Brummel in Yokohama City
僕には「故郷」がない。
出身地は仙台となっているが、それは、あくまで記録上の座標に過ぎず、僕の還るべき風景としての「故郷」ではない。
仙台に両親の実家はなく、両親が下宿していた学生宿も、既に現実には存在しない。
幼少時に転居を繰り返したせいで、 今、覚えている景色は横浜に越してきた後のものばかりだ。
ふと、頭を過ぎる懐かしい風景も、それが何処にあるものなのか、わからない。
本当に自分の見た景色なのか、それすらもあやふやだ。
「亡郷コンプレックス」 ふとした隙に、この感傷が僕の心を埋め尽くしてしまう。
寺山修司のように「俺の故郷は汽車の中」と言い切れる強さがほしい。
「故郷なんて、あったところで、たいしたもんじゃない」と皆は言うが、 彼らは知らないのだ。
生まれた街に降り立って、
そこがまったく見知らぬ街であると知った時に沸き上がる、
言いようのない焦燥と、あの圧倒的な疎外感を。
僕は中3の夏、「根無し草」という言葉の本当の意味を、我が身をもって理解した。
あれを感じて以来、僕は、自分が仙台出身であることに固執するようになった。
街の地図を眺め、歴史を調べ、何かと理由をつけては仙台を訪れた。
ハマっ子、江戸っ子に対抗して「伊達男」を自称して、
自分なりの「男」像を重ね、少なくとも、他人の前ではそうあろうと努力したりもした。
少しでも、自分とあの街をつなぐ「何か」を見つけるために。
数年前、広瀬川を望む公園で、瞼の裏を過ぎ行く景色と、現実の風景が、 刹那の間だけ、重なり合った。
落涙を耐えれなかった僕を、晴天にかかる雲が、その影で覆い隠してくれていた。
その影はやさしくて、少年の日に失った故郷が、少しだけ、僕のもとに帰ってきた気がした。
今、僕があの街に感じているものは、7割の劣等感と3割の郷愁。
安心と焦りが共にくるような、とても不思議な気分になる。
自虐の気が強い僕には、この微妙な不安は、たまらなく心地よい。
Passage での テーマは確か 「私的履歴書」
白状してしまうと最後の章はフィクション。
そこまで劇的な故郷の帰還は起こってない。
公園にいたとき、周りの景色があまりにも自然で、
不意に「ああ、本当にここが故郷だったらよかったのに」と感じて、
他人と一緒だったのにもかかわらず落涙してしまったことがあるだけ。
文章としてアンダーなままで終わってしまうので、一山持ってきて、無理に自分ごと納得させた。
ただ、この文章を書いて、自分自身を納得させれたのが意外な収穫だった。
あんな場所が、俺の故郷なんだからいいじゃない、
無理に記憶がなくても、俺はあの街が好きだから、
そんなふうな割り切り方ができたきがする。
このあと、ちょっとした事があって、
このときは強がりで書いていた7:3の劣等感と郷愁は、ちょっとだけ真実に近づいた。