「天下統一」全大名制覇への道 (温候さん著)




第二章.リプレイ編

ここでは、今回新たに統一を目指してプレイした記録を公開する。本当は、もう少し読み物としての形を取りたかったのだが、時間の都合でプレイ時の記録メモそのままになってしまった。果たして他人が読んで面白いものなのかは自信が無いが、読む場合にはこのソフトの攻略本等で地図を見ながらの方が分かりやすいであろう。

プレイ時のルールとして、兵力の1将集中による1点突破と鉄砲の集中運用は積極的に使用、小兵力の先制攻撃による敵軍の行動封じはなるべく使用しない、SAVE&LOADによるやり直しは国内統一時の「計略」使用時と致命的な操作ミス時のみ、とします。もっとも、本文中にもありますが例外は存在します。

今回は、北から順にと言う事で奥州の(伊達家以外の)2家を選択し、更に統一経験のあるとはいえ未だにコツの掴めていない村上家でもプレイしました。ちなみに、滅亡した場合の記録も残してあります。


・最上家(出羽国)

1.開始時の状況

総武将2人、総兵10、6万石、1回の「兵の募集」で得られる兵力は1。国内の城はほとんどレベル15程度で、序盤に落とされる心配はないが、こちらも落とせない。

隣国は以下の通り。

北陸奥国(伊達家):奥州最強国だが、(出羽程ではないが)国内統一に手間取り、しばらくは他国には攻められない。

越後国(上杉家):言わずと知れた、このGAMEにおける最強キャラ。東国勢にとっては最大の難関で、西国勢にとってはラスボス。ただし、最上家とはGAME開始時に同盟を結んでいるので、どちらかの大名が死なない限りは恐くない。また、南陸奥国の葦名家とも同盟を結んでいるため、進路を塞がれる心配も無い。

以上の点から、国内統一は非常に時間がかかるが、すぐに滅びる事も無いというのが最上家の状況といえる。

2.基本戦略

年齢的に(開始時、最上義守は30歳)、上杉家との同盟はしばらく破られる事はない筈。よって、北陸奥国を伊達家が統一して出羽国に攻め込んでくるまでに、国内を統一すればよい。後は、北陸奥→南陸奥→常陸と侵攻して、上杉家に進路を塞がれない事だけを祈りつつ関東を平定すればよい。常に、対上杉家の防備を考える必要のある伊達家の場合よりもむしろ楽といえるかもしれない。

問題は、如何に国内を平定するかだが、まともに攻めてはレベル15・16・12の城を落とすのは非常に困難である。災害の連発で城レベルが激減しない限りは、1城も落とせないだろう。なにしろ、初期の石高では隣接するレベル15・16の城を落とせる兵力は持てないのだから。(最大値

の制限に引っ掛かる)

そこで、人為的に城レベルを落とす事を考えればよい。すなわち「計略」コマンドの使用である。摂津国平定時には必須のこのコマンドがここでも役立つ。実際には、収入100弱の最上家においては、1回50の金がかかるこのコマンドを、成功率40%の確率通りにやってはなかなか進まないので、多少不本意ながらSAVE&LOAD技を利用して、100%の成功率で進めていく事にする。


3.実戦編

3ー1.国内統一編

大体の戦略は立てたものの、実際にこの最上家をプレイするのは始めて。以前に、(MD版で)伊達家で統一してはいるのだが。

実際に始めてみると、「兵の募集」で得られる兵力は1だけ(たまに0)。そして、政略ターンには使用出来るコマンド無し。確かに、城はレベル15が1個だから、「領内移動」も「城の普請」出来ないのは分かるが、やはり寂しい…

最初に落とすのは、北陸奥に接している米沢城ではなくて、越後に接している鶴岡城にする。伊達の侵攻に備えて、米沢・山形の両城(共に初期レベル15)には防壁となってもらおう。

最初の2年は連続して豊作に恵まれるが、それでも年に1回しか「計略」は実行出来ない。3年目にしてやっと金が100を超え(この年も豊作)、「計略」を2回実行出来る様になった。しかし、1回目(通産3回目)の「計略」に成功してレベル9まで落ちた鶴岡城は、(冬は雪でお休み)半年後にはレベル10に回復していた…

それでも、気を取り直してもう一度「計略」をかけてレベル8まで落とす。そして1554年秋を迎えるが、総兵はやっと23で、残高は72。やはり、豊作でないと厳しい。この兵力では鶴岡城は落とせないので、またも「計略」を成功させてレベル6まで落とす。すると、なんと横手城の独立勢力が攻め込んで、レベル4まで落としてくれた。しかし、冬・春と大雪が訪れて、攻め込めない…

夏にやっと鶴岡城(レベル5に回復)に攻め込み、「強襲」で落城させる(もちろん、残高が無いから)。これで、14万石到達。総兵は再び23に戻ったけど、秋には残高が150突破。これで、「計略」が3回出来るかも。ちなみに、ふと思い立って唯一の部下「氏家定直」の俸禄を上げてやったら、CPが残り2になってしまい「計略」を実行出来なくなってやり直したのは、内緒の話である。(実話)

そして、1556年夏には横手城を落とし22万石まで到達。さらに、小野寺景道が降伏して配下となる。しかし、ここでなんと上杉軍が米沢城(独立勢力)に侵攻。幸いにも、城レベル15→14程度で済んだが、これは急がないとやばいかも…

その後、なんとか上杉は来ないまま、1557年春に米沢城を落として出羽統一を達成する。この時のデータは以下の通り。

1557年夏、34万石、総兵45

主な敵

上杉家:131万石、総兵298
伊達家:9万石、総兵26
佐竹家:107万石、総兵202
北条家:55万石、総兵121


3ー2.目指せ戦国大名編(元奥州平定編)

1558年春、北陸奥国の中新田城を落とす。伊達軍は既に戦力の大半を失っており、後は攻城戦の連続となりそう。前年秋に攻め込んだ時にはまるで歯が立たなかった桑折城(レベル11)の存在が少々気がかり。

1558年秋、戦力の大半を集中して桑折城を落とす。強襲を1回行ったので兵力を少々消耗したが、これで伊達家は滅亡。残るは北部の城(独立勢力あり)を落とすだけ。

1559年夏、独立勢力の葛西晴信を滅ぼし北陸奥国を平定。この時点で、63万石の総兵119到達。この年の春に、関東を平定しつつある武田家が上杉家と同盟を結んだのが気にかかる。武田・佐竹が争っている間に南陸奥を押さえなければ。

1559年秋、南陸奥国の二本松城を落とす。目の前には、会津城(レベル20)が不気味に立ち塞がる。

1559年冬、上杉家がいきなり同盟破棄してきた。今は冬なので問題無いが、このままでは出羽を守り切るのは不可能。同盟を信じて、「城の普請」は全く行っていないし、第一そんな費用の余裕は無かったのだから。一応氏家定直に兵50があるので、一つの戦線では勝てる筈なので、いっそ越後に侵攻するという手もある。どうせ、南陸奥から攻め込まれるのはしばらく先の話なのだから。

1560年春、覚悟を決めて上杉領越後に侵攻。残留部隊を軽く蹴散らして、2城を落とす。葦名家が意外に兵力を持っていた(合計88)だけに、南陸奥を平定されると厄介な事になりそう。こうなれば、早く武田家に侵攻してもらった方がいいのかも。

1560年夏、越後に侵攻した第2部隊(兵力64)を南陸奥に回す。葦名家の兵力は、葦名盛氏(兵力36)に集中しており他は最高12までなので、これを利用して早めに戦力を削っておく事にする。また、遂に最上義光が元服。

会津城に攻め込んだ我が軍に対して、予定通りに葦名盛氏率いる葦名の主力部隊が迎撃に来る。これを蹴散らして城を囲むが、レベル20の会津城は無視して退却。これで、葦名の兵力を削るのに成功。ついでに、越後に置いても上杉家に勝利し1城を落とす。それにしても、さすがに上杉軍は士気が高くしぶとい。この戦で、何故か冷泉隆豊(大内家の武将)を捕らえる。何で、こんな北の地に?

1560年秋、上杉家もいよいよ越後の戦線に上杉謙信・柿崎景家等の率いる主力部隊を集めてきた。ここでまともに攻め込んでも、精強上杉軍に勝てるかは不安なので、1隊をもって足止めしつつ背後の城を落とし、大雪の間に戦力を貯える事にする。(実は、1回主力部隊で攻め込んで大敗を喫したので、やり直していたりする…)

冬・春と北陸地方は大雪。その間に、決戦に備えて兵力アップに専念する。1561年夏には、兵力がちょうど上限に到達。越後の上杉軍は2城に分散したので各個撃破を目指して両方の城に攻め込む。更に、南陸奥にも1隊を回して攻撃をかける。

しかし、南陸奥では強襲をかけなかった事が災いして、もう一歩で落城出来ず。そして、越後では緒戦は快勝するも、2戦目では緒戦で破った部隊の合流した上杉軍の前に得意の1点集中突破を逆に許し、無念の敗退。この地においては、勝ち戦を含めてかなりの兵力を消耗してしまう。ちなみに、直後の軍備ターンで突然ハングしかけたので、かろうじて復旧した直後に慌ててSAVE。いっそ、あのまま止まればやり直せた、なんて思ったのは内緒の話である。

1561年秋、なんとか越後の戦線に補強を加え始める。一方で上杉家は何故か葦名家との同盟破棄。このGAMEにおいては、義将・上杉謙信の名が泣いている。もっとも、史実に置いても晩年の能登等への侵攻においては義将でもなんでもないのだが。

南陸奥では苦戦の末辛うじて勝利して1城を落とすが、越後ではまたも1勝1敗。霧のおかげで苦戦を強いられる。

1561年冬、またも大雪により一息つく。ここ1年程、越後で引き抜きを仕掛け続けているが全く効果無し。

1562年春、ついに出羽国で一揆発生。町がMAXに達してしまってから、住民感情が下がる一方だったので当然とも言える。前回、遂に「兵の募集」を自重したのだが無駄だった…

東北のみ大雪なので越後では動けるのだが、秋に消耗した分を補給出来ないのが苦しい。ともかく、出羽が使えなくなった上に兵力が上限に近付いているので、なんとか越後で石高を稼ぐしかない。気付いてみれば81万石まで低下は厳しい。

今回は、引き抜きを4武将に対して仕掛けるも全て失敗。逆に、上杉家に大熊長秀を引き抜かれる。兵力2だから、どうでもいいのだけど。更に、
上杉・今川同盟が結ばれ、今回攻め込む予定の春日山城がレベル11→13に増強するなど、向こうも確実に手を打ってきている。結局、春日山城をレベル8に落としただけで1城も落とせず。

1562年夏には、南陸奥・越後(春日山城)で1城ずつ落とす。これで94万石に達し、いよいよ戦国大名目前だが、金が不足がちで強襲を使用するのが辛い。

1562年秋、越後に残る上杉勢力を滅ぼし、遂に越後平定成る。しかし、強襲を2回も使ったおかげで兵力を大幅に減らしてしまう。越中の1城も奪い、やっと戦国大名に到達。この時点のデータは以下の通り。

1562年冬、110万石、総兵229、領国 出羽・北陸奥・越後・南陸奥(16%)・越中(33%)

主な敵

佐竹家 45万石、総兵 142
上杉家 166万石、総兵 187
北条家 102万石、総兵 304
今川家 151万石、総兵 413
武田家 173万石、総兵 363
小早川家 358万石、総兵 565

松永家 236万石、総兵 433


3ー3.東国平定編

1562年冬、佐竹家が使者を送ってきて同盟締結。1562年春には、武田家が上杉家との同盟破棄。我が軍は上野国に侵攻し、初めて出会う武田軍を余裕で撃破する。

1563年秋、上野国等から集めた主力部隊を動員して、南陸奥国の会津城(「計略」1回成功でレベル16)を遂に落とす。一方で、同盟国佐竹家が南陸奥国南部に侵攻する。越中国も平定し、一挙に160万石突破。

1564年夏、葦名家を滅ぼす。これで、南陸奥国をほぼ平定(1城だけ、同盟国の佐竹家が所有。)。北陸の大雪のため孤立した、上野国を武田家に奪回される。

1564年秋、東北地方の旱魃と越中国の一向一揆により、およそ20万石低下する。北信濃国飯山城を落とし、篭城していた上杉謙信は自害。上杉家は、上杉景信が後を継ぐ。

1565年春、越中の一向一揆を鎮め、上野・加賀で領土を広げて200万石突破。

1566年冬、300万石突破。しかし、越前国まで進出していた小早川家の軍勢は、すでに兵力50ずつを持っている強力な相手。我が軍の北陸戦線部隊は、あっさりと越前国から撤退。現在は、鉄砲をほとんど持っていないだけに今後が思いやられる。現在は、「鉄砲の購入」をするとCP不足気味なので、早く最上義光に代替わりして欲しいところである。

1568年秋、関東で北条・武田を相手に徐々に領地を広げているが、予算不足で春・夏はあまり動けずに苦労している。北陸では、小早川相手に加賀で一進一退の状況。向こうも主力を引かせる事があるのと大雪のおかげで、一方的に押し込まれずにすんでいる。甲信の戦線では、1隊は甲斐国に侵攻させているが、南信濃国には手を出していない。現在の状況は以下の通り。

358万石、総兵 663


残る大名

佐竹家(同盟中) 79万石、総兵243
北条家 119万石 総兵 322
武田家 98万石、総兵 212
松永家 353万石、総兵 766
小早川家 531万石、総兵 983
大友家 171万石、総兵 480
島津家 101万石 総兵258


1569年夏、武蔵国・甲斐国等を平定して400万石突破。北陸では徐々に小早川軍に押し込まれているが、現在のところ鉄砲10装備が2部隊。しかし、中部・東海戦線で松永家と接触するのは時間の問題なので、あまり北陸に関わりたくないのが本音。小早川が、松永との同盟破棄。どうやら、我が軍に有利な状況が巡ってきた模様。小早川軍により、加賀国に続いて能登国も押さえられる。

1570年夏、相模を平定する。これで、関東以北と越後・越中・北信濃までを制した事になる(佐竹領の常陸・下野の一部を除く)。1570年夏、小早川家は、毛利元清の元服に伴い家督を毛利元清が相続。(以下、毛利家と表記)

1571年春、能登国で毛利軍(兵力137)を破る。遂に、苦労して揃えた鉄砲10×3部隊の威力が発揮された。南信濃国・加賀国等でも領地を広げて500万石突破。

1574年夏、東国平定をほぼ達成する(加賀の一向一揆と、同盟国佐竹家領を除く)。状況は、以下の通り。

717万石、総兵 1127

残る大名

佐竹家(同盟中) 83万石、総兵 297
松永家 137万石、総兵 456
毛利家 619万石、総兵 1082
大友家 53万石、総兵 81
島津家 285万石、総兵 545


3ー4.まとめ

一応、ここまで来れば統一は確定なので(鉄砲の利用と雨の場合の逃げで)、今回は成功として終了する。

今回の最大の反省点は、上杉家との開戦のタイミングの失敗であろう。実際に、1回敗北を喫してやり直したし、その後も2回程勝てると思った戦を落としている。士気170・180を誇る上杉軍精鋭部隊相手では、兵力が20×6でもこちらの50+(20強×2)を凌駕する事があるようだ。それに比べれば武田家の軍勢などは、雑魚も同然であった。あの越後平定戦こそが、最大の難関であった事は間違えない。

また、葦名家が南陸奥国平定直前まで進み100近い兵力を保持していたのも驚いた。今後行う予定の葦名家のプレイは結構容易なのだろうか。以前に山内上杉家での統一時に、扇谷上杉家が武蔵国を統一し北条家を滅ぼした時以来の驚きである。(その時は、しばらく同盟を結び両上杉家で快進撃を行いました。最後は滅ぼしたけど…)

ただ、今回は国内統一時にSAVE&LOADを多用してしまっているのも事実である。今後は、やり直し無しで挑みたいものである。今回は、国内統一に6年掛かった事と、「計略」の成功率40%から考えると、おそらく国内統一に12〜15年掛かってしまうのだが、果たして伊達や佐竹の侵攻前に出来るのだろうか?


摂津国の細川家と共に、やり直し無しプレイでのクリアは今後の課題であろう。




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