しんどかった。
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この「Boulder滞在記」はBoulder出張中に暇を見つけては起こった出来事をつぶさに記録していったメモが元になっている。 メモは読み易さや体裁などにこだわらずとにかく「記録」ということに重点を置き、ただひたすら書き殴った(実際にはPCでだが)。
最初はそんなに大それたものを作ろうなどとはこれっぽっちも考えていなかったのだが、次から次へといろいろな出来事が起こり、その度につぶさに記録していった結果、気がつくとそれは一大旅行記と化していた。
単なるテキスト・ファイルにも関わらず、1日分で15Kバイトにも上るファイルサイズのものが出来上がっていった。
とは言え、所詮原稿は出来ているわけだから、これをちょちょいと編集してHTMLにすれば、ほ〜ら簡単、「Boulder滞在記」の完成だ! と気軽に考えていたがそれは大きな間違いだった。
読み返してみると支離滅裂な文章、自分にしか分からないような表現、すっぽりと抜け落ちたエピソードなど、ほぼ全編にわたり手を加えなければ人に見せられるようなものにはならないことが判った。
さらに大量に撮影した写真の中からいいものを選び、加工して見栄えよく配置する。
こんな作業がBoulderから帰ってきた日以来毎晩のように続いた。 Boulder出張中にビデオ録画しておいたドラマも見ず、やりかけのファイナル・ファンタジーIXにも手をつけなかった。 にも関わらず公開できたのはせいぜい週に1日または2日分のペースにとどまった。
なぜこんなにまでして「Boulder滞在記」を作りたかったか。
たくさんの人に僕の体験を共有してもらいたいという気持ちもあったが、何よりも自分のためだった。
たった1人での海外出張という貴重な経験をずっと忘れないでいたい。
何かに残しておきたい。
そんな思い一心で黙々と作り続けていったのだ。
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僕がデジカメが大好きなのはみなさんもご存じの通り。 フィルム・カメラのように枚数を気にせず何枚でも撮影することが出来る。 これは旅先や普段の生活の身の回りのことを記録しておくのに非常に適している。 だから普段から持ち歩き何かあるとパシャパシャ撮影している。
しかしデジカメはそのときの見たままを記録することは出来ても、人がどんなことを思いどう感じていたかまでは記録できない。 そんな心の中のことを記録するのは、文章が適している。 デジカメによる視覚の世界の記録と、文章による心の世界の記録、この2つが合体したときこそ、真の記録が完成されるのではないかと思う。
デジカメだけが記録を残す唯一の方法ではない。 そのことに気がついた。
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一つ心残りがある。Boulderでは多くの人との交流があったが、そのほとんどの人の写真が残っていない。 確かに町でちょっと道を聞いたりするたびにその人の写真を撮らせてもらっていたら、相手も気持ち悪いだろうし日本人に対する妙な偏見まで持たれてしまうかもしれない。 でも全員ではないにしろ何人かは勇気を出して写真を撮らせてもらえばよかった。 そうすればもっと僕の「Boulder滞在記」は生き生きとしたものとなっただろう。
最後に、読みづらくただひたすら長く、そして自己満足の結晶であるこの「Boulder滞在記」を最後まで根気強く読み通していただいた皆様に心からお礼を申し上げて、「Boulder滞在記」の編集後記を終わらせることにする。
2000.11.15 Tadayuki Okada