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70歳のカベ 入院記
● 準備入院に先立ちいくつかの検査をした。検査は半日だったが、感染予防のために飲んだ抗生剤で蕁麻疹がおきた。 また、手術数日前に輸血に備え自己血を400CCほど採血した。 ● 入院第1日目手術日の前日午後に入院した。病室は大部屋(4人部屋)の廊下側。 およそ2×2メートルのカーテンの仕切りの中に、ベッド、ロッカー、テレビ、冷蔵庫、貴重品用引き出しと移動テーブルなど。 ここが約2週間の住み家となった。 病室には先住が2人、同日入院がもう1人。この人には戦友という意識が次第に醸成されていった。 夕刻病院の風呂に入ったり、就寝時に下剤を飲むなどの準備。
第2日目(手術当日)6時に起床。手術前のいくつかの準備があった。 8時に点滴開始。 9時10分前に歩いて(看護師さんに導かれて)手術室へ。 9時に麻酔開始、9時10分頃から手術開始。 下腹部の上に何かいろいろな物を置かれる感じ。 壁のデジタル表示板には麻酔開始時刻と経過時間、手術開始時刻と経過時間が掲示され、モニターには自分の前立腺が電気メスで削られる映像が映る。 9時40分手術終わる。 担当医師が削り取った残骸が入ったビンを示し「これだけとれた」と。 手術台からベッドに移され、手術室を出てからさらに迎えの自分のベッドに移され自室へ。 10時前に病室に着く。 注意事項は麻酔が覚めても頭を上げないこと。 同室の戦友が午後同じ手術を受けるため手術室に行く。 戦友は1時間ほどで手術室から戻る。 午後4時過ぎに看護師さん手伝ってもらい、手術着からパジャマに着替える。 夕食までは頭を上げないこと (第2日目夕食) 第2日目は夕食のみ普通食が許された。 魚(オヒョウ)のムニエル、野菜とハルサメの炒り卵和え、サラダ、おすまし、福神漬け。 点滴と自己血の輸血。 下の管からは赤い尿。 この夜は疲れのためか比較的よく眠れた。 第3日目(第3日目の点滴)朝、5時に起きようと思ったがベッドで長い間うとうとしていた。 病院での日課は、6時過ぎに検温、脈拍測定、血圧測定などと、夜よく眠れたかどうかのチェック、大便の回数のヒヤリングなどがあるので、これが終わってからの起床がよいと考えた。 この日は手術後の翌日だが、疲れのためかベッドに居る時間が長かった。 身体的苦痛は全くなく、下の管の違和感と点滴のうっとうしさがあるだけ。 この日はあまり動けず、食事とカード式のイヤホーンで聴くテレビだけが楽しみで、持参した藤沢周平の文庫本は読む気が余り起きなかった。
第4日目下の管でつながれて、小便は自動的にバッグに溜まる仕掛けなので小便のために起きることが無く夜はずっとまどろみが続く。大便が正常化。 たまった尿は前日よりピンク色が薄くなってロゼワインの色。 戦友の I さんといろいろの話をする。 窓側のベッドの人が退院。 また、戦友のIさんの前の窓側の人が部屋を変わったのでベッドは空きになった。 点滴と下の管があるので歩き回るにしても、ナースステーションのあたりまで。
第5日目(日曜日)夜の内にたまった尿はロゼワインの色。昼間の尿はピンク色が薄まるが、トータルではやはり出血続いているらしい。
夕方、窓側のベッドに新規入院の人が入った。 この人はいびきがすごく、翌日売店で耳栓を買った。 第6日目(5日目の夜間の尿)月曜日、朝8時の回診時に導尿の管を抜いた。 2週間前の術前検査の時の空気を入れる管の挿入と抜いた時の痛みが忘れられず、導尿の管を抜くことに恐怖心があったが何の痛みも感じず、出血も無かった。 抜いた後の排尿も違和感はあったが痛みが無く、心配していたことは全く無意味だった。 排尿は手術前に比べて流量が多く改善が著しいと思った。 看護師さんから蓄尿の説明を受けた。 戦友のIさんも導尿管が抜かれて蓄尿を始めたので尿の量や色を比べることととなった。 また、排尿の回数を記録することとした。回数はかなり多いが、やがて落ち着くとのこと。 夜、最後の点滴が終わった。 中国で大地震発生。 隣の部屋のTさんと親しくなった。 東京に住人で76歳。放射線科の治療で一週間の出張入院。普段は自宅近くの東京の大学病院で治療を受けているが、担当の先生が週に何日かこちらに来ているので先生に誘われて入院したとのこと。いろいろと身の上話をする。
第7日目小便は頻尿。色は前日と変わらない。 導尿管が外れ点滴が終わって行動の自由度が増した。 医者は普通にして良いと言ってくれたが、6日間でも体力と筋肉がかなり衰えていた。 5階のフロアから階段で1階に下り、新聞を買って階段で5階に戻ったら息が切れふくらはぎが痛くなった。 小便のサイクルもなかなか元通りにならず頻尿気味。 水分を多く摂って多く流すという注意事項をまもると頻尿になるのはやむを得ないか? 夕方入浴。今日はシャワーのみだが久しぶりで気持ちよかった。
戦友のIさんの前のベッドに人が入る。 これで4人部屋は4人になった。 第8日目尿のサイクルの間隔が少し長くなってきた。でも、1日で12〜13回ほどで結構多い。 この日の入浴は湯船に浸かる方式。お風呂は気持ちよいしあたたまる。 (O中央温泉) この病院のお風呂は結構広く、浴槽もゆったりとしている。 お湯が浴槽の適当な水位になるまで3〜4分掛かる。 浴室の床部分も広く、5階にあるため見晴らしがよい。 大体は空いているが、時間帯によっては2組ぐらい待つこともある。 入浴は回復期にある患者の大きな楽しみの一つとなっている。 尿の色は薄黄色 階段の上り下りで筋力が付き体力も回復しつつある。 退院は来週月曜日に話し合いましょうと先生。
第9日目小便の間隔は更に延び1日で10回ほど。階段の上下と一階の散歩を組み合わせたメニューを編み出す。
第10日目尿の間隔は正常化。ただ、朝ややピンク色になったので新聞購入の遠征?も控える。 朝の回診時に先生に訴えたがちょっとの血尿は誰にでもあり得るとのこと。 運動(階段の上下と散歩)は全て中断し安静に努める。 午後の風呂も止め簡単なシャワーに切り替える。 蓄尿のバッグの色は濁り気味。 尿全体の色がその日の結論だから各回の尿の色に一喜一憂するのはおかしいのかな?。
第11日目やはり尿の色が気になる。 戦友のIさんはほとんど澄んだ蓄尿で、つい比較したくなる。先生は蓄尿の色は心配ないと言い、普通の生活をしなさいとのこと。 この日も運動を控える。(何と小心な)。 日曜日の数時間の外出許可が出る。
蓄尿の色がややピンクがかってきたので記録の写真を撮ってみた。
第12日目尿の色は前日よりピンク系から黄色系に変わってきたが戦友のIさんよりは透明度で劣る。気になるのなら止血剤の投薬をしましょうとのことで薬(1日3回)が出る。 午後、外出許可が出ていたので午前中はもっぱら安静につとめ、昼食後外出の手続きを看護師さんにしてもらう。 昼食を終えて、洗濯物を持ってタクシーで家に帰り着く。 お茶を飲んでからパソコンのスイッチを入れる。 気になるメールは、迷惑メールばかり何と1202通もあった。 中で、ボランティア関連を選り出すのに1時間半もかかり、返事にお詫びの文字を入れて打ち終えたら、予定の3時間が迫っていた。 タクシーで病院に戻る。 血尿を避けるにはなるべく歩かないこと。
第13日目朝の回診で退院許可が下りる。主治医の異なる戦友のIさんは、先生の回診が無くてどうなるか不安げだった。 退院後の注意事項
家人が来てくれて退院手続きが済み、無事退院となった。 ● 退院後の療養終わってみると13日間の入院生活というのは長いようで短かった。次は自宅の療養 退院当初は体力が衰えていたが、急な回復は求めず徐々に普通の生活に戻るように心がけた。 何をどこまでやるかは、血尿につながるかどうかを目処にした。 血尿といっても、わずかにピンク色が出るか出ないかの程度で、ピンク色が出ても小一時間横になっていると次の尿では収まる程度の物だった。
外来で戦友のIさんと出会えた。 結局、手術後5〜6週間(退院後3〜4週間)後に完全復帰ということになった。 途中経過の血尿の有無は単なる取り越し苦労で、手術後の入院中の生活形態、退院後の生活形態が経過にどう作用したかはよく分からなかった。 手術前検査以降約50日の禁酒という財産が残った。 プロフィールに戻る |