エラートの「空想の音楽会」全30巻の感想記


空想の音楽会・第1巻「エクサン=プロヴァンス、サン=ソヴェール大聖堂における宗教音楽会」
 ステファヌ・カイヤー/カイヤー合唱団ほか
 エラート 1963年 WPCS-5861

収録曲は@ポワトヴァン「死者のためのミサ曲よりオッフェルトリウム」Aサロモン「モテット・誰かわれに与えん」Bカンブラ「モテット・主よわれは御身に」Cカンブラ「モテット・なんと深く愛されたる」Dカンブラ「モテット・神よわれに御力を」。

いずれの作曲家も17世紀終盤から18世紀初頭のフランス、エクサン=プロヴァンスに活躍した人々で、いずれの作品も、いわゆる秘曲に近く、@などは、正確には作者不詳で、ギヨーム・ポワトヴァンの作ではないかと推測されているに過ぎない。

しかるにその音楽は素晴らしい。このディスクには、歌詞・対訳が無いが、それが気にならないくらい音楽の美しさが光っている。ことにAのハーモニーの流れは甘美にして敬虔、華やかにして荘厳、という風で、こんな音楽が大聖堂で奏される様を思うとワクワクしてしまう。B以降のカンブラはそれよりグッと渋く、いかにも宗教音楽然としているが、それでも作曲当時は音楽の表情の強さ、旋律的陶酔性が際立っていたと伝えられており、当時の音楽の質朴で清楚な雰囲気がしのばれる。

演奏は今日の古楽様式からすると、全体にヴィブラートが多めにかけられているが、声調そのものは極めて美しく、音楽の美しさに比して違和感はおよそ感じないほど。

空想の音楽会・第2巻「ヴェルサイユ宮・鏡の間における王の饗宴」
 パイヤール/パイヤール室内管
 エラート 1963年 WPCS-5862

収録曲はフランクール編纂による「アルトワ伯のための王の宴の音楽」組曲第4番(抜粋)および第2番。

「編纂」というのは他の作曲家の作品からの借用が含まれるという意味で、ここにはラモーを始めドーヴェルニュ、モンドンヴィルといったあたりから借用されたメヌエットやアリアなどが含まれている。もっとも、曲の過半数はフランクール自身の作。 フランソワ・フランクールはルイ15世治下のヴェルサイユ宮に活躍した作曲家。この「王の宴の音楽」は1773年の作となる。後年にシャルル10世として即位するアルトワ伯の婚礼のために作曲されたもの。いかにも宮廷音楽らしく、作曲年代からするとかなり保守的な作風といわざるを得ないが、まさにそれゆえに、時のブルボン王朝の宮廷において鳴り響いた音楽の肌触りそのものに触れるような味わいがある。

パイヤール室内管の演奏は、絶品だ。冒頭のメヌエットのトランペットの音色の素晴らしいこと! 演奏全編にアンサンブルの響きの、フランス様式的な美しさが充溢し、時の経つのも忘れて聞き入ってしまうほど。この音色の音立ちの良さは録音年代からすると驚異的だ。リバン聖母教会のまろやかな残響が響きの美感に拍車をかけている。

空想の音楽会・第3巻「ヴェルサイユ宮・大トリアノンにおける室内音楽会」
 フェルナンデス、ルマック(vn) ラリュー、コトン(fl) ブレ(cemb) ラミ、ルキュラール(gamba) 他
 エラート 1966年 WPCS-5863

収録曲は@ダンドリュー「2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ」Aドゥ・ラ・バール「2つのフルートのための組曲」Bドゥ・ラ・ゲール「独奏チェンバロのためのサラバンドとジーグ」Cクープラン「王宮のコンセール第1番」Dダングルベール「独奏チェンバロのためのプレリュード、サラバンド、ガイヤルド」Eマレ「ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のための組曲」Fフィリドール「オーボエと通奏低音のための組曲」。

いずれの作曲家もフランスのルイ14世の統治下で活躍した人々で、時期的には17世紀末期から18世紀初頭までに作られた作品群。7人のいずれもが王宮ゆかりの作曲家であり、作風もそんな感じだ。印象的なのはAで、木管楽器のための作品で 通奏低音なしというのはテレマンの幻想曲などが有名だが、ここでは2本のフルートが対位的に絡み合う。 淡い色合いのファンタジー。またDは1689年の作で最も古いが、そのプレリュードには小節線が無く、拍子の 取り方は奏者の自由というユニークな曲。

ディスクを通し総じて素朴な味わいの作品で占められる中、ひときわ 華やかなのはやはりCのクープラン。ここでは高音ヴィオールのソロ(ロベール・ブレ)がなんとも味が濃く、香気に 満ちた音色だ。

空想の音楽会・第4巻「ヴェルサイユ宮・小トリアノンにおけるマリー・アントワネット王妃のための音楽会」
 パイヤール/パイヤール室内管 ラスキーヌ、ダンテュ(hp)ほか
 エラート 1963年 WPCS-5864

収録曲は@ゴセック「2台のハープと管弦楽のための協奏交響曲ニ長調」Aサン=ジョルジュ「2つのヴァイオリンと管弦楽のための協奏交響曲ト長調」Bショーベルト「チェンバロ協奏曲第4番ト長調」。

このプログラムは、題名にあるようにルイ16世時代の小トリアノンでの音楽会が想定されており、聴き手はもちろんマリー・アントワネットということになる。そういう想定のため、3曲とも、かなり少女チックな感じの作品なのだが、演奏がいずれも美しく、うっとりさせられるほど。

ことに@のハープの音立ちは美麗だ。この作品はモーツァルトの有名なハープ協奏曲に感じが どことなく似ている。これは1979年の作で、モーツァルトの方は1978年とほぼ同時期。偶然? Aの協奏交響曲も、やはりモーツァルトのそれに雰囲気がかなりかぶっている。Bのショーベルトは18世紀中葉のフランスで活躍した作曲家。そのレパートリーはチェンバロ作品に特化している。この作品も優雅そのものだ。

空想の音楽会・第5巻「ヴェルサイユ宮・大厩舎における野外音楽会」
 パイヤール、ブレアール/パリ・ラリー・ルーヴァール狩猟ラッパ・アンサンブルほか
 エラート 1963年 WPCS-5865

このディスクでは時のヴェルサイユに活躍した3人の作曲家、フィリドール、ダンピエール、リュリの、野外演奏用の行進曲が17曲収録されている。いずれも小規模なもので、最も長い、リュリのフランス行進曲でも5分に満たない。 いずれも、当時グランド・エキュリーと呼ばれた王宮付きの騎馬音楽隊により奏されたとされるもので、往時のヴェルサイユ宮での野外音楽会の華やかさが偲ばれる。

その演奏は全体として、とにかくトランペットと打楽器が主役になっているが、トランペットはピストンの無い当時の楽器がそのまま使用されている。メロディは平均律音階から離れた、原初的な音楽のヴァイタリティに満ちていて、すこぶる刺激的だし、なにより、楽器の音色の味わいが非常に濃い。

内容的には、現在の古楽器演奏の洗練度からすると、音程などアバウトで危なっかしいし、響きのざらつき具合も相当なものだが、そういうある種のアマチュア的ともいうような演奏の熱気が新鮮。表情にも気取りのない、気持ちのいい演奏だ。

空想の音楽会・第6巻「ヴェルサイユ宮・大理石の中庭におけるリュリのオペラ・コンサート」
 パイヤール/パイヤール室内管 ソートロー、シャモナン(sop)ほか
 エラート 1972年 WPCS-5866

収録曲はリュリのオペラ「イシス」と「アルミード」から取られた数曲のナンバーで構成されている。

「イシス」は1677年に初上演のオペラだが、この音楽が実に美しく、そして新鮮な印象に満ちている。最初のプロローグは 華麗にして優美を極めたフランス王朝讃歌であり、つづく「ニンフの二重唱」の、えもいわれぬハーモニーの香しい色合いなど、すっかり魅了されてしまう。次の「震える人々の合唱」は寒さに震える人々の声の震えを擬した、 ユーモアたっぷりのナンバーだし、「イオの嘆き」での管弦楽の麗美ぶりなど、ため息が出るほどだ。それに続く、 第3幕(有名なシリンクスとパンの伝説が演じられる)からのナンバーでの、音楽の素朴な牧歌調と、響きの馥郁と した香気との、絶妙な交錯。

「アルミード」はおそらくリュリのオペラの中でも最も有名なもので、全曲盤としてもヘレヴェッヘが92年に録音したものがあるが、このパイヤールの演奏は、それとはまた違う演奏の良さ、いわば古楽器臭の希薄感というような、得難い持ち味があり、それは録音年の古さを差し引いてもなお余りあるものがある。

空想の音楽会・第7巻「ヴェルサイユ宮・宮苑運河における野外音楽会」
パイヤール/パイヤール室内管
 エラート 1963年 WPCS-5867

収録曲はドゥラランド作曲による@「ヴェルサイユ運河上の祭典のためのトランペット・コンセール」Aカプリース 第3番Bファンタジー第2番Cカプリース第1番。いずれも管弦楽組曲形式の作品。

ミシェル=リシャール・ドゥラランドはルイ14世と15世に仕えた宮廷作曲家で、知名度こそ低いものの、その宮廷に 対する音楽的貢献度および国王側からの評価はリュリにも匹敵するものだったとされる。@はタイトルの示す とおり、当時のヴェルサイユ大運河(ヴェルサイユ宮殿内に造られた十字型の大泉水で、幅100メートル、長さ 1・5キロという大規模なもの)における宮廷祭事のための音楽で、「ヘンデルの水上の音楽、王宮の花火の音楽を 生み出したそもそもの源」(パイヤール記載のライナーより)という感じの曲。

対してAはぐっと落ち着いた、優美な音楽で、ドゥラランド最晩年の作品。序曲、アリア、ジーグ、いずれもいかにもヴェルサイユ楽派という感じの、古雅なエレガンシーで満たされている。Bはフガートが多用され、技巧的には最も手が込んでいる。パイヤール室内管の演奏の優美なこと。Cは同じカプリースでもAとは雰囲気がガラリと変わった華やかさで、むしろ@に近く、このディスクのプログラム想定どおり、まさにフィナーレの華美な盛り上がりという感じだ。

空想の音楽会・第8巻「ヴェルサイユ宮・王室礼拝堂における宗教音楽会」
 カイヤー/パイヤール室内管、マリー=クレール・アラン(org)ほか
 エラート 1966年 WPCS-5868

収録曲は@ニヴェール「第2旋法の組曲」Aベルニエ「精霊のモテット」Bマルシャン「中声部のティエルス〜ディアローグ」Cドゥラランド「サクリス・ソレムニス讃歌」。第2巻より続いてきた「ヴェルサイユ宮殿シリーズ」の最後となるディスク。全巻までの煌びやかなムードとはうって変わり、静謐で清らかな作調の音楽で、このあたりの俗と聖のメリハリの強さは、何とも印象的なものだ。

4人の作曲家はすべて王室礼拝堂の音楽担当者であり、いずれもルイ14世統治期における作品。このディスクは、音楽、演奏、音質、どれもいい。とくに音質は、ベルサイユ・シャトーのチャペル(王室礼拝堂)での収録だが、わけてもオルガンの響きの溶け合いなど、ふっくらとした残響にも助長され、その音色の美しさを極めている。@とBがそうであり、Aのソプラノ独唱や、Cの合唱のソノリティも含め、現在の最新録音でも、これほどの上質な音質を確保できるだろうか。

4つの作品のうち規模的にはCが全体の半分強を占める。キリストの最後の晩餐を題材とした大モテットであり、荘重で瞑想的な曲調と、響きの物悲しい美しさ。まさに音によるフレスコ画というに相応しい音楽だ。

空想の音楽会・第9巻「コンピエーニュ宮における2人の皇帝のための音楽会」
 マルセル・クーロー/パイヤール室内管、ブーランジョ(sop)、アマード(ten)他
 エラート 1966年 WPCS-5869

収録曲は@メユール「トレードの2人の盲人」序曲Aカテル「バニエールの宿屋」導入部・バスクの歌Bオッフェンバック オペレッタ「バ・タ・クラン」全曲。

CDのタイトルにある「2人の皇帝」とはナポレオン・ボナパルト、およびナポレオン3世のことであり、ここでの収録作品は彼らの治世下における代表的なオペラ・ブッファをもとに構成されているようだ。初演は@とAが1807年、Bが1855年。

@とAはともに5分程度の小曲だが、とくにAの、シャルル=シモン・カテルの手による、優美でコミカルなメロディ・ラインによる楽想の華やかさがひときわ印象的。

しかしメインはBであり、これは全曲で40分を要する。オッフェンバックが1855年の1年間に作曲した12番目(!)のオペレッタ。これはおもちゃ箱をひっくり返したような面白さというべきだろうか。(4:57)からの「議論の四重唱」のシッチャカメッチャカぶりなど、とにかく面白く、ナレーションの語り口もユーモアたっぷりだ。それにオッフェンバックらしい甘美なロマンスや二重唱が随時挿入され、それらが(30:30)からのバ・タ・クラン(馬鹿騒ぎという意味)にて頂点を迎える。演奏もパイヤール管、歌唱陣ともに素晴らしい。

空想の音楽会・第10巻「ストラスブール、ロアン城における音楽会」
 ロジェ・ドゥラージュ/ストラスブール・コレギウム・ムジクム管弦楽団、ドレイフェス(cemb)他
 エラート 1966年 WPCS-5870

収録曲は@ハルスト「チェンバロのための6つの小品」Aブロサール「ソプラノと通奏低音のための4つの歌」Bシェーンフェルト「ソプラノと通奏低音のための2つの歌」Cプレイエル 交響曲第6番(ウーブラドゥー編)。

前巻のコンピエーニュ宮での馬鹿騒ぎムードも楽しいものだったが、このロアン城での温雅な佇まいも味わい深い。ストラスブールは地理的に当時のフランス王国の東の要衝であり、そこを通過・来訪する王侯貴族をもてなすために建造された宮殿がロアン城。ここでの4人の作曲家はすべて当時のストラスブールゆかりの面々で、全4曲とも、くつろいだ雰囲気の中に甘美な音楽的魅力が立ち込める。

@はセレスタン・ハルストが1745年に出版したクラヴサン作品集の一編で、曲ごとに「のんき者」「無邪気な人」「口の上手な女」など性格表現の題名が与えられ、それをチェンバロが活き活きと描写する。まるでブリューゲルの風俗画のような、気さくなメロディの生命感がいい。

A、Bは、かなりメルヘンチックな感触だ。Cのイグナーツ・プレイエルはヨゼフ・ハイドンの弟子であり、当時はハイドンに匹敵する人気を博していたとされる。その交響曲第6番は、全41曲と言われる交響曲の中のひとつで、1789年の作。当時のウィーン古典派の作風を踏まえた感じの、愛嬌と旋律美に富んだ作品だ。

空想の音楽会・第11巻「シャンティーイの館における王家の狩の音楽」
 パイヤール/パイヤール室内管、狩猟ラッパアンサンブルほか
 エラート 1964年 WPCS-5871

収録曲は@ムーレ「狩りのサンフォニー」Aヴィヴァルディ「ヴァイオリン協奏曲作品8の10『狩り』」Bコレット「コミックな協奏曲第14番」Cラモー 歌劇「イポリートとアリシー」より「狩りの場」Dレオポルト・モーツァルト「狩りのシンフォニア」。

シャンティーイ城はその周辺の森における狩猟の拠点として、当時の王族や貴族に利用された城館。このディスクでのテーマは「狩り」であり、5曲とも狩猟に関連した作品群によるプログラムとなっている。

@は冒頭からラッパの豪快なファンファーレがいきなり炸裂! このジャン=ジョセフ・ムーレの曲は、現在ならホルンにより代替されるラッパのパートを、このディスクでは狩猟ラッパ、すなわち当時の狩りの際に用いられた実用楽器が奏でている。その土臭いまでの原初的な音色は、まさに当時の狩猟開始の合図そのものといった華々しさ。

続くAの有名なヴィヴァルディの作品といい、Bといい、いずれもホルンが大活躍する(ただし@のように狩猟ラッパではないが)。Bは「とびきり上等の食事」と題された曲で、狩猟の合間の楽しげな食事という風情。Cは同オペラ第4幕第3場の狩りの場の音楽。ホルンと狩人(ソプラノと合唱による)との掛け合いが醸しだす、音楽の愉悦感がいい。Dはアマデウスの父親の残したシンフォニア。第1楽章で狩猟用の小銃が打ち鳴らされるというユニークな曲だ。

空想の音楽会・第12巻「シャルトルの大聖堂における宗教音楽会」
 カイヤー/パイヤール室内管、マリー=クレール・アラン(org)ほか
 エラート 1965年 WPCS-5872

収録曲は@ジュリアン 前奏曲Aブリュメル モテット「これぞ天使のパン」、「御父の母にして娘なるもの」Bデュ・コ ロワ テ・デウムCロベール 大モテット「われをみつめることなかれ」Dジュリアン 第7旋法の組曲。

この巻の音楽はすべてシャルトル大聖堂にゆかりの宗教音楽だが、演奏自体は、同じく宗教音楽会を想定した 第8巻(ヴェルサイユ宮の王室礼拝堂)でのそれと比べると、音質面で若干落ちる感じがする。これは マスターテープの経年劣化の影響だろうか。

収録曲は15世紀から17世紀にかけて作曲されたもので、コスタッシュ・デュ・コロワ以外の3人はシャルトル大聖堂に仕えた経歴を持つ作曲家。デュ・コロワはシャルトル大聖堂と直接の関係はないが、アンリ4世が1594年にフランス国王即位のための戴冠式をシャルトル大聖堂で行った際に、Bのテ・デウムが演奏された史実がある。

それはともかく、このディスクの収録作品群は、成立年代が足掛け3世紀にも及んでいることもあり、ひとくちに宗教音楽といっても、アントワヌ・ブリュメル(15世紀)とピエール・ロベール(17世紀)では雰囲気が違うし、いい意味でのコントラストが鮮やかだ。最初と最後を飾るジル・ジュリアンのオルガン曲がまたいい。

空想の音楽会・第13巻「シュノンソーの館におけるルネサンス音楽会」
 フィリップ・カイヤール/カイヤール合唱団
 エラート 1964年 WPCS-5873

収録曲は16世紀フランスの、いわゆるパリ楽派の作曲家の手によるシャンソン作品群。作曲家別にはクレマン・ジャヌカンの6曲が最多で、ギヨーム・コストレが4曲、クローダン・ド・セルミジが3曲、ピエール・セルトンが2曲、アントワーヌ・ド・ベルトランが2曲などとなっている。

一般にシャンソンの歴史は、14世紀のマショーを起点とし、15世紀のデュファイなどのブルゴーニュ楽派や、オケゲム、ジョスカン・デ・プレといったフランドル楽派の時代においてその隆盛を極めたとされるが、それに続くのが、このディスクでの、16世紀パリ楽派の作曲家によるシャンソン群となる。

これらのシャンソンの大きな特徴はホモフォニック、いわゆる主旋律主導的な音楽構成にあり、15世紀シャンソンにおけるポリフォニックな構成と比してかなり雰囲気に違いがあるが、とにかく主メロディがはっきりとしているため、非常に聴きやすい。

最初のセルミジの恋愛歌からして、まるで日本の歌曲かというくらい、メロディックな音楽の流れだ。歌われる主題も、それまでの宮廷的・貴族的なものから都市的・世俗的なものへと大きくシフトしているので、それだけ内容的な親しみやすさもアップしている。もちろん15世紀までのシャンソンにも独特の素晴らしい魅力があるのは事実だが、ここでの16世紀シャンソンの、ざっくばらんともいうような曲調の開放感も、また格別だ。

空想の音楽会・第14巻「ソー、オーロラのパヴィリヨンにおける2人の作曲家の音楽会」
 マクサンス・ラリュー四重奏団
 エラート 1964年 WPCS-5874

収録曲は@ボワモルティエ フルート、オーボエ、チェロとチェンバロのための協奏曲第9番Aボワモルティエ オーボエ、チェロとチェンバロのためのソナタ ホ短調Bボワモルティエ フルート、オーボエ、チェロとチェンバロのためのソナタ ト短調Cルクレール フルート、オーボエ、チェロとチェンバロのためのソナタ 二短調Dルクレール フルート、チェロとチェンバロのためのソナタ 二長調。

パリ郊外に位置するソーの城館は18世紀初頭のメーヌ公爵を城主とする時代に栄華を極め、その城内におけるオーロラ(女神アウロラ)のパヴィリヨンでの華やかな夜会は同時代の作曲家の室内楽作品の演奏の場でもあった。そのような作曲家の中から、このディスクではジョセフ・ボダン・ ドゥ・ボワモルティエの作品3曲とジャン・マリー・ルクレールの作品2曲が演奏されている。

5曲とも18世紀前半に作曲され、ソーのパヴィリヨンにて奏された可能性を保有する作品群で、いずれも美曲。演奏がまた良く、ラリューの奏するフルートとシャンボン奏するオーボエの音色の味の濃いこと。技巧で聴かせるという風では必ずしもないが、フレージングの伸びやかな呼吸感や響きの色彩感がバツグンだ。

空想の音楽会・第15巻「トゥールの大聖堂における宗教音楽会」
 クロード・パンテルヌ/ジャン・ドゥ・オケゲム聖歌隊・合唱団、ピエール・フロジェ(org)ほか
 エラート 1966年 WPCS-5875

収録されている8曲のうち4曲がブジニャックの作、プーランクとオケゲムが各1曲、残りの2曲は作者不詳。 すべてトゥール大聖堂ゆかりの作品。

このディスクにおいては、収録場所もトゥール大聖堂の聖ガティアン・ カテドラルとなっており、まさにタイトルそのもの。オルガンがかなりの年代物のようで、音色の強さがいまひとつ ではあるものの、聖カテドラルのたっぷりとした残響感を活かしたソノリティの味わいが独特だ。

曲だが、最初はプーランクの「黒衣の聖母マリアの連祷曲」で幕を開ける。1936年作の20世紀音楽だが、同年に作曲されたプーランクのオルガン協奏曲に近い雰囲気を持つ、懐古的な作品。トゥール大聖堂にて、プーランク自身のオルガン演奏により初演されている。

それに続くのはオケゲムの「任意の旋法によるミサ」で、15世紀の作であり、ここで一気に5世紀もの時間をさかのぼることになる。これは調性(ドリア旋法、フリギア旋法、リディア旋法、ミクソリディア旋法)を演奏者が任意に選択できるというユニークな作品。トゥール市内に居を構えていたオケゲムの作品は、トゥール大聖堂ゆかりの曲でもある。ギヨーム・ブジニャックも17世紀のトゥールに活躍した作曲家だ。

空想の音楽会・第16巻「ブロワの館における2人の王侯のための音楽会」
 シャルル・ラヴィエ/フランス国立放送パリ・ポリフォニック・アンサンブル
 エラート 1965年 WPCS-5876

第13巻「シュノンソーの館におけるルネサンス音楽会」と同様に、この16巻も16世紀フランスの、いわゆる パリ楽派の作曲家の手によるシャンソン作品群で構成されている。ただ13巻での有名どころ?の作曲家と比べると、 こちらはグッと渋いというか、かなり地味だ。

タイトルにある「2人の王侯」というのはルイ12世とフランソワ1世のことで、いずれも15世紀末から16世紀初頭にかけてのフランス王国の国王にして、ブロワ城の城主であり、ともに芸術の庇護者として知られた2人の王の居城にて繰り広げられたであろう、当時の音楽会の再現がこのディスクということになる。

13巻収録のシャンソンと比べると、作品自体の生彩や魅力という点では一歩を譲る感もあるものの、いずれも素朴を極めた淡い響きが往時の音楽の佇まいを実直に物語り、当時の人々の情感や生命感が時代を超越して伝わってくるようだ。作者不詳の曲がかなり多いが、いずれも味わい深い。

空想の音楽会・第17巻「パリ、マレー区のシュリー館における夜の音楽会」
 パイヤール/パイヤール室内管
 エラート 1965年 WPCS-5877

収録曲はシャルパンティエの8声のソナタ、間奏曲「夜」とクープランの「リュリ讃」。

17世紀に栄華を誇ったパリ・マレー区を代表する城館・シュリー館を舞台に繰り広げられた夜の音楽会という想定で曲目が組まれている。シャルパンティエとクープランはいずれもマレー区をその音楽的活動の拠点のひとつとした作曲家であり、シュリー館の音楽会における曲目として相応しいものだ。

それにしてもこの17巻のディスクは、演奏がひときわ素晴らしい。パイヤール指揮によるパイヤール室内管の全盛期ともいうべき時期の録音であり、そのアンサンブルの甘美な色彩感、そしてその麗しいまでの旋律美の醸しだす音楽の優雅な佇まいが最高だ。

シャルパンティエにしろクープランにしろ、今日においては当然ながら古楽器オーケストラによる演奏が一般的に定着しているが、このパイヤール室内管の演奏はもちろん演奏様式がそれらとは大きく異なっている。どちらがいいかは別にしても、とにかく聴いていて新鮮なのは、この録音年代の古いパイヤール盤の方で、全編に上質なエレガンシーが充溢する夢のような演奏だ。

空想の音楽会・第18巻「ラ・マルメゾン宮における皇后のための音楽会」
 リリー・ラスキーヌ(harp)、ベルナール・クルイセン(br)、ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(pf)
 エラート 1966年 WPCS-5878

収録曲はダルヴィマール、ジャダン兄弟、ボワエルデュといった、ジョゼフィーヌ・ド・ボーアルネ(ナポレオンの妃)ゆかりの作曲家の室内楽作品で構成されている。ラ・マルメゾン宮はジョゼフィーヌ皇后の居城であり、その音楽サロンにおいて催された音楽会を想定しての作品構成ということになる。

このディスクでの使用楽器はハープ、フォルテピアノの2種のみで、それにバリトン歌唱による歌曲が加わる。いずれの曲もかなりロマンティックなもので、時に乙女チックなほど。とにかく甘い。雰囲気的には、第4巻のマリー・アントワネット王妃のための音楽会のそれに近い感じだが、あれに輪をかけて甘い。

まさにサロン音楽であり、深みという点では、同時代のベートーヴェンなどの足元にも及ばないとしても、心地良さの限りであり、この怒涛の時代の音楽の優雅な横顔が、かえって新鮮でさえある。L-E.ジャダン、およびフランソワ=アドリアン・ボワエルデュによる、ハープとフォルテピアノの二重奏の掛け合いの奏でる音色のエレガントなこと!

空想の音楽会・第19巻「ランスの大聖堂における音楽の5世紀」
 ジャック・シャイエ他/パイヤール室内管、シャンパーニュ合唱団、ランス大聖堂聖歌隊
 エラート 1965年 WPCS-5879

収録曲は@ジョスカン・デ・プレ「ルイ12世の戴冠式のためのファンファーレ」Aマショー「モテット・祝せされた処女」Bコルディエ「グローリア」Cコセ「4声部のミサ曲・主にむかって歌え」Dアルドゥアン「マニフィカト」Eグリニー「讃歌・創り主きたりたまえ」。A〜Eはすべてランス大聖堂ゆかりの作曲家による作品群で、@は、同大聖堂におけるフランス国王の戴冠式にて奏されたと目される作品。

タイトルにある「音楽の5世紀」の示すように、このディスクではギヨーム・ド・マショー(14世紀)からアンリ・アルドゥアン(18世紀)に到るまでの5世紀もの年代に及ぶ作品群がプログラムされているのが特徴だ。ちなみにボード・コルディエは15世紀初頭、フランソワ・コセとニコラ・ド・グリニーは17世紀の作曲家で、ジョスカンの戴冠式のための作品は1498年の作。

まさにこの大聖堂における大いなる時間の流れが息づくような内容であり、聴いていて音楽の歴史の壮大な歩みとロマンを実感させられるようだ。

空想の音楽会・第20巻「ヴェニス、サン=マルコ大聖堂の礼拝堂における音楽会」
 ティト・ゴッティ/ボローニャ市立歌劇場管弦楽団
 エラート 1965年 WPCS-5880

収録曲は@G.ガブリエリ「カンツォン第17番、第9旋法のカンツォン、カンツォン第8番」Aトロフェオ「カンツォン第19番」Bグリッロ「エコーのカンツォン、カンツォン第2番」CG.ガブリエリ「第7、第8旋法のカンツォン」Dヴィヴァルディ「協奏曲イ長調P.226」Eカヴァッリ「10声のソナタ、12声のソナタ」Fカルダーラ「ソナタ」。

これまで一貫的にフランスを舞台に繰り広げられた「空想の音楽会」シリーズだが、この第20巻以降はフランス以外が 舞台となり、22巻まではイタリアとなる。今回はヴェニスのサン=マルコ大聖堂がテーマで、年代的には16世紀後半 から17世紀にかけての、いわゆるヴェネチア楽派と呼ばれる作曲家の曲目が中心となっているが、ヴィヴァルディと カルダーラは18世紀初頭に活躍した、ヴェネチアゆかりの作曲家だ。

曲目のほとんどが器楽によるカンツォン、つまり カンツォーナで占められていて、いかにもイタリア、ヴェニスという雰囲気が漂う。ただ、現在のサン=マルコ大聖堂は オルガンを欠いているため、収録場所はボローニャの聖ベトロニオ大聖堂とされている。そのためか、オーケストラは ボローニャ市立歌劇場管で、パイヤール管と比べると音色の冴えがやや落ちる感もあるものの、大らかな旋律展開が 印象的な、その歌心に満ちた演奏は聴いていてすこぶる心地いい。

空想の音楽会・第21巻「ボローニャ、サン=ペトローニョの大聖堂における音楽会」
 ティト・ゴッティ/ボローニャ市立歌劇場管弦楽団ほか
 エラート 1965年 WPCS-5881

収録曲は@カッツァーティ 5声部のソナタ「ラ・ビアンキーナ」Aコロンナ モテット「おおいとも輝かしい日」Bヴィターリ(伝) シンフォニアCトレッリ 4声部の協奏曲Dペルティ アリア「もしも美しい人たちが」ED.ガブリエリ 4声と5声部のソナタFペルティ アリア「この世の海は立ちさわぎ」。いずれの作曲家もボローニャゆかりの面々で、時期的には17世紀中葉から18世紀初頭あたりになる。

この第21巻の演奏は実に素晴らしく、「空想の音楽会」全30巻の中においても1・2を争うほどの水準だと思う。@のトランペット・ソロの爽快なこと! ソリストは名手モーリス・アンドレであり、BとEでもソロを吹いているが、いずれもバツグンだ。さらに素晴らしいのは2人のソプラノで、若き日のミレッラ・フレーニがAとFを歌い、稀代の名ソプラノ、レリ・グリストがDを歌うという豪華さ。

グリストは録音が少ないので貴重だし、歌唱も持ち前の可憐を極めたような美声の名唱だ。もちろんフレーニの清廉な美唱もいい。オーケストラも20巻(ヴェニス)の時より全体に音色の冴えとうるおいが一段勝っている感じがあり、まさにイタリア・バロックを聴く愉悦味が全編に充溢する内容だ。

空想の音楽会・第22巻「マントヴァの公爵の館における舞踏音楽会」
 クラウディオ・ガッリコ/ヌオーヴォ・コンチェルト・イタリアーノ
 エラート 1965年 WPCS-5882

収録曲はモンテヴェルディ「音楽の諧謔」第1巻。「マントヴァの公爵の館における舞踏音楽会」というと、ヴェルディのオペラ「リゴレット」の冒頭での乱痴気騒ぎがどうも思い浮かんでしまうのだが、ここではヴェルディではもちろんなく、マントヴァゆかりのモンテヴェルディの音楽で占められている。

1590年にマントヴァの宮廷音楽家に就任したモンテヴェルディはマントヴァ時代に「オルフェオ」などの音楽史に残る名作を生み出しているが、この「音楽の諧謔」もそのひとつで、「オルフェオ」初演と同年の1608年に出版されている。宮廷で演奏されることを想定した優雅な音楽だが、同じ宮廷音楽でも、ブルボン王朝のそれ(空想の音楽会・第2巻など)と比べると、一段と芸術的な印象が強い。天才モンテヴェルディの残した、美を極めたような名品がここにある。

演奏も、オーソドックスな練り上げから作品の美しさを誠実に汲み上げ、聴いていて過不足感はない。ただ、モンテヴェルディほどのクラスになると、現在の古楽器演奏を含む演奏水準からすると、音色の強さやメリハリという点でいささか聴き劣る感じがするのは否めないところか。

空想の音楽会・第23巻「ポツダムのサン=スーシ宮における音楽会」
 マクサンス・ラリュー四重奏団
 エラート 1965年 WPCS-5883

収録曲は@C.P.E.バッハ フルート、オーボエ、チェロとチェンバロのための四重奏団変ロ長調Aフリードリヒ大王 フルートと通奏低音のためのソナタ ニ短調Bクヴァンツ フルート、オーボエ、チェロとチェンバロのための四重奏団 ニ長調Cブラジェ フルートとオーボエのためのソナタホ短調Dグラウン フルート、オーボエ、チェロとチェンバロのための四重奏団ヘ長調。

ポツダムのサン=スーシ宮は1940年に王位についたプロシア王フリードリヒ2世の宮殿。国王でありながら音楽狂とも言われるほどの音楽愛好家であり、自身も作曲家であったフリードリヒ大王の宮殿の夜会にて開催された往時の音楽会の様相が偲ばれるディスクだ。

フリードリヒ大王は、一般には大バッハ作曲の「音楽の捧げもの」のエピソードで有名であり、当時ポツダムに招かれた大バッハが、そのもてなしの返礼として、大王から与えられた主題をもとに「音楽の捧げもの」を作曲し、文字通り大王への捧げものとした。またフリードリヒ大王以外の4人の作曲家はいずれも宮廷お抱えの音楽家であり、とくにBのヨハン・ヨアヒム・クヴァンツはフリードリヒの音楽の師として知られている。

5人の中で、作曲家として最も有名なのは何と言っても大バッハの次男、C.P.E.バッハだろう。音楽的にもひときわ傑出的だ。マクサンス・ラリュー四重奏団の演奏はいずれも名演。今日のシャープなスタイルの演奏からすると様式的には穏健ではあるものの、音色のコクと深みが素晴らしい。

空想の音楽会・第24巻「ハンブルクの大聖堂における宗教音楽会」
 カール・リステンパルト/ザール放送室内管ほか
 エラート 1966年 WPCS-5884

収録曲はすべてテレマンの宗教曲。サンクトゥスに始まり、2つのカンタータ「われいずこに逃れゆかん」、「いと高き神にのみ栄光あれ」を中心に構成され、途中にオルガンのためのコラール2曲と、オルガンのための幻想曲が挿入されている。

ライプツィヒのバッハに対し、ハンブルクのテレマンとしばしば対比されて言われるように、1721年にハンブルクの都市音楽監督に任命されたテレマンは、このプロテスタント都市の音楽的隆盛に絶大な貢献を果たしたとされている。テレマンの作風は、カンタータにしろオルガン曲にしろ、同時代のバッハに比べて明らかに親しみやすく、市井普及性という観点ではバッハを凌いでいたことは想像に難くない。反面、音楽としての内的充実感の観点では、バッハに一歩及ばずという感があり、バッハのような、実用性を超越した芸術的な凄みがいまひとつ弱い。

だが、そのなだらかな旋律起伏や和声展開の美しさは、聴いているうちに音楽的感銘が徐々に増幅されていくのも確かで、やはり大作曲家の非凡な才というべきものだろうか。演奏は声楽も含めて様式的に特にクセのないストレートなもので、テレマンの音楽の美感が素直に表現された好演だ。

空想の音楽会・第25巻「ウィーンの王宮における皇帝の音楽会」
 グシュルバウアー/ウィーン・バロック合奏団、ロートラウト・ハンスマン(sop)ほか
 エラート 1964年 WPCS-5885

収録曲は@シュメルツァー 弦楽オーケストラのためのセレナータAレオポルド1世 歌劇「アデライデ」より2つの アリアBムファート 協奏曲第4番「甘き夢」Cヨーゼフ1世 天の元后Dチェスティ 歌劇「黄金のリンゴ」より ソナタとリトルネッロ。

この巻では17世紀後半を舞台とするウィーンの皇宮での仮想音楽会が想定されている。 タイトルにある「皇帝」というのは時の神聖ローマ帝国の皇帝レオポルド1世(A)と、その息子である次期皇帝 ヨーゼフ1世(C)を指したものであり、いずれも皇帝にして作曲家としての名声をも後世に残している。

@のヨハン・ハインリヒ・シュメルツァーとBのゲオルク・ムファートはいずれもウィーンゆかりの作曲家で、Dの マルカントニオ・チェスティは、ウィーンと直接の関係はないが、そのオペラ「黄金のリンゴ」が、1667年に 前述のレオポルド1世の婚礼の際の祝賀演目として上演された経緯があるため、ここで取り上げられている。

いずれの曲も往時の音楽都市ウィーンの芳香をまとった名品。演奏もよく、後年モーツァルト演奏でブレイクすることになる グシュルバウアーの指揮に充実感があるし、ソプラノや器楽ソロも軒並みいい。Cでは、後年結成されるアルバン・ベルク四重奏団のセカンドヴァイオリン奏者トーマス・カクシュカがヴァイオリン・ソロを弾いている。

空想の音楽会・第26巻「ザルツブルク、ミラベル宮におけるモーツァルト音楽会」
 カール・リステンパルト/ザール放送室内管ほか
 エラート 1966年 WPCS-5886

収録曲は@ビーバー 夜警のセレナードAムファット 2つのヴァイオリン、チェロ、弦楽合奏と通奏低音のための 協奏曲第11番Bカルダーラ 弦楽と通奏低音のためのトリオ・ソナタロ短調Cモーツァルト ヴァイオリンと管弦楽の ためのアダージョK.261DL.モーツァルト 弦楽と通奏低音のための交響曲ト長調EM.ハイドン 交響曲ハ長調。

アマデウスとその父レオポルド・モーツァルトを含むここでの6人の作曲家はすべてザルツブルクゆかりの作曲家で あり、@のハインリッヒ・イグナーツ・ビーバーとAのゲオルク・ムファットは17世紀中葉に、Bのアントニオ・ カルダーラは18世紀初頭に、いずれもザルツブルク大司教に仕えた音楽家として知られる。

いずれも名曲だが、なかでも@は印象的だ。弦楽合奏とバス独唱というユニークな形態の作品で、バス独唱が夜警さながらに夜の家々に向かって火の始末を呼びかける。聴いていて17世紀のザルツブルクの生活感をも伝わってくるような感じがする。Cのアマデウスの曲はザルツブルク時代の1776年に作曲されたもので、当時20歳ながらもそのメロディには既に天性の魅力に満ち、それは全6曲中においてもひときわ輝いている。演奏も全体にまずまずの美演だ。 

空想の音楽会・第27巻「シェーンブルン宮における皇帝の音楽会」
 グシュルバウアー/ウィーン・バロック合奏団ほか
 エラート 1965年 WPCS-5887

収録曲は@ロイター 食卓のもてなしAモン 交響曲変ホ長調Bヴァーゲンザイル 交響曲ニ長調Cフックス 組曲 第5番ハ長調Dホルツバウアー フルート協奏曲ニ長調。

この第27巻は、コンセプト的には第25巻の「ウィーンの王宮における皇帝の音楽会」に近いが、25巻が主に17世紀後半を舞台とするウィーンだったのに対し、こちらは主に18世紀中葉を舞台とするウィーンとなっている。Cのフックス以外の4人はだいたい女帝マリア・テレジア治世の時代に活躍した作曲家であり、ハイドン・モーツァルトのいわゆるウィーン古典派の時代の直前期ということになる。

このうち@のカール・ゲオルク・フォン・ロイターとBのゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイルはマリア・テレジア に仕えた宮廷音楽家であり、往時のシェーンブルン宮の栄華を偲ばせる華やかな曲だ。ことに印象深いのは@で、これは いわゆるターフェルムジークだが、中間のラルゲットでの、トランペット・ソロの優雅なこと! 演奏はやはり25巻と 同様グシュルバウアーとウィーン・バロック合奏団がつとめているが、いずれも名演。Dのフルート・ソロを吹いている のはジャン=ピエール・ランパルだ。

空想の音楽会・第28巻「ブリュッセル、シャルル・ドゥ・ロレーヌの宮廷における音楽会」
 ジェリー・ルメール/リエージュ合奏団ほか
 エラート 1966年 WPCS-5888

収録曲は@ファン・ヘルモント 2群のオーケストラのための序曲ニ長調Aドゥ・クルース フルート、ヴァイオリンと 弦楽合奏のための協奏曲第6番変ロ長調Bグレトリー 舞踏組曲「セフィールとプロクリス」Cファン・マルデレ 交響曲変ロ長調。

第28巻の舞台はベルギーのブリュッセルであり、時代としては18世紀中葉のハプスブルク帝国の支配期にあたる。タイトルにあるシャルル・ドゥ・ロレーヌは当時の女帝マリア・テレジアの義弟であり、ブリュッセル地方の統治を任じられている。そのロレーヌ治下のブリュッセルは文化的な隆盛を迎えることになり、ここでの4人の作曲家のうち、Bのグレトリーを除く3人は当時のブリュッセルを舞台に活躍した作曲家として知られている。

とはいえ、やはりベルギーは当時のフランス、イタリア、オーストリアといったあたりの音楽的な繁栄ぶりからすると、 やはり辺境という位置づけは免れないところであり、ここでの4曲の作品においても、ヴィヴァルディ的なイタリア 様式、あるいはマンハイム楽派というあたりからの、かなり明瞭な影響ぶりが伺われ、ベルギーの音楽様式としての オリジナリティという点では、全体に希薄といわざるを得ないところか。

リエージュ合奏団の演奏はアンサンブルの切れがややボッタリしていて響きにも野暮ったさが付随するが、音色の強さとヴァイタリティに優越味が感じられる。

空想の音楽会・第29巻「ハーグのリッダーザールにおける音楽会」
 ソナタ・ダ・カメラ&プレイエル四重奏団ほか
 エラート 1966年 WPCS-5889

収録曲は@ドゥ・ヴァワ 「私には避けられない」による変奏曲Aハッカルド 4声部のソナタ第8番ホ短調Bウィッテンベルク 2つのヴァイオリンのための二重奏曲ト短調Cシュヴィンドル 四重奏曲ハ長調Dブランケンブルク カンタータ「女たちの弁明」Eグラーフ 3声部のソナタ・イ長調&四重奏曲ニ短調。

本巻の舞台はオランダで、17世紀初頭から18世紀終盤あたりまでのハーグ、リッダーザールの宮廷における音楽会が想定されている。ハーグは1581年のオランダ連邦共和国独立以後の政治的中心地であり、オランダ提督ウィレム1世の治世を契機に華やかな宮廷文化が花開き、音楽活動も同宮廷において盛んに行われることとなった。

ここでの6人の作曲家はすべてリッダーザールの宮廷音楽家など、ハーグゆかりの面々であり、作品も宮廷音楽的な華やいだものが多いが、それでいてそれぞれに独特の個性的魅力が充溢する名品ばかりだ。@のカリオン独奏曲からして独特を極めるし、A、B、Cの器楽曲も、例えば前巻のベルギー、ブリュッセルの宮廷音楽と引き比べてみても、楽想の魅惑感がより強い感じがする。

ソナタ・ダ・カメラとプレイエル四重奏団の演奏も非常にいい。Dのバリトン独唱を伴うカンタータの、メロディの 伸びやかなこと。Eのクリスティアン・エルンスト・グラーフはモーツァルトの伝記にも名が残されている。1765年 にモーツァルトがハーグに楽旅した際の共演相手であり、さらにモーツァルトはその翌年、グラーフのオランダ歌曲に 基づく変奏曲K.24を作曲している。

空想の音楽会・第30巻「ロンドン、ウェストミンスター・アベイにおける国王のための音楽会」
  デイビッド・ウィルコックス/イギリス室内管、ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団
  エラート ?年 WPCS-5890

収録曲はヘンデル「ジョージ2世とキャロライン王妃の戴冠式のための4つのアンセム」。いわゆる戴冠式アンセムと して知られる作品だ。

空想の音楽会・最終巻を飾る舞台はイギリス・ロンドンのウェストミンスター大聖堂であり、同大聖堂において1727年にとり行われたイギリス国王ジョージ2世の戴冠式の際に演奏されたアンセム(讃歌)が収録されている。このアンセムはヘンデルの練達した声楽テクスチャの魅力の充溢する名曲であり、後年に作曲される有名な「メサイア」の原型とも言える作品。4つのパートからなるが、この4パートが実際どのような順序で奏されたかには諸説あり、このディスクでの演奏順序は、聖油式→国王宣誓→王妃戴冠→国王承認というようになっている。

演奏内容に関しては不満はないのだが、このディスクの選曲構想には少し異議ありだ。ヘンデルがロンドンゆかりの 作曲家であることは論を待たないとしても、ロンドンほどの歴史的大都市でありながら、収録がこの戴冠式アンセムのみというのはちょっと寂しいものがある(収録タイムもジャスト40分と、全30巻の中でも飛び抜けて短い)。イギリスといえばバード、ダウランド、あるいはロンドン生まれのパーセルといったあたりの作曲家も採り上げられて然るべきと思われるし、最終巻であるだけに、ちょっと肩透かしという印象も残ってしまう。

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