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ちょっと前の話だけど、槇原敬之覚醒剤事件。
多くの人は軽蔑の眼差しで見るんだろうけど、どうにも僕には
人ごととは思えないものがあったり・・・。
尾崎豊もそうだったけど、こういうので捕まる歌手って、
シンガーソングライター、独身、っていうのが多いですよね。
想像してみてください。そういう職に就けるくらいだから、まず第一に
とても感性が強い人間。そして、仕事は一人。家庭も一人。
僕もそうなんで解るんですが、何日も人とまともな会話が全くない事もザラです。
・・おかしくなって当たり前だと思いませんか?
まあ、だからといって覚醒剤に走っていい理由にはなりませんけどね。
友達を求めたり、趣味を増やしたり、他にいろんな解消法はあります。
ただそういうのが不得手な人ってのも中にはいる、というより、逆に
人付き合いが少ないからこそ不得手になってしまうという悪循環もあって、
なかなか大変な職業なんだと思います。他にも小説家、漫画家、画家など、
芸術職全般も同じですね。
そういえば、そういう人は長電話が好き・・というより
身体が求めてしまってついついしてしまうっていう傾向もある気がします。
金曜の話は月曜になったんですが、色々言ったにも関らず
「それならそれでいいんじゃないの」的反応しか返らず。
信者がどういう考えで信じてるのかとかを少し聞きたかったんですが、
そういう所はあまり話してもらえず、ちょっと期待外れでした^^;
逆にそういう事は考えないからこそ信者でいられる・・のかな?
なんて思いました。
トレーニング、週2で継続しているんですが、
膝の関節を痛めたみたいで、ここ2〜3日、歩くのが辛いです^^;。
しばらく脚のトレーニングは出来ないかなあ・・何事もほどほどにということか。
でもおなかに田の字がでてきたり、なんか成長期に成長してる気分ふたたび、
という感じでとても楽しいです。
掲示板で健康〜とか豪語していたのに、ちょっと前に風邪をひいてしまって、
それ以来なんだか仕事も遊びもやる気がダウン中です^^;。
仕事はもうそろそろ頑張らないとやばい感じ・・・なので
やり始めればなんとかなってくるのを期待。
・・・とかなんとか、暗い話ばっかりですね^^;
やっぱりこういう時は書かない方がいいかな・・・?
なんだかもう11月も終わりなんですね。
あと1ヶ月で年も終わり、クリスマスもお正月も・・・
何か楽しい事とか嬉しい事があればいいなあ。
山登って夜泊まる時、10代の子達とかと一緒に夜更かししていろんな話したんですが、
最近「マッポ」って言葉が復活してるんですね。死語だと思ってた。
ピーポ君宣伝効果の影響か?(笑)
昨晩実家に帰って「仏陀は嫌いだ。僕は法華経どころか仏教、ひいては宗教全般を
信じない。もし現在佼成会会員ならば脱退する」と伝え、母親がそれに反論。
かなり泥沼な状況になってきました^^;。金曜に山登りの打ち上げ、みたいなのが
あるらしいんですが、それにも出ろと。いいのか?信者達の前で同じ事言って。
自分の生き方くらい自分で決める。そう思わない人間がいるとすれば、
自分てものを持たない依存症の甘えた人間だと僕は思います。
信者達は、教えに帰依する事は自分で決めた事だと反論するかもしれませんが、
僕から見れば帰依する事自体が甘えなんです。人に迷惑をかけないとか、
周囲の人に感謝するとか、家族を愛するとか、そんな事は自分で考え出して当然。
そう思えない時期も人にはありますが、そういう時はそれでいい。それも一つの経験です。
特に物心ついた少年少女にそういう考えを押しつける事は、
大きなストレスとなって将来とんでもない事になって
跳ね返って来る危険性があると思います。
もちろん宗教自体を否定している訳ではなく、そういう教えにすがりたい状態の
人だっていますから、本当に良い教えなら、その人達に取ってのメリットも
あると思います。お守りを持つだけで安心する人も、たくさんいるでしょう。
ただ単に、僕はそういう人種ではなく、自分の生き方には自分で責任を持ち、
活路は自分及び近しい愛する存在の人達と共に見いだしていく人間だ、
というだけのこと。
はてさて、金曜は一体どうなることやら・・・。
しかし、「七面山参拝修行」なる立正佼成会の宗教行事。
最近孤独に堪えられないと思っている自分がいて、
両親に「いろんな人と知り合えるよ」と説得されたのがきっかけだったんですが、
結果からいって、話せる人はまあ確かにいっぱいいたんですが、
信仰心が皆無の僕には、山登り以外のお経唱えるとか白装束着るとか
そういう事を色々させられたのが苦痛で仕方ありませんでした。
山登るのに太鼓叩く・・のは大勢で登るためにリズムを取る、気合いを入れる
という意味でまだいいと思うんですが、それに合わせて「南無妙法蓮華経」と
大声で唱えつづけなければいけないんです。しかもみんな白装束。
さらに行き帰りのバスの中でもみんなでお経唱えるんです。
かなり想像を絶する世界でした。
休憩や集合など、何かあるたびに「ごあいさつ」と称して、
いろんな人に、お願いしますとかありがとうございましたとか
みんなで合唱する(させられる)んですが、
一緒に登る仲間には、頑張っていこう、って気持ちは起きるんですが、
会ったこともない上に、自らの価値観を人に押しつけてるだけにしか思えない
仏陀だとか、開祖(最近死んだらしい)だとか、来てもいないお偉さん方だとかに、
感謝なんて気持ちは僕には到底起き得ません。
自分はやっぱり価値観のある程度合う人と一緒にいたいと強く思いました。
合わない人にこうしてみましょうと言われても反発心が起きるだけです。
終わって一人になってほっとしたのも久しぶりの体験ですが、
両親も信者だと考えると、会社員でもなく一人暮らしの僕の「居場所」は、
現在は一人しかないのかもという考えに至って、ちょっと悲しくなってきました。
ただ、山登り自体は、最近身体を鍛えているのも効いているのか、
ほとんど苦痛なく楽しめました。空気も、夜は星も奇麗で、
身体のリフレッシュにはなったかもしれません。
でもやっぱり、今後は宗教関係なく登りたいところですね^^;。
今度は付き合い自体が元々非常に浅い相手で、お互いの性格等が
反りが合わないということで、じゃあ離れてお互い関係ないとこで
生きていきましょ、なんてわりとあっさりとしたものなんですが。
それで学習した事があって。
「この人はこういう人だ」と思いこむ事の恐ろしさ。
実際に普段良く会って話をする相手には、なかなかこんな事は
起こらないかもしれないんですが、彼とはNET上で知り合い、
実際に会って話した事すらないという関係。ですから、
性格=NET上での発言、が全てになってしまうわけです。
それが悪い方に進むと、偏見が生まれ、相手の言動すべてが
その偏見の元で実行されているような錯覚さえもが生まれてしまう。
NET上ではなくても、普段あまり会わない相手に対しても
そういう感覚が発生する可能性は出てくるでしょう。
それが、相手との溝を深めてしまう要因になってしまう。
逆に良く思い込んでいたとしても、行きすぎると盲信などという事にもなります。
士、別れて三日、即ち刮目して相待す、とは三国志の呂蒙の言葉でしたか。
貴方には、あまり会わない、あるいはNET上の人に対して
「この人はこういう人」だという固定概念が出来上がっていませんか?
日記に深い事ばっか書くから引かれてしまったのか?^^;
調べてみたら4日間メール無しって、なんと1年ぶりでした。
そう考えると、結構恵まれていたのかもしれませんね。
でもおひまな方は、大歓迎ですので、叱咤激励、なんでもおたよりくださいませ。
今日はなんとベンツの助手席に乗りました。
単なる友達の荷物運びの付き合いだったんですけど、
タクシー以外の車乗ったのも久しぶりなのに、いきなりなんかすごいです(笑)。
カーナビもはじめてみた^^;ので、いろいろいぢってみたりしつつ、
便利な世の中になったものよのお、とかじじいのようなつぶやきをしてみたり。
乗り心地も良いし、貴重な体験をさせていただきました。
車って、あると特にデートとかには便利そうだなあ、とも思うんだけど、
免許取るのにお金かかるし、維持費もかかるし、やっぱり事故も怖いよなあ、
東京は交通が発達してるし、とかいろいろあって未だ縁がありません。
この機会で、荒波を乗り越える為に、また、自信を持って責任感のある生き方を
する為にとても有効な手段、というのがなんとなく見つかったので、
ここでオススメとかしてみます。
それは「自分を考える事」。
なんとなく宗教的、哲学的ですけど、やってる事は至極カンタンで、
自分が楽しいとか、悲しいとか思った時に、「どうしてそう思ったのか」を
冷静に、深く突っ込んで考えてみることです。
たとえば、ぐうたらな自分が嫌いで、なんとかしたいと思っているとします。
なぜぐうたらなのかは、一概に解らない事の方が多いですが、
その場その場で「なぜこれをしたくないのか」については、
結構解る事ってのも多かったりするんですよ。
例えば「起きたくない」→「眠いから」とか。単純な事です。
そこから「どちて坊や」のごとく、「なんで?」を自分に対して
深く繰り返し考えてみると、悪循環が見つかったり、やるべき事が見つかったり、
言葉で表現して友人に相談する事も出来るようになったりして、いいことづくめ。
もちろん途中で解らなくなる事も多いですが、まず考えてみることが肝心であり、
少しづつでも自分を把握していけるという確信が持てるようになることは、
特に自分が解らずに自信が持てない人に取っては、絶大な効果があると思います。
さらに、楽しい事をどうして楽しいと思うのかを知る事は、
それを飽きずに継続させていく力にもなり、それによって
飽きたらポイ、というような責任感の無さも解消できるはずです。
自信や責任感に欠けると言われている人は、ぜひ試してみる事をお薦めします。
それからもうひとつ。いろんなものに興味を持てる状態でいること。
僕の場合は、列記しますと、TVアニメ、剣道、書道、歌番組、サッカー、野球、
ドッジボール、メンコ、昆虫採集、手品、天体観測、鉄道模型、将棋、登山、
小説、漫画、ゲーム、プログラム、音楽、パソコン通信、同人活動、恋愛、競馬、
最近では水泳や、身体を鍛える事も。頭の方は子供の頃ですね。そして、
一番深く興味があるのが、上と関連しますが「自分」であり「人間」だと思います。
誰しも、子供の頃は何にでも興味を持って、楽しんだ経験があると思います。
なぜ大人になると、そういう機会が減ってくるのでしょうか?
おそらく、時間がなかったり、面倒だったり、先入観もあるでしょう。
そのなかで少しでも解消することが可能なことはないでしょうか?
まずは昔楽しいと思っていた事を見直してみたり、周囲の家族や友人の趣味などを
どうして楽しいのかを聞いてみたりすることによって、
いろんな世界が開けて来て、今よりも楽しい生き方をしていける
きっかけになる、かもしれません。
楽しく生きられるようになれば、魅力的な人間にもなります。
魅力的であれば、自信はおのずとついてくるものでしょう。