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みなみの桜と菜の花まつりと下田散策 08

河津桜が有名になりすぎて、河津町は人出が多く、人に埋まりそうになってきた。
で、今年は趣向を変え、下田の先まで足を伸ばして、南伊豆町の「みなみの桜と菜の花まつり」に切り替えてみた。
また、下田泊なので、下田のなまこ壁造りの民家めぐりが出来る。

南伊豆町のみなみの桜と菜の花まつりは同町の下賀茂温泉から日野地区まで、青野川の両岸約2キロ(往復4キロ)の間に800本からの河津桜(樹齢20年ほど)が咲き誇る。

(青野川畔の河津桜)
青野川畔の河津桜

菜の花畑は竹間小学校前のバス停周辺(同町日野地区)の3ヘクタール(3万u)の休耕田に菜の花が一面に栽培され、黄色の絨毯が広がる。

(菜の花畑)
菜の花畑


南伊豆町のホームページ

● 南伊豆町へ

南伊豆町は下田から入るのが一般的だが、西側の松崎町からも1時間ほどの距離で、伊豆半島最南端に位置する。

昨年夏は愚息夫婦と松崎に泊まり西側から下田に向かい下田でハゼ釣りをした。
今回の旅は下田に一泊するので朝の踊り子に乗った。大船から2時間ちょっとで下田に着く。

(リゾート踊り子1号車)
(鉄道友の会エンブレム)
リゾート踊り子1号車
鉄道友の会エンブレム

朝の特急踊り子号は臨時列車で、伊豆急行の「リゾート踊り子黒船電車」の車両。これが何と1号車のそれも前から2番目の席の指定券だった。
子どもの頃から電車の最前の車両が好きで、よく最前列の車両まで歩いていったことをふと思い出した。

このリゾート踊り子号は、最前の車両はひな壇が30席ほど連なり前向きの席だが、他の車両は常に左側向き(相模湾向き)の座席があることでも有名で、1986年の鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞している。

満員の車内の客は読み通り河津駅で下り、下田まで乗った人の数はは極わずかだった。

コインロッカーに荷物を預け弓ヶ浜行きのバスに乗る。竹麻小学校まではいくつかのバスが通るので東海バスに問い合わせるとよい。

● 日野地区の菜の花畑

竹麻小学校前でバスを下りると目の前に休耕田が連なりどれも菜の花が満開だった。

菜の花畑写真集

(写真をクリックすると拡大写真が出ます)

   
 
   
 

● 下賀茂温泉へ

菜の花畑会場からバスに乗って下賀茂温泉の温泉街に出た。

まつり期間はシャトルバスも運行しているとのことだが詳細はよく判らなかった。
(後で知ったことだが、シャトルバスは路線バスの停留所を銀の湯会館から日野菜の花会場を結んで所定期日に運行しているとのこと)

下賀茂熱帯植物園前でバスを下り、温泉街を歩いて昼食を摂る場所を物色したが結局植物園の食堂になった。

● 下賀茂温泉熱帯植物園で昼食

価格も味もこの地区ではベストの選択だった。

(熱帯植物園食堂)
(ピラフ)
(スパゲッティ・ナポリタン)
熱帯植物園食堂
ピラフ
スパゲッティ・ナポリタン


昼食のあと、銀の湯橋を渡って銀の湯会館に行った。

● 下賀茂温泉・銀の湯会館

銀の湯会館は南伊豆町営の日帰り温泉施設で立派な建物と豪勢な浴槽、良い泉質で知られている。

(下賀茂温泉銀の湯会館)
(内湯)
(露天風呂)
下賀茂温泉銀の湯会館
内湯
露天風呂

ただ入浴料金も一流で、2時間900円という設定は、町の財政を潤すことに貢献しているに違いない。
結局、観光客対象の温泉施設ということか?。町に居住する人に対しては別の料金設定が必要だろう。

銀の湯会館ホームページ

● イベント会場

イベント会場は来の宮橋のたもとで、銀の湯会館から歩いてすぐのところ。
祭りの開会時と閉会時にはイベントがあり、また夜桜のライトアップなどが計画されている。
現在は、十数軒の出店が出ており、中央にテーブルや椅子が出ており即売されたものを飲食できる。
出店は漁師か農家が多い。

(会場の出店1)
(会場の出店2)
(金目鯛の干物)
会場の出店1
会場の出店2
金目鯛の干物

(サンマの干物)
(自家製のわさび漬け)
(全て自家製)
サンマの干物
自家製のわさび漬け
全て自家製

出店している漁師のおかみさんや農家の人と会話を楽しみながら家人とともにいろいろな食料を買い込んだ。

河津桜の出店に比べて商売人っぽい出店が全くなく買い物が楽しかった。

● 青野川河畔の河津桜

このあたりの桜は五分咲き。
川のどちら側の桜も見頃だった。

(写真をクリックすると拡大写真が出ます)

   
 
   
 

天気予報によるとこの日は午後から強風。ところによりにわか雨。

青野川の土手を菜の花会場に向かって下りはじめたら突然強風が吹き始め天候も怪しくなった。
やむなく九条橋をわたり九条橋バス停でバスを待った。

バスを待っている間にも天候は刻々と悪化し、強風が吹き荒れ、黒い雲が出て雨が降り始めた。

● 下田伊東園ホテル・はな岬

バスは多くの人が避難してきて満員で、天候も下田に着いたときにはかなりひどい降りになっていた。
蓮台寺に日帰り入浴に行くつもりだったがその気もなくなり、爪木崎行きのバスがあったので伊東園ホテルに向かった。

一駅で漁港前に着きホテルは目の前。

雨が急におさまりかけ、チェックインが済んで自室に入った頃にはもう日がさし始めた。ただ風は強く気温が低くなってきた。

(下田港側から見た伊東園ホテル)
下田港側から見た伊東園ホテル

伊東園ホテルはチェーン化攻勢で伊豆半島の各温泉地に急速に進出し、下田には既に2軒も伊東園ホテルがある。

はな岬の温泉は3階にあり、男女別の大きな内風呂とその外側に露天風呂がある。
お湯は蓮台寺温泉からの引き湯で、弱アルカリ性の単純温泉。肌触りがよい。

(伊東園ホテルの内湯)
(別角度から見た内湯)
(露天風呂)
伊東園ホテルの内湯
別角度から見た内湯
露天風呂


● 下田散策

まだ日暮れには時間があったので下田を散策した。
目当てはとりあえず昭和湯。下田に残された唯一の共同浴場(公衆浴場)。

昭和湯へは新みなと橋を渡って下田公園へ行くが、渡ったところになまこ壁の家があったのでカメラに納めた。
次の路地を左折してしばらく行くとまたなまこ壁の家があり、さらにもう1軒のなまこ壁の民家が角にあった。
この3軒は後で知ったのだがK家とK家、S家だった。S家の前の道をさらに行くと安直楼とK家がある。
翌日もこの付近を歩き回ったので写真は次項の「下田のなまこ壁の民家」にまとめてみた。
下田のなまこ壁の民家を訪ねて

● 昭和湯

(昭和湯)
(昭和湯浴槽)
昭和湯は3年前と全く変わっていなかった。
下足札の下駄箱、脱衣用籐製の籠、深めの浴槽、湯温を保つための蓋など全てが銭湯の雰囲気。
出た後、番台のおかみさん(前回はおじさん)と年配の入浴客と共同浴場を守るための対策について意見交換した。
昭和湯
昭和湯浴槽


昭和湯の壁に「旧南豆製氷」に関する2005年のシンポジウムのポスターが掲げてあった。
ホテルへの帰途寄ってみよう。

● 土藤(つちとう)商店

昭和湯を出て下田駅の方向に歩いていると、上部がなまこ壁でおおわれた古い建物があり「明治20年創業 土藤商店 蔵の中に昔の看板・大福帳・商売道具などが残っています。お気軽にご覧下さい。」とあったので入ってみた。

(土藤(つちとう)商店の蔵の中)
土藤(つちとう)商店の蔵の中


いろいろな看板や代理店契約の銘板、大福帳、仕入れ帳、酒の瓶や一升徳利などが所狭しと並んでいた。
面白かったのが「紐育スタンダード石油會社(STANDARD OIL CO OF NEW YORK)」の代理店の看板。

(土藤酒店の張り紙)
(小豆島醤油の看板)
(正宗の看板)
土藤酒店の張り紙
小豆島醤油の看板
正宗の看板

(ホーロー製看板)
(スタンダードオイルの看板)
(明治40年の米穀仕入帳)
ホーロー製看板
スタンダードオイルの看板
明治40年の米穀仕入帳

蔵のお店番の方から「下田で日本再発見」(裏表紙「見直しませんか下田の民家と商店」)という小冊子をいただいた。
明日はこの小冊子が頼みになりそうだ。
土藤商店のホームページ


● 石亀水産の花の風車

土藤商店を出てすぐに石亀水産という魚の干物やさんがあり、店内に風車があった。

店内の親父さんに声を掛けたら、写真を撮るなら外に出した方が風車が回ってきれいだよと気軽に表に出してくれた。
この風車は商売人に作ってもらった物で3月半ばから4月初めまで、「まどが浜海遊公園」で「風の花祭り」が開かれるとのこと。

(石亀水産の看板)
(石亀水産の花の風車)
石亀水産の看板
石亀水産の花の風車


● 旧南豆(なんづ)製氷

旧南豆製氷は下田橋に近い場所で稲生沢川に面している。
大正末期の建物で2004年まで製氷工場として稼働してきたとのこと。

(旧南豆製氷1)
(旧南豆製氷2)
旧南豆製氷1
旧南豆製氷2

下田を代表する建築物を保存できるかどうかが問われている。

● 伊東園ホテル・はな岬の夕食

格安の伊東園ホテルの夕食はバイキング。
その一例を示す。

(金目鯛の刺身1)
(金目鯛の刺身2)
(エビ天)
(青のりの天ぷら)
金目鯛の刺身1
金目鯛の刺身2
エビ天
青のりの天ぷら

(チャンチャン焼き)
(酢の物と塩辛)
(大根の煮物)
(鯖の蒲焼き)
チャンチャン焼き
酢の物と塩辛
大根の煮物
鯖の蒲焼き

と、まあ、雑多なバイキングで、食材の安い物も多いのですが客は大満足で、和室大広間を改造した食堂は幸せそうな家族が笑顔で食事をしていました。

第2日目

● 朝の下田漁港

朝食前に下田漁港に行ってみた。

前日もこの日も強い風が吹き荒れていたが、金目鯛の競りが行われて活気があった。
金目鯛が漁船から揚がったのか、生け簀からトラックで運ばれたのかは判らなかったがかなりの量の金目鯛が競られていた。

(金目鯛の洗浄)
(金目鯛の選別)
(大きさ別の箱詰)
金目鯛の洗浄
金目鯛の選別
大きさ別の箱詰

(競り1)
(競り2)
競り1
競り2


漁港の外の建物では朝市が始まっており5〜6軒の漁師の出店があった。
カマスの干物を購入した。

ホテルに戻って朝食を摂り、下田駅まで歩いて荷物をコインロッカーに預けて再度の散策に出た。

伊豆急駅前の細い路地を入り、続けて細い路地を行くと浄土宗の稲田寺。
同寺の案内板に幕末の能吏川路聖護が宿舎を構えたとあって興味深かった。
川路聖護(かわじとしあきら)はつい最近読んだ佐藤雅美の小説「官僚川路聖謨の世界」に描かれた幕臣で、実父が百姓であるにも関わらず勘定奉行に上り詰めた人。

(稲田寺本堂)
(稲田寺案内板−部分)
稲田寺本堂
稲田寺案内板−部分

またまた同じような路地を伝って歩くと隣にある海善寺に着いた。
海善寺では満開の河津桜が一本風に揺れていた。

(海善寺の桜)
海善寺の桜


海善寺の前の参道を行き、まいまい通りを横断して昨日のなまこ壁の多い一角に出た。

なまこ壁のある美容院から出てきた女性に話を聞こうとしたがこちらにもっと見事な民家があるからと言って別の家まで連れて行ってくれた。

(なまこ壁の民家)
(土蔵)
なまこ壁の民家
土蔵


結局了仙寺まで歩き、満開の紅梅を見た後、川に沿って古民家の写真を撮りながら長楽寺まで歩いた。
川沿いの道に沿ってなまこ壁民家が多くここらあたりも次回にはじっくりと見て回りたい地帯だと思った。

(了仙寺)
(長楽寺)
了仙寺
長楽寺


下田駅までの戻りは、昭和湯の前、亀万水産の前、土藤商店の前、雑忠家の前、旧南豆製氷の前と今回おなじみになった建物の前を通って歩いた。

たまにしか来ることの出来ない小さな町だが急に愛着が湧いた。


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