全国秘湯巡り・信州
善光寺御開帳と湯田中温泉風呂の日
第1日目 東京→長野→善光寺→
湯田中温泉
(白雲楼)
第2日目 湯田中温泉→長野→東京
第1日目
● 善光寺へ
(山門前の傘の列)
七年に一度の善光寺御開帳が2009年4月と5月に行われている。
善光寺には、これまで幾度も訪問し、本堂内陣下のお戒壇巡りなども体験しているが、このチャンスに御開帳される前立観音を拝観出来れば幸いだし、回向柱にふれるだけでも結構なことだと旅を企画した。
善光寺御開帳の拝観の他に目玉を二つ考えた。
宿坊で精進料理を頂くこと
翌日は湯田中温泉の風呂の日(4月26日)なので入り残した共同浴場に入ること
欲張りな企画はとかく破綻しやすいのだが、選んだ日が、4月25日(土)の中日庭儀大法要の当日でしかも大雨が降ったために回向柱に近づくことさえ出来ない状態だった。
長野新幹線で長野に着いたのが10時前。
心配した雨はまだ小降りだった。
荷物をコインロッカーに入れ、駅前のバスターミナルから善光寺方面のバスに乗り込む。
駅も町も御開帳一色だった。
(長野駅1) |
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(長野駅2) |
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(善光寺への道・中央通り)
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● 善光寺・中日庭儀大法要
大門でバスを下り、石畳手前の信号まできて人垣が前に進まない。
後ろからは、ぞくぞくと人が詰めかけるが、前は人垣と傘の列が見えるだけの状態になった。
(善光寺への道・善光寺入り口の信号)
後から分かったのだが、この日の「中日庭儀大法要」は浄土宗により行われたもので、下記概念図の大本願から、総勢800人に及ぶ行列が本堂前の回向柱に向かい、ここで法要を執り行い、本堂に入って法要を行い、その後大本願に戻るという御開帳期間中の最大の行事の一つが始まったばかりの時間帯であった。
(善光寺境内概念図)
止むを得ず大本願手前の羅漢小路から法然通りを上り、釈迦堂通りをたどって回向柱を真横から見る位置に立ったが、そこから先には進めず、何度か、行きつ戻りつして参道を区切る黄色いロープの中に入ろうとしたが、行く先々で人垣と傘の列に阻まれ、警備員に阻まれ、わずかに雨に濡れた稚児さんや、赤い傘の下で高僧が難儀している様や、各放送局のカメラマンが見えるだけだった。
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● 雨の大法要写真集
雨の大法要写真集
(写真をクリックすると拡大写真が出ます)
そんな訳で、善光寺の御開帳の回向柱をお参りしたり、前立観音をお参りしたりすることは全てあきらめ、昼食を予約した宿坊の寿量院に向かった。
寿量院へは、釈迦堂通りを下り、法然通りを下ると行ける。
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● 世尊院釈迦堂の回向柱と釈迦涅槃像のお参り
寿量院へ行く途中に世尊院釈迦堂があって、多くの人がお参りしていた。
善光寺本堂前の回向柱の他に、もう一本あると言われる回向柱が狭い道路上にあって、傘をさした善男善女が順番に手を触れ、その後釈迦堂にお参りしている。
釈迦堂には国の重要文化財に指定されている釈迦涅槃像(全長164センチの等身大の銅像)が祀られ拝観が可能で、回向柱を触れることでお釈迦様と結縁出来るという。
(釈迦堂の扁額) |
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(釈迦堂の由来) |
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(世尊院釈迦堂の回向柱)
幸運にも、回向柱に触れ、階段を上って最前列までたどり着いたら奥の方に横たわる釈迦涅槃像を拝むことが出来た。
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釈迦堂から釈迦堂通り下ると、突き当たりに昔ながらの小さな和菓子屋に気がついた。
● 和菓子 南屋総本店
看板に創業弘化三年(1846年)とある。
善光寺の参道に面した大きな土産物屋は、そば饅頭やお焼きやその他和菓子などを扱う店も多く、それなりに店勢を拡大しているが、こういった昔ながらの駄餅屋があって、人が行列して買い求めている様を見て、長野の底力を見たような気がした。(あるいは仏事用の餅の受注生産が主体かも知れない?)
ここの商品は主に豆大福\130、草大福\130、紅白のすあま\110、豆餅\130(価格はうろ覚え)などで、全て手作り(らしい)。
(南屋総本店) |
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(商品は豆大福) |
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さらに、法然通りに入って小道を下ると、宿坊街の一番下のはずれ近くに予約を入れた寿量院があった。
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● 宿坊 寿量院の精進料理
(宿坊 寿量院)
寿量院は、間口は狭かったが奥行きの広い建物で、柱や廊下がぴかぴかに輝いていた。
一月程前、いろいろな宿坊に電話して,
ようやく寿量院にたどり着き、無理をいって予約を受けてもらった精進料理だが、寿量院の宿泊は一日2組限定とかで、その人達への参拝の世話や出発準備で宿坊はかなり忙しそうだった。
やや待たされて、一の膳と二の膳が出た。
二の膳の蒲焼き(豆腐・大和芋・蓮根など)は食べてみて裏側に海苔がついていてウナギの皮を模していることに気がついた。
(一の膳) |
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(二の膳) |
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(こんにゃくと湯葉の刺身) |
(野菜の炊合わせ) |
(筍の芥子和え) |
(ワラビのお浸し) |
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(ごま豆腐) |
(そば) |
(そば団子と舞茸のおすまし) |
(豆腐・大和芋・蓮根などの蒲焼き) |
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(フルーツトマトと麩饅頭) |
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(蒲焼きの裏側には海苔が・・・) |
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この他に、食前酒(梅酒)、野沢菜、ご飯、味噌汁、等がついていたが、ご飯を食べるまでもなく十分に腹に応える精進料理だった。
食事後、再び大本願前に行ってみたが、今度は大法要を終えて戻る住職を迎える人の波が増えつつあった。
御開帳を外してまた善光寺に来ればよいと考え、雨に濡れながら大門下のバス停に向かった。
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● 湯田中温泉へ
長野駅のコインロッカーで荷物を出し、長野電鉄の特急に乗る。
長野電鉄の沿線は果物畑が多く、リンゴと桃が花盛りだった。
湯田中温泉駅も雨で、今日の宿は新湯田中温泉の白雲楼なので、歩いて5分とかからなかった。
湯田中温泉と新湯田中温泉の境はよく分からないが、長野電鉄の山側が湯田中、谷側が新湯田中らしく、新湯田中地区から急坂を下ったところは星川温泉のエリアになる。
白雲楼は丁度、朝市の行われる三社神社の前で、鶴の湯の隣だった。
荷物を置き、少し休んだが、身体が冷えているというので、共同浴場へあたたまりに行くことにした。
昨年見つけた鶴の湯と亀の湯が近くにあり、白雲楼はこの中間にある。
宿のおやじさんにプラスチック製の大きな鍵を借り、先ず亀の湯へ向かう。
● 新湯田中温泉 亀の湯
鶴の湯は木製の立派な建物で比較的新しく、内部も清潔だった。
脱衣場には木の棚があり、浴室はタイル張りで広く、浴槽も10人以上入れそうな大きさだった。
お湯がかなり熱かったので、浴槽の手前にあった水道でうめて入った。
お湯は無色透明でちょっと硫黄っぽい味。浴感はややぬるぬる感があるが出た後はさっぱりとしている。
後から地元のおやじさんが入ってきて、水道を止めるように注意された。
ぬるいと雑菌が繁殖するから良くないという理由付けだったが素直に従った。
おやじさんは湯口の近くに入っていたが直ぐに赤くなって飛び出し頭を洗っていた。
もう一度入ったときに写真を撮らせてもらった。
そこから話が始まり四方山話に花が咲いた。
次は鶴の湯。
鶴の湯は白雲楼の隣。
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● 新湯田中温泉 鶴の湯
鶴の湯は間口が狭いが奥行きが広く細長い共同浴場だった。
脱衣場と浴槽がやや狭いのだが、浴室は突き当たりに2〜3人ほどの洗い場がある。
ここのお湯は結構ぬるめで、先客がかなりうめてくれたのだろうと想像した。
お湯は鶴の湯と全く同じ源泉で、出た後のぽかぽか感がたまらない。
鶴の湯は亀の湯ほど新しくはないが手入れの良い共同浴場だった。
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● 新湯田中温泉 白雲楼のお風呂
白雲楼に戻り自慢のお風呂に入る。
(白雲楼のお風呂・男湯) |
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(脱衣場) |
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大きな円形のタイル張りのお風呂で、中央から源泉が吹き出す仕掛けになっている。 源泉は星川温泉で、単純泉(緩和性低張性高温泉)。源泉の温度は80度(使用位置で50度)とのことだが、掲示に、加水・加温・循環使用・入浴剤など一切なしの掛け流しを守っているという。
くつろぐお風呂だった。
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● 新湯田中温泉 白雲楼の夕食
さて、白雲楼の夕食は?
(前菜・黒豆味噌味、蕗の薹の天ぷら、レンコン、海老、オクラ、ナスの素揚げ) |
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(お刺身・まぐろ、ホタテ、ホタルイカ) |
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(コゴミのお浸しマヨネーズ) |
(タコとオクラの酢の物) |
(山ウドのきんぴら) |
(イワナの塩焼き) |
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(ぶり大根) |
(豚肉冷しゃぶサラダ) |
(手打ちそば) |
(筍とほうれん草ゴマ和え) |
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という豪勢なものだった。
雨は夜も結構激しく降り続いていた。
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● 第2日目
毎月26日は湯田中温泉風呂の日と称して、湯田中温泉に属する共同浴場9軒のうち8軒を無料開放する。
8軒の共同浴場とは、下から、白樺の湯、滝の湯、鷲の湯、綿の湯、大湯、千代の湯、脚気の湯、弥勒の湯で、平和の湯のみ公開しないことになっている。
公開時間は午前9時〜午後3時で、このうち7軒は前年の10月26日に入浴させてもらったが、あと1軒はこの日に巡ろうと思っていた。
(コシアブラ)
激しい雨は朝食の間も降っていたが、しばらくぐずぐずしていたら急に晴れてきた。
このため若干おそくなったが、湯田中駅を越えて日帰り温泉施設の楓の湯の端に着いたときは9時半頃だったろうか。
三社宮の前の朝市は5月からの開催とかで、4月最後の日曜日は朝市がなかったが、駅に近いこの場所でおじさんが台を並べ、山菜や蜂蜜などを売っていたので、栃の花の蜂蜜と山菜のコシアブラを購入した。
向かいにある白樺の湯は人が2人入っていると出てきた人に聞いてパスすることにして滝の湯方向に向かった。
この人は滝の湯に入って行ったが、すれ違いざまに出てきた名古屋からのおじさんは
「滝の湯は熱くて入れなかった」とのことで、鷲の湯の前でおじさんの記念撮影をさせてもらい、更にぶらぶらと歩いていたら、庭に多くの山草を育てている家がありしばらく見学させてもらった。
(鷲の湯前の名古屋のおじさん) |
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(満開の山草・名前失念) |
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大湯の手前の老舗旅館よろずやでは、大型バスが出かけるところで道路をふさいでいた。
大湯は鍵がかかっており、一本下の道の脚気の湯も鍵が閉まっていた。
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結局、丁子屋を通り越し関谷醸造場を通り越し、解放していないという平和の湯を通り越して世界平和大観音の前まで来た。
で、結局、弥勒の湯に入ってから世界平和大観音のお祭りを見ることにした。
● 弥勒の湯
弥勒の湯の弥勒は、平和大観音の裏山をみろく山と呼ぶからだろうか?。
弥勒の湯はま新しい共同浴場で弥勒集会場の付属建物のような感じ。
脱衣場も浴室も新しいが、新しくなったときに部外者用の洗面器(洗い桶)が無くなったとかで、地元の人が出るとき自分のを使ってくれと置いていったのをお借りして入浴した。
弥勒の湯は3〜4人しか入れない小さな共同浴場で、お湯は無色透明のやや塩味のお湯。
ご親切なことに、源泉の蛇口、うめるための水の蛇口や床暖房用の蛇口が並び、そのほかに木製の湯口などがあって楽しい演出をしていた。
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● 弥勒山大悲殿と世界平和観音
弥勒の湯を出た後、裏山の弥勒山大悲殿と世界平和観音をお参りした。
4月25日と26日が縁日(三体しあわせめぐり花まつり)で、朝から音だけの花火で景気づけしていたが、境内には地元の人の出店と餅つき大会の道具、無料のとん汁など賑やかだった。
(大悲殿への石段) |
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(世界平和観音) |
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(世界平和観音)
大悲殿のご本尊は聖観世音菩薩の立像で、故横江嘉純(東京・日展審査員)が製作したとのこと。昭和34年に入仏供養。
(弥勒山大悲殿) |
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(本尊聖観世音菩薩) |
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境内の世界平和観音像も横江氏の制作したもので、青銅製ブロンズ仕上げでは世界一といわれる25メ−トルの高さで昭和39年に建立されてた。
この前身は、昭和13年に銅板うちだしで、聖観音像が建立され、当時は百尺観音とも呼ばれていたが、第二次大戦で大仏も本尊と台座だけを残して昭和19年に供出し、これを惜しんで地元と東京万人講を中心に再建され現在にいたったとのこと。
世界平和観音の台座内には西国三十三観音のご本尊が祀られ、西国三十三観音のお参りをすることが出来た。
(本堂から台座へ) |
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(西国三十三観音巡り) |
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(とん汁無料サービス) |
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(とん汁無料サービス2) |
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(餅つき) |
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大悲殿の境内で農家の手作りおやきを購入したりして結構時間が経っていた。
湯田中駅方面に向かった。
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● 中華栄楽のお風呂は空振りで帰路へ
今回の旅の最後の締めは、新湯田中の中華「栄楽」さんのお風呂に入ること。
10時から開店する栄楽は食事をすればお風呂を使わせてくれるとのことで、楽しみにしていた。
ところがこの日は臨時休業で鍵がかかっており空振りに終わってしまった。
やや早いとは思ったが、楓の湯に入る気もせず、普通列車の長野行き長野電鉄に乗って長野に出、予定よりかなり早目の長野新幹線で東京に着いた。
(若干の情報)
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