2.1 大学での写真展示会におけるメッセージ・1(1995.2.4)


「阪神大震災」の写真展示について


 既に皆さんもよくご存知の通り、去る1月17日早朝に兵庫県南部を中心に起こった直下型大地震により、5000人以上の人命が失われ、また膨大な数の被災者が生じました。現在もなお、およそ25万人の方々が避難所生活を強いられています(2/4現在)。

 私も実家(神戸市西区)が被害に遭ったため、諸般の事情もあり1月下旬に急遽、帰省しました。幸い実家は今回の活断層から少し外れた地域であったため市の中心部に比べ軽度の損壊で済みましたが、断水・交通マヒなどにより極めて不便な生活を強いられました。また、高校時代の同級生の半数以上が神戸市長田区・須磨区に住んでいることもあり、知人の安否も気遣われました。幸い知人の中に亡くなった方はいなかったものの、家屋倒壊・焼失により家財を失い、避難所生活を余儀なくされたり身寄りを訪ね神戸から脱出した方々は大勢いました。

 ここに展示した写真は、帰省中に知人の見舞いを兼ねて、神戸市長田区・須磨区(1月26日)、神戸市中央区(1月30日)を訪れた時に撮影したものです。馴染みの街並みのあまりにも変わり果てた光景にただ驚くばかりでしたが、同時に記録・伝達の必要性を感じたため、ときどき、なるべく被災者のいない場所でカメラを取り出しました。しかしながら、差し入れの飲料水・食糧等を背負った重装備の身なりといえども人目もはばかられ、興味半分にスナップ写真を撮る人々を横目にしながら、己も自己嫌悪に苛まれつつコソコソとシャッターを切らざるを得ませんでした。このため、被災現場を歩き続け、人目を引くであろう凄惨な光景を伝えきれないほど数多く目の当たりにしながらも、カメラを向ける事が出来ず、既にテレビ・新聞・雑誌などのマスメディアを通して刺激的な映像・写真を数多く眼にされたであろう皆さんにとっては、いまひとつ迫力に欠けた写真になりました。

 私は2月初めに東京に戻ってきましたが、地震当日以来の洪水のような報道も勢いが下り坂気味となる中、全てがこれまでと変わらず機能する平穏無事な首都圏に身を置いて、「しょせんは、よその地域の地震」と考えがちな人々が少なくないように感じられる雰囲気に耐えられず、今回のような行動に出ることにしました。当初、このような私的な情報を掲示できる適当な掲示板もないため困惑しつつ自然科事務室に相談してみたところ、当館ロビーに掲示することを快諾して頂きました。許可を頂いた15号館管理関係者の方々に心から感謝いたします。

 また今回の写真展示には、遅ればせながら「阪神大震災による被災者の方々に対する義援金」呼びかけの意図も込められています。地震当日から半月以上経ち、“義援金呼びかけ”もおなじみのものとなりました。既に生協・日赤などを通じて義援金を送られた方々にとっては、重複した呼びかけとなったことをお詫びいたします。

 災害は今も進行しています。我々首都圏に住む人間に求められているのは、メディアを通じて得た知識を話題にするだけの「評論家」になることではなく、被災者の方々に対して自分にできる範囲で何らかの行動を起こす事だと思います。

 1995.2.4              総合文化研究科 広域科学専攻D1

                         沼田 英俊

                  (桜井研(16号館725)・兵庫県立長田高校OB)



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