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中国歴代王朝

西暦 王朝名 説明
古代 さんこうごてい
三皇五帝
中国古代、伝説上の帝王。三皇は、伏義(ふくぎ)、神農(しんのう)、女カ(じょか)。五帝は、黄帝(こうてい)、センギョク、帝コク、尭(ぎょう)、舜(しゅん)
紀元前21世紀〜
前16世紀頃

伝説上の最古の王朝。開祖は禹(う)(舜(しゅん)の禅(ゆずり)を受けたと伝えられる)。都は安邑(山西省)ほか。17代桀(けつ)のとき(いん)に滅ぼされる。その実在は確認されていないが、河南省偃師(えんし)県二里頭遺跡の発見により、存在が強く主張される。
〜前1050頃 いん
実在が明白な最古の王朝。今の河南省を中心に黄河下流域に威を振るう。「商」と自称。開祖は湯王。神権国家で、王は上帝(天)に仕える宗教的最高権威者として、卜占(ぼくせん)をもって天意をうかがった。30代紂(ちゅう)王の時、(しゅう)の武王(ぶおう)に滅ぼされた。最後の都(王朝の後半期)が殷墟(いんきょ)。青銅器文化が栄え、文字(甲骨文)の使用開始。
前1100〜前256 しゅう
姓は姫(き)西周とも呼ぶ。封建制度をもって統治。開祖は武王(ぶおう)。太公望(たいこうぼう)の力をかりてを滅ぼす。都は鎬京(こうけい)(12代幽王まで。後の長安)。諸侯国間に礼秩序による政治体制を敷く。前771年北西方から侵入した犬戎(けんじゅう)に追われ、前770年、13代平王は成周(今の洛陽(らくよう)付近)に遷都。これ以後を東周と呼ぶ。王室の統治力が弱まり、春秋戦国時代となる。周王室は前256年、37代のとき(しん)に滅ぼされる。
前770〜前221




前770年、の東遷から、前221年、の統一までの約5世紀半の間をさす。前403年、を3分した時を境に、前半を春秋時代(「春秋」の名に由来)、後半を戦国時代(「戦国策」の名に由来)に分ける。 周室の衰微により、群雄割拠の状態となり、対立抗争が激しく繰り返され、春秋末期にはその中で比較的勢力の強かったの14国が残った。 さらに各国内での権臣の内紛も多く、の3氏が分割し、周王から諸侯と認められ、戦国時代に入った。 新興のを奪った田氏との7国(戦国の七雄)が、それぞれ勢力を競ったが、西方のの力が増大するに及び、他の6国は内紛などで衰微し、の東進によって統一された。 氏族共同体は解体され、成文法(刑法)が公布、官僚制成立、封建制から郡県制への移行が行われた。鉄製農具の開発により生産力が飛躍的に増大、金属貨幣の流通が始まった。諸子百家(*1)が活躍、中国思想の源流を形作った。
前1100頃〜
前376
しん
姫姓。の成王の弟叔虞の後裔という。都は絳(こう)(山西省侯馬市)。前7世紀後半、文公に至ってを破りを助けて国力大いに振い、領土は河北の南部、河南の北部に及んだ。権臣の力が強まり前453年、(三晋)の3家に分割。前403年に3家は周の王室から諸侯として認められた。前376年、晋の公室は40世約7百年で三国に滅ぼされた。
前1122〜前221 せい
の武王が呂尚(太公望)を封じた国。今の山東省の地。都は臨シ。姓は姜(きょう)氏。前679年、15代桓公(かんこう)は覇者(*2)となる。386年、29世で田氏に滅ぼされた。都は営丘。前221年に滅ぼされた。
〜前223
江中流域を領有。の武王の時、帝ギョクの子孫の熊繹(ゆうえき)が封ぜられたと称する。都は郢(えい)。前597年荘王の時、中原に覇を唱える。強大を誇ったが、前223年に滅ぼされた。
前1055〜前249
公旦の長子伯禽が封ぜられる。都は曲阜(きょくふ)。のち分家の三桓氏が実権を握り、前249年34代頃公の時、に滅ぼされた。孔子の生国。「春秋」を編纂。
前11世紀〜前209 えい
の武王の弟康叔を祖とする。今の河北省西南部から河南省北部にわたる地。初め朝歌(河南省)に都し、後しばしば遷都。前209年君角の時、に滅ぼされた。
前11世紀〜前222 えん
始祖はの武王の弟、召公セキ。今の河北・東北南部・朝鮮北部を領す。都は薊(けい)(現、北京)。前222年43世での始皇帝に滅ぼされた。
〜前286 そう
の宗族微子啓が封ぜられ、商丘(河南省商丘県)に都した。前286年32世で3国に滅ぼされた。
〜前478 ちん
の武王がの後裔を求めて(今の河南省淮陽県)に封じたもの。前478年に滅ぼされた。
〜前447 さい
都は河南省上蔡県の南西。武王の同母弟叔度の封ぜられた国。前531年に攻められ、都を安徽に遷した後を下蔡といい、それ以前を上蔡という。のちの恵王に滅ぼされた。
前806〜前375 てい
の宣王の弟友(桓公)を祖とする。今の陝西省渭南県の地。のち、今の河南省新鄭県に移る。の哀侯に滅ぼされた。
〜前473
の文王の伯父太伯の建国と称する。長江河口地方を領有。を破り勢を張ったが、前473年夫差(ふさ)の時、王勾践に滅ぼされた。
前600〜前334 えつ
はじめ中国東南の少数民族から出たと考えられる。隣国と抗争、前473年、勾践(こうせん)は呉王夫差を破り覇者(*2)となる。都は会稽。前334年の威王に滅ぼされた。
前403〜前230 かん
もと晋の六卿の一。前453年とともにを3分割し自立。前403年に周王により諸侯に列せられた。都は平陽・宜陽・鄭と変遷。国勢盛んであったが、前230年11世でに滅ぼされた。
前403〜前225
晋の六卿の一。前453年、魏斯(文侯)が、とともにを3分割し自立。前403年に周王により諸侯に列せられた。都は安邑、のち大梁に遷る。山西の南部から陝西(せんせい)の東部および河南の北部を占めた。後に前225年に滅ぼされた。
前403〜前222 ちょう
もと晋の六卿の一であったが、前453年、とともにを3分割し独立。前403年、諸侯となった。都は晋陽(しんよう)、のち邯鄲(かんたん)。武霊王の時、王号を僭称、一時強盛を誇ったが、前222年に滅ぼされた。
前771〜前206 しん
最初に中国を統一した。戦国時代に台頭、前256年にの王室を滅ぼす。さらに、始皇帝は前230年〜前221年に六国を滅ぼして天下を統一、初めて皇帝の号を用いる。しかし、その死後、帝国は瓦解、3世にしての高祖に滅ぼされる。始皇帝は中央集権を推進するとともに、外征を行い中国の領土を拡大。万里の長城や阿房宮を建設、焚書坑儒(*3)(ふんしょこうじゅ)を行い、度量衡・貨幣・文字を統一した。
前202〜後8 ぜんかん
前漢
西漢とも呼ぶ。前202年項羽を倒した劉邦(高祖)が天下を統一した。都は長安。官制・法律のほとんどを秦制にならい、郡国制を採った。7代武帝の代に儒教を国教として思想統一を図り、中央集権的専制支配を完成。後8年、15代の時、王莽(おうもう)に簒奪される。
後8〜後23 しん
王莽が建国した国。前漢の外戚だった王莽が幼少の皇帝を立てて実権を握った後、自ら帝位についた。古典を重んじた現実性のない政治に、内外ともに反抗をまねき自滅。光武帝により漢朝が復興。
25〜220 ごかん
後漢
東漢とも呼ぶ。25年、劉秀(光武帝)が劉氏の天下を復興した。都は洛陽。幼帝の即位が続き、外戚・宦官の政争が重なると共に、184年黄巾(こうきん)の乱(*4)により漢王朝は衰退。220年に滅ぼされる。
220〜589 魏晋南北朝時代 後漢の滅亡(220年)からによる統一(589年)までの時代。黄巾の乱以後、(ぎ)(曹操・曹丕(そうひ))、(ご)(孫権)、(しょく)(劉備)の三国が分立した(三国時代)。220年に、221年に、229年にがそれぞれ皇帝を称す。は263年を滅ぼしたが、265年にはそのを権臣司馬炎(武帝)が倒して(しん)西晋とも呼ぶ)を樹立。280年にを滅ぼした。そのは311年永嘉の乱で匈奴の劉曜(漢)に滅ぼされた。317年には司馬エイが即位しを再興(東晋と呼ばれる)。華北には異民族が相次いで侵入(五胡十六国)、439年、鮮卑族の拓跋珪(たくばつけい)の建てた北魏が華北を統一した。北魏は内争から東魏西魏に分裂、さらに東魏北斉に、西魏北周にかわられた。これら5王朝を北朝と呼ぶ。また、420年、東晋は滅亡、その後、の4王朝が短期間に興亡した。これらを南朝と呼ぶ。
220〜265



後漢の末、198年曹操が献帝を奉じて天下の実権を握って魏王となり華北を統一。その子丕(ひ)に至って帝位についた(文帝)。都は洛陽。江北の地を領有。265年5世でに禅(ゆず)る。曹魏とも呼ぶ。
222〜280
孫権が江南に建てた国。222年独立、229年国号を定めた。都は建業(現、南京)。4世で西晋に滅ぼされた。
221〜263 しょく
後漢(ごかん)の滅亡後、蜀地方を中心に劉備の建てた国。漢の一族であったので国号をと称したため、蜀漢とも呼ぶ。劉備と諸葛孔明の死後、国勢衰え、263年に滅ぼされた。
265〜420 しん
に代って、その権臣司馬炎が建てた王朝。都は洛陽。280年を滅ぼして天下を統一。のち五胡(*5)の乱のため、316年、4世で滅亡(西晋)。翌年皇族司馬睿(元帝)が建康(南京)に再興したが、混乱が続き、ついに将軍劉裕(南朝の宋の初代皇帝)によって滅ぼされた(東晋)。
304〜347



せい
成漢後蜀とも呼ぶ。テイ族の李特が蜀を中心に建てた国。その子李雄が成都に都した。5世で東晋の桓温に滅ぼされた。
304〜329 ぜんちょう
前趙
西晋の時、匈奴の劉淵(りゅうえん)が今の山西・陝西(せんせい)・甘粛東部・河南北部に拠り、平陽に都して国をと称し、308年皇帝を号す。その子劉聡は316年西晋を滅ぼす。318年5世劉曜の時に都を長安に遷して国をと号した。319年その臣石勒(せきろく)を別に趙を建国(後趙)、東西に分裂した。329年その後趙に滅ぼされた。
337〜370 ぜんえん
前燕
西晋の末、鮮卑族の慕容コウが燕王を称して創建。3世で、前秦に滅ぼされた。
319〜351 こうちょう
後趙
(けつ)の石勒(せきろく)が319年に建てた国。都はギョウ(河北省磁県)。7世でその臣冉閔(ぜんぴん)に滅ぼされた。
351〜394 ぜんしん
前秦
351年、テイ族の苻健が建てた国。3代苻堅の時、一時華北を統一、西域に及ぶ。6世で後秦に滅ぼされた。
384〜409 こうえん
後燕
鮮卑族の慕容氏が前燕より自立、華北に建てた国。都は中山。四世で将軍馮跋(ひょうばつ)北燕の始祖)に滅ぼされた。
384〜417 こうしん
後秦
(きょう)の族長姚萇(ようちょう)前秦にそむいて建てた国。都は長安。3世で東晋の劉裕に滅ぼされた。
385〜431 せいしん
西秦
鮮卑族の乞伏国仁が建てた国。都は金城(蘭州の北)。4世での赫連定に滅ぼされた。
386〜403 こうりょう
後涼
前秦の将、テイ族の呂光の建てた国。4世で後秦の姚興(ようこう)に降った。
397〜439 ほくりょう
北涼
匈奴の沮渠蒙遜(そきょもうそん)が甘粛北部に建国。3世で北魏に滅ぼされた。
398〜410 なんえん
南燕
鮮卑の慕容徳が滑台(河南省滑県)に建国。2世で東晋の将の劉裕に滅ぼされた。
407〜431
大夏(たいか)とも呼ぶ。匈奴の赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)後秦にそむいて建てた国。今の陝西省の北西部、甘粛省の北東部および内モンゴル、オルドスの地。3代25年で、北魏に滅ぼされた。
397〜414 なんりょう
南涼
鮮卑の禿髪烏孤(とくはつうこ)が建てる。西秦に滅ぼされた。
301〜376 ぜんりょう
前涼
涼州刺史となった漢人の張軌が甘粛省蘭山道以西の地に拠って建てた国。9世で前秦の苻堅(ふけん)に滅ぼされた。
400〜421 せいりょう
西涼
西晋の末、漢人李コウが今の甘粛省北西部に建てた国。都は敦煌(とんこう)。2代で北涼に滅ぼされた。
409〜436 ほくえん
北燕
後燕の将、馮跋(ふうばつ)が竜城(遼寧省朝陽県)を都として建てた国。2世で北魏に滅ぼされた。
398〜534
ほくぎ
北魏
後魏(こうぎ)とも呼ぶ。鮮卑族の拓跋珪(道武帝)が386年魏王を称し建てた国。都は平城(今の山西省大同)、494年孝文帝の時、洛陽に遷都。439年華北を統一。534年内乱が起こり東魏西魏に分裂。
534〜550 とうぎ
東魏
北魏が分裂してできた王朝。高歓が孝静帝を擁立して建てる。都はギョウ(漢字は、業ヘンにオオザト)北斉により廃される。
534〜556 せいぎ
西魏
北魏が分裂してできた王朝。長安を首都とし、宇文泰を中心に東魏に対抗。北周により滅亡。
550〜577 ほくせい
北斉
東魏の大丞相高洋が孝静帝に迫り帝位を奪って建国。都はギョウ。6世で北周の武帝に滅ぼされた。南朝のに対し北斉と呼ぶ。
557〜581 ほくしゅう
北周
西魏の実力者宇文覚が恭帝の禅を受けて建てた国。都は長安。第3代武帝は北斉を併せたが、5世でに滅ぼされた。
420〜479
そう
東晋の将軍劉裕(武帝)が東晋から王朝を譲られて建てた国。都は建康(南京)。8世で斉王蕭道成に帝位を譲った。劉宋とも呼ぶ。
479〜502 せい
末、蕭道成(しょうどうせい)(のちの高帝)が順帝の禅譲を受けて建てた国。都は建康。502年、7世で一族の蕭衍(しょうえん)の武帝)に滅ぼされた。北斉に対し、南斉とも呼ぶ。
502〜557 りょう
502年、蕭衍(しょうえん)南斉の帝位を奪って創設した国。6代でに滅ぼされた。
557〜589 ちん
557年陳覇先(武帝)がの敬帝の禅譲を受けて創建。都は建康(南京)。589年5代での文帝に滅ぼされた。
581〜619 ずい
随国公の楊堅(ようけん)(高祖文帝)が北周の国を奪って581年に即位し、国号をと称した。都は大興(長安)。589年南朝のを滅ぼして天下を統一。中央集権的帝国を樹立し、律令・科挙(*6)などの制度を定めた。日本とも国交を結ぶ。619年3代にして滅亡。
618〜907 とう
李唐とも呼ぶ。末の乱に李淵(高祖)・李世民(太宗)父子が挙兵して、煬帝の孫恭帝の禅譲を受け、618年に建国。 628年に天下統一、均田制・租庸調・府兵制に基礎を置く律令政治を整えると同時に、その子高宗とともに突厥(とっけつ)(*7)・鉄勒(てつろく)(*8)・西域諸国・朝鮮などを討って版図を広げた。690年〜704年、則天武后(そくてんぶこう)朝を立てたことにより一時中断。907年20世哀帝の時、朱全忠が禅譲の形で国を奪った。
907〜979




907年の滅亡より、960年が成立、979年に統一完了するまでの諸王朝・諸国、及びその時代をいう。華北には後梁後唐後晋後漢後周の弱小な5王朝が興亡。 他の地方には南唐前蜀後蜀南漢呉越ビン荊南北漢の10国が割拠した。
907〜923
こうりょう
後梁
節度使朱全忠がを滅ぼして建てた国。都は大梁(開封)、のち洛陽。2世で後唐の李存勗(りそんきょく)に滅ぼされた。
923〜936 こうとう
後唐
突厥(とつけつ)出身の李存勗(りそんきょく)後梁を滅ぼして建てた国。都は洛陽。4世でその臣石敬トウに滅ぼされた。
936〜946 こうしん
後晋
石敬トウが後唐を滅ぼして建てた国。都は大梁(開封)。2世でに滅ぼされた。
947〜950 こうかん
後漢
後晋の将劉知遠が建てた国。都は大梁。二世で後周に滅ぼされた。
951〜960 こうしゅう
後周
郭威が後漢を滅ぼして建てた国。都は大梁。3世での趙匡胤に滅ぼされた。
902〜937

淮南(わいなん)国とも呼ぶ。902年楊行密が唐朝から呉王に封ぜられ淮南・江東に建てた国。都は揚州。937年4世で南唐に滅ぼされた。
937〜975 なんとう
南唐
呉の徐知誥(じょちこう)が建国。都は金陵。3代で滅んだ。
907〜925 ぜんしょく
前蜀
の節度使王建がの地に建てた国。891年自立し、907年帝位につく。2世で後唐に滅ぼされた。印刷術が発達。
934〜965 こうしょく
後蜀
後唐の臣孟知祥が四川に建てた国。都は成都。2世でに滅ぼされた。
917〜971 なんかん
南漢
917年末の争乱に乗じて華南に自立。初め大越と号したが、姓が劉氏であるため、大漢と改める。一時はベトナムをも支配したが、971年に滅ぼされる。
907〜951
許州の人、馬殷(ばいん)後梁から楚王に封ぜられて湖南に建てた国。都は潭州。951年6世で南唐に滅ぼされた。956年馬氏配下の周氏が一旦復興したが、963年に併合。
907〜978 ごえつ
呉越
唐の鎮海節度使銭鏐(せんりゅう)が浙江・江蘇に建てた国。都は銭塘(杭州)。978年5世でに降った。
909〜945 ビン
(漢字は門ガマエに虫)
後梁からビン王に封ぜられた王審知が福州を都として建てた国。6世で南唐に滅ぼされた。
907〜963 けいなん
荊南
後梁に仕えた高季興が湖北に建てた国。都は荊州(江陵)。5世でに降った。南平とも呼ぶ。
951〜979 ほくかん
北漢
後漢の一族劉崇が山西に建てた国。都は晋陽(太原)。4世でに降った。
916〜1125 りょう
契丹(きったん)族が中国東北部を中心に建てた国。始祖耶律阿保機(やりつあぼき)が契丹族を統一、さらに党項(タングート)・吐谷渾(とよくこん)を征し、渤海を滅ぼし、太宗の時にから燕雲16州を奪取、947年国をと号した。9世で滅亡。
960〜1279 そう
後周世宗の武将趙匡胤(ちょうきょういん)(太祖)が、960年世宗の没後、部下に擁立されて即位。都はベン京(開封)。1127年9世のとき靖康の変(*9)で江南に逃れる。それまでを北宋、それ以後を南宋(都は臨安(杭州))という。1279年帝ヘイがに滅ぼされた。
1271〜1368 げん
国号のは1271年に定められた。モンゴル帝国第5代ハーンのフビライ(世祖)が大都(北京)に遷都して、中国を支配。1279年南宋を滅ぼし、領域は中国全土からモンゴル本土を含み、朝鮮、チベットをも服属させた。11代での朱元璋に滅ぼされた。
1368〜1644 みん
1368年、朱元璋(洪武帝)がを倒し建国、皇帝独裁の支配体制を確立した。15世紀初頭最盛期を迎えるも、その後、宦官の台頭、北慮南倭(*10)に苦しみ、農民反乱も続発、16世紀以後は衰運に向かう。1644年李自成に北京を占領され、17世で滅亡。
1616〜1912 しん
始祖ヌルハチは満州の女真族を統一、1616年即位して後金(こうきん)国と号した。都は瀋陽(しんよう)。その子ホンタイジ(太宗)が1636年と改称。第3代順治帝の1644年、明朝の滅亡に乗じて中国に入り、北京に遷都。 19世紀に入り白蓮教徒の乱、太平天国の乱などの内乱とアヘン戦争、アロー戦争などの外圧が相次いで起こり、日清戦争に敗北するや義和団事件が起こる。1911年辛亥(しんがい)革命の結果、中華民国が成立し、1912年12世宣統帝(愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ))が退位して清朝は滅亡した。
1912〜1949 ちゅうかみんこく
中華民国
辛亥革命の結果清朝が倒れた後、1912年中国最初の共和制政体として成立した国。初代大総統袁世凱。1928年中国国民党が国民政府を樹立、全国を統一したが、第二次大戦後共産党との内戦に敗れ、1949年本土を離れて台湾に移った。1927年を境として、前半の軍閥混戦を背景とした北京政府時代と、後半の中国国民党による国民政府時代とに分けられる。首都は前者は北京、後者は南京。
1949〜 ちゅうかじんみんきょうわこく
中華人民共和国
1949年10月1日、中国国民党との内戦に勝利を得た中国共産党の全国統一によって成立。人民共和国成立から共産主義に至るまでを過渡期と規定し、その間、農・工・商などの社会主義的改造を推進する経済政策をとっている。首都北京。

(*1) 諸子百家 : 春秋戦国時代の諸学者・諸学派の総称。司馬遷が「史記」の中で呼んだ言葉。
(*2) 覇者 : 春秋戦国時代の諸侯を統率した者をさす。周の王室が衰退したため、周王を推戴しつつ諸侯を統率し、異民族を撃退した。春秋の五覇として、斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉の闔閭(こうりょ)、越の勾践(こうせん)。
(*3) 焚書坑儒 : 秦の始皇帝が李斯(りし)の進言によって行った言論統制政策。 前213年、官の記録や法家・医薬・農業・占卜(せんぼく)などの書以外の書物をすべて焼き捨てさせた事件が焚書で、前214年、咸陽の学者460余人を生き埋めにして殺したのが坑儒。
(*4) 黄巾の乱 : 後漢末の宗教的な農民反乱。184年、太平道の首領張角によって起こる。黄色の頭巾をつけたので黄巾と呼ばれた。10ヶ月後に鎮定、叛徒約10万余人が殺された。
(*5) 五胡 : 中国、華北で4世紀初頭より約1世紀半興亡を繰り返した周辺民族の総称。 匈奴系の匈奴、羯(けつ)、鮮卑(せんぴ)、チベット系のテイ、羌(きょう)の5民族。
(*6) 科挙 : 中国の官吏登用試験。隋代に始まり、唐では秀才・進士・明経などの6科に分け、経典・詩文などを試験した。宋以後、科目は進士だけとなり、郷試(きょうし)(宋では解試。第1次試験のこと。3年に1度実施)・会試(宋では省試。第2次試験)・殿試(最終試験)の3段階から成る。清末、1905年に廃止。
(*7) 突厥 : トルコ系の遊牧民、あるいは、その支配した国。6世紀中頃、アルタイ山麓に起り、柔然の支配を破って独立、伊利可汗と称し、モンゴル高原・中央アジアに大遊牧帝国を建設。6世紀後半、東西に分裂し、630年以後前後して唐に征服されたが、682年東突厥が復興し(突厥第2帝国)、744年ウイグルに滅ぼされた。東アジア遊牧民最初の文字を残した。
(*8) 鉄勒 : 隋・唐代におけるトルコ系遊牧民の称。丁零(ていれい)・高車の後身。隋代にはバイカル湖の南からカスピ海地方にまで分布。
(*9) 靖康の変 : 北宋(宋)が金に滅ぼされた事変。1126年(靖康1年)金軍の攻撃によって宋の国都ベン京(べんけい)(開封)が陥落。
(*10) 北慮南倭 : 明代における南北の外患をさす。北方からはモンゴル人が侵入し、南方の沿岸には倭寇(わこう)が威を振るった。

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