2.2 大学での写真展示会におけるメッセージ・2(1995.5.11)


「今、神戸は一体どうなっているのか?」

− 遅々とした復興の歩み −

 去る1月17日早朝に起こった阪神・淡路大震災により、兵庫県南部を中心に多大なる人的・物的被害がもたらされたことは、皆さんにとってもまだ記憶に新しいことと思います。地震当日からほぼ4ヶ月経った現在も、被災地ではなお多くの方々が避難所生活を続け、また一方では、市街の復興が遅々とした歩みながらに進み始めています。しかしながら本年は、円高・地下鉄サリン事件・オウム関連等、刺激的な出来事が頻発しており、首都圏に住む私たちは、最近ともすれば、これらの身近な話題に目を奪われがちです(神戸の知人からも「東京は大丈夫なんか?」と逆に心配されてしまいました)。私は震災直後に実家(神戸市西区)の被災のため帰省し、その際に見た神戸市街の様子を、本年2月に当ロビーにて写真展示し、合わせて義援金の呼びかけも行わせて頂きました。そこで今回は、GW期間に見た現在の市街の復興具合を再び報告したいと思います。今回の展示の意図は、(皆さんが神戸の大災害をいつまでも忘れることのないように・・・)という願いに他なりません。掲示を再び許可して頂いた15・16号館管理関係者の方々に、あらためて心から感謝いたします。

 今回の展示内容は、知人の見舞いを兼ねて神戸市長田区(5/6)、中央区(5/7)を訪れた時に撮影したものです。市の中心部の繁華街はアーケードも取り払われ、迂回路だらけでした。目につくものは、相変わらずの瓦礫の山・歪んだビル・防護壁で覆われた解体中のビル・クレーン車ばかりでした。また長田区においては、かつての街並みはもはや影もなく、それなりに復興の進む神戸の表の顔とは違って、被災処理の進度も個別まちまちで遅々としたものでした。被災後も放置されたままの潰れた民家・解体中の建物・更地化したところ・既にプレハブ住宅or店舗が仮設されたところなど様々で、再開発計画が本格的に実施されるまでには当分間がある現在、「櫛の歯の欠けたような状態」にあります。損壊した民家や瓦礫の間にクレーン車の散見される風景・更地化し隙間だらけで妙に見通しのよくなった町並みなどを見ると、もはや言葉を失ってしまいます。本格的なインフラの再整備はまだこれからであり、今後、気が遠くなるほどの長い時間が必要なことを実感した次第です。また、一部で報道された通り、GWを利用して「被災地見物」に訪れた人々も多く、私自身も彼らから「TVに映っていた○○はどの辺ですかあ?」と尋ねられたり、記念撮影を頼まれたりしました。彼らの横で、被災直後以上に人目を気にしつつも撮影を続けた己の行為については、撮影目的や地元出身という事情を割り引いても一定の自己批判を行う必要はあると考えています。

 最後にひとつ提案があります。震災直後に義援金を送られた方々も多いと思いますが、社会的関心の薄れつつある今こそ、被災地に向けて何か少しでも行動して頂けないものでしょうか?例えば郵便局を訪れた際には「阪神・淡路大震災寄付金付き郵便切手」を買ってみては如何でしょう。皆さん各々がほんの少しの行動でも行われたならば、総計するときっと「復興」を支援する大きな力になるはずです。被災直後、神戸に駆けつけボランティアに燃えた若者たちを、ただ「偽善」の一言で片付けただけの人々も世間には存在したようです。このような態度は「悲しいし尊敬に値しない。」と、私自身は考えます。やはり私たちが行うべきは、被災者の方々に対し自分にできる範囲の行動を継続して行うことではないでしょうか。

 1995.5.11          総合文化研究科 広域科学専攻D2

                      沼田 英俊

                   (桜井研:16号館725・兵庫県立長田高校OB)



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