妖怪大戦争の部屋

ここでは、このHPの管理人「井上淳哉」が
2005年夏の角川超大作映画『妖怪大戦争』の妖怪デザインとして関わってきた2年間をレポートしております。
映画を観た人もそうでない人もじっくりとご堪能下さい。
映画『妖怪大戦争』のデザインスタッフに起用されました。
2003年9月某日、コミックGUM編集長からいきなりお話しがありました。
「井上くん、角川の人が妖怪のデザインをできる人探してるんだけど、映画の仕事やってみない?」
信じられないお話しに喜びつつ、自分に勤まる内容なのか?と不安にもなり…、
まずはコンペ(採用試験)をしてからという事だったので「受かりますように…」
願いを込めてテスト版の妖怪画を描いて送りました。
かつてケイブのシューティングゲーム「ぐわんげ」で培った和風テイストを全面的に出してぶつけてみました。
下がこの時送ったデザイン画です。


『妖怪左上から:化けちょうちん・牛鬼・大首・ぬっぺっぽう青坊主。

後日、プロデューサーとの打ち合わせの日…。
すんなりスケジュールと意思確認の話しを進められ、「あれ?採用でイイの?」と拍子抜けな思いで話しを聞いていました。



凄くドキドキしていただけに、あっけにとられてしまいましたが、合格は合格…。
やるしかない!と燃えに燃えました。
憧れの三池監督との打ち合わせ。
年が明けて、2004年春先。
スタッフも決まり、打ち合わせが始まりました。
この頃はまだシナリオが完成しておらず、我々妖怪デザインメンバーは見切り発進ですでにデザインを始めていました。

なぜなら・・・、この映画にはかつて無い程の大量の妖怪が出演リストに挙がっていたからです。
その数総計200…。(この時点ではまだ50体くらいでしたが…)

造型スタッフに少しでも早くデザイン画をまわせるように
方向性が確定する前にもかかわらずどんどんたたき台を上げていきました。

妖怪デザイナーは3人。
造型の世界では超有名な竹谷隆之さんと、造型もデザインも両方こなし、映画の造型チームを頂点で支えた百武朋さんと、
ゲーム作ってて漫画を始めたばかりの脱サラ漫画家の僕でした。

その脱サラ漫画家が担当した妖怪は…
●麒麟送子&聖剣
●川姫
●スネコスリ
●大天狗
●ろくろ首
●ぬらりひょん
●一反もめん
●のっぺらぼう&化け提灯
●傘化け
●大首
●なまはげ
●震々
●雪女
●目々連
●からすヘリコプター
●瀬戸大将
●とっくり転がし
●姑獲鳥
●山童
●泥田坊
●袖引き小僧
●洗濯狐
●青坊主
●砂かけ婆
●雨降小僧
●たくろう火
●姥が火
●化け狸
●白粉婆
●野寺坊


途中で書くのを止めようかと思ったけど、どこにも発表されないのであえてここにだけ出しておくことにします。

かなりの数ですが、本当に苦労したデザインはメインキャラくらいで、
その他大勢の妖怪は、現代まで伝えられてきた妖怪本来のイメージをいじり過ぎないように固定化していくという作業に徹底しました。
「ひねりがないなあ・・・」なんて言わないでくださいネ。

特に大変だったメインキャラのデザインは、↓川姫とスネコスリでした。


川姫なんか最初↓こんな方向で考えてましたからネ…。(笑)


造型や衣装など、現場の状況でいろいろ調整が入るため、
ガラリと変わったものもあれば、「まんまじゃん!」というのもありびっくりでした。
とくに「まんまじゃん!」と思った川姫・大天狗・瀬戸大将の写真を見た時には
「絵のまんまでいいんですか?」と思ってしまいました。(笑)



2004年春。
飯田橋の角川ビルでの打ち合わせの日、憧れの三池崇史監督に会いました。
「Dead Or Alive」で度肝を抜かれ、「漂流街」「着信アリ」
三池演出のとりこにされていた僕にとって夢のような局面に立っていました。
そして挨拶の時、名刺を渡した後でおもむろにかばんから「漂流街」のDVDを取り出して
『ファンです!サインしてください!』とアホなお願いをしてしまいました。


事前にプロデューサーにOKを貰っていたのでできた事なのですが…恥ずかしいヤツですネ…。

そこで驚いたのが、僕の持ってきた黒マジックでは綺麗に書けないという事で
監督自らのマイシルバーペイントマーカーでわざわざケースから中のレーベルを取り出してサインしてくれました。
なんてサービス精神旺盛な…。


これが監督のサインです。ちと見づらいけど僕の宝物です。


この件もそうですが、後に造型スタッフや撮影現場の人から聞いた話でも
三池監督は現場の人にも気の回る凄くいい人だという評判で僕は益々尊敬してしまうのでした。


さあ、ここからはお仕事の話。
妖怪一体一体のチェックが始まりました。
まだこの時点では、脚本がそろそろ完成するかな?という段階。
映画に最も効果的な、妖怪デザインの方向性を決めていく妖怪会議(笑)が始まりました。

監督にラフ画をバンバン見せていく妖怪デザインチーム。
それを造型師とCGディレクターがサポート。
見ていてビックリしたのは、監督の湯水のように溢れ出すアイディアの数々でした。
議題のシーンのたびに即興でその場で身振り手振りの演技で説明しカメラの動きまで細かく指定していく様は、
あまりにも迷いが無くはっきりしているため話を聞いているうちにスクリーンが浮かんでくるような錯覚を覚えました。
これはもう僕にとっては鳥肌モノでした。



おかげで監督のイメージは物凄く解りやすかったです。
角川(旧大映)スタジオの壁画を描く事に…
2004年7月。
撮影が始まり、僕のデザイン画の仕事が一段落した頃、角川スタジオリニューアル記念の一環として、
妖怪壁画を作る事になったという事で壁画イラストの依頼を受けました。
漫画の連載の事も気にせず、大変名誉な事だと思ってあっさり引き受けた僕は、
壁のサイズをセンチ単位で出してもらって製作に入りました。


これがスタジオの南面の壁の図面。計16枚の壁に妖怪を1体ずつ描くというものでした。


建物の側面の16枚もある壁に貼り込むイラストは雨水のパイプや自動販売機などを考慮して、
昔の幽霊画の掛け軸のような、和紙に筆で描かれたようなデザインで統一しました。

「ぐわんげ」のポスターで一度絵巻調の絵は経験済みだったので比較的楽に方向性が決まりました。

壁画を描くという話を聞いた時には壁に向かってペンキでヌリヌリするのかと思って、
そんな事僕にはムリムリムリムリ(神木くん調で…)と思ったのですが、
最近の技術は進歩したもので、パソコンのデータがそのまま貼り込めるらしいですね。(スゲ〜)
おかげで僕にも描けました!(笑)

↓以下が完成画です。
小さくて見づらいですが、スネコスリがいろんな妖怪の所に旅をするというコンセプトです。

道路に面した一番目立つ所に居る油すましと傘化け。

入り口付近のガメラ喫茶前の麒麟送子。



同じく川姫。

ゲートを越えた所にいる大天狗。

窓から侵入するぬらりひょん。
窓の中は実際のスタジオ内のはめ込み写真。



スタジオの奥の方に居るろくろ首。

この辺は一番奥。スタジオのすぐとなりに高校があって、
その校庭から怪しい壁画が丸見え!(笑


製作発表にお呼ばれしました。
2004年9月1日、製作発表にお呼ばれしました。
撮影に立ち合わなかったので、出演者にお目にかかるのはこれが初めて!
ミーハー根性に火がつきました。

記者会見の会場です。
いろんな出演者が並び、トークを盛り上げましたが、残念ながら写真は載せられません。


入り口には2体の4m大魔神像が睨みを利かせていました。

さくや妖怪伝などで有名な原口智生監督の作品だそうです。

円月殺法のゲートです。一般人はここまでだそうです。



建物の中には1/1レギオン群体が〜!

各フロアに怪獣が居ます。


スタジオが火事!?
2004年11月。
遅すぎる夏休みで帰省している時に、兄嫁からスタジオの火事のニュースを聞かされました。
まさかと思ってプロデューサーに電話。
そしたら最悪の答えが〜!(涙)
けが人が居なかったのが幸いでしたが、撮影が一ヶ月近く遅れる大アクシデント!
でも公開日は遅らせない!との事…。
「プロだ…。」
エキストラに参加してきました。
2005年1月。
火事で1ヶ月以上遅れてエキストラの撮影が始まりました。
こんな機会、二度と無いぞ!
と思った僕は、エキストラに参加することにしました。(ヒマですネ〜)
プロデューサーに「できるだけたくさん連れてきてください!」と言われたのであちこちに声をかけて20人程連れて行きました。
早くに行くとかぶり物妖怪がもらえると聞いていたので、待ち合わせは独断で早朝にセッティング!
案の定、友達からは「早すぎるだよ!」と大ブーイング。


大人数が一箇所でボロを着て待機している様は、まるで難民ですな…。600人も集まった最終日。それを手際よくさばくスタッフの方々には感心しました。
プロはどこの現場にもいるんですネ。

意外とパーツが多くて大変…。
ロッカーが無いので、ビニール袋に名前を書いて隅っこにポイ。
貴重品はもちろん本部に預ける。




午前中は着替えでつぶれました。
エキストラだというのに思った以上にしっかりとした被り物でびっくり。
手や目の隙間にドーラン塗られて楽しかったです。


これが僕です。じじいっぽい妖怪だったので、猫背にしてます。名前は百々爺(ももんじい)と云うそうです。

なんか千と千尋にこんなのいましたね。
ちなみにこの妖怪、恐ろしく視界呼吸に難がありました。




この後、マスクドエキストラ妖怪たちの撮影会がありました。
なんかカードとかにできるように写真素材を撮っておくそうで、みなさんいろんなポーズで撮られていました。

身内だけで記念撮影。
この中に、サイキックフォースのかどつかささん・ネイルの声の加藤みどりさん・
ケイブの書道家(?)若林實山先生などが紛れています。



この頃まではとても楽しい雰囲気で撮影が始まろうとしていました。
まさか…、この後で地獄のエキストラが始まろうとは
誰も予想だにしていなかったのです…。

ロケ弁を頂いて、さあ撮影開始!
スタジオ内はCG合成のため、全面ブルーシートに覆われていました。
入り口で太鼓を渡された僕は『太鼓を持った百々爺』として出演することになりました。



みみっちい話ですが、この太鼓を持った百々爺は本編に
バッチリ(?)映っていました。イエ〜イ!(アホ)



予告編でも流れてるシーンなので、ウチのDVDに撮ってスローで確認できました!
あと角川書店「写真で見る日本妖怪大図鑑」にもばっちり載っちゃってたので大喜びです!

さて、子供じみた「映ってた自慢」はこのへんにして…、

スタジオではすでに少人数の妖怪の素材撮影が始まっていました。
スタジオ内にはいろんな妖怪がいて、準レギュラークラスの出来のいいヤツや
自分ひとりで支えられない大きいヤツが不気味な存在感をかもし出していました。


さっそく監督に挨拶をしに行きました。(ちょっと優越感〜!アホ)
今日は撮影のクランクアップ(最終日)だったので、レギュラーキャラ役の芸能人は誰一人来ていませんでした。
「芸能人に会えるかもヨ!」と言って友人達を連れてきた僕は、この時点で嘘つきの烙印が押されました。(涙)

そしてしばらくして大人数の撮影が始まりました…。


なんとなくスタジオ中央に広がるエキストラの方々。
すると山口助監督がメガフォンで
「皆さんもっと中央に集まってください〜!」
徐々に中央に集まり始めるエキストラ。
「もっともっと集まってください〜!」
エキストラ妖怪はもう寿司詰め状態まで密集状態に…。



大体夕方6時の山手線くらいの密集度でしょうか?
それはいいんです。
確かにこれくらいじゃないと、お祭りの賑やかさと迫力は出ないでしょうから。

そこで撮影再開!

それからしばらく、いろんな角度の妖怪群衆のパターンが撮られました。
体内時計で夕方くらいでしょうか、だんだん疲れていき、密集とマスクによる息苦しさで意識がモーローとしてきました。

被り物をしている妖怪は必然的に前方に呼ばれます。
前方に出ると目立つので、動き(演技)にも手が抜けず、ますます疲れていきます。
しかしそれ以上に大変なのは新鮮な空気の補給です。

造型マスクの内側は独特のシンナー臭がするんですヨ。
被っているだけで体力が4ポイントずつ下がっていくんです。(謎)
疲れてくると少しでも新鮮な空気が欲しくて待機のたびにマスクを外します。
そして撮りが始まるとまた被る。
終わると取る。
始まると被る。
終わるとまた………。
今思えばこの呼吸問題が一番辛かったです。

「いつまで続くんだ…?」「もう疲れたよ…。」
エキストラの中からこんな声が聞こえてきます。
「あと4テイクです〜!」とスタッフ。
そして4回撮り終えるもまだ続く…。
5回…6回…。
まだ続く。
「あと4回つっただろうが…」「いつまでやんの〜?」「とっとと帰らせろ〜。」
あたりから不満の声が聞こえてきました。
グチならまだしもマジ切れの人もいます。
エキストラ妖怪の中から本当の邪気が…。(怖)



そういえば映画『陰陽師』で安倍晴明が言っていた。
「人は心一つで鬼にも仏にも変わりまする。」と…。

「監督〜。今この群衆はエキストラ(奉仕の仏)ではなく本物の鬼ですぞ〜!」

この日は撮影最終日なせいか、
予定はどんどん長引いて夜8時を回ってしまいました。
極めつけの最終撮影は勝利のウェーブです。
そうです、野球場のスタンドとかでやるあの人の波です。

あれをこの状態で、このコスチュームで、この密集率でやるというのです…。

最後という言葉に皆も希望が湧いて最後の力を振り絞りました。
しかしこれがまたなかなかOKが出ない。
それもそのはず。
もう皆、ボロボロ状態で勝利を祝える精神状態ではなかったんですから…。



そのウェーブもなんとか乗り切り、
そんなこんなで長い長い撮影は無事クランクアップを迎え、地獄のエキストラもなんとか終わりました。
友人達からは「なんて大変なトコに連れてきたんだ〜!」とぐーパンチ攻めでした。(笑)


ただこんな一日にも一つだけ夢のような体験ができました。
最後の最後にプロデューサーにお願いしてみたらなんとホントに三池監督と記念撮影をさせてくれたんです!


井上組と三池監督。角川スタジオエレベータ前にて。



これで疲れもイライラも完全に吹っ飛びました!(笑)
僕ってこんなにミーハーだったのか〜って実感しましたヨ。


僕らは良かったのですが、あの場に集まった600人のエキストラの方々。
長く辛かったあの撮影の日を恨まないで下さいネ
三池監督は皆さんの努力を無駄にせず最高の演出で妖怪を描いていますから安心して映画館に足を運んでください。
本当にあの日はお疲れ様でした!

家に帰って風呂に入ると足の爪に血がにじんでいました。
映画の現場という所がどんなにキツイ所なのかを痛感した一日でした…。
ふう〜(疲)
初号試写会
2005年6月。
ようやく映画が完成し、関係者のみの初号試写会に行って来ました。
早目に着いた僕は、プロデューサーの「どこに座っててもいいですよ!」との言葉に甘え、
中段のど真ん中に席をとりました。

しばらくしてひとつ前の席に川姫役の高橋真唯さんとタダシ役の神木隆之介くんが座り、
ビビっていたら、空席を少しあけた左側に菅原文太さんが。すぐ右隣の席に宮部先生京極先生が!!
そこでアタフタしてたら真後ろに水木先生が!
「なんで自分こんな席(トコ)いるの〜〜〜〜!?」
と思ってみても時すでに遅し、四方囲まれてもうどこにも逃げられません。


物凄く恐縮しながら拝見させて頂きました。


観終わってみて…。


いろいろ関係している立場だからなのか、なかなか普通の感想がでてきませんでした。

たとえば、
「2004年は記録的猛暑だったから夏の暑そうなイイ絵が撮れてるなぁ〜」とか…、
「このシーンは監督のゼスチャー説明よりもちょっと物足りなくない?」とか、
「この森の外はあのスタジオなんだよな〜」とか、
「川姫の衣装デザイン、布少なくない?っていうかあれデザインしたの僕じゃん!」とか…、

普通の感想が出てきません!!


後日、マスコミ試写会で2度目を観に行ったときは、やっとお客さんの立場として観る事ができました。
感想は、「素直に楽しい映画!!」です。

『スターウォーズ』『宇宙戦争』と比較してはいけません。
でもあえて比較した言い方をすると、
妖怪大戦争は、

この夏一番笑える戦争映画になるでしょう!

ネタバレになるといけないのでこれ以上内容には触れません〜!
最後に
以上が、『妖怪大戦争』に妖怪デザインとして関わった僕の視点から見た製作日誌でした。

終わってみたら楽しい思い出ばかりでした。
映画を創るというのは物凄いエネルギーなんだな〜と圧倒されました。

これからはしばらく漫画に専念しますが、
この映画で得た経験は絶対に今後の自分の漫画に大きく影響することでしょう。
三池監督のような中毒性を持った作家を目指してこれからがんばります。

皆さんも是非この三池演出のたっぷり詰まった『妖怪大戦争』をチェックしてみてください!