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人生訓3
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人生訓3
天下不如意、恒十居七八
(晋書
(しんじょ)
)
天下、意の如くならざるもの、恒
(つね)
に十に七、八に居
(お)
る
好死不如悪活
(通俗編
(つうぞくへん)
)
好死
(こうし)
は悪活
(あくかつ)
に如
(し)
かず
「好死」は立派な死に方、いさぎよい死に方、
「悪活」はみじめな生き方、見苦しい生き方。
見苦しい生き方でも、死ぬよりはましだ、の意。
不怨天、不尤人
(論語
(ろんご)
)
天を怨みず、人を尤
(とが)
めず
遇不遇者時也
(荀子
(じゅんし)
)
遇と不遇とは時なり
「遇」とは何をやってもトントン拍子にうまくいくこと、「不遇」はその逆。
百年俟河清
(左伝
(さでん)
)
百年河清
(かせい)
を俟
(ま)
つ
「河」は黄河、黄河はいつも濁っていて澄むことがない。いつまで待っても仕方のないこと。
伏久者飛必高
(菜根譚
(さいこんたん)
)
伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し
長いあいだうずくまって力を蓄えていた鳥は、いったん飛び立てば、必ず高く舞い上がる。
禍福無門、唯人所召
(左伝
(さでん)
)
禍福
(かふく)
は門なし、ただ人の召
(まね)
く所
幸せも不幸せも特別な門があって入ってくるわけではない、みな当人が招くのである。
転禍而為福
(戦国策
(せんごくさく)
)
禍
(わざわい)
を転じて福と為す
不患人之不己知、患不知人也
(論語
(ろんご)
)
人の己
(おのれ)
を知らざるを患
(うれ)
えず、人を知らざるを患う
人が自分を認めてくれないというのは筋違いである、自分こそ他人の真価を理解できないのではないか。
天網恢恢、疎而不失
(老子
(ろうし)
)
天網恢恢
(てんもうかいかい)
、疎
(そ)
にして失わず
天の網(天の裁き)はこの上なく大きく、編み目こそ荒いが、なにひとつ取り逃がすことはない。
徳不孤、必有隣
(論語
(ろんご)
)
徳は孤
(こ)
ならず、必ず隣
(となり)
あり
徳は決して孤立しない。かならず、理解者が現れる。
楽天知命、故不憂
(易経
(えききょう)
)
天を楽しみ命
(めい)
を知る、故に憂えず
舟覆乃見善游、馬奔乃見良御
(淮南子
(えなんじ)
)
舟覆
(くつがえ)
りてすなわち善
(よ)
く游
(およ)
ぐを見、
馬奔
(はし)
りてすなわち良く御するを見る
舟がひっくり返ったときに、はじめて泳ぎの達者な人間かどうかがわかる。
馬が走りだしたときに、はじめて乗りこなす術を心得ている人間かどうかがわかる。
(ピンチの時にはじめて人間の真価がわかるのである。)
於不可已而已者、無所不已
(孟子
(もうし)
)
已
(や)
むべからざるに於いて已むる者は已まざる所なし
やめてはならない所でやめる人間は、何をやっても中途半端なことしかできない。
疾風知勁草
(後漢書
(ごかんじょ)
)
疾風に勁草
(けいそう)
を知る
「勁草」は強い草の意。
窮則変、変則通
(易経
(えききょう)
)
窮すれば則ち変ず、変ずれば則ち通ず
事態がどん詰まりの状態にまで進むと、そこで必ず情勢の変化が起こり、
変化が起こると、そこから新しい展開が始まる。
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