・村上家(北信濃国)
1.開始時の状況
8万石、総兵30、総武将3。兵力が上限に達しているため、「兵の募集」は使用出来ない。国内の独立勢力は、城レベル6〜8の兵力10ずつで1年程で国内統一可能な相手です。国外から何も来なければ…
隣国は以下の通り
上野国(山内上杉家):こちらには来ません。この方面が問題になるのは、上杉・北条等が領有してからです。豊かな国なので、余裕があれば押えておきたいです。
越後国(上杉家):言うまでもなく東国における最強の大名です。幸いにも、開始時点で同盟が結ばれていますが、村上義清(49歳)の寿命が尽きた瞬間に同盟は破れます。その場合は、直後に北信濃国に攻め込んでくる可能性が高いので、早めに北信濃国北部の城の防備を高めておきましょう。
南信濃国(小笠原家):開始直後に滅びます。この方面からも武田家が攻めてくるでしょう。
甲斐国(武田家):開始直後から、南信濃国と我が国に攻め込んで来ます。甲相駿三国同盟の都合で、武田家の全戦力がこの戦線に来ます。この敵に勝たない限りは村上家の明日は無いです。
村上義清が生きている限りは、甲斐・南信濃から来る武田軍との戦いが全てです。いずれは、越後からの敵に悩まされる事になるでしょうが、その前に滅びる方が多いです。
2.基本戦略
村上家の基本戦略はただ一つ、武田家の侵攻を撥ね返しながら国内統一を果たす事です。武田軍は、我が国が国内統一を果たすまでは待ってくれないので、豪族レベルのまま戦う事になります。そのため、向こうは南信濃国を押える事により3個所から我が国に攻め込めるのに対して、こちらは甲斐・南信濃に攻め込む事が出来ずに、北信濃国内部で分断されながらの戦いを余儀なくされます。
ともかく、「強襲」を多用してでも少しでも早く領地を広げて、軍事能力14の名将村上義清自身に兵力を集中して、野戦で武田軍を破り続ける以外に手段は無いです。
とはいえ、初期状態では兵力の上限に引っ掛かって「兵の募集」が実行不可能な事に加え、豊富な武将数を誇る武田軍は複数の戦線で攻め込んでくる、3国同盟のおかげで南信濃国を平定すれば全戦力を我が国に向けてくる、兵の質・武将の軍事能力共に高いうえに1戦に6武将を動員してくるために例え勝ってもこちらのダメージが大きい、等の点であまりにも厳しい戦いとなります。(他国の部隊には、先制攻撃による封じ込めも出来ないし…)
全ての元凶は、3国同盟により武田家の全戦力がこちらに向かってくる点にあります。そこで、なんとかして3国同盟を崩壊させれば、甲斐国の背後を今川・北条が襲う事により北信濃国から主力部隊が退き、その間に北信濃国を平定出来る筈です。そこまで行けば、武田軍に確実に勝てるだけの戦力を貯えられるので、後は何とか成る筈です。
3国同盟を潰すための手段は唯一つ、大名の死亡による同盟破棄を狙うしか無いです。そのためには、戦場で武田信玄は討つ以外に無いです。と言う事で、ヴァーミリオン会戦におけるヤン・ウェンリーの心境で対武田戦に挑む事になります。
3.実戦編(その1)
3ー1.国内統一編
1551年春、兵力は増やせないので初期状態のままで海津城に戦力を集中し砥石城(レベル7)に攻め込みます。いきなりの資金不足で2武将しか動かせませんでしたが、村上義清には兵力を集中させる都合で配下の2武将に攻め込ませます。「強襲」×3でなんとか落としましたが、兵力が7も消耗しました。「兵の募集」のために総兵力を減らす必要があるとはいえ、これは厳しい結果です。そもそも、何故に「砥石崩れ」で有名な我が国の名城が敵に回っているのやら…
1551年夏、予算の都合で武将が1人しか動けないので待機。武田軍40がいきなり砥石城に攻め込んでくる。こちらの兵力は11・7・5・1の24とかなり厳しい状況だが、ここで引いても今後の戦力UPが期待出来ないので、ここは打って出る事にする。だが、あっさりと敗れ去って砥石城は落城。
1551年秋、先の敗戦により総兵8まで後退。「兵の募集」でも1しか増やせず、続行を断念。
3ー2.反省点
2ターン目に武田家に攻め込まれては、どうやっても負けます。あえて言うなら、あの戦力では退くべきだったという事になりますが、結局戦力が整わないうちに戦わなければ全領地を失うでしょうから無駄でしょうね。
4.実戦編(その2)
4ー1.国内統一編
1551年春、砥石城(レベル5)を落とす。今回は、兵力2の消耗で済んだ。何故に、前回は砥石城がレベル7だったのだろうか?
1551年夏、武田家が北信濃国で内山城に続いて小諸城も落とす。我が国は予算不足で動けず、これで北信濃国は村上家3城・武田家2城に二分された事になる。
1551年秋、南信濃国からの武田軍66により砥石城を攻められる。我が軍33(村上義清14)では形勢不利と見て退却する。
1551年冬、兵力が上限に達しているらしく「兵の募集」が出来ない。やむを得ず砥石城に攻め込むも、前線の3部隊が兵力13〜14なのを見届けて戦意喪失して退却。これからどうすればよいのだろうか?
1552年春・夏、「城の普請」を行い海津城を城レベル5→10まで上げる。これにより、11万石まで上昇する。ついでに、1部隊で砥石城を攻撃して武田軍の動きを封じておく。
1552年秋、11万石まで増えた石高のおかげで、村上義清の兵力が19まで達した。兵力が上限に達したので、兵力37により砥石城の武田軍72に攻め込む。村上義清(兵力19)は正面の武田信繁(兵力13)を破り武田信玄(兵力11)を引きずり出したが、左端まで追い込みながらも士気が尽きて別働隊の攻撃により敗れ去る。この敗戦で、高梨政頼を失い総兵15まで減らされた。
1552年冬、砥石城の武田軍68が海津城(レベル10)に攻め込んで来たので、篭城して対抗する。しかし、武田軍の「包囲」の前にあっけなく落城し、村上義清等は切腹。
1553年春、唯1人残った飯山城の屋代政国が家督を継ぐ。海津城からの武田軍50が攻め込んで来たので、篭城する。なんとか耐え切るもレベル10→6となる。
1553年夏、「城の普請」を行うが現在の石高(5万石)ではレベル6→7までしか回復出来ず。
1553年秋、6万石になったので「城の普請」により飯山城をレベル7→8とする。武田軍45の攻撃により飯山城は落城。屋代家(旧村上家)は滅亡。
4ー2.反省点
今回は、武田家が北信濃国の南部から攻め込んで来たので、比較的余裕を持って進められたのだが、それでも武田軍に勝てるだけの戦力を持つまでは至らなかった。1552年秋の敗北が全てなのだが、あの時点で兵力が上限に達していた以上はやむを得ないし。
城レベルを上げる事により石高を上げて村上義清の兵力を貯えるという戦略は悪くなかったと思うが、あの時点の石高ではレベル10が上限であり、その城レベルでは武田軍の攻撃を支えきれないのが難点だった。もう少しうまく進めて、武田軍との激突をぎりぎりまで我慢すれば勝てるのかもしれない。1勝した後の展開にも疑問は残るが…
5.実戦編(その3)
5ー1.国内統一編
1551年春・夏、今回は砥石城を攻めずに飯山・海津の2城を守りながら戦力を貯えていく事にする。どうせ、砥石城は守り切れないのだから。武田軍が内山城を落とす。
1551年秋、海津城レベル9・飯山城レベル8としたところで予算が尽きる。武田軍が小諸城を落とす。
1551年冬、武田軍58が海津城(レベル9)に攻め込んで来たが篭城で耐え切る。
1552年春、武田軍27が海津城(レベル7)に攻め込んで来たので、兵力35により迎撃して打ち破る。
1552年夏、石高が9万石に低下したため「兵の募集」が行えず。武田軍41が海津城(レベル8)に攻め込んで来たので、兵力34で迎撃して打ち破る。敵将小山田信有が討死。
1552年秋、武田軍36が海津城(レベル9)に攻め込んで来たので、兵力33で迎撃して打ち破る。我が軍も総兵33→26と消耗を強いられた。
1552年冬、武田軍が独立勢力の守る砥石城を攻めてレベル8→6とする。直後に我が軍28が砥石城を攻めて落とす。これで13万石とする。
1553年春、守備部隊のいない海津城(レベル9)を武田軍に攻められるが耐え切る。小諸城(レベル7)を兵力30で攻め込み落城させる。兵力が24まで減少したが、17万石に到達し小大名となる。また、知将
真田幸隆を捕らえて部下に加える。
1553年夏、内山城を落として北信濃国を平定する。この時点でのデータは以下の通り。
20万石、総兵25、武将数5
主な敵
武田家 26万石、総兵26
上杉家(同盟中)、75万石、総兵130
今川家 46万石、総兵127
北条家 30万石、総兵84
武田家とはすでに互角の状況なので問題無いとして、問題は既に南信濃国にまで入り込んでいる今川家となりそう。後は、村上義清の長寿を祈るだけ。
5ー2.戦国大名への道
1553年秋、甲斐国に侵攻し1城を落とす。武田軍の大半は南信濃国にいる模様。
1553年冬、甲斐国で1城を落とす。
1554年春、甲斐国で1城を落として甲斐国の武田勢力は壊滅。(空き城が1つ残る)
1554年夏、甲斐国で空き城となった岩殿城(レベル10)を「包囲」×1・「強襲」×1で落とす。さすがに、政治能力13の真田幸隆を加えただけの事はある。これで甲斐国も統一し、41万石となる。
1554年秋、今川家に同盟を申し込むが断られる。上野国は同盟国の上杉家が進出し始めているので、今川領駿河か北条領相模へ進む事になるが、どちらがよいのだろうか?
北条軍48の攻撃に対して我が軍40で応戦するが、兵力6の部隊を叩かれてよもやの敗北を喫する。
1554年冬、常陸国と下野国の一部を領有する佐竹家から同盟の申し込みを受け受諾する。なんで、こんな離れた所に申し込んで来たのやら?
甲斐国で北条軍を破り1城を奪回する。
1555年春、今川義元が死亡して葛山氏元が家督を継ぐ。これに伴い、武田・北条家との同盟が破棄される。相模国に攻め込み1城を落とす。目の前に小田原城(レベル18)が不気味に立ち塞がる。
1555年夏、相模国の部隊により武蔵国へ攻め込み1城を落とす。
1555年秋、小田原城に「計略」を掛けて成功しレベル18→13とする。すかさず兵60により攻め込み「包囲」×2・「強襲」×1でレベル13→8とする。
1555年冬、兵71により小田原城を落とす。葛山軍が甲斐国に攻め込み1城を奪われる。
1556年春、葛山家(旧今川家)が織田家と同盟を結ぶ。確実に石高を減らしていたので、このまま滅びると思って相手にしていなかったのだが、これでは我が国に主力を向けてくる事になり兼ねない。甲斐国で1城を奪回し、相模国で1城を落とす。
1556年夏、葛山家の領地の駿河国に侵攻する。相模・駿河で1城を落とす。
1556年秋、駿河・相模で1城を落とす。相模国を平定し、64万石となる。北条綱成・氏繁に2将が降伏し、配下に加わる。
1556年冬、葛山家が同盟を申し込んでくるが当然断る。上杉・扇谷上杉・北条の3勢力混在の武蔵国を断念して、西進する事にした。相模国を平定した部隊を、武田家の残存勢力が支配する南信濃国に向ける。駿河・南信濃国で1城を落とす。
1557年春、村上義清が病死して内藤昌豊が家督を継ぐ。これにより、上杉・佐竹の両家との同盟が破棄される。ついに、来るべき時が来たようだ。対上杉戦を行うだけの戦力は貯えられていないので、なんとか同盟を結び直したいのだが…
上杉家に同盟を申し込むが断られる。北信濃国において、越後国との国境はレベル18(現時点の上限)まで防備を固めたが、上野国側から攻められたらお手上げだ。駿河国で1城を落とす。
1557年夏、再び上杉家との同盟交渉に失敗。遠江で1城・南信濃で2城を落とす。
1557年秋、楽岩寺光氏が病死。後継者無く、兵14程が消滅した…
上杉家との同盟交渉に失敗。南信濃で1城・遠江で3城を落とす。武田家が滅亡。遠江国を平定し戦国大名となる。現在の状況は以下の通り。
107万石、総兵136、総武将17、甲信・相模・駿遠を領有
主な敵
里見家 78万石、総兵159
上杉家 141万石、総兵283
織田家 56万石、総兵95
朝倉家 126万石、総兵260
三好家 100万石、総兵86
なんか、兵力増えないですね。1回で5以上徴兵出来る国無いし…
5ー3.上洛編
1557年冬、上杉家との同盟交渉に失敗。南信濃国で1城を落とし、南信濃国を平定。三河国で2城を落とすが、1城を織田軍に奪われる。2将で攻めて落とした直後なので、降将1人(当然兵力1)を前線に出さなければならないため、やむを得ず退却。
1558年春、三河国で1城を落とす。上杉家が里見家と同盟を結ぶ。
1558年夏、上杉家との同盟交渉に失敗。三河国で2城を落とす。北信濃国で上杉軍が攻めて来たが、飯山城(レベル21)の前にあっけなく退却して行った。
1558年秋、上杉家との同盟交渉に失敗。尾張・三河で1城を落とす。上野国からの上杉軍の攻撃で北信濃国の小諸城が落とされる。ついに、来てしまったようだ…
1558年冬、上杉家との同盟交渉に失敗。尾張国で2城を落とし、織田信長を討ち取る。北信濃国で上杉軍に、武蔵国で里見軍に1城落とされる。
1559年春、織田信長の死亡により織田家は佐久間信盛が家督を継ぐ(以後、佐久間家とする)。上杉家との同盟交渉に失敗。尾張国で3城を落とす。
1559年夏、上杉家との同盟交渉に失敗。里見家が同盟を申し込んで来たので、喜んで受諾する。尾張で1城・美濃で2城を落とす。これで尾張国を平定して173万石。
1559年秋、上杉家との同盟交渉に失敗。美濃国で朝倉軍96を我が軍78で撃破する。北信濃国で小諸城を奪回する。北信濃国で越後国からの上杉軍に飯山城を攻められレベル21→18。
1560年冬、上杉家との同盟交渉に失敗。美濃・伊勢で1城を落とす。尾張国で1城を伊勢国からの長野軍により落とされる。北信濃国で上野からの上杉軍により再び小諸城を落とされる。
1561年春、上杉家との同盟交渉に失敗。北信濃国で上杉軍に1城を落とされる。伊勢で2城・美濃で1城を落とし、尾張で1城を奪回する。美濃国を平定。
1561年夏、上杉家との同盟交渉に失敗。伊勢・越前で1城を落とし、北信濃国で1城を奪回する。200万石を突破する(221万石)。
1561年秋、上杉家との同盟交渉に失敗。北信濃国で上杉軍を破り1城を奪回、伊勢で2城を落とす。伊勢国を平定。
1561年冬、北近江で1城・南近江で2城を落とし、北信濃国で1城を奪回する。北信濃国を再統一。
1561年春、北近江・南近江で2城を落とす。北信濃国で上杉軍に再び小諸城を落とされる。
1561年夏、村上国清が元服して家督を継ぐ。これで、里見家との同盟は破棄され、ついでにCPも大幅に減少(15→9)。上杉家との同盟交渉に成功する。結果的には、これまでに成功していてもこのターンの代替わりで破棄されていたので、最高のタイミングかもしれない。越前・南近江で3城・北近江で1城を落とし、南北近江国を平定する。これで、300万石を突破(327万石)。
1561年秋、山城・越前で2城を落とす。越前国を平定。
1561年冬、山城で2城・大和で1城を落とす。山城国を平定。現在の状況は以下の通り。
384万石、総兵523、総武将47、鉄砲数16、中部・東海・相模・越前・伊勢・南北近江・山城と大和の一部を領有。
主な敵
上杉家(同盟中) 229万石、総兵607
里見家 130万石、総兵387
毛利家 284万石、総兵494
龍造寺 107万石、総兵206
どうやら、上杉・村上・毛利の3強といった感じ。それにしても、石高最高で兵力で負けていると言うのも珍しい展開。おかげで、資金不足に悩まされないので楽だが。今後は、山城・越前で毛利勢力と隣接しているので、対毛利戦が開始されそう。九州勢が育っていないので、上杉との同盟が有効なうちに毛利をあしらいながら鉄砲を貯めてしまえば楽勝であろう。上杉家は、前回(葦名家)と同様に資金不足で動きが鈍いようだし。
5ー4.西国平定編
1562年春、毛利・長宗我部・三好といった西国勢と激突し、全て勝利する。毛利軍の本隊はこちらの方面には来ていない模様。
1563年春、何故か北の果て伊達家から同盟の申し込みがあり、特に断る理由も無いので受諾しておいた。摂津国(レベル40の大坂城が健在)を除く畿内を平定し、502万石。四国に攻め込んだ部隊が、兵力50・1・1の毛利軍にまさかの敗北を喫し、秋山信友が討死。兵力1の部隊を仕留められないとは誤算。
1563年秋、各地で毛利軍などを破り播磨・阿波を平定して649万石。
1564年夏、伊勢国の一向一揆を鎮める。讃岐・備前・美作・出雲まで押えて704万石。
1565年春、四国の大半と備中・備後まで押えて800万石。しかし、総兵663と伸び悩んでいる。おかげで資金不足に悩む事は全く無いのだが。この時点で、上杉家の東国平定は終わりつつある。
1566年夏、四国全土と中国の大半を平定して、豊後・日向にも部隊を送り込み906万石。
1566年秋、南近江国で高梨家久(軍事15、兵力50、鉄砲9)が謀反を起こす。同時に、三河国でも一向一揆が蜂起する。
1566年冬、今度は北条氏繁(軍事力10、兵力50、鉄砲12)が南近江国で謀反を起こす。共に、対上杉戦用の鉄砲装備の精鋭部隊だというのに、忠誠10あったはずの彼等が何故にこのような事に…
1567年春、南近江国で謀反を起こした高梨家久の引き抜きに成功する。九州において豊前・豊後・日向・大隅を平定し、肥後・筑前・筑後・薩摩にも侵攻して1009万石。
1567年夏、周防・筑前にて毛利軍を破り毛利家を滅亡させる。南近江にて北条氏繁率いる謀反軍を壊滅させる。
1568年秋、肥前・筑前にて島津家を滅ぼし九州平定を果たす。これで、残るは村上・上杉の両家のみとなる。現在の状況は以下の通り。
1127万石、総兵842、鉄砲装備部隊7、相模・中部・東海・越前・西日本全て(摂津は除く)を領有
主な敵
上杉家(同盟中) 569万石、総兵1182
なんか、未だに総兵力で負けてますね。CPを鉄砲購入・忠誠度UP・移動でほとんど使ってしまうので、徴兵はまだしもそのための準備をする暇が無いのが痛いですね。背後を襲われなかった以上は勝つのは確実でしょうが、総兵力で負けているだけに続行せねばならないですね。
5ー5.天下分け目の決戦編
1568年冬、ついに上杉家が同盟破棄して来た。結局、このターンには仕掛けて来なかった。
1569年春、上杉軍が相模国に侵攻し2城を奪われる。我が軍は大坂城を落とし摂津国を平定する。
1569年夏〜冬、関東各地で上杉軍を鉄砲隊により打ち破り、相模国を再平定し上野・武蔵に攻め込む。現在1263万石だが、威信が11なので上杉家を滅ぼすまでエンディング条件は満たさないかも。
1570年冬、上杉謙信を討ち取る。上杉家の家督は上杉景虎が相続する。武蔵・上野・下総を平定し1445万石。
1572年春、関東を完全に平定。越後の大半も制し、越中・加賀・南陸奥に攻め込み1657万石。総兵力は1092対97と、もはや勝負あり。
1573年冬、北陸奥国を平定して天下統一を達成する。
5ー6.まとめ
結局、武田家を南信濃国に封じ込めて甲斐国を攻め落としてからは、特に苦しい場面も無く終わった。武田家が何故か脆かった事と、上杉家が背後で動きをあまり見せなかった事が今回の勝因と言えよう。とはいえ、村上家における、対武田戦略の確定と言えるほどの成果が無かった事も確かだ。この点は、今後の課題となるだろう。