読書記 94.10

(つばめ通信27号より)

★楡井亜紀子「森の匂い」集英社刊
 年上の男性との恋愛小説集という感じのものでしたが、作家の透明な感性で描かれていて、いわゆるテレビドラマ的な作品にならず、なかなか面白かったです。恋をカタチとして捉えるのではなくて、心の世界の中で見つめているところに、とてもリアリティが感じられました。

★吉本ばなな「ハチ公の最後の恋人」メタローグ刊
 読んだ時よりも、今改めて手に取ってみると複雑なものがある…主人公の女性は新興宗教を背負っていて、男の方もインドで僧になろうとかしているし…。 話自体は、人物のそうしたキャラクターが生きていて面白いのですが、つまりこれがもっとも現代の風潮を反映した感性なのでありましょう。

★久石 譲「パラダイス・ロスト」パロル舎
 宮崎アニメになくてはならない作曲家、久石が書いた、ミュージシャンが主人公のミステリー小説。音楽の出来ない煮つまった心理状態が、事件の進行とオーバーラップして彼ならではの世界を作っていたと思います。バリ、ロンドン、パリとそれぞれの土地の空気を含んで展開していくストーリーと、魅力的なヒロインとのロマンスには十分に楽しませてもらえました。が、しかしなんとも誤植の多い本で…多分、作者がパソコンで打ち込んで書いたデータを、よく校正もせずにそのまま使ってしまったからでしょうが、出版社の責任は重いと言わなければなりません。

★笙野頼子「タイムスリップコンビナート」文芸春秋刊
 芥川賞作ですが、なんとも不思議な読書感のある小説でした。能細胞がばらばらに分解されていくような、別世界から持ち込まれたようなイメージの世界。懐かしい時代の匂いと、所在感のなさ、正体不明の相手との意味不明の会話。かなり疲労してしまうけれど、トリップ感が味わえます。 これを読んだ後、たまたま仕事でこの小説の舞台となっているJR鶴見線に乗る機会があったのですが、車窓に広がる工場地帯の景色に、非現実的な感覚のずれが感じられて、これも小説効果だったのかな。

★橋本一子「森の中のカフェテラス」幻灯社

 これもまたミュージシャンの書いた小説ですが、面白かった。ヒロインも世界も、一癖はあるけれど美しいものでしたし。やっぱり、音楽的な感性で捉えられた世界は、小説という言葉によって概念をこねくり回す表現手段を使っても、負けずに光ってきます。

この世界と別の世界との狭間、森の家…そんなところでの感受性の特に強い人間たちの姿自体が、とてもファンタジック。主人公が美少女なのもこの作品では必然性があって、性格もはっきりしているし魅力的でしたし、対する異世界へと消えて行ってしまう男も、嫌味がない透明感で印象的でした。

★木地雅映子「氷の海のガレオン」講談社刊
 まずはカバー画が松本大洋だったので目を引かれ、買ってしまったのですが、大当り。他人と違う自分、というのをこれほど意識的に描いた作品は珍しいと言うくらいの、気持ちの良いものでした。社会と個人の関係は社会優先ではない、価値観は個人の内部にあるんだよなぁって。それこそが「自由」に違いない。 収録3編はいずれも不思議さと孤独感と、それを超えた幸福感に満たされていて、少女のちょっと天の邪鬼な気持ちが素直に伝わってくる上質な小説でした。

★池上永一「パガージマ ヌパナス」新潮社
 沖縄を舞台にした、なんとも暖かい風が吹いたような作品…主人公の、怠け者で奔放で霊感の強い美少女がユタ(巫女)になるまでの話が、エスニックで不可思議なムードたっぷりに描かれていきます。なんと言っても、神様のお告げも聞かずに勝手気ままな生活を続けようとする彼女が生き生きとしていて、本当に魅力的だし、主人公と共に、友人の婆さんがとても慈愛深くて素敵なファンタジーでした。本当に人間的な宗教の本質っていうことも思いました。生活に疲れたときに読めば、リフレッシュしてしまうような気持ちの良い小説!!

★南絛竹則「満漢全席」集英社
 中国まで、幻の宮廷料理を食べに行くドキュメント的な話と、料理や酒を題材にした幻想的な短編が収められた本。とにかく、読んでいてよだれがたれそうになり、読み終わった後で中華料理や中国酒が飲みたくなってしまう、美味しい小説です。味覚という具体的なイメージが刻まれることもあり、ファンタジーとしての印象も強く心の中に残る、名作と言えるでしょう。

★南絛竹則「虚空の花」筑摩書房
 「満漢全席」が面白かったので続いて読んだ本。これはフランスの「未来のイヴ」という小説について、その虜となってしまった同士が語り合うというような形で、評していくというものですが、実際に読んだことのない小説に魅力を感じさせる力のある作品でした。私の趣味に合う傾向の作品です。

★酒見賢一「陋巷に在り4・徒の巻」新潮社
 第4巻まで来ても相変わらず面白くなる一方、ストーリーもだれることなくますます冴え渡ってきています。多彩な登場人物達をそれぞれ鮮やかに描き切っていく筆の見事さ。複雑に絡まる人間関係と、心情の奥深い洞察。怪奇と幻想と…なんでもありの歴史小説。ああ、続きが読みたいよう。

★酒見賢一「童貞」講談社
 古代中国、女性が宗教的制度の上で全ての権力を握っている集落において、それを受け入れず、一人で反抗する少年の物語。単なるイデオロギー的な反抗ではなく、少年が女性達から受けた精神病理的な出来事の数々が、やがて体制を破壊し、新しい世界を作るだけの力になっていくところに、悲しくも力強い説得性のある物語になっています。そして、壮大にして深いロマンチックな愛の物語でもあるのでした。

★北野勇作「クラゲの海に浮かぶ舟」角川書店
 企業の中で、バイオ研究をする科学者、作られた怪物、錯綜する記憶、曖昧な自己の存在。読むほどに、登場人物も実際には誰が誰なのかわかりにくくなり、複雑で全体も先も見えないストーリー展開。不思議なSFミステリーでした。これはキチガイ博士と、危ない企業…宗教的な…の物語で、特に今の世情に照らし合わせてみると、考えることの多い作品でした。

★川西 蘭「光る汗」集英社
 スポーツに打ち込む少年少女達のストーリー集。彼にしては珍しく、明るい太陽の下が舞台の小説でしたが、もちろん川西流の屈折したキャラクター達です、スポ根するわけではなく、それぞれの理由でスポーツに取り組んでいるわけです。けど、スポーツ…明る過ぎて、ちょっとしっくりこない感じはありました。

★島田雅彦「流刑地より愛をこめて」中央公論社
 やっぱり、少年少女達はこれくらい屈折してなくちゃあ、面白くない…。そんなわけで、このヒロインの砂山アリスはとびきりの美少女でした。このタイプに弱いつばめです。彼女だけでなく、登場人物達がみんなとんでもない状況とコンプレックスを背負っていて、複雑な感情を持って関係しあっていく…というか、うまく関係できないでいく、というか。ドキドキするエロチックさとラジカルさで、大変に面白い作品でした。

★篠原一「壊音」文芸春秋
 現役女子校生の、文学界新人賞受賞作ということで、多大な期待を持って読んだのですが、なるほど…こっち方面だったのか、ということで私にはちょっとの世界でした。廃虚的な精神世界に生きる少年達。少年の好きな人にはお勧めの一作、かもしれません。