読書記 2000〜

(つばめ通信34号掲載予定)

中山可穂「感情教育」講談社
 彼女の作品はいつも痛々しくも心地よいという、不思議な魅力にあふれているのですが、この作品では主人公二人の人物像が生い立ちから細かに描かれているにもかかわらず、生々しくなく、純粋な気持ちの部分がストレートに伝わってくるのです。それは、親に捨てられた二人の育ちの特殊さやビアンというセクシャリティが自分にとって現実離れしているからではなく(むしろ驚くほどのリアリティを持って共感させられるのですが)、生きることの必死さが伝わってくるからでしょう。こんなにも激しく美しい生き様で運命の出会いに向き合えるのは、与えられなかったものや、見つけられなかったものの大きさが燃料となって溜まっていたからかな。しっかり感情移入して読んだので、自分の気持ちも切なさでいっぱいになってしまいました。

酒見賢一「周公旦」文芸春秋
 孔子が師と仰いでいたという、中国古代国家・周の宰相の物語。「陋巷に在り」でも説かれる礼の本質が知れて、大変に面白い作品です。人を殺したり食ったり、乱交したりという南方の未開人の礼の形も出てきますが、残酷だったりしても、それが人間と動物を分ける文化の発露なのだろうと理解できます。それくらい生に密着したスタイルを作らないと、人間は個人としても集団としても生きられないのでしょう。それは物質的にも思想的にも発達した現代でも、どこかで必要なことではないかと思ったりします。ストーリーとしては、大きな事件はあっても簡単に触れられるだけで派手さはまったくありませんが、その中で淡々と描かれる旦からにじみ出る想いの深さが味わい深い小説でした。

荻原規子「西の善き魔女外伝1・金の糸紡げば」中央公論社
 5巻で完結した作品でしたが、外伝という形でまた主人公の二人に会えたというのはなかなか嬉しいことです。フィリエルとルーンの幼い時の出会いを描いています。本編のようにめくるめく展開というのはありませんが、二人の子供の気持ちの動きが細やかに描かれていて、それが十分にスリルを生み出しています。そうした心理描写の巧みさが、作者の少女漫画的に鮮やかな作風へとつながっているようです。読み終えてほっとする、愛しい作品でした。

仁川高丸「ねむけ」イースト・プレス
 アニマル・ミステリーと銘打たれた連作短編集。犬や猫が人間に復讐する話など、動物絡みの展開の中に現代の人間の抱えている問題が対比されて浮き上がるような作品でした。この動物の描かれ方がかなり人間的なのですが、でも人間同士の関係性で書くよりもドライに仕上がっていると思います。中に2編、子供虐待的な話があってかわいそうだと思うのですが、人間の野生を無くした愚かな暴力的嗜好と、動物の純粋な生のための闘争心の比較というのがすごく際立ってたと思います。この作者としてはいつもの性的なテーマが控えられていたのが意外でしたが、その分、展開のサスペンスさで読まされました。

白倉由美「ミルナの禁忌」角川書店

 本屋でこの本を見つけたとき、思わずあっと声を上げそうになってしまいました。白倉由美…彼女のいくつかの漫画作品は、それは強烈な印象で私の心の中に残っています。特に「卒業・最後のセーラー服」と、そのラストでの救いを自ら否定して描き直した「贖いの聖者」という作品の衝撃は、忘れようがありません。その後、漫画界から姿を消していた彼女が、小説家として帰ってきたのは、非常によろこばしいことです。

 さて、ミルナの禁忌、思えば漫画にも色濃かった終末思想が、より濃縮された世界として描かれた作品でした。世紀末の最後に書かれるにふさわしい作品だったと思います。たとえばエヴァンゲリオンの世界を取り込み、昇華させているようにも思います。タルコフスキーの「ノスタルジア」や「サクリファイス」で壁となっていた?黙示録を超えること、それがテーマだったのかもしれません。

 美少女たちが、世界を救おうともがき、打ちのめされ、謎に閉じこめられ、それでも自分の存在そのものを武器に前進していく。それこそが少女だけが持つ力として描かれているようです。しかし、そうした「少女」の強さや美しさを持った娘が最近は目に付かなくなっているように思う。物語の中のミルナやネ・ムルナ、エリスという少女たちは、未来への希望であるとともに、失われた過去へのオマージュかもしれないなどとも思います。それこそが漫画家・白倉由美の描いていた純粋な少女たちの姿に重なるものでした。

 とにかく、読んでいて迷宮に誘われ、共に痛さを感じるような、それでいて快い作品でありました。

池沢夏樹「花を運ぶ妹」文藝春秋

 実に久しぶりの小説作品です。この間にも書評とかエッセイといった本は何冊も出していましたが、私が読みたいのはそれらの考えが物語の世界に昇華された小説。というわけで、好きな作家がやっと戻ってきてくれたという感じでした。しかし、これまでの作品に比べ、かなり鬱々としてしまう内容でもありました。特に前半は、主人公の兄妹の苦しみがモロに伝わってくるようで、まさに物語中に書かれるヘロインの中毒症状のような苦痛を、活字から味わいました。

 麻薬の快楽と苦痛が、これだけリアルに描かれた作品を読んだことがありませんが、そこに人間の弱さが巧く出ていて、理性では抑えられないものへの恐ろしさが感じられます。そして、後半での人間の理性を超えた存在…自然とか神性といったものとの対比に救われますが、それにしても、人間は理性だけで存在しているんじゃないんだよ、という作者の痛烈な批判がチクチクと心地よいのでした。

近藤等則「我かく戦えり」KKベストセラーズ

 フリージャズを言葉で語るのは難しいけれど、この人の文章からは確かに、自分にしかできない自由な音楽を追い求めて実践してきた精神が直に伝わってきます。それが興味深く、ストレートな生き方が反映された思想展開も面白いです。フリージャズが苦手という人は、難しい解説書なんて読まないで、彼の言葉を聞くべき、と思いますね。残念ながら彼はフリージャズは若いときだけでやめてしまってますが。欧米に渡って行って演奏していた経験、武道を通しての肉体と精神の経験、そうしたリアルな皮膚感覚で世の中を見る痛快さと先見の明には、素晴らしいものがあります。

 中に、瀬戸内寂聴との対談もあって、この二人の言葉によるセッションもなかなかエキサイティングなものでした。ただ、近藤流の自信に満ちた見方というのはとても正しいと思える反面、物事には別の価値観もあってそれも真実だったりするわけで、100%彼の文章に心酔してしまうのは危険かな。一番大切なことは、トランペットの音から伝わってくるはずなのです。

池沢夏樹「すばらしき新世界」中央公論新社
 これは文明の未来にわずかながら希望を抱かせます。これまでも“原初の力”=“本来の信仰”といったものと、急速に発展する中で様々なことを忘れ失ってきた人間をつなぐ作品を書いてきた作者ですが、風力発電の技術者を主人公にすることで、対比がより明確になっています。ヒマラヤの山中へと旅し、素朴な人たちと出会い、神について感じ取る。妻との対話、息子との関係、すべてが理想を向いていて力強い。挫折的なところがないきれいごとかもしれないですが、重く暗いのは少し前に出た「花を運ぶ妹」で十分に読ませてもらっていたので、これはちょうど良いバランスでした。

南條竹則「あくび猫」文藝春秋
 語り手は子猫ですが、語られるのはその飼い主である英語学者の先生。そして例によって、どこまでもグルメな人々が描かれているのでした。美味しいものが食べたい!旨い酒が飲みたい!と強く思わされます。同時に、食べることに価値を置く人生もまた大変だなぁと…普通の常識とは少し離れなければ、追及できない道なのではないでしょうか。基本的には連作短編を集めた本ですが、1話ごとに個性があって、味わい深い小説でした。

酒見賢一「陋巷に在り・11 顔の巻」新潮社

 これまでになくアクションが目立つ、エキサイティングな巻でした。そして美女たちの生き様も鮮やかです。孔子の母・懲在伝の続きから、いよいよ登場人物それぞれの因果関係が明らかになってきます。敵役だった子蓉の恐るべき強さと美しさと哀れさには思わず虜になってしまいました。そして一つの伝統が終焉を迎える凄絶さにも心奪われます。そこには未来へと進んで行くべき人間の天命がある。その命を与える神とは…?

 深淵なテーマが、物語を体験していくうちに自然と理解できていきます。やっぱり凄い作品です。これから読もうという人には11巻のボリュームはかなりきついでしょうが、この世界に一度引き込まれたが最後、人生を変えられるかもしれません。私も一度、通しで読み返してみたいのですが…。

荻原規子「西の善き魔女 外伝2 銀の鳥プラチナの鳥」中央公論新社
 長篇シリーズもこれで最後だそうです。いろんな要素があって楽しませてくれる作品でしたが、ラストはまさにお姫さまの冒険話、はらはらどきどきの活劇でした。本編でストーリーと人物の背景はしっかりできていたわけですが、外見はかわいいお姫さまの心の中の葛藤が深く描き出されて、ちょっと新鮮な感じ。この作者の特徴でしょう、キャラクターが自分で動き、育っていくというのがわかります。自分の創り出した世界に入り込み、そこで自分の生んだ人物達と一緒に体験する、それも作家の楽しみですね。

佐藤亜有子「タブー(禁忌)」河出書房新社
 前作「東京大学殺人事件」と同じ登場人物の探偵モノ…と言っていいかどうか。愛憎や情欲といったものをも超越した、まさにドロドロとした血の怨念みたいな世界が描かれています。事件としての推理なんてものはもう、意味がありません。精神の深いところでの傷を持った、複雑に絡み合う人物相関が織りなす屈折した感情の力で、すべての出来事は進んでいきます。前作では圧倒的なキレを見せていたクールな美青年探偵も、ここでは当事者の一人として弱さを露呈し、真相が隠されたままで最後に行き着けば、救いがあったのかなかったのか、解決したのかしなかったのかも不明です。でも、それこそが人間。究極の混沌の世界といった感じで、読んでいてもなすがままに翻弄されたような、そこに背徳的な快感を覚えてしまうような、ネットリと絡みつく作品でした。

佐藤多佳子「神様がくれた指」新潮社
 犯罪者であったり、ペテン師的だったり、病弱だったり、暗かったりと、華やかさはないけれどとても個性的で愛すべき人物達…。一つの事件をきっかけに、人間の心の機微が微妙なタッチで描かれていきます。サスペンス性もあり、クライマックスの暴力的な展開も、先が読めずに興奮させられます。そうした中に、現代人の抱えている多くの問題が含まれているようにも思え、それを一言で言うなら、寂しさ、かな。そしてその寂しさを癒す人間同士の関係性が提示されている。印象的なのはプロのスリの鮮やかな仕事ぶりで、読んだ後に自分の財布への注意が高まりますが、悪事ながらもそれを生業としている人間の心の描写には共感を覚えてしまう…そんなプロの文章の冴えが感じられました。清々しさの残る作品です。