博士論文の内容の要旨


論文題目
Correlation Interferometer for Measurement of Ballistic Photons
Propagating in Highly Scattering Media and its Application
(高散乱媒質中を伝播する弾道光子計測のための相関干渉装置とその応用)

氏名
沼田 英俊


序.


 ランダム媒質中からのレーザー散乱については多様な観点から関心がもたれ、研究が行われている。ミクロレベル(原子レベル)散乱の一例である気体原子からの選択反射では、レーザー散乱光スペクトルが原子の屈折率を反映しており、マクロレベル散乱の一例である懸濁液からのレーザー散乱では、散乱体粒子と入射光波長との相対的大きさにより散乱光の伝播姿態が異なる現象が確認できる。近年、半導体デバイスの発展により、小型で極めて性能の良い半導体デバイスを利用できるようになったため、時間・空間・周波数の各領域において従来、容易には出来なかった高感度・高精度な分光・光計測が可能になってきている。これらの高分解分光法を組み合わせた高精度計測装置を作成し、現在発展中の領域であるランダム媒質からの前方レーザー散乱について、その機構を解明し、また実用的なレーザー技術に応用することをも目的として、以下の研究を行った。


1.高散乱媒質中を伝播する弾道光子計測のための相関干渉装置


 コロイド懸濁液や生体など不透明な高散乱媒質は複雑な3次元構造を持ち、照射光に対し多重散乱および複雑な屈折を引き起こすため、光の伝播経路が非直線的になる。光伝播機構の高精度計測により屈折率など有用な物理情報を得るためには、散乱媒質を最短時間で伝播する前方直進弾道光子(Ballistic Photons)のみを選択検出する必要がある。弾道光子の高精度な選択検出方法として、我々は従来のパルス光励起法に代えて、低干渉性光源(SLD: Super Luminescent Diode・波長840nm)を用いたランダム雑音励起法を用い、光ヘテロダイン検出法を併用した高指向性・高感度な相関干渉装置を作成した。
 光源からの光を分割し、一方は可変遅延光路を通し局部発振光として用い、もう一方は音響光学変調器により周波数シフト(80MHz)を施してから試料に入射し、透過光を光学ヘテロダイン検出する。得られるビート信号を利用し、試料からの透過光を時間領域で分光計測した(Fig.1)。光源のコヒーレンス時間で決まる本計測装置の時間分解能は約200 (fsec)、弾道光子検出系のダイナミックレンジは約 90 (db) である。
 まず初めに、相関干渉装置を用いた微弱な散乱光の検出感度について定量的評価を行った。試料としてガラス平行平面基板(厚さ:1mm)を用い、試料内での多重反射時に起こる入射光強度の減衰効果を利用して光源出力光の自己相関スペクトルを計測した。振幅反射率R=0.203であるため、ガラス板中でn往復した光(n次光)の0次光に対する相対振幅(減衰)は3次光で、4次光ではとなる。ガラス板の往復分だけ光伝播に遅延時間が生じるため、時間分解分光により複数のn次光を同時に計測できる(一往復分で生じる遅延時間は約10psec)。測定結果(Fig.2)においては、光源のcavity長に依存した複数の時間分解スペクトルのモードが混在しているが、最も強い相関スペクトル(信号光・局部発振光の2経路の光路長が一致するもの)を基準とした試料多重反射光のみに着目すると、本装置では3次の試料透過光振幅まで検出できていることが分かる。
 ヘテロダイン検出における検出限界の理論値と実験値とを比較して評価を行った結果、実験値は理論値の30倍の減衰値まで迫っていることを確認した。また感度向上の障害となる各種雑音についても詳細な検討を行った。

Fig.1         Fig.2


2.応用計測1


(a)懸濁液における弾道光子伝播
 本章以下では、相関干渉計測装置の応用計測例について述べる。まず本装置を用いて懸濁液における弾道光子を測定し、Mie散乱理論を用いた解析により、弾道光子の伝播姿態を調べた。Fig.3は、生体に代わる不透明な散乱体試料として、カゼインミセル(=乳タンパク質:Fig.3(a))・牛乳(=乳脂肪球:Fig.3(b))の散乱体粒子懸濁液を用い、各試料の濃度を徐々に変えて測定した結果である。各図で一番上の信号は蒸留水を試料として用いた参照信号である。横軸は局部発振光の遅延時間、縦軸は信号強度(註:log scale)を表す。Fig.3(a)(散乱体の粒径<入射光の波長)では、濃度に伴い透過光の伝播時間に遅れが生じているが、Fig.3(b)(粒径>波長)では透過光の伝播時間に殆ど変化がない。また各図において検出信号光(試料透過光)のコヒーレンス時間(信号の時間幅)が不変ゆえ、弾道光子のみが選択的に検出されていることが分かる。

Fig.3

(b)Mie散乱理論による解析
 懸濁液試料において散乱体粒子の平均間隔が入射光の波長より充分に長い場合、個々の散乱体粒子が互いに独立に光を散乱していると考えられる。そこでMie散乱の理論(散乱体一個に対する散乱の理論)を用いた数値計算結果との比較により本実験の解析を行った。
 計算結果をFig.4に示す。各図の横軸は散乱体粒子の粒径であり、Fig.4(a)は弾道光子に対する散乱体粒子懸濁液全体の実効的な屈折率、Fig.4(b)は同じく減衰係数(吸収+散乱)を示す。これによると(a)遅延時間(〜屈折率)は、(粒径>波長)ではほぼゼロ、(粒径≪波長)では散乱体粒子懸濁液を均質な誘電体とみなしたときの実効的な屈折率の値に近くなる。また(b)減衰係数は、(粒径≪波長)ではほぼゼロ、(粒径>波長)では増大したのち、ある漸近値に近づく。また粒径が波長程度の領域では共鳴効果により形が複雑になっている。
 この計算結果から現象を解析すると、@(粒径≫波長)においては、散乱体と相互作用した光子は、散乱体粒子のレンズ的作用により全て前方以外の方向に散乱される。このため、検出される弾道光子は、”非散乱前方直進光成分”からなり、非散乱ゆえ光伝播に時間遅れが生じないことになる。一方、A(粒径≪波長)においては、散乱体と相互作用した光子のうち一部は位相遅れを伴いながら前方に散乱される(比較的高濃度でも)。このため、弾道光子の殆どが、”前方多重散乱直進光成分”(見かけ上の透過直進光成分)からなり、散乱により時間遅れが生じることになる。Aの成分は、試料=”散乱体が均質に分布した誘電体”とみなせば、入射光誘起分極による光電場が検出されたものである。また、(粒径≪波長)と(粒子間隔<波長)が合わさった条件下(すなわちMie散乱理論の前提となるfar field近似が成立しない領域)においては、個々の散乱体粒子の分極による光電場が近傍の粒子を直接励起し分極を生じさせる。これにより粒子間に働く近傍波によるPhoton Tunneling効果が生じ、この影響により光伝播の時間遅れに増分が生じると考えられる。これは実験結果を示すFig.3(a)において実際に確認できた。以上により、本実験において、弾道光子には3種類あることを実験・数値計算により証明した。

Fig.4

(c)1次元CT scan
 弾道光子検出の応用として簡単な1次元CT scan実験を行った。不透明なカゼインミセル懸濁液中にガラス板を入れ、外部からは見えないガラス板のエッジを、遠隔非接触計測できることを示した(Fig.5)。このように、高散乱媒質の内部構造について、透過光強度の減衰情報だけでなく、弾道光子伝播の遅延時間情報を利用して断層画像を得ることも本計測法により可能となることを示した。

Fig.5


3.実験2(ゾル−ゲル相転移時の弾道光子伝播の観測)


 ゾル(コロイド懸濁液)の分散粒子であるコロイド粒子は多糖類・タンパク質などの高分子であり、粒子1個あたり103〜109個の原子を含み、粒径は10-7〜10-9m程度である。ゲル(ゾルの固化物)の代表例である寒天・ゼラチンでは95〜99%が水でできており、加熱・攪拌により容易にゾル化する。
 相関干渉装置(前方直進弾道光子の選択検出計測系)を用いた応用例として、基礎物理問題として興味深いゾル−ゲル相転移時の光散乱機構を探る目的で、ゾル−ゲル相転移前後における弾道光子伝播の測定を行った。試料として天然高分子ゲル(寒天・ゼラチン)を用い、試料の温度を変えながら逐次測定を行った。Fig.6は寒天(ヘミセルロースの一種)を試料に用いた測定結果である。横軸は局部発振光の遅延時間、縦軸は信号強度を表す。透過光強度は比較的大きく、弾道光子伝播に遅延時間が生じるため、粒径は照射光の波長以下と考えられる。主な特徴として、

  1. 寒天試料では、透過光強度のピーク値が相転移温度付近でいったん減少。
  2. 低温化してゲル化するに伴い、透過光の時間遅れが増大。
  3. 透過光のコヒーレンス時間は、ゲル相に比較してゾル相では10〜20%程度減少。

が挙げられる。

1)透過光強度のピーク値については、ゾル・ゲル各相では分散粒子が均一・安定に分布しているため比較的大きな値を示す。一方、相転移温度付近(ゾル・ゲル混合状態)では粒子分散が不均一で動的・乱雑なため、照射光がランダム多方向に散乱され干渉性のある弾道光子が減衰し、ピーク減少の主要因になると考えられる。

2)遅延時間(屈折率)については、基本的には、溶媒(水)の屈折率の温度依存性を背景に各試料・各相で、固有の相対屈折率(誘電率)を示しているのが明確に確認できる。

3)パルス幅(コヒーレンス時間〜弾道光子の相関干渉時間)については、溶媒(水)では温度依存性が見られないが、寒天・ゼラチン試料ともに(雑音レベルに紛れ明確ではないが)コヒーレンス時間がゲル化(低温化)に伴い増大している。また相転移温度付近でパルス幅が一旦減少する(コヒーレンスの劣化)可能性も示されている。

Fig.6

 

(Feb. 17, 1998)


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