「天下統一」全大名制覇への道 (温候さん著)




コラム2.三国同盟について

 このソフトにおいては同盟関係は非常に重要である。特に、初期状態における同盟関係は10年先までの戦略状況を設定すると言っても過言ではない。

 なかでも重要なのが、武田・北条・今川の三国同盟である。この同盟関係の存在により、武田家は南北信濃、北条家は武蔵国から関東制覇、今川家は東海道を西進、この様に3家とも確実に発展していく事が運命付けられている訳だ。実際、制作段階でこの同盟関係の無いうちは、3家で潰しあって滅びてしまう事が多かったという。どうせ、上杉家にまとめて滅ぼされる事が多い事に変りはないが…

 ともかく、この影響をまともに受けてしまうのが、3家の進路に立たされる事になった大名家である。南北信濃の小笠原・村上、遠江・三河の飯尾・松平、武蔵の扇谷上杉、これらの大名家にとっては確実に序盤に襲って来る強敵の存在が非常に重くのしかかって来る。もっとも、史実においてはいずれも滅ぼされる(あるいは既に配下に付いている)勢力なのだから、シミュレーションとしては当然の事な訳だ。

 さて、史実においてもこの三国同盟は同様に機能していた。この同盟以後、3家が同時代の東国をリードする存在となった事はあまりにも有名な史実である。この同盟をまとめた中心人物は、今川家の軍師と言われる太原雪斎であろう。

 そもそも、武田晴信(信玄)が家督相続の際に行った父(信虎)の追放劇は明らかに今川家と示し合わせて行ったものであり、むしろ今川側が主導権を握っていたという可能性が充分にある。と言う事は、全ての筋書きを書いたのが雪斎だという事になろう。そして、対武田関係を盤石の物にした雪斎の次なる手が、武田を加えた三国同盟という形での対北条和平だったのであろう。北条側としても、武田・今川連合を敵に回す事は出来なかったであろうし。

 そして、武田は北へ、今川は西へ、北条は東へと進み、それぞれの方面での覇権を確立していく。言わば、戦国中期の関東・中部・東海の情勢は、全て雪斎により創り上げられたものだと言ってもよい。最終的には、今川家が上洛を果たして(管領として?)幕府を建て直し、その間の東国の情勢は北条・武田が安定させる。その様な構想があったのだろうか。少なくとも三国同盟が機能し続ける限りは、尼子勢力の台頭により中央の覇権を断念した大内義興の二の舞いは避けられる。

 しかし、雪斎にはそれを最後まで達成するだけの寿命が与えられていなかった。そして雪斎の死後、彼の築き上げた体制は崩壊していく。奇襲攻撃による今川義元の死と後継体制の混乱、それに伴い今川に代わって天下への野心を抱いた武田晴信の背信による三国同盟の崩壊、そして今川家を滅ぼした武田家もまた天下への野心により国力を消耗させてあっけなく滅びる。そして、今川家を救えず武田家を見殺しにした北条家は、彼等の変りに西側の盾として選んだ徳川家の裏切りによりあっけなく滅び去った。

 無論これらの事象には、織田信長と上杉謙信という2人の天才の存在が大きく影響している。しかし、全ては雪斎の死により3家が大きな戦略を失い迷走を始めた事によるものなのかもしれないと思う。

 なお、徳川政権の都合によってか武田信玄という男が後世において大層な過大評価をされてしまったため、必然的に今川家の過小評価というものが現在もなお続いているようである。だが、三国同盟の盟主はあくまでも今川であり、信玄の天下取り(中央進出)の野望は今川勢力の崩壊により芽生えたものである。

 今川の天下取りは、派手な軍事力よりもむしろ政治的な動きとして水面下で進んでいたので、後世にはその跡は見えないのであろう。恐らく雪斎の目指した上洛戦とは、武田軍とも(恐らく六角あたりとも)協調して、戦わずして勝つものとなったであろう。もっとも、三好を始めとする西国勢力に対して雪斎に何らかの戦略的見通しがあったかどうかは不明であるが。

 ともかく、今川義元は充分な準備を整える事無き尾張攻めにより足元を掬われて自らの命と共に今川家の未来を失い、武田信玄は単独の武力による上洛戦という無謀な冒険の結果10年後の勢力の崩壊を招いてしまう。北条家は、武田・今川の争いとも上杉謙信の来襲とも深く関わろうとせずに関東の地の閉じこもり続けるが、中央勢力からの盾としての役割を織田系勢力の徳川家に求めた結果あっけなく滅びる。

 いずれにしても、戦国中期をリードした三国同盟勢力は全て消滅した。彼等に並ぶ存在だった上杉・毛利は生き残り、豊臣政権崩壊時においても天下を動かす勢力となった事を考えると対照的である。




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