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全国秘湯巡り・信州松代温泉の旅 (と上山田温泉かめ乃湯)
第1日目 東京→長野→
松代 第1日目● 松代へ(松代温泉公民館・浴槽)仲間内では温泉通として通っているが実は知らないことのほうが多く、先月(11年10月)の越後妻有のまつだいにある松之山温泉も、今回(11年11月)の長野市松代町の松代温泉も、具体的な計画を立てるまでは良く知らなかった。 不明を恥じるばかりだが、このように良質の温泉があまり知られずに各地にあると云うことに意を強くして、今後もこれらの温泉が名前を挙げることに協力したい。 ところで、簡単に歴史をおさらいすると、松代は真田十万石の城下町として知られている。 真田家の歴史はめまぐるしい。 真田家は武田家臣時代を生き残り、武田滅亡後も、豊臣と徳川の天下覇権の争いに際しては、父子もしくは兄弟が別れてそれぞれに仕えることよって家名を残し、家康が最終的に勝利をおさめた後は真田本家が九度山に蟄居するも、上田藩から松代藩に移封されただけで、上田城から松代の海津城に移る。 八代藩主の真田幸貫は幕府の老中となって佐久間象山を登用して殖産につとめたとされる。 幕末でも、真田幸民は新政府側に属して会津戦争などに従軍する。 幸民は藩知事となるが、松代騒動と呼ばれる一揆が起こり引責して隠居。松代藩は廃藩置県で消滅する。真田家は子爵に叙せられる。 さて、旅のルート。 松代は長野電鉄屋代線なので、長野電鉄利用をさんざん考えたが、長野回りも屋代回りも接続が悪い。 考えあぐねて松代の長野市松代観光案内所に電話したら、長野からバスで30分しかからずダイヤも30分おきだと云うことが分かった。 今年になって恒例の新幹線の「かんばろう! 日本」のロゴ。今回は早めに東京駅に着いたので、隣の東北新幹線の乗車ホームで「はやぶさ(東北新幹線)」を撮影したので、長野新幹線の「あさま」と両方を掲げてみる。
この日、今冬一番の冷え込みとなって、長野駅のコンコースではスキー100年の記念行事の飾り付けの最中だった。
このページのTop ● 松代(松代行きのバス)松代行きのバスは、駅前のバス乗り場の3番乗り場から出る。 川中島古戦場経由と掲示され、観光旅行に疎いのだが川中島古戦場はちょっと気になる場所。 バスは、最初は善光寺とか長野県庁とかの方を大きく迂回してから、後は一気に南に向かう。 川中島古戦場蹟は、バスの車窓から垣間見た限りでは大きな公園で、緩やかな起伏はあるが絶好の合戦場所と見えた。 あたりは紅葉もすすみ、古戦場見物には日よりも良いのだが松代の温泉に浸かるまでは心のゆとりが無い。 川中島古戦場蹟を通り過ぎ、千曲川を渡るとすぐに松代地区に入り、大きなホテルが見え、すぐに長野電鉄の線路を超えて松代駅前に着く。 2012年4月からこの路線は廃線に決まっているという。 松代駅は木造駅舎で大きさはかなり大きく、構内に屋代行きの車両が入ってきたので駅員に頼み電車も撮影させてもらった。 松代で見物する場所は、松代城祉といくつかの武家屋敷、真田宝物館程度と決めていた。 午後2時頃までに国民宿舎の松代荘に荷物を置き、浴場巡りをしたいと考えていたからだ。 見落とした場所は再訪すればよい。 荷物を観光案内所に預かってもらい海津城趾に向かう。 このページのTop ● 海津城趾海津城趾は池田満寿夫美術館や竹風堂松代店の前を通って右折し長野電鉄の線路を越えたところにある。踏切の場所自体昔の城壁の内部なのだが、現在復旧されている城壁は本丸御殿跡を中心とした部分で昔の海津城の面影は無い。 城壁の石垣は昔からの方法で復活したとのことだが、中でも古いと思われる部分が城壁の内部にあった。
● 恩田木工民親(おんだもく たみちか)公の銅像この日は火曜日で真田宝物館は休業。宝物館の南側は大きな公園になっており、恩田木工民親公の銅像が目を引いた。 どこにでも偉い方はいらっしゃるもので、恩田木工民親という名前が印象に残った。 この場所は恩田邸の跡地とのこと。 このページのTop ● 武家屋敷松代には多くの武家屋敷が現存する。単に保存されて一般に公開されている武家屋敷と実際に子孫の方々が住む本物のお屋敷とがあって、タウンウオッチングとしては興味の尽きない街なのだが、温泉巡りに時間を取られそうなので武家屋敷探訪は下記二箇所で封印した。 小山田家は藩の次席家老の家柄で駅の並びにあり、中には子孫の方が実際に住んでいらっしゃる家。 塀が高く内部を伺うことは出来ないのだが、たたずまいにただただ感動した。 旧樋口家住宅は、真田宝物館や真田邸のブロックを挟んだ道の反対側にある真田藩の目付役の家で禄高は230石とのこと。樋口家は高級武士の家柄で、1500名ほどの家臣団の中の序列はおよそ50番目とのこと。 長野市の有形登録文化財に登録され、この日は無料公開されていた。 庭側から撮影させていただいたが、端正で質素でしかも美しい住宅だった。 このページのTop ● 山道温泉 虫歌の湯旧樋口家住宅を説明してくれたボランティアの方が、旧横田家住宅と旧前島家住宅を見学したらどうかとアドバイスがあったので、旧前島家の方向に歩いていると路線バスが来たので飛び乗った。食事時なので虫歌の湯に浸かったあと同温泉の食堂で食事を摂ろうと思っていたのでちょうど良かった。 路線バスは松代高校前が終点で、この道を皆神山の裾まで約15分ほど歩く。 皆神山は丁度紅葉の盛りだった。 (虫歌の湯は2013年に休業しました) 虫歌の湯は比較的新しい日帰り温泉施設で、建物も大きく駐車場も広い。 見晴らしの良い場所にあり、冷え込んだこの日は、北信の山の他にも北アルプスの白い山並みが望見出来た。 入浴料金は大人¥600。 大広間の前を通って男性浴場と女性浴場が並んでおり、それぞれ大浴場と露天風呂、見晴らし展望風呂がセットになっている。 脱衣場にはコインが戻る方式のロッカーがあり安心。 内湯に入る。 無色透明のお湯で、ぬるめ。 内湯は御影石の縁取りで、洗い場の天然石とよく合うが、浴槽に足だけ浸かるには尻が冷たい。 特徴の無いお湯で、天然温泉となっているが有難味は少ない。 成分分析表によれば加賀井温泉とこの地の冷鉱泉の混合で、ナトリウム・カルシウム−塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉とある。 露天風呂は更にぬるめ。 露天風呂は大きな石を多く使い、お金の掛かっていそうなお風呂で、もう少し外気の気温が高ければ快適だろう。外気が寒いのでまた内湯に戻った。露天風呂から行ける見晴らし展望風呂は見送り。 食券を券売機で買って掻き揚げソバを食べた。分量も適切で味は満足。 タクシーを呼んでもらって、観光案内所で預けていた荷物を受け取り、国民宿舎の松代荘に向かった。 残った武家屋敷見物は次回にまわした。 運転手は、佐久間象山の記念館や象山地下壕を案内したい様子だった。 松代荘に荷物を預け、徒歩で加賀井温泉「一陽館」に行く。 このページのTop ● 加賀井温泉 一陽館一陽館は松代荘から徒歩5分ほどの場所にある。現在は日帰り入浴だけの施設だが昔は湯宿として営業していたらしい。 庭に入っていくと左手に受付のある管理棟があり、右手に古屋と浴舎がある。その前を通って源泉槽と露天風呂に至る。 管理人の奥さんが、初めてなら説明して上げると、源泉槽、露天風呂などを案内して説明してくれた。 浴舎の内湯で衣服を替えたら、裸で源泉槽の前を通って露天風呂まで行ってよろしい(混浴を承知で皆さん来ていらっしゃっているのだから)とのこと?。 また、脱衣場は浴槽に沿って同じ場所にあり、浴槽とのあいだは間仕切りがないので見ていれば盗難の恐れはなく、露天風呂に行くときは貴重品だけはお持ちになるか、受付けに預けるかのどちらかにして欲しいとのこと。
男性内湯には先客が二人居た。 脱衣場は浴舎の窓側に沿って壁にしつらえた棚と籠だけのシンプルなもので、先客に挨拶しながら裸になって湯に浸かった。 10人以上入れる浴槽は石造りで、やや深め。縁取りの石に析出物が盛り上がり茶色くなっている。 ぬるめのお湯で、体にしみこむ感じの浴感だが、お湯はさらっとしていて気持ちが良かった。 思って居たよりも透明度が高く、先客は、緑がかった薄茶色は時間が経つにつれて茶色が濃くなるのだが、間欠的にお湯の量が増え、今日は源泉が多いので茶色になる前に吐出口から流れ出してしまうとのこと。
もう一人地元の人が来て、内湯にざっと浸かったあと、露天風呂に入りに行こうと誘われた。 やはり、裸のままでかまわないという。 カメラを持って出かけた。
途中、源泉槽があふれ出していた。 間歇的に一時間に何回も起こる現象で、結果的には露天風呂も内湯も源泉流入量が増えて、特に内湯はあふれて床を伝わって排水溝に流れる。 露天風呂は二つの浴槽が並んでいる。 浴舎に近い側は透明で薄緑色だが、浴舎から離れた下流側は茶褐色が濃い色で酸化が進んだ状態なのだろう。 両方ともかなりぬるく、やはり内湯の方が良さそうだと内湯に戻った。 気温が快適な時期に、裸で、露天と内湯を行ったり来たりするのは楽しいだろうと想像した。 このページのTop ● 松代温泉 旅館 寿楽苑寿楽苑は道一本を隔てて一陽館と対面するような場所にある。加賀井温泉か松代温泉かは源泉名によって変わるだけで基本的には同じような泉質の温泉場と考えられる。
寿楽苑は内湯だけの温泉旅館で、浴室に入ると、白水(まみず)の浴槽がある浴室が手前にありここが洗い場で、奥の浴室に天然温泉の浴槽がある。 温泉の方の浴槽は変形の四角で石造りだが析出物で浴槽の縁取りはぎざぎざになっている。 右手前に湯口があり、上方に曲がった配管から大量の源泉が注がれているが、出てくる温泉は透明で、浴槽に入って空気に触れるうちにささ濁りの薄茶褐色に変わっていくという。 ぬるめの浴槽につかるとのんびりした気分になる。 源泉をなめると、うす塩味、うす苦み、鉄臭など複雑な味がする。 炭酸ガスが含まれるというが、肌にガスの玉がたまるほどではない。 このページのTop ● 松代温泉公民館寿楽苑から松代温泉公民館まで、徒歩で5〜6分。途中、小学生の男子生徒が帰宅途中だったので場所を聞くと、案内してくれるという。 5年生だそうで、丁寧な言葉で受け答えしてくれて、ひろさんの自宅近くに住む孫を思いだし比較してしまった。お礼を言って小学生と別れた。 この場所は温泉団地といわれる住宅地で、この住宅地の造成は昭和50年代なので、公民館も団地に住宅が建った同時期に建てられ、住民のための共同浴場として運用され始めたと考えられる。 公民館の建物はやや年季が入った建物だが結構大きく、浴場の他に集会用の和室の大広間などがある。 脱衣場はリニューアルされて木の壁や床が新しく、脱衣籠を入れる棚も真新しい。 浴室は5〜6人が入ることが出来る四角い浴槽があり、他には洗い場とカランがある。 お湯は一陽館や寿楽苑と同じような泉質で、浴槽からあふれ出た温泉によって浴槽のタイルも床もでこぼこになっている。 浴槽の吐出口の模様は下記の写真でおわかりになるだろうか?。 お湯に入ると、この浴槽には多くの析出物が底に沈殿しており、手に取るとプラスチックの茶褐色の板状の沈殿物が無数にあって、少し歩くと〒の中に舞い上がる。 浴感はお湯の濃さにくらべてさらりとしている印象を受けた 国民宿舎松代荘を含めて、この地にある温泉は成分の濃い、効き目の強い?温泉で、透明から茶褐色に変わる不思議な温泉である。 松代温泉公民館から松代荘まで戻るのも徒歩で5〜6分の距離だった。 このページのTop ● 国民宿舎 松代荘国民宿舎松代荘は国民宿舎のイメージを一新するコンセンプトで次に松代を訪れる際にも泊まりたい宿だろう。建物は広い敷地を利用して平屋、和洋室はそれぞれ結構グレードが高く、食事もまあまあ高級な部類。温泉は松代温泉の掛け流しで黄金色(濃い茶褐色)をしている。 公共の宿と一般旅館の差は食事を摂る場所が食堂か?それとも部屋食か?、の差だけに縮まり、サービスはむしろフロントに何でも云うことが出来る方が部屋担当の仲居さんの気質に依存するより気楽だと考える人が増えてきている。 青森県弘前市の百沢温泉の「アソベの森 いわき荘」、秋田県東成瀬村の「須川温泉 栗駒山荘」など、国民宿舎の人気はここ10年で非常に高まった。 まあ、ご託を並べるのはほどほどにして、松代荘のお風呂の紹介から始める。 松代荘のお風呂松代荘には、宿泊客と日帰り温泉兼用の大浴場と宿泊者専用の浴場がある。殿湯 大浴場で男性用を殿湯と呼んでいる。 殿湯には大浴場の他に、露天風呂、半身浴槽等がある。
大浴場は20人ほどが入れそうで、この地区一番の大きさ。黄金色に縁取られた浴槽の縁から流れ出る様は黄金の湯と呼ばれても不思議はない。実際には薄茶褐色の半透明のお湯である。 ぬるめで、誰しもが長湯になる。 塩味、苦み味などが混ざり、効き目の強うそうなお湯である。 宿泊者専用浴場 福寿と長寿 宿泊者専用浴場には福寿と長寿がある。 日替わりで男女を入れ替えるので、宿泊すれば両方のお湯が楽しめる。 松代荘は源泉に恵まれ、土地の広さも幸いして、楽しい温泉ライフをエンジョイ出来る国民宿舎だと思う。 このページのTop 松代荘の夕食料理は、宿泊料によって数種の中から選ぶ。一番安い宿泊料で下記のようなバラエティに富んだ料理が出た。老人が全部食べることはとても出来ないほど多く、もったいないことだと思った。 食堂のスタッフに、たとえば煮物の中の白い物は何かと尋ねたら料理長の書いたメニューが手渡され、料理長 平井稔さんの考案の「はんぺん」の中をくりぬいてキノコを入れたとのこと。 一泊2食付きで一万円ちょっとで上記の料理をリーズナブルと見るかどうか?はその人の価値観による。
食堂は利用者の都合で時間差があるのでさして騒がしく無かった。 抹茶のソフトクリームは、ネットで松代荘に直接予約した人のサービスで、大手旅行代理店経由のネット予約者より手数料分が安いのでその還元策?だと思った。 このページのTop 第二日目起き抜けに宿泊者専用浴場で黄金色のお湯に入った。長湯しないように気をつけ、しかも膝などを入念にあたためた。 松代荘の朝食松代荘の朝食はバイキング。洋食を選んだ。 バイキングでひろさんが選んだ食卓は下記のようだが、並べてある食材は和洋食が多く、グレードは良さそうだった。 松代荘でチェックアウトを済ませ、タクシーを呼んでもらい、松代駅に向かう。 途中かなり遠方に北アルプスが輝いて見えた。 今日は、帰路を利用して、数年前に新装改築して新しくなった戸倉上山田温泉のかめ乃湯に立ち寄ろうと考えている。 松代駅からは昨日と同じ路線バス(川中島バス)で長野着。 このページのTop ● 戸倉上山田温泉へ(しなの鉄道)しなの鉄道は長野駅まで乗り入れている。 ただ、長野/屋代間はJR東日本で、屋代から先がしなの鉄道なので、JR東日本のジパングクラブの通しの乗車券は売ってくれなかった。 車内で車掌さんが廻ってきて乗り越し料金を支払う。 戸倉駅まで、のんびりと車窓を見ながら過ごした。 戸倉駅からタクシーでメリーランド白鳥園に行った。 ここは千曲市が運営する日帰り温泉で、経営難のホテルを老人福祉施設に転用している。 戸倉上山田温泉は歓楽街的温泉のイメージが強く、団体客優先の運営方針だったためかいくつかの巨大旅館はたち行かなくなった。個人旅行や家族旅行が主体の時代になって世の中の評価を早く変換しなければならない。 川向こうのかめ乃湯は10時からの営業だが、白鳥園は9時30分からの営業なので先に白鳥園を訪ねた。 ● 戸倉温泉 メリーランド白鳥園白鳥園は千曲川のほとりにあり、大きな建物だった。内部は昔の温泉ホテルで、浴場はマンモス大浴場という看板があり、ネーミングもレトロだし、脱衣場はともかく浴室や浴槽もレトロな雰囲気が残っていた。
運営されている施設は男女各マンモス大浴場、ジャグジー風呂、サウナ、露天風呂と、休憩室、食堂、売店などである。 お湯は無色透明な単純硫黄温泉というが、硫黄のにおいよりカルキ臭が強く、ヌルすべ感に乏しいお湯だった。 ただ、老人福祉施設として、これほどの設備を市が直営で運営することに敬意を表したい。 人口約6万5千人の都市でここまでやることが出来るのに、わが鎌倉市は社協を通じて沸か し湯で小規模な施設を運営しているに過ぎない。 このページのTop ● 上山田温泉 かめ乃湯徒歩で上山田温泉のかめ乃湯に向かう。千曲川の土手を歩き、大正橋を渡ったあたりでデイパックを背負った男性が話しかけてきた。 戸倉駅近くからかめ乃湯に入りに行くとかで、健康のために毎日歩いているとのこと。 東京から帰省して病気のお父様の後を継いで事業をしている由。 お陰様で安全にかめの湯にたどり着き、回数券で入浴料金まで支払っていただいた。 かめ乃湯は旧「亀の湯」の老朽化に伴い隣接の旅館を改装して移転し、2007年より営業している。運営は上山田温泉(株)という温泉供給会社。 ロビーが広くなり自販機も設置され、脱衣場には数多くのロッカーがあった。 浴室も亀の湯に比べて数倍の広さがあり、ジャグジー風呂も設置され、さらに屋外には露天風呂もあった。 うれしいのは、昔のやわらかなお湯の亀の湯が残っていたこと。 いろいろな源泉の混合泉らしいが、肌にやさしいお湯だった。 また、入浴客の親切さも昔の亀の湯のままで、写真を撮っているといろいろと協力してくれた。 かめ乃湯のフロントでタクシーを呼んでもらい戸倉の駅に行く。 このページのTop ● 千曲川温泉 ゆうふるtanaka(しなの鉄道)戸倉駅からしなの鉄道に乗った。 先ほどとは違う車両で、女性運転手だった。しなの鉄道は女性の比率が高いような気がした。 上田で下車せずに田中駅に向かう。 たまたまネットで見つけた「ゆうふるtanaka」という日帰り温泉施設に興味を持った。 単に温泉施設だけでなく、体育施設を目指しているようだった。経営は(株)信州東後市振興公社。 ゆうふるtanakaは田中駅の駅前にあり、一階は駐車場で、実質二階の人工地盤の上に建っていた。 ロビーはさして広いというほどではないが、浴室は脱衣場を含めて結構広い。 男女別浴室はこの日はヒノキ風呂で、もう一つは花崗岩風呂とのこと。日替わりで男女が入れ替わる。 浴室の中央にあるジャグジー風呂は薬湯でこの日は「赤唐辛子」。 また、浴室の外に露天風呂があるが周囲は目隠しの塀と建物の壁に遮られて展望は良くなかった。 お湯はナトリウム塩化物泉とのこと。 ごく薄い茶褐色で透明。軽い塩素消毒臭。 お湯としての特徴は稀薄だが、浴槽は広く気持ちがよい。なめると若干の塩味。 この施設は、むしろお風呂は付け足しでスタジオとプールで行われる各種エクササイズを目当てに時間を過ごすことにすれば意味のある施設に違いない。 大広間で昼食を摂った。 厨房やサービスは活気があり、働く人たちが生き生きとしていた。
田中駅からしなの鉄道で上田に出て長野新幹線で東京に戻った。 このページのTop (若干の情報)
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