No.149 我が愛すべきアイテムたち
その1〜MSX2

2001年2月4日(日)
MSX2
突然だが間もなく引っ越しをする。
さすがに我が「禁断の押入れ」に詰まっているものを全て持って行けるわけもなく
昨年末から大おー掃除をやっているのである。
ここ数年一度も使うことの無かったものがほとんどなので
全て捨ててしまってもいいはず。
しかしいざ手にしてみると、どれもが思い入れ深いものばかり。
手に触れた瞬間に、使っていた頃の記憶が鮮やかに蘇ってくる。
でもどう考えても今後これらを使うことは無い。
持っていても邪魔なだけだ。
捨てるしかない。
身を切られるほどの葛藤の末思いついたアイデアが
せめてデジカメでその姿を残しておくことだった。

前置きが長くなったが、そんな思い入れ深いアイテム達を
ネタがない機会があるごとに紹介していきたいと思う。
まずはその1回目。
MSX2である。

今でこそアンチ・マイクロソフトなボクではあるが
当時は何も考えずMSXを愛用していた。
(というよりMSXのMSがマイクロソフトのことだということは比較的最近まで知らなかった)
MSXについて語り始めるとそれこそキリがないので
別の機会に取っておきたいと思う。

これはボクにとって2台目のMSXパソコン。
確かこれは1台目と違って自分のお金で買ったものだ。
SONYのHB−F5。
当時「ひ〜とびと〜のヒットビット」というCMでお馴染みだったHITBITシリーズである。
お値段はいくらだったか憶えてない。
多分8万円前後だったのではないだろうか。
(その後部屋の整理をしていたら昔のMSXの雑誌が出てきた。
それによると定価84,800円とのこと)

FDDは内蔵していない。
当然ハードディスクなんてあるわけがない。
電源を入れるとROMに入っているMSX−BASICが勝手に立ち上がるのだ。
その代わりにカセットテープを使用したデータレコーダなるインターフェースがついていた。
そう、当時はカセットテープにプログラムやら何やらを記録していたのである。
データを頭出ししてロードして使えるようになるまで2〜3分はゆうにかかっていたなー。

マウスももちろん無い。
その代わりにジョイ・スティック・ポートが2個付いている。
マウスも買ってくればここにささった。

右上にある2つのスロットは恐らく今で言うISAバスのようなものだったろうと思われるが
ほとんどROMのゲームカセットがささっていたっけ。

キーボードはなかなか優秀だった。
当時安い機種では消しゴムのようなキーボードのものもあった中で
こいつはフルストローク・キーボード。
しかもなかなか押した感じが良く当時のMSXの中ではトップクラスのキータッチだったと思う。
更にテンキー付き。
当時の一体型MSXではテンキー付きはめずらしかったのだ。
しかし日本語がJIS配列ではなく五十音順なのは笑える。
この頃まだローマ字入力という機能が無かったので日本語の入力が大変だったのだ。
(そもそも漢字なんて出なかったのではあるが)
五十音配列キーボード

グラフィックは初代MSX(いわゆるMSX1)では、256ドット×192ドット、16色。
しかも横8ドットに2色使えないという情けないものだった。
また特徴としてスプライトと言って単色ではあるが
バックグラウンドを気にせず自由に移動できるセル画のような機能もあった。
それがMSX2になり、解像度は変わらないものの1ドット単位に任意な256色が使えるようになった。
また512ドット×212ドットで512色中任意の16色が1ドット単位に使えるというモードも新設。
ボクにとっては画期的な変革だった。

バカでかいFDDユニット
その後購入した夢にまで見たFDDユニット。
出た当初は3.5インチ2DDのFDDユニットが忘れもしない¥89,800もしたのだ。
それが徐々に安くなっていって
これは確か¥49,800位じゃなかったかな。
おまけにでかい!
FDDインターフェースなんてMSX本体には内蔵していないので
でっかいインターフェース・カセットをスロットに挿して使っていた。
でもこれを買ったときにはとにかく感動した。
カセットの煩わしさとは雲泥の違い。
あの衝撃はいまでも忘れない。

その他のスペックとしてはこんな感じ。
CPU:Z80A
RAM:64KB(※決して64MBではない)
VRAM:128KB
今から考えると非常にかわいい、というか単なるゴミだが
今のPCには無いものがあった。
それは自分で工夫して創り出す楽しみ。

現代のPCは確かに高性能で当時と比べると処理できる内容に雲泥の差がある。
でも基本的には「使う」だけだ。
当時のMSXには全てのものを自分で創り出す楽しみがあった。
マウスを動かすにも自分でプログラムを作ってやる必要があった。
処理速度に制限のあるBASICを駆使し少しでも処理を軽くする工夫をしつつ
プログラミングしていくその過程は地道で苦労もあったが夢に溢れていた。
通常のBASICには飽きたらずマシン語に手を出し暴走させたり
VRAMの内容を直接いじり普通ではなかなか表現できないものを表現したりした。
楽しみはつきなかった。
最近は再びあの頃の創作魂が蘇りつつあったりする。

なおMSXももう末期の頃購入したMSX TurboRパソコンは
捨てずに持っていくのである。
(アパートで撮影)
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