鎌倉の刀匠のふいご祭
刀匠・相州正宗二十四代の綱廣さんを取材した際、 ふいご祭の取材の許可を得た。
ふいご祭は火の神様にふいごの安全を祈願する行事で、 別名「たたら祭」ともいう。
正宗工房のふいご祭は月遅れともいえる12月8日。
(相州正宗24代の山村綱廣氏)
綱廣さんのふいご祭は、工房に注連縄を張って、
装束に身を固めた綱廣さんと弟子達が、ひたすら
鉄を鍛えるだけのもの・・・。
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(ふいごの火) |
(鉄を鍛える) |
綱廣さんのふいごは、手動兼電動式で
手動の時は呼吸するように火力に強弱があった。
たたら製鉄で作った生の鉄は、ふいごの火力で赤熱し
鎚でたたくと火花が出る。
鎚でたたいて、長くなった鉄を折り曲げ
これを湯玉に入れて冷まし、またふいごで熱して、
鎚で延ばし、折り曲げ、湯玉で冷まし、
またふいごで熱して・・・の繰り返し。
この作業で不純物が除去され、鋼ができあがる。
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(鉄を鍛える2) |
(鉄を鍛える3) |
正宗工房には電動の鎚もあり、これは1人で取り扱える。
が、手で打つ鎚のほうが良い刀が出来上がるのだろう。
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(電動の鎚) |
(弟子と3人がかり) |
ネットで調べたところ、「ふいご祭の起源は15世紀の中頃。
当時鉄砲鍛冶の中心であった堺の鍛冶屋が、伏見稲荷の御火焚の日(11月8日)に、お札をうけて鍛冶場に祀る風習が、稲荷信仰と一体となって地方へと拡散した。」とのこと。
ふいご祭には、新穀、新酒、蜜柑、海の幸などを神にささげ、、お下がりを参加者や近所に配る風習があったらしい。
正宗さんは、12月になると蜜柑の価格が下がるので、うちでは12月8日にふいご祭をやったのだと言い伝えられていると笑っていた。
紀伊国屋文左衛門の「かっぽれ」も、このふいご祭の風習とつながる。
紀州の天候が悪く、江戸でふいご祭をひかえてみかんが高騰している事を聞きつけ、文左衛門は、3倍の手当てを約束して乗組員を確保し台風をおして蜜柑船を出航させた。
彼らは、死を覚悟し、白装束に頭は三角の布をかぶって船に乗り込み、浸水を防ぐため、大量の松脂を船底に塗った船に1200両分、7000篭の蜜柑を積み込んだとのこと。
磁石を頼りの命懸けの航海は成功し、蜜柑不足に悩んでいた江戸の町人たちは大歓声をあげて文左衛門を迎え、蜜柑は、なんと原価の数十倍で売却できたと言われている。
この成功で文左衛門は材木商になり、財をなして派手に遊んだらしい。これがかっぽれの謂われとか?
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