- 尉繚子(うつりょうし)
二十四篇五巻。兵法書。武経七書の一。戦国時代(*1)、秦の始皇帝に仕えた兵家、尉繚の著と伝えられる。古来の兵法家の格言などを総合して兵道を説いたもの。
人間本位の兵法書。『漢書芸文志』には「尉繚三十一篇」とあるが、現存するのは二十四篇。偽書の説もある。
- 易経(えききょう)
十二篇。上下の「経」と注釈篇「十翼」。「易(えき)」または「周易(しゅうえき)」ともいう。五経の一。卜筮(ぼくぜい)の法によって、倫理道徳を説いたもの。陽を印、陰を印で示し、それを組み合わせた六十四卦によって自然と人生の変化の道理を説く書。上下の「経」と、その注釈篇である「十翼」からなり、十翼は孔子(こうし)の編と伝えられる。
- 淮南子(えなんじ)
内書二十一篇(中書八篇、外書二十三篇は喪失)。正式の書名は「淮南鴻烈解」。前漢の淮南(わいなん)王、劉安(漢の高祖の孫)が幕下の学者に命じて、おのおのの専門について論講させて作った書。老荘の説に基づいて周末以来の儒家・兵家・法家などの思想をとり入れ、治乱興亡・逸事・瑣談を記載する。道家の思想を中心として、中央政権(武帝)に対抗的立場を取る。
- 管子(かんし)
二十四巻七十六篇。春秋時代(*2)の前期、斉(せい)の桓公(かんこう)に仕えた宰相管仲(かんちゅう)とその門下の撰(せん)というが、実は戦国・秦・漢の書。政治の大本は富民で、立法や布教はそれに次ぐということを説く。原本は八十六篇といわれるが、現存七十六篇。
- 漢書(かんじょ)
百二十巻。前漢の歴史を記録した正史。後漢の班彪(はんひょう)と、その子班固(はんこ)、班昭(はんしょう)の撰。1世紀前後の日本(倭)のことが記述されている。班固が本紀十二巻、表八巻、志十巻、列伝七十巻、計百巻を撰。妹班昭が兄の死後、表および天文志を補う。
- 韓非子(かんぴし)
二十巻五十五篇。戦国時代の韓非の撰。先秦時代の法家の学を集大成し、それに韓非の考えを加えたものだが、すべてを韓非の著とは認めがたい。法律・刑罰を以て政治の基礎と説く、峻厳な法治主義が特色。
- 儀礼(ぎらい)
十七篇。三礼(さんらい)の一。中国古代の儒家の経典の一つ。冠婚喪祭・朝覲(ちょうきん)(*3)・聘問(へいもん)(*4)などの儀式・法制を記した書。戦国時代の作と考えられる。
- 近思録(きんしろく)
十四巻。宋の朱熹(しゅき)・呂祖謙(りょそけん)の共著。1176年刊。宋の学者、周濂渓(しゅうれんけい)・程明道(ていめいどう)・程伊川(ていいせん)・張横渠(ちょうおうきょ)の著書や語録の中から六百二十二条を選んだ、初学者用のテキスト。
- 公羊伝(くようでん)
十一巻。「春秋」の注釈書。春秋三伝の一。公羊高(くようこう)の伝述したものを、その玄孫の寿と弟子の胡母生らとが録して一書としたもの。
- 孝経(こうきょう)
一巻。十三経の一。孔子の弟子、曾参(そうしん)の門人が、孔子と曾参との孝道に関する問答を筆記したものと伝えられる。戦国時代に成立。古文と今文の二種がある。
- 後漢書(ごかんじょ)
百二十巻。本紀十巻、列伝八十巻は、南北朝時代、南朝宋の范曄(はんよう)の撰で、志三十巻は晋(しん)の司馬彪(ひょう)の続漢書から取っている。1022年成立。後漢の歴史を記したもので、紀伝の部には唐の李賢の注、志の部には南朝梁の劉昭の注を付記する。注釈書に清の王先謙の「後漢書集解」百二十巻がある。
- 国語(こくご)
二十一巻。魯(ろ)の太史、左(さ)丘明(きゅうめい)の撰と伝えられる。春秋時代の列国(周、魯、斉、晋、鄭、楚、呉、越)の事跡を国別に編んだもの。周語三巻、魯語二巻、斉語一巻、晋語九巻、鄭語一巻、楚語二巻、呉語一巻、越語二巻。盲史。外伝。
- 穀梁伝(こくりょうでん)
十二巻。「春秋」の注釈書。春秋三伝の一。子夏の弟子、魯の穀梁赤(こくりょうせき)の撰。正、義の観念を重んじ、法律的規範の立場から経文の注釈をしたもの。
- 呉子(ごし)
図国・料敵・治兵・論将・応変・励士の六篇一巻。戦国時代初期、魏では名将、楚では法家の先駆をなした宰相として働いた呉起(ごき)の撰。「孫子」とならぶ兵法書。武経七書の一。戦国末期には「家ごとに孫呉の書を蔵す」(『韓非子』)とまでいわれた。『呉子』は、魏・晋・南北朝の時代(220〜589)に兵家の一派が著した偽書という説もある。現存するのは、六篇だが、『漢書芸文志』には「呉子四十八篇」と記載されている。
- 古文真宝(こぶんしんぽう)
二十巻。宋の黄堅(こうけん)の編。前集・後集からなり、前集十巻には、漢代から宋代までの著名な詩、後集十巻には、戦国末、楚(そ)の屈原(くつげん)から宋代までの著名な辞賦、文章を収めた詩文集。
- 菜根譚(さいこんたん)
二巻。明(みん)の洪自誠(こうじせい)の編。前集と後集とからなり、前集では、人と交わり、事をおさめ、変に応ずる道を説き、後集では退静閑居の楽しみを論じている。儒教を中心に、仏教、道教を取り入れた通俗的処世哲学書。警句風の短文約三百五十条からなる語録。
- 左伝(さでん)
三十巻。「春秋左氏伝」の略。魯の左丘明の撰と伝えられる。漢代に劉きん(りゅうきん)によって校訂流布された。「春秋」の注釈書で「左氏伝」とも言う。十三経の一。
- 三国志(さんごくし)
六十五巻。正史の一。漢滅亡の後、天下を三分した三国(魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく))に関する史書。五代(ごだい)の晋、陳寿(ちんじゅ)の著。魏志二十六列伝三十巻、蜀志十五列伝十五巻、呉志二十列伝二十巻よりなる。魏志倭人伝(東夷伝・倭)は日本に関する最古の文献。
- 三略(さんりゃく)
上略、中略、下略の三篇。漢の高祖に仕えた名参謀、張良に、太公望呂尚の兵書を与えた黄石公(こうせきこう)の軍略を収めた書とも、その太公望の兵書ともいわれる兵法書。武経七書の一。老荘思想を基調にした治国平天下の大道から戦略・政略の通則を論述。日本には遣唐使上毛野真備が初めて伝える。「六韜(りくとう)」と併称して、「六韜三略」という。
- 爾雅(じが)
三巻。十三経の一。中国古代の字書。撰者不明。漢の学者たちが諸経書、特に詩経の伝注を集録したものといわれる。漢代初期以前の成立。漢字を意味により十九部門に分け、類義語や訓詁(くんこ)(*5)を集めたもの。釈詁・釈言・釈訓・釈親以下釈鳥・釈獣・釈畜の一九編は、古語を用法と種目別に分類・解説した最古の字書で、経書の訓詁解釈の貴重な史料。注釈書として晋の郭璞の注と宋の刑拮の疏を合わせた「爾雅注疏」がある。
- 史記(しき)
百三十巻。前漢の司馬遷(しばせん)の撰した、中国最初の通史。上古の黄帝(こうてい)(*6)から、漢の武帝に至る歴史を紀伝体(*7)によって記している。本紀十二巻、世家三十巻、列伝七十巻、表十巻、書八巻、合計百三十巻。紀元前91年頃完。「漢書」をはじめ後世の正史、日本の「日本書紀」などの模範となった。注釈書として、南朝劉宋の裴忱の「史記集解」、唐の司馬貞の「史記索隠」、唐の張守節の「史記正義」、明の凌稚隆の「史記評林」などがある。
- 詩経(しきょう)
現存するものは三百五篇。中国最古の詩集。周(しゅう)初から春秋時代中ごろまでの詩を集めている。五経の一。初めは単に「詩」といったが、宋代以後「詩経」と呼ばれるようになった。国風百六十篇、小雅七十四篇、大雅三十一篇、頌(しょう)四十篇の四編に分かれる。国風は民謡、小雅・大雅は宮廷での歌謡、頌は宗廟の祭祀に使う楽歌。前漢の毛亨(もうこう)が伝えた書が唯一の完本であるため「毛詩」とも呼ぶ。
- 司馬法(しばほう)
仁本篇、天子之義篇、定爵篇、厳位篇、用衆篇の五篇。武経七書の一。司馬穣苴が集大成したものとも、斉の威王が太古以来の司馬の兵法に司馬穣苴の兵法を加えて編纂させたものであるという説もある。『漢書芸文志』には、百五十五篇あったと記されている。現存の『司馬法』は当時のものではなく、5〜6世紀のものというのが通説。
- 十八史略(じゅうはっしりゃく)
二巻。元(げん)の曾先之(そうせんし)の撰。十八史略とは、十八史(宋史と十七史)の要略の意で、太古から南宋までの四千年間の史実を簡略に記し、中国史初学者の課本に供したもの。現行のものは明の陳殷が注解をつけて七巻にしたもので、日本では室町末期から江戸時代にかけて盛んによまれた。
- 周礼(しゅらい)
六篇(天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官)、三百六十官。三礼(さんらい)の一。周代の官制を記した書。古くは「周官」、唐以後「周礼」と称。周公旦の作と伝えるが、後世編纂されたもの。天地春夏秋冬にかたどって官制を立て、天命の具現者である王の国家統一による理想国家の行政組織の細目規定を詳説。秦の焚書の後、漢の武帝の時、李氏が「周官」を得て河間の献王に献上、更に朝廷にたてまつられた。冬官一篇を欠いたので「考工記」を以てこれを補った。
- 荀子(じゅんし)
二十巻三十二篇。戦国時代末期の学者、荀況(じゅんきょう)の書。前三世紀頃成立。荀況は孟子に次ぐ大儒(たいじゅ)。孟子の性善説に対して、性悪説を唱え、礼を以て秩序を正すべしと説く。
- 春秋(しゅんじゅう)
五経の一。孔子が魯国の記録を筆削したという史書。魯の隠公元年(前722)から哀公14年(前481)に至る12代・242年間の史実を編年体(*8)に記し、毀誉褒貶(きよほうへん)の意を含むという。前480年頃成立。注釈に左氏・穀梁(こくりょう)・公羊(くよう)の三伝があり、左氏伝が最も有名。年月・四季の順を追って記したから、春秋と呼ぶ。
- 小学(しょうがく)
六巻内外二篇。宋の劉子澄が朱熹の指示を受けて編纂。洒掃(さいそう)(*9)・応対・進退などの作法、修身道徳の格言、忠臣孝子の事績などを古今の書から抜粋・収録し、中国小学の課目を示した書。1187年成る。
- 貞観政要(じょうがんせいよう)
十巻。唐の呉兢(ごきょう)の著。玄宗の開元8年(720)以後の成立。唐の太宗(たいそう)と重臣とが政治に関して論じたものを、四十門に分けて類編した書。帝王学の教科書として愛読された。
- 書経(しょきょう)
二十巻五十八篇(三十三篇は今文尚書、二十五篇は古文尚書)。五経の一。尭(ぎょう)、舜(しゅん)の伝説時代から、夏(か)、殷(いん)を経て、秦の穆公(ぼくこう)に至る間の政治に関する記録から、古代の政治における君臣の言行の模範とすべきものを孔子が編纂した中国最古の経典。初めは単に「書」といったが、漢代には「尚書(しょうしょ)」、宋代になって、「書経」と呼ばれるようになった。成立年代は一定せず、殊に古文は魏・晋代の偽作とされている。
- 晋書(しんじょ)
百三十巻。西晋(せいしん)と東晋(とうしん)の正史。二十四史の一。唐の太宗の命によって、房玄齢(ぼうげんれい)、李延寿(りえんじゅ)らが編集した書。帝紀十巻、志二十巻、列伝七十巻、載紀三十巻より成る。648年刊。
- 説苑(ぜいえん)
二十巻。前漢の劉向(りゅうきょう)の撰。前賢先哲の逸話集。訓戒とすべき故事・伝説類を集め、君道・臣術・建本・立節・貴徳・復恩など二十に分類したもの。宋代に散佚していたのを曾鞏(そうきょう)が復元。。
- 戦国策(せんごくさく)
三十三篇。周の元王(げんおう)から秦(しん)の始皇帝(しこうてい)までの戦国時代の謀臣、策士らの活躍を各国別に編んだもの。前漢の劉向(りゅうきょう)の編。
- 荘子(そうじ)
三十三篇(内篇七、外篇十五、雑篇十一)。戦国中期の道家荘周(そうしゅう)とその一門の思想を記したもの。荘周の撰。外篇・内篇・雑篇から成り、うち内篇七篇以外の大部分は、後人の仮託によるものといわれる。内篇(逍遥遊・斉物論など)は多くの寓言によって、万物は斉同で生死などの差別を超越することを説く。外篇・雑篇は内篇の意を敷衍(ふえん)したもの。唐代には「南華新経(なんかしんぎょう)」とも呼ばれた。「老子」と並ぶ道教の根本経典。
- 宋名臣言行録(そうめいしんげんこうろく)
二十四巻。前集十巻、後集十四巻は南宋の朱熹(しゅき)の撰。続集八巻、別集二十六巻、外集十七巻は李幼武(りようぶ)の補。宋代名臣の言行を集めた書。
- 孫子(そんし)
一巻十三篇(始計、作戦、謀攻、軍形、兵勢、虚実、軍争、九変、行軍、地形、九地、火攻、用間)。春秋末期の呉の孫武(そんぶ)の撰した兵法書。最も有名な兵法書。武経七書の一。戦略戦術の法則、準拠の詳細を説明。古代中国の戦争体験の集大成で簡潔警抜な記述による名文で知られる。後世兵学への影響は大きく、「呉子」「六韜」「三略」などの類書を生じた。孫武と戦国時代の孫ピンのどちらの手になるものかは、長年中国古代史の一大論争の一つであったが、1972年臨沂県の銀雀山漢墓より『孫ピン兵法』とともに『孫子』が出土したため、孫武の著作であることがほぼ確定。現存する最も古い注釈書は三国時代の魏の曹操による『魏武注孫子』。
- 大学(だいがく)
一巻。孔子の遺書とも子思または曾子の著作ともいう。もと「礼記」中の一篇(第四十二)であったが、宋代以後、単行本として独立し、朱熹(朱子)がこれを四書の一としたことから、特に広く読まれるようになった。修身、斉家、治国、平天下の道を説く。朱熹が全文を「経」と「伝」に整理し、三綱領(明徳・止至善・新民)、八条目(格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下)の体系をたてた。
- 中庸(ちゅうよう)
もと「礼記」中の一篇であったが、後に四書の一に数えられた。孔子の孫の子思(しし)の撰と伝えられる。天人合一を説き、中庸の徳と徳の道とを強調した儒教の総合的解説書。
- 通俗編(つうぞくへん)
三十八巻。清(しん)のテキコウの撰。日常使っている語を集めて分類し、その出処を明示したもの。天文・地理・時序以下三十六類に分けている。
- 伝習録(でんしゅうろく)
三巻。明の王陽明(おうようめい)の語録を、門人の徐愛・陸澄・薛侃が編集したもの。1518年刊。のち書簡などを増補して三巻となる。陽明のとなえた知行合一の趣旨が述べられており、陽明学を学ぶには必見の書。慶長頃日本に伝来。
- 唐詩選(とうしせん)
七巻。唐代の詩人百二十七名の詩の選集。明の李攀竜(りはんりょう)の撰といわれているが、偽託説もある。五言古詩・七言古詩・五言律・五言排律・七言律・五言絶句・七言絶句、総計四百六十五首を収録。唐詩正統派の格調を伝える。日本には江戸初期に伝来。唐詩入門書として流布。
- 南斉書(なんせいしょ)
五十九巻。南朝梁(りょう)の蕭子顕(しょうしけん)の撰。南朝斉(せい)の正史。「斉書」ともいう。本紀八巻、志十一巻、列伝四十巻。もと六十巻で唐代に一巻を逸した。
- 文章軌範(ぶんしょうきはん)
七巻。宋の謝枋得(しゃぼうとく)の編。科挙受験者のために軌範となりうる文を集めたもの。諸葛孔明の「出師表(すいしのひょう)」(*10)と陶淵明(とうえんめい)の「帰去来辞(ききょらいのじ)」(*11)以外は、唐宋の文を選んでいる。韓愈(かんゆ)・柳宗元・欧陽脩・蘇洵・蘇軾・蘇轍らの文章六九編を放胆文・小心文の二種に分けて集めた。日本には室町末期に伝来。
- 墨子(ぼくし)
十五巻五十三篇。墨(ぼく)テキとその学派の学説を記したもの。墨テキの撰といわれているが、その門人の撰であると現在では考えられている。現存本五十三篇。尚賢・尚同・兼愛・非攻・節用・節葬・天志・明鬼・非楽・非命の一〇論二三編を中心とし、経編・経説編などの論理を説く兼愛説と備城門編などの築城術・迎敵の法を説く非戦論から成る。
- 孟子(もうし)
七篇(梁恵王・公孫丑・滕文公・離婁・万章・告子・尽心)。戦国中期の儒家孟軻(もうか)の言行や学説をその弟子が編集したもの。性善説や主道論は有名。四書の一。後漢の趙岐が各篇を上下に分って十四巻とし、これに注した。また、朱熹の集注がある。日本では、易姓革命の主張と国体とが相容れないとして忌避傾向もあったが、江戸時代にはいって朱子学の流行とともに必読の書となった。
- 文選(もんぜん)
三十巻(のち六十巻)。南朝梁の蕭統(しょうとう)(昭明太子(しょうめいたいし))の撰。六世紀前半に成立。周から南北朝時代の梁にいたる約千年間、百三十余名の詩賦文章のほか、作者不明の古詩や古楽府を若干収録。八百篇を収録。美文の模範として後世広く愛誦され、聖徳太子の十七条の憲法にも影響を与えた。日本への伝来は古く、「白氏文集」とともに文集・文選と併称された。
- 礼記(らいき)
四十九篇。周(しゅう)末秦(しん)漢(かん)時代の礼に関する理論及び実際を記録編集したもの。前漢の戴聖(たいせい)(小戴(しょうたい))によって伝えられた。「小戴礼」また「戴記」とも呼ぶ。五経の一。初め漢の武帝の時、河間の献王が礼儀に関する古書百三十一篇を編述、その後二百十四篇となったが、戴徳が削って「大戴礼(だいたいれい)」八十五篇を作り、その甥戴聖が更に削って「小戴礼」四十九篇とした。今の礼記は小戴礼をいう。大学・中庸・曲礼・内則・王制・月令・礼運・楽記・緇衣(しい)などから成る。
- 李衛公問対(りえいこうもんたい)
上、中、下の三篇。武経七書の一。唐の太宗の問いに、名将、李衛公(李靖)が兵法を説いたのを記録したものとされているが、唐代の図書目録『唐書芸文書』にも記載されておらず、偽書とされている。
- 六韜(りくとう)
六篇(文韜、武韜、龍韜、虎韜、豹韜、犬韜)。武経七書の一。古の大軍略家、太公望呂尚の著となっているが、内容や文献研究からすると、魏時代以降、約200年のあいだに作られたものとされている。韜は、秘訣のこと。前三篇は、政治、戦略、後の三篇は戦術論。「虎の巻」という言葉は、虎韜からきている。
- 列子(れっし)
八巻。戦国初期の鄭(てい)の列禦寇(れつぎょこう)の撰とされているが、異説が多い。列子死後の事項が多いので、後人の偽作ともいう。老子の清虚・無為に基づき、寓言が多い。冲虚真経(ちゅうきょしんけい)、冲虚至徳真経とも呼ぶ。
- 老子(ろうし)
二巻八十一章。道家の祖、老タンの撰と伝えられるが、老タンが実在したか否かは明かではない。人為、虚飾を去って、無為自然であるべきことを説いている。宇宙の本体を大または道といい、現象界のものは相対的で、道は絶対的であるとし、清静・恬淡(てんたん)・無為・自然に帰すれば乱離なしと説く。編纂は孟子以後と考えられ、前漢初には現行本に近いものが成立していた。老子道徳経(どうとくきょう)とも呼ぶ。
- 論語(ろんご)
十巻二十篇。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。各篇冒頭の文字をとって篇名とし、学而篇より尭曰篇に至る。弟子たちの記録したものに始まり、漢代に集大成。孔子研究の基本資料。孔子の理想的道徳「仁」の意義、政治・教育などの意見を述べている。儒家の聖典とされている。四書の一。日本には、応神天皇16年(西暦285年)に百済の王仁(ワニ)より招来された(日本書紀)。円珠経(えんじゅきょう)。
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