Joker の独り言

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2002 年 1 月 25 日 0 時 00 分
携帯電話と私

 いきなりですが、私は電話が嫌いです。掛ける分には都合のいい時に掛けるだけなので非常に便利な道具だと思います。でも受ける側は、都合がよかろうと悪かろうと、ほとんどが突然呼び出されることになります。


 呼び出される側としては、非常に不愉快です。ちょっと出れなかったりすると「さっきから電話してるのに出ないじゃん。何してたの?」等と言われることさえあります。なぜ何してたかを教えなければならないのでしょう? そんなの秘密です。あなたの髪の毛を仕込んだ藁人形に釘を打ち付けていたのかもしれませんよ。


 それでなくても電話に出るのが嫌いなのに、更に腹立たしいのが間違い電話です。今まで一番むかついたのは、午前 5 時頃に掛けてきた泣きそうな女の子の電話です。さっき寝付いたばかり(何をしてたんでしょうね…ハハハ)なのにいきなりとんでもない時間に電話してくるものなので「重要な事件でも発生したか?」と慌てて出たら単なる間違いで、これほど腹立たしいことはありません。次に腹が立ったのは、電話に出たらまだ言葉もわからないくらいのお子様と思しきこえが「あー」だの「だー」だのと続き、その後では台所で包丁をトントンしているような音がしていました。子供がしたことには罪は無いと言いますが、その親には責任があるわけですから、私は受話器をそのまま切らずに放置して責任を感じていただくことにしました(結局何時間くらい接続されていたのかは知りませんけど…)。私の部屋の電話番号は、ほとんどの人に教えていないし、家の電話もあり、携帯電話もあるわけですから、そもそも掛かってくることなんてありえないし、使えなくても問題ないので、皆さん迂闊なことはしないように!

 と、電話嫌いについて長い前置きを書いてみましたが、今回は携帯電話に付いてです。

 こんな電話嫌いな私ですが、携帯電話を購入して(もちろん自腹)から既に 4 年なんですね。電話会社は最初から NTT DoCoMo で、去年の 7 月に i-mode 対応機種に変更しました。i-mode はかなりお気に入りでして、メールをちょこっと書いてみたり、ちょっと気になったウェブサイトを覗いてみたり、株価を確認してみたり(上がらないですねぇ(TT)、ポートピア連続殺人事件(昔はやったゲームなんですが、やってなかったんですよ… でも犯人は知ってたんですが(笑)をやったりしています。

 ちょっと手持ち無沙汰なときにテトリスをやっていて、なんか調子よく「最高記録をクリアできるかもしれないな」なんて時にメール着信。メールなんて後でも見れるのですがやはり気になるので後ろ髪を引かれながらもテトリス終了。で、メールを見ると「Fw:たまにはどう?」などというエロサイト(もちろん恐らく優良有料)のご案内メール。その時は、きっと街中でものすごい形相になっていたと思います (^^


 そんな感じで最近やたらといわゆる迷惑メールがやってきます。DoCoMo は「ドメイン指定できるようになりました!」なんてコマーシャルを流していますが、メールヘッダーが見えない携帯電話ではそんなの無意味です。ヘッダーの中身を見て、「***.****.** サーバーを経由しているメールは拒否」等という設定をしない限り、全然ダメです。いっそのこと、「ヘッダーの From: や Reply-to: のアドレスが無効なメールは配信しません」というくらいの対応をして欲しいものです。っていうか、受信にも課金しているのですから、それくらいする責任があります

 電車に乗っていると「車内での携帯電話の通話はご遠慮ください」というアナウンスが流れますよね。つわものがいました。彼女は確かに通話はしていませんでした。でも延々と着メロをダウンロードして、かなりのボリュームでワンコーラスずつ試聴なさっていらっしゃいました。すごい迷惑で、思いっきり呆れて言葉もありませんでした。通話はしてないですがねぇ…

 また、「車内込み合っているときには、医療機器に影響を与える恐れがありますので、電源をお切りくださいますようご協力をお願いします」というアナウンスも流れますね。心臓のペースメーカー等に携帯電話を 20 数センチ以内に近づけると誤動作を引き起こすことがあるというのは、だいぶ前から言われていることでご存知の方も多いことだと思います。でも、携帯電話が普及してある程度の年月が経つにもかかわらず、未だに医療機器側は携帯に対応しないのでしょうか? 今となっては、これは医療機器の開発側に問題があると思うのは私だけでしょうか? 緊急時でも容易に連絡が付けやすいという携帯電話のメリットの一つが損なわれてしまいます。開発がどうしてもできないのであれば、これについてはシルバーシートのように「この部分では電源を切ってください」というエリアを作る方が理に叶っていると思います。もっとも、ほとんどの電話がつまらない用事であるのですが。

 携帯電話はあるとそれなりに便利なアイテムです。街中に公衆電話があるとはいえ、それは一方通行でしか連絡を付けることが出来ません。相手や周囲の状況に配慮して、有効に使っていきたいと思います。電話だけではない、新たな IT アイテムとしても期待されるものですしね。


 でも私は電話は嫌いです... 「電話を掛けてくる時は、いつも私がトイレにいるとき」という約 1 名を何とかしてください(笑)


2002 年 1 月 24 日 0 時 00 分
アフガン復興支援国際会議

 国際社会はアフガニスタンに対して 5 年間で 40 億ドル(約 5,360 億円)を援助するそうですね。初年度は 18 億ドル(約 2,412 億円)とか。長期に渡る混乱で疲弊しきった国を再生するために、年間 2,500 億円使うということですね。もちろんそのような状況ですからしばらくは税収等も期待できないのだと思いますから、その支援が復興費用の大部分を賄うということなのでしょう。
 この金額を知って、どのように感じましたか? 私はその額が意外にも小さいように感じました。物価や人件費に違いがあるのですから、実際にそれでとりあえず何とかなるのかもしれないのですね。

 5 年間で 5,000 億円なら、全額日本で負担してもいいのではないでしょうか? 訳のわからない新幹線(この例はよく出しますねぇ (^^; )を作るよりも、余程日本の国益に適うと思うのです。
 新幹線は作ってそれでお終いではありません。その後発生していく赤字を何らかの形で埋めていかなければならないのは間違いありません。できて喜ぶのは、利用を待望していた一部の人と、選挙の時に「私が新幹線をこの地へもってきました!」と言うことができる政治家、そして公共工事に携わる建設関係者でしょう。他の日本国民にとっては、それらの地域にたまに出掛ける時に便利さをちょこっと感じることはあっても、それはほとんど眼中になく、巨額の負債を背負わされる段になって初めて驚くことになるのでしょう。現地だって、騒音や振動、景観や日照の問題で訴訟を起こす人もいるはずです。
 対してアフガン支援はどうでしょう? 現地の住人にとって、「今建設中の道路は日本が作ってくれているんだって」と言う人はいないかもしれません。復興の歴史を学校で教えるようになるまでは、現地の人は日本について知らないかもしれません。それでも、国際社会、とりわけアジア各国の日本に対する見方は変わると思うのです。

 世界において、これからもっとも成長を遂げ注目していかなければならない地域はアジアだと思います。日本・韓国・中国等の東アジア諸国と ASEAN 諸国が経済的に協力するフォーラムを設立しようとした時、アメリカが力技で強引に加わって APEC となりました。アメリカもそれだけアジアに注目しているということです。そんなアジアの国々に対して、第 2 時大戦の歴史から、日本はどうしても絶対的な信用は得られていないのが現状だと思うのです。ここで惜しむことなく、アフガンやカンボジア等の同じアジアの国に対して必要な援助をしっかり行うことは、将来的に多大な国益をもたらすことになると思います。それを続けていくことで、いずれアジアの国々が強大な力をつけたとき、自然とその中心に日本があるということもあり得ると思います。

 底に辿りついたと思ったらその底がすぐに抜けてしまうような現在の日本で、アフガンへの支援は日本の状況の改善には、しばらくの間は全くプラスに働くことはないでしょう。湾岸戦争は、石油の安定確保という重要な役割はありましたが、結局はアメリカの最新兵器ショーのスポンサーになったようなものでした。現地の本当に困っている人に使うお金ではなかったので、誰からも理解を得られない無駄遣いに終わりました。しかし、5,000 億円という金額は、かつての湾岸戦争で支出したお金よりも遥かに小額です。景気対策の名目で湯水の如く支出される公共事業は、景気にほとんど影響をあたえず、利益を得るのは工事を受注した業者と、そこから潤沢にお金を吸い上げている政治家だけです。そんなお金を使うよりも、アフガンのために遣う方が、余程役に立つとは思いませんか?


 アフガン復興会議が終わり、ニュース番組で見かけたアフガンからの代表者は、一様に自嘲気味に自国の破壊状況を述べていました。「ジョーク混じりのコメントができるとは面白い人たちだなぁ」と感じた反面、つい先日までその破壊活動の一役を担っていた人たちなのですから「無責任で能天気な人たちだなぁ」とも感じました。あれだけ豊富に武器弾薬兵器を購入していた人たちが「明日を乗り切るお金もない」と言っても、今一つ信用できないですよね・・・ そう感じたのは私だけでしょうか?


 最後に: いつものように、これは私個人が感じたことをそのままダラダラ書いたものですのであまり気にしないでください。どのように捉えられても構いませんが、唯一誤解をしていただきたくない部分があります。「湾岸戦争はアメリカの兵器ショー」の下りです。これは、湾岸戦争でお亡くなりになられた多国籍軍に参加されていた方々や、戦地にお住まいで被災された方々、そして現地で取材中に巻き込まれた方々等、様々な事情によりお亡くなりになられたり心身に負傷されたりした方々を愚弄するものではありません。お亡くなりになられた方々のご冥福を心より祈り、また今なお傷と戦っている方々の 1 日も早いご回復を心より願っております。兵器ショーとは、相手の抵抗能力を遥かに上回る最新の兵器の威力と能力を、各メディアにより実況生中継が行われていたのを見て私が感じた様子に過ぎません。


2002 年 1 月 22 日 23 時 40 分
ウルティマ・オンライン変遷

 私が初めてブリタニアに「化身」を作ってから、早いもので既に 3 年と 3 ヶ月が経過してしまいました。始めた当初は、私が使っていたマシン、そしてインターネットへの接続環境は共に劣悪で、プレイに耐えられるものではありませんでした(馬に乗って走っているつもりでも、普通に歩いている人に追い越されるくらい…)。そんなこともあって春過ぎまではほとんどプレイせずにいたのですが、私をブリタニアへと誘った Alf に「家を買ってやるから Wakoku へ来い」と言われて、それまで出来たばかりの Hokuto シャードにとりあえず棲息していた私のプレイが一変したのでした(マシンもリニューアルしてたし、プロバイダも変更してたしね。当時は街の直近でもなければ土地はあったし、リッチを箱で囲むという方法で Alf の財布も相当ゆとりがあったらしいです)
 今回は、そんな私が見てきたウルティマ・オンラインの移り変わりと、私が思うことについて書いてみようと思います。


 3 年前のウルティマ・オンラインは、何でもできる自由な雰囲気に溢れていました。そして、今からは考えられないほどにプレイしづらいものでした。見方を変えれば、アメリカの西部開拓のような、フロンティア的なあらゆる可能性が見え隠れする、私にとって非常に魅力的なものでした。
 そういう荒削りな UO への色々な新機軸の導入や、プレイアビリティの改善は、DD を中心とした発売当初からのデザイナーにより、程よいスピードで小出しにされ、プレーヤーに UO の可能性を感じさせると共に、プレーヤーを飽きさせませんでした(導入直後にバグがたくさん出ていたのは今と変わらずですが)。当時の日本語によるウルティマ・オンラインの情報源というと、うるうるNICOLE HomePage 等でした。これらのサイトの更新を非常に楽しみにしていたものです。HoC や DevBoard でも、そういう開発者が開発信念を貫きつつもユーザーの意見に耳を傾ける姿勢が伝わってきました(英語から日本語に変換するという部分で闇に消えるニュアンスがあったとしてもね)

 そして DD の自宅が火事になり、その後間もなく DD は EverQuest へと移籍して、リードデザイナー SunSword・リードプログラマー Runesabre の時代へと変わりました。この頃から、私自身でも英語のオリジナルのコメントを読むようになりました。この 2 人の体制で「クリーンアップ・ブリタニア作戦」と「ウルティマ・オンライン ルネッサンス」が行われました。この大規模なイベント(?)構想を発表し、その大規模加減からかスケジュール的にだいぶ信用できなくなりました。それでも「これから UO はどうなっていくのだろう?」という期待感を、きっと多くの人に抱かせていたに違いありません。2000 年 7 月、トランメルの宅地解放がようやく実現したと同時に SunSword は UO を去り、Runesabre は UO に止まったものの姿を消しました。

 SunSword に変わってリードデザイナーに就いたのは Sage でした。Sage はこれまでのリードデザイナーとは異なり、GM 経験をした人物でした。UO の舵取りが、開発者から運用者へと移ったのです。開発チームにいわゆるコア・ゲーマーが多数加わったのもこの時期です。良し悪し様々などっしりとしたコミュニティを既に築いていたベテランプレーヤーの中に入っていく新規プレーヤーに対する、Haven・コンパニオン・Young といったシステムを構築・拡張していくと共に、そういったシステムの下で参入してくるプレーヤーのタイプもかなり変わってきました。定期的に新しくなっていくものの、その内容はプレーヤーに期待感を抱かせるものというよりも、むしろ不整合を修正したり、GM コールを減少させるためのもののように感じられてきました。Lord British がウルティマ・オンラインを去ったのもこの時期です。そんな中、2001 年になる頃に突如 Tajima と Runesabre がプレーヤーの前に頻繁に現れるようになり、3D のウルティマ・オンラインが登場しました。この新たなるイルシェナーの地に対する期待感は、あまりに尚早な TD クライアントの出荷の前に、もろくも崩れ去りました(私だけ?)。TD 出荷直後「カルマに変わるプレーヤーの行動を表す指針」に関する論文を発表して、Sage は Lord British と同じ道を歩むことになりました(非常に無責任に感じましたよ…)

 2001 年初夏、Sage に変わってリードデザイナーになったのは Evocare です。Evocare は、UO の元ヘビー・プレーヤーです。UO2 開発が中止となり、その分 UO 開発チームの人数は巨大なものになったようです。巨大になった分(?)、発表される開発項目は膨大な量になりましたが、そのテンポは緩やかになり、実際の導入となると更に緩やかなものになりました。変更の内容は、今までの UO の無理やりとも思える拡張に伴う負の遺産の整理でしょうか。そして元プレーヤーならではというような、プレーヤーの意見をそのまま取り入れたような修正。私が UO を始めた頃から見かける唯一の名前である Calandryll がデザイナーになり、Ongoing Content 即ちシナリオが始まりました。

 そして「ウルティマ・オンライン ブラックソンの復讐」がいよいよ発売されます。


 1 つのゲームがこれだけ長期間に渡って人を引き付けておくことが出来るというのは、頻繁にシステムに手が加わっていくオンラインゲームならではのことだと思います。その中でもウルティマ・オンラインや Ever Quest 等は特に息の長いゲームだと思います。
 私が UO を始めてから約 3 年、そのシステムを変革していく面々も相当入れ替りました。開発者が変わるにつれて、その方針や内容も変わってきます。私が一番大きかったと感じているのは、「トランメル」と「バースト」です。この変更辺りから、プレーヤー層やプレイスタイルも大きく変わったようにも感じています。私にしたって、今ではほとんどフェルッカに行くこともなくなっていたりします。

 これまで様々な変更が行われてきました。自分にとってうれしい変更や辛い変更等いろいろですが、常に変わり続ける UO だからこそここまでプレイしていたのだろうとも思います。問題に感じていることも色々とあり、それに対する考え方も色々あることは承知していますが、その中で私が今 UO に必要なことだと思うのが一言でいえばインフレ対策です。ベテランプレーヤーと新規プレーヤーの格差を縮小するのが主眼だと思われるこれまでの変更が、ことごとくインフレを増長し、結果的にプレーヤー間の格差を決定的なものにしてきているような気がします。バースト導入により、それまででは考えられないほど容易にキャラクタを成長させることが出来るようになりました。しかしそれは、ベテランプレーヤーがキャラクタを新しく作り直したり、スキル構成を改造する時にもあてはまります。モンスターから得られる戦利金の底上げも然りです。誰でも容易に同じレベルのお金を稼げるようになりましたが、それは誰もが同じようなキャラクタで同じようなことをするということの裏返しでもあります。お金を得ることが UO での目的ではないというのは理解していますが、UO における最大の目標ともいえる家の購入は、常に手が届かないものであり続けています。あらゆるチャンスがありそうなブリタニアで、皆が同じようなことをしているというのではあまりに悲しいとは思いませんか?


 また長々とよくわからない文章を書いてしまいました... (^^;


2001 年 12 月 4 日 0 時 00 分
『サイバーテロ』根絶活動を行うテロリスト

 個人を攻撃するのは好ましくないことだとは思うのですが、今回はあまりにもお粗末な国会議員の先生がいらっしゃいましたので取り上げようと思います。国会議員という職業は公のものですし、ご自身がホームページで発信されている情報が元ネタになっているわけですから、まぁ、問題ないでしょうね (^^
 さて、事の発端といたしまして、この民主党衆議院議員 島さとし 先生のウェブサイトをご覧いただきたいのですが、ブラウザの設定を Java スクリプトが使えないようにしてからご覧いただければと思います。サイトオーナー自らが、「これからもサーバーテロに狙われるだろう」とおっしゃっていらっしゃいますから、それなりの覚悟でご覧いただければと思います。ちなみに島先生のホームページはこちらです。

 実は島先生の事務所は、今大流行中のウィルスの 1 つである「ALIZ」に感染し、登録されているメールアドレスに対して、ウィルスメールをバラ蒔いたのだそうです。この ALIZ というウィルスは Nimda や Badtrans.B と同様に、Internet Explorer と Outlook Explorer のセキュリティホールを突いたウィルスですが、感染してもウィルスをバラ蒔くだけで、破壊活動などの致命的な問題を起こすウィルスではありません。(もっとも島先生のように、社会的なお立場があられる方々にとって見れば、ウィルスをバラ蒔くということ自体が致命的とも思えますが…)
 島先生は、事務所のパソコンがこのウィルスに感染したのは『サイバーテロ』に遭ったからということで、その『テロ実行犯』を探そうという努力をしているようです。このウィルス、世間にこれだけ蔓延しているのですから、島先生に送りつけた『テロ犯』だって『サイバーテロ』に遭ってそれに気付いていないだけの人かもしれません。島先生だって、気付かなかったとはいえウィルスを不特定多数に送りつけたわけですから、『無差別テロ実行犯』であることは間違いありません。
 確かにお立場上、このような『テロ』に力を貸してしまったことで、事務所は大混乱になったことでしょう。『事務所のパソコンは完全にパンク』してしまったそうです。ご愁傷様です。しかし、このセキュリティホールを修正した Internet Explorer をインストールしたり、ウィルス駆除ソフトを導入したり、そもそも Outlook Express や Outlook を使わなければ何ともないウィルスを取り上げて、『これが金融関係のものだったらたいへんな混乱が起きたことになる』って一体… すみません、この程度のことで参ってしまう金融機関があるようでしたら教えてください。私も心配なので、そんな金融機関とは即一切の手を切らせていただきます(まぁ、私ごときに手を切られてダメージを受ける金融機関なんてないんでしょうけどね…)
 こういった先生が先頭に立って、日本の IT 革命は進められていくのです。私は非常に不安です。お詫びの電話で言ったという報道関係者の「サイバーテロの怖さがわかりました」という言葉も、本当に畑違いの記者のものか、あるいは『サイバーテロ』にピンと来てしまった皮肉なのでしょうね。立法府の重要な役割を演じられている国会議員の先生なのですから、もうちょっと勉強するなり、頭脳を雇うなりして、この国の明るい未来に向けて活動して欲しいものです。とりあえず、現状を正しく認識して欲しいものです。

 と、まぁ、何ともユニークな話題を提供してくださった国会議員の先生のことを書いたのですが、ウィルスに対する考えを新たにするきっかけではあると思うのです。
 Java スクリプトを使わないとまともに見ることができないページには、皆さんも割と遭遇した経験があるでしょう。私のサイトでも Ultima Online: Lord Blackthorn's Revenge 公式サイトをそのまま使った UO:LBR セクションもその一つだったりします(すんません)。この手のサイトが改竄されようものなら、たちまち利用者は被害を受け、時には加害者にもなることがあります。更にひどいのは、スクリプト無しに見ることができないページな上、過去に改竄されたにも関わらず、未だにスクリプト無しでは見れないページがあるということです。こういうサイトの管理者というのは、何を考えているのでしょうねぇ。Nimda に感染した、某クレジットカード会社のセキュリティページなんてのもこれに該当するらしいですね...ああ、恐ろしい。
 こうした問題が続出するのは、クライアント側もサーバー側もマイクロソフト社製の製品を使っている場合が非常に多いです。クライアント側に対して色々と注文をつけるのは、全ての人が専門家だったり、インターネット上で何らかの商売をやっているとは限りませんので、ここでどうこう言ったところでどうしようもないです。しかし、サーバー側となると話は違ってきます。紛いなりにも管理者がいて、不特定多数に向けて情報を発信したり、サービスを提供しているのですから、それは責任を持っていただかないと困ります。確かにコマンドラインでちまちまと訳のわからない文字列を入力しまくるのは、やはりそれなりに専門知識があった方がいいですし、そういうのをお手軽にこなしてくれる人を雇うのはそれなりにコストも掛かるでしょう。しかし、もう少し責任感を持って欲しいものです。確かに、GUI で普通に操作できる Windows 系 OS を使うのは、楽で馴染み深い操作が魅力的です。その操作の手軽さを取るのなら、その分、外側からの攻撃に対しての備えをしなければならないのです。結局イーブン、上手い手はなかなかないものなのです。あの手この手でやってくる魔の手に備えて、大変かとは思いますが、頑張って欲しいものです。

 え? このサイトですか? AIRNET さん、頑張ってくださいね!


2001 年 7 月 9 日 23 時 00 分
通勤電車物語

 毎日のように電車に乗っていると色々な出来事に遭遇するものでして、今回はその中からいくつか、比較的面白いと思ったことを書いてみようと思います。


 すごく眠い仕事帰りの出来事です。その日は、新宿駅から小田急線急行に乗り込み、座るや否や居眠りモードに突入しました。あまり長時間寝たつもりは無かったのですが、いつの間にか電車は走り出していました。「今どの辺を走っているのかなぁ?」と思いつつ、振り返って外を見ても真っ暗な夜の街で、すぐにどこなのか判別することは難しそうでした。そこで「お急ぎのところ、電車遅れまして、お客様にはご迷惑をお掛けいたします」との車内放送。「ふぅん。遅れてるのか。座ってるから別にいいけどね」と思っていたら、「次は、代々木上原、代々木上原です」って・・・代々木上原って、新宿の次の駅(急行だから)じゃないですか。動き出してすぐ止まったんですねぇ・・・


 昼下がりの平日、渋谷駅から京王井の頭線に乗りました。朝夕のラッシュ時はぎゅうぎゅう詰めになるこの電車も、昼間はのんびりとしたものです。みんなゆったりと座っています。発車間際に乗り込んできたおばさん(おばさん A)、キョロキョロと周りを見回しましたが、すんなり座れる場所は発見できなかった様子。近くのかなりゆったりと三越の紙袋まで座らせているおばさん(おばさん B)の隣りに目を付けたようです。
 おばさん A が「すみません。ちょっとつめてもらえません?」と当たり前のように話し掛けます。ちょっと(?)太目のおばさん A を見上げておばさん B が一言「あんたなんか無理よ」。「その通り!」などとはた目に見ながら、私は下を向いて笑いを堪えるのが大変でしたよ。


 通勤帰り時間帯の丸の内線は、電車によってはかなりの混雑になります。その電車は、比較的空いているほうだったと思います。「仕事なんかバリバリよ! 男なんかに負けるもんですか!」という感じのお姉さんが乗ってきました(木村佳乃似のきれいな方でした。私はこういう感じの人、好です)。私の隣りに立ったかと思ったら、小脇に抱えた VAIO をおもむろに開き、電源を入れました。左手でつり革につかまり、L 字型に折れ曲がった腕の上に器用に VAIO を乗せ、右手で本体を支えつつトラックポイントを動かしていらっしゃいました。「すごいことをするなぁ」と感心しながらその液晶画面をチラッと覗くと、そのお姉さん、何とソリティアをやってるじゃないですか! ソリティアって、電車の中でしかも立ってまでやるものなのか!?


 朝の通勤電車の混雑というのはものすごいもので、何とも無くても気分が悪くなってしまいそうなものです(ホント何とかしてください)。電車が渋滞しているため、駅ではないところで止まったり止まりそうになったりしながら、何とか走っている(こんな走り方がほぼダイヤ通りだったりするから恐ろしい)もうすぐ下北沢駅に辿り着きそうな小田急線急行新宿行き。突然車掌さんが「車内に急病人の方がいらっしゃいますので、世田谷代田駅に緊急停車します」(世田谷代田は下北沢の 1 コ前の各駅停車専用の駅)。「世田谷代田ならいつも止まってるじゃん。ドアは開かないけど・・・」などと思いつつも、何やらただならぬ様子。世田谷代田に差し掛かったところで「誠に申し訳ありませんが、この電車、世田谷代田には停車せず、下北沢まで参ります。ご病気のお客様、ご辛抱ください!」とのアナウンス。ノロノロ走りながら「お客様、もうすぐです。頑張ってください」などとアナウンスを繰り返しながら、ようやく下北沢駅に辿り着きました(ほぼ定刻通り到着)。何とか急病人の方は無事(?)降りることができたようで、良かった良かったという感じでした。
 で、その電車は下北沢でちょっと長い時間止まったものですから、当然のように遅れたのですが、その次の代々木上原駅での駅員は、「一部電車集中混雑のため、電車遅れましたことをお詫びいたします」と叫んでいました。遅れた理由を知っている私からすると「違うだろ」と思うのですが、小田急の朝の遅延理由って、ほぼいつも「一部電車集中混雑」なんですよね。そのタネ明かしはこんなことだったんですねぇ。まるでどこぞのサーバーダウンのアナウンスのような・・・


 降りる人と乗る人が、共に多い駅でたまにあります。車両の中の方から「おりまーす」と叫ぶ人。大抵の人は自分の降りる駅が近付くと、ドアの近くの方に行くものです。小田急線の登戸駅も、そんな乗客の入れ替えが激しい駅です。
 登戸駅に到着して、降りる人の波が終わり、どんどん人が流れ込み始めました。そんな時、「おりまーす」と繰り返す若い女性の叫び声が聞こえてきました。「準備悪いんだよな」と思いつつも、延々と繰り返される「おりまーす」の悲痛の叫び声。何とその日は、「おりまーす」の叫び声が終わらないままドアが閉まり、そのまま発車したのでした。発車してからもしばらくの間、「おりまーす」という声が聞こえていたのは空耳?


 毎日のように電車に乗っていると、他にも色んな出来事があるものです。機会がありましたら、そのうちご紹介しようと思います。

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 published at 2002/01/25 2:24   < jDIARY 1.00 (2001.5.30)  written by Joker >