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中華街・獅門酒楼でクラス会 2014


2014年度に喜寿を迎えようという老人たちが、小学校のクラス会を横浜中華街で開いた。小学校卒業以来64年が経過している。
参加者は17名。小学校の名前は東京都杉並区立杉並第九小学校(杉九という)で、入学当時は国民学校といい卒業時には小学校となっていた。

中華街へ

鎌倉から横浜中華街へは、JR大船駅→JR石川町駅→延平門→関帝廟通りというルートが一般的だが、今回は表門(善隣門)から入った。

表門付近は最近は外国人が多く、異国情緒がただよう。
中華街大通りは12時から歩行者天国となっており、かなりの数の外国人が行き来していた。

(善隣門)
(歩行者天国の看板)
善隣門
歩行者天国の看板

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獅門酒家

中山路を右折し、すぐに「獅門酒楼」。中型店だが味が評判の店。二階の宴会場は間仕切りをして、5つの区画があったが全部満席だった。


(獅門酒楼)


さて、参加者は、東京都在住11名、神奈川県在住3名、埼玉県在住2名、千葉県在住1名となっていた。東京都のうち、杉並区在住者は3名であった。

横浜の中華街までの交通に関しては、便利になったと好評だったが、渋谷で乗り換えに苦労したのは杉並在住者の1人で井の頭線利用者だった。

以下、喜寿を迎えた世代が体験した戦争の経験について話が盛り上がったので記録しておくと・・・。
戦争と学童疎開の体験について
  • 自宅の戦火
    杉並第九小学校の学区は杉並区天沼、杉並区阿佐ヶ谷5〜6丁目だったので、終戦まで火災にあった人は少ない。
  • B29
    戦後になって、大きなすり鉢状の円形の池(直径10メートル程か?)で鯰を釣った(もしくはクチボソを釣った)という話が出た。
    巷間、杉並区は中島ヒコーキへのB29の爆撃ルート下にあったため、間違って落とされた爆弾で出来た穴に水が溜まったので「バクダン池」と呼ばれた。
  • 戦闘機の風防ガラスと薬莢
    零戦の風防ガラスの欠片を集めて甘いにおいを楽しんだ。
    航空機の機関銃の薬莢を集めて楽しんだ。
  • 学童疎開の体験
    昭和19年の時点では、学齢が満たなかったので参加者はなく、その後学齢を引き下げたのか2名が参加した。
  • 疎開先は長野県上田市の霊泉寺温泉で今年訪ねたら旅館が一軒廃業していた。
  • 縁故疎開1
    大半は縁故疎開の経験者で、都内の郊外はもちろん、山梨県、富山県、三重県、岡山県など多岐にわたった。
  • 縁故疎開2
    「自分が強く生きてこられたのは疎開時にまわりからいじめられた経験とその反発から学んだ人生観による」との意見も・・・。

疎開の話はそれぞれが体験を話したがり、いろいろな意見に皆が共感を持った。

いつもは料理の写真を撮ることに専念するのだが、今回は料理を撮るゆとりはなく、参加者の世話(大きなお世話)に振り回された。

集合写真


(集合写真1)
集合写真


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関帝廟で解散

終了後、近くの関帝廟に行って再度記念撮影をした。
この廟は特に外人の参拝客が多かった。

(関帝廟前で)

写真撮影後関帝廟前で解散となった。


次回幹事が決まらないまま、次回は来年の10月頃との暗黙の了解で、三々五々各自の乗りたい交通機関に向かった。

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(若干の情報)

場所電話
獅門酒楼
045-662-7675


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