読書記 93.10

(つばめ通信21号より)

★中山可穂「猫背の王子」マガジンハウス

 小劇団の主催者であり、男役として一部にカリスマ的な人気のある女性が主人公。その彼女が、劇団内の女優やファンの女の子達と関係を持つところが、非常にクールでさりげない、透明感ある文章で描写されていく……のだけれど、レズ小説であることは間違いない。別に、男女間でも女同志でも、文章になってしまえば、大した違いはないかもしれないです。

 面白いのは、それが劇団公演に向けた熱の高まって行く流れの中で、作り物っぽくなく、自然な姿として描かれていることです。その理由は多分、性はあっても、愛が中心ではないってことかな。では何があるのかというと、孤独に対する救いを求める気持ち…でしょうか。

 心臓の鼓動よりも少し速いテンポが感じられる、魅力的な作品だったと、自分の趣味本位かもしれないけれど、思いました。

★寮美千子「ノスタルギガンテス」パロル社

 表紙の、鬱蒼とした密林の写真…じめじめと湿度の高い、薄暗い緑の世界が、印象的な本。作者は、童話を書いてきた人らしい…子供を描く目は、頷けます。

 読んでいて、辻仁成の「カイのおもちゃ箱」に似ていると思いましたが、共通のモチーフとして“少年=宇宙の創造”というものがあります。そして、救世主となるべきはずの存在が、どんどん周りに飲み込まれていってしまう、なんとも救いのない展開の中に現代社会が表現されていく感じ。なんだってこうも痛々しいのだろう、とても息苦しいストーリーでした。

 しかしファンタジーなのに、とても身近なリアルさを感じるのは、ここに描かれている本当の主題が、破滅ではなくて、孤独だってことでしょう。少年は、だれ一人の味方もなく、自分の異種性を知り、抱え込んで生きるのです。

★池澤夏樹「マシアス・ギリの失脚」新潮社

 箱入りのぶ厚い本は、長編書き下ろし作品です。最初はなかなか入り込みにくかったけれど、読み進むにつれ、入り組んだ世界…個と社会、政と生活、現実と非現実…など、とても奥が深い作品世界に引き込まれてしまいました。さすが、やっぱり好きな作家だけあるな。彼の以前の作、「南の島のティオ」のファンタジックな世界を、現実的な世界とクロスさせた、凄い小説です。

 ここに、自分の足で世界を見てきた作者の、広い視点からの世界観が、集大成されています。現代が抱える様々な問題を内包し、答えは出さないけれど希望だけは感じさせてくれる……。

 南国の暑苦しい空気の中に描かれる、この物語に登場する人々は、奇妙に静かな個性を持っていて、印象深く心に刻まれます。

★酒見賢一「陋巷に在り2」新潮社

 物語は前巻よりも孔子中心に進んでいます。それにしても面白い。これは歴史小説と言うより、エスエフの世界です。超人達の活躍する、異世界の物語。

 しかしそれだけ面白いのは、かつて実在した人物達を、確たる史実から外れずに描いている点…その驚き。古代中国って、本当に異世界だったのかな、と思わせる文章力。そして、生き生きと活躍する主人公達の魅力。次の巻が楽しみで、待つのが辛いくらいです。

★川西蘭「愚者の涙」集英社

 わざわざ恋愛小説と謳っているところに、作者の意図があるのでしょう。その恋愛観は、少しばかり哀しいものです。ロマンチックな場で、ロマンを拒否してしまう寂しさ。相手にも自分にも何も求めない姿勢、あるいは自分だけのロマン。いずれにしても、エゴだということですが。

 ここに出てくる主人公が、ある面で私に非常に似ているので、非常に面映ゆい感じを持ちながら読んでしまった。人間関係に関しての優柔不断さとかが分かってしまうから…ちょっと困ってしまう。けどそれだけに、美女との絡みが嬉しかったりもするかな。女性に対する趣味も一緒、の作家だから。

 で、そんなふうに書いてはいても、本当はあくまでもロマンチックな作者でもあり、自分の真実は決して語らないようにしているようだと思うのでした。

★山下洋輔「ドバラダへの道」徳間書店

 ジャズマンというのは、まったくもって自由の空気を呼吸しているものだと、半ば呆れるほどに楽しい、エッセイ集です。特に南米公演日記では、旅の熱気と人間の魅力が伝わって来て、音楽と笑いと酒と…生きることの謳歌が文になっている感じです。

 彼の豪快かつ奔放な演奏の元となる人格、優れた表現性を生む頭の良さ。一人のジャズ・ミュージシャンが自らの姿を、音楽以外の手段で、しかも音楽のイメージそのままに書くことができるっていうのは、とても素敵なことだと思います。

★永田萠「うたたねうさぎの見る夢は」大和書房

 萠先生が、勤め人になり、イラストレーターになり、お母さんになってきたこれまでを綴った、自伝的エッセイ。これはとても素敵な人生記です。何がステキって、ずっと夢を持ち続けていて、それを実現していくところ。ああ、心持ち次第で、こんなにも生きることは素晴らしいんだって思わせてくれる、私も頑張ろうと思わせてくれる、元気の元みたいな本です。

 同時に、描くことの意味にも、改めて気付かされるのです。続けるうちに、当たり前になってしまったり、難しく考えてしまったりもすることを、本質的な動機の部分に引き戻してくれる…それが、夢であり、憧れであり、それらを持っている、生きた自分、なのかもしれません。

 私の部屋に貼ってある萠さんのポスター、そこに書いてもらった一言入りのサインを見返して、彼女の魅力を自分の側にも感じるのでした。

★北原菜里子「少女マンガ家ぐらし」岩波書店

 ジュニア新書で出ているこの本、本屋で見付けた時にはびっくりしてしまいました。著者の北原さんは、何度か即売会でお話ししたことがある人でしたから。高校生時代にプロの漫画家としてデビューされていて、キャリアの割にとてもお若い方だというのは、この本を読んで知ったこと。私が彼女の作品を初めて見たのは、たまたま同人誌の場で発表していた時でした。「りぼん」誌上で活躍されていた北原さんが(現在「ぶーけ」)、どうして同人誌の領域で個人誌を出そうと思ったのか、などもこの本で判りました。

 少女漫画家という、女の子の憧れの職業がどんなに大変で素敵なものかが描かれているのも面白いのですが、それ以上に、北原さん自身の生きる姿がくっきりと素直に描かれている、エッセイとしても物凄く魅力的な本でした。

★修善寺秋幸「お墓と離婚」ワニブックス

 同名映画(別項参照)に絡めての企画本で、映画の脚本を書いたのが先輩の香川さん。その香川さんを登場させて、映画とは別の物語を書いたのは監督の岩松さんということです。

 前の北原さんの本は、知り合いが登場するエッセイということでちょっとドキドキしましたが、この本では、もっと良く知っている人が小説の中に登場している、それも夫婦揃って。これはなんとも奇妙で、刺激的な読感がありました。香川さんの性格がよく描写されていて、リアルに感じられたし…また主人公についても、映画で忌野清士郎が演じていたキャラクターが強く頭に残っているので、はっきりしたイメージで読めてしまうのです。

 小説としても、人間を見詰める視線が強烈で、一面的には捉えられない人間性ってものを存在感いっぱいに描く面白さがありました。ちょっと作品世界の構成が複雑すぎる気もして、戸惑う感じもありましたが、それも刺激的なところです。