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自己研鑚

  1. 苟日新、日日新、又日新(大学(だいがく)

    (まこと)に日に新たに、日日(ひび)に新たに、また日に新たなり


  2. 温故知新(論語(ろんご)

    (ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る


  3. 驥一日而千里、駑馬十駕、則亦及之矣(荀子(じゅんし)

    (き)は一日(いちじつ)にして千里なるも、駑馬(どば)も十駕(じゅうが)すれば則ちまたこれに及ぶ

    「驥」とは名馬、「十駕」は十日走り続けるの意。


  4. 欹器以満覆(菜根譚(さいこんたん)

    欹器(いき)は満つるを以って覆(くつがえ)

    「欹器」とは水を入れる器で、空っぽのときは傾き、半分ほど入れるとまっすぐ立ち、満杯にするとひっくりかえる。


  5. 懐与安実敗名(左伝(さでん)

    (かい)と安(あん)とは実(じつ)に名(な)を敗(やぶ)

    「懐」とは、楽をしたいと思う気持ち、「安」とは、安逸をむさぼること。


  6. 飽食終日、無所用心、難矣(論語(ろんご)

    飽食(ほうしょく)終日(しゅうじつ)、心を用うる所なきは、難(かた)きかな

    「難きかな」は、まったく困ったものだの意。


  7. 小人之学也入乎耳、出乎口(荀子(じゅんし)

    小人(しょうじん)の学(がく)は耳より入りて口より出(い)


  8. 前事之不忘、後事之師(戦国策(せんごくさく)

    前事(ぜんじ)忘れざるは後事(こうじ)の師


  9. 知人者智、自知者明(老子(ろうし)

    人を知る者は智なり、自(みずか)ら知るものは明なり


  10. 人須磨在事上(伝習録(でんしゅうろく)

    人はすべからく事上(じじょう)に在(あ)って磨(みが)くべし

    「事上」とは、生活や仕事などの毎日の実践の意。


  11. 尽信書則不如無書(孟子(もうし)

    (ことごと)く書を信ずれば則ち書なきに如(し)かず

    「書」は書経のこと、鵜呑みではなく、自分なりに噛み砕き、かつ、批判的な摂取を心がけよの意。


  12. 殷鑑不遠、在夏后之世(詩経(しきょう)

    (いん)(かん)遠からず、夏后(かこう)の世に在(あ)

    「殷鑑」とは、殷の国の最後の皇帝である紂(ちゅう)王が鏡とすべき教訓、「夏后」は殷のすぐ前の夏王朝の意。


  13. 貧而無怨難、富而無驕易(論語(ろんご)

    貧しくして怨むなきは難く、富みて驕(おご)るなきは易(やす)


  14. 有欲則無剛(近思録(きんしろく)

    欲あれば則ち剛(ごう)なし

    「剛」とは、自分が正しいと信じたことはあくまでも主張して譲らないつよさの意。


  15. 前車覆、後車戒(漢書(かんじょ)

    前車の覆(くつがえ)るは後車(こうしゃ)の戒(いまし)


  16. 和其光、同其塵(老子(ろうし)

    その光を和(やわら)げ、その塵(ちり)に同じうす

    「光」とは、才能、知識、「塵」とは世俗の意。(「和光同塵」の語源)


  17. 蓬生麻中、不扶而直(荀子(じゅんし)

    (よもぎ)も麻中(まちゅう)に生(しょう)ずれば、扶(たす)けずして直(なお)


  18. 他山之石、可以攻玉(詩経(しきょう)

    他山の石、以って玉を攻(みが)くべし

    よその山から出た石ころでも、こちらの玉を磨く材料とすることができる。


  19. 三人行、必有我師焉(論語(ろんご)

    三人行えば、必ずわが師あり

    仮に何人かで仕事をするとすれば、私にとって彼らはみな先生である。


  20. 君子豹変(易経(えききょう)

    君子は豹変す

    「豹変」とは、豹の皮のように美しい方に変化すること。


  21. 言顧行、行顧言(中庸(ちゅうよう)

    (げん)は行(こう)を顧(かえり)み、行は言を顧む

    何か発言するときには、行動がそれに伴っているかを考え、何か行動を起こすときは、自分の発言を思い出す。


  22. 養心莫善於寡欲(孟子(もうし)

    心を養(やしな)うは寡欲(かよく)(よし)きはなし


  23. 学而不思則罔、思而不学則殆(論語(ろんご)

    学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし

    「学ぶ」は読書のこと、「思う」は思索のこと、「罔し」は知識が身に付かない、「殆うし」は独善的になることの意。


  24. 非呉下阿蒙(三国志(さんごくし)

    呉下(ごか)の阿蒙(あもう)に非(あら)

    むかし、呉の都にいたころの、蒙君ではなくなった。
    (呉の孫権(そんけん)配下に呂蒙(りょもう)という将軍がいた。
    呂蒙は戦がめっぽう強く、どんどん抜擢されて将軍の位にまで登った。
    だが、少年時代、家が貧しくて勉強できず、無学・無教養に近かった。
    将軍に抜擢されたとき、一念発起した呂蒙は、寸暇を惜しんで兵法書や歴史書を読みあさり勉強した。
    そのころ、先輩の将軍が呂蒙の屯営(とんえい)に立ち寄った。
    呂蒙は、とうとうと戦略戦術を論じたてて、先輩の将軍を感服させた。
    その時の先輩の言葉である。よくもまあ進歩したものだという感嘆の気持ちである。)



  25. 毋意、毋必、毋固、毋我(論語(ろんご)

    (い)なく、必(ひつ)なく、固なく、我(が)なし

    「意」とは、主観だけで憶測すること、「必」とは、自分の考えを無理に押し通すこと、
    「固」とは、一つの判断に固執すること、「我」とは、自分の都合しか考えぬこと。



  26. 敬親者不敢慢於人(孝経(こうきょう)

    親を敬する者は敢(あ)えて人を慢(あなど)らず


  27. 人生大病只是一傲字(伝習録(でんしゅうろく)

    人生の大病はただこれ一(いつ)の傲(ごう)の字なり

    「傲」は、自分の能力や才能を鼻にかけて人を見下すこと。


  28. 惻隠之心、仁之端也、羞悪之心、義之端也、
    辞譲之心、礼之端也、是非之心、智之端也
    (孟子(もうし)

    惻隠(そくいん)の心は仁の端(たん)なり、羞悪(しゅうお)の心は義の端なり、
    辞譲(じじょう)の心は礼の端なり、是非の心は智の端なり

    惻隠の心(かわいそうだと思う心)は仁の芽生え、羞悪の心(悪を恥じ憎む心)は義の芽生え、
    辞譲の心(譲り合いの心)は礼の芽生え、是非の心(善悪を判断する心)は智の芽生えである。



  29. 過猶不及(論語(ろんご)

    過ぎたるはなお及ばざるがごとし


  30. 過而不改、是謂過矣(論語(ろんご)

    (あやま)ちて改めざる、これを過ちと謂(い)


  31. 学然後知不足、教然後知困(礼記(らいき)

    学びて然(しか)る後に足らざるを知り、教えて然る後に困(くる)しむを知る

    学ぶことによって自分に不足しているものがわかり、人に教えて自分の未熟さがわかる。


  32. 剣待砥而後能利(淮南子(えなんじ)

    剣は砥を待ちて而(しか)る後に能く利なり


  33. 温温恭人維徳之基也(詩経(しきょう)

    温温(おんおん)たる恭人(きょうじん)はこれ徳の基なり

    「温温」は、おだやか、柔和、「恭」は、自分に対して慎み深く、人に対してうやうやしいこと。


  34. 識前言往行、以蓄其徳(易経(えききょう)

    前言(ぜんげん)往行(おうこう)を識(しる)して以ってその徳を蓄(やしな)

    「前言往行」とは、すぐれた古人の言行の意。


  35. 不学便老而衰(近思録(きんしろく)

    学ばざれば便(すなわ)ち老いて衰(おとろ)


  36. 後生可畏(論語(ろんご)

    後生(こうせい)(おそ)るべし

    「後生」とは、後から生まれた人の意。若い人は洋々たる可能性を持っている、という期待のことば。


  37. 君子有終身之憂、無一朝之患也(孟子(もうし)

    君子は終身の憂いあるも、一朝の患(うれ)いなきなり

    君子には、生涯を通じての悩みはあっても、外からくる心の動揺はありえない。
    (絶えず自分の心を反省し、どんな事態に追い込まれても、自分を反省して相手を責めないからである。)



  38. 小人間居為不善(大学(だいがく)

    小人(しょうじん)間居(かんきょ)して不善を為す

    「間居」は独りで居ること。


  39. 智者千慮必有一失、愚者千慮必有一得(史記(しき)

    智者も千慮に必ず一失あり、愚者も千慮に必ず一得あり


  40. 智猶水也、不流則腐(宋名臣言行録(そうめいしんげんこうろく)

    智はなお水のごとし、流れざるときは則ち腐る

    「智」は頭の意。


  41. 不受苦中苦、難為人上人(通俗編(つうぞくへん)

    苦中の苦を受けざれば、人の上に人たること難(かた)

    「苦中の苦」とは、極限状態の苦労。


  42. 猶螳螂之怒臂以当車軼(荘子(そうじ)

    螳螂(とうろう)の臂(ひじ)を怒らして以って車軼(しゃてつ)に当たるがごとし

    「螳螂」はかまきり、「車軼」は車の車輪の意。無謀なことのたとえ。(「蟷螂の斧」の語源)


  43. 不患無位、患所以立(論語(ろんご)

    位なきを患(うれ)えず、立つ所以(ゆえん)を患えよ

    地位がないことを嘆かずに、地位にふさわしい実力がないことを嘆きなさい。


  44. 所悪於上、毋以使下(大学(だいがく)

    (かみ)に悪(にく)む所、以って下(しも)を使うことなかれ

    かつての上役がやった悪いやり方、態度でもって、部下に臨んではならない。


  45. 書不必多看、要知其約(近思録(きんしろく)

    書は多く看(み)るを必せず、その約を知らんことを要す

    「約」はポイントの意。


  46. 年五十而知四十九年非(淮南子(えなんじ)

    (とし)五十にして四十九年の非を知る

    過去四十九年の生き方を全否定するほど、五十歳の現在をベストに生きた。


  47. 君之所読者、古人之糟魄已(荘子(そうじ)

    (きみ)の読む所のものは古人の糟魄(そうはく)のみ

    「古人の糟魄」とは、むかしの人のクソ・カス、本当に言いたいことは書には残せない、実践の中でしか身に付かないの意。


  48. 聞一以知十(論語(ろんご)

    一を聞きて以って十を知る


  49. 以管窺天(史記(しき)

    (くだ)を以って天を窺(うかが)

    視野の狭さを笑ったことば。


  50. 縦欲之病可医、而執理之病難医(菜根譚(さいこんたん)

    縦欲(しょうよく)の病(やまい)は医(いや)すべし、而(しか)して執理(しゅうり)の病は医し難し

    「縦欲」とは欲にこりかたまること、「執理」とは理屈にこりかたまること。


  51. 君子喩於義、小人喩於利(論語(ろんご)

    君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る

    君子は真っ先に義を考え、小人は真っ先に利を考える。


  52. 禍莫大于不知足(老子(ろうし)

    (わざわい)は足るを知らざるよりも大なるはなし


  53. 見善則遷、有過則改(易経(えききょう)

    善を見れば則ち遷(うつ)り、過ちあれば則ち改む

    善を見たら直ちに学びとり、過ちがあれば直ちに改める。


  54. 為其不可復者也、則事寡敗矣(韓非子(かんぴし)

    その復(ふたた)びすべからざるを為にせば、則ち事(こと)敗るること寡(すくな)

    修正がきかない部分を念入りに行えば、めったに失敗はしない。


  55. 知者過之、愚者不及也(中庸(ちゅうよう)

    知者はこれに過ぎ、愚者は及ばず

    中庸の美徳を語ったことば。


  56. 知者弗言、言者弗知(老子(ろうし)

    知る者は言わず、言う者は知らず

    道を体得した人物は知識をひけらかさない。知識をひけらかす人物は道を体得したとはいえない。


  57. 不恥下問(論語(ろんご)

    下問(かもん)を恥じず

    目下の者に教わることを恥としない。


  58. 小人之過也必文(論語(ろんご)

    小人の過(あやま)つや必ず文(かざ)

    「文る」とは、表面を取り繕うこと。


  59. 樹徳務滋、除悪務本(書経(しょきょう)

    徳を樹(た)つるには滋(しげ)きを務(つと)め、悪を除くには本(もと)を務む

    徳を身につけるには、よいことはどんな小さなことでもバカにしないで、大きく育てるように努力し、
    悪を取り除くには、枝葉末節は放っておいてまず根元を掘り返してしまうことである。



  60. 礼義之始、在於正容体、斉顔色、順辞令(礼記(らいき)

    礼義の始めは、容体(ようたい)を正し、顔色を斉(ととの)え、辞令を順にするに在(あ)

    礼儀の基本は、姿勢や態度を正すこと、顔色をととのえること、言葉使いに気をつけることである。


  61. 処富貴之地、要知貧賤的痛癢(菜根譚(さいこんたん)

    富貴(ふうき)の地に処(しょ)しては、貧賤(ひんせん)の痛癢(つうよう)を知らんことを要す

    地位や財産に恵まれたときは、地位も財産もない人々の苦しみを理解してやらなければならない。


  62. 感慨殺身者易、従容就義者難(近思録(きんしろく)

    感慨(かんがい)して身を殺すは易く、従容(しょうよう)として義に就(つ)くは難し

    一時の感情にかられて死を選ぶのはまだやさしい。むずかしいのは、ゆったりと落ち着いて正しい道を踏み行うことである。


  63. 言而当知也、黙而当知也(荀子(じゅんし)

    言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり

    発言して核心をつ衝く、これは知である。沈黙によって核心を衝く、これもまた知に他ならない。


  64. 勿謂今日不学而有来日(古文真宝(こぶんしんぽう)

    謂うことなかれ今日(こんじつ)学ばずして来日(らいじつ)ありと


  65. 接小吏亦以礼(宋名臣言行録(そうめいしんげんこうろく)

    小吏(しょうり)に接するにもまた礼を以ってす


  66. 善善而不能用、悪悪而不能去(管子(かんし)

    (ぜん)を善(よ)みして用うる能(あた)わず、悪(あく)を悪(にく)みて去る能わず

    善を喜びながらそれを用いない、悪を憎みながらそれを退けない。(が為に、郭(かく)の国は滅びた。)


  67. 非知之艱、行之惟艱(書経(しょきょう)

    知ることの艱(かた)きにあらず、行うことこれ艱し


  68. 坐忘(荘子(そうじ)

    坐忘(ざぼう)

    「坐忘」とは、五体から力を抜き去り、いっさいの感覚をなくし、身も心も虚になりきった状態、虚心・無心の境地。


  69. 君子有九思、視思明、聴思聰、色思温、貌思恭、
    言思忠、事思敬、疑思問、忿思難、見得思義
    (論語(ろんご)

    君子に九思あり、視(み)るは明(めい)を思い、聴くは聰(そう)を思い、
    (いろ)は温を思い、貌(ぼう)は恭(きょう)を思い、言は忠を思い、事は敬を思い、
    疑わしきは問うを思い、忿(いか)りには難を思い、得るを見ては義を思う

    君子には、常に心がけなければならないことが九つある。
    視覚においては明敏であること。聴覚においては鋭敏であること。
    表情においては温かみがあること。態度においては誠実であること。
    発言においては忠実であること。行動においては慎重であること。
    疑問に接しては探求心を持つこと。感情に駆られて迷惑をかけぬこと。
    利に直面しても義を忘れぬこと。



  70. 人之患、蔽於一曲而闇於大理(荀子(じゅんし)

    人の患(うれい)は一曲(いっきょく)に蔽(おお)われて大理に闇(くら)きにあり

    物事の一面にとらわれて、全体を把握できない、これが人間の欠点である。

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