|
日記を読んだ友人に「考えすぎ。もっと自由に生きろ」と言われたんだが、
まあ自由に生きるってのは同意なのだけど、考えすぎというのとは程遠いような
生活を送っている。色々考えてるのはほぼ、日記を書くときだけという始末。
逆に言えば、人間らしいのは日記を書いている時の自分だけのような感じすらする。
ただ、考えすぎって思われるのは至極もっともな話であるので、これからは例えば
「弱音吐いても、最後は自分で軌道修正できてるように思ってもらえるように書こう」とか、
迷惑や心配をあまり掛けまいと体裁を考えて書くのはやめよーかな、と思う。
日記なんざ自己満足の権化のようなものである。好きに書いてもいいはずだ、ということで。
で、最近。無表情、無感動。まあ、家族に対しては笑顔でいる事はあるんだけれど、
おそらく、無理している、わざとらしいという感じだろう。バレてると思うな。
なんとなく、心が薄氷のような感じである。刺激しては、パリンといきそうな。
なんでこうなったのかは自分でもよく解っちゃいない。反動とも、助走とも取れる。
ただ、少し、感情の波に呑まれるのに、疲れたんだろうね、たぶん。
感情を取り戻したいとは思ってはいるけど、それに付随してくる負の部分に、
今現在は耐えられる自信がいまいち、ない。
ちょっと、急ぎすぎたのかもしれない。もともと感情の波はあんまり激しい方ではないので、
そういうことに耐性があんまないんかも。無理に取り戻すのは危険な香りもするので、
今は、時の流れに身を任せている、という感じかな。
先はまるで見えないので、これからどうなっていくのかと言われたら、
そりゃ不安なんだけどね。まあ、実際はあんま考えてないから、わりと保ってるってとこかなあ。
こうして心情を吐露しているつもりでも、なんとなく自分のことが、他人事のような感じでもある。
しかし、僕らはもうとっくに恋人同士ではない。僕自身は、兄弟のような感覚で接している。
もし仮に恋人に戻りたいと言われたとしても、現段階のまだ小さな自分では、まず不可能だ。
そんな兄弟のような関係で、縁を切るというのもまた、僕には想像もできないし、無理だとも思う。
僕は現在、恋をしていない(する気もない)。でも、恋をしたらどうなるのか、それは解る。
恋は盲目だ。感情が突っ走る。コントロールもできなくなる。大事な事も、見えなくなる。
それでいいんだと思う。それが恋なんだろうと思う。でも、だからこそ僕は、怖いのかもしれない。
前にも少し書いたが、僕はずっと恋に甘えて生きてきた。恋に憧れて生きてきた。漬かってきた。
恋ってのは甘い。とてつもなく甘い。麻薬のようなものかもしれない。
だからこそいろんな大切なものも、失ってきた。もう、失いたくない。臆病になっているのかもしれない。
ただ、恋よりも大事なことというのが、あるんじゃないかと思い始めている段階なんだと思う。
将来、また恋をするならば、今思える大切なことを、大切に出来る状態で、恋をしたいと思う。
一方、母性を求めてやまない自分がいる。しかし、母はもういない。誰も代わりにはなれないし、してはいけない。
たとえ継母でも、恋人でも。解ってはいるけれど、たまらなくなることがある。下の日記は、そういう感じだった。
俺だってね。頑張ったら、よくやったね、って頭を撫でて欲しい。
自分を愛してくれる人の腕に抱かれたい。
愛している人の傍で、安心して眠りたい。
30過ぎた大の男が何甘えたこと言ってんだって感じだけど、
俺は、そういう意味の大人でも、仙人でも、仏でもないよ。
ただ、そういう人の気持ちも逆に、痛いくらいに感じるようになっているだけで、
心は、わがままで甘えん坊な子供のまま。そういう自分と、自分なりに付き合ってる。
愛する人を、安心させてあげたい。そうできる自信を持てる人間になりたい。
それは、自分を安心させて欲しいという強い気持ちの、裏返しなんだと思う。
弟を喫茶店オクターブまで散歩に誘って、一時間ほど長話。
聞くとびっくり、弟も現在僕とほとんど同じような状況だった。
それを誰にも話さずに、一人消化しようと努力をしていたようだ。兄弟だなあ。
驚いたのは、自分という人間の器の大きさを信じろ、と諭してくれた事。
的確な助言であり、目から鱗である。ちなみに弟は20歳。これはすごいことだよ。
兄弟でありながら育った環境がまるで違ってはいるけれど、性格はある意味似通った部分があり、
そういう弟と接していると、なんか自分も捨てたモンじゃない、と自信もついてくるような気がした。
人を、それこそ、殺したいくらい、憎い、と感じてしまうことがあった。
負の感情であることは明らかなので、そういうものはある程度コントロールできるのが
いっぱしの大人、社会人というものであるとは思う。でなきゃ日本は犯罪大国一直線、
世界は世界大戦に簡単に突入となることは明白だ。
しかし、悲しみや苦しみは経験がいろいろあって、慣れているところがあるんだが、
憎い、という感情はこれまでほぼ無縁で、本当に久しぶりだ。慣れていない。
ゆえに、御し難い。
よく、報道で、例えば、家族を殺された人たちのインタビューなんてのがある。
今までは、そういう人の気持ちがいまいちピンと来なかったところがあるのだが、
今は、それが少し、解る気がする。みんな、よく立派に、自分をコントロールしてると思う。尊敬する。
人と深く関わっていないことには、知り得ない感情でもあると思う。
そういう感情を経験し乗り越えていくのも、それもまた、ひとつの成長、なんだと思う。
人として強く、広く、なっていきたい。
15日、TILDEのライブに行ってきた。
MOTLEYの面々ももうライブも慣れたもんで、やっぱり生演奏は違うなーと思う。
ライブハウスでは特にドラム、ベースといったリズムセクションが強調される。
よなさんの曲はその辺りセンスがいい曲が特に多いので、ライブだと余計格好良く感じる。
打ち上げでよなさんに「君は才能は凄いのにそれにあぐらをかき、努力を怠っている」と強烈な叱咤激励を受ける。
言われる通りだと思う。自分の才能を活かすためにも、努力していくべきだとは切に感じているが、
細かい目標部分がボヤけているというか、少し漠然としていて、やる気が出ずに停滞気味。
ただ現状に甘んじてもなにも成長しない。とにかくなんでもいいから自分を鍛えるべく
新しいモノを創っていきたいと強く思った。長年の付き合いだからこその叱咤激励。感謝である。
母親とゲームについて口論。とにかく否定派のようで、ゲームをやると痴呆になるなどと言う。
バカになる、ではなく、痴呆になる、と少し難しい言葉を使われたのがひっかかって、おそらくこれは
なにかマスコミの意見を鵜呑みにしてるな、と感じて調べてみたら、案の定、ゲーム脳。
上記リンクの読者の感想部分も読んで欲しい気分だが、もう凝り固まってる頭、価値観には通用しまい。
ただやっぱり、自分の飯の種を、他でもない家族である親に偏見を持たれ、まるでその製作に関わることは
悪行に荷担しているかのように蔑まれて生活するのは、どうにもひっかかるものがある。
かといって数時間口論した結論として、彼女の考えを軟化させる事は到底難しい、ほぼ不可能と感じる。
この論理は、一言で言って、現代病を無理矢理全部ゲームのせいだと単純化してしまおうということだろう。
今の若者の不可解な行動を一応理解した気になるがために、ゲームが悪者とされてしまっているのだ。
しかし、そんな若者だって育った環境、性格や考えも、一人一人違い、個性を持っているはずだ。
それを理解しようとせずに安直な論理を公然にした著者に、激しい憤りを感じずにはいられない。
が、こういう時、兄弟とか親とか。話し相手がいるってのはすごく救われるなと思った。
弟が試験勉強に精を出してて、それに刺激されたのか、いい加減ダメダメ空間を打破すべく、
仕事を進めようと踏ん張る。と、なんとか仕上がった。ちょっと、調子出てきたかも。
どーも微妙に動きが悪かったのでマウスを新調。すげえ快適。
これだけ快適さが違うと仕事にも影響は大なんだろうなと思いきや、
仕事は大部分がPC9821のDOSとMacでやるからあんまり変わらないのであった。
このマウス、ボタンが6つもあるが、Macの1ボタンにも慣れてるので、その辺は贅沢過ぎな印象。
逆に1ボタンってすごいデザイン性を感じる。未だにそれで通してたりするもんね。
でも、このホイールって奴はネットサーフィンには便利だなあと思う。慣れたら手放せない。
とかなんとか、なんだかんだでどっちつかずなのでした。まあ、どっちもいいよね。