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人生訓1
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人生訓1
呑舟之魚不游枝流
(列子
(れっし)
)
呑舟の魚は枝流に游
(およが)
ず
舟をひと呑みにするような大きな魚は川の支流では泳がない。(大きな目標を持つこと、環境を整えること)
上善如水
(老子
(ろうし)
)
上善
(じょうぜん)
は水の如し
「上善」とはもっとも理想的な生き方。(水はきわめて柔軟であり、人の嫌う低い所へ流れ、ものすごいエネルギーを秘める。)
寧為鶏口、無為牛後
(史記
(しき)
)
むしろ鶏口
(けいこう)
となるも牛後
(ぎゅうご)
となるなかれ
知仁勇三者天下之達徳也
(中庸
(ちゅうよう)
)
知、仁、勇の三者は天下の達徳なり
「達徳」とは徳の中の徳、「知」とは深い読みのできる能力、物事を適切に処理できる能力、
「仁」とは思いやり、「勇」とは勇気、決断力。
君子有三楽
(孟子
(もうし)
)
君子に三楽あり
君子のような立派な人物には三つの楽しみがある。
(一、父母がともに健在で、兄弟がそろって息災であること
一、どこから見ても恥ずかしくない生き方をしていること
一、すぐれた英才を見いだして、その成長を助けてやること)
人皆知有用之用而莫知無用之用也
(荘子
(そうじ)
)
人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり
無用だと思われているものこそ実は有用である。
人生如白駒過隙
(十八史略
(じゅうはっしりゃく)
)
人生は白駒
(はっく)
の隙
(げき)
を過ぐるが如し
人生は、戸の隙間から白馬が走りすぎるのを見るように、ほんの一瞬のことにすぎない。
蝸牛角上之争
(荘子
(そうじ)
)
蝸牛
(かぎゅう)
角上
(かくじょう)
の争い
かたつむりの角の上での争いのように、ささいな争い
三十而立、四十而不惑
(論語
(ろんご)
)
三十にして立ち、四十にして惑わず
十五歳のとき学問で身を立てようと決心し、三十歳でその基礎ができ、
四十歳で自分の進む方向に確信がもてるようになった。さらに五十歳で天命を自覚し、
六十歳のときにはどんな意見にも耳を傾けられるようになり、七十歳になると欲望のままにふるまっても
人間の規範を逸脱しないような自在の境地に達することができた。
(吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず。五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。)
大道以多岐亡羊
(列子
(れっし)
)
大道
(たいどう)
は多岐なるを以って羊を亡
(うしな)
う
大きな道には分かれ道が多い。だから、逃げた羊を見失ってしまう。
清能有容、仁能善断
(菜根譚
(さいこんたん)
)
清
(せい)
にしてよく容
(い)
るるあり、仁にしてよく断を善
(よ)
くす
清廉であってしかも包容力がある。思いやりがあって決断力に富んでいる。
報怨以徳
(老子
(ろうし)
)
怨みに報いるに徳を以ってす
臨難毋苟免
(礼記
(らいき)
)
難に臨んでは苟
(いやしく)
も免
(まぬが)
れんとするなかれ
困難にぶつかった時に逃げ腰になるな。
窮亦楽、通亦楽
(荘子
(そうじ)
)
窮もまた楽しみ、通もまた楽しむ
人生百年、昼夜各分
(列子
(れっし)
)
人生百年、昼夜おのおの分
(なか)
ばなり
慮事深遠、則近於迂矣
(宋名臣言行録
(そうめいしんげんこうろく)
)
事を慮
(おもんぱか)
ること深遠なれば、則ち迂
(う)
に近し
「迂」は遠回り、これからまだるっこいの意。周到に考えをめぐらすので、どうしても迂に見える。
見かけだけにとらわれず、長所のほうも評価してほしい。
人生如朝露
(漢書
(かんじょ)
)
人生は朝露の如し
人生は朝露のように、はかなく短い。
人生減省一分、便超脱一分
(菜根譚
(さいこんたん)
)
人生、一分を減省せば、すなわち一分を超脱す
人生では、なにごとも減らすことを考えれば、それだけ俗世間から脱け出すことができる。
往者不追、来者不拒
(孟子
(もうし)
)
往く者は追わず、来
(き)
たる者は拒まず
鷦鷯巣於深林不過一枝
(荘子
(そうじ)
)
鷦鷯
(しょうりょう)
、深林に巣
(す)
くうも一枝
(いっし)
に過ぎず
みそぎさいという鳥は林の奥深く巣をつくるが、必要とするのはたった一本の枝に過ぎない。
寿則多辱
(荘子
(そうじ)
)
寿
(いのちなが)
ければ則ち辱
(はじ)
多し
四時之序、成功者去
(史記
(しき)
)
四時の序、功を成す者は去る
「四時の序」とは春夏秋冬が移り変わること。役割を終えたものは去っていく。
己所不欲、勿施於人
(論語
(ろんご)
)
己の欲せざる所は人に施すなかれ
人からされたくないことは、自分のほうからも人にしない。
問余何事栖碧山、笑而不答心自閑、
桃花流水杳然去、別有天地非人間
(古文真宝
(こぶんしんぽう)
)
余
(われ)
に問う 何事か碧山
(へきざん)
に栖
(す)
むと 笑って答えず 心自
(おのずか)
ら閑
(かん)
なり
桃花
(とうか)
流水 杳然
(ようぜん)
として去り 別に天地の人間
(じんかん)
に非
(あら)
ざるあり
世間の人々は、どうしてこんな山奥に住んでいるのかとたずねる。
私はただ笑って答えないが、まことにのんびりとこの環境を楽しんでいるのだ。
ごらん、桃の花びらが川面に浮かんでゆったりと流れ去り、
俗世間とはまったく異なる風情があるではないか。
安時而処順、哀楽不能入也
(荘子
(そうじ)
)
時に安んじて順に処
(お)
れば、哀楽入
(い)
る能
(あたわ)
ず
時のめぐり合わせに安んじ、自然の成りゆきに従えば、哀も楽もなく、いっさいの束縛から開放される。
直木先伐、甘井先竭
(荘子
(そうじ)
)
直木
(ちょくぼく)
は先ず伐
(き)
られ、甘井
(かんせい)
は先ず竭
(つ)
く
樹木はまっすぐで材木に適しているものからまず切り倒され、井戸は甘い水のでるものからまず飲み尽くされてしまう。
年年歳歳花相似、歳歳年年人不同
(唐詩選
(とうしせん)
)
年年歳歳、花相似
(あいに)
たり、歳歳年年、人同じからず
花は毎年同じように咲くが、それをめ愛づる人は年ごとに変わっている
曲則全
(老子
(ろうし)
)
曲なれば則ち全
(まった)
し
曲がっているからこそ生命を全うできる
己欲立而立人、己欲達而達人
(論語
(ろんご)
)
己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す
自分の名誉を大切に思うなら、まず他人の名誉を重んずる。自分が自由でありたければ、まず他人の自由を重んずる。
以不貪為宝
(左伝
(さでん)
)
貪
(むさぼ)
らざるを以って宝と為す
功遂身退、天之道也
(老子
(ろうし)
)
功
(こう)
と遂げ身
(み)
退
(しりぞ)
くは天の道なり
仕事を成し遂げたら身を引くのが天の道である。
不義而富且貴、於我如浮雲
(論語
(ろんご)
)
不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲
(ふうん)
の如し
悪いことをして金や地位を手に入れ、派手な暮らしをするのは、私からみれば空に浮かぶ雲のようなものだ。
知者楽水、仁者楽山
(論語
(ろんご)
)
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ(知者は動き、仁者は静かなり)
呼我馬也、而謂之馬
(荘子
(そうじ)
)
我を馬と呼ばば、これを馬と謂わん
わたしを馬と呼ぶならば、馬だと認めるだろう。(人がそういうからには根拠があってのことであるから、わたしは逆らわない。)
衆曲不容直、衆枉不容正
(淮南子
(えなんじ)
)
衆曲
(しゅうきょく)
は直
(ちょく)
を容いれず、衆枉
(しゅうおう)
は正
(せい)
を容れず
「衆曲」とは全体が曲がっていること、「衆枉」は全体がまちがっていること。
発憤忘食、楽以忘憂
(論語
(ろんご)
)
憤
(いきどお)
りを発して食を忘れ、楽しみて以って憂いを忘る
時勢を憂えると食事のことも忘れ、楽しみごとに熱中すると心配ごとも忘れてしまう。
断而敢行、鬼神避之
(史記
(しき)
)
断じて敢行
(かんこう)
すれば鬼神もこれを避く
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