No.236 中国出張
2003年2月19日(水)〜3月1日(土)
中国というとどんな風景をイメージされるだろうか?
北京や上海は別にして僕が最初に「ドンガン」という地名を聞いたときは
それこそ中国の古い墨絵のような山々の間にある
小さな村のようなイメージを抱いていた。
しかしそれは大きな間違い。
車やトラックが走り回る活気溢れる立派な工業地帯なのであった。
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2月19日から3月1日まで中国広東省の東莞(ドンガン)市というところに出張に行ってきた。
広東省は中国の南の方、香港の近く。
成田からまずは香港に行き、それから陸路で中国に入国する。
中国に入るとそこはシンセンというここもまた高層ビルが建ち並ぶにぎやかな町。
そこから更に車で2時間ほど北へ走ったところに東莞市はある。
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東莞市は広くその地域によって町の感じはかなり違っている。
高層マンションが建ち並ぶ近代的な景観の地域も有れば
昭和初期のような雰囲気を醸し出す昔ながらの地域もある。
僕たちが滞在したあたりはどちらかというとちょっと古めかしい感じのする所であった。
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幹線道路。
片側3車線くらいあるでっかい道路である。
朝夕のラッシュ時には激しい渋滞もあったりする。
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これがホテルの周りの町並み。
ちょっときちゃなくてごちゃっとしていて人が多い。
少し危険な匂いもする。
とりあえず一人でブラブラ歩いていて因縁をつけられたり襲われたりすることは無かった。
でもスリはいるらしいから多少の注意は必要(それは日本も同じか)。
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上の写真のすぐ近くにはこんな立派なスーパーもあったりする。
このあたりが今回中国で面白いと感じたところ。
表現は悪いがちょっと生活レベルが遅れた感じのする部分と
日本のごく普通の近代的な感じのする部分が
すぐ隣り合わせで存在している。
店内の雰囲気も日本のよくあるスーパーと同じ。
ここでビールを買ったりCDを買ったりした。
こんな店が近くに有ればとりあえず生活はしていけそうな感じ。
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一番面白かったのが市場。
こんな薄暗い空間に野菜から肉、鶏、魚、カエル、etc...
およそ口に出来そうなありとあらゆるものが見渡す限り並べられている。
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肉屋さんでは肉のかたまりがそのまま売られている。
目の前ででっかい包丁をばんばんたたいて肉を切り刻んでいく。
肝臓のような臓器がでろんと置かれている
まるで解剖して取り出した内臓の標本がそのまま並べられているような売場もあった。
鶏に関してはもうご覧の通り。
姿形がそのまま。
テレビなどで見るような中国の市場の光景が
まさか自分の目でじかに見られるなんて思っていなかったので
結構感動ものだった。
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ちなみに一番トップの写真は
土曜日に現地の会社の人が東莞市内観光に連れていってもらったときに
公園の中で人が撮ってくれたもの。
僕も知らないうちに撮られていて結構気に入っている写真である。
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今回行った東莞という所は今まさに活発に開発が行われている所で
工事をしているところが多かった。
一緒に行った人は1年くらい前にも来たらしいが
その頃から比べてもだいぶ町の感じが変わっていたらしい。
多分1年後にここをおとずれたらまたいろいろと変わっているだろう。
近い将来に日本も追い抜かれてしまいそうな勢いだ。
中国人の持つすさまじいパワーとエネルギーを肌で感じた今回の出張だった。
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仕事は極めて順調に進めることが出来た。
不満をあえて言わせてもらえれば
現地の人たちが気を使ってくれて
ほとんど1人で自由行動をする時間が無かったこと。
僕は1人でうろちょろして観光客が行かないようなちょっと薄汚い食べ物屋さんに行ったりするのが
結構好きなのだ。
そういうお店こそ意外においしかったりするんだけどねー。
まあでもとりあえず何もかも無事に済ませることが出来て
ホッと胸をなで下ろしている。
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なおさらなる中国出張記録を近々公開予定。
お楽しみに。
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(中国東莞にて撮影)
No.237 東村山、里帰り
2003年3月9日(日)
僕が6年間を過ごした小学校の正門である。
この字を何と読むかおわかりになるだろうか?
これで「おんた」と読む。
僕は小学校1年生から大岱(おんた)小学校だったので何の違和感もないが
かなり珍しい読み方の名前だったらしい。
約20年ぶりに訪れた我が母校。
思っていたほど変わってはいなかった。
ちょっと中に入ってみたいとも思ったが
いつぞやの事件以降
見ず知らずの人間が校内にはいることに関してはかなり神経質になっているようだし
ましてや花粉対策のマスクをしたデジカメ片手の怪しいオヤジが無断で侵入しようものなら
すぐに警察に連行されてしまいそうな気がしたので
残念だがあきらめることにした。
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この日本当に久しぶりに
恐らく約14年ぶりくらいに僕が生まれ育った東村山を訪れてみた。
ずいぶん前から来てみたいとは思っていたのだがなかなか都合が付かず
この日たまたま時間が出来たのでスギ花粉が舞い飛ぶ中久々の里帰りとなった。
西武新宿線の久米川駅。
意外にも想像していたほど変わってはいなかった。
正直もっと懐かしい感じが込み上げてくるかと思ったが
なんだかつい最近まで生活していたような感じもする。
とても不思議な感覚。
でも駅の周りのお店はだいぶ変わっていた。
当時こんなところにマツキヨやマクドナルドなんてなかったのになー...
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ブラブラと当時住んでいた方向に向かって歩き出す。
途中空堀川を渡った。
全く違う姿になっていた。
この場合よくあるケースは
当時自然に満ちあふれた川が
今ではコンクリートで固められたどぶ川になってしまったというのが一般的だろう。
しかしこの場合は全くその逆。
当時はそれこそ周りをコンクリートに固められた単なるどぶ川だった。
川幅もそれこそ10メートルくらいしかなかった。
それが今では河川敷もある立派な川になっていた。
河川敷には人が降りれるようになっていて
釣りを楽しむ人も結構いる。
川面には水鳥たちがいて
水もずいぶんきれいになっている。
これなら魚も結構いそうだ。
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その後目にした光景は何もかもが変わっていた。
話には聞いていた。
空堀川の川幅を拡げるためにその周囲にある家は立ち退きをさせられる。
そして僕が生まれ育った都営住宅も取り壊されて高層住宅に建て替えられる。
そんなふるさとを見てみたいとも思ったし見たくないとも思った。
そしてそれらをついにこの日目の当たりにした。
感想としてはあまりに変わりすぎてしまったために寂しさも湧いてこなかった。
でも当時の姿を少しでも残している部分を見つけると
その変容ぶりにさすがにショックを感じる。
その1つが本町商店街。
ぼくのウチのすぐ近くにあった当時はずいぶんにぎわっていた商店街だ。
それが今ではこのありさま。
日曜日の午後、ほとんどのお店が閉まったまま。
いくつかのお店は当時と全く同じ。
でも閉店。
この商店街には当時の僕の友達の家もいくつかあった。
それらを見て回ったがすでに無くなっていたりシャッターを閉めたままになったりしていた。
僕が5年間通いその後も先生としてアルバイトをさせてもらったそろばん塾も跡形もなくなっていた。
(そろばん塾を経営していた人の家はそのままあった)
時の流れを感じた。
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そしていよいよ僕が住んでいた場所。
そこには立派な高層住宅が建っていた。
当時の面影は全く無いにも関わらず
周囲の道路などからなんとなく当時の建物の位置関係が目に浮かんでくる。
そうか、こんなんなっちゃったのかー。
実に機能的な効率の良い住宅。
こんな所なら僕も住んでみたいと思う。
僕が生まれ育った町並みは完全に消えて無くなってしまったが
今現在僕が住んでいる高層マンションのことを考えると
それもやむを得ないかとなんとなく納得してしまった。
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その後も小学校や幼稚園、中学校などすいぶんと歩き回った。
そのうちにまだ当時の姿を残しているエリアを見つけた。
あー、まだこんな所もあったんだー。
でも住んでいる人はごくまばら。
ほとんどが空き家になっていて結構荒れ果てている。
次にここを訪れたときは
恐らくまた全く違った光景になっているのだろう。
そう思うと別に僕が住んでいた場所ではないにも関わらず
夢中でカメラのシャッターを押し続けた。
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そしてついに見つけた。
給水塔。
僕の家のすぐ近くにもこれとそっくりのものが建っていた。
僕がまだ小さい頃にこれらの給水塔はその役目を終え
あとはただその無機質な姿をとどめるだけになっていた。
それでも僕にはすごく印象に残っている。
僕の家の近くのものはとっくに消え去っていて
これが恐らく最後に残ったものだろう。
取り壊されるのも恐らく時間の問題。
その前にもう1度この目で見ることが出来て良かった。
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今回久しぶりに生まれ育った土地を訪れて思ったのは
何もかもが小さくて狭かったこと。
変な表現ではあるが
当時まだ小さかった僕にとっては
駅までも結構距離があったし
商店街の端から端までもかなり遠い距離であった。
学校への道のりもしかり。
しかし今再びそれらを歩いてみると
なんと短い距離であったことか。
こんな狭い世界が僕の全てだったのだ。
この歳になってあらためて自分が成長したことを身にしみて実感できた1日だった。
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あとはあれほど変わってしまった僕が生まれ育った町並みを見て
もっと早くここを訪れるべきであったと思う反面
すでに全く変わってしまっていることが
逆に良かったと思ったりもする。
もしもうすぐ取り壊される僕の家を見たりしたら
たまらない気持ちになっていただろう。
大切なモノが無くなってしまうことはとても辛いが
いざ無くなってしまえばそれはそれで潔くあきらめもつく。
あの頃の僕の町は変わらず僕の心の中に残っている。
僕はそれでいいと思った。
(我ながらクサ〜)
・
(東村山市本町周辺にて撮影)
No.238 夜のドライブ
2003年3月16日(日)
今から約12年前。
初めて自分の車(ホンダ、インテグラ)を手に入れた。
もううれしくてあちこち走り回った。
そのうちにいくつか定番ルートができあがった。
その中でも一番よく走ったのが三浦半島半周ルート。
その後車が変わっても(いすゞ、ビッグホーン)そのルートはよく走った。
ほぼ毎週土曜日の夜はそこに走りに行っていた。
しかしいつの頃からかだんだん行かなくなって
ここ4〜5年は全く行っていない。
この日本当に久しぶりに走りに行ってみた。
・
横浜横須賀道路を一気に終点まで走り
久里浜のフェリー乗り場を通り過ぎてそのまま海岸沿いの道路へ。
ここでまずは一休み。
辺りは真っ暗。
約180°の視界に真っ黒な海が広がり
月明かりにうっすらと白い波が浮き上がる。
遠くには房総半島の明かりがはっきりと見える。
「ゴォーーー...」と波の音だけが聞こえる。
だいたいここで缶コーヒーなどを飲みながら1時間くらいボーっと過ごす。
・
ここから海沿いを西回りに北上。
剣崎、三崎港を通って国道134号線に出たら
葉山、逗子を通過して一路江ノ島へ。
後は海を離れ大和にある自分のアパートへ...。
というのがだいたいのコース。
休憩無しだとだいたい2時間くらいのコース。
夜だと道路も空いていて快適に走れる。
自分の好きな音楽を大きなボリュームでかけて
僕も声を張り上げながら唄ったりして
そんなことが楽しくてしょうがない時期だった。
この日久々に復活してみたけどやっぱり面白かった。
たまにはストレス発散にいいかも。
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※なんか前回から思い出シリーズね。
別に現実逃避モードになっているわけではありません。
・
今回はデジカメを持って行って撮影を試みた。
完全マニュアル撮影が出来るオリンパスC−2020ZOOMを使用。
絞りは開放(F2.0)、シャッタースピードを最長の16秒にセット。
これで撮影するとかなり暗い場所でも結構明るく写せる。
上の写真も実際には相当暗いのだが月明かりと遠くの街灯のお陰でこんなに明るく写った。
(三浦半島、久里浜にて撮影)
No.239 壮行会
2003年3月21日(金)
よく飲んでいた大学の友人の1人(写真ほぼ中央やや右)が会社を変わることになり
前橋へ引っ越してしまうことになった。
さすがに前橋に引っ越してしまえば今ほど気軽に飲みに行ったりはできなくなってしまうだろう。
ということで引っ越してしまう前に宴会を行なった。
題目は当然壮行会である。
場所はやはり大学の友人の1人(写真一番左の4人家族)が
昨年の暮れに引っ越したばかりの新築の家(@新所沢)を提供してくれた。
※本当は会場だけ借りて食べ物などは自分たちで調達しようと思っていたのだが
奥様が豪華な料理を用意してくれた。
申し訳ないっす。
・
今回集まった5人のうち2人が家族を連れてきた。
家を提供してくれた1人も当然家族参加。
ということでお子さまだけで総勢5人。
大学を卒業して12年。
僕たちの飲み会もずいぶん変わったものである。
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「この写真をホームページのトップに飾ってくれ」
長年ホームページを作っていてそんなことを頼まれたのは初めて。
残念ながらご要望にはお応えできなかったけど
これで我慢してくれ。
それにしてもかわいい坊やである。
今回僕たちの飲み会初参加。
・
最後は池袋で2次会。
こんな飲み会がなかなか出来なくなってしまうのはちょっと寂しいが
次は前橋で行うことを誓い合った。
(新所沢と池袋にて撮影)
No.240 久しぶりの江ノ島
2003年3月29日(土)
江ノ島に行って来た。
しょっちゅう来ていたような気でいたがなんだか妙に懐かしい。
天気予報だともう少しいい天気のはずだったのだが
着いた頃には空はどんよりと曇っていた。
なんだか肌寒くてわずか1時間ほどで退散してきてしまった。
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風はほとんど無く海も穏やかで波がほとんど無い。
にも関わらず大勢のサーファーがプカプカ浮かんで
みんなで沖をじっと見つめている。
遙か彼方まで見渡す限り海は静か。
いくら待っても波は来ないと思うよ。
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江ノ島の展望台が新しくなるというのは聞いていたが
この日行ってみたらすでに全く新しい姿に変わっていた。
前のロケット型の展望台は子供の頃家族で来て
上まで階段で登ったことを憶えている。
また1つ思い出の風景が消えてしまった。
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最近はだいぶ暖かくなってきたと思っていたが
この日は結構寒かった。
いつもは家族連れやカップルでにぎわっているこの芝生の広場には僕たち以外誰もいなかった。
(写真の左の奥にいるのはユキちゃん)
寂しいピクニック。
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江ノ島に行ったのはいったいいつ以来だったのか。
帰ってからこのページのバックナンバーを調べてみると
前回来たのは
2000年の5月5日。
実に3年振り。
結婚してから初めてということになる。
どうりで妙に懐かしい訳だ。
(江ノ島近くの海岸で撮影)
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