北欧ロシア3カ国巡り雑記

(ビジネス編)


4月11日〜18日まで、フィンランド・ヘルシンキ、エストニア・タリン、ロシア・サンクトペテルブルグの3都市を主に廻るツアーに行ってきました。

バルト海の沿岸に位置するこの3都市を訪れてみての印象は、地理的には隣接しているものの、民族的・歴史的な背景の違いがあり、それぞれの文化が微妙な独自性と類似性を持っているということでした。

以下、古い部分と新しい部分での文化や経済についてを中心に、見聞雑記してみたいと思います。


■3都市の違いと文化意識

 フィンランドは通貨こそユーロを使用してはいませんが、EU加盟国としての経済発展が見られます。物価も日本と同程度で、かなり高いという印象でした。

 他の国がすべて達者な日本語を使う現地人ガイドがついたのに対し、ここだけは英語ガイド。エストニアは旧ソ連邦の国で、92年に独立してからまだ10年も経っていない割には急速な発展が見られます。ただし首都タリンの中心部は近代的ですが、郊外に行くと古く荒れた感じはしました。

 それが国境を越えてロシアに入ると、さらに荒廃した農村風景になります。さすがにサンクトペテルブルグに入れば、大都市の活気があります。

●世界文化遺産のタリン旧市街

 エストニアの首都・タリンの旧市街地は、世界文化遺産にも指定されており、城壁で囲まれた坂の多い地域に、中世そのままの街並みが見られます。現在はほとんど居住者はおらず、レストランやショップなどに使われていますが、石畳の道の両側には12世紀〜15世紀くらいの建物が並び、まるでお伽の国のようなかわいらしい印象です。

●サンクトペテルブルグの景観保存

 ロシア第二の都市、または文化芸術の中心地。18世紀から栄えた比較的新しい都ではありますが、ルネサンス様式、クラシック様式から、ソ連時代のスターリン様式(ネオクラシック)まで、古いビルがそのまま残されている、まさに帝都の風格をまとった街です。そうした建物は現在でもトップクラスの住居として人が住んでいますが、外観は保存して内部の部屋だけ現代の快適な居住空間に作り替えられています。

●宮殿、教会、文化財などの復興と歴史認識

 ロシア・ソ連は、ナポレオンやヒットラーの侵攻を受けた際、またスターリン体制下における宗教の抑圧など、貴重な文化財の多くを失っていますが、ロシア人特有のノスタルジアもあってか、古いものの復興や保存にかける意識の高さが感じられます。博物館や美術館となっている宮殿や教会などの見事さには、自分たちの文化的な歴史の深さに対する誇りを感じます。

 ↑夏の宮殿

ソ連時代は倉庫にされていたロシア正教の教会

スモーリヌィ修道院

●バレエに見る芸術への関心度

 ロシア、特にサンクトペテルブルグといえば、多くの音楽家や文学者、画家などが住んでいた芸術の都です。今回はムソルグスキー劇場でバレエの公演を見ることができましたが、昔からの劇場で観る本場の舞台芸術は、東京の近代的な劇場で観るのとはまったく違う感動がありました。なにより、客席に目立つ着飾った子供たちの多さが、そうした文化的基盤の深さを感じさせます。


■ハイテクの普及

 エストニアやロシアといった旧社会主義国でも目に付いたのが、ITの普及でした。広告や、商用車の車体にまで記されたURL。エストニアのホテルでは部屋にモジュラージャックも付いていて、ノートパソコンが使えるようになっていました。やはりインターネットは世界をつなぎ、変える力を持っていると思わされます。ホテルの部屋のテレビを点けると、宿泊者の名前入りメッセージ画面が表示されるというコンピューターを使った細かいサービスも見られました。

 また、街角で携帯電話を使う人の姿も印象的でした。やはりあちらでも、着メロが鳴るのでした。


■ロシアの自由経済化

 今回、一番印象的だったのが、ロシアの変化です。11年前、ゴルバチョフのペレストロイカ時代にモスクワを訪れたとき感じた不自由さがずいぶんと解消されていたこと、逆にオープンになりすぎて節度がなくなっているように思われたことなどがありました。

●街頭広告、テレビCM

 社会主義時代にはほとんどなかった商品広告が街の至る所に見られました。バスや路面電車の車体を使った広告も当たり前、特に路上の横断幕広告はインパクト大です。テレビでも、かなり過激な表現のCMが流れたりしていました。

●24時間営業の「コンビニ」

 ソ連時代のモスクワに行ったとき、この国にコンビニができればずいぶん変わるだろうに…と思ったのが、24時間営業のミニスーパーのチェーン店が市内のあちこちにあって驚きました。夏には白夜になる地域、夜中でも買い物ができる便利さは、日本以上ではないでしょうか。それ以上に、常に消費者へ提供できるだけの物資が確保可能になったことが、体制の変化を現わしています。

ロシアの5ルーブルコイン

(以前来た時はコインはカペイカでした)

●米ドル・日本円の使用範囲

 ソ連時代、街でもホテルの中でも、外国人の姿を見つければ怪しげな人が近付いてきて、「チェンジ・ダラーズ?」と声をかけてきたものです。自国の通貨・ルーブルに比べて安定した強さを持つドルなどの外貨は、一般には闇の通貨でした。それが今、ホテルの外でも観光地でも物売りが寄ってきて、日本人と見れば「毛皮の帽子、ニセンエン」とか「ガイドブックセンエン」とか、日本円でも通用してしまうようになっていました。ちなみに20ドルまたは2千円といわれたら、円安の今、円で払ったほうがかなりお得です。

●田舎と都会の格差

 エストニアからバスで国境越えをしたので、地方の農村部から大都市へと走り抜け、途中の車窓の風景の移り変わりを眺められたのですが、そこには変わりきれていない格差が見て取れました。雪景色の中の荒れた農家もとてもロシア的で魅力いっぱいですが、住んでいる人にとっては大問題でしょう。もっとも、そうした生活格差は日本でもあることですが。写真はヘルシンキに向かう列車の中から撮った郊外の様子です。


■日本アニメの普及

 世界に浸透している日本文化の最たるものといえば、やはりアニメでしょう。ムーミンの国・フィンランンドの空港ではポケモングッズが負けずに並んでいましたし、ロシアでもピカチューのマトリョーシュカ(入れ子人形)がお土産品になっていました。そして、エストニアのホテルではテレビでデジモンを見ることができました。英語吹き替え版に、現地の言葉による弁士の通訳がかぶさっているっという放送。声優の演技で見せられなくてはアニメの魅力も半減と思いますが、でも、一生懸命にいろんな声色を使って通訳しているのには、別の面白さがありました。


■フィンランド、エストニアのデザイン

 旅の楽しみの一つはショッピングですが、デザイナーブランドの品などには興味も買うお金もないので、ひたすら安物買いに徹していました。そんな中で感じたことと言えば、店のウインドウ・ディスプレイにしても、製品にしてもとてもかわいらしく、日本人受けするファンシーさがあるということです。アメリカ的な大雑把で毒々しいデザインや南ヨーロッパ的な洗練さとも違う、温かみと遊び感覚のあるメルヘンチックな北方デザインは、これから注目ではないでしょうか。

▲付記▼国境越えの思い出

今回のツアーの特色は、三カ国を訪れながらも飛行機での移動がないということでしょう。

フィンランドからエストニアは船で渡り、エストニアからロシアにはバスで入り、ロシアからフィンランドへは列車で越えるというバルト海をぐるっと回るコース。そして、国境越えはそれぞれに印象的でした。

ヘルシンキの港で出国し、タリンの港で入国する船の場合は、空港のように審査窓口で行列を作っていれば良いのでスムーズです。

しかし次のバスでは、事前に添乗員から道路の混み方によって、早くて3時間、これまでに最高で9時間待たされたこともあり、5時間は覚悟してくださいと言われていました。ロシアは簡単に人を入れないとう話もありました。エストニアの検査所をパスして、バスは国境の橋の上で停まり、順番待ち…。しかし幸運にもこの日の道路は空いていて、30分くらいでロシア側の検査所に進むことができました。とは言っても、それから査察官がバスに乗り込んできてパスポートチェックをし、すべての荷物をバスから降ろして通関検査をし終わるまでには1時間以上かかり、結局は国境に2時間以上滞在していましたが、それでも驚異的なスピードだったということです。

最後、列車での国境越えでは、客室にロシアの査察官(体格の良い女性)が乗り込んできてパスポート検査と部屋の荷物の検査…スーツケースを開けることはないのですが、同室の人がお土産で買ったトナカイの毛皮を持っていたため、特に検査が厳しくなり、財布の中身の抜き打ち検査までされました。さらに麻薬犬(かわいい)が各部屋に入ってきての調査。ここでも小1時間はかかったでしょうか。ロシアの査察官が降りてフィンランドの査察官が乗り込んできてからは、入国スタンプをパスポートへと押していくだけの簡単さで拍子抜けするほどでしたが、そうした官僚的な部分での比較で感じられた“ロシアらしさ”が、私にはちょっと嬉しく感じられました。これこそ、大国の威厳というものではないでしょうか…。