全国秘湯巡り・信州
下諏訪温泉公衆浴場巡り
第1日目 横浜→下諏訪温泉
第2日目 下諏訪温泉→上諏訪温泉→新宿
第1日目
● 下諏訪温泉
(中山道と甲州街道の合流点銘板)
下諏訪は中山道の宿場町で、中山道と旧甲州道中との合流点で、諏訪大社(下社)の町として有名だが、意外に知られていないのが、温泉を泉源とした公衆浴場が発達した町であるということ。
一時期は十指を越えた公衆浴場があったが、現在は九ヶ所の公衆浴場が営業している。
これらの公衆浴場の大半が午前5時30分から夜の9時、10時まで営業しているということも他の都市では考えられない事実で、公衆浴場(共同浴場)ファンには嬉しい限りである。
また、横浜発松本行きの「はまかいじ」も健在で、新宿発のあずさに頼らなくても中央本線に乗ることができる。
2009年夏は不況の影響もあり、JR東日本が「ツーデーパス」という切符を新発売した。
週末と連休などの二日間通用する近場の切符だが、中央本線は下諏訪までが範囲で、大人の休日ジパングだとなんと\3500の安さ。
前々から行きたかった下諏訪温泉の公衆浴場巡りはこうして実現した。
はまかいじ号は八王子まではのろのろ運転だが八王子を過ぎると急に特急らしくなる。
甲州のぶどう郷を過ぎると、山合いにさしかかり、狭い田んぼは黄金色の稲穂と白い花のそば畑に変わった。
上諏訪から諏訪湖が望遠されると下諏訪はすぐだった。
(横浜駅のはまかいじ) |
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(下諏訪駅の御柱) |
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下諏訪駅の一番線ホームには御柱が横たわっていた。
駅前のタクシーに乗って、宿の「うらかめや」経由で毒沢温泉に向かう。
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● 毒沢温泉へ
下諏訪温泉の湯巡りをする際、先ず忘れてはならないのが下諏訪の郊外にある毒沢温泉の入浴。
毒沢温泉は武田信玄の隠し湯ともいわれ、薬効が高いお湯として有名だが、なんといっても源泉は摂氏2度の冷泉なのに、入浴のため加熱するとまっ茶色の濁り湯になるという不可思議さで、実際に入ってみると透明度は10センチも無い。
毒沢温泉には三軒の宿があり、上から神の湯、沢乃湯、宮乃湯と点在しているが、この日タクシーで駆けつけると一番上の神の湯は 「日帰り入浴受付が午後3時から」 と張り紙があり、真ん中の沢乃湯に戻って入れてもらうことにした。
● 最初は毒沢温泉・沢乃湯
ところが、沢乃湯の玄関ではどう声を掛けても誰も現れない。
たまたま、クロネコの宅配便が荷物を届けにきて、ケータイで電話を入れているのだがこれにも応答がない。
いろいろ考えたが、お湯に入って居る間に戻ってくるかもしれないと、家人共々廊下の案内板に従って浴室に行きお湯を使わせてもらった。
(毒沢温泉・沢乃湯) |
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(沢乃湯浴槽) |
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(飲用冷泉) |
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お湯はぬるめのしっとりとした浴感で、浴槽に浸かって自分の手を見ても透明度は5センチぐらいだろうか?。
ケロリンの洗面器に汲んだお湯ももちろん底が見えず、タオルが真っ茶色になってしまう。
傍らの冷泉をコップで飲んでみると、口に含んだときはさわやかなレモン味だが、飲み込んだ後は何とも後口が悪く、たくさんは飲めなかった。
宿の人が戻るまでと長湯をして玄関に出てみたがやはり無人なので、メモを添えて入用料金を二人分置き、表に出た。
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● 毒沢温泉・宮乃湯
宮乃湯は沢乃湯から5〜6分下ったところにある。
毒沢温泉の三軒の宿の中では、一番下諏訪寄りの手前である。
操業も一番古い。
近年改装したらしくバリアフリーの宿と看板が出ている。
日帰り温泉を頼むと、おかみさんらしき人が案内してくれて電灯をつけてくれた。
(毒沢温泉・宮乃湯) |
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(宮乃湯浴槽) |
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(飲用冷泉) |
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二つあるという浴室の内、檜の湯は脱衣場、浴室ともにきれいに改装されており、身体の不自由な人への配慮が十分である。
浴室はカランにシャワーもついており、サウナ風呂もある。
ただ、残念ながらお湯は加水され、かなり薄まって透明度が高い。有りがたみが若干落ちる。
源泉槽にはちょろちょろと冷泉が流れ込み、こちらは酸っぱいレモン味。
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● 下諏訪での昼食は?
玄関にあった電話でタクシーを呼び下諏訪の諏訪大社(下社)前まで戻った。
昼食のお奨めは信州そばの山猫亭か医者が始めた萩月庵とのこと。
ただ、奨めてくれた運転手さんはどちらも入ったことはないという。
両店とも覗いてみたが山猫亭は非常に混雑して長く待たなければならないこと、萩月庵はエントランスの苔泉亭がやけに気取っていてそば屋らしくなく価格もひろさんの身分には不相応の気がして止めにし、山猫亭の数軒隣の立ち食いそば「しぶや」に入った。
(立喰そば しぶや) |
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(天ぷらそば ¥500) |
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(玉子そば ¥500) |
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店内にはテーブル二卓に椅子が八脚あり、もちろん立食いのスタンドもある。
そばをつくる方法は駅のホームのそば屋の形式で、味も駅のそばに似ている。
ほとんど待たずにそばが出てきて、一人でやっているおばちゃんに公衆浴場の情報などを仕入れた。
結果的にはこのお店が正解だったようで、山猫亭や萩月庵の三分の一の価格でまあまあの昼食だった。
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● 菅野温泉
菅野温泉は大社通りをわずかに下ったところにある。
大社通りに看板が出ているが、第三区事務所と書かれた建物の中程なのでこの建物のひさしの中を入る。
入ると、番台があり、前室があり、脱衣場があり浴室がありと非常に広い。
昭和の銭湯の典型のような形態がそのまま生きている。
(菅野温泉) |
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(菅野温泉男性浴槽) |
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(菅野温泉脱衣場) |
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タイル張り浴室の中央に楕円形の浴槽があり、その中央の円形の湯口から源泉があふれる。
壁のタイルの絵は何処か外国の湖畔の風景?らしい。
若干ぬるすべ感のあるお湯は適温のナトリウム・カルシウム−硫酸塩・塩化物泉(アルカリ性低張性高温泉)で、無色透明、ほのかな硫黄臭がする。
なめるとわずかな苦塩味。
まあ、最高の演出ですね。
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● 矢木温泉
家人とはここで別れて、家人はオルゴール博物館や民俗資料館の見学に向かい、ひろさんは中山道を歩いて矢木温泉へ向かった。
矢木温泉は大社通りと大門通の交差点脇にあった。
(矢木温泉) |
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(矢木温泉男性浴槽) |
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(矢木温泉脱衣場) |
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矢木温泉は独立した木造一階建ての建物で、「中山道/下之諏訪宿/矢木之湯」と掲示板に看板が打ち付けられていた。
公衆浴場としての規模は菅野温泉やや小振りだがそれでも結構な大きさの共同風呂で、タイル張りの四角い浴槽の上には海岸の風景が描かれていた。
適温のお湯は無色透明、ほとんど無味で、若干のぬるすべ感が感じられる。
減船は旦過源泉1号2号の混合泉とある。
この日のお湯は壁の温度計が42度丁度を指していて、いつもよりぬるめとのこと。
矢木温泉の掲示板は玄関から外に出た目立たない場所にあった。
入浴券販売店は京屋衣料店と竹花菓子店とあったので、中山道に面した竹花菓子店に入った。
(矢木温泉の掲示板)
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● 竹花菓子店
竹花菓子店では、いくつかの種類の饅頭と塩竃などを買った。
応対してくれたおかみさんにいろいろと土地の話を伺った。
(竹花菓子店) |
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(ごま味噌まんじゅう ¥80) |
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(えんどう万十 ¥90) |
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店内には何枚か全国菓子大博覧会褒賞之証が飾られまた別の場所にはお目出度い砂糖菓子の型がいくつも展示されていた。
(第十八回全国菓子大博覧会褒賞之証) |
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(砂糖菓子の型) |
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おかみさんの案内通りの道をたどって、新湯に向かった。
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● 新湯
新湯は中央通りに面したこぢんまりした公衆浴場。
券売機で入浴券を購入して番台に出す。
先客は4〜5人。
脱衣場もこぢんまりしているが、浴室はやや広く、タイル張りの浴槽は変形の半円で、カランはシャワー付きで突き当たりと右側サイドとで狭いながらも合計6カ所あり、入っている人が交互に背中を流し合っていた。
写真を撮る了解をとってレンズを拭きながら撮影していると、一人がひろさんの入浴図を撮ってくれるという。
壁のタイル絵は富士山。湯口はライオンの頭部で、こういう雰囲気はなかなか捨てがたい。
お湯は旦過源泉一号と二号の混合泉で、浴槽内は適温。
みなさん、今日はぬるい、今日はぬるいとこぼしていたが、部外者には適温の42度でした。
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● 旦過の湯
新湯を出て中央通りを中山道方面に歩き、旧中山道の角を左折するとすぐに旦過の湯がある。
浴場のサイズは新湯と同じ位か?。
旦過の湯は熱いといろいろ聞かされていたが、券売機で入浴券を買い番台に出したら熱いですよと念を押された。
先客は二人。
こぢんまりした脱衣場に一人あがってきて、熱くて入れなかったとこぼしていた。
もう一人は地元の人で、奥の洗い場で身体を洗っていた。
タイル張りの浴槽は女湯側の壁に沿って細長く、二つに仕切られ、奥の浴槽に源泉が流入していた。
地元の人に手前の方がぬるめかどうか聞いたらそうだというので勇を鼓して入ってみる。
確かに熱い。ようやく20数えて出ると身体が真っ赤になっていた。
入ってみるとどうということは無いわねと言われたがやはり熱い。
身体を冷ます間に写真を撮る。
タイル絵は天女の舞?。源泉の湯口はライオン?。
(旦過の湯のタイル絵)
身体が冷めたので、奥の浴槽にトライをした。
10 ほど数えて出たが、再び身体が真っ赤になった。
脱衣場に居た人がまだ待っていてくれて四方山話をした。
岐阜から来て公衆浴場巡りをしているとのこと。
二人で外に出た。 岐阜から来た人は旧中山道散策に向かい、ひろさんは宿の「うらかめや」に戻った。
家人はまだ戻っていなかった。
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● 湖畔の湯
夕暮れまでに時間があったので湖畔の湯とみなみ温泉に入りに行くことにした。
計画では、翌日入っても良いと思う温泉はこの二湯と児湯だが、湖畔の湯もみなみ湯もやや距離があるのでこの日に入っておけば明日が楽になる。
諏訪大社の境内の入り口広場で客待ちしているタクシーに乗り込んで湖畔の湯に向かった。
JRの線路をくぐってしばらく行き左折したら湖畔の湯の前だった。
湖畔の湯は比較的大きな公衆浴場で、地元の人だけでなく観光客も多い。
脱衣場は脱衣用の木の棚とコインロッカーの両方がある。
浴室も大きく、半楕円形の浴室の中央には円柱がある。
浴室の左右にはカランが並ぶ。
お湯は適温だったが、若干カルキ臭があり、循環使用だとわかった。
マイルドなお湯なので残念な気がした。
大きな浴槽では掛け流しは無理だろう。
露天風呂は4人程が入っていて満員だったので写真撮影はできなかった。
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● みなみ温泉
湖畔の湯を出て歩いてみなみ湯に向かった。
下諏訪の観光案内図はわかりやすく道路も正確なのでみなみ温泉はすぐに見つかった。
温泉のたたずまいや内部の様子は昭和のイメージがよく残されていた。
脱衣場には木の棚と籐製の籠があり、浴室と浴槽はタイル張り。
浴槽は円形で、真ん中から湯口がつきだしている。
菅野温泉と同じようなデザイン。
高木源泉からの引き湯とあり、源泉は単純泉で泉温は59.5度。
加水のためか浴感は適温。
円形の浴槽は深めで、縁にステップと腰掛けのための段があり、何人か入ると自然に向き合って話し合うことになる。
宿泊場所を尋ねられたので「うらかめや」と答えたら、その近くからこのお湯に毎日通っているという人が居た。
その人曰く、好みは児湯なのだが、源泉が枯れその次がこのみなみ温泉(高木源泉)なのでよく来るとのこと。
のんびりと歩いてうらかめやに戻った。みなみ温泉とうらかめやの距離は徒歩10分ほど。?
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● うらかめや(旅館)
うらかめやの場所は、遊泉ハウス児湯と路地一本隔てた隣なのでわかりやすい。
近くに本陣跡があり、その奥に「聴泉閣かめや」がある。
聴泉閣かめやは本陣の宿として名が高い。
うらかめやはその裏側に当たるからか?あるいはかめやと何かつながりがあるのか?。
(うらかめや)
さすがに、うらかめやに戻っても温泉に入る気がしなかったので、入浴は明朝にまわして夕食まで休息した。
夕食は宿泊費の割には豪勢だと思った。
さらに安くして品数が減ればもっともっと満足なのだが・・・。
(季節の彩り) |
(鯉の洗い) |
(鮎の塩焼きと松茸) |
(地鶏のキノコ鍋) |
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(麩饅頭の餡かけ) |
(りんごの中にグラタン) |
(土瓶蒸し) |
(茶碗蒸し) |
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この他に、味噌汁、野沢菜の漬け物と、赤ジソのジュースとかデザートのりんごとかがあった。
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第2日目
● うらかめやの温泉
朝起きぬけにうらかめやの温泉に入った。
お風呂場は4階で、内湯の外のベランダに木製の桶の露天風呂がある。
内湯の浴室の床の一部は畳で、浴槽はタイル張りと黒御影石の縁取り。
(脱衣場) |
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(内湯浴槽) |
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(バルコニーの露天風呂) |
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(諏訪湖が見える) |
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うらかめやの源泉は綿源泉。
やわらかなお湯で、肌がつるつるする。
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朝食の後、隣の遊泉ハウス児湯に行った。
● 遊泉ハウス児湯
うらかめやと同じ下諏訪財産区なので、無料の入浴券をもらい児湯の受付に渡した。
児湯は大混雑だった。
特に朝と夕刻が混むという。
大浴場は四角い浴槽を二つつなげたような感じ。
大浴場の撮影許可は入っている主な人から難なく取れたが、なかなかうまい撮影チャンスが少なかった。
身体が冷えたので、浴槽に浸かった。
お湯は熱めの適温で、キシキシと肌に浸透する感じ。
入っていると肌がすべすべになる。
大浴場の手前に打たせ湯。ここはややぬるめ。
露天風呂もあったが満員状態で入れなかった。
児湯は公衆浴場としては設備が整い、下諏訪町民の評判も良いようだ。
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うらかめやに戻って朝食。
● 諏訪大社下社秋宮
朝食後、諏訪大社下社秋宮をお参りする。
境内中央にある神楽殿は国の重要文化財に指定されている。
(大鳥居) |
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(神楽殿−国指定重要文化財) |
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官幣拝殿は工事中でその傍らに御柱が建てられていた。
御柱祭は7年に一度、樹齢200年ほどの樅の木を山から引き出し、諏訪大社の上社、下社それぞれの春宮と秋宮の神殿の四隅に建てる行事で、諏訪大社の最大の行事の一つといわれる。 この行事が勇壮なことはマスコミなどでよく知られている。
次の造営は平成22年の4月〜5月(下社の場合)とのこと。
(御神湯) |
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(御柱) |
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(御柱造営寄進依頼の看板)
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● 中山道に残る宿場町の面影
下諏訪の街並みには中山道の古い面影がいくつか残っている。
(下諏訪宿本陣) |
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(歴史民俗資料館) |
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(歴史民俗資料館裏側) |
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(右甲州道、左中山道) |
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(高札場跡の銘板)
(高札の一例)
この高札の文を書いてみると、
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『 定
きりしたん宗門の累年御禁制
たり、自然不審成ものこれありは
申出べし、御ほうびとして、
ばてれんの訴人 銀五百枚
いるまんの訴人 銀三百枚、
立かへり者の訴人 同断
同宿拝宗門の訴人 銀百枚
右之通下さるへし・・・
正徳元年五月
奉行 』 |
「ばてれん」とは神父、「いるまん」とは修道士、「立かへる者」とは戻り信者のこと?
こうした歴史の断片を垣間見るのは何とも楽しい。
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宿に戻って、チェックアウトをして、荷物をもって歩いて下諏訪駅に向かった。
● 田村商店で玉井フルーツのほしあんずを買う
大社通りを駅入り口の交差点で左折すると正面が下諏訪駅。
この駅前通りへ曲がったところに八百屋があり、干し杏を売っていた。
(田村商店の店先) |
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(田村さん) |
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このお店が何ともおおらかで、お店番がいない。いないときには呼び鈴を押すようにと書いてあり、呼び鈴を押すと隣家の二階から田村さんが出てきて対応してくれた。
ほしあんずとみすず飴を買う。
(ほしあんず) |
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(玉井フルーツのラベル) |
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ほしあんずは砂糖煮の杏を干したモノで、砂糖を若干足してよく煮るとジャムになった。信州の味がした。
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下諏訪駅まで数分だった。
普通列車に乗って一駅で上諏訪駅。
● 上諏訪温泉の間欠泉
上諏訪駅前の観光案内所に入ったら、10時に間欠泉が吹き出すから急いで諏訪湖畔に行くようにいわれた。
線路沿いに下諏訪方向に戻って、中央本線のガードをくぐり、諏訪湖畔にぶつかって右にちょっと行ったところに間欠泉センターがあり、その前に間欠泉の出る岩盤がある。
多くの人が間欠泉の穴を取り囲んで待っていた。
(上諏訪温泉の間欠泉)
10時少し過ぎに、蒸気だけ出ていた間欠泉の穴からお湯が噴き出し、一気に7〜8メートル以上の高さに達した。
10秒ほどで勢いがなくなり、ぱたりと止まった。
その後2回ほどお湯が飛び出したが、最初の高さまでは達しなかった。
間欠泉は本来自然現象なのだが、近年お湯の湧出量が減ったので間欠泉センターが岩盤に圧縮空気を送り、時間を決めて間欠泉を演出するようになったとのこと。
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● 諏訪湖畔の足湯と小石の通路
片倉館に入るため上諏訪駅方向に戻った。
湖畔に大型足湯があった。
また、足の裏を刺激するためコンクリートに小石を埋め込んだ手すり付きの歩道が設置され、靴を脱いでおっかなびっくり歩いて居る人が大勢いた。
(諏訪湖畔の足湯)
(諏訪湖畔の石の道)
諏訪市の市民に対する健康向上の施策は、数多くの非公開共同浴場(いわゆる「ジモ専」)に対する源泉の供給だけに止まらないことを知ってうれしかった。
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● 片倉館
片倉館は何回来てもすばらしい。
片倉館は片倉財閥の二代目の片倉兼太郎が大正末期に外遊して欧米の福祉施設に感銘を受け、帰国後、諏訪の市民の厚生施設として共同湯の建設を志し、財団法人を作って、昭和二年に着工し翌昭和三年に竣工したという。
設計は森山松之助。
(片倉館)
(千人風呂) |
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(二階の休憩室) |
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先ず、建物は大正ロマンを色濃く残しており、設計にも施工にも匠の技があふれている。
お風呂(千人風呂)は大理石でできていて、ヨーロッパの温泉風で、胸まである深さがたまらない。
底は黒い玉砂利で、砂利の感触が足の裏を刺激する。
千人風呂内の装飾もヨーロッパ風。
(千人風呂内の装飾1) |
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(千人風呂内の装飾2) |
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(千人風呂内の装飾3) |
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お湯を堪能して片倉館を後にする。 上諏訪駅まで徒歩5〜6分。
駅前の丸光百貨店で弁当と発泡酒を買い車窓の人となった。
新宿まで、居眠りするまもなく、順調に帰り着いた。
(若干の情報)
場所 | 電話 |
宮乃湯
| 0266-28-3888 |
うらかめや
| 0266-27-7121 |
片倉館
| 0266-27-7121 |
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