Tranquilidad
日常の中に生を埋没させたい。あるいは日常すら存在しないその内側の世界へ。
2003年10月以降
繰り返すケの日々とハレの日
ソレが人間の生活だとは知りつつも
本は何時だってエキサイティングだ
10月
またまた更新サボってました。つうか日常がヘビーで気力がでません。
気力がある今のうちに思い出せることだけ。
その一
仕事の合間に書店を見るのが数少ない楽しみ。
というわけで、見かけた書店たちに関する考察、その一。
三省堂が神保町に新しく出展した「自遊空間」
ゆったりとしたスペースに、高い天井。
書籍は「食」「旅」「道」「楽」とテーマを決めて特化したレイアウトを展開し、
「上島珈琲店」(UCCで無いのがミソ)を併設する。
模擬店、実験店としての位置づけなのだろうけど、
書店としてのあり方に、なんとなく、歪さというか、先の無さが見え隠れする。
元来、書店というものは、マスを対象にして構成されるものであって、
個性を求めるマスの集合体になんらかの妥協点を提案することで、
その存在をかろうじて許される小売業であって、
恣意的なキーワードを顧客に押し付けるこのスタイルには苛立ちを隠せない。
これが、本当に特定のカテゴリに特化した書店であるのならば、
その書店は一つの意味合いにおいて、マスに必要とされるものであるのだけれど、
(「深夜プラス1」なんかはその極みだろう)
ここのように、漠然としたキーワードに特化した書店というものは、
中途半端な顧客に中途半端な満足を提供するだけで、
戦略上有効であるとは感じられない。
三省堂本店とほぼ隣接するような環境であるから、
本来の書店としての機能は本店に依存させて、
書籍のバリエーションのアピールをさせる意味合いなのかもしれないが…。
ただ、ソレにしては、基盤となるテーマが軽薄すぎる気がする。
店の雰囲気は、無印良品的「瀟洒」。
取り揃える書籍は、流行的キーワード「ちょっと大人」。
あまりにも「身」の無いセレクトだと感じてしまう。
これは僕の偏見なのかもしれないが、
このへんのキーワードに引っかかる人間というのは、 「真実」や「深さ」を求めない層に思える。
つまりは、読書という行為に際して、
一つの書籍を読んで、それに感化され、それにつながる「次」を求めていくとった
「面」や「線」での広がりを喜ぶ層ではなくて、
自分の理解できる範囲の一つの材料を与えられればそれで充足されてしまう読者(?)で、
かれらが、その書店において、「次」を探すリピーターになりえる可能性というのはかなり低い気がするのだ。
なんか、自分でも何が書きたいのかわからなくなってきたのでこの辺でやめとくことにするけど、
つまり、僕は、この書店は根底から間違っているクソ書店だと、声を大にして言いたいわけです。
一通り見回った結果、店全体が俺に語りかけてました。
この書店はクソです。ハイ。
その2
荻窪エリアに4件の担当を持つため、
最近はあのあたりの駅前事情には多少詳しくなってきました。
で、見つけて品揃えにびっくりした古書店が、ささま書店
とにかく、多岐にわたるジャンルでそれぞれコアな客層を満足させる品揃え。
たとえば、SFならサンリオ文庫の初版がズラリ。
人文系なら、国文学やユリイカのバックナンバーがズラリ。
根付けに関しても多分良心的。
サンリオの初版が800円は多分安すぎ。
神保町で1800円で買った国文学のバックナンバーが300円で売ってたのを見つけたときには、
結構複雑な気分。
100円ワゴンにも結構いい本が転がってたりする。
本好きで、荻窪界隈に出かける方がいれば、是非足を運んでみてください。
荻窪の栄えてないほうの出口をでて、アメックスのビルに向かう途中にあります。
その3
まぢで仕事がきつくなってきた。
理由は親会社の人事更新。
会長職に昇格した親会社の社長が暇になったのか頻繁に子会社を回っている。
もともとウチの社長自体が「無知から来る無茶」と「業界的慣習の打破」を
区別できない阿呆だという致命的な欠陥に加えて、
仕事が無くなった親会社の会長が暇つぶしにやってきては無意味な発破をかけていく。
方向性が間違っている仕事ほど、辛いものはない。
他にやらなくてはいけないことがあるはずなんだ。
営業増やして版元回らせる前に、オペレーターにノルマを課す前に。
やるべきことがあるはずなんだ。
とりあえず、今うちに出入りさせてるシステム会社を切れ。
無駄な新聞広告代を上乗せして、別な会社にシステム組ませろ。
それでうちの会社は一段変わるよ。
やっぱり50代の人間に、ネット書店を運営させるのが間違ってる気がする。
部長が社長になってくれないかな。
ああ、それだよ、うちの会社を変える特効薬は。
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