それが作品の真価であるか否かはさすがに分らない。

歌曲の方はノルウェー語とスウェーデン語によるもので、ペッテション=ベリエルの方は民謡的色彩が強い。 歌唱自体は至極立派で、音質も私家盤にしては優秀なのだが、歌詞の掲載が無いのが辛いところで、作品の真価を 図りかねるし、それを抜きにしても、全体にいささかムードチックな色合いが強く、確かに親しみ易い反面として ピリッとした緊張感に不足するような弱みがあるように思う。

ミュンシュ/ボストン響のベートーヴェン作品ライブ録音集
 ミュンシュ/ボストン交響楽団
 ウェスト・ヒル・ラジオ・アーカイブズ 1954年〜57年ライブ WHRA6014

2008年にリリースされたミュンシュ/ボストン響のラジオ放送用音源に基づくライブ録音集で、CD5枚のすべて がベートーヴェン作品の演奏となっている。

収録曲は@交響曲第6番「田園」A交響曲第7番Bピアノ協奏曲 第3番Cピアノ協奏曲第5番「皇帝」D交響曲第3番「英雄」E弦楽四重奏曲第16番第3楽章Fヴァイオリン 協奏曲Gレオノーレ第2番Hヴァイオリン協奏曲I「献堂式」序曲。協奏曲のソリストはBがハスキル、Cがアラウ、Fが ハイフェッツ、Hがフランチェスカッティ。

ミュンシュ/ボストン響のベートーヴェンはスタジオ録音がRCAにいくつか 残されているが、ヴァイオリン協奏曲などの一部を除いてあまりパッとしない印象があった。それがライブ演奏では 果たしてどうなるか?、ということでさっそく@から聴いてみると、これが驚くべき名演! 第1楽章冒頭から アンサンブルの濃度、ソノリティの密度、音色の生彩、いずれもミュンシュ/ボストン響の絶好調時のそれに近いレベルだ。 わけてもバスの豊かなことは特筆的で、それも軋むような生々しい感触とリアリティを伴い、何とも素晴らしい。 第4楽章の迫力もバツグンで、スタジオ録音盤(BVCC-37444)での表面的な鳴りとは一味違う迫真に満ちている。 終楽章の沸き立つような感興も、スタジオ録音盤より完全に上。

しかし次のAの7番は、残念ながら@の6番の演奏より 明らかに落ちる。全体にアンサンブルの響きの充実度が@の時より振るわず、ダイナミクスも別人のように大人しい。 コンディションが本調子でないのだろうか。録音は@が56年、Aが54年だ。

Bだが、これは07年にメモリーズから出たミュンシュのライブ希少録音集(MR2010/11)に入っていた録音と同じ、、だと思ったらよく見ると、メモリーズ 盤が56年11月3日のライブで、こちらは同年11月2日のライブと、一日違いの別演だった。両演を比較したが、 流儀はほぼ同一ながら、こちらのBの2日のライブの方が演奏自体がひとまわり冴えている感じがする。音質がメモリーズ盤より生々しく、リマスタリングの差のような気がする。

Dの「英雄」は文句なく名演! RCAのスタジオ盤よりも アンサンブルがずっと迫真かつ有機的かつ生々しい。FとHは同一演目なのに演奏タイムが随分違う。ハイフェッツのソロ によるFは38分、フランチェスカッティのソロによるHは47分。これはそれぞれのソリストの表現の指向性が 異なるためで、ハイフェッツは速めのテンポをベースに技巧的な凄味を存分に披歴、対してフランチェスカッティは遅めの テンポをベースに濁りのない麗音を朗々と奏でてメロディを心ゆくまで歌う、というスタンス。内容的にはいずれ互角の 素晴らしさだが、音質はFの方が多少オンマイク的で臨場感に勝っている感じがする。

バルトーク 弦楽四重奏曲全集
 ベルチャ四重奏団
 EMIクラシックス 2007年 3944002

2008年に正式に解散が発表されたアルバン・ベルク四重奏団の後継団体として活躍が期待されるベルチャ四重奏団だが、 いきなりバルトークを全曲録音するとはちょっと驚かされた。しかし6曲とも総じて名演だと思う。

最初の第1番冒頭からシャープで 厳しい音響構築でありながら、同時に強めのヴィブラートによる情感的な色付けにも特徴を感じさせる。具体的に 言うと、第1と第2のヴァイオリンが導く主題に対するくっきりとしたヴィブラートがそうであり、ここは スコア上、冒頭のpからさらにデクレシェンドしていくため音量は実質的にpp以下となるが、その領域において このピリッとしたヴィブラートは見事だ。しかも、彼らの師匠筋ともいうべきアルバンベルク四重奏団の演奏の ように表情が甘くならず、むしろ ぞくっとくるものがある。対して強奏はどうかというと、例えば第2楽章の(4:01)や(7:25)あたりに聴かれる アンサンブルの裂ぱく感など、まさに本物で、超常的な響きが充溢する。

2番以降の演奏においても、 ベルチャ四重奏団の持ち味である現代的な感性から導かれるハイ・レスポンスにしてシャープな、それでいて繊細 なアンサンブル形成の妙感とともに、そのハーモニーにおいて美しさだけでは済まないシリアスな音彩を付帯させて いる点が素晴らしく、その点においては少なくとも、かつてのアルバンベルク四重奏団のバルトーク全集よりも 数等上ではないかと思う。

全6曲のベストはおそらく3番で、冒頭のソノリティのひんやり感といい、(1:31)からの 第1ヴァイオリンのスルポンティチェロのピリピリ感といい、第2部(1:18)からの高揚力といい、いずれも抜群で、 作品の要求する難技巧を事も無げにクリアしつつ、さらにその上の地点でレベルの高い表情を形成している点が 凄いと思う。次いでは4番と6番あたりが良く、この3曲が内容的にトップ・スリー。

逆に少し印象が弱かったのが 5番で、確かに第1楽章の(2:58)あたりの強烈感などは凄いが、同楽章中盤以降は突出感が振り切らず、緊張度が マキシマムまで伸びない恨みがある。終楽章も同様で、作品自体の異常性からすると、聴いていて何かもう一味 欲しいような渇きも感じてしまう。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ピアノ・ソナタ第5番
 ハイドシェック(pf) ウェルナー/レオン・バルザン管弦楽団
 インテグラル・クラシックス 2004年ライブ INT221.137

サントリーホールにて購入したディスクで、その公演は08年6月6日のハイドシェックのリサイタル。 オール・ベートーヴェン・プログラムであり、その実演は概ね名演ではあったのだが、 ピアニズムそのものに対する印象は、事前の期待感とはややずれたものでもあった。

かつての、特に90年代あたりの ハイドシェックのピアニズムは、まさに「奔烈」という形容を音化したような表現だったのだが、当夜の演奏では その奔烈性という点においてもはや往年の域になく、良く言えば成熟、悪く言えば丸くなった、という感じだった。 その点に聴いていて一抹の物足りなさは確かにあったとしても、一音一音の音立ちの美しさ、音色の濃さ、訴えかけの 強さという点において驚異的なものがあり、この点では否応なく感じ入った。なかんずく最後の第31ソナタは絶品だった。

対して、このディスクの演奏はその4年前の収録ながら、聴いてみると、サントリーで聴いた印象がほぼ完全にオーヴァー ラップしてくる。すなわち、上で書いたように、往年よりも全体に表情が丸くなっている感じがあるが、演奏自体に かつてとは別の意味での深みが付随している、というもので、例えば「皇帝」第1楽章の展開部(11:15)近辺の強フレーズ など、昔ならもっと激烈に弾いたように思われるし、強弱の対比力が往年よりかなり大人しい。そのかわり、緩急の 驚くべき自在感とか、個々の音色の練れ切った精彩感など、往年よりグッと深くなっている感じがする。

オーケストラが かなり薄味なのは残念だが、ハイドシェックのソロに関しては、その近年のピアニズムの実像を適切に補足した貴重な録音 ではないかと思う。

「ステンハンマル友の会・Live2005」
 向野由美子(ms) 、青木調(vn)、松尾優子(pf)、和田記代(pf)
 ステンハンマル友の会 2005年ライブ

2005年7月3日に東京オペラシティ・リサイタルホールで行われたコンサート「スウェーデン音楽の調べVol.2」の ライブ録音。メディアはCD−Rだが、音質はかなりいい。

内容はオール・ステンハンマル・プログラムとなっている。 収録曲は@スヴァーリエAルーネベリによる5つの歌曲Bヴァイオリン とピアノのためのソナタC歌と印象D晩夏の夜E2つのセンチメンタルロマンス。演奏は@、A、Cが向野由美子、Bが 青木調、Dが松尾優子で、D以外のすべてのピアノ・パートを和田記代が担当している。

初めて聴く曲ばかりだが、 演奏が軒並み素晴らしく、聴いていて作品の魅力がダイレクトに伝わってくるようだ。わけてもBのヴァイオリン・ソナタ は絶品で、ソリストの青木調の卓越的な弾き回しに魅了される。第1楽章冒頭の弱奏開始から繊細に糸を紡ぐような音色の 醸す深い味わいがバツグンで、そのフレージングには作品の美質を懸命に伝えんという気概を纏った新鮮な息吹が常に 付帯し、何ともすがすがしいし、それはステンハンマルの音楽に特有な情熱と憂愁と詩情を過不足なく表現し得ている ようにも思う。終楽章の(3:07)に聴かれる、天に突き抜けるような高音の伸びやかさ! 

歌曲を歌う向野由美子は 透き通るような美声と上質なヴィブラートを持ち味とした詩的な歌唱で、素晴らしいが、残念なのは歌詞掲載が無いため 歌唱内容と音楽との結びつきが捕捉できないこと。ゆえに雰囲気的に聞くしかなく、それでも音楽としてはすこぶる 美しくて申し分ないが、それだとやはり作品の真価は伝わり切らないように思う。

松尾優子のピアノ・ソロ(D)は 全体に安定感のあるテクニックで作品を細やかに、そして詩情豊かに歌い上げていて傾聴させられる。ただ、強音の 表出力がいまひとつなのが残念で、例えば第2楽章の(1:43)あたりや第4楽章冒頭などでは、もう少し音色に張りを 与えて雄弁に弾いた方が、作品のカラーがさらに映えるような気がする。

和田記代は全体にかなり穏健で手堅く、 「スウェーデンからのあいさつ」での「3つの幻想曲」の時のような表出力は聴かれない。少なくともこのコンサートではいわゆる黒子役に徹しているようだ。

マーラー 交響曲第10番(クック補筆全曲版)
 ハーディング/ウィーン・フィル
 グラモフォン 2007年 UCCG1389

ダニエル・ハーディングのグラモフォン移籍第1弾録音にして、マーラー・交響曲第10番の5楽章全曲版を 天下のグラモフォンが2007年にしてようやく初録音、おまけに天下のウィーン・フィルにとっても初録音と、 初物尽くしでかなり話題になったディスクだが、この演奏には、いろいろな意味でかなりガッカリさせられた。

まず問題なのはディスク・ケース裏面に「デリック・クック補筆完成全曲版(1976年)による演奏」と表記されて いることで、これを見て、1976年刊行のクック版ファーストエディションによる演奏だと思って購入した。 しかし聴いてみると、1989年刊行のクック版セカンドエディションによる演奏になっているのである(例えば 第2楽章コーダ(10:57)でのシンバルの一撃はセカンドエディションの特徴のひとつだ)。であれば、 本来「デリック・クック補筆完成全曲版(1989年)による演奏」と表記すべきではないか。

ラトル/ベルリン・フィル盤などもそうだったが、クック補筆版の セカンドエディションのものは、ファーストエディションに比べて、全体にデュナーミクが穏健化されてしまって いて(第5楽章冒頭の打楽器強打部など、ファーストでのffやfffがセカンドではfベースのsfに変わっている)、 個人的にはあまり好きではない。これががっかりした1点目の理由。しかしたとえ使用スコアがセカンドであっても、 指揮者の解釈如何によってはファーストに伍する強表情を付与することも可能で、それをハーディングに期待 したのだが、残念ながら、その点でも期待はずれだった。

ハーディングの解釈はセカンドの表情付けをかなり 忠実に順守したものであり、第5楽章冒頭の打楽器強打部など明らかにfベースで強烈味に欠ける。他の部分 にしても、第1楽章の(17:47)からのイ短調全奏によるクライマックスなども痛烈性が伸び切らないし、(18:33)から の9和音重複展開や、その直後のトランペットのA音最強奏も、世界を断ち切るというような痛撃を伴わないし、 終楽章(12:48)からの山場も、第1楽章よりはやや良いものの、やはり狂気性の発露にかなりの物足りなさを感じる。 全体にここぞという時に音に鋭さが弱いのは、ムジークフェラインの豊かな残響が裏目に出ているからだろうか。

完成度の高さという点では疑いなく抜群だし、音質もいいし、ウィーン・フィルの上質なアンサンブル特性も、 特にホルンを中心に良く発揮されているし、そういう観点では名演かも知れない。しかし、このハーディングの 演奏は、残念ながらこの作品の真価を伝え切るには至っていないように思う。

マーラー 交響曲第2番「復活」
 バーンスタイン/クリーブランド管弦楽団、ハイウッド(sop)、ルートヴィヒ(ms)
 ファースト・クラシックス 録音年不明 FC-101-2

もちろん海賊盤だが、バーンスタインとクリーブランド管という組み合わせは珍しいし、曲目がバーンスタインの 得意としたマーラーという点でも興味をそそられる。録音年は不明だが、1970年代のもののようだ。

バーンスタインによるマーラーの2番といえば、やはり晩年にニューヨーク・フィルと録音したライブ盤(グラモ フォン 1987年)の印象が強烈であり、このクリーブランド管との演奏も、そのニューヨーク・フィル盤 (F60G 20217/8)の演奏と比べてみることにした。

まず音質だが、やはり海賊盤だけにニューヨーク・フィル盤より ひとまわり落ちる。鮮明感はほぼ同格なのだが、ステレオ感がかなり弱くて音場の広がりに欠けるし、「シャー」と いうアナログ・ノイズも一貫的に高めだ。前者は強奏時のダイナミクスの迫力を明らかに阻害しているし、後者は 弱奏時の繊細な妙感をスポイルしている。しかし、前述のように響きの鮮明感はほぼ同格だし、それ以上にライブ的な 臨場感では、こちらのクリーブランド盤の方が優っていると思う。ニューヨーク・フィル盤はライブ録音と銘打たれている が、必ずしも純然なライブではなく、スタジオ録音なみの編集がなされている。対してこちらは純然なライブであり、 音自体のライブ感というか、生々しい臨場感が聴いていてダイレクトに伝わってくる。

肝心の演奏内容としても、 ニューヨーク・フィル盤に伍する名演だと思う。もちろん前述の音質的ハンデのためニューヨーク・フィル盤より 遜色する場面も多々あり、例えば第1楽章の展開部(14:19)から(15:30)の再現部突入までのくだりなど、 ニューヨーク・フィル盤での、まるで世界が終るかというような激烈感から計ると、いまひとつという感じなのも 事実。としても、この演奏に聴かれる純然ライブとしての演奏の凄味には掛けがえのないものがある。ここでの バーンスタインのぎらついた表現意欲の発現ぶりはニューヨーク・フィル盤以上とも思えるし、その赤裸々に描かれる 感情のうねりが聴いていて極めてリアルに迫ってくるという点では、こちらのクリーブランド盤に軍配を挙げたくなる。 楽章がひとつ終るごとに客席から拍手が沸き起こるのも、演奏内容と必ずしも無関係のことではないと思う。

マーラー 交響曲第1番「巨人」&ワーグナー ヴェーゼンドンクの5つの歌
 ノリントン/エイジ・オブ・エンライトンメント管弦楽団、ベルナルダ・フィンク(ms)
 Sounds Supreme 2001年ライブ 2s-012

CD−R盤。2001年9月30日ブレーメン音楽祭におけるライブとされている。音質はこの種のものと してはかなり良い方だと思う。

このディスクを購入したお目当てはもちろんマーラーの「巨人」で、なにしろ オリジナル楽器オーケストラによるマーラーのシンフォニーの演奏というのは聴いたことがない。ワーグナーの 方はかつてノリントンが手兵ロンドンプレーヤーと録音したものがあったはずだが、マーラーは無かったはずで、 ひょっとするとこれは史上初のマーラーのオリジナル楽器オケによる録音かもしれない。そうでなくとも、演奏会の 演目としてはかなり野心的というか冒険的なものには違いなく、古楽派の雄ノリントンの面目躍如というところ だろうか。

さっそく聴いてみると、第1楽章冒頭からアンサンブルのシャープな弱音展開に独特味がある。 すなわち音色の強さと色彩的透明感を兼ね備えたハーモニクス展開であり、聴き慣れたモダン・オケによるものとは 一味違う景観だ。フレージングは管楽器などいささかたどたどしい感じがあり、音程外しもかなり耳につくが、 そういう細部のキズ以上に響きが新鮮で惹き込まれる。音量的に弦と管が拮抗したハーモニーバランスは見通しが 良く、かつ音色の味が濃い。(13:34)あたりのトッティの強烈感もいいが、白眉はコーダで、ここでノリントンは 猛加速を仕掛けてオケを全力疾走させる。これにアンサンブルは必死に喰らい付き、古楽器オケとしては技術的にも まさに限界ギリギリ。そこから発せられる表出力が並みでなく、楽章が終るや否や客席から拍手とブラボーが 沸き起こるほど。

第2楽章もやはり原色感に富んだ飾らない響きが好感的で、(2:10)あたりの強烈なティンパニの ぶちかましなど、いかにもノリントンらしい。第3楽章は冒頭のコンバス独奏から強めのフレージングでキリッと 始まり、総じて弱奏部の響きの立ち具合が素晴らしい。木管のフレーズは相変わらず野暮ったい感じだが、それも 独特の味わいを添えている。

終楽章は全体にトッティでの質量感および管フレーズのエッジの立ち具合というあたりに 難点を感じさせるとしても、旋律線において過剰さが抑制された古楽器アンサンブルにおいてはフルパワーにおいてさえ ハーモニクスの透過性が強く、それが強烈な色彩感と呼応して絶妙な迫力を発出し、ティンパニの強烈な叩き込みが それに拍車をかける。

全体を通してこのマーラー演奏は実験的というには内容的な充実感が際立っており、海賊盤に しておくにはもったいないほどだと思う。

サン=ジョルジュ 弦楽四重奏曲集&モーツァルト 弦楽四重奏曲第3番、第4番
 アンタレス四重奏団
 インテグラル・クラシックス 録音年不祥 INT221101

録音年の記載が無いが、リリースされた2008年ごろの録音ではないかと思う。収録曲は モーツァルトの「ミラノ四重奏曲」の2曲と、サン=ジョルジュの作品1に含まれる4曲(作品1の2から5まで)の 計6曲。またモーツァルトの第3カルテットの第2楽章に関しては、第1稿と最終稿の2種類が収録されている。

モーツァルトとサン=ジョルジュのカルテット作品を交互に配置するという、斬新なディスク・コンセプトに惹かれて 購入してみたのだが、聴いてみると、これが驚くべき美演! 最初のモーツァルト第3カルテット第1楽章冒頭から、 アンサンブルの奏でる音色がみずみずしさの限りで、特に第1ヴァイオリンの響きの美彩が非常に立っている。 しかも単に響きが美しいというだけに留まらず、その焦点のクッキリとして鮮やかなフレージング・ラインといい、 全奏時における厚みの乗ったアンサンブルの立体感といい、いずれも傑出的で、総体的に音楽の色合いが実に濃く、 味わい深い。演奏技術的にも完璧だ。

アンタレス四重奏団という名前は初めて聴くし、ライナー・ノートを見ても オール・フランス語なので経歴が良く分からないのだが、とにかく凄いアンサンブルだと思う。第2楽章(最終稿)の 濃厚な美しさは、ちょっと忘れがたいほどだ。第4カルテットの方も名演。

サン=ジョルジュは ハイドンやモーツァルトと同時代のパリの作曲家で、自分の設立したオーケストラのためにハイドンに交響曲集 「パリ・セット」の作曲を依頼したエピソードが有名だ。ここに収録されている4曲はいずれもその初期の作品群で、 すべて2楽章制であり、各曲の演奏時間はすべて10分を超えない。モーツァルトと比べると小規模な上に、 作品としても深みもさすがに及ばない感じがするが、非常に華やかであり、親しみ易さはバツグンだ。それに、 こうしてモーツァルト作品と交互に聴いていくと作品自体が気の利いた抑揚になっていて、相互にひき立て合う という感じがする。その4曲中のベスト演奏はおそらく作品1の4で、モーツァルトをも思わせるパトスの表出感が 素晴らしい。

ブラームス 交響曲全集(各曲2種の演奏)
 第1番:トスカニーニ/NBC交響楽団(41年)、ストコフスキー/フィラデルフィア管弦楽団(36年)
 第2番:モントゥー/サンフランシスコ交響楽団(45年)、フルトヴェングラー/ウィーン・フィル(45年)
 第3番:ワルター/ウィーン・フィル(36年)、メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ(32年)
 第4番:デ・サバタ/ベルリン・フィル(39年)、ワインガルトナー/ロンドン交響楽団(38年)
 アンダンテ 1932〜45年 AN-1030

8人の指揮者によるブラームス・シンフォニーのヒストリカル録音集で、4つのシンフォニーに対し各2種ずつ異演が 収録されている。すべて戦前録音ないし戦中録音で占められ、戦後の録音は含まれていない。8つの演奏についての 個別の感想は以下の通り。

・トスカニーニ/NBC交響楽団による第1シンフォニー:
純粋な音響的観点において全8演中のベスト演奏。音質が非常に良く、第1楽章冒頭の全強奏からソノリティの 音立ちが冴え、アンサンブルの充実ぶりが良く伝わる。そのアンサンブルの充実ぶりがまたハンパでない。 ことに両端楽章での力強い直線的テンポに漲る音響的な張りの緊張度が素晴らしく、 まさにトスカニーニとNBC響の全盛期にかかる時期の録音であることが実感される内容だ。

・ストコフスキー/フィラデルフィア管弦楽団による第1シンフォニー:
インパクト自体は上記トスカニーニの演奏に比べるとかなり弱いが、トスカニーニと比べるとかなりのロマンティック・ スタイルだ。19世紀の演奏スタイルにも通じるところがあるような気がする。

・モントゥー/サンフランシスコ交響楽団による第2シンフォニー:
45年録音にしては音質がやや冴えないが、モントゥーの形成する音楽の流れはハイ・テンポを主体にすこぶる情熱的で、 バスを中心に厚みの乗ったアンサンブルの迫力も十分。響きの見通しがいまひとつすっきりしないのが残念だが、実演時の 熱気は聴いていて良く伝わる。

・フルトヴェングラー/ウィーン・フィルによる第2シンフォニー:
音質的には8演中のワーストだが、その演奏内容はトスカニーニ/NBCの1番と同格のベスト。 この録音はフルトヴェングラーのスイス亡命直前の1945年1月28日における、ウィーンでの最後となった コンサートのライブ。とにかく表出力が並みでない。あたかも、敗色濃厚のドイツ統治下のウィーンにジワジワと忍び寄る 破滅の気配が、演奏に乗り移ったような、鬼気迫る演奏。わけても終楽章の破滅的な演奏の色合いは強烈であり、 その音質を超えたリアリティが無比的な感動をもたらしてくれる。

・ワルター/ウィーン・フィルによる第3シンフォニー:
これも極めて有名な録音で、同じ演奏がオーパス蔵レーベルからも復刻されている(OPK2054)。 そのオーパス蔵の復刻と聴き比べてみると、このアンダンテ盤は残念ながら音質がかなり落ちる。 特にフォルテ全般のダイナミズムの実在感が圧倒的に聴き劣る。 復刻に用いたSP盤は、オーパス蔵がコロンビア盤で、アンダンテはHMV盤。 その差もあると思うが、やはり復刻技術が決定的に違うようだ。

・メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウによる第3シンフォニー:
32年録音だけに音質はやはり苦しいところだが、メンゲルベルク一流の激しい造形的揺さぶりの形成する 情感表出力は音質に関係なく高感度に伝達される。ルバートやポルタメントを多用した、濃厚な味付けのブラームスだ。

・デ・サバタ/ベルリン・フィルによる第4シンフォニー:
39年録音にしては音質は上々で、モントゥー/サンフランシスコ響の45年録音よりも鮮明だ。ただ、演奏自体は いまひとつ強烈味が薄い。正調にして極めて格調高いブラームスだが、それ以上に聴いていて訴えてくるものが薄い。 高弦の鳴りはかなり良いものの、ベルリン・フィルにしてはバスの強さが全体に振るわず、重厚味を感じにくい。

・ワインガルトナー/ロンドン交響楽団による第4シンフォニー:
こちらもサバタ/ベルリン・フィルと同じく、38年録音にしては音質は上々。またアンサンブルも サバタ/ベルリン・フィルよりバスが良く効いていて、こちらの方がドイツ風だ。造形はサバタ以上に 正調。ただテンポ選択はかなり違っている。特にサバタの方は第2楽章が遅め、第3楽章が速めだったが、 こちらは逆で、第2楽章が速め、第3楽章が遅めだ。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、ピアノ協奏曲第3番
 ブーニン(pf)ピヒラー/アンサンブル金沢
 EMIクラシックス 2007年 TOCE-56093

08年にリリースされたブーニンのベートーヴェン・アルバムで、協奏曲は初録音、悲愴ソナタは再録音となる。

ブーニンのベートーヴェン・アルバムといえば、この悲愴ソナタの旧録音が含まれた4大ソナタの アルバム(EMI、93・94年録音、TOCE-8460)の演奏の素晴らしさが印象に残っているが、こちらの 新録音の方の演奏は果たしてどうか、ということで購入しさっそく聴いてみた。特に悲愴ソナタの方は旧録音とも 聴き比べてみたのだが、結論から言うと、今回の新録音は、かつての旧録音をも一歩凌いだ超名演だと感じる。

まず音質が旧録音よりも良く、大阪シンフォニー・ホールで録られた旧録音も確かに高音質だが、 石川県立音楽堂コンサートホールで録られている今回の新録音はソノリティの抜けの良さやタッチの凝縮感という 点で、さらに良くなっている感じを受ける。

肝心の演奏だが、新旧両演を比較して最も異なるのは第1楽章の テンポ取りだ。旧録音の楽章タイムは7分50秒だが、新録音は8分52秒と、実に1分以上の開きがある。 旧録音でのブーニンの演奏スタイルは、アレグロの主部以降を速めのテンポを主体にコーダまで颯爽と駆け抜ける、 というものだったが、この新録音では、(1:25)からのアレグロの第1テーマにおいてもテンポ取りにひとまわり余裕を 持たせており、そのぶん各タッチの充実感が高く、個々の音符がキリッと克明に鳴らし切られている。(1:59)からの 第2テーマのsf指定などもこちらの新録音の方が表情が強いし、他部においても総じて旧録音よりフレージングに えぐりが効いている。展開部(6:09)あたりの強打音の凄味といい、(6:19)のデモーニッシュな色合いといい、明らかに 旧録音より冴えている。

第2・第3楽章は新旧両演ともテンポ上はそれほど差異はない。しかし、第3楽章冒頭の 第1テーマの奏し方がはっきりと違っている。旧録音ではこの第6・7小節めのアタマの音符をトリルに変えて奏して いたが、新録音ではスコア通りだ。もちろん旧録音でのトリルも美しいし、悪くないと思うものの、作品の シリアスな印象をいくぶん弱めていたのも事実。その意味では新録音の方が明らかにシリアスで、ベートーヴェンを より感じさせる表現だと思うし、個々の打鍵の充実感としても新録音が一歩リードしていて、旧録音には聴かれなかった 深みをも随所に感じさせる。

協奏曲の方も名演。タッチのダイナミズムはソナタよりいくぶん抑制気味だが、タッチの美彩は ソナタ以上に冴えている。

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