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ただ、夜はまだ、かなり辛い。とても人には見せられない、狂気の連続。
くだらない自己嫌悪と、それに伴う、さらにくだらない自殺願望を、
かろうじて残っている、自分に打ち勝とうとする意思で抑える毎日。
実に馬鹿馬鹿しい。
でもそろそろ、こういう状態で、自己分析的な事をここに書くのは、
周囲に心配させる事が多いので、なるべく控えていこうかなと思う。
僕に取っては当たり前の事でも、端から見れば恐ろしく見える事もあるだろう。
不幸なのは自分だけで充分だ。周囲の人には、幸せになって欲しい。
明日から暦の上では春。
日記のページも変わるし、心機一転、していきたい。
そう気づいて、自分の不安に、自分自身で立ち向かう事を決意。
24日午後から、薬を飲むのをやめた。
18/19日に書いた身体的症状はほぼ元に戻ってしまったけれども、
何より今は、立ち向かうと決めた「自分の意思」が心強い味方になってくれて、
精神的には、平安を保っています。「吐き気」も「単なる吐き気」と思えるような。
もちろんこれは、自分の生活が一人であり、仕事も一人であるからこそ
できた選択だと思う。会社員など、毎日人との接触によってストレスを
抱えている人には、なかなか出来ない芸当だろう。
だから、そういう人達を否定するつもりは、毛頭ない。
でも、僕には自分の不安に一人で立ち向かえる環境が整っている。
だから、立ち向かう。一人で良かったと思ったのは、本当に久しぶりだ。
手始めにまず、掲示板でもちらっと書いた、荒れまくってる自分の部屋を、
なんとかしようと片づけている。心の鬱は、環境にも影響される筈だから。
リビングはあらかた奇麗になって、とても清々しい気分。掃除も楽しい。
徐々に、自信をも取り戻していく自分を感じ、とても嬉しく思っている。
自分の不安に負けた、負け惜しみかもしれないが、
こんな事を考えた。
恋人がいれば、もちろん両者の環境、性格にも左右されるが、
多かれ少なかれ、「いつか心変わりされるかもしれない」という
不安が必ずつきまとう。
いなければ、あるのは「このまま一生独りなのかも」という、
二つを比較した場合、より漠然とした不安でしかない。
もちろん、年齢が上がったり、健康の不安が発生した場合には、
後者の重さが増してくるとは思うが、まだ自分は20代でそこそこ健康。
もしかしたらしばらくは、その方が楽、なのかもしれない。
恋人とのふれあいによる安心効果、を無視してしまっている事は否めないが、
そうやって不安の種を一つづつ、心理的にでも取り除いていく作業が、
おそらく今の僕に取って最重要課題、なのだから。
普通に大きめの薬局なら売っている、軽めだと思われるの物なんですが、
緊張感はまだ若干あるものの、食欲、睡眠欲共に復活して、
ほんとうにこんな当たり前の事が幸せだと思えます。
神様のような薬ですね^^;。助かりました。
昨日は夢見が非常に悪くて、安ワイン片手に競馬場をうろついて(笑)いて、
台にドンとワインを置いたら、勢いでビンが割れてしまって、その下に
置いてあった荷物を濡らしてしまい、所有者に土下座して謝って。
その後別れた彼女とその彼氏に偶然ばったり会って、会っただけなのに
これもなぜだか彼氏に土下座して謝る所で目が覚めて。
でも、そんな悪夢(?)を見た、にも関らず、その時、
わりと心が落ち着いていることに逆に驚いてしまいました。
振られたりクビになったり家庭環境いろいろあったりで、
ちょっと落ち込んでいたりするような人には是非ともお薦めです。
依存症が心配されるかもしれませんが、軽めのものですから、
飲んでいる間になにかいいことでもあれば、辞めることもそんなに
難しい事ではない、と思います。おそらく。
そのへんはおいおい日記にも書いていくつもりです。
昨日はちょっとした用事があって実家に帰りました。また宗教の良さをとくとくと
語られ、まあそれはもう慣れたって感じなんですが、それよりも、弟の登校拒否を
きっかけに、家庭内不和を絵にかいたような状態になっているのが厳しいです;_;。
僕として気になるのはやっぱり継母との関係。うまく説明できないくらい、
お互いいろんな思う所があって、非常に複雑です。
まあお互い余裕がある時は、普通に接している感じなんですが、
どちらにも無い現在はとても厳しいものを感じてしまいます。
話変わってフェブラリーS。レッチリの前回銀嶺Sはここをにらんだ
ダート前哨戦だったのね、と妙に納得したんですが、
しかし結果は、応援したキングヘイローも併せて惨敗。ありゃりゃ。
京都も例によってステイゴールド応援、例によって3着(笑)。
しかしこの馬はもーほんとーにこんなんばっかですね(笑)。
こちらは叫びたくなるのは一緒だが、呼吸困難を伴うため、
叫ぶ事も出来ない事が多い。発汗とともに、世の中の全てを
自分から隔離したい、記憶を抹消したい、最悪の場合死にたい気分になる。
何か手に持っているものがあれば、投げたくなったり、叩きつけたくなる。
怒り、にも似ているが、悪夢を見た時に跳ね起きた時の感覚、恐怖、
というのがより近い表現かもしれない。深呼吸を何度かすると回復。
ということで、例によってコイツも分析。
これは原因ははっきりしている。父の入院と、彼女との別れ、だ。
こういう心理的症状にはつきものの、幼い頃のトラウマ=母の死。
母は当時、家庭内暴力が盛んだった父から、僕を守ってくれる存在だった。
その母が、台所で調理中、僕が後ろでちょこんと座っていた時に、突然倒れた。
また、その後も片親の不便さから、幼少期に転校を繰り返す日常をも送る。
そんなこんなで非常に解りやすく、「大切な存在」との別離に対し、
異常なまでの恐怖心を抱く自分が完成してしまった。
父の事故、入院によって、父の死をいやがおうにも予測してしまう。
ここまでは現実的にまだ元気ではあるので、まだ大丈夫だったのだが、
そんな中で彼女との現実的な別れが発生し、それを
頭では理解できても、心がそう簡単には受け入れてくれない。
この2つが主たる要因なので、発生のきっかけとしても、
彼女や親との記憶を思い出すような物などを見た場合に
突如発生する場合が多い。自分でも予測し得ないものに対しても
容易に発生してしまうが、その後に冷静に考えると理解できるものだ。
解決策としては、彼女との思い出の品等を思い付くもの全て破棄するという
形がまず思いつく(昔やったこともある)が、それでは何も残らない。
今も大切な存在である事には変わりはない事に気がつき、思いとどまった。
第一、まだ生きている。これが一番重要な事だ。だから、
彼女の幸せを願う、あるいはまたいつか縁もあるだろう、と思う事によって
心を徐々に納得させる手段に出ている。それは現在進行形。
あ、ちなみに、これらの発作が出てない時は、わりと普通ですよ。ほんとに。
15日に書いたように、記録しておくのも面白いかも、と思っているだけで。
それに、どちらも徐々に回復する筈だと思うので、過度な心配はご無用、です。
しばしば、何かしている時でも突如、急激に絶叫したくなる狂気に襲われる。
一人の時は本当に叫んでしまう状態。口を押さえようとするが、間に合わない。
その前後平均30分程度、不快な緊張感が持続。
おなかに心臓があるような、手をあてると、本当にピクピクと動いている。怖い。
きっかけがあることもあるが、ほとんどの場合は突然で、要因が不明。
ただ、これは実はわりと昔からあった事で、それが顕著になった状態か。
でもそういえば、今までは同時に不整脈を伴っていたのが、
今はなぜかそれが感じられず、代わりに嘔吐感が発生している。
今日はそんな自分を、自然と分析してしまう事が多かった。
身体的症状も解りやすく表れているので、現代の医学は凄いだろうとゆーことで、
どういうものなのかをちょっと調べてみる。
「不安神経症」という神経症の症状になんとなく近い。もちろん自分の場合、
今は自宅で一人ではない時は絶叫だけはある程度抑えられるのだから、
症状はまだかなり軽いもので、人によってはたまにはある症状、であろう。
不安自体は、誰にでもある。僕の場合今回、仕事、家族、恋人、生活、健康等、
様々な、将来への不安を短期間に一斉に感じざるを得ない状況になったので、
一時的にこんな状態になってしまっているんだろう。
不安神経症という病気になっている訳では、まだない、・・と思う。
この分析で、ちょっとだけ救われた気分になった。
でも、一体いつまで続くのかなあ。
昨日の方法は、やっぱり一時的に過ぎない。
というより逆に、自分の中にもう1つの人格を作り出して、
その人格に、辛い事すべてを押しつけようという傲慢な考え、
ではないかと気がつく。一時的に落ち着く為には効果的ではあるが、
長期的に見てやっぱり、人格分裂を誘発するキケンな考えかもしれない。
思いっきり泣く事が出来れば、それに代える事も出来るかもしれないが、
結局根本的な心の安らぎを得るには、一人ではどうしようもないのかも。
昨日の日記をみて、「オトナ」だと評してくれた人がいたんだけど、
オトナなのはアタマだけだよ。ココロはほんとうに、赤子同然。
我が侭で、甘えん坊で、純粋。みんな、そういうもんじゃないかな?
今日は気分転換に、一人で公園に行ってきた。
遊んでいた子供がすれ違う時、屈託のない笑顔を向けてきた。
「こんにちわ」と挨拶をすると、照れ臭そうにぴょこんとお辞儀をした。
一瞬だけだったけれども、ほんとうに、心が洗われる思いだった。
最近の例の監禁事件の犯人談話、「話し相手が欲しかった」というのも
すごく理解できてしまう。その当時、彼の心のケアができていれば、
あんな事件は起きなかったのかもしれない。
もちろんそういう意味では、今の僕も危険人物である事は相違ないので、
奥様方にヤバい人だと思われる前に早々に撤退(笑)。
何か、人と知り合うきっかけ、がすごく欲しいなあ。と思った。
それは、表現がちょっと難しいし、人によってはアブナイ人かと思われる
事でもありそうなんだけど、恐れず言うのであれば、それは
ココロを擬人化して、アタマとは別に認識すること。
ココロは傷つき、ふれあいを求めている。ただそれだけだ。
だから、この暴れ馬状態も、多分心許した人と、ぎゅっと抱き合う、
なんて単純なことで解決するはずだ。
問題はその相手が現在、存在しないということ。
そう考えてふと思ったのは、アタマとココロを別に認識すると、そのふたりは
産まれてから今まで身体を共有し、喜びあい、悲しみあい、影響しあってきた。
いわば家族以上、これ以上の心許せる相手はいないだろう。
だから、僕のアタマで僕のココロを、愛することにした。
傷ついてるんだね。大丈夫、僕がいるじゃないか。僕らは死ぬまで、何があろうと
ずっと一緒だよ、と、優しく撫でるような感覚で、ココロの事を感じる。
そうしたら、ゆっくりとではあるけど、だんだんと落ち着いてきた。
今まで、アタマはココロをコントロールする存在であったのだけれど、
今回は対等な立場で認め、親友、家族、恋人以上の理解者になり、
いわば、アタマでココロを癒す。
・・・これって、キケンな行為だろうか?見る人からみれば、単なる自慰だ。
でも、自分の中では、このふたりは同じ人でもあり、別人でもあるんだ。
アタマでは解っていてもココロが言うことをきかない、という状況だったからこそ、
別物であるという認識をしやすく、生まれた考え、でもあるかもしれない。
彼女に対する思いも、ずいぶんと変化した。
相手に恋人が存在するという、いわばいちばん恐れていたことを、
事実として認識せざるを得ない状況になり、それを許容できる自分が形成され、
それによって今まで一番嫌いで邪魔だった、自分の独占欲が消えた。
残ったのは相手が大好きだという想い、愛情、だけ。
それは醜さのない、とても純粋な想いだ。
こういう想いを持てる自分も好きだし、すごく楽になった。
残念なのはそれが、終わってからできた感情、だということか。
こればかりはどうしようもないことなのかもしれない、が。
頭の中では、だいぶ考えもまとまって、落ち着いてきた。
昨日あった東京大学物語状態(笑)みたいな、思考が渦になってる感じももうない。
ただ、問題なのはココロ。惚れてるのはしょうがねえから、それは認めるよ。
でも、相手を求めてしまう気持ち。こればっかは抑えるしかねえだろ?
だいたいそんなん孤独が怖い、寂しいだけであって、愛情じゃないだろ?
なんて言い聞かせているんですが、なんか暴れ馬の如く言う事を聞いちゃくれん。
それによる弊害として、ずっと、例えるなら試験前、面接前などと似たような、
「緊張感」が、ずっと張り詰めている感覚。そういえば昔振られた時も
こんなだったなあ。振られた直後はみんな、こんな感覚を持ってるんだろうか。
とにかくこれには、吐き気や食欲不振、不眠が伴うので、健康にも悪影響が出る。
これはぜひともはやいとこなんとかしたい。いい方法はないんだろうか?
仕事に没頭するのが一番良さそうではあるんだけど、今丁度切れてる^^;。
ゲームも・・・なんか、画面をずっと見てると気持ち悪くなってくる。
とにもかくにも部屋で一人なのがいかん。散歩にでもいってくるのがいいかな?
気持ちを書き連ねて吐き出してみるのもいいかもしれない。日記に書くか。
と、書いてみたらちょっとだけ落ち着いた、ような気もする。
結論。慣れた気も少ししてたけど、やっぱ、孤独は怖いもんだわ。
これがみんななぜ結婚するのか、家庭が欲しくなるのか、という
理由の一つでもある、のかもしれないな。
僕はつい先程、4ヶ月程前に冷却期間を置く形で離れていた、
約4年つきあってた彼女から、正式に別れたい旨連絡を頂いてしまいました。
クリスマスも含めて、こういうイベント日に振られるのって可哀想だなあ、
とか思っていたんですが、考えてみればそういう日は、好きな人といたい日でも
ある訳で、逆に他に好きな人ができたから別れよう、とするタイミングとしては
ごくごく自然だったりするんですよね。
まあもちろんショックなんだけど、彼女を除外した環境というのは今の所どうにも
想像ができないだけに、悲しい以前に頭の中真っ白な状態です。解っているのは
女々しいっぽいけど、今もまだ彼女が本気で好きなんだなあというただ一点だけ。
ただこれで、仕事もお金も家庭もほとんどうまくいっていない現状、
唯一残っていた将来への希望(といっても僕がそう勝手に思いこんで
いただけですが)がほぼ断たれた事になってしまいました。
振られたという直接の原因よりも、そっちの方が今の僕には重そうです。
正月の鬱脱出も、この希望を思い出す事によって復活した感もあって。
でも逆にこの結果も予想できたので、そういう依存した部分をなんとかしようと
もがいてもいたんですが、ちょっと間に合わなかった、のかもしれない。
まあ今は頭真っ白なんであまり考える余裕もないんですが、あとは希望なしで
怠惰に生きるか、新たな希望を見つけて0からやり直すか、それともいっそ土に還るか。
もっといろんな事に興味を持って生きていれば、希望を見つけるのも楽なのですが、
そういうのがあまりない現状から、希望を持てる事を探す事も可能、なのかな・・・。
書くこともあんましないので夢日記とか。印象に残ってるのを3つ程。
自分が子供(12くらい)の夢。いきなり入院しました。病因は覚えてません。
大部屋だったのでたいした病気ではないでしょう。
最初に普段の僕では想像もつかないくらい大声で「これからお世話になります!
よろしくお願いします!!」と言って部屋の人達を驚かして悦に入る。
隣のベッドのちょっとだけ年上の女の子(好みではない)が、僕の事を
知っているような事を言うので、一生懸命思い出そうとするが、思い出せない。
すると「あなたは私の運命の人なんだけど、ほんとは会うのは私が20の時の
はずだった」と訳の解らない事を言われる。コワイ。適当にはぐらかす。
場面変わって家。夏の暑い日、これも子供、さっきより年齢下。
窓の外にネコがいたので遊ぼうと近寄る。ほとんどのネコは散っていくが、
一匹小猫(グレー)がいて、つかまえることに成功。
部屋の中には母(これも知らん人)がいて、「小猫だよ〜!」と叫んだら、
「まあ、部屋に入れてあげて」などと言われる。
ここまでは日常のたわいもないひとコマなのだが、
その直後小猫に手のひらを噛まれる。小猫はどんなにひっぱっても離れない。
痛い。緊張で汗が大量に出る。すると脚を蚊に刺される。反対の手で叩く。
血が見える。気を取り直して小猫を引っ張る。剥がれない。無理矢理ひきはがす。
手のひらの肉が削がれる。血が出る。ふと見ると、脚の蚊を潰した跡と似ている。
なんとなくシュールだと思う。
うって変わって現在。見覚えのある今の自宅。寝室と仕事部屋は
スライド型扉で分かれてるんだけど、ふと(夢の中で)目が覚めて、
その扉をずらしたら、仕事部屋で火災が発生している。たこ足コンセントから
火が出た模様だと解るくらいかなりリアル。火はもうかなりの大きさになっていて
どうしようもなさそうだ。逃げ、無責任にも通報すらせず、マンションが焼ける。
数時間後様子を見に戻ってきて、近所の人が原因について噂をしているのを聞く。
当然の如く僕の部屋からの出火だと解っているらしく、責任問題について、お金の
話をしている。金はない。将来が恐ろしくなり、また逃げたところで夢が終わる。
なんか悪夢ばかりですね^^;。せめて夢でくらい幸せになりたいのになあ。